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らじかのよかん

ふっ急になんかわかんないんですけど↑

『るいるい 又は おにいちゃん 1982年』の件

2019年01月16日 | 松田聖子ちゃん研究
なんで るいるい が、
結婚した日から 半年過ぎても あなたって セーター云っている
のかしら?
フシギよね。
時間経ち過ぎだわ、フツウに考えると。

とおもってたら。
神がゐて、解いてくれたわ。
そーだったの。
※今回は深刻な内容じゃないけど、
お互いの人となりがよく出てて、なにより感じがとてもいいの。
んで、
「ああーそうだったのかあー」てことなのよ。

------

1982年05月16日頃放送とおもふのよ回数からして
『悪友親友』第164回←リンクしたから見てね
MC芳村真理、ゲストとのトーク番組だわ。
2日連続で一人のゲストとのトークするんだけど、
二日目は第二ゲストも呼んで鼎談になるのよ。

ゲスト太川陽介
1959年01月13日生まれだから3つ上よね、聖子の。

二日目且つ二人目のゲストが聖子よ。

-------以下全文文字おこし----------------------
●---小見出しは、あたしがつけたの---

●---冒頭部---
芳村「こんにちは、お元気でらっしゃいましたでしょうか。
えー、昨日はそのちゅーじょーさんってゆう素晴らしい方の息子としてのいろいろ」
太川「はい」
芳村「お話を。ほーんとの親子みたいな雰囲気なんですねえ」
太川「ええ」
芳村「あなたの話」
太川「ぼくも、もうほんとにお父さんとおもってますから」

●---聖子登場---
芳村「ほーんとにぃー。さて。今日はですねえ」
太川「はいっ」
芳村「がらっと雰囲気のかわったゲストを。まっ、お呼びくださったわけで」
太川「はいっ」
芳村「これは大変ですよいろいろ。責任があります」
太川「あっはっは」
芳村「責任のある呼び方をしてください」
太川「えー。(気恥ずかしそうに)おい」
芳村「あれっ」
(あははは/スタッフ笑い)
聖子「はいっ」
芳村「はい!」
註:きたわよ
主題歌流れておしゃべりは聞こえない。
聖子登場。さかんにお辞儀をする/白半袖ひざ下ワンピ
太川,聖子で並んで立つ。

聖子ったら太川に寄り添うように近いわよ。
一礼して着席。
肩が触れる距離。
着座位置が太川に近すぎるため座りなおす。
なごやかに挨拶してる感じ。
テロップ
---
お客さま 松田聖子(註:以下テロップママ記載するわよ)
昭和37年福岡県生まれ。53年スター発掘番組で注目され翌年ドラマ出演。55年『裸足の季節』を歌ってデビューし、以後たて続けにヒットを飛ばしている。昨年は映画『野菊の墓』にも出演し俳優としても人気を集めた。現在の趣味はお料理。
---
聖子が太川にくっついてシャツの襟を直してる。

かわええわぁ。

●---ふたりの間柄と「おにいちゃん」について---
芳村「うふっふう。なんか、いっしょけんめお洋服をねぇ、いろいろやってたけれども、そーゆー間柄なんでしょうかねえ」
聖子「えふっ」
太川「そーゆー間柄というか」
芳村「えー」
太川「(身を乗り出して)妹なんですよ」
芳村「なるほどーぉ」
太川「ええ」
聖子「(小声で)はい」(右手でばるぅこにぃカットの前髪をしゅっとする)

註:髪さわったわよー。はずかしいのよ聖子
太川「もう、ねっ(聖子に話しかける)」
聖子「(おにいちゃんと見つめ合い)はいっ。えへっ↑」
太川「まったく。兄妹」
聖子「そうなんです」
芳村「ってゆうことは、事務所が」
太川「ええ。ウチの事務所。同じ事務所でね」
聖子「はい」
芳村「先輩後輩」
太川「そう」
聖子「そうです」
芳村「あーそうなんですか。そいで今日はじゃあおにいちゃんがわりね」
太川(少し心配そうな顔)
芳村「おにいちゃんみたいなもんだわね」
聖子「そうです」
芳村「へぇーえ。おにいちゃんって呼ばれてどうなんですか?」
聖子(「あっ」ってゆう顔するわ)

註:おそらく事前に「おにいちゃんって云うなよな」とか、
ほら、また変なこと云われてもつまらないから、そう云ってたとおもふわ
太川「えっ(一瞬困った顔するけど即座に笑顔で)あのー、一番いい響きですね、えっふっふっふ」
芳村「うっふふふふ」
聖子(安心して微笑む)
太川「あこがれてたんですよぼくは。あのー男3人のねえ、一番下だから」
芳村「だっからぁー」
太川「だからー」
芳村「ふぅーーーん」
太川「おにいちゃん、と呼ばれる、ことがうれしくてね」
芳村「えー今日はそんな訳で」
太川「はい」
芳村「響きのいいおにいちゃん、そして妹という雰囲気でもっていろいろ語っていただこうとおも、よろしくどうぞ(お辞儀)」
た(お辞儀)
聖子「(深々とお辞儀)お願いいたします」
芳村「ふぅーん」

テロップ/提供

聖子アップからヂングル
聖子上向いて笑う~
肩を上げて下げるポーズ(註:『裸足の季節』の歌唱後によくやってたわね)

●---第一印象について---
芳村「ともかくあのー、仲のいい兄妹っというふうな、ほんとに雰囲気いたしますよ」
太川「ああ」
聖子「くっ」(右手ぐーで口元へ)
テロップ 太川陽介 松田聖子
芳村「であのー。聖子ちゃんねっ」
聖子「はいっ」(真ん中から左への中ぺろ)
註:出たわ! 左方向への中ぺろ。うれしいときにやるのよ。「聖子ちゃんのしっぽ」よ「しっぽ」
芳村「今日は太川さんのお洋服もちゃんと、みてあげたのねえー」
聖子「はいっ」
芳村「だからー襟が気になってるってゆう。おにいちゃんは全然、だめですか、ものを」
聖子「いえっ。あのねえすごくこう」
芳村「センスが問題」
聖子「ううん↑ センス、がない、とかじゃなくてえ」
太川「ぐゅふっ」(下向いて苦笑)
註:聖子はなんでも云っちゃうのよね。隠せないのよ。正直なんだわ
スタッフ全員苦笑
聖子「↑ない」
芳村「決まりましたねはいっ」
聖子「いやいやじゃなくってえ」
太川「はっきり云って「無い!」」
聖子「違うんですなんかねえ。(おにいちゃんを見る)あのねえめんどくさがり屋だから」
芳村「ああそうか」
聖子「(大きくうなずく)なんかねえ。自分で何でもやらな、あんまりやりたがらないん」
註:途中まで云って云いなおすのもよくあるわ。聖子正直なのよね、あまりにも
芳村「ううん」
太川「あっふふふ」(しょうーがないなあこの子はという苦笑)
芳村「太川さん」
太川「はいっ」
芳村「あのー、そんな風に、今云ってますけど妹はしっかりして見えますあたくしなんかは」
聖子(少し首かしげ)
太川「そうなんですよ」
芳村「ねっ。そしてあなたから見たそのー、聖子ちゃん第一印象ってゆうのは」
聖子「(小声で)ははん。ちょっ(非常にはずかしそうよ)」
太川「第一印象。初めて会ったのがですねえ」
聖子(右手ぐーより開き気味に口元。首右大きくかしげ。手をピシッと音がする程の勢いで膝に)
太川「ウチの事務所のねえ」
聖子(おにいちゃんを心配そうに見る)
太川「えー廊下と云うか踊り場なんですよ。えっ」
聖子(心配そうに微笑む)
太川「そこで、すれ違いましてねっ。んでそんときには…。あのー彼女がっ、ぼくにこやったお辞儀をしたんですよね」
聖子「↑ううん↑」
註:聖子、とても緊張してるわ
太川「んでぼくは誰かもわかんないしこーやって(お辞儀)とりあえずお辞儀をした。
んで事務所入ったら「今の子が今度デビューする子だ」ってゆわ…」
聖子「うふん」(右手半分パーで口元)
太川「えっあんな子がって」
聖子「うわあああああ」(大笑い)
太川「あっはっはっは。ふっふっふっ」
聖子「(大きくうなずく)そうなんです」
太川「うん。タレントになるような感じじゃなかったもの」
聖子(右手でばるぅこにぃカットの前髪をしゅっとする)
註:髪さわったわよー。はずかしいのよ聖子
芳村「へえーどんな感じだったんですか?」
太川「まったく普通っぽくて」
聖子「うふん」
太川「あまりに」
芳村「あっふ」
太川「ほんとに」
芳村「普通っぽすぎた」
太川「普通っぽすぎて」
芳村「そしてその普通っぽかった時のね」
太川「ええ」
芳村「ちょっとお顔を拝見」
スライド/『裸足の季節』ジャケット
聖子「いやーーーあん。赤ちゃんみたい」
芳村「ふっふっふ」
太川「あはは」
聖子「もーーー」
太川「これ冬っ?」
聖子「たし。これー」
太川「しもぶくれみたい」
聖子「あーはっはっ」
太川「はっはっはっは」
カメラ聖子アップに戻る
太川「やせたね」
聖子「(小声で)そうですね」
芳村「っぱりこの辺が、きゅっと細くなったほっぺたが」
太川「ええ」
芳村「ああー、変わるもんですよねえ、やっぱりねーーー↓ ふつーのおんなの子の感じだった」
太川「ええ」
芳村「でもそうするとすれ違ったときに、それだけ印象が、あったってゆうことは、だって何人かにすれ違ってお辞儀をされてるとおもうんだけど」
聖子(両手を前で伸ばしてつなぐ)←註:しっぽよ
太川「ええ」
芳村「やっぱりそれだけ覚えてたってゆうことは、何かが、やっぱり聖子ちゃんに光るものがあった」
太川「そうでしょうね(大きくうなずく)やっぱ、普通の、中に」
聖子(はずかしそうにうつむく)
芳村「あたしもねえ、聖子ちゃん初めてね、歌の番組出た時にね。
やっぱりね。あの(語気強く)今でも印象がありますよ」
註:1980年04月28日『夜のヒッ卜ス夕ジオ』初登場『裸足の季節』白ひらひらワンピ
太川「へえー」
芳村「うん。なんかやっぱり違うのね」
太川「うーん」
芳村「なーんか存在感があるのよやっぱり」
聖子(真面目な顔して聴いてるが、首かしげる)←註:はずかしいのよ
芳村「デビューあんしてこう売れていく人ってゆうのはそういうものがあるのねえー」
太川「うーん」
芳村「聖子ちゃん」
聖子「(小声)ああー(うつむく)」
芳村「そいでそのすれ違った、ときあなたお辞儀した時の太川さん覚えてる」
聖子「(即答)はいっ」
芳村「あれがっ」
聖子「すごく」
芳村「太川さんだ!」
聖子「陽介さんだとおもいました」(右手で髪の右側触る)
註:「陽介さん」と呼んでるわ。たぶん太川は親しい後輩にそう呼ばせてたのよ。いい人だもん
太川「うふふそりゃおもわないけりゃ」
聖子「うっふぁ」
太川「誰かわかんなかったって」
聖子「はあい」
太川「ことはないでしょ」
聖子「そいですごくぅ。あのー、おもってたよりも、あのー、こー(背筋伸ばす)こーゆー感じでねっ。
すぅー(肩すくめる)」
註:「すぅー」が出たわよ。殊更にほんとのこと云うときよ
聖子「なんかねあの、しゃんとしてる人でしたっ」
太川「しゃん」
聖子「うっふしゃんと」
芳村「なんかあのテレビで見てるとしゃんとしてないのよ」
聖子(右手で太川の肩をさわって、左手で口をパーで覆う)「いやーだ」
太川「あっはっはっは」
芳村「ふーん、そうだったの」
聖子「はい」

●---初めてのお仕事とキッスシーンについて---
芳村「でもその二人は仕事をね」
太川「ええ」
聖子(うなずく)
芳村「まあ事務所も同じということでもって」
太川「はい」
芳村「いろいろしてたわけでしょ」
太川「そうですあのー。彼女がまだね、えー歌手でデビューする前に、ドラマでね、ぼくの恋人役やったんですよ」
聖子「(小声で)ふっふ」(右手ぐーで口元)
註:左手がぐー少し人差し指伸ばして鼻の下だったら、それは泣いてるときよ
太川「ええ。これがっ」
聖子「(小声で)へっふへっふ」(太川をはずかしそうに見る/左に上体かしげる)
太川「それでねっ」
聖子「あっはっ」
太川「何を隠そう」
芳村「うん」
太川「(聖子に)ねっ!」
聖子「(小声で)うーん(うなずく)」
太川「ファーストキッスの相手は彼女の」
芳村「うん」
太川「ぼくなんです。これが」
芳村「問題っ」
太川「唯一今、誇りにおもってることなんですけど」
聖子(右手で髪をいじりつつ苦笑)「もうほほほ…」
スタッフ爆笑
芳村「どんなだった。それは『おだいじに』ってゆうね」
太川「そうです」
芳村「えー番組だったようだけれどもそのファーストキッスのシーン」
聖子(恥ずかしげにうつむく)
芳村「ファーストシーン、キスったゆーのはすごかったでしょう」
太川「泣かれました」
芳村「どっずいぶん気をつけえっ↑」
太川「なーかれちゃんたんですよ、とにかく」
芳村「泣いたっ!!」
太川「泣いちゃったんです」
芳村「どーして泣いた」
聖子(肩すくめて首かしげ)
太川「うれしかったの?」
聖子「えーっへいや」
そのシーンのV出る。
聖子「あっはいやっ」
太川「あっ」
聖子「いやーーーすごーい」
芳村「こーゆVTRが実はあったんです」
テロップ「おだいじに」(昭和55年)
註:芸名も役名も「松田聖子」で出てたのよ。すでに芸名決まってたから役名も合わせたんだわ
V:ベッドで聖子が寝ている。
聖子「おまんじゅうみたいな顔してる」
V:スキーウエアの太川が見舞っていてベッドサイドから聖子を見下ろす
芳村「おっまんじゅうみたいっ」
◆聖子の顔が小画面で出てる
註:聖子は今の自分が画面に出てるのたぶん知らないのよ。
以下の行動もキモだわね
太川「うわっ」
聖子「いやー」(左手ぐーで口元/でも泣いてない/理由はあとでわかるわ)
た「うおっほほ」
V:ふたりを写す。聖子の手を握る太川
聖子(声が出ず。両手ぐーでくちもとばたばた/足もばたばたしてる音)
V:聖子アップ
聖子「ああーん」
太川「うわっ」
V:太川アップ
聖子「(両手ぐーで顔の両脇。目を真ん丸にしてるわ)いやどーしよ」
芳村「うーふふぁ」
スタッフ「うふあ」等の笑い
V:聖子アップ
太川「これねえ。泣きそうな顔してるでしょ」
◆太川の顔が小画面で出てる
聖子「いやーーーーぁぁぁぁ」
V:太川アップ
芳村「ほんとに泣いちゃったの?」
太川「この後、な」
芳村「うん」
◆聖子の顔が小画面で出てる/両手ぐーで顔の両脇
太川「せりふが詰まっちゃうんだな」
V:ふたり写す
太川「こみあげてきちゃってね」
聖子「(うんうんとうなずく/おにいちゃん見る)いいや久しぶ」
芳村「どうして」
V:太川アップ/カメラににじり寄る
聖子「(小声で)いいゃ」
芳村「ほんとに気分的に、こみあげてきた? ドラマの主人公になっちゃった」
聖子(ぺろっ)
V:聖子アップ
太川「そじゃなくてたぶん、いやだったんでしょ」
聖子「いやそんなことないけど」
太川「ついに奪われてしまうこんな男に」
V:聖子アップのとこに太川の後頭部がかぶる
芳村「いやだっ!! このこの顔は嫌な顔」
V:ふたり写る。更に接近する
聖子(右に首かしげてるわ/実は太川の肩にしなだれかかってるのよね)
V:やだっ!!! ついに奪われるわ
聖子(見入る)
V:あっ
聖子(顎上げてみてるわ。変わらないわよ)
V:コンタクト
太川「うっ」
V:いやん
聖子「(すごい小声)いやぁ。(見入る)やあーーーーー」
註:(左手ぐーで人差し指で鼻のあたり)
V:病室のドア。おかあさんらしき人入ってくる
芳村「どーするぅー」
V:ふたりがかぶってる→お花持ってきて唖然とするおかあさん
芳村「あっ」
聖子「いやー」
太川「おかあさんに」
V:ふたり急に離れる
V終わり
画面は太川と聖子
聖子は右側の太川に寄り添ってるわ。だから右手が使えずに左手でぐーだったのよ。
聖子「うわっ。ああーーーー」(聖子は太川と離れる/のが露骨にわかる程度にくっついてたのよ)
太川「おーうほほ」
聖子「はーずかしい。なーんかまたどきどきしちゃっ、しました(両手パーで胸を押さえる)」
太川「泣くなよっ」
聖子「いやっはは」
芳村「かーわいい」
太川「泣いちゃうんだもの」
芳村「あのキスが終わってから泣いちゃった」
太川「あのー。うう本番超にももう、こみあげてきてね、せりふがなかなか云えなかったんだけども。
でも彼女そこでね、いっしょうけんめ云い終えたの」
聖子「(小声)ふふ」
芳村「うん」
太川「こんときにでもこの子はすごく、い子だなとおもったんですよね」
芳村「へえー」
太川「ええ」
芳村「ううーんがんばって。そんなにねっ」
聖子(はずかしげにうつむく)
芳村「初めてでいやだったとおもう」
聖子「いっやっ」
芳村「はずかしかったとおも、いやって変な意味じゃなくね」
聖子「はい。ええ」
芳村「ものすごい緊張感だったとおもうのあたし」
聖子「(小声)はい」
太川「んで終わった途端にね。あのー今ベッド病室のベッドだったでしょ」
芳村「うん」
太川「今度うつ伏せになってねえ」
芳村「うん」
太川「声を出して泣いてるんですよ」
芳村「(小声)うーん」註:同情してるのよ
太川「ぼくも困っちゃうしね、泣かれたってね」
聖子「(超小声)いやっ」
太川「まさか「どうだった?」とも聞けないしね」
聖子「うっはっ」
スタッフ一同爆笑
太川「うははははは。あはは」
聖子(右手ぐーーで口元/はずかしいのよ)
太川「ふっふっはっは。だからぼくもスタジオの隅で泣いてましたよ」
聖子「あっはっ」
スタッフ一同大爆笑
芳村「おかしなふたりっ」
聖子(二度うなずく)
太川「えっへうっふ」
聖子(おにいちゃん見てうなずく)
太川「ごめんなさい(頭下げる)」
聖子「いいえ、どうも(頭下げる)」
太川「すいませんでした」
註:いい人よね
芳村「うっふ」
聖子「あっは」
太川「うふうふうふ」
芳村「聖子ちゃん」
聖子「はい」
芳村「あのー。でもいろいろと。おにいちゃんは気を使ってくれたんでしょう」
聖子「そうです」
芳村「今、今おもえば」
聖子「ええ」
芳村「今はやっと落ち着いておもいだせる」
聖子「はい」
芳村「とおもうけれども」
聖子「とにかくなんにもおーあのー、わからなくてぇ。
いつも台本見てね、いっしょに。あの、演技、ずっとやってくださったりとか。
ほんとに親切にして(おにいちゃんみてうなずく)、いただいて(うなずく)」
芳村「ううーーーん」
太川「(小声で)いいえ」(きりっとした顔だわ)
聖子「(力強く)こころ、強かったですほんとに」
芳村「ほんとにぃーー」
太川(はにかんでいるわ)
芳村「でもー、すごかったわねやっぱりね」
太川「うーん」
芳村「うん。ねっ。わかるっ」
ふたりで顔を見合わせて、うなづき合う。

●---「鍋焼きうどん」について---
芳村「おにいちゃんのねえ、そのーやさしさなんだけどお」
聖子「はいっ」
芳村「そのときぐらいからかしら、なんか急にあの、手のひら返したように親切になったって話があって」
聖子「えふふふ」
芳村「なんか、鍋焼きうどんごちそうになったって話」
聖子「そうなんです」
芳村「ってその後ぉー」
聖子「あのね。えーとー(右手ぐーで顎の下/考えるときのポーズだわ)おなかがすいててあたしが。してっ。
「あーおなかすいたー、【おにいちゃんはぁー?】」なんて、
「ぼくはもう食べちゃった」
「えぇじゃあどーしよかなー」なんて。
「よしっ、ぼくがちょっとつくってやるよ」なんて、急に(おにいちゃんを見る)」
太川「くっくっ」(照れてる)
聖子「台所行ってねっ。つくってくれたんですよ。ほんとにっ。びっくりしちゃって」
芳村「ふうーんんーん」
聖子「ねえ」
芳村「でっ、おっお味はどうでした」
聖子「はいっ。あのねっ。ちょっとねえ、お醤油がちょっとねえ」
太川「ぐふぐふ」(照れ笑い)
聖子「ちょっとあの。うすっ、うすーいおしょお醤油とこいーお醤油ねっ」
太川「あんのウチは関西でしょ」
聖子「ああたし達も関西だから」
太川「出身が。だから薄口醤油を使うわけですよ」
聖子「はいっ」
太川「ねっ。ところが濃口しかなかったんです。そしたら、いつもと違うからねえ、どれくらい入れていいもんかわかんなかった」
聖子「そうした、真っ黒になっちゃって」
太川「うん。なんかーおいしかったなあれな」
聖子「そいで(おにいちゃんの腕を握る)」←註:出たわよ。あまえんぼさんったら
太川「うっふふふ」
聖子「そいでね。せっかくやっぱり【おにいちゃんいっしょけんめつくってくれたからあ】。
開けて「ああっ。おいしいなあ」なんて食べて(食べる仕草)。
おなかすいてるから、いいやっておもって(左手で襟元を直す)あっは」
スタッフ あはははは
太川「しかも何も具が入ってないの」
聖子「そう。おうどんだけなんです」
太川「くっくっくっ。だっ」
芳村「鍋焼うどんじゃなくて鍋うどんじゃないすかそれ」
聖子「そんなんです」
太川「だって冷蔵庫開けたら何も入ってなかったから」
聖子「なんにもなかったの」
芳村「えっうん? なに太川君のお家で?」
太川「いやいや、あのねえ。ウチの事務所の人のお家なんですよ」
芳村「事務所の方のお」
太川「そいでねえ。ぼくが上の階に住んでてえ」
聖子「そうなんです」
註:聖子は親しい間柄だと、合図打ちをよくはさむわよね
太川「彼女が下にぼくが前に居た部屋にいたんですよ。半年間ぐらいね」
芳村「あーなるほどそれでもって」
註:1980年の04月頃からの約半年間だわ。
註:つまりその当時から「おにいちゃん」って呼んでるのよね。
註:それからもレッツヤンの司会太川陽介/サンデーズ田原俊彦,松田聖子で1981年03月まで一緒
その後、メイン司会太川陽介,司会田原俊彦 / 松田聖子で、1982年の09月までずーっと一緒だったのね。

●---おにいちゃんの一人旅について---
芳村「まあ具のない鍋焼きうどんね」
聖子「そうです」
芳村「うーん。やさしいおにいちゃんね」
聖子「すごいやさしいです」
芳村「そんなあのー、太川君なんだけど。なんか趣味は、一人旅なんですって?」
聖子「そうなんです」
註:聖子が答えてるわ。ほんとに仲いいのね。
芳村「聖子ちゃん知ってた?」
聖子「ええ、あたしいもこの前。はいっ」
太川「ええ。あのー休みんなると、ぶらーっと行、どっか行っちゃうんですよね。うん。そいうのが好きなんです」
聖子「うん」
太川「だから例えば。休みがあって、朝目が覚めるでしょ。んそしたらねえ、最初に浮かんだ地名のとき行っちゃうとかね。うん」
芳村「おもしろい」
太川「木曽川が見たいとおもってねえ。その日にさあーっと行っちゃったりねえ」
聖子「ひとりで行っちゃうから、心配ですね」
太川「おおっ。ほっほっほ。なんか」
芳村「しっかり妹が云ってますよー」
太川「ほんとに心配してるか?」
聖子「うん(うなずく)。そう(うなずく)」

●---おにいちゃんのガールフレンドについて---
芳村「おにいちゃんガールフレンドはあ?」
註:さあ聖子はウソつけないのよ。どーする
聖子「へー。そっ、ねーうん。(腕組みしたりほどいたり首かしげたり/ふたり顔を見合わせる)
どおーかなー」
芳村「あれっ」
聖子「あれっ(首かしげる)」
太川「なんだい、ちゃんと云いなさい」
聖子「うん。あのー。(わずかに視線が動いて)うっへ」(笑ってしまい突っ伏す)
註:ちゃんと云えと云われたもんだから、聖子は云う気満々だったのよ
でも、視線の先にマネージャが居て、突っ伏したんだわ
太川も聖子の性格よく知ってるのよね。
太川「なんだあ。あんまりもったいぶると、ぼくに居るみたいじゃないか(膝を叩く)」
芳村「いや事務所の人が向こうであわててるって話もある」
太川,聖子「あっはっは」(顔を見合わせる)
芳村「どうしたの」
聖子「きっとでも、あん、あのー女性にやさしいんです。だからっ(2度うなずく)」
太川「だっから」
聖子「きっと」
註:おいおいだわ。後述するけどこの二人はとてもよく話してるのよ。全部知り合ってた仲なのね
芳村「いないと」註:フォローしてるわ
聖子「いるとかいないとか」(笑う)
太川(まいったなあといった感じに笑う)

●---おにいちゃんの一人旅についてふたたび---
芳村「あの、なんか旅に出てね。作詞したりしてる」
聖子「そうなんです」(おにいちゃんをじっと見つめる)
註:また聖子が答えてるわよ。
聖子は親しい仲だと横から答えるの。
よほど緊張がほどけてきたのね。
太川「ええ。あのー、詞を最近書いてて」
聖子「(小声で)うん」
太川「でまたー新しいね、歌を書かなきゃ、いけないって時に、行き詰るとどーしても、うんぶらーっと行っちゃうんですよね。もうネタが無くなっちゃって」
聖子「うふっ」
註:あっ。「うふっ」はあのラジオのときにも出たわよ。
----『赤いスイー卜ピー』←このブログ過去記事ね---
と「初めて出合った?」
せ【うふん】
と「いつだっけ?」
せ「うん。えーと、昭和55年のお。たぶん1月くらい?」
と「レ○ツゴーヤソグのオーディションで」
せ「うん」
と「おぼえてるよ、おれ」
せ「あたしももうおぼえてるしっかり」
------------
太川「そネタ探しに」
聖子「ふっ」
太川「ってゆうのもあって」
芳村「ふーーーん」
聖子「(小声)はい」

◆↓ここからが特に重要だとおもふの↓◆
●---現在の二人の関係/印象について---
芳村「でもそんなおにいちゃん聖子ちゃんからみるとどーお」
聖子「すてきですねすごく」
芳村「うん」
聖子「もうねー、あのー。一生懸命、なんですすごく」
芳村「ふうーーーん」
聖子「だから、すごいあたしは(首を振る)、うん勉強、させられる、ことが多くて」
註:聖子もすごい努力家(『松田聖子』に努力が似合わないという理由で見せないけど)だし、
トシも評して努力家と云ってるし。
努力してて、しかしそれをみせない人を尊敬するとおもうの。
尊敬先にあって、友情とか愛情とか親愛の情とかおこすんだわ。
芳村「うーん」
聖子「はーい(おにいちゃんをじっとみつめる)」
太川(面映ゆい顔してる)
芳村「芸能界でいろんーなことがあると、やっぱりー、ちょっと相談なんかも」
聖子「そうなんです。すぐねえ、あのー楽屋に行ってねえ。
「ちょっとこーゆーことがあったんだけど」【なんでも話ちゃうんです】」
註:【なんでも話ちゃうんです】は文字通りの意味よ
芳村「そしたらなんて?」
聖子「したら。(おにいちゃんを見る)ちゃんと答えて、(小声)くれます」
太川「ううん」
芳村「(太川に)心配? やっぱり」
太川「そうですね。だからー、絶対甘い云い方もしないし」
聖子「(一瞬考えて)そう」
太川「相当きつい云い方、して。ぼんぼん云っちゃうからね」
聖子(右手で前髪をゆっくりしゅーーっとする)
太川「煙たいんじゃないか?」
聖子「ええっ」

◆註:ああっ。この「ええっ」だわ。おもいもよらないという感じよ。
ほんとに驚いているもの。
これもそうよね↓
----『着物でぼろ泣き』の件←このブログ過去記事ね---
田原「そう、あのあと友和・百恵カップルみたいな噂が流れてさ…。
ね、おまえ、
【何で俺のこと好きだと素直に言えないんだよ】」
松田「【大好き!】」
田原「オッ、冗談やめろよ。俺を
【プロポーズの実験台】にしてさ。もっと女らしくしろよな」
松田「【エッ!?】」
------------
     ↑これよっ。
 この感じなのよねえ、きっと。
太川「ふっふっふっ」
ふたりで見つめ合う
聖子「だからいっ、こわいんですけどねすごく」
芳村「うーん」
聖子「(声のない)うん」
芳村「あのー最近のね」
太川「はい」
芳村「聖子ちゃんはそのー、太川君からみてどーお」
太川「んーだから、もーずいぶん大人んなっちゃった」
聖子「ははぁー」
芳村「はーあそおー」
太川「うん」
聖子(左手で首の後ろの髪を触る/照れてるわ)
太川「ものの考え方とかね」
芳村「うーん」
太川「うん、とても。プロとしてね」
聖子(左手顎の下)
太川「いろいろ、もってるし」
芳村「しっかり」
太川「うん」
芳村「してるもんねえー」
太川「うん」
芳村「あのやっぱりそういう意味じゃあ、じゃあ今日なんかも見ててねっ」
太川「ええ」
芳村「太川君はなんだかお紅茶入れる手がカタカタ震えたりしてたんだけども」
太川「そうです。うふうふうふ」
芳村「聖子ちゃんは、大丈夫なんて感じで」
聖子「あっは」
芳村「しっかり見えたの、今こうしてて」
太川「ねっ」

●---エンディング---
芳村「でもなんか、そーゆーとこ見てもね、ほんとに兄妹みたいな感じが」
太川「えっへっへっへ」
聖子(おにいちゃんをみる)
芳村「ちょっとするけど、やっぱりあの。丹後、出身でらっしゃるのね、あなたは」
太川「そうです」
聖子(うなずく)
芳村「そして聖子ちゃんがまあ久留米ですってねえ」
聖子「そうです」
芳村「あらっ。両方とも着物に関係ある」
太川「そうなんです」
聖子「そうですねえ」
芳村「あれーふしぎーねーぇ」
太川「うちが縮緬で」
聖子「うちは絣で」
太川「絣で」
芳村「どーん」
太川,聖子がスタッフの方見る。
註:「どーん」がお時間の合図みたいね。
芳村「えー今度はどうぞ。縮緬と絣で。やっぱりあれね聖子ちゃんのがボーイッシュな感じで」
太川「えっへっへ」
芳村「そんな雰囲気で、またねえ」
太川,聖子「はい」
芳村「いい兄妹でいてくださいね」
太川(大きくうなずく)
聖子「(大きくうなずく)はい」
芳村「ねえー」
太川「ええ」
芳村「いい意味で刺激しあってね」
聖子「はい」
太川「そうですね」
芳村「がんばってください。今日はありがとうございました。ほんとに」
太川「(大きくお辞儀)どうもこちらこそ」
聖子「(大きくお辞儀)失礼しました」
芳村「うふふ」

---------了---------------

13分なんだけど、長かったわ。
でも、やったかいあったわね。

1)聖子はつーかのりこさんは尊敬がまずこないと好感情がわかないだろうこと
2)聖子と太川は、すごく仲好かったこと(尊敬しあってるとも云えるわ)
3)太川は、親しい間柄になると後輩にも「陽介さん」と呼ばせること
4)聖子は、1980年の春~秋ぐらいには、太川をすでに「おにいちゃん」と呼んでいたこと
5)聖子「そうなんです。すぐねえ、あのー楽屋に行ってねえ。
「ちょっとこーゆーことがあったんだけど」なんでも話ちゃうんです」であったこと。
6)この番組は1982年05月16日頃放送だから、この時まだレッツヤンが一緒なので、
現在形で「なんでも話ちゃうんです」だったこと

7)当然に以後もそうだったろうこと
8)トシも1986年01月に「陽介さん」と呼んでいたこと
書いてないけど、文字おこし省略部で云ってるの
9)ということは、トシも太川に相談してたであろうこと

以上を総合すると、
太川はふたりを応援してて、両方の気持ちもわかってたわよね。
しかも、
一人は「妹」で、彼女から「おにいちゃん」と呼ばれてたほど仲がいいのよね。
したら、
そりゃ云いたいわよ。
人情だわ。

これいい番組だったわね。
トシとのラジオもそうだったけれど、
こういう機会は他にはなかったでしょうから。

ちょっと悲しいけど、楽しかったわ、これ書いてて。

じゃあまたね、なの。
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『【ものすごい育んでらっしゃった】 2007年』の件

2018年12月01日 | 松田聖子ちゃん研究
では比較的近年はどーおもってる乃至どー記憶してるのかしら。

2007年04月20日 東京地区放送(大阪地区2007年04月13日放送)『さんまのまんま』
収録は、
-------
聖子が番組内で27年目と云っているのよね。
だから2007年03月かしら?
2007年04月なら28年目というハズだわ。
また、
サヤカさんこの時20歳と云っている。
1986年10月生まれだから、2007年の春収録は符合するわね。
-------
のハズなんだけど周年近くになると、
聖子の「周年」の数え方が毎度おかしくなるというウワサもあるのよ。
でも、だいたいで2007年03月頃収録とおもふわ。

追記:2017.12.01
2007年03月 歌手活動について古巣の「サンミュ-ジック」と業務提携契約を締結
なのでフツウに考えて2007年03月収録だわねぇ。


トーク要部文字おこしするわよ。
みんないい? 大丈夫?

---------前提---------
『週刊明星』(1980年8月24日号)の表紙で聖子とさんまが二人で表紙を飾る。
当時さんまは売れっ子。
芸人で初めて週刊明星の写真に出た。
青山のホテルのお庭で撮影。
その時「この子絶対に売れますから」と云われた。
その3ヶ月後に大スター、半年後にはさんまが聖子を拝んでいた。
---↓撮影日の推定---
週刊誌の発売日は、2001年からは15日先付けルールになっているみたい。
その前はかなりいいかげんだったらしいわ。
よって『週刊明星』(1980年8月24日号)の発売日は08月10日より前。
08月初頭あたり発売かしらね?
すると表紙撮影は1980年07月の下旬頃と推定される、なの。
故に
---
1980年08月14日 ザ・ベストテン『青い珊瑚礁』空港中継 初ランクイン(8位)
---
当然この前だわ。
---------------------

更にこの2007年当時、
聖子(つのもおかしいけど)は独身。
さんまも同じく。

---トーク導入部---文字おこし-------
さ「おたがいこんだけスキャンダルを乗り越えてきて」
聖子「はい」
さ「まだテレビに出てるのはすごいよね」
聖子「あっはっは」
さ「なあ。おいら。もう握手してもええぐらいやよね」
聖子「あっはっは」
(中略)
さ「でもまだまだ結婚できるししたいよね? もう結婚はいいの?」
聖子「………」
さ「止まったねー」
聖子「い違う」(ぺろっ)
さ「もうこりごりなんでしょう。(かぶりをふる)でも老後考えたら、す聖子ちゃん結婚したほうがいいですよ」
聖子「まあ。もうほんとにもっともっと。もし、お。こーおおばあちゃんになってからぁ」
さ「おん」
聖子「さびし、い、かもしれないからぁ」
さ「おん」
聖子「まっでもー。もぉーちぉっと」
さ「おばあちゃんになってから誰ももらい手いないですよ」
聖子「でもーおじいちゃんと結婚、したら、いい。だめか」
 註:あっ悲観的だわ
さ「ああーーー」
聖子「でもわかんないわ、人生は」
 註:流石聖子
さ「ははい」
聖子「そーんなこと云ってても」
さ「いやっ、もうそろそろわかってもいいんじゃないですか」
聖子「いやっ、いやっ。ほんと明日なにが起こるかわかんないからぁ」
さ「そりゃそうですよ」
聖子「そう」
さ「あなたみたいにモテてきたからねぇ」
聖子「だからもう未来は語らないわ」
さ「語らないんだ」
聖子「そう。そうもなるようになるわ」
 註:すてきよね。だって「そうなった/そうした」もの。
さ「未来は語らないのもう」
聖子「そう」
さ「も、も一生語らないのあなた」
聖子「それご、なるように(髪をいじる)なりますもんね」
さ「なあー」
聖子「あんまり細かく考えても」
さ「考えたら、おうお互い結婚してたらよかったねえ、あの時に」
聖子「えっ!」
さ「いやっ。ふたり」
聖子「ふたりがぁ!」
さ「ふたり結婚してたらよかったね」
聖子「あっはは」
さ「あのー週刊明星の表紙ふたりでやったときに、時に結婚してたらよかったね」
聖子(深呼吸)
さ「んで、子供つくっときゃあ。も子供も30や。ええっ。えらい歳やねえあれ」
聖子(つくっ。笑わなきゃいけないかなあの笑顔)

以下表紙撮影の詳細
 ↓
聖子の美貌について
 ↓
親子のそーゆーときについて
 ↓
CM
 ↓
---現在の恋愛話---文字おこし---
さ「今、恋もしてんの、今もまた」
聖子「だ誰ですか?」
さ「あなたが恋を」
聖子「あたし今ですか」
さ「うん」
聖子「恋してないですね(きっぱり)」
さ「えっ、今恋してないの!」
聖子「出会いが無いんですよ」
さ「あるじゃないなって」
聖子「(語気強く)無いですってほんとに!」
さ「ちゃ有るに決まってるやんかなんで」
聖子「無いですよ」
さ「コンサート行ったりしたり。他の」
聖子「でも会う人がぁ、決まってるんですよ」
さ「せやなぁー。ドラマとかやらないしバライティあんまり出ないし」
聖子「だからぁー。同じ人としか会わないんですよ一年中」
さ「まっ好みもあるやろしねぇーー」
聖子「あはっ」
さ「おれんとこいっぺんもよ寄り付かなかったねえ」
聖子「ええっ!! でもそんなにご一緒する機会なかってですよね」(髪をかきあげる)
さ「あったやんなんでやねん」
聖子「ありました?」
さ「死ぬほど」
聖子「あっは」
さ「死ぬほど一緒やったやないかい」
聖子「でもそうですねぇ」
さ「デビュー当時あのあれやで。あの好きなタレントさん明石家さんまって書いててんのあるよ」
聖子「ええっー」
さ「わっあーお。えーってきみ忘れてんの?」
聖子(大笑い)
さ「おれが「ええ」やわ」
聖子(大笑い)
さ「なあ」
聖子「あでもぉー」
さ「保存版」
聖子「いや、でもぉー。ほんとになんか、素敵な、方でしたよね」
さ「ぶ」
聖子「でゅふ。あっはいやちょ。今も素敵ですけどぉー。その頃まぶしかった」
さ「うっふ」
聖子「あのっ。なっんか」
さ「もうええっ」
聖子「違う違う。なんかほらっ。こっリラックスさせてくださるしぃお話ししてても」
さ「おらアロマかおれは」
聖子「ちがう」
さ「あほぉ」
聖子「それって。すごい大事ですよー」
さ「えふふふふちゃうわ」

◆以下往時の恋愛話くるわよ。
いい? 大丈夫?

さ「おれはそんなこと云うてんのちゃうねん」
聖子「えなんですか」
さ「あの恋人として一度も、ねーっ」
聖子      (↑「一度もの」ところでぺろ)
さ「あのーなかったという話をしてるわけですよ、そーゆー」
聖子「一度も何も誘って下さらなかったじゃないですか」
さ「いや。タイミングあるよね」
聖子「そうですよね」
さ「初めてぇ…。
ああぅおれデート誘おうかなあおもた時に決まった男性がいらっしゃったんですよ、あなた」
 註:1980年07月末? 初めて会ったのは週刊明星の表紙撮影だけど
聖子「えでも誘おうとおもってなかったでしょう」
さ「いやいや」
聖子「絶対おもってない」
さ「いやっ。絶対お」
聖子「絶対おもってない」
さ「うふふ。うー絶対おもってた」
聖子「絶対おもってない」
 註:聖子ったらこの話題の進行を避けてるわよ
さ「んんん。ずあー、おれわかってんもん、おれ」
聖子「ええっ」
さ「あの時に」
聖子「なんですかぁ↑」(とまどっている)
さ「だから元の恋人や。元々こ、あの時に【仲良い恋人】が居たでしょう」
聖子「あは、【はい】」(恥ずかしそうに照れたように笑う。髪をいじる)
さ「なあ」

聖子「あれなにええ」(さんまを指さす)
 註:あのあれよ。まさかの話題よこれ
さ「あはは」
聖子「その時じゃないじゃない、だって」
 註:聖子はいつを想定してるのかしら? 結婚前で且つ表紙撮影の後にもそーゆー機会あったのかしらん。
 追記:2017.12.01
 わかったわ。聖子は「その時」を1980年07月下旬の表紙撮影とおもいこんでるのよ。
 んで、決定的な「あの時」は1981年01月30日~02月09日サンレモなのかもしれないわ。
 これ、あとでぢっくりやるわ。 
さ「その時ですよ」
聖子「今ちょっとタメ口になっちゃった」
さ「ちょじゃあ、止めてよう」
(聖子 カメラ見て手を叩いて笑う)
さ「あなたこんな大きくしたのおれやからねえ。ゆうとくけど。
そうそう。えーーデートでもっ、とか、電話番号聞こうかな」
聖子「ぜえったいおもってなーい」
さ「おもってた」
聖子「いえいえ」
さ「そしたら。その元恋人から「いつもお世話になってます」ってなんか頂いたんですよ」
聖子「うっそぉーーー」(後に倒れる)

さ「ちゃ。ほんまや。おれいうたでしょあの時に」
聖子「聞いてない」(かぶりを振る)
さ「その次に出合ったのがもう映画で結婚してたでしょ」
 註:1990年11月10日 『どっちもどっち』公開 東宝配給 主演 明石家さんま, 松田聖子
 なお、1986年06月11日放送『さんまのまんま』産休中唯一のテレビ出演 を忘れてるわ
聖子「はい」
さ「ねえ。ほらねえ。タイミング無かったんですよ。我々」
聖子「ああっー。そうですねえ」
さ「そうでしょうー、ほらー。
あの時もし、おれが声かけて電話番号聞いたって。
おこっ「だめです」っていうたでしょう。
そのときはもう…。
【ものすごい育んでらっしゃった】から」
聖子「【うっふ。はい】」(下向いて恥ずかしそうに笑う。左手髪にやる)

さ「ひゃーかんぱーい」(水の入ったグラスを差し出す)

(聖子 グラス差し出しチンする。恥ずかしそうに下向いて笑う。水を飲む)
さんま話題を変える。

-------------
1)聖子はデビュー年の1980年07月末には【ものすごい育んでらっしゃった】

2)参考 「初めて出合った」のは→1980年02月13日
-----引用 らじかのよかん「赤いスイー卜ピー」このブログ過去記事だわ-----
と「初めて出合った?」
せ「うふん」
と「いつだっけ?」
せ「うん。えーと、昭和55年(註:1980年)のお。たぶん1月くらい?」
と「レ○ツゴーヤソグのオーディションで」
せ「うん」
と「おぼえてるよ、おれ」
せ「あたしももうおぼえてるしっかり」
------------

3)それを、1980年07月末に表紙撮影だけのさんまが知ることができる程有名だったのよ。

4)参考:グリコCF撮影は→1980年07月
-----引用 らじかのよかん「赤いスイー卜ピー」このブログ過去記事だわ-----
と「それからどのくらいしてからだっけ?」
せ「それからって。どのくらい? 1ヶ月くらい?」
と「5。6月ぐらいか」
せ「うん。そう6月ぐらい」
(録音寸切れ)
と「もー」
せ「もーね」
と「どこだっけ。清里までさあ」
せ「そう清里高原」
と「毎週毎週かよってさあ」
せ「そう」
と「なつかしいね」
せ「でも、すっごく楽しかった。今ふりかえる」
と「楽しかったね」
せ「あれ一番楽しかっ」
と「【朝靄の中で散歩したね】」
せ「【あれよかったねーーえ。もうわたしほんと一生忘れないわ】」
------------

5)↑ここでもコトサラに育んだハズだわね。
註:【朝靄の中で散歩】はあとでぢっくりやるわよ。
更に、1981年01月30日~02月09日 サンレモもあるし。

更に
6)聖子は基本髪をいじらないわ。

7)2007年現在時点でも未だ「はずかしい」のよ。
無論、記憶も【もうわたしほんと一生忘れないわ】なの。
うふふ。


「はずかしさ」は聖子の大きな魅力のひとつだけど、
それはのりこさん自身からにじみだす「はずかしさ」だわね。
だから、
こんなに魅力的なのよ。
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『密林少女 1984年』の件(論考)

2018年10月23日 | 松田聖子ちゃん研究
本稿敬称略だわ。
-------------

『密林少女』は、
松田聖子9枚目のオリジナルアルバム『Tinker Bell』1984年06月10日発売
の、4曲目に収録されている歌。
作詞:松本隆/作曲:林哲司/編曲:大村雅朗
なの。

聖子自身が「あたしの性格を掴んでる詞」である旨の発言をしてるわ。
松田聖子 愛にくちづけ その2 アルバムについて
以下要部
----------
なんて云うのかなあ…。
例えばね、曲目で挙げてみると『銀色のオートバイ』とかねっ。
あと『ジャングルガール(密林少女)』とかねっ。
まさしくなんかあたしの性格を掴んでる曲だとおもふわけ、例えば勝気とかねっ。
「かっちきーな」とかね。
----------
ということは、あたしの状況もつかんでいるということよね。

本作『密林少女』が歌われたのは、あたしが確認できた範囲で次の通りよ。
・1984年08月19日(放送)レッツヤン『密林少女(ジャングルガール)』←リンクつべ(音出るわよ)
黒肩だしチョッキ蝶タイ 四角白地黒玉ミニスカート←構造どうなってるのかしらね
・1984年09月08日 「Magical Trump」NHKホール 
主催ニッポン放送/サンミュージック/キョウドー東京 3000円
(本ツアーでは歌っていたのかしら)
・1985年04月26日/27日 1830開演 日本武道館「Seiko Prism Agency 」3800円
(本ツアー/独身ファイナルでは歌っていたとおもふわ。なお当時引退をほのめかしていたのよね)
※1985年12月15日/16日 「Seiko Golden Juke」日本武道館 
主催ニッポン放送/サンミュージック/キョウドー東京
では歌唱されてないわ。

また「ウィキペディア」の『Tinker Bell』の項には、
-----引用-----
カウントダウン・ライヴ「Seiko Matsuda CountDown Live Party 2007-2008」では、「いそしぎの島」「密林少女」が久しぶりに披露された。
-------------
とあるの。
(ここ引くなつー話もあるが、まあいいじゃん)
すると、
リリース直後と、独身最後に歌った後、
比較的近年まで歌っていなかった、のかもしれないのよね。

------------
過去に
『モッキンバード』の件(論考)
してるわ。

ちょっとぉ。
改めて聴いて、とある部分から全部解けてびっくり仰天だわよ。

やだっ。
『モッキンバード』と本作『密林少女』は対よ。
(もう一作品えぐいのあって都合三部作なんだけど、これあとでやるわ)

----------------------------
以下、論考。
(アタリマエだが裏はとってないわ。あたしが勝手にこうおもっただけよ)
いくわよ。
いい、大丈夫?

-------------
前提

歌の中の「私」は、ジャングル的なところに住んでいる勝気な少女である。
なにかやきもきしてる感じなのよね。

(以下「」内は詞の引用だわ)
------------
「密林に色とりどりのハミング・バード
目覚めると泉で水を浴びるの
木の陰から覗いちゃダメ
おとなしくしてて」

いきなり飛ばしてるわね。
「密林に色とりどりのハミング・バード」は、
前掲の『モッキンバード』への自己本歌取だわね。
またそんな歌のうまいハミング・バード(ハチドリ)がたくさんの、
私のいる世界/芸能界もかけてるかな。
「目覚めると泉で水を浴びるの」
これが私。
朝水浴びないとダメなほどのハードワークなのよ。

「木の陰から覗いちゃダメ」
私を覗いているのだから、
ワイドショーとか週刊誌やらスポーツ新聞記者諸君のことよ。
「おとなしくしてて」
勝気だわ。
(うーん会見の対応とかほんと勝気なのよね。ぶつぶつ。あとでナニをナニするけど)

------
「土埃あげるジープで旅する
草原で昼寝をしてるライオン」

「土埃あげるジープで旅する」
かのように生きている「私」を、
「草原で昼寝をしてるライオン」
が薄目で見てるのよ。
やだっ。
『モッキンバード』のときには、
--引用--
「窓辺のシャム猫 揺り椅子でうとうと」
------
シャムネコだったのに、もはや「ライオン」だわよ。
ただし、一応お「昼寝」中である由。
そーだったかしらねえ。

-----
「探検帽かぶるあなた
意外に似合って
野性的よ」

初めて「あなた」が出てきた。
やだっ。
「意外に似合って野性的よ」なんだから、
「あなた」の実物は「私」の意中では野性的でないの、と云ってるわよ。

【あなたの実物、私本人の評】
-----
「ええ。あのー嘘をつかないで」
「そしてせいじちゅ(誠実)で。
それからあのー、あたしの意見もちょっと聞いてくれて。
そして「ついてこい」というタイプの人です」
「そうですね、はい。やっぱりちゅおい(強い)、人がいいです」
または、
「あのーあなたはすごく…。(声が潤む)やっぱ男性の中ではねぇ」
「(声が潤む)やさしーい人だとおもいますよ」
「そういうところがいいのよ。いいのよって」
-----
うーん。
「野性的」とは違うわね。

------
「私はジャングル おませなジャングル・ガール
枝を飛んで逃げてしまうわ
力ずくでつかまえていいのよ
たぶん無理ね あきらめなさい」

やだっーーーー。
そう見えたのよねえ、作詞家には。

「私はジャングル」
つーのがすごいわ。
「あなた」には「ジャングル」の如き「私」であるということでしょ。
「おませなジャングル・ガール」
「あなた」より1つ下だから「おませ」なのよ。
あと、そのえと。
そのふたりで一種所帯じみた状態にすぐさま至りたいという希望願望等が、
決定的に「あなた」より「おませ」だわね。

「枝を飛んで逃げてしまうわ」
もうまんま云っちゃってるじゃない。
「力ずくでつかまえていいのよ」
例によって要請できないのよねー。
「力ずくでつかまえて」と云い切ればよかったのよ。

「たぶん無理ね あきらめなさい」
神田法子 著 『聖子』
昭和61年1月10日 第1版第1刷
昭和61年1月20日    第2刷 
発行所 小学館
P163-164
------引用-----
私がある別れをひそかに考え始めてから、
(引用註:1984年の)夏、秋、冬へと三つの季節が通り過ぎていた。
------引用終わり-----
この歌、
1984年の夏の作品だからね。
松本隆おそるべしだわ。

-------

「木の上に小屋を作って住むのよ
遠くから滝の響きが聞こえる
熱帯樹にもたれながら果実(フルーツ)をかじるあなたが好き」

「木の上に小屋を作って住むのよ」
ここ解けてないわ。
想定新居のことかしら。
あっわかった。
見張りがきく、防衛に最適な場所で、あなたと暮らしたいという意味だわ。
隆、恐るべしよ。

「遠くから滝の響きが聞こえる」
マスコミから滝のような雑音/轟音がする。
にもかかわらず、
やだっ。
「熱帯樹にもたれながら果実(フルーツ)をかじるあなたが好き」
「あなた」はのんきにリンゴ喰ってるわよ。
肉でしょ、ふつう。
ジャングルなんだからさあ。
でも「好き」なのよ。
------赤いスイー卜ピー←このブログの過去記事だわよ--------
推定1984年10月17~20日録音
と「なんか会えなくなっちゃったな」
せ「(小声で)そうねー」
と「なんでだろう」
せ「(小声で)ううーん」
と「きらいなのかおまえおれのこと」
せ「すき、好きよー」
と「あはははは」
せ「(ためいき/小声で)好きだけど……」
と「この沈黙がこわい」
---------------
「好き」は云うのよねぇ。

------
「私はジャングル 勝気なジャングル・ガール
肩にのせた黄色いオウム
冒険する勇気が無ければ
生きていても退屈なだけ」

「私はジャングル 勝気なジャングル・ガール」
---
「まさしくなんかあたしの性格を掴んでる曲だとおもふわけ、例えば勝気とかねっ。
「かっちきーな」とかね。」
---
あーあ。

「肩にのせた黄色いオウム」
ここであたし、ああっ! て気づいたのよねー。
モッキンでは「私は小鳥」だったのに。
もはや小鳥類は肩にのせるアクセサリー程度なんだわ。

「冒険する勇気が無ければ
生きていても退屈なだけ」
あーあ。
---松田聖子 愛にくちづけ その1 シングルレコードについて/要部----
やっぱり松本隆さんとわたしの出会いってゆうのは、すごい出会いだったなっておもふわけなんですよ。
んでー、前にも話ししたかもしれないけども。
松本さんって人はすごい方なんですね。
んであたしもうお付き合いして、こーいろいろ曲を書いて戴くようんなって4年位経つんですけれども。
とにかく、そのあたしの時々の、その今考えていることとかね、おもってること。
それがもうそのとおり詞になって現れて出てくるわけ。
だからいつも、どきっとするんですよ。
なんか魔法の鏡かなんか持ってらしてね。
あたしのこころ全部こう、見通してらっしゃるんじゃないかなってゆうぐらい、すごかったしぃ。
--------
もう、あなたたちはずーっとそうだったわよね。

-----------
「スリルが好き
私はジャングル おませなジャングル・ガール
枝を飛んで逃げてしまうわ
力ずくでつかまえていいのよ
たぶん無理ね あきらめなさい」

「スリルが好き」なのよ、と云ってみてるんだわ。
本当に「スリルが好き」ならこんなこと云わない。
スリル=恐怖や極度の期待からくる緊張感等あってもいいわ、つことでしょ。
だから、
「力ずくでつかまえて」と云えばいいのに。

「私はジャングル おませなジャングル・ガール
枝を飛んで逃げてしまうわ
力ずくでつかまえていいのよ
たぶん無理ね あきらめなさい」
例によって繰り返し部分は、
要求の示唆よね。

まんま『モッキン』の構造だわ。

-------------------------------------
『モッキン』の時1982年11月10日発売付近に比して、
この『密林少女』1984年06月10日発売付近は
あたりまえだけど緊急性が高いわ。

要請の示唆も限界ギリギリまでしてる。

しかも、すでに別れの予感もあるし。

松本隆先生、恐るべしよね。
涙なくしては聴けぬ名曲だわ。
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『二十歳の誕生日/理想の男性像 1982年』の件

2018年10月22日 | 松田聖子ちゃん研究
おまけで軽いやつよ
◆その4だわ

1982年03月18日 ザ・ベス卜テン『赤いスイー卜ピー』2位 
白セーター黄スカート 黄のお花イヤリング 理想の男性像

冒頭からしばらく両腕隠し
徹子「いらっしゃいませ。一週間前に二十歳におなりになって」
聖子「はいっ」
徹子「ほんとにね、よかったですけれど」
聖子「どうもありがとうございます」
徹子「また今日は清楚な」
久米「あの二十歳向きの質問を」
徹子「はい」
久米「もうこの好きな男性像。理想の男性像タイプが固まってがきたそうですが」
聖子「ええ。あのー嘘をつかないで」
久米「うん」
聖子「そしてせいじちゅ(誠実)で。
それからあのー、あたしの意見もちょっと聞いてくれて。
(はにかみながら二人を見て微笑むのよ)
そして「ついてこい」というタイプの人です」
(「ついてこい」部分で身体の前で伸ばした手を結ぶわ)
久米「意見も聞いてくれてついてこい」

徹子「ちょっと大人っぽい、というか。包容力がある、というそういう感じ?」
聖子「そうですね、はい。やっぱりちゅおい(強い)、人がいいです」
久米「居るの? そういう人は?」
聖子「いえまだー、ちょっとめぐり会って、無い」
徹子「うふふ」(うれしそうに笑う)
聖子「んですけど」

徹子「ふふふふ。はいではお願いしましょう」
聖子「うふふ」
徹子「どうぞあうふふふふ↑」

久米「なんかほんとに二十歳んなりたかったそうですけどね」
徹子「えっなんかねえ」
久米「小っちゃい頃から」
徹子「え小っちゃい頃から早く二十歳んなりたいなあ、ってゆうふうにおもってらしたそうですけど」
久米「でもこんどの二十歳のプレゼントは今までのぬいぐるみとかそういうかわいらしいもんじゃ無くて
えーシックなブラウスとかワンピースとかねえ」
徹子「ええ、ええ」
久米「えーそれからお料理の本とか」
徹子「ええ」
久米「【中には変わった方で大変素敵な電話機をプレゼント】してくれたとか」
徹子「ああそうでしょう」
久米「とにかくその誕生日のプレゼントも、き、ぐっと大人向きになったそうですよ」
徹子「そしてこの間お祝いのときにはシャンペンでしたものね。お酒も飲んでいいわけでしょ。
も二十歳んなったらね」
久米(セットの様子を伺っていて相図あったらしく)
「さあて今週第2位です『赤いスイートピー』松田聖子さんにお願いしましょう」

透明傘が飛んでくセットだわ。

うふふ。
なんで「まだー、ちょっと巡り会って、無い」がそんなに面白いのかしら。


久米宏の発言に注目。
頭のいい方だから、話すことにいちいち意味あるわ。
久米「【中には変わった方で大変素敵な電話機をプレゼント】してくれたとか」
うふふ。
赤いミッキーの電話機だわよこれ。

やだっ。
聖子ったら、
こんなことまでしゃべってたのらしらん。
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『聖子&トシのリクエスト特集/特に『私のしあわせ』トシのセーター 1981年』の件

2018年10月20日 | 松田聖子ちゃん研究
◆その3ね。

なんかほら。
太川「編んだんだよ、あのセーター」(小声)
もうほんと。
びっくりだわ。

2019.01.07
高速フーリエ変換/逆変換かましたわよ。
聞き取れたとこ増えたわ。

2019.01.14
るいるいがナゼこの時点でこの件を云った/云わずにおれなかったのかがわかったわ。
ここに書いたから読んで。

-------------
レッツヤンの例のアレ。

そうそう。
この聖子の衣装は
原型
1984年08月27日 夜のヒッ卜ス夕ジオ『硝子のプリズム』58回目 黒半袖白黒玉スカート
を仕立て直したものよね。

衣装って云えば…。
こんなことになるとは想定していなかったから、
(明日婚約会見なのはスタッフ一同知ってたらしいわ)
出だしの『ハロー青春』~『赤いスイートピー』までが、
聖子:黒半袖白黒玉スカート でカジュアルなのに、
トシ:グレースーツ薄緑タイ 白エナメル靴 でフォーマルっぽいでしょ。
合ってないの。
後半
『さらば・・夏』~『ハロー青春』
トシ:ピンクジャケット白シャツ黒柄 黒パンツ 運動靴 カジュアル
聖子:白ドレス フォーマル
なのよね。
特に後半まるで、
お嫁に行く娘と、見送る彼ぢやん。
前掲すれ違いのシーンでは、聖子前半衣装,トシ後半衣装でぴったりなのよ。
たぶん直前に衣装切り替えたとおもふわ。
聖子、白ドレスで出てくるのいやだったわよ、きっと。



1985年04月08日(月) 収録
1985年05月05日(日)?本放送(通常回)
放送日が確定しないのよ。
普通なら月曜日収録→翌日曜日放送なの。
いくらなんでもマズイとおもったのかしら。
だってこのふたりのナレソメはレッツヤンだから。
-----↓-----(『ひとつぶの青春』1984年11月18日放送分から)--------
と「初めて出合った?」
せ「うふん」
と「いつだっけ?」
せ「うん。えーと、昭和55年のお。たぶん1月くらい?」
と「レ○ツゴーヤソグのオーディションで」
せ「うん」
と「おぼえてるよ、おれ」
せ「あたしももうおぼえてるしっかり」
------------
スタッフや演者、みんな心配してたんだわ。

ああっ。
・『赤スイ』のあと振り返ったらトシがはけないで待っててくれて「あっ」 とか、
・『チャールストン』で腰に手を廻され「あっ」 とか、
・鼻水 とか、
・間違えてお辞儀 とか、
・「あっ」 とか、
書きたいわぁ。
先を急ぐから、あとにするけど。

このデュオのあと、
松田聖子バンドの演奏で
『Caribbean Wind』歌ってるわ。
このときだけじゃないかしら、『Caribbean Wind』歌ったの。
この歌の衣装が「ピンクのドレス」なのよ。

神田法子 著 『聖子』
昭和61年1月10日 第1版第1刷
昭和61年1月20日    第2刷 
発行所 小学館
P204
(牧子は、母一子の小学校から女学校までの親友の娘。3年位のつきあい)
-----引用---【】印引用註------
芸能界という忙しいところで働いている私にとって、牧子さんとのつきあいは安らぎだった。
彼女も同じ年の九月には、東京で勤めている人と結婚することが決まっていた。
私が【婚約発表をした日の夜】に、【テレビの生放送】で着た【ピンクのドレス】を、
私の結婚式に出席する彼女に着てもらうことも、いつの間にか決まっていた。
お互いの結婚式に出席することは、以前からの約束だった。
----引用終わり--------
その日の夜じゃないし、
生放送でもないわ。
この辺の記憶はめちゃくちゃなんだろうなとおもふのよ。
あるいは、
主観的には「その日」なのかもしれない。
1985年04月08日の夜、眠れなかったら。
「その日」だわ。


この収録の直後4番の
1985年04月08日(月) ザ・卜ップテン『天使のウインク』6位 
を【ドタキャン】
してんのよね。
--
2018.12.17
本日欠席の告知をした堺が、
「婚約が決まり、明日記者会見する」と云ったのよ。
これが一般の人が婚約知った、いわゆる第一報だったわけよね。
--
N○Kホールと渋公なんて目と鼻の先じゃない。
んで、
翌週、謝罪してるわ。
1985年04月15日 ザ・卜ップテン『天使のウインク』6位 白肩だしドレス手袋リング無し
-----↓-----
聖子いきなり頭下げつつ登壇。
堺正章「何はともあれ、聖子ちゃんねえ。婚約おめでとうございました」
聖子「どうもありがとうございます。
先週は、どうも、すいませんでした、欠席をしてまして」
堺「いえいえ。ああいうことでしたらね」
聖子「いろいろご迷惑をおかけしました」
堺「いえいえ。
あれから一週間経ちました。あっこれは?」
榊原「これは突然ゲストということで」
鶴太郎が出てくる。
-----以下略-----
「何はともあれ」って。
「ああいうこと」って。



再放送
1985年08月25日 『聖子 涙のデュエット もう一度』
スタジオでのリクエスト特集
おしり部分4秒カットで放送。

V終わり直後。


やだっ。
もう結婚後なんぢやない。
1985年06月24日 東京都目黒区サレジオ教会で結婚
そのときになってもなお、
太川「明日が婚約発表、だから…」
石川「お幸せになってほしい」
とか云うんだ。
太川「明菜ちゃん。どうですか?」
明菜(無言で涙流す)
太川「あっそっかそっか」
まるでお通夜だわ。



んで、再々放送があったのよね。
1986年01月12日 
(聖子はもう結婚後半年。このときは不明だったけど懐妊中だわ)
スタジオでのリクエスト特集

画面向かって3人がソファーにかけてる。
右:トシ 中央:石川 左:太川
その後ろに事情を知らないであろう若い衆が数人立ってる。


モニタア用イヤホンで50回。
ついに聞き取ったVの最中の会話の記録。

聞き取れない部分は「○」表記するわね。

いくわよ、大丈夫? 
      ↓
----------------
トシ「婚約だとか。ねー、いろいろあったんでしょうね。気持ちの中でね」
太川「ねー」
石川「うん。そうねえ。よかった」
太川「じゃあそんときのちょっとVTRを、ちょっと田原君も一緒に見よう。ねー」
石川「じゃ、昭和56年から去年までの、ええ。デュエットです。ではっ」
太川「そんなかの一つにありますからね」
石川「うん」

Vスタート
テロップ 
1981年04月『ハロー青春』
(「青春もんですね」のくだり省略するわ)
太川「くさかったねえ」
トシ「くさかったねえ」

~『SQUALL』
(笑っちゃうくらい、お目目にお星さまよ。かわいいわ)

トシ「そうそうね。ああ顔見ると笑っちゃうんだよね」
太川「聖子ちゃんの表情いいね。ところが田原君てれちゃうんだよあれな。いつもてれてたんだよね」
(聖子胸元にハートのペンダント、あのあれよ)

◆----↓------◆
テロップ
1981年12月/テロップ誤り元放送は81年10月25日『私のしあわせ』
※セーター腕まくり 上と同じコインブレス左手首に巻いてるわ。
なんで腕まくりかというと、そうしないとコインブレスが見えないからよ。
註:→1980年秋頃?~1981年10月 聖子ちゃんマンション/一人暮らし期間?
この頃なのよ、これっ!!

↓向かって右後の人に云ってる。
太川「○○○だよ、あのセーター」(小声)
2019.01.07
太川「編んだんだよ、あのセーター」(小声)
不明「ううん」
トシ「なつかしやらけ」
太川「うん」

↓画面中央の石川に向かって
太川「あれは聖子ちゃんがつくったやつ」
石川「うーん」

↓振り返って左後の人に向かって
太川「自分でつくったんだよ。聖子ちゃん」
不明「なんかそれっぽい」
不明「えっ」
---
註:本放送時の曲終わり

やっだー。
ナニこのうれしさふなかほ。
お星様も飛びまくりだわぁ。
---
◆----------◆

テロップ
1982年04月『恋のビーチウッド』
不明「はっちけたう」(こう聞こえたの)


テロップ
1983年05月『ネバー・アゲイン』
無言

※なんとなくふたりがよそよそしいのは、
あなたが何かしてのりをしくじった、みたいよ。
曲終わりで、手をぎゅーと握ってたの。
のり少し微笑む→あなた少し微笑む→のり笑う→あなた笑う
で和解、らしいわね。

テロップ
1984年02月『フーリン・マイセルフ』
無言

※なんとなく緊張感があるわね、このデュオ。

テロップ
1985年05月『二人の愛ランド』
無言
(舞台奥に行く)

(あなたが励ましリードするわ)


(最後のデュエットの最後「夏しました」部分)

(つないだ手で合図してふたりで歌ったのよ)


(あなたが「大丈夫か?」と云ってる)


(曲終わりだわ)

太川「いやーいいねえ、何回見ても」
田原(笑)
石川(拍手)「よかったあ」
太川「あのー二人の手が自然にこーやってねえ(仕草)繋がるというとこが、
あすこがなんとも、ぼくは好き…」
録画終わり
-------------------

再/再々放送でカットされたお終い部分の4秒間。
----カットされた部分↓------
カメラ2人の全身を正面から撮っている。
司会の声入る。
(再/再々放送はこの直前で音声を、司会登場部分はまるごと切った)
太川「はい、どうもありがとう」
石川「どうもありがとう」
崩れ落ちようとする聖子をつないだ手で支える。
聖子が90°で踏み留まったのを確認後、
半歩踏み直し、客の方で無く聖子に向かってお辞儀をする。
予めそう段取りされたかのように。
聖子が顔を上げるのを確認してからトシも手を繋いだまま顔を上げる。
司会の2人と舞台中央に入ってくる。
トシ、司会をにらむように見る。
すぐ踵を返すし上手へ。
太川「2人ともどうもありがとございました」
石川「どうもありがとうございました」
聖子軽く太川に会釈。
直後ワイヤレスマイクのコードがドレスに絡んだか、少し気にする。
トシすたすたと上手へ歩く。
聖子引っ張られるように上手へ。
トシ、振り返らず。
カメラ司会の2人に切替。
-------------------
トシ、すごいわ。


収録ではこのあと、
前掲の『Caribbean Wind』歌って。

会場のおんなのこ達の声援というかが、
悲痛なのよ。
みんなわかったのよね。


んで、エンディングして…
そりゃ次の仕事できないだろうな。

文字通り、寝ないで編んだのよね。


あたし、また泣けてきた。
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『相手が違うんじゃない発言 1983年』の件

2018年10月19日 | 松田聖子ちゃん研究
◆その2だわ

83年06月23日 ザ・ベストテン『天国のキッス』
聖俊で出てくる。

久米「映画のキスシーンで相手がトシちゃんだったらよかったのにというお葉書が」
トシ「いやーそれはちょっと相手が違うんじゃないかなあ」
徹子「相手って誰のこと?」
トシ「いやそんなこと誰ってこと無いですけどね」
聖子(カメラ向いたままかちっと硬直)

久米「なんか顔が煉瓦色になりましたけど大丈夫ですか」
聖子(煉瓦色と云った久米を見て笑う)
徹子「二人が並ぶだけでおおさわぎだったのに」
聖子「なんか信じられないですね」
徹子「そういうことが映画なんかであったらどうします、聖子さん」
聖子「どうしましょう…」きょどる。久米を見る
久米「僕の顔見てもしょうが無いですよ。親じゃ無いんですからあなたの」
トシ「ええっ! 」
徹子「そういうことが実際あったらどうしましょう?」
トシ「どうしよう…。ないとおもいます大丈夫です」顔真っ赤
聖子とトシうなずきあう。セットへ誘導
徹子「なんか」
久米「仲がいいのやら悪いのやらよくわかりませんけれど」


久米宏の発言に注目。
頭のいい方だから、話すことにいちいち意味あるわ。

久米「なんか顔が煉瓦色になりましたけど大丈夫ですか」
大丈夫ぢやないわ。
のりが後で怒るわよ。
久米「仲がいいのやら悪いのやらよくわかりませんけれど」
いいのよ。


さらに連発するわよ。
以下次號なの。
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『トシと聖子がくっつくの阻止をやめる宣言 1983年』の件

2018年10月18日 | 松田聖子ちゃん研究
隠し玉、やるわ。
(超隠し玉は「あとで」よ)

◆その1 だわよ。
83年03月24日  TBS 「ザ・ベストテン」第3位先週同位『秘密の花園』
白長袖ミニ金縁パンツ(が見えたのにもかかわらず、なぜか笑ってしまうあのあれよ)
トシと聖子がくっつくの阻止をやめる宣言
トシ『ピエロ』2位 1ランクダウン

聖俊で出てくる。
---文字おこし---
久米「まっお揃いでようこそ」
徹子「いらっしゃいませ」
久米「どうぞどうぞどうぞどうぞどうぞどうぞ」
徹子「まあ、はい」
久米「どうぞどうぞどうぞどうぞ、どうぞどうぞどうぞ」
徹子「聖子さんまた今日はね、金色でかわいい縁取りとお靴と。はいあなたも素敵よ」
久米「今日お揃いで来ていただいたんですけどね。
以前は我々この二人が揃うことを異常に気にしていましてね。
黒柳さんが間に入ったり、間にベニヤ板置いたりいろいろやったんでございますが」
トシ「あはあはあは」
聖子(徹子を見て何かを期待する目)
久米「ええとにかくもうそんなことはよそうと。
お二人のファンももうだいぶ大人んなってらっしゃったし。
ええお二人をくっつけない事を気することは止めようという」
聖子(えふって感じの微笑。右から左への中ペろ←出たわ。「しっぽ」よ)
久米「終結宣言を今夜は出したいと。こういうふうにおもっております」
徹子「はい」
久米「ええでこれはそもそも3年前位にお二人が一緒のコマーシャルん出てから、
こんなことんなっちゃったわけでございましてねえ」
聖子(少し下を向く)
久米「あのーコマーシャルに一緒に出てなんかパリなんて食べたりして」
トシ「あはあはあは」
久米「えーその後いろいろありましてね。
例えば
(80年09月04日『青い珊瑚礁』離すきっかけの時のV出る)
あー新聞のあのーテレビ欄に二人が並んで出ることがこれ多かったんです。
お二人とも4文字でらっしゃったりなんかして」
トシ「あはは」
聖子「あーっ。かわいいっ」(トシが「かわいい」だわ。「今は男らしいのよ」)
久米「うっふ」
(81年06月04日『夏の扉』ひよこちゃん、トシちゃんを助ける)
聖子「うわー」
久米「で、あのーベストテンでね
二人で仲良くちょっとお芝居をしていただいたところがありまして」
徹子「これ、聖子さんが助ける」
久米「これがあのね。気にしているファンの心理を逆撫でしましてね。
ザ・ベストテンが顰蹙を買ったわけでございますが」
(81年09月17日『白パラ』相合い傘←お目目にお星さまだわ)
久米「このときにもちょっとよくなかったんですが。
この辺から少しみなさん沈静化、してきましてね。その嫉妬心が」
徹子「この日は、あの久米さんにとって非常に印象の強い日だったんですけれども。
それはともかく」
久米「うっふ。とにかくあのーこの頃から、少しあのーファンの方達も、
もう、トシちゃんも大人だし。聖子ちゃんも大人だし。
認めようじゃないかという雰囲気になって」
徹子「トシちゃんはなんか、照れ、照れてますけど」
トシ「そうですねー。ぼくどっちかってゆうとこういうの苦手なんですよ」
(82年07月08日苗場テニス『渚のバルコニー』)
久米「もう伏し目がちになって」
徹子「そして。いよいよ」
久米「んでここで印象的にタオルなんかかけるシーンがありまして、
これでまたちょとっとカミソリなんか送ったった方いらっしゃったんですが」
トシ「あはは」
久米「もうこのへんはもうほぼ沈静しておりまして」
トシ「1年前くらいですね」
徹子「でもほんとうにあのさわやかで、とてもいいというお手紙もたくさんいただいたのね、
このあの軽井沢のシーンが。
んでこの頃からもう、大人なんだから というお手紙も沢山頂戴しまして」
久米「そういうわけでもう二人は気にしないでやっていただきたい」
聖子(「うわー」という口。すごくうれしそう)

トシ(表情を殺してる)
徹子「というわけで」
徹子「今日で終結宣言の」
久米「はい」
トシ「はい。これからも是非仲良くしたいとおもいます(聖子に軽く会釈)」
聖子「はいっ。そうですね」
久米「じゃあ。二人で仲良く握手してください」
聖子「はい」
トシ「よろしくっ」
聖子(あごを軽くしゃくるように会釈)
久米「じゃあ握手したまま。手ぇ繋いだままそのまんまどうぞあちらへ」
聖子「あっは」
トシ「ははは」
久米「握手したままどうぞ。【離さないでね。】握手したままどうぞあちらへ。握手したまま」
トシ「なはは」
久米「「むはは」なんてね」
徹子「トシちゃんは。トシちゃんはなはははとかいって笑って」
久米「豪傑笑い。トシちゃんはねえ。耳真っ赤になって「なははは」。うふうふうふ。
さて、それでは今週第三位でございます。松田聖子さんからお願いいたしましょう」
イントロ開始

歌唱中にどーしても微笑んでしまう聖子ちゃん。

この歌は、パンツ部分で困ったなぁの顔するのに。
大サービスでパンツ2回見せたのかしら。

なお、
久米宏の発言に注目だわ。
頭のいい方だから、話すことにいちいち意味あるのよ。
久米「握手したままどうぞ。【離さないでね。】握手したままどうぞあちらへ。握手したまま」
【離さないでね。】は意味あるわよ。
「離したら、ちんちゅるるって飛んでっちゃうよ」
ってことかしらね。
ここと後述するレッツヤンは知ってるし、くっつけくっつけの方だから。


--------
さあ連発するわよ。
以下次號だわ。
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『『田原俊彦 ひとつぶの青春』松田聖子ちゃんゲスト回の録音日 1984年』の件

2018年08月31日 | 松田聖子ちゃん研究
2018.12.02
やだっ。
補強資料出てきたわ。

2018.12.03
◆補記もしたわよ。
エントリ立てるほどでもなから、ここに記すわ。
結構重要な内容なんだけども、短いからね、ここでいいわ。

2018.08.27
ちょっとぉ、応募総数聖子に盛られたわよ。

本稿敬称略

本放送は
1984年11月18日(日)放送『田原俊彦ひとつぶの青春』松田聖子ちゃんゲスト回


1)録音番組であることの確認及び録音日のおおよその推定
録音番組であることは周知だけど、雑誌記事(註1)からもわかる。
記事引用
-----引用--------
表題
『トシちゃんの
スペシャル・マンスリー』
(上 写真 幅90~100cmの机(中央に上からマイク下がる)はさんで向かい合う聖子,トシ)
11月は、毎回ゲストを迎えて、賑やかに番組を繰り広げてゆく。
18日は、歌謡界のトップ・アイドルで、この番組の元パーソナリティー,松田聖子を迎える。
彼女はトシちゃんの友人でもあり、ライバルでもあり、最近はまた共演するニュースが流れており、ナイス・カップルだ。
二人でミニ・ドラマを演じたり、聖子の英語版「野ばらのエチュード」があったりで、
初のダブル・ジョッキー。はてさて、どうなることでしょう?
----引用終わり-------
雑誌名はさだかでないが、「11月は…」との記載から月刊誌だとおもわれる。
月刊誌だと25日頃には発売日で、だとすると16~18日頃校了のはず。
またこの月刊誌とおぼしき記事の撮影/執筆時には、すでに録音完了だ。
それにしても狭いスタジオ。
ふたりの距離つか寸法を感じつつ録音聞くと泣けるよ。

なお、ラジオでのふたりの共演は、この前には無かった。(註5)
-----引用--------
と「ラジオでさあほんとこうして話すのってさあ」
せ「初めてじゃない?」
と「初めてじゃない?」
せ「初めて」
と「いつもさ。コメントは出し合ってるね」
せ「そ、コメントは出し合ってる」
と「そで、遊びに来いよとかねえ。会うたびにさ」
せ「そうそうそう」
と「そう。云ってるんだけどね、なかなか。
----引用終わり-------
今に至るもこの番組しかない。
だから当該記事の写真は、この番組の時にしか撮れない。

あら、やりとりがおうむ返しじゃない。
当時のふたりの親密さをよく表してるわね。


2)これより前には録音できない期間
トシが聖子ちゃんゲストの回の事前告知(放送日不明)をしている。
文字おこしされた方がある(註2)。

※聖子ちゃんゲスト回の文字おこし全文もある。
感謝感激である。
つべにあがってんやつからは編集削除された要部(註3)
「あなたはそういうところがいいのよねーやっぱり」
「やっぱり相手の人には、あなたみたいにこう威張ってて欲しいし♪」
「あたしもそういう人がいいな」
「かま、構ってもらいたいもんなのよ」
も記載あります。

-----引用--------
10月15日のTV「欽ドンスペシャル」で流れたね、僕と聖子チャンのCM、ずいぶんね、たくさんの方がなんか見ててくれてたようでね、こんなに反響があると思わなかったんですけどね、500通ほどお便りいただきまして、賛成派がおよそ9割、それから残りの1割がね、『絶対共演はイヤ!』っていう意見がありましてね、少し紹介してみたいと思うんでね、
(引用中略)
本当、僕もこの頃久しぶりでね、仕事場で聖子チャンと会ったことないんでね、
久しぶりに会って、すごく楽しかったしね、もう、プライベートでもね、一緒に次の日、ゴルフやってね、
遊んじゃったりとかしてね、もお、エンジョイできたんでね、久しぶりに、なんか、幼馴染の顔をね、
ゆっくり見れたって感じでね、とても、・・・ええ、まぁ・・・、公私共々、ね、楽しかったですね。
(引用中略)
えっ~、聖子ちゃんにね、一声掛けました!返事は・・・『いいとも~!』
というわけでね、決まりました! 11月のね、18日。松田聖子ちゃんをゲストにお迎えして、おおくりします。ラジオではね、初めての共演ということになりますんでね、さぁ、どうなるか楽しみなんですけどね、まずは、11月18日をお楽しみにしておいてください。
----引用終わり--------
つまり
1984年10月15日より後の録音→放送であることが確定する。

なお、
この告知放送自体は
「11月のね、18日。松田聖子ちゃんをゲストにお迎えして、おおくりします。」
と云ってるから、
10月にされたと考えられる。
1984年10月21日(日)または、
1984年10月28日(日)の放送だ。
あるいは、
10月に録音したので11月放送であるにもかかわらず、
ついうっかり「11月のね、18日。」と云った可能性もあるけど。
どちらにしろ大勢に影響なし。

また、「500通ほどお便りいただきまして、」との発言に注目したい。
聖子ちゃんゲスト回で以下の会話がなされている。
『ハッピーサンデー』がかかった後の会話
-----引用--------
聖:このスタジオにぴったりフィットって感じ♪
俊:んー
聖:この曲はーあの聞いてる皆さんに詩を(吹き出しそうになりながら)書いて頂いてね。
俊:んー
聖:3万通もねお寄せ頂いたんです。皆さんから。
俊:あ、ホントー♪そうなんだ。
----引用終わり--------
「3万通もねお寄せ頂いた」のだから、
もし1ヶ月間応募したとすると1000通/日の応募があったことになる。
応募2ヶ月間でも500通/日だ。
つまりこの番組はその程度の影響力はある。
しかるに
「500通ほどお便りいただきまして、」
で、CFの反響はたったの500通だ。
作詞は時間掛かるけど、感想は容易に書ける。

---2018.08.27 追記-----
ちょっとぉ、応募総数聖子に盛られたわよ。
1983年03月27日放送 松田聖子『ひとつぶの青春』最終回←リンク動画の該当部
文字おこし

「この番組のテーマ曲『ハッピーサンデー』これにはですね。
仙台市のハセガワマユミさん 福岡市のフジタトシコさん、
そのほかたくさんの方から、リクエストをいただいてるわけなんですよね。
でこの曲は、この放送をお聞きのみなさんからえー送られた
(録音すん切れっぽい)
えー応募総数4874通の中から、最優秀作品として選ばれました、
埼玉県は川口市の、しゅふの方でございます、タカクワサナエさんの作品をもとに、
松本隆さんに作詞をしていただきまして。
えー財津和夫さんに作曲をしていただいたわけなんですよね↑
でこの曲が、それまでのテーマに変わっさっきありましたあのあれが最初のテーマだったわけですね。
で、あれが、えーその『ハッピーサンデー』に変わりまして、番組のオリリナルテーマ、として、
初めて流れたのが6月6日なんですね。
んえ、そのときをおもみだしながら、今日はですね『ハッピーサンデー』を、どーぞ」
無効票があって、有効票数4874通じゃないわよね、やっぱ。
んでも、初回放送が聖子の入院
1982年03月25日(木) 過労による急性胃腸炎で東京女子医大病院に入院
(※入院の遠因もつかんだわよ。後日この件やるわ)
1982年04月03日(土) 退院(▲10日間入院)
もあり
1982年04月11日(日)初回放送
なのよね。
んで
1982年06月06日(日)に『ハッピーサンデー』が放送されたんでしょ。
4月いっぱい募集して、
5月頭締切→4874通から選考→採用→作詞→作曲→編曲→オケ録音→聖子歌入れ→06月06日放送
って、どーゆースケジュールなのよ!!
まあいいわ。
とにかく1982年04月11日か1982年04月18日かに募集かけて、
半月で5000通でいいわね。
すると、333通/日だわ。
やっぱすごい数よ。
作詞でこれよ。
だからCFの感想くらい1000通/日じゃきかないわよ。
だって、トシと聖子よ。
云いたいことあるじゃない。
でも、
結論に変化ないわ。
-----追記ここまで----

すると、
1984年10月15日の夜にCF放送→葉書書く→翌16日に投函→近県分のみ17日にラジオ曲に到着
であれば、500通は辻褄が合う。
つまりこの告知放送の録音は17日が最速だ。
整理期間入れても、18日録音であろう。

よって、
1984年10月17日より前には、この告知放送分の録音もできないし、
聖子ちゃんゲスト回の録音も不可だろう。
(専業のアナウンサーならばできるかもしれないけど)
CF録りのときに「ゲストに来て」と依頼した可能性もあるしね。
「えっ~、聖子ちゃんにね、一声掛けました!返事は・・・『いいとも~!』」と云っているから。

なおゲスト回本放送のときに、
この告知聞いてのこーふんしたお葉書があってもよさそうなもんだが、
一枚も読んでいない。
(一万通は着たとおもふよ)
反響後の録音で無いことの現れだろう。

おそらくは、
告知放送分の録音と聖子ちゃんゲスト回の録音は同一日だったのではないか。
トシちゃんのスケジュールも非常にタイトだったのだから。
だから、聖子ちゃんゲスト回でグリコ記念CFについて、
----引用 註5--------
せ「ねー。うふっ。やりましたね」
と「CF」
せ「やりましたね」
と「もー今、流れてるみたいだけどね」
せ「流れてるみたいですけど」
と「また4年前のふんいきと違って」
せ「うーん、一番なんかあたし。(声が潤む)一番落ち着くみたい。一緒にいて」
と「落ち着くみたい?」
せ「(声が潤む)うーん。他の人より」
と「ぼくと?」
せ「そう。あっは」
------引用終わり--------------
と、「もー今、流れてるみたいだけどね」「流れてるみたいですけど」
確定的で無い発言になっているんじゃないかな。

なお、いくらなんでも、
----引用 註5--------
せ「うーん、一番なんかあたし。(声が潤む)一番落ち着くみたい。一緒にいて」
と「落ち着くみたい?」
せ「(声が潤む)うーん。他の人より」
と「ぼくと?」
せ「そう。あっは」
------引用終わり------
この部分は、
1984年10月06日(土)→07日(日)グリコ記念CF撮影 箱根ピクニックガーデン
の後でないとできない会話だ。
だって久しぶりに逢えたのが、このCF撮影の時だったんだわ。
んで且つ
1984年10月08日(月) 夜のヒッ卜ス夕ジオ2時間スペシャル『あなた』
の後なの。
「あなたがいてほしい」とおもわず熱唱してしまったわ。
だからこの発言なのよ。

その上、番組冒頭に
-----引用--------(註3)
今日は二人で、そうですね、
じっくり将来のことなど話し合わなくっちゃ♪
------引用終わり------
であって、
ほんとにじっくり話し合ったのよ。
(後日ちゃんと解析するけど、
のりこさんは松田聖子やってる時には感情を表現しやすいわ。
それでも要請は、恥ずかしいからできない「チュン・チュルル・ル」なの)


2-2)補強資料
2018.12.03
見つけたわよ。

 ↓なんかほらこう、この前には録音してない感じよね、ぜったい。
1984年10月15日 夜のヒッ卜ス夕ジオ『ハー卜のイアリング』61回目 黄パンツスーツ青シャツ
「先週1984年10月08日(月)」に『あなた』歌ったのよね。
---トーク部文字おこし---
ま「…ちゃん」
せ「はい」
ま「まあ今日は新曲、あんた頭どうしちゃったの?(以下段取りノイズで聴取不能)」(頭を指さす)
せ「あははんあは」(右手グーで口元/笑いをこらえる)
い「あのねえ。曲がねーえ」(両手腰にあてたまま)
せ(両腕前で伸ばし手を握る/註:聖子が何か決意して云うときのポーズよ)
ま「はい」
い「ハートのねイヤリング」
ま「はいはいはいはい」
い「だからねえちゃんと耳にやってますけどね」
せ(左手パーでを左耳にあてる)
ま「そうなのよ」
い「そんでほら、(腕組み)先週泣いたじゃない」
せ(ふっと吹き出すような)
い「そんでさあ。なんで泣いたんだろうって云われてさあ」
せ(アップ/うなずく。ちょっと困ったような顔/いを見る)
い「まーたね、じゅんがなんか云ったんだとかね、いろんなこと云われるのよ」
 註:まっ確かにいろいろ云ったわね
せ(「ああーっ」て云うような口元/声聞こえず)
ま「どーしたの?」
(手でせの肩を強く抱き引き寄せる。せ引き寄せで少しよろける)
/以下プロモート開始まで抱いたまま
 註:このをばさんは、純粋に勘違いしていることが判明してるわ
せ「いえ。もうやっぱり歌がすごく(うなずく/小声→)すてきだったから」(うなずく)
ま「うーん」
せ「はい」(大きくうなずく/云い切ったとい感じで顔をあげる/目大きいわね)
ま「うーん」
い「あっそいであのね」
 註:いは、をばさんが余計なこと云わぬように畳みかけているようにみえるわ
せ(いを丸い眼で見あげる)
ま「うーん」
い「あのあきこちゃんもね(ピアノ弾く仕草)」
せ「はい」(大きくうなずく)
ま「うーん」
い「いっしょけんめ、弾いてくれたしね」
せ(大きくうなずく)
ま「それから気になる」
せ(一瞬顔がタイトになる)
ま「人がいたしねぇ」←註:ひな壇にの意
 註:ほんものは楽屋で衣装替えよ
せ「あっはっは」(以下【声のない苦笑】に変わる)
い「あっ」
ま「ねぇー」
い「なんですか?」(スタッフを見、プロモート用の品を受け取る)
 註:いは、をばさんが余計なこと云わぬように畳みかけているようにみえるわ
ま「いろいろあったわけなんですよーぉ」
 註:そっちじゃない。
 いろいろも何もナニも無いじゃない!! 
 会ってもないわよ。
せ(いの方だけを見ている)
い(まを完全無視/せと二人で新曲プロモートを始める)
 註:どうも迎撃作戦に気づいたらしい気配があるのよ
 /先週あんなにあおっていたのに/機を見るに敏だわ
 ↓
新曲プロモート
 ↓
歌はじめ
--------

これ↓
せ「あっはっは」(以下【声のない苦笑】に変わる)
は、未だ。
あのあれよ。
あなたと間で、
結論めいたものが出てない証拠だわ。
だから怖さもあるだろうけど、一種の余裕も感じるの。
【声のない苦笑】の表情がね、あのあれよ。

録音の後は、こんな余裕ないのよ。
余裕ない時期の文字おこし1984年11月05日(月)分もしてあるんだけど。
これはいいわ。
あんまりで載せる気にならない。

結論として、ここからも
1984年10月15日(月)より後で、
1984年11月05日(月)より前の録音の推定は完璧だとおもふわ。
更に1984年11月01日(木)(映画製作発表会見)より前も確定的だわね。


-◆--補記-2018.12.03--エントリ立てるほどでもなから、ここに記すわ--◆-

「そんな重大なこと、放送やら生放送で云うとでも? マサカうそでしょう」
それが、あれよ。
云うのよね。

1〉スケジュールがめちゃめちゃタイトでそもそも時間ない
収録とか生放送はいいチャンスなわけよ。

2〉「松田聖子」の時は、自身の感情表出の抑制をある程度緩めてる
※のりこさんご自身はかなり抑制的だとおもふの。
つか
「「松田聖子」は、よい感情であるならその表出を抑制しない」方針だとおもふわ。
(デビュー当初からこの方針は貫かれてる。このとき18歳よ。奇跡だわね)
だからあの超絶な感情移入や表現力が成り立っているの。
感動して泣くのもこれよね。

3〉だから表面的にでも松田聖子やってるときのほうが、
たとえ要求の示唆であったとしても云いやすいわ。
(例えばこの『ひとつぶの青春』収録は好例よね。ラジオだから表情も見られないですむし)
なの。

だから「松田聖子」という「芸名」で活動したのが、
それこそこう「松田聖子」をつくった一因と云えるわよね。
もし芸名にも適した本名であったら、松田聖子的な歌手は存在できなかったはずだわ。

◆--補記-終わり--◆-


3)絶対に録音できない期間
国内で且つKDDビル間借り時代のFM東京での録音つーのも、前掲の雑誌記事から確定してる。
だから、聖子ちゃんが海外に行っている間には録音不能。
この近辺で海外渡航期間は以下の通り。

1984年10月21日 ニューヨーク レコーディング
 ↓
1984年10月29日 帰国

1984年11月08日 映画撮影のためにメキシコへ出発
 ↓
1984年11月29日 帰国

11月はまあ無理。
10月も20日より前でないといけない。

-------------------------------------

以上から、
1984年10月17日乃至10月18日録音しかないのだ。
おおまけにまけても、海外渡航からして10月17日~20日だ。
もし20日だったとしても以下に述べる大勢に影響は無いけどね。

さて、
この頃の聖子ちゃんを年表風にまとめよう。

出演した番組、基本は生放送。
まぎれもなくその日だと確定するからね。
録音録画分は、収録日/放送日の別に記してある。
(聖子ちゃんが急に腕組みした
ヤングアジア音楽祭『愛と青春の旅立ち』も同様にふかぁーく推定して入れたから)
2023.08.16追記
ヤングアジア音楽祭収録日確定。

あとコンサートも確定だから書く。

リンク切れあるかもしんないが、一応つべのリンクはっておこうかな。


●------↓この時期の聖子ちゃん年表↓-------●

1984年10月04日(木) ザ・ベストテン『ピンクのモーツァルト』6位

1984年10月06日(土)→07日(日)グリコ記念CF撮影 箱根ピクニックガーデン
「一緒に次の日、ゴルフやってね、遊んじゃったりとかしてね…」
「・・・ええ、まぁ・・・、公私共々、ね、楽しかったですね。」

1984年10月08日(月) 夜のヒッ卜ス夕ジオ2時間スペシャル『あなた』
2018.12.04
註:やだっーーー。
歌い終わりで左右見回し「あなた」の姿を探してるわよ。
「私の横には あなた あなた あなたがいてほしい」を聴いてくれたかとおもって。
こんなに好きだったのに……

(1984年10月11日(木)ザ・ベストテン『ピンクのモーツァルト』着外)

1984年10月15日(月) 夜のヒッ卜ス夕ジオ『ハー卜のイアリング』61回目 黄パンツスーツ青シャツ
「いえ。もうやっぱり歌がすごく(うなずく/小声→)すてきだったから」(大きくうなずく)
「はい」(云い切ったとい感じで顔をあげる)
同日
1984年10月15日(月) グリコCM4年ぶり放送(1984年10月06日(土)録画分放送)

1984年10月17日(水)乃至
1984年10月18日(木)『田原俊彦ひとつぶの青春』松田聖子ちゃんゲスト回録音
(10月19日又は20日の可能性もある)
前半後半

(1984年10月18日 ザ・ベス卜テン『ピンクのモーツァルト』16位着外)

1984年10月21日(日) ニューヨーク レコーディング
 ↓(1984年10月25日 ザ・ベス卜テン『ピンクのモーツァルト』着外)
1984年10月29日(月) 帰国

1984年11月01日(木) 19thシングル『ハートのイアリング』,ベスト・アルバム『Seiko・Town』発売
同日
(1984年11月01日(木)ザ・ベストテン着外)
同日
1984年11月01日(木) 主演映画4作目『力リブ・愛のシンフォ二ー』製作発表
神田法子 著 『聖子』
昭和61年1月10日 第1版第1刷
昭和61年1月20日    第2刷 
発行所 小学館
P147
-----引用---【】印引用註------
会見は映画のことはそっちのけで、質問は、私の結婚問題に終始していた。
そのころは、【すでに私が結婚についてある決意】をしていた時期だった。
それに反して、集まった人々は、結婚することはあまりにも当然のこととし、
その上に立って発表の時期ばかりを聞いていた。
----引用終わり--------
神田法子 著 『聖子』
昭和61年1月10日 第1版第1刷
昭和61年1月20日    第2刷 
発行所 小学館
P168
-----引用---
大きな別離を迎えた女性は、長いあいだずっと恋愛をしないか、
またすぐに新しい愛をはぐくむかのどちらかだろうと、
別れの結論を出したときに考えたことがある。
----引用終わり--------

1984年11月03日(土)九州厚生年金会館「Magical Trump」

1984年11月04日(日)福岡サンパレス「Magical Trump」

1984年11月05日(月)2023.08.16確定 年表要部に変更無し
ヤングアジア音楽祭『愛と青春の旅立ち』録画
腕組み←リンク要部
1984年11月05日(月)夜のヒッ卜ス夕ジオ『ハートのイアリング』赤パンツスーツ黒シャ
司会者に四の五の云われてるわ。
文字おこししたが書く気にならん。略。

1984年11月08日(木)映画『力リブ・愛のシンフォ二ー』撮影のためにメキシコへ出発
 ↓
1984年11月15日(木)ザ・ベストテン『ハートのイアリング』10位 録画出演
久米(要旨)「先週からロケに行っている。先ほど届いたビデオ」
※註:このビデオ収録が「食中毒事件」の前だから時系列整合させた
 ↓
1984年11月15日1800時頃~日本時間
1984年11月15日0400時頃 現地時間 聖子ちゃん食中毒事件 発症→救援要請
1984年11月15日0900時頃 現地時間 処方薬服用
1984年11月15日2000時頃 現地時間 日本人医師診察
 ↓
(1984年11月16日(金)午前11時50分頃 世田谷ケーブル火災)
1984年11月18日(日)田原俊彦ひとつぶの青春 聖子ちゃんゲスト回放送
 ↓
1984年11月22日(木)ザ・ベストテン『ハートのイアリング』3位 録画出演
現地中継/共演者と共に
 ↓
1984年11月29日(木)帰国
神田法子 著 『聖子』
昭和61年1月10日 第1版第1刷
昭和61年1月20日    第2刷 
発行所 小学館
P163-164
------引用-----
私がある別れをひそかに考え始めてから、夏、秋、冬へと三つの季節が通り過ぎていた。
そして彼に出合った。それまで愛に臆病になっていた私の心から、ほとばしり出るものがあることだけは、かすかに感じていた。
帰国後、私は、すぐさま現実に引き戻された。はるか海と大陸を隔てたメキシコでは忘れることができたが、日本では私の結婚問題をめぐる報道は、異様なほど過熱していた。
メキシコでの最後の夜、
「声が聞きたくなったら、連絡するよ」
と彼はいった。
けれども、このまま電話はないかもしれないと思った。女性である私のほうから電話することは、やはりためらわれる。
もし、このまま連絡がなければ、メキシコでの思い出の日々は、過ぎゆく秋のなかへひっそり閉じ込めよう。これからは、ひとりで生きてゆこう……帰りの飛行機のなかで、私はそう決心していた。
ひとつの賭けだった。
------引用終わり-----

1984年11月29日(木)ザ・ベス卜テン『ハートのイアリング』2位パーマ赤スーツ黒シャツ落ち葉犬「ごめん」
おみやげを徹子,久米にあげてる。
三週間行ってきたと云ってる。
以下MC部分文字おこし
---文字おこし---
徹子「ところで中毒事件があってねえ。あなたは?」
聖子「食中毒。あの水がちょっと合わなくて」
徹子「あっ」
聖子「ええ。えもあの。そんなにひどくなかったし。大丈夫でした」
徹子「そうでしたか。なんかあなたは日本のものを召し上がってらっしゃるんですかちらでは」
聖子「ええ。ですから、あのーお米を持って行って、炊飯器でご飯を炊いて」
徹子「ああ。ぱ日本食が無いとダメ」
聖子「はい」
徹子「あちらでは瓦斯の大爆発があって大変だったりしたんですけど。日本でも火事があって世田谷のほうが」
※世田谷ケーブル火災1984年11月16日金曜日午前11時50分頃
聖子「そなんです。ウチの方がちょうどダメになって」
久米「あらっ」
聖子「電話が通じなくなりまして。はい」
徹子「お母様から、あーお電話があったとかそういうことは?」
(聖子伏し目がち)
聖子「ええ。最初はあったんですけど。ずーっと使えなくなっあって。んで直ったらすぐ電話がありまして」
徹子「ああそう。どんなお話し」
久米「○○聞きたいねえ」
徹子「どんなお話しえした?」
聖子「身体のことをやっぱり心配していました」
徹子「ああそうー。久しぶりで歌って戴くんですけど、いかかですか」
聖子「緊張します。(徹子見てほほえむ)なんか間違えそうで。いつものことなんですけど」
徹子「まあ今日はまた真っ赤なかわいいお洋服で。じゃあお願い。あらっ」
聖子「あーあはっは」
久米「今日はえすねえ。帰ってきたばかり。さっき夕方日本にお着きの、松田聖子さんなんですが。
日本の秋を満喫して戴こうというわけで。
東京の神宮の銀杏の落ち葉を沢山集めてまいりまして。たっぷりと秋を味わっていただきたいとおもいます。
かわいいお友達も一緒でございます。それではどうぞ」

神田法子 著 『聖子』
昭和61年1月10日 第1版第1刷
昭和61年1月20日    第2刷 
発行所 小学館
P166
---引用-------
帰国したその夜、思いがけず、彼から電話があった。
「見たよ」
帰りの飛行機の中で「今夜、テレビに出るから見ててね」といった私の言葉に対する返事だった。
---引用終わり----


1984年12月03日(月)夜のヒッ卜ス夕ジオ『ハートのイアリング』63回目 紫パンツスーツ黄シゃつ

1984年12月06日(木)ザ・ベストテン『ハートのイアリング』2位

1984年12月08日(土)10thアルバム『Windy Shadow』発売

1984年12月10日(月)ザ・トップテン『ハートのイアリング』

1984年12月13日(木)ザ・ベストテン『ハートのイアリング』4位紫パンツスーツ黄シゃツ忠臣蔵セット
田原俊彦『ラストシーンは腕の中で』5位
ふたり腕組みしてガラスドアを出て来たらしい 「はいポーズ」の記念写真 註4

1984年12月15日(土)武道館18:30開演 Seiko Golden Juke
主催ニッポン放送/サンミュージック/キョウドー東京 3000円
神田法子 著 『聖子』
昭和61年1月10日 第1版第1刷
昭和61年1月20日    第2刷 
発行所 小学館
P166
---引用-------
そして、十二月十五日に、彼は武道館のコンサートに来てくれたのだった。
---引用終わり-------

1984年12月16日(日)武道館14:30開演 Seiko Golden Juke
テレ朝放送用の収録あり
主催ニッポン放送/サンミュージック/キョウドー東京 3000円

1984年12月17日(月)ザ・トップテン『ハートのイアリング』紫背広黄シャツ髪バクハツ無し
今年の聖子ちゃん年間海外渡航一覧フリップ有り
「ちょうどメキシコの時に世田谷の電話が繋がらなくって。知らなかったんですよ。何回かかけてもウチに通じなくて。心配しました」
「来年は、まず2月に約一ヶ月ニューヨークにレコーディング」

(1984年12月17日(月)夜のヒッ卜ス夕ジオ放送日 ※出演無し)
(後日大幅に気が向いたら補充するかもしれない)

1984年12月20日(木)ザ・ベス卜テン『ハートのイアリング』4位先週と同じ黄スーツ青締シャツ頭かわいいショート

1984年12月21日(金)
神田法子 著 『聖子』
昭和61年1月10日 第1版第1刷
昭和61年1月20日    第2刷 
発行所 小学館
P167
---引用-------
十二月二十一日は彼の誕生日。あれこれ考えた結果、とにかく手作りのものを贈ろうと決めた。
私に出来ることと云えば……。街に出て、クリーム色の毛糸をたっぷり買い集めた。
21日までに完成させるとすると、セーターのつもりがベストになってしまった。
春らしい淡いクリーム色のベストが編み上がった。
誕生日ぎりぎりに完成したそのベストにリボンをかけ、彼にプレゼントした。
---引用終わり----

1984年12月24日(月)夜のヒッ卜ス夕ジオ『ハートのイアリング』64回目 白パンツスーツ黒シゃ
「さよならと…」以下で目が潤む
2番サビ
「優しく叱ってよ 素直じゃ無いわたし」
ジャケッツの合わせの下を持ち、がばっと左肩をはだけシースルー黒シャツ肩を出す。
「すばやーく」でしまう。
歌唱後笑ってる。
としちゃん居る

1984年12月25日(火)大阪城ホール「Golden Juke」
1984年12月26日(水)大阪城ホール「Golden Juke」

1984年12月26日(水)尾崎亜美にシングル詞曲依頼
1984年12月27日(木)『天使のウインク』上がり

1984年12月27日(木)ザ・ベストテン豪華版『ハートのイアリング』4位 オフで欠場

1984年12月31日(月)「紅白歌合戦」に『Rock'n Rouge』5回目
これのトーク部文字おこししたけどさ。
あんまりだ。


開けて--------1985年-------------
1985年01月のことは、
1985年03月03日放送『松田聖子 愛にくちづけ』でお話ししてる。
また、わたしの文字おこしあるからそっちも見てください。註6

更に未確定部分多くて年表にならない。
確定部分のみ一部だけど記載する。

神田法子 著 『聖子』
昭和61年1月10日 第1版第1刷
昭和61年1月20日    第2刷 
発行所 小学館
P167
---引用-------
(お正月は)
私も偶然、ハワイでCM撮影の仕事が入っていた
---引用終わり----

(1985年01月03日(木)ザ・ベストテン放送無し)

1985年01月09日(水)愛知県体育館「Golden Juke」

(1985年01月10日(木)ザ・ベストテン『ハートのイヤリング』6位 オフ欠場)
久米「松田聖子さんはですねえ、えーオフのために今日お休みでございまして」
徹子「あらー」
久米「おこし戴けない」
徹子「(暮れの)豪華版のときもお休みでしたねえ」
久米「そうあれは去年の最後の方のオフで今日は、今年最初方のオフでお休みでございますして」
ふたり「ほんとうにすいませーん」

1985年01月12日(土)
(後日大幅に気が向いたら補充するかもしれない)

1985年01月14日(月)夜のヒットスタジオ『天使のウィンク』65回目 白レース長袖ドレス
結婚前の夜ヒット最後の出演

(1985年01月17日(木)ザ・ベストテン着外)

1985年01月18日(金)
(後日大幅に気が向いたら補充するかもしれない)

1985年01月19日(土)倉敷市民会館「Golden Juke」
1985年01月20日(日)島根県民会館「Golden Juke」

以下略

●---------------年表終わり-----------------●

人生的に危機的な状況下で、すさまじゐスケジュール。

正直で嘘つかないな方だから、およそ二股なんてことはあり得ない。
歌聴けばわかることだけど。


-----------------------------------------

参考文献

◆註1
美波風の風天ブログ
2011-12-17 16:40:23
田原俊彦、明日は高山DSダンス小僧(^^)&爆報&懐かし記事
1984年04月03日 新宿厚生年金会館で行われたトシちゃんコンサートの舞台に聖子ちゃんを上げたときの記事もある。
場内を埋めた女性ファンから「聖子!」コールがおこったつーあれだ。

◆註2
ともも☆のブログ~熱く激しくしなやかに~
2012年06月05日(火)
【聖(・з・)(・ε・)俊】今週は聖俊weekだ!ひとつぶの青春こぼれ話

◆註3
ともも☆のブログ~熱く激しくしなやかに~
2015年08月25日(火)
【聖(・з・)(・ε・)俊】ひとつぶの青春のまとめっぽいもの2

◆註4
ともも☆のブログ~熱く激しくしなやかに~
2012年01月28日(土)
【聖(・з・)(・ε・)俊】ファン専用画像⑩と「ひとつぶの青春」総括


神田法子 著 『聖子』
昭和61年1月10日 第1版第1刷
昭和61年1月20日    第2刷 
発行所 小学館

◆註5
らじかのよかん
2017年10月15日 | 松田聖子ちゃん研究
赤いスイー卜ピー
※前記全文文字おこしを知らないので、おもわず自分でやった分

◆註6
らじかのよかん
2017年11月15日 | 松田聖子ちゃん研究
松田聖子 愛にくちづけ その4 自分自身について
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『松田聖子ちゃんコンサート2日目 2018年』の件

2018年08月18日 | 松田聖子ちゃん研究
2日目よ。


聖子が、からりとした好天を2日間も連れてきたわ。




お花(これ一部だわ)


グッズ売り場。
空いてるとき狙って、いろいろ買ったわよ。

------

終演後

今日はスタンドなの。
外のほうが涼しいわね。


さめやらぬ熱気。

夕焼けがきれいだったわ。
(ごめん、写真失敗だから無いわ。飛んじゃって。混んでるからしかたないわね)

---------------
感想

最後
下手へはける前の歌で。
後の女の子が「せえこーーぅぉ↑」と叫んだの。
あたし、泣いたわよ。

理由はわかんないわ。

今日は特に
のりのりで超絶に身體的な非言語メッセージ、
あったとおもふわ。

無理と
ことばにせんはふがいいわね、こーゆーの。


名古屋が残ってるわ。
きっぷの有無はしらないけど。
いける人
記憶に深く残るわよ/残してね。

聖子は
それを「おもいで」と云ってるわ。



初日のぴっぷ席で貰ったおまけその1
左:青 右:白 の揃いのマグカップ
白には赤いぽっきんを入れて撮影したわ。
初日のぽっきんもまだ点灯中よ。
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『松田聖子ちゃんコンサート 2018年』の件

2018年08月17日 | 松田聖子ちゃん研究
Field work にも余念が無いの。





人がたくさんゐるわ



やだっ。

でもね。

ヒミツのピップ席だったりするわ。
だからヒミツの入口なの。
おみやげもあるのよ。


内容(抜粋)

※せいこ ちゃちゃちゃ※
※印 くりかえし ※※※※※※※※※※※………

ふーーぅ↑ ふーーーぅ↑

あったっらーしい あたしぃー

せいこー! せいこー!
ふれっ ♯ふれっ ♯ふれーーーっし ☞
あけってー 手→手→手→手

え ぶり ば で ぱーん ひらひらひらひら
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