今月号の『文藝春秋』(2015年2月号)で「安倍晋三と長州人」というタイトルで、半藤一利氏、保阪正康氏、御厨貴氏が対談している。このブログとしては、取り上げざるを得ない内容だ(苦笑)。安倍政権の長期化にともなって、その政治思想のルーツである長州への関心はいやがおうにも高まっているようだ。
この特集記事のサブタイトルがすごい。「権力への執念、政敵への徹底的な攻撃。長州閥はいかに政・官・軍を牛耳ったか」。安倍首相がこれを読めば怒って、執念深く攻撃してくるのではないかと思われるような内容である。『文藝春秋』の編集部と著者たちに敬意を表したい。
対談の中では、吉田松陰、高杉晋作から始まって、伊藤博文、山縣有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一、松岡洋右、岸信介、安倍晋三・・・さらには共産党の宮本顕治や野坂参三までもが登場する。これらそうそうたる長州の革命家、軍人、官僚、政治家の特徴を分析していくと、出てくるキーワードが、粘り強さ、執念深さ、政敵への憎しみと執拗な攻撃、人材活用のうまさ、頑固、保守的・・・・・など。
たしかに、これらは自民党の岸信介・安倍晋三であっても共産党の宮本顕治・野坂参三であっても共通する特質かも知れない。実際、日本共産党を見ていると、いったい日本にこれだけ頑固に保守的な人々がいるだろうかと思うことしばしばである。柔軟性に欠け、執念深く政敵を攻撃するという点に関しても、岸信介や安倍晋三首相に似ている。やはり両党は、その核の部分に、同じ長州の遺伝子を受け継いでいるのかも知れない。
安倍晋三首相が吉田松陰を尊敬していることは周知の事実であろう。参考までに、安倍首相ご本人の談は以下を参照。(第一次安倍内閣当時のものですが)
http://www.mmz.kantei.go.jp/k/mm/abe/003ko/hello.html
http://ameblo.jp/bj24649/entry-11973236635.html
戦後、長期にわたって共産党を指導してきた宮本顕治議長も、尊敬する人物は吉田松陰だった。大下英治著『日本共産党の深層』(イースト新書、2014年)には以下のようにある。
***木下、前掲書、86頁より***
長州のDNA
戦後、徳田球一亡きあとの日本共産党を背負って立った野坂参三、志賀義雄、宮本顕治の三人は、興味深いことに、いずれも山口県人である。
宮本は、渡邉恒雄に尊敬する人物は誰か、と訊かれ、「吉田松陰」と戦後、答えている。
***引用終わり***
これは驚くべきことといえないだろうか。政治的イデオロギーは180度対極にあるように見える自民党の指導者と、野党・共産党のかつての指導者が同じ人物を尊敬しているのだ。
吉田松陰は右の部分もあり、左の部分もあるから、左右の双方にファンがいる。かくいう私も、高校時代に吉田松陰の『留魂録』や『講孟余話』などを熱心に読んで影響を受けたところ、「おまえは右だか左だか分からない」とか「ウサちゃん」などと言われたものだった。
現在の「自共対決」という構図はじつは「長州右派」と「長州左派」の闘いなのかも知れない。双方が闘いを演出しながら、全体として「日本型官僚制」という明治以来の長州システムを支えていく・・・(ため息)。
実際、霞が関の官僚制と日本共産党の官僚制はかなり親和的なように見える。霞が関は共産党が政権に加わるのをそれほど恐れる必要はないのではないか。案外うまくやっていけるのではないかと思う。
吉田松陰門下の品川弥二郎が支配した内務省の流れをくむ国交省の人々などを見ていると、個人としては異論があっても、組織の方針が決まったからには、絶対的にその方針に従う。国交省の個々の官僚が、八ッ場ダムなんか不要だ、江戸川スーパー堤防もムダだと思っていても、組織で「やる」となったからには鉄の団結で、外野から何と言われようともバカげたプロジェクトを完遂しようとする。すべては組織を守るためである。その様子を傍目で見ていて、「これは共産党の民主集中制と同じだなぁ」と思ったものだ。
経済産業省などは、わりかし統制が緩くて、個々人バラバラで自由にモノを言う雰囲気がある。初代の商工大臣が旧仙台藩士の高橋是清であることと関係しているのだろうか。
とりとめもない話しになってしまったが、最後にこのブログで書いてきたことと関連する部分で、半藤さんと保阪さんの以下の発言を引用させていただく。
***『文藝春秋』2015年2月号 97頁より***
半藤 長岡人として長州人を受け入れがたいのは、まさにその蛤御門の変なんですがね。あれは御所を警護する会津、薩摩を長州が攻撃した事件です。よりによって御所の門に向って大砲を撃つのですから、どう見ても天皇に弓を引いた賊軍でしかない。ところが、主犯の久坂玄瑞にしても国司信濃にしても靖国神社に祀られていて、さも天皇のために尽くしたような顔をしている。こんなめちゃくちゃな話はありません。
保阪 靖国神社はそもそもが、幕末に死んだ長州藩の志士たちを弔った招魂社が起源ですからね。それが、いつの間にか国家のために尽くした人を祀る場所に代わっていた。
半藤 それに引き換え戊辰戦争で賊軍にされた我が長岡藩の人間は誰一人として靖国には入れてもらっていませんよ。とにかく長州人は、自分たちの名誉や権利を守るためには、強い団結力を発揮する。
***引用終わり***
この特集記事のサブタイトルがすごい。「権力への執念、政敵への徹底的な攻撃。長州閥はいかに政・官・軍を牛耳ったか」。安倍首相がこれを読めば怒って、執念深く攻撃してくるのではないかと思われるような内容である。『文藝春秋』の編集部と著者たちに敬意を表したい。
対談の中では、吉田松陰、高杉晋作から始まって、伊藤博文、山縣有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一、松岡洋右、岸信介、安倍晋三・・・さらには共産党の宮本顕治や野坂参三までもが登場する。これらそうそうたる長州の革命家、軍人、官僚、政治家の特徴を分析していくと、出てくるキーワードが、粘り強さ、執念深さ、政敵への憎しみと執拗な攻撃、人材活用のうまさ、頑固、保守的・・・・・など。
たしかに、これらは自民党の岸信介・安倍晋三であっても共産党の宮本顕治・野坂参三であっても共通する特質かも知れない。実際、日本共産党を見ていると、いったい日本にこれだけ頑固に保守的な人々がいるだろうかと思うことしばしばである。柔軟性に欠け、執念深く政敵を攻撃するという点に関しても、岸信介や安倍晋三首相に似ている。やはり両党は、その核の部分に、同じ長州の遺伝子を受け継いでいるのかも知れない。
安倍晋三首相が吉田松陰を尊敬していることは周知の事実であろう。参考までに、安倍首相ご本人の談は以下を参照。(第一次安倍内閣当時のものですが)
http://www.mmz.kantei.go.jp/k/mm/abe/003ko/hello.html
http://ameblo.jp/bj24649/entry-11973236635.html
戦後、長期にわたって共産党を指導してきた宮本顕治議長も、尊敬する人物は吉田松陰だった。大下英治著『日本共産党の深層』(イースト新書、2014年)には以下のようにある。
***木下、前掲書、86頁より***
長州のDNA
戦後、徳田球一亡きあとの日本共産党を背負って立った野坂参三、志賀義雄、宮本顕治の三人は、興味深いことに、いずれも山口県人である。
宮本は、渡邉恒雄に尊敬する人物は誰か、と訊かれ、「吉田松陰」と戦後、答えている。
***引用終わり***
これは驚くべきことといえないだろうか。政治的イデオロギーは180度対極にあるように見える自民党の指導者と、野党・共産党のかつての指導者が同じ人物を尊敬しているのだ。
吉田松陰は右の部分もあり、左の部分もあるから、左右の双方にファンがいる。かくいう私も、高校時代に吉田松陰の『留魂録』や『講孟余話』などを熱心に読んで影響を受けたところ、「おまえは右だか左だか分からない」とか「ウサちゃん」などと言われたものだった。
現在の「自共対決」という構図はじつは「長州右派」と「長州左派」の闘いなのかも知れない。双方が闘いを演出しながら、全体として「日本型官僚制」という明治以来の長州システムを支えていく・・・(ため息)。
実際、霞が関の官僚制と日本共産党の官僚制はかなり親和的なように見える。霞が関は共産党が政権に加わるのをそれほど恐れる必要はないのではないか。案外うまくやっていけるのではないかと思う。
吉田松陰門下の品川弥二郎が支配した内務省の流れをくむ国交省の人々などを見ていると、個人としては異論があっても、組織の方針が決まったからには、絶対的にその方針に従う。国交省の個々の官僚が、八ッ場ダムなんか不要だ、江戸川スーパー堤防もムダだと思っていても、組織で「やる」となったからには鉄の団結で、外野から何と言われようともバカげたプロジェクトを完遂しようとする。すべては組織を守るためである。その様子を傍目で見ていて、「これは共産党の民主集中制と同じだなぁ」と思ったものだ。
経済産業省などは、わりかし統制が緩くて、個々人バラバラで自由にモノを言う雰囲気がある。初代の商工大臣が旧仙台藩士の高橋是清であることと関係しているのだろうか。
とりとめもない話しになってしまったが、最後にこのブログで書いてきたことと関連する部分で、半藤さんと保阪さんの以下の発言を引用させていただく。
***『文藝春秋』2015年2月号 97頁より***
半藤 長岡人として長州人を受け入れがたいのは、まさにその蛤御門の変なんですがね。あれは御所を警護する会津、薩摩を長州が攻撃した事件です。よりによって御所の門に向って大砲を撃つのですから、どう見ても天皇に弓を引いた賊軍でしかない。ところが、主犯の久坂玄瑞にしても国司信濃にしても靖国神社に祀られていて、さも天皇のために尽くしたような顔をしている。こんなめちゃくちゃな話はありません。
保阪 靖国神社はそもそもが、幕末に死んだ長州藩の志士たちを弔った招魂社が起源ですからね。それが、いつの間にか国家のために尽くした人を祀る場所に代わっていた。
半藤 それに引き換え戊辰戦争で賊軍にされた我が長岡藩の人間は誰一人として靖国には入れてもらっていませんよ。とにかく長州人は、自分たちの名誉や権利を守るためには、強い団結力を発揮する。
***引用終わり***
いま「はじめに」と「あとがき」を読んだところですが、原田さんの問題意識はよくわかります。
また二月十三日には、一坂太郎氏の『吉田松陰――久坂玄瑞が祭りあげた「英雄」』(朝日新書)がでるさうです。
長薩のデタラメ(長薩史観)をただす議論がいま必要とおもひます。、お知らせのため投稿しました。
八幡和郎氏の歴史本は徳川公儀と会津藩を不当に低く評価していますが、原田氏の本ではそれが逆転した感じになります。いづれも読んでいて気分のいいものではありませんでした。
話を長州に限ってしまうと、たとえば福沢諭吉のような大悪党を取り逃すことになります。そして江戸後期から幕末にかけて多くの人が征韓と世界征服を唱えていることを忘れてしまいます。
ところで大河ドラマの視聴率が低迷しているそうですが、日本人は本当に歴史が好き、といえるのでしょうか。主人公がマイナーだから見ない、知らない時代だから見ない、では歴史的好奇心が乏しいことになりませんか?韓国では古代から現代まで歴史ドラマでカバーしているというのに(それでも人気のある時代はありますが)。
私は吉田松陰が死んだら見ようと思っていますが。
一坂太郎と言えば『木戸孝允―「勤王の志士」の本音と建前』の冒頭部分で徳島の民権政社「自助社」について触れていますね。こういう話をもっと取り上げて「民権運動は土佐」というイメージを払しょくしてほしいような。
おもひもかけないコメントをありがたうございます。いくつか申しあげませう。
>話を長州に限ってしまうと、たとえば福沢諭吉のような大悪党を取り逃すことになります。
――かつて福沢の「やせ我慢の説」のことを調べたことがあります。いまは自己宣伝にたけた勝はともかく、幕臣榎本は復権されるべきとおもつてゐます。同時に、三舟のひとり幕臣高橋泥舟のことも。
>そして江戸後期から幕末にかけて多くの人が征韓と世界征服を唱えていることを忘れてしまいます。
――そのあたりのことはおほいに啓蒙すべきことですね。
>私は吉田松陰が死んだら見ようと思っていますが。
――これが・・・なかなか死なんとですよ。心ある長州の知識人は神格化「松陰」をどう思つてゐるのでせうね。薩摩人のわたしは、大久保はもとより、西郷も許されざることが多々あるとおもつてゐます。
>一坂太郎と言えば『木戸孝允―「勤王の志士」の本音と建前』の冒頭部分で徳島の民権政社「自助社」について触れていますね。こういう話をもっと取り上げて「民権運動は土佐」というイメージを払しょくしてほしいような。
――さうですね、自由民権の「板垣」、かれの外遊費用は、伊藤俊輔らが三井から工面させたなど、聞きたくもない話がありますし。
りくにす様には不興だったようですが、まずは読んでみます。しかし長州史観批判と上杉謙信がどうつながるのか・・・・。
一坂氏の新著も面白そうです。ご紹介ありがとうございました。
>私は吉田松陰が死んだら見ようと思っていますが。
やはり佐久間象山も長井雅樂もスルーのようで、都合の悪いものはすべて隠すという感じのドラマです。予想はしていましたが・・・・・。
『明治維新という過ち』が書かれたときはちょうど『天地人』の直後だったので、直江兼続が石田三成と連絡が取れず関が原で西軍が負けたのを恨みに思っておられるようです。そのうえ戦国武将の実態を描くのに上杉謙信がサンプルにされてしている。たまたま研究資料があるからだと思いますが、なんだか悪意を感じます。
原田さんは好き嫌いを露骨に出す方のようですが、敵を増やしてどうする、と思います。その話は戦国時代を扱った本でやるべきでしょう。もっとも、日本史でもカール・シュミット風に「陸と海の戦い」的見かたがあり、海上交易という共通点があるのかもしれませんがただ悪口を言っているようにしか思えません。
それから、本には載っていないのですが、原田氏のブログで寛政期の会津藩の改革を行った田中玄宰を「大した人物でない」と述べています。近代化がお嫌いならそのように言ってほしい。それとも天明・寛政期の藩政改革を目の敵にしておられるのでしょうか。
「働きすぎに反対」なら共感できますが。
上杉謙信には熱狂的なファンが多いみたいですが、そちらにもついていけないです。
おもひもかけないコメントをありがたうございます。いくつか申しあげませう。
>話を長州に限ってしまうと、たとえば福沢諭吉のような大悪党を取り逃すことになります。
――かつて福沢の「やせ我慢の説」のことを調べたことがあります。いまは自己宣伝にたけた勝はともかく、幕臣榎本は復権されるべきとおもつてゐます。同時に、三舟のひとり幕臣高橋泥舟のことも。
>そして江戸後期から幕末にかけて多くの人が征韓と世界征服を唱えていることを忘れてしまいます。
――そのあたりのことはおほいに啓蒙すべきことですね。
>私は吉田松陰が死んだら見ようと思っていますが。
――これが・・・なかなか死なんとですよ(笑)。心ある長州の知識人は神格化「松陰」をどう思つてゐるのでせうね。薩摩人のわたしは、大久保はもとより、西郷も許されざることが多々あるとおもつてゐます。
>一坂太郎と言えば『木戸孝允―「勤王の志士」の本音と建前』の冒頭部分で徳島の民権政社「自助社」について触れていますね。こういう話をもっと取り上げて「民権運動は土佐」というイメージを払しょくしてほしいような。
――さうですね、自由民権の「板垣」、かれの外遊費用は、伊藤俊輔らが三井から工面させたなど、聞きたくもない話がありますし。
りすくにさま:
わたくしが言及したのは『明治維新という過ち』の[増補改訂版]で、この正月十五日の刊行本ですので、いささか食ひちがひがあるのではありませんか。
わたくしは、遅読かつ同時多読の癖がついていますので、「上杉謙信」のことにふれてあつたかどうか・・・あつたとしても本論にはほとんど関係ないとおもふのです。
著書本論の趣旨を汲みとらなければ、著者も立つ瀬はないかとおもひます。
最近、関ヶ原の戦ひは、じつは瞬時に決着がついた、従来の合戦模様は徳川幕府の都合で脚色され、明治になつて参謀本部公認で固定化されたとの記事をみましたが。島津義弘の家康陣営直前の逃走劇も本当にさうだつたのかと、うたがふことはできます。
以前、源頼朝と伊東祐親関係のことをしらべてたのですが、時間の壁はあつく、知りたいことほとんどわかりませんでした。
要するに戦国時代の農民による略奪が、明治維新によって解禁されたのである、と読めます。そういえばNHKの『坂の上の雲』に槍を持って参戦する「従軍記者」の姿がありました。
こういう「乱取り」のとき武士は参加しなかった、武士はある精神性の保持者なのである、と書いていますが、侵略行動のできる武将は自分の領民をしっかり囲い込んで敵に手出しをさせませんから年貢を取りっぱぐれないだけのことでしょう。
私の手元にある『明治維新という過ち』は2012年8月10日発行で、民主党政権を口を極めてののしっていることが特徴です。
今年改訂版が出たということは、大河ドラマが出たからということもありますが、なにか現政権について言及したいからと思いますが、どうなっているでしょうか。そういえば、菅直人も長州ですが。その前が鳩山政権で、その前が第一次安倍政権。
私の読み違いでなければ、原田氏は民主主義がお嫌いで、目安箱みたいなものもだめだ、というのです。「民衆の意見を聞くふりをして政治参加させたつもりなんて欺瞞だ」と言ったら逆の立場になってしまいますが。要は「武士以外は『B層』だ政治から締め出せ」ということらしい。幅広く各層から意見を求めたり、勝海舟などを登用した阿部正弘は許せない、となるのですね。武士の自覚がない当方は置いてけぼりです。しかし困窮して副業が本業みたいになる武家も多かったし、町人から武家の養子をとったり、家格を売買することが横行していたから「武士以外を締め出す」のは困難だったと想像します。
まず、浅見光彦の母が長崎市長銃撃事件の犯人を非難するのを見て光彦が不思議に思う。「街宣右翼は国を誤らせるのよ」今考えてみると高級官僚の妻である母上は、戦争や暴力が嫌いだからというより、れっきとした公職者である市長を右翼が襲ったことが許せないのです。その母が蒲郡に行きたいと言い出し、蒲郡についてホテルにチェックインするなり三ヶ根山に行きたい」と言います。そこはA級戦犯7名の遺灰を盗み出したのを埋葬して記念碑を建てたところで、墓には岸信介が作った立派な碑が建ち、他にも記念碑がいろいろ立ち並んでいる。光彦の母は軍人の妻で、後藤健次さんのお母様と同じような境遇の方ですが、「墓がないなんて、かわいそうじゃない」と言って占領軍を非難し、ひそかに墓を建てたことを正当化します。そこで出会った愛国的な老人が不審な死に方をする。
被害者は地元の土建業者の社長で、リゾートホテル建設を阻止しようとしたのをで消されたのだ、ということがわかりますが、結末部分に政治的主張がさりげなく入れ込まれています。「国破れて山河在り、というが平和は日本の美しい自然を破壊した」と。しかし今度戦争があったら山河が残るのでしょうか。「平和」とは「教え子を二度と戦場に送るな」と主張する者たちではなく、おそらく田中角栄など自民党の平和勢力のことでしょう。
労組にはリゾート建設などを推進する力はありませんから。途中で悪役たちに北海道の放射性廃棄物貯蔵施設に関わっているとしゃべらせるなど、心憎い演出もあります。被害者の社長は海岸はみんなのもの、一握りのリゾート客しか入れないプライベートビーチは容認できない、と立派なことを言いますが、退役将校で愛国的で、地元の殿様のように振る舞っており、それはいいのですが、人妻に子供を作らせ、彼女が自殺するのを止めなかったような人物です。それを当地の自然を守った英雄にしてしまう。冷静に考えるととんでもない。
88年の「リゾート法」を決めたのは中曽根政権で、中曽根康弘は原子力予算を決めた人物でタカ派であり、「平和」とは程遠い気がいたしますが…そこへ土建業と結びついた「平和志向」のはずの田中派がからんでくる。
安富歩氏の本の受け売りになりますが、自民党主流派が官僚と大企業経営者を後ろ盾にし、田中派が土建業者、農林漁業者、地方の個人事業者を支持基盤にしている。ご当地ミステリで悪役になる土建業者を攻撃していけば残るのは官僚勢力ということでしょうか。
見方を変えると薩長対奥羽越、にも見えます。
この頃は「歴史」としておぼろに認識していたことが「現実」として目の前に現れるので、勉強には最適な時代ですね。
コメントの流れからも本記事からもずれてしまってすみません。
本のニュースサイト「リテラ」に原田さんの本の紹介が載りました。
http://lite-ra.com/2015/02/post-888.html
この紹介記事では現政権への批判は取り上げていません。「東大出が当たり前の官僚・政治家の世界で一流大学に入れなかった安倍晋三は総理の資格がない」とかやっていそうな気がするのですが。お読みの方はご教示頂けると嬉しいです。
ところで吉田松陰関係の本に、たまに米沢藩の藁科松柏が引き合いに出されることがありますが、両者の関係はどんなものだったのでしょう。両親が米沢なので個人的に気になってます。松陰崇拝者は「藩主の信任を得なくてもこれだけのことをやった松陰先生は偉い」になると思いますけど・・・
明治維新を別の目で見た記事がこちら。
櫻井ジャーナル「安倍政権が目論んだ通り、日本の大企業は大儲けし、社会的強者は資産を膨らませ、庶民は貧困化」
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201502170000/
最大の過ちは外国から金を借りて武器を買ったことでしょうか。