らじかのよかん

ふっ急になんかわかんないんですけど↑

おのぞみのエントリ

2010年05月03日 | 書籍

世田谷文学館でハジマタ。

初日にいってきたのだ。
つーか、まったくの偶然に前日の夕方、ネットを徘徊していて見つけたのだ。

おれが到着し、写真を撮っているとタクシーが止まった。
もしやと思ったらやはり奥様とお嬢様(次女)だった。

対談があってね。
以下かいつまんで。(えっと、二日目の素子先生に行った人はコメント、するように、うん)
・作家は個人の才能なので継げないが、星一の孫のプレッシャーはある。
祖父は努力の人だから。
・しかられたことはない。
信号が変わりかけて走って渡ろうとしたら「次のを待ちなさい」と云われた、ことくらい。
・お昼頃起きて、食事して、テレビを見て、戸越銀座を散歩して。
夜、皆が寝る頃に執筆開始。
だから子供の頃は作家というのはごろごろしているのだと思っていた。
・家庭のごたごたには一切介入しない。
二人の娘は両方共幼稚園から青山だったため、家庭内の大イベントである受検がなかった。
だから、ごたごたしようもなく、なーんにも揉めたことがない。

なんてとこか、あたりさわりのない部分は。


展示はとてもよい。
これ『一〇〇一話をつくった人』がなければ、あきらかに実現不可能だったろう。
メモと下書きが圧巻。

ごく初期を除いて、下書きの文字はとても小さい。
保護ガラス一枚でベタに展示してあるものは、
常時携帯しているZEISSの力ードルーペで見た。
おれが没入した「マイ国家」の下書きもあった。
これ、かなりのの至近距離で書かないと無理なはずだよな。
ルーペでようやくの大きさなのだよ、文字。

他の展示物も小さいものが多いので、
最短距離30センチ程度の単眼鏡等を持って行ったほうがよい。
おれは持参しなかったから、「恐竜の日」の下書きがよく見えなかった。


奥様とほんの少しだがお話をした。
昭和九年、星一洋行の際に撮られた映画があり、それに幼い親一氏が写っているのだ。
おれが見ていたら、奥様が親戚の方とおぼしき人とお見えになった。
その動画は、星家には無いようで
「欲しいわねえ。こんな昔に(写真ではなく)動く映画は、なかなかないものね。
どこにあるのかしら。星大かしら」
とおっしゃっていたのを聞き、余計なお世話かとも思ったが、
「星薬科大の管理のようです」と云ったの。

せめてもの、お礼のつもり。
本当は先生にお礼が云いたいんだけれど、今は、かなわないから。

おれのいわゆる文化的な側面は、ここから始まっているし、
思春期から青年期にかけての微妙な時期を乗り越えられたのも、
この作家、星新一がいたからだ。


会期は六月末まであるので、もう一度じっくりみたいとおもう。
コメント (4)
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