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らじかのよかん

ふっ急になんかわかんないんですけど↑

『『あなた』は誰か 1984年』の件

2018年06月17日 | 松田聖子ちゃん研究
本稿敬称略

時系列で記載

1984年10月06(土)_07日(日) グリコ記念CF撮影 場所箱根ピク二ックガーデン
註:撮影は当初10月06(土)の終日の予定であったが、
実際には10月06(土)朝~午後にかけて昼食抜きで行われた。
撮影完了以後、翌日にかけてはプライベート。
10月06(土)は現地宿泊。
07日(日)はふたりでゴルフ。

  ↓この翌日

1984年10月08日(月) 夜のヒッ卜ス夕ジオ2時間スペシャル『あなた』

歌唱中時折雛壇が抜かれている。
また、下記参考文献の二本目にあるけど、歌唱前に司会者が余計なことを云っている。
本人は、流石に昨日の今日だから柳に風である。

更に、昨日の今日だから楽屋等で、
「昨日のゴルフがどーしたこーした」などと話をしてたと容易推考さる。
それ聞いていた人で、不明な理由によって不愉快になった者も居たんぢやないかな。

結論
『あなた』はこのとき、たぶん衣装替えの最中である。

-------------
参考文献:
つべ
『あなた』←音出ますよ
大陸のつべ(頭と終いに「万能中華の素」等のCM入ります。音のみ消せます)
『あなた』←音出ますよ

神田法子 著 『聖子』
昭和61年1月10日 第1版第1刷
昭和61年1月20日    第2刷 
発行所 小学館
2頁
---以下引用---
私は、いままで歌を通じて、その折々の気持ちを、みなさんに表現してきたつもりです。けれども、それだけではぬぐいきれない何かが、心の片隅に残っていました。
--------------
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『聖子ちゃんの腕隠し(後ろ手) 1985年/1994年』の件

2018年05月20日 | 松田聖子ちゃん研究
本稿基本的に敬称略だが
モノの弾みで「ちゃん」だの「さん」だのがつく可能性を否定出来ない。

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松田聖子研究開始の直接的なきっかけになったのが、
1985年04月08日(月)友引収録の、あのデュエットだ。

出のデュオコーナ→聖子ちゃんソロコーナ(ここで、えとその、せこたんがナニするわけです)
→田原君ソロコーナ への交代箇所。
中央の階段ですれ違うのだが、
登っていたせこたんが、あなたの直前で急に左腕を隠すんだよね。


そのまますれ違う。


もし予めフリが段取りされていたにしては妙な形だし。
そもそも、この危機的な状況では段取りどうりにはできないだろう。

「おっかしい仕草だなあ」とおもってた。

初出を調査した。
確定ではないが、
・1981年の中頃から持ち歌以外の歌の途中にあらわれることがある
・1981年04月からある番組司会をしてて、その司会場面ではやっている
・その番組の先輩司会者もやってる
・1982年の赤スイから、持ち歌でもこの仕草を全面的に採用している
とわかった。

赤スイの例

例えば1番で冒頭からずーっと腕隠しのままであり、
サビ前の「あなたって手も…」で前に出す。

ここからの推定。
本人のオリジナルの仕草ではない。
おそらく1981年に司会を始めた際、
先輩司会者に腕がぶらぶらすると形が悪いから隠したらどうかと提案された。
以後司会の時に活用。
1982年の歌から、フリとしても活用。
してるうちに、クセになった。
んじゃないかな。

でも腕隠しの意味するところがわからん。

-----------
1994年05月09日(放送)で、
奇しくも同じステージでデュオする機会があったの。
(このお二方がデッオするのは、冒頭の1985年04月08日以来である)
ここで「ああっ! わかった」。

ふたり登壇→聖子ちゃんソロセクション→あなたも登壇
ここでやったのだ。

文字おこし(呼称は互いにそう呼んでいたものを採用)
のり「うっふふ。ああー上手(←あなたの捌きに対して)」
あなた「いやいやいやほんとねえ」
のり「緊張しちゃったあたし」
あなた「緊張した?」
のり「うーん。すごくぅ」
あなた「なんとなくそんな感じした」
のり「でしょう」
あなた「でもなんか聖子ちゃんの歴史がね」
のり「うん」
◆ここでのりこさんの腕隠し

あなた「濃縮ジュースのようにぎゅっとこう詰まっててね」
のり「(一瞬の間のあと)ちゃんと見てくれました、今?」
あなた「ずっと見てましたよ(右手で舞台袖を示す)」
◆ここでのりこさんの腕が出てくる

のり「ほんとに?」
あなた「なんか昔をおもいだしながら」
のり「あっそっかぁ」(小さくガッツポーズ)

わかったでしょ。
疑義があるとやるのよ、聖子ちゃんの腕隠し。
解消のとたんに出てくるんだから。

-----
すんと冒頭の1985年は、なの。

すれ違いの時点では、まだあなたの気持ちがわからないわ。
自らのそれは図らずも吐露してしまったけど。
したら、疑義だし、はずかしいのよ。
だから腕隠ししたわ。

------------

他の場面も確認したのよ。
・はずかしいとき
・相手の気持ちがわからないとき
に聖子さんは腕隠しするわ。


わたしの実験結果によると、はずかしさ等がやわらぐ効果があったわ。
たぶん、のりこさん自身に腕隠しがしみついてるとおもふのよ。


近年でもやっておられます。
コンサート等を観るときのご参考になれば なの。
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『モッキンバード 1982年』の件(論考)

2018年04月24日 | 松田聖子ちゃん研究
本稿基本的に敬称略だがモノの弾みで「ちゃん」だの「さん」だのがつく可能性を否定出来ない。

-------------

『モッキンバード』は、
松田聖子6枚目のオリジナルアルバム『Candy』1982年11月10日発売
の、4曲目に収録されている歌。
作詞:松本隆/作曲:南佳孝/編曲:大村雅朗
である。

巷間、録音当日聖子ちゃんが歌詞に驚いたと伝えられている。
んで松本先生に、
せ「先生。これちゅんちるるるって歌うんですか?」
ま「はい」
録音は、まあしたのだな。
が往時のコンサートでもあんま歌わなかったようだ。

2017年のコンサートで久々の歌唱。←音出ますよ
MC
せ「続いては。
こーれはっ。
これはみなさん。
私はけして歌うことのない歌だとおもっておりました。
えふん。
今日は、やります。
よろしいでしょうか。はい。
ちょっとはずかしいので、よかったら一緒に歌って下さい。
はい、それでは聴いて下さい。どうぞ」
1番部分歌唱
せ「いーやいや。
ろっ。
すごいですねモッキンバード私は小鳥ちゅんちゅるる。
もうほんとにありがとうございます」
メンバー紹介→2番以降歌唱
せ「あーりがとうございます。
どーですかこの曲。
もうコンサートでは何十年ぶりってゆう感じですよ。
けっして歌うことはないだろうとおもってましたけども。
でも。
歌ってみると、すごくかわいい曲なんですよねー。
そー。
いやなんだか楽しかったわ、みなさんのおかげでありがとう」


んでですね。
改めて聴き、とある部分から全部解けてびっくり仰天。

以下、論考。
(アタリマエだが裏はとってないよ。わたしが勝手にこうおもっただけだ)

-------------
前提

歌の中の「私」は、家で彼の到着を待っている。
また「私」は自身を「小鳥」に例えている。

(以下「」内は詞の引用である)
--------
「緑の梢は
小鳥たちのコーラス
窓辺のシャム猫
揺り椅子でうとうと」

小鳥たちの群れが居るのに猫が出てくる。
不穏な感じだ。
ただし猫は今は居眠りをしているから、この隙にアクションを起こすべきだ。

--------
「もうじきあなたが
レンガの小道に
花束抱えて
あらわれる時間なの」

前提の状況が描写されている。
これは、今私は“彼のなんらかのアクション”を待って/期待して/切望しているの意であろう。

--------
「モッキンバード
チュン・チュルル・ル
あなたが好きよ
私鳥の
言葉が話せるの」

出た。
「チュン・チュルル・ル」
ここでだまされるようにつくってあるのだ。

恋愛するのは当然にご本名の法子さんである。
松田聖子は仕事上の暖簾である。
したがってこれ、法子さんのことが書いてあるはずなのよ。
即ち法子さん
「あなたが好きよ」は云う。
たしかに云っている。
---
以下当該部分
せ「(小声で)今はあんまり会えなくなっちゃった」
と「なんか会えなくなっちゃったな」
せ「(小声で)そうねー」
と「なんでだろう」
せ「(小声で)ううーん」
と「きらいなのかおまえおれのこと」
せ「すき、好きよー」
と「あはははは」
せ「(ためいき/小声で)好きだけど……」
---
更に、
「私鳥の
言葉が話せるの」
ここね。
鳥の言葉しか話さない/話せないとの意である。
(後でここ解説すんから)

--------
「何もいらないわ
何も望まない
やさしい両手で
さえずっていたいだけ」

「何もいらないわ
何も望まない」
もしほんとに要らない/望まないのであれば、初めからこんなこと云わない。
ただ一つの例外があるつーことだな。

「やさしい両手で
さえずっていたいだけ」
普通であれば、例えば
やさしい両手で 強く抱きしめて
こうなるはずだ。
文が変である。
なぜかというと、
法子さんの性格に係る。(たぶんね)
「好きよ」は自分の感情だから云える。
しかし、
例えば強く抱きしめて等の要請はできない。

すんと示唆して悟ってもらうしかないので、
「やさしい両手で」とぎりぎりここまで云い、
まあなんだ。
えとあのそーゆー一種の所帯じみた状況になった上で、
「さえずっていたいだけ」
と云っておるのだ。
これが
「鳥の言葉」
である
「チュン・チュルル・ル」
なのだ。

--------
佳境に入った。
ここがこの論考に至る重要な示唆を与えた箇所である。

「モッキンバード
チュン・チュルル・ル
私は小鳥
秘密だけど
背中に羽がある」

「私は小鳥」
だから前記したように
「私鳥の
言葉が話せるの」
つまり要請できず示唆に留まるということ。
この要請の示唆の言葉が
「チュン・チュルル・ル」

「鳥の言葉」
ある。

そのあとがすげえ。
「秘密だけど
背中に羽がある」
どひぇ。
早くしないと、
あなた以外の誰かの処へ飛んでっちゃうよと云っておるのだ。
だから
「秘密だけど」
と前置きしてる。

これも
「チュン・チュルル・ル」
つまり
「鳥の言葉」
である。

--------
「テーブルに花びん
パイを焼く匂い
鏡をのぞいて
あとあなた待つだけよ」

「テーブルに花びん
パイを焼く匂い」
所帯じみた行為を表す。
有り体に云うと、まあなんだ。
その、えと、
あなたと一緒になれる準備万端
といったところか。
元々えと、あのー
およめさんになりたい人 なの だわ。
これ盛んに云ってたのでね。
始め18歳の時は 21歳で
後19歳の時は 25でしたいが27歳には
だったなあ。

「鏡をのぞいて
あとあなた待つだけよ」
ここも状況つまり事実の説明だから云える。
この段落全体がもろ「チュン・チュルル・ル」だ。

--------
「何もいらないわ
何も望まない
やさしい両手で
さえずっていたいだけ」

「私は小鳥
私は小鳥
私は小鳥」

繰り返し部分。
要求の示唆である。
この後の繰り返しに係る。

んで、
「私は小鳥」
ということを
念を押して3回繰り返している。

「私は小鳥」
だから、
「鳥の言葉」

「チュン・チュルル・ル」
しか云えず、
発言は、要請できずに示唆に留まるが、
「テーブルに花びん
パイを焼く匂い」
で、
「鏡をのぞいて
あとあなた待つだけよ」
と準備万端であって、
「何もいらないわ
何も望まない
やさしい両手で
さえずっていたいだけ」

「チュン・チュルル・ル」
であり、
「秘密だけど
背中に羽がある」
早くしないと行っちゃうよ、なのだ。

更に外部環境因があって、
このアルバムの発売日1982年11月10日付近では、
未だ
「窓辺のシャム猫
揺り椅子でうとうと」
であって、すぐさま喰われる状態でない。
だから今のうちにと云ってるん、だろうなあ。

-------------------------------------

松本隆先生、恐るべしである。

涙なくしては聴けぬ名曲である。
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『聖子キック 1981年』の件その弐實例

2018年04月02日 | 松田聖子ちゃん研究
例えばなほこちゃんと共演したとき。



せこたん

目線は基本。
かわいいですな。

なほこちゃん

忙しそうですな。

聖子キック部分

                    ↑キック

後、首をかしげたりする
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『聖子キック 2018年』の件

2018年03月10日 | 松田聖子ちゃん研究

2回目終演後。

38年遅れの、生せこたん初堪能。

倶樂部員専用
今年はお誕生會なの

スワロ8*32とZEISS 8*20 持っていくわ

「かわええっ」 おもわず声出たのよ
はあはあ えがった なの

半円形会場で、前席とはジグザグ配置でありよい設計だ。
真ん中辺から見る。
8*20は全身がはみ出たそうだ。
目があがってなけらば肉眼でも堪能できたとおもふよ。

最前列なら キゼツだわ

----------------
『聖子キック』の件

生キック10回以上。
「キックかわええ」とおもわず声出たこと多数。

キック有名だから
生で初めて見た だけなの

---------------
夕メシの部

朝昼は 兼用の蕎麦のみ なの
せこたんは バナナでがむばっていた ようだわ


冷えたアンティパスティ
薄いブルスケッタ
噛めばうれしさが走る
さっきせこたん逢ったわ
もうひと足早い春





Happy Birthday Dear SEIKO♪
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『聖子ちゃんのしっぽが動く 1983年』件

2018年03月03日 | 松田聖子ちゃん研究
研究開始6ヶ月目にして、
1)生放送のラヂオ番組聴取
を果たした。
感無量だ。

更に、
来たる10日はお誕生曰であらせられるから、
2)某所で行われる寿ぎの會
に行き
3)ご尊顔を拝する
ことになっておる。

38年遅れではあるが実にメデタイ。

----------------------------
研究成果のごく一部の開示
本稿敬称略

『聖子ちゃんのしっぽが動く』件
83年05月頃収録、『おしゃれ』。

久米「自分でこういうかわいらしい飲み物は似合うとおもいます?」
聖子「あっははは」
久米「例えばあの、砂糖を入れないブラックの珈琲、ゆうのと、こういうかわいらしい飲み物と」
聖子「そうですねでもなんかあの、こーゆー、感じみたいですね。云われるのが」
久米「ああそう。でこんなのまたテレビでね、こんなかわいらしいの飲んでたりなんかするとね、
  また「聖子ちゃんぶりつこ」なんて云われたりなんかする声が、聞こえてきそうな気がしません?」
聖子「そうですね」
久米「ぶりつこって云われる時はどうですか」
聖子「そうですね。最近でもなんでも無くなりましたねー」
久米「ああ、普通にせいこって云われてんのと同しような気が…」
聖子「あっふん、あんまりでも最近云われなくなりましたから」
久米「ああそう!」(大きくうなずく)
聖子「ええ以前、程は」
久米「最近あの女性のファンの方が随分」
聖子「そうです」
久米「何と云いますか増えてきたような気がしません?」
聖子「コンサートでも7割、6割位は女性の方が」
久米「ねえこないだあのー。さっきの番組に出てくれたとき驚いたんですけどねえ。
  女の子がみんな、凄い反応だったんです。「きやー」とは「うわー」とかね。
  ああ女のファンの方が最近増えてきたなーって気が、ぼくは実感としてしたんです。
  ほんとにそうですか」
聖子「そうですねえ。あたしもだから、びっくりしていますけど、はい」
久米「ぼくは聖子さんはぶりつこだとかそうだとはおもわないんで、
  割と素直ー、かなーってゆうね」

それまで久米を見ていたが、「割と素直」のところで正面に向き直る。
上体は身じろぎしないのだが。
つま先がゆっくり上がって

              ↑ここ
ゆっくり下がる。
動いてる時間1秒程度

◆聖子ちゃんは、うれしい事があると「しっぽが動く」のだった。

久米「ちょっと素直過ぎるときが時々…」
アシスト「だからみんなぶりつこしたい時があるんですけどね。なかなか出せないからうらやましいんですね」
(前向いてスマイル浮かべる)
久米「さて今日のお話しでございますが…」

「ちょっと素直過ぎる」件について更に議論をしてほしかった。
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松田聖子 愛にくちづけ その4 自分自身について 1985年

2017年11月15日 | 松田聖子ちゃん研究
1985年03月03日(日)2400時~放送分
前回の続き
フェージングで、RS21~57受信。(混信無いのでなんとか)

 ※『ハートのイアリング』がかかっている。F.O.

はい、えーいろいろお話しして参りましたけれども。
えー今度はわたし自身のね、話をちょっとしてみたいんですけども。

まああたしもデビューして今年で6年目なんですけどね。
最初はほら、ぶりっことか云われたりなんかして。
女のぉー…子からね。
あのー……。
それこそ……。
剃刀が送って来ちゃったりとかぁ。
そゆこと…、あったけれどもぉ。
今はもう、コンサート7割、女性なんですね。
やっぱり。
ああゆう時もあったけども、今があるわけで。
それはそれでよかったんじゃないかなっておもふわけ。
そん時は、確かに「何でそうやって、云われんのかな?」って、
悲しかったりしたこともあった、けれども。
今はこうやって笑って話せるからね。
結局は、まあよかったんじゃないかなっておもうわけ。

あんまりさあ。
「あん時はああで頭きた」とかさあ、
「悔しかった」とかって、
そういうことを、おもいたくないしね。
それがみんな笑って話せるようんなれば、大人んなったんだろうしね。
よくそういうふうにおもうんだけど。

で、今は、やっぱりじょ同性の人から、応援してもらえたり、
「頑張ってね」って云われたりすんのがわたしはすごくうれしいのね。
で同じ年代の、人とか、コンサート見ててOLの方とか、すごく多いんですよね。
であとぉ、コンサートは最近、恋人同士とか。
もちろん男の子も居ますけどね、来てくれるけど。
おおーうんと、女性の人,OLの人,恋人同士、あとーお勤めに行ってらっしゃる方、
すごくこう、大人の方が増えてきたからね。
そういう意味では、ほんとにうれしいね。
なんか、いろんな話がこう、できて、わかってもらえるような気もするしね。
一方通行じゃないって気がする。
なんか、お互いこう、ちゃんと意志のこうなんて云うんだろうな、
交流ってゆうかなあ。
できるぅ、うーようなったんじゃないかな、とおもいますね。

まあデビューした当時ってゆうのは無我夢中で、
与えられるものを、やってきたっていう感じでしょ。
も今はもう、自分でやっと、
うー自分の足で歩いて仕事をしてるんだなあって、おもえるようになってきたし。
まあ今は一番、去年が一番、んーよかっただろうし。
今年も去年、以上にね。
えーまあ負けないってゆうか、あのいい年にしたいなと、おもってるしね。

で、やっぱり…。
長い、間こうやってきて……。
いいときばっかりじゃないから。
いやなことっ、もいっぱいあったし。
……。

(小さな舌打ち)
「止めようかな」とかおもったことも何度もあったしね。
だけどさ、今こう振り返ってみると、全部笑い話になっちゃうわけよ。
(鼻をすする)
「あん時止めようとおもったけど、ははははは、止めないでよかったな」とかさあ。
みんな結局笑って話せるようんなったから。
それはすごくいいかたちじゃない。
いーいつまでもさあ。
「んとにもう。あったまきた」っておもうよりはさあ。
「あん時はああゆうことあったね」って、笑えるから。
いいだろうとおもうし。
………。

もうーー、なんってゆうんだろうなあ。
…。
「止めてどっか行きたい」とかね。
(鼻をすする)
「アルプスでも行ってやろう」とかね。
「でもハイジは寒かっただろうなあ」とかね。
よく考えたりなんかしたけれども。
(鼻をすする)
でも、うーん。

やっぱりねっ。
ここまで頑張ってこれたってゆうのは、ファンのみなさんがぁ、
あたしのこと見守ってくれてぇ、
辛いときも「頑張ってね」って声を掛けて、うんくれた、でしょ。
それがやっぱり自分の大きな支えでしたね。

(大きく息をする)
もちろん恋愛ってこともありましたね。
でぇ……。
恋愛でも、かなり苦しんだしね。
「苦しんだ」って、言葉悪いけれども。
悩んだし。
仕事と、板挟みんなった部分ってっゆうのも、
女だから、あったけども。
……。
でもっ、みんなさあ。
笑って話せるのよね。
だから。
いいんじゃないかなとおもうし。
今、選んだ道って全然後悔しないし。
だから。
素敵にこれからも生きて、いたいなっておもうの。

でぇ。
あたし一番苦しかったのはやっぱり今年の一月だろうな、っておもうんですよ。
…………。
まあ。
………。
恋愛のことと、それから、仕事のことと。
いろいろこうミックス、してねっ。
これほど辛いことって無いんじゃないかな、っておもったの。
あと。
マスコミってゆうかね。
その中に自分が、生きてるんだな、って痛切に感じた、時期でね。
「いやだなーーー」っておもいましたね。

でもぉ。
今はまたほらっ、こうやって明るい自分、になれたでしょ。
それはやっぱり、ファンのみなさん、と歌があったから。
よねっ。
(鼻をすする)
だから。
結局は幸せだったとおもう。

でぇー。
まあニューヨークへ行ったりね。
そういうことできたのも幸せだったしぃ。
それもみんなのおかけだしぃ。

これからも与えられたものってゆうか、自分で開拓していきたいしね。
いいチャンスは、自分のものにしていきたいとおもっているしぃ。
(大きく息をする)
やっぱりこう振り返ってみて、いやなこともあったけど。
最終的な言葉で、なんかみなさんにわかってもらいたいのは、
「いろんなことがあるけど。
もしあたしが生まれ変わって、またこの世に、出てきたとき。
やっぱり自分はこの道を選ぶだろうなー」ってゆうねっ。
それがすべてを象徴しているんじゃないかなっておもうよ。
やっぱりね。

でっ。
(鼻をすする)
これからはもう23だしね。
(鼻をすする)
自由に恋愛もしていきたいし。
素敵な歌も歌っていきたいし。
素敵な女性になりたいし。
でみなさんに、素敵なレコード,コンサートを、お届けしたいっ、ておもうし。
なんかこれからのあたしの、生き方みたいなものを、
なんか見守ってもらいたいなっておもいますよ。
はいっ。

それではっ。
あたしの曲、一番新しい曲ね。
お贈りしましょう。
『天使のウインク』


 ※エンディング

松田聖子 愛にくちづけ、いかがでしたでしょうか。
今日は、えー5年間をね、まあぱーっと振り返って、いろんなお話しをしてみたわけなんですけども。
これからまだ何年もわたしにはあるわけですよね。
でこれから、えー5年間をこうなんていうのかな、踏み台にして、
よりビッグに、まあ、なんか人間的にね、成長していきたいとおもいます。
どうぞみなさん見守ってください。
(鼻をすする)

(口調がらっと変り明るく)
さてここでプレゼントのお知らせです。
 ※告知部中略


それでは今日もやってきます、一言質問箱。
これはいつまでも続きますよね。
ほんとに大変です。
 ※中略
 ※Q.部の概略↓
Q.フロントホックブラがどうしたこうした。故に下着をどーする。5択の中から答えよ。
A.そうですねえ。
やっぱりわたくしは、どこまでいっても、フロントホックブラにビキニパンツ。
これで決めてみたいとおもいます。
どうもありがとうございました。

愛にくちづけ
 今夜は 想い出の詰まった宝石箱にそっとくちづけ
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松田聖子 愛にくちづけ その3 ステージについて 1985年

2017年11月14日 | 松田聖子ちゃん研究
1985年03月03日(日)2400時~放送分
前回の続き
フェージング,混信などで、RS11~45受信。
聴取不能箇所あり。
(聴取不能箇所「○○」表記/※以下○○秒程度聴取不能)

※『瞳はダイアモンド』がかかっている。F.O.

えー○○○レコードの話が出て、アルバムの話が出て。
今度出てくるのが、まっステージの話ってことで。

さっき云ったけれどもね。
ステージと、あのーレコーディング、重視していきたいってゆう話で。

まあもう、あたしもほんとに何千って数やったかな? ステージ。
千までいかないかしら。
千回ぐらいやったんじゃないかな、とおもふけれども。

あのーやっぱり、おもひでに残るステージって。
あのー…。
最初にやったね。
青年館でやったファーストコンサート(苦笑い)。
※1980年09月30日 日本青年館ファーストコンサート『First Kiss』
あのーーー(苦笑い)。
ステージのね、セットの一部始終を憶えてますよ、あたしは。
木が1本だったとかね。
テープがバアーッと○○○こんだとかね。

でもー。
そん時はまだ、今みたいにリズムってゆうかね。
ただ、台本があってそれを憶えて、喋ってみたいな。
そーゆー感じだったでしょう。
でもあんときは○○○○○○○○○○んですよね。
んでー。
今もうそういう、昔のす○○○○ないでね。
○○○○○なんかしちゃってさあ。
あのー○○○○○○花がいっぱい付いた帽子なんかかぶっちゃってさあ。
すごいなあなんておもふんだけど。
でもあれはあれなりにぃー、あの頃のあたしなんでしょうねー。
すごくよかったですよねぇ。

それからま次々と、コンサートの、かたちってゆうのが変わってきて。
いろんな方に演出○○○とかして頂いたりなんかして。

それでまあ。
あたしも5年間やってきましたよね。
全国一杯廻ったわけですけども。

で段々ほらっ、自分がこう音楽に対する考え方みたいなものが○○○でしょう。
んで自分のコンサート○○○○○○○○○。
○○○○○○段々○○○○○○○○○とおもふんだ。

怖いって○○○○みたいな○○○○チームを組む自分のコンサートが、
はたして○○○○○○そうじゃないってゆう発想と○○○○○○○○。

 ※以下20秒程度聴取不能。受信周波数を変更した可能性がある。

った時にね。
あたしはね。
自分でひとつ
 ※以下6秒程度聴取不能。
たところに、何にも云わないで、光がばーって
 ※以下1秒程度聴取不能。
そういうコンサートにしたいんです。
 ※以下4秒程度聴取不能
ぱーって光が出るような、光が
 ※以下8秒程度聴取不能。
んで
 ※以下10秒程度聴取不能。
ますね。
で、はたして、○○○○○○○○○どういうコンサートがこれから展開されるのかわかんないけれどもぉ、
やっぱり、コンサートで生きていけるってゆーかぁ。
コンサートを中心とした、活動をできる歌手になりたいっておもってたからぁ。
んじゃあ、とにかく、これからどういうのが展開されるか分かんないけど、
いい、いっしょけんめやってみようっと、おもって今のステージをつくりだして来たわけですね。

んでやっぱり沢山のみなさんにコンサート観て戴けるようになって。
あたしはやっぱり、みなさんと直接ふれあえる場コンサートってゆうのは大事にしたいしね。

うーーーん、やっぱりなんてゆうんだろ。
見て楽しんでもらいたいし、夢の世界に、入ってもらいたいし。
…。
だからぁー。
あたしはぁー。
今の目標は
「日本一の、ステージだって云われるようなステージをつくりあげること」が夢なわけ。
それは…。
ま少しずつでもいい。
実現していけばいいなっ、ておもふし。
まっみんながゆ夢みてるようだっておもってもらえるようなステージを、
つくっていきたいっておもふわけ。

でまあ、最近はなんかそれに近づけたんじゃないかなっておもってんだけどぉ。
まよく最近円形ステージっゆうのやるでしょう。
でだいたいリハーサルってゆーのはさあ。
あの円形ステージ○○○○○○縮小版でリハーサルするじゃない。
だからぁ。
ま難しい部分って一杯あるんですよね。
そいでー。
うーん一番、うーんと。
こないだの『SEIKO LAND』ってゆうのやってね武道館で。
その次にやった『FANTASTIC FLY』ってゆうのに、
あのー。
円形ステージの中に穴ぼこが一杯空いてるのね。
前も云ったけども、穴ぼこに落っこっちゃったりとかね。
よくやりましたけども。

あと、今日ごめんね真面目な話ばっかりで。

ステージやってるとね。
死んでもいいっておもふのよね。
それはやっぱりすごく幸せだなあとおもふしさあ。
うーん。
疲れるけどね。
でも、ほんとこのままここで死んじゃってもいいなって、おもえるから。
やっぱり、自分がいっしょけんめやってることと、
それからあと、みなさんの、応援の声ってゆうのよく聞こえんの。
一人一人の声が聞こえるわけよ。
だからもう、うわーここで死んでもいいなーってゆう位わたし。
あのーステージって好きなんですね。

でぇー。
まあいろんな外国のアーティストの方の、コンサートも見たけれども。
でも、うーん。
あたしの、おーステージねっ。
やっぱり、日本、一のステージだって云われるようなステージづくりをいていきたいし。
やっぱりデヴィッド・ボウイとか見たけどすばらしいかったしねん。
やっぱりなんか、
見せる、聴かせるっ、てゆう、うーところで、ナンバーワンなりたいなって、
率直なところおもいますね今ね。
(小さく鼻すする音)
だから、アルバムーがあって、ステーコンサートがあってね。
それが合体したときに、
うーナンバーワンのステージってゆうのがつくれるんじゃないかとおもいますけどね。

んで、ごめんねなんか真面目な話んなっちゃってさあ。

んじゃ曲いってみましょうか。
ねーまたぁー、えー曲お送りします。
聴いて下さい。

※レコード『Rock'n Rouge』


その4に続く
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松田聖子 愛にくちづけ その2 アルバムについて 1985年

2017年11月13日 | 松田聖子ちゃん研究
1985年03月03日(日)2400時~放送分
前回の続き
フェージング,混信などで、RS21~59+で受信。
聴取不能箇所あり。
(聴取不能箇所「○○」表記→がむばったら無くなった)

※『赤いスイートピー』がかかっている。F.O.

はい。えー懐かしい歌をお送りいたしましたけれどもね。
えーシングルレコードの話も。
もうシングルレコードの話だけやったって一時間ぐらい過ぎちゃいますよね。

えー今度はアルバムについてちょっとお話ししたいとおもふんですけども。

んーまあ。
去年ぐらいから、あのーあたしがね、いっつも云ってるんだけども。
まあ、あーレコード制作と、コンサート活動に力を入れていきたい。

んでやっぱりレコード制作ってゆうと、アルバムってゆうふうに出てきますね。
でー、あたしーは、アルバムってゆうのは、いつもベストな状況でね。
ベストなコンディションで。
それからベストなこう、あのーなんちゅんだろうな。
曲選びってゆうの?
でっ、なんかいつも心がけなきゃいけないし、それをなんかみんなの力で、スタッフの力で、
なんかできてんじゃないかなって気がするのね。
んでー。
あやっぱり……。
アルバムの中では、いろんな世界をこう自分なりに描いてみたいし、また歌ってみたいし、
そこうゆう、アルバムに対して、夢みたいなものがあるでしょう。

例えば…。
「こーゆう恋愛をしてみたいな」って云えば、そーゆーアルバムでねっ。
そーゆー恋愛をしたりとかね。
あと「こーゆー活発な女性でいたいな」んとか云うと、そーゆー活発な女性ーを、
アルバムーの中で、演じたりとかね。
なかそーゆーものがあるでしょう。
そーゆー、自分の考えの中で松本隆さんとの(机叩く音)、合体があってってゆう。
ですごくこう…。

なんて云うのかなあ…。
例えばね、曲目で挙げてみると『銀色のオートバイ』とかねっ。
あと『ジャングルガール(密林少女)』とかねっ。
まさしくなんかあたしの性格を掴んでる曲だとおもふわけ、例えば勝気とかねっ。
「かっちきーな」とかね。
なんかだからそーゆー、
自分のイメージ描いてるイメージこういう女性でありたいとか、こーゆーシーンはすてきだろうな。
そーゆーものに松本隆さんの詞が、合体して、あいろんな方の曲が合体してつくりだされるってゆうね。
そーゆー、うーん、考え方でいつもやってるわけなんだけれどもぉ。
えーとー…。

なんてゆうんだろうな。
いつも考えるってゆーか、事はね。
…。
シングルではできない、ことをアルバムでいっぱいやってみたい。
曲調とかね。
ま例えばロックンロールを歌ってみたりとか、バラード歌ってみたりとか。
まいろんなーのを、やってみようってゆう。

それから後気を付けんのは、ジャケットもね。
いろんな、あのー絵柄があっていいんじゃないかな。
たまには顔のが出ないジャケットあっていいんじゃないかなとか。
いろいろ考えるんですね。
んでー。

前の前ぐらいから、曲をつくったりとかあ、ま詞をつくったりしてるんだけどもぉ。
まっそーゆうのもひとつのまあなんてゆうかな。
自分がアルバムってゆうものに対する考え方ってゆうかね。
いろんなことをやってみたいとか、いろんな世界つくりだしてみたいってゆう、
そーゆーね自分のこう、考え方の現れじゃないかなって自分でおもふわけ。
でぇ。
詞を書くってゆうのはすごくあたし下手くそで恥ずかしくていやなのね。
誌は書けないとおもってるん自分では。
だからぁ。
…。
詞の中でさあ。
こいろんな恋愛をつくれるって一体…って気はするんだけど、
でも自分にはきっと向いてないだろうなっ、てゆうのが先たっちゃうんですね。
んで曲はもういろんな曲をつくってみたいとおもふしぃ。
でぇー…。

なん、こう、自分がねっ、曲選びまでしちゃうとぉ、
わたしよくないんじゃないかなって気がするんですよ。
やっぱりぃ…。
いろんな曲があってぇ、その曲をプロデューサーが選んでぇ、
でそのー与えられた曲ってゆーものを自分なりの表現してゆくってゆうかね。

よく聞かれるんだ。
「なんでも自分でね、やられるってことなんで。曲はもう全部自分の好みですか」って。
そこまでやっちゃうといけないんじゃないかなっておもふわけ。
曲は、いろある程度の、出来てきたものを、プロデューサーがいろいろまっ選んで、
それを、まっあたしが聞いて、自分なりに表現するってゆう。
やっそれは大事だとおもふしね。
自分の曲を選ぶようになっちゃったら、あたしの場合はよ。
よくないんじゃないかなとおもってるからぁ。
ただあたしは、如何にその曲をどーゆーふうに、よく表現するか。
ん自分の世界でつくりあげるかって、そのことばっかり考えますねぇ。
でぇーいつもベストなものを。
やっぱりみんな応援して、くれてるからぁ、みなさんとこ届けたいっていつもおもふんですよ。
だから、今年も、アルバムづくりっつーのはも重視したいし、
時間を掛けて、いいものをつくっていきたいってゆう気持ちで一杯ですねー。
でーみんなに楽しんでもらえる、アルバムにしたいっておもっています。

はーい、というわけで。
またちょっと懐かしい曲を聞いて戴きたいっておもひます。


※レコード『渚のバルコニー』

その3に続く
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松田聖子 愛にくちづけ その1 シングルレコードについて 1985年

2017年11月12日 | 松田聖子ちゃん研究
1985年03月03日(日)2400時~放送分
※洋行帰りでの収録が事実であれば、放送日直前の録音のハズである。

オープニング

いろんなことがあったこの5年間を、ここで一区切りとして振り返ってみたいとおもひます。
そこでウチのスタッフがつけた今日のタイトルが
『18曲連続ナンバーワンスペシャル
 せゐこが今初めて明かす衝撃の5年間 あなたはこれを聞かずにはいられない』
というものなんですよね。毎度お馴染みの大げさなタイトルですけども。
まっ23歳を間近に控えて、たまには仕事のこと、自分のことをじっくり振り返ってみるのもいいんではないかとおもひます。
ファンのみなさんおおかげで、18曲連続第一位も、獲得することもできたし。
ま今日は、そういった曲を織り交ぜながら、いろいろお話しをしていきたいとおもひます。

※『せゐことれいん』レコードプレゼン告知とか

えー長い間ニューヨークへ行って参りましてね。やっと帰って来た訳なんですけども。
※註:ニューヨーク録音85年02月01日離日(←このとき宣言有り)~85年02月27日帰国
まっニューヨークの話は山ほどあるんですが。
えーニューヨークの話ははまた、来週にでもゆっくりしてみたいとおもっております。
まっ今日は大げさなタイトルがついておりますが、いろいろね話してみたいとおもいますが。

まずはですねえ。えわたしとはまあ切っても切れない、レコードね。
えシングルレコードの話をちょっとしてみたいなあとおもふんですけども。

えー。
まあ全部で今のところ20枚レコードが出ましたけども。
ほおんとにでも早いですよねえ。
『裸足の季節』から始まって、今、一番新しいのが『天使のウインク』ってゆう訳なんですけれども。

えーあたしー。まあねっ。
レコードを聴いてえ。
変わったって、えよく云われたりするんですね。
例えば声が変わったとかあ。
で自分でぇ、あんのレコード聞くでしょ。
んでデビュー曲ってゆーのは、やたらなんかなんてゆうの、大人っぽいんですよね。
なんかあたしの場合だんだん逆になってるような感じがするわけ。
普通は、デビューの曲の方が、かわいくてね。
だんだん大人になっていくと大人っぽくなっていくんだけどお。
今『裸足の季節』を聞くとすごく声が何か、硬くてなんか、大人っぽいんですよね。
だからそのー。
そーゆうところすごく自分でも、びっくりするし。
で、今『青い珊瑚礁』歌っても、あたし自分でおもふんだけど、たいして違和感ないんじゃないかなとおもふわけ。
あのーデビュー曲歌うと子供っぽいとかそーゆーのあのー、あるんじゃないかなとおもふんだけど。
あんまりなんか、違和感、感じないから不思議だなあとおもひますけどね。

んでよくほら、どの曲が一番好きですかとか聞かれるんだけどぉ。
そのときあんま好きじゃなかった曲も、今聞くと「なんていい曲なんだろう」とかおもへちゃったりするからあ、すごいなとおもふんですよ。

んで、自分で初めて、えと一位になった曲ってゆうのは『風は秋色』って曲なんですね。
んでー、これはもう自分でも「あっいい曲だな」って、すごくおもった曲なんですよね。

んでその後、
が実は『チェリー・ブラッサム』って曲なんだけどぉ。
失礼なんだけど、だいっきらいだったのよ、この曲ね。
「こんな曲を歌ってたんじゃあたしなんかぜったいダメだわ」って、
おもったぐらいだいっきらいだったの。
んでみんな、どーしてきらいなんだと。
でもきらいなのよ。いやだっ。
んで結局レコード出したら、えらいナンバーワンになっちゃってねえ。
そーゆーのいっぱいあるのね。

んで『夏の扉』はすごく好きだったんですよ。
あっこの曲絶対いいぞとおもったらあんまり売れなかったりとかね。
わたしの感じたのも、案外いいかげんなんですけどもね。
あと『白いパラソル』ん時がちょっと、うーんって考えたんですけどね。

んでまあ、いろんな作家の方に書いて戴いたわけですけれどもお。
やっぱり松本隆さんとわたしの出会いってゆうのは、すごい出会いだったなっておもふわけなんですよ。
んでー、前にも話ししたかもしれないけども。
松本さんって人はすごい方なんですね。
んであたしもうお付き合いして、こーいろいろ曲を書いて戴くようんなって4年位経つんですけれども。
とにかく、そのあたしの時々の、その今考えていることとかね、おもってること。
それがもうそのとおり詞になって現れて出てくるわけ。
だからいつも、どきっとするんですよ。
なんか魔法の鏡かなんか持ってらしてね。
あたしのこころ全部こう、見通してらっしゃるんじゃないかなってゆうぐらい、すごかったしぃ。
あと松任谷さんと出会いもすばらしかったしね。

んでやっぱりー、ナンバーワンナンバーワン連続連続って騒がれはじめて、
すごくプレッシャーでつらかったってゆうのが『赤いスイートピー』位からね。
えー意識したしね。
ん正直言って、2位んなってしまえば、後が楽なの楽なんじゃないかなっとも、おもったし。
んでもやっぱりここまで来たんだから、ってゆうふうにね、おもったりしたし。
まあ、どの曲も。
まっ苦労してねレコーディングしてっ。
自分の子供みたいなもんだから、大事にしていきたいとおもうしね。

あと途中で、せゐこレーベルなんてゆうのもつくって戴いたりなんかして。
これはも、すごく自分にとってはうれしいことだしね。
っぱり、アルバムも大切だけど、シングルんがすごくもう大切だしね。
これからもいろんな歌を歌っていきたいなとおもふしね。
あと、ジャケット寫眞なんかもこれからいろいろ、いろんな方法で。
まあいろんなえーものを撮っていきたいなあとおもってますけどね。
はい。話は尽きませんけどもちょっとこのへんで曲を。
おもひでの曲をお送りしてみたいとおもひます。

※その2へ続く
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