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らじかのよかん

ふっ急になんかわかんないんですけど↑

独逸製

2011年05月21日 | 学術・芸術
ありゃ独逸製だったのか。

作詞は、むかしの「和歌」集から引用(ヨミビトシラズ)。
ただし、原作では
「ワガキミハ」で始まる。
つまり改作したものである。

改作したのは「海軍」らしい。

作曲は、英國人、米國人、独逸人の3氏に依頼。
そのときに
「冒頭の『キミ』は、二人称の代名詞か? または特定の個人を指すか」の問いに
「特定の個人である」旨の回答があった由。

英國人の曲は、王室って感じのもので、悪くはないが当時はなじまなかったらしく、不採用。

米國人の曲は、海軍軍楽隊みたいな勇ましいものだが、これも不採用。

見ていた独逸人は頭がよく、旋律は和風にし、和声は洋風にした。
採用である。
これ、今も使っている。

この独逸人は半島でも同様の仕事をしたそうだ。

ソースラジオ独逸語講座(本稿、裏とってないからねー)。

雨量

2011年05月16日 | 学術・芸術
雨量が、なぜに1ミリキザミかというと、雨量計がデジタル出力だからだ。
かなり昔からデジタルなのだ。

転倒枡型雨量計つーので測っているのだ。

くだらない仕組みだよ。
全体は直径20センチ位の円柱型だ。
高さが60センチくらいだったかな。
上面が開口していて雨水を受ける。
そのまま漏斗になっていて、中央部下に雨水が落ちる。
転倒枡は、
左右に仕切られたそれぞれの枡が2つ構成され、
更に中央軸で支持されているから、
シーソーのごとくぎったんばっこんできる。
必ずいずれかの枡が、空の状態で上がっている。
上がった枡の直上に漏斗の口がある。


例えば今、雨水は転倒枡の上がっている右側の枡に入る。
その枡がいっぱいになると、重みで右側の枡が下がる。
下がったところにスイッチがある。
右側の転倒枡がスイッチを入れ、これで一回分である。
雨水は右側の転倒枡から下に排出される(枡が下に向いているからである)。
今度上がった左側の転倒枡は空である。
※印繰り返しである。

この一回が多くは雨量1ミリになっているからである。
(まじめなところは0.5ミリのを使う)
あとは電気信号だから、有線無線を問わず簡単にテレメータを構成できる。

素朴だが、その分信頼できるともいえる。
(風向計,風速計もかなり素朴だよな)

欠点は、落ち葉が詰まると測れなくなることだ。
だからナカのヒトが、ときどきお掃除をするのだ。

単一性の安全

2011年05月14日 | 学術・芸術
まあ、なんだ。

いやしくもマス(だろな一応)メデイヤが出したキケンを示唆する情報と(測定器も高そう)、
あやしげなおれの、いかにも安そうな機器で測った、安全性らしきもの(正確には突出したキケンではないこと)を示唆する情報とを比較して、

なんで、おれのを選ぶかな。

安全だからか?
ならヱダノの云うことを鵜呑みにしたほうがいいつーことになるゾ。

すべからく裏を取るべきではないかね。

おれは「裏を取る」ために、測定器を用意したのだがな。
あと、個別地点は自分でやらないとダメだから、という事情もあるけれどねー。
更に「測りたい」という単純な知的好奇心もある。
加えていやしくも無線通信士たるもの電磁波を「電測」しないでか、つーのもある。
(βは電子だとか云うヒト電磁波はすべて波動性と粒子性があるんだよぐぐればわかる)

ごーせーのごびゅー

2011年05月12日 | 学術・芸術
ネット生中継を見ていたら、タカシが云ってた。
「武田邦彦先生の本を読んでいたら、それぞれの部分はちゃんと設計しているのにトータルではうまくいかないって書いてあったんですよ」
「それ、ごーせーのごびゅーですね、おわり」
つーようなやりとりだった。

なんだそりゃ。

目の前の四角い箱に聞いてみた。
「合成の誤謬」つー字だそうだ。
経済学の用語らしい。
「一人ひとりが正しいとおもわれる行動をとったとしても、全員が同じ行動を実行した事で、逆に思わぬ悪い結果を招いてしまう事例などを指す」用語だそうだ。
実例がいくつか載っている。
たとえば
・ポマードが財政を改善しようと意図し、消費税を上げたはいいが、ものを買う気が失せ、景気が悪くなり、結果ちっとも歳入が増えなかった とか。
規模が大きいと合成の誤謬が起こる、ともある。
規模が小さくても、同じじゃあねえのかね。


こーゆーときには原著にあたってみよう。
武田邦彦著「原発事故残留汚染の危険性」朝日新聞出版2011年4月30日第1刷
41頁に記載がある(引用)
「設計を担当するエンジニアは精密で論理的に詰めていきます。だからこそよいものができるのですが、多くの場合、部分的には抜かりなく、しかも最適になっているけれども、全体的に見れば「抜けたところ」があるというようなことになりがちなのです。」
これか。
あたりまえのことだとおもうが。

114頁にも記載がある(引用)
「…つまり、あまりに多くの人が参加するので部分的には若干合理的に見えても総合的に見ると不合理だという議論がなかなか行きわたらないのです。」
これもあたりまえに見える。

その回答も、先に引用した41頁の直後に記載があって(引用)
「著者の経験では、そのようなときに若いエンジニアに「これじゃダメじゃあないの」ときっちりいえる経験がある年配の人とチームを組むとうまくいきます。」

あっ。
誰も、その「システムのトータル設計」をしていないのか。
こりゃ壊れて当然である。
(元々は、潜水艦の原動機として考案されたもの。やばくなったら水没できるからな:ソース金田先生の本)


例えば、ラジオの設計を考えよう。
使う半導体の設計者,抵抗の,コンデンサの,基板の,電池の,キャビネットの,等は、それぞれの専門家なので、そこでは最善の合理性を追求している。
だけど、「ラジオ」の設計は誰もしていないよな。
あたりまえだが。
「ラジオ」には「ラジオの設計者」が必要であるのは論を待たない。


あのプラントではそれぞれ専用のものが必要とされるから、それぞれの専門家が設計していて、その部分で最適なのは当然である。

しかし、プラント全体の設計を誰もしていないとはなあ。

※こーゆーことは飛行機事故ではちょくちょくあったので、
(機長も副操縦士も、どちらも操縦していない。互いに相手がしていると思いこんでいる)
それらヒューマンエラーの対策がとられている。
試しに123のボイスレコーダ聞いてみそ。
キャプテンが全体の統括指示をし、コーパイが操縦し、FEが技術的な示唆をしているから。


そんなもんが、どうして「今まで動いていたのか」というと、
モノマネをした場合には、「とりあえず初めのうちは、動くことは動く」んだよね。
(そーゆーのを「シバウラのコドモが書いた製図」などというのだ:ソース兼坂先生の本)

初めにトータル設計したヒトは、「これやったらダメ」つーことを仮想演習したり、実験検証しているもんだ。
(砂漠の真ん中で暴走実験までしたそうだ:ソース元ジーイーのヒトの言)
初めてのことで怖いからね。

で、
それをモノマネすると「こっちのほうが安くね」つって、
「これやったらダメ」をやって失敗するのだ。
「やったこと」は見ればわかるが、
「やらなかったこと」は、見てもわからんからね。
(えっと1はジーイーじゃねつーこともあるが、なに売っちまえばおれしらねつーことだろ、ばかかこいつらとも思ったかも。建設中に地振で自身が揺れて真っ青になっていたらしい「こんな地べたが揺れるところに建てるとはおれしらね」:ソース元ジーイーのヒトの言)

で、「もんじゆ」がどーして一度も動かず、だから今までに1Wも発電せず、
しかし5,500万円/日ずつの費用が発生しているのかというと、
各国ことごとく失敗し、モノマネすべき前例がないからだ。

まいったね、こりゃ。


結論として「ごーせいのごびゅー」つー用語は以下に定義できよう。
「そのシステムがトータル設計されなかった場合、所定の動作はできない」
だな。
前記ポマードの税金も、トータル設計してあれば「そんなことしなかった」はずの事柄であろう。


あたりまえすぎ、書いててばかばかしくなった。

とちふかば

2010年12月27日 | 学術・芸術
むかしのエライひとで、
名を「だざいふ」といい、あざなは「ごこう」。

天神様の梅があんまりキレイだったので、
つくった俳句の上の句である。

その天神様は九州のどこかにある。
亀ヰ戸の天神様ではない。
(亀ヰ戸は、梅の替わりに藤を植えている)

往来で角が暗いときに、
ヒトにぶつからないようにするマジナイとして広く用いられている。