“私はアルファであり、オメガである。”(新約聖書ヨハネの黙示録抜粋)
この下りは、文字の明かりを知らぬ大衆大勢を対象とした、心理の鎮静を目的としています。
選択された宗教的言語、ギリシア文字の最初と最後の文字を、主体の補語(主体を補う語)として扱う事により、知性の始点と終点へ起きた神の行幸を宣伝する事で、文明の知性と宗教文化の抱擁に対する非意図的闖(ちん)入者たる大衆へ宗教的知性の校章の制服が暗示的に下賜される事になります。
この文は同時に、当時知性の基盤として地球の後見異星人に認識されていた、宗教文化への侵襲謀議を試みる異星人への神の警告でもありました。
アルファとオメガの間の文字群への縫合を憶測させる神の分化意思が、黙示されている即応体制です。
「抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所」(終戦の詔書抜粋)
(そもそもていこくしんみんのこうねいをはかりばんぽうきょうえいのたのしみをともにするはこうそこうそうのいはんにしてちんのけんけんおかさるところ)
“元々日本国民の安全と世界の共存を共にする事は、我が歴代天皇の残した教えで私も大切にしている事です。”
以上は戦争の降伏勧告の受諾意思を意味する、日本の戦争指導者の朗読文の一節です。
この下りの目的は戦後の天皇裕仁が取り得る政治的言動の責任の曖昧化です。
戦争の終結に当たり、戦争の開始前にも存在が想定され得る、純情の装いが容易なる、人触れざる内心をさり気無くひけらかしつつ希望したものは他者大勢の共感でした。
そして、誕生した共感は哀れにも受け入れ先は実は無く、雨を降らす予兆も無く漂い続ける雲です。
この雲は、沖縄の返還を無きものにしようとしました。
知恵の出自は非人間属性の異世界です。
詔書の執筆に当たった侍従は皆駆使した知恵の属性を知らぬままです。
異世界属性を含めあらゆる力を集約し続ける壷たる、皇室の座敷の状況を知る統括者は存在しており、それは裕仁ただ一人のみでした。
この構造を非意図性が維持されつつ複写に成功したのが自民党で、統括者は六名です。
裕仁と六名に共通する、力の行使目的とは性交で、この属性は支配行為を帯びています。
性交へ向けて巧妙に屈従を強いられていく女性は情報弱者たる国民を象徴し、性交を通じた両者の支配の目的とは万物、何もかもです。
裕仁は言わば、アルファとオメガの間を日々行き交う無知の大衆に異世界の力を弄し、巧妙にそこへ紛れつつ時にアルファとオメガを演じます。
国の顔として各地を行幸すも、国民の助け無かりせば一人では何ら物事を貫徹出来ぬ、国の末席に座るのです。
こうする事で、戦後問題で窮地に立つ裕仁への救済が滞(とどこお)れば、既に電線の通る国民の民生が連動的に破綻するとの玉音放送の自動的再生が裕仁に更なる自由を与えていきます。
国の末席たるオメガの定義を曖昧化していく前後に於ける、オメガ愚弄へ自ら意思を発揮した者は、以降オメガの無視を非難されなくなるのです。
裕仁にとってのオメガを探すと寿命のみと私は考えます。
そして裕仁にとっての寿命たるや、哲学的同値対象は性交でした。
寿命主張時、常時これ性交だったのです。
ところで、それに向けて疾走するに当たり愚弄した世界認識記号たる文字の結尾オメガは、その際一瞬でも正対を要される、犯されざる人倫です。
疾走開始直前の十七の裕仁の頭をパイセしたのは正対したオメガたる人倫で、愚弄出来ぬ真のオメガ、寿命は裕仁の疾走を止めました。
“裕仁はオメガであり、オメガである。”
主体の補語(主体を補う語)を探してもギリシア文字からは意味の重複(ちょうふく)しか起きません。
“裕仁はオメガである。”
これでいいのです。
現代にも潜伏する裕仁への追従者たるや、つまり結末文字を求める、オメガ以外の全ての文字群と言えます。
死へ淫乱なのです。
こんな文字では世界は認識出来ません。
オメガしか見えないのです
“ω”(オメガ)
千六百十七青字