ネット生中継を見ていたら、タカシが云ってた。
「武田邦彦先生の本を読んでいたら、それぞれの部分はちゃんと設計しているのにトータルではうまくいかないって書いてあったんですよ」
「それ、ごーせーのごびゅーですね、おわり」
つーようなやりとりだった。
なんだそりゃ。
目の前の四角い箱に聞いてみた。
「合成の誤謬」つー字だそうだ。
経済学の用語らしい。
「一人ひとりが正しいとおもわれる行動をとったとしても、全員が同じ行動を実行した事で、逆に思わぬ悪い結果を招いてしまう事例などを指す」用語だそうだ。
実例がいくつか載っている。
たとえば
・ポマードが財政を改善しようと意図し、消費税を上げたはいいが、ものを買う気が失せ、景気が悪くなり、結果ちっとも歳入が増えなかった とか。
規模が大きいと合成の誤謬が起こる、ともある。
規模が小さくても、同じじゃあねえのかね。
こーゆーときには原著にあたってみよう。
武田邦彦著「原発事故残留汚染の危険性」朝日新聞出版2011年4月30日第1刷
41頁に記載がある(引用)
「設計を担当するエンジニアは精密で論理的に詰めていきます。だからこそよいものができるのですが、多くの場合、部分的には抜かりなく、しかも最適になっているけれども、全体的に見れば「抜けたところ」があるというようなことになりがちなのです。」
これか。
あたりまえのことだとおもうが。
114頁にも記載がある(引用)
「…つまり、あまりに多くの人が参加するので部分的には若干合理的に見えても総合的に見ると不合理だという議論がなかなか行きわたらないのです。」
これもあたりまえに見える。
その回答も、先に引用した41頁の直後に記載があって(引用)
「著者の経験では、そのようなときに若いエンジニアに「これじゃダメじゃあないの」ときっちりいえる経験がある年配の人とチームを組むとうまくいきます。」
あっ。
誰も、その「システムのトータル設計」をしていないのか。
こりゃ壊れて当然である。
(元々は、潜水艦の原動機として考案されたもの。やばくなったら水没できるからな:ソース金田先生の本)
例えば、ラジオの設計を考えよう。
使う半導体の設計者,抵抗の,コンデンサの,基板の,電池の,キャビネットの,等は、それぞれの専門家なので、そこでは最善の合理性を追求している。
だけど、「ラジオ」の設計は誰もしていないよな。
あたりまえだが。
「ラジオ」には「ラジオの設計者」が必要であるのは論を待たない。
あのプラントではそれぞれ専用のものが必要とされるから、それぞれの専門家が設計していて、その部分で最適なのは当然である。
しかし、プラント全体の設計を誰もしていないとはなあ。
※こーゆーことは飛行機事故ではちょくちょくあったので、
(機長も副操縦士も、どちらも操縦していない。互いに相手がしていると思いこんでいる)
それらヒューマンエラーの対策がとられている。
試しに123のボイスレコーダ聞いてみそ。
キャプテンが全体の統括指示をし、コーパイが操縦し、FEが技術的な示唆をしているから。
そんなもんが、どうして「今まで動いていたのか」というと、
モノマネをした場合には、「とりあえず初めのうちは、動くことは動く」んだよね。
(そーゆーのを「シバウラのコドモが書いた製図」などというのだ:ソース兼坂先生の本)
初めにトータル設計したヒトは、「これやったらダメ」つーことを仮想演習したり、実験検証しているもんだ。
(砂漠の真ん中で暴走実験までしたそうだ:ソース元ジーイーのヒトの言)
初めてのことで怖いからね。
で、
それをモノマネすると「こっちのほうが安くね」つって、
「これやったらダメ」をやって失敗するのだ。
「やったこと」は見ればわかるが、
「やらなかったこと」は、見てもわからんからね。
(えっと1はジーイーじゃねつーこともあるが、なに売っちまえばおれしらねつーことだろ、ばかかこいつらとも思ったかも。建設中に地振で自身が揺れて真っ青になっていたらしい「こんな地べたが揺れるところに建てるとはおれしらね」:ソース元ジーイーのヒトの言)
で、「もんじゆ」がどーして一度も動かず、だから今までに1Wも発電せず、
しかし5,500万円/日ずつの費用が発生しているのかというと、
各国ことごとく失敗し、モノマネすべき前例がないからだ。
まいったね、こりゃ。
結論として「ごーせいのごびゅー」つー用語は以下に定義できよう。
「そのシステムがトータル設計されなかった場合、所定の動作はできない」
だな。
前記ポマードの税金も、トータル設計してあれば「そんなことしなかった」はずの事柄であろう。
あたりまえすぎ、書いててばかばかしくなった。