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らじかのよかん

ふっ急になんかわかんないんですけど↑

夕ブレッ卜

2016年12月07日 | 学術・芸術
もはや國鐵で採用してるとこ無くなった。

2007年11月


この閉塞區間そのものも存在しないのか。
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科學倶樂部

2016年07月18日 | 学術・芸術
よーするに
「硝子溶かしてるだけ+α」の倶樂部である。

瓦斯バーナで硝子管を焼くと、加熱された部分が溶ける。
例えば中間部を焼き、両端を引くと、
びろーんと伸びてスポイ卜様になる。

先端部を焼き、管に息を吹き込めば、
ぷくーんと膨らむ。
勢ひがよすぎると、シャボン玉様になってしゃばしゃばと崩れ割れる。

-----------
夏休み直前にとある實驗+αを、こともあろふにおもひついてしまった。
よひこはマネしないこと!

理科室には
瓦斯銓と水道蛇口がある。
さて
「どちらがつおいかな?」
数人ゐたのに止める者無し。

護謨管で接続し、ヴァルブを開ける。
「どっくんどっくん」と音を立てて
水道蛇口→瓦斯銓に水道水が流入した。

水道蛇口の勝ちである。

「ところで瓦斯出るよな」
「ぶごぶご」
「おい。こりはマズイのではないか」
「お水が溜まっておるはずなので、皆で息を吹き込もう」
「せーの、ふーふー」
「ぢやあ瓦斯出るよな」
「ぶごぶご」
「しかも空気だぞ」
「息しか出ないのか」
「どーするどーする」

協議

案1)せんせーに云う
利點:刑が減輕される可能性がある
缺點:裁量的減軽事由だから必ずしも適用されるとは限らない上、
    民事責任が必ず發生する

案2)ばっくれる
利點:あたり一面を掃除すれば証拠が無い
    更に夏休み挟む故、だれかが「通常の故障」であると気づき
    「瓦斯屋に直させるに決まってんぢやん」←超特大ダチ發意
缺點:ばれたら更にヤバイ


結論
案2)ばっくれる
採用。


結果
「ぢやあ二学期の科學倶樂部をこそこそ始めよう」
「出るかな。こそこそ」
「しゅーしゅー。しゅっぽ」
「點いたついた」
「だから、おれ云っただろ」←超特大ダチ


教訓
じんせー的に「とほくに行きたい」つーくらいなら、
ばっくれたほうがよひ。
それが歴史的事實なのヨ
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交叉點に於ける議論について

2016年02月24日 | 学術・芸術
本稿計算してたら追記多数有り。
により追記表示しない。
全部読んで。
あと計算違ってる可能性もあんから、各自検算するように。
【おれ責任とれない/とらない】からね。
以上「わかったとみなす」ので、了解してから本文を読むのだぞ!
読んだヤツは、【了解したと見なす】から。

------------------------------------
ひぜふのLicense取得時に強制配布される全国同一の『教本』には、
必ず「停止距離の目安」が掲載される。

例えば60Km/hで走行している場合、
◆44m要しないと停止できない。
これは、おそらく急制動を想定しているものと推定される。
100Km/h=28m/secで制動距離に84mを要している。
クルマ全般であればまあこんなもんか。

このとき空走時間は1.0sec共通である。
と棒グラフからは読めるのだが。
判例+計算器サイト見つけてしまったずら。
停止までの時間の記載はないけどね。

グラフを拡大し制動距離の式を導出してみた。
概ね
制動距離≒0.1(V^2) Vはm/sec
これで出る。
グラフは20Km/h刻みで描いてあるから、
そこから読み取った20Km/h刻の数字と、
前記式から計算した10Km/h刻みの制動距離を示す。
加速度は一定とし(判例もこの筋でいってるようだ)、グラフ記載のもののみ記した。
20Km/h 5.6m/sec 空走距離 5.6m 制動距離 3.0m 停止距離 8.6m -0.52g
30Km/h 8.3m/sec 空走距離 8.3m 制動距離 6.9m 停止距離 15m
40Km/h 11m/sec 空走距離 11m  制動距離 12m  停止距離 22m -0.63g
50Km/h 14m/sec 空走距離 14m  制動距離 19m  停止距離 33m
60Km/h 17m/sec 空走距離 17m  制動距離 28m  停止距離 44m -0.54g
70Km/h 19m/sec 空走距離 19m  制動距離 38m  停止距離 57m
80Km/h 22m/sec 空走距離 22m  制動距離 50m  停止距離 72m -0.45g
100Km/h 28m/sec 空走距離 32m  制動距離 84m  停止距離 106m -0.47g

また急ブレヱキの定義つーのはなく、
國交省(PDFっす)のPDF5頁下の注記によると-0.3g以上をそう呼んでいる。

また「この教本をダツシュボードに入れる」ことが推奨されている。
「安全運轉の為」と称することが多いが、
用語が歪んでいて、正しくは「危險回避の爲」である。

-----------
さて、交叉點進入時における信號機の點燈状態について、
議論がおこることがある。

それでは道路構造令から導き出した、
『第13章交叉點設計』(PDFっす)のPDF103頁
又は、
『第3編交叉點の設計』(PDFっす)のPDF24頁
を参照し
停止線前にある、破線でなく直線で描かれた「減速車線長」を調べよう。

--------
例えば、都市部の道路で設計速度60Km/hのときの「減速車線長(停止まで)」は、
◆30mである。
たぶん建設省管轄であらふが、
政令に規定されてんから逸脱できない。

全体をみると、
◆30~60Km/hでは、
「停止距離の目安」は道路構造令による「減速車線長」の、
1.5~1.8倍になる。

◆また
「減速車線長」は、
-0.5gで急減速した場合の「制動距離(空走距離含まず)」と
50Kmh 減速車線長 20m 制動距離 20m
60Kmh 減速車線長 30m 制動距離 26m
でほぼ一致する。

◆更に
黄色點燈3秒間(4秒の地域もあるけどね)で進む距離と、
急ブレヱキでない-0.29gで減速した場合の距離と、減速車線長を比較するとだな。
・40Km/h 進む距離 33m -0.29g減速の距離 33m 減速車線長 15m
・50Km/h 進む距離 42m -0.29g減速の距離 47m 減速車線長 20m
・60Km/h 進む距離 51m -0.29g減速の距離 66m 減速車線長 30m
であって、なんと急ブレヱキかけないとそもそも止まれないとわかる。

雨天時は制動距離2倍だからもうむちゃくちゃである。

----------
したがって信號機が黄色點燈した場合に、
自車が「減速車線端部」より中にゐた場合には、
自明に停止線又は信號機より手前で停止できない。
更に「減速車線端部」より手前であっても、少なくとも0.5倍分の距離以内であると、
停止線又は信號機より手前で停止できない。
故にもし無理に停止しようとしても、
物理的に交叉點に進入するわけだから、
法令ではそのまま進むのが正しい。
(「急制動で止まる」のは違法である)

更に前記全国同一の『教本』によると、
(3)路面が雨にぬれ、夕イヤがすり減っている場合の停止距離は、
乾燥した路面で夕イヤの状態がよい場合に比べて2倍程度に伸びることがあります。
とある。(←これは事実の記載であって、思想又は感情を創作的に表現したものではない)
故に前記したように計算すんと
「停止距離の目安」は道路構造令による「減速車線長」の、
3~4倍弱にまでなりうる。
(この場合の夕イヤは、無論保安基準適合範囲内である)

つー訳で、
前記全国同一の『教本』と
『第13章交叉點設計』又は『第3編交叉點の設計』←こっちのほうが図があるのでより好ましいかも
の表紙と当該部分を印刷したもの
を、推奨の様にダツシュボードに入れとこうね。

なお、黄色の時間は個別にけていされてんし(實測値で3秒~4秒の範囲内らしいが)、
また規格化されていない故論拠として弱点がありうる。
更に時間から距離ださんといけないから、
議論に時間掛かるので、
まあ距離だけの比較である「減速車線長」のほうがいいかなぁ。

------
とおもったが、驚くべきことに気づいた。

◆20~60Km/hにおける、
3秒間で進む距離
『教本』記載の「停止距離」
そこから算出される「停止までに掛かる時間(空走時間1秒を含む)」等加速度
「減速車線長」
・20Km/h 進む距離 17m「停止距離」 9m 停止までに掛かる時間 2.1秒「減速車線長」
・30Km/h 進む距離 25m「停止距離」16m 停止までに掛かる時間 2.8秒「減速車線長」10m
・40Km/h 進む距離 33m「停止距離」22m 停止までに掛かる時間 3.0秒「減速車線長」15m
・50Km/h 進む距離 42m「停止距離」34m 停止までに掛かる時間 3.8秒「減速車線長」20m
・60Km/h 進む距離 51m「停止距離」44m 停止までに掛かる時間 4.1秒「減速車線長」30m
であって、
あーらあなた、黄色點燈3秒ではそもそも全制動かけても「止まれない」ぢやん。
再掲するが、加速度は一定として計算した。(判例もこの筋でいってるようなので)
地方部には4秒地域あるらしいが、ギリギリ合理的な判断だ。
だって「物理的に止まれない」と全国同一の『教本』に書いてあるんだからな。
議論の現場では全国同一の『教本』記載の「空走時間1秒」だけを論拠にすべきだろうな。
だって所管自身がそう教えてるんだから。

前記サイト判例の最短空走時間では0.6秒つーのがある。
を採用しても、50Km/h以上は3秒に収まらないのだよなあ。
少なくとも黄色點燈は5秒ないとダメぢやんか。
(-0.29g減速だと、時間めちゃかかりまっせ)

いやー大問くん、こまった困った。
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うんこのふき方の回答

2015年11月22日 | 学術・芸術
うんこのふき方についてのスルドイ質問は既報のとおり。

今般、遂に回答に到達した。

「フツウのうんこで紙8枚。ゲリ便で32枚。拭いてる最中に菌が通過しない限界枚数」
である。
流石はタケダ先生だ。
くだらないことにも的確な答えをしてくださる。

間違えて「拭いてるモナカ」と読まないやふに。
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「ハイ」と「ロー」:なぜ「ゼッタイいや!!」なのか

2015年10月19日 | 学術・芸術
本稿敬称略

谷山浩子がこの話題にふれたのは、
2012.09.02 猫森集会2012 8日目 Dプログラム2日目でのことだ。

深夜放送風にセットがされていて、ゲストとか構成者がそばに居て進行していた。
で、「Dプロ1日目にやらなかったらアンケートに書かれたから」と云って、
構成者もいない、文字通りのひとりごとになった。

再掲-----
んで、今日の「ひとりごと」。
昼と夜の話(以下要旨:文責らじお)。
ANNがうまくいったのは、無論スタッフの尽力もあったのだけれど、
それは「夜中」だったからではないか。
夜中とか、どんよりとした曇りとか、雨とかが好き。
テンションがあがる。
とはいっても、なまこのようにPCの前でどよーとしてるだけなのだが。
そういうときに「歌」ができる。
人には男と女のごとく、ハイな人と、ローな人がいるのではないか。
もし人類が「ハイな人」のみで構成されていたとしたら、とっくに滅亡していたとおもう。
「ハイな人」が少し沈んだとき、アイドルグループ(の歌)を聞いたらそれは持ち直すかもしれないが、
「ローな人」では無理だろう。
そんな人に(わたしの歌が)届くといい。
---------
このときは書かなかったのだが、
「ハイ」の典型例として、
スポーツの「ビーチバレヱ」と、
アイドルは「ABB78」とかの名前を出していたな。

うつむき、意を決して心から絞り出すような「ひとりごと」だったのよ。
谷山浩子のファンが来ているにもかかわらず「わたしだけかも」とおもっていたのだろうか。


今般、おれさまの秋祭りつーのがあって、
・09月19~27日 猫森集会5公演参加→その日に記事上げ
・10月○○日 丁C2000超特大走行會(集合寫眞撮影有り)
・10月○○日 運動祭り(動體寫眞撮影有り)
・10月○○日 超特大落語會主催
つーのを、ほぼ一ヶ月に亘って敢行したのだ。

特に困ったのは、猫森集会→超特大走行會である。
脳を含む身體の作動部分が異なるらしく、ありていに云うと「やる氣がしない」のよ。
前日の夜、それでもラインくらいは憶えようと、そーゆー動画を見た。

まあ現場に行くと俄然こーふんするのであって、
帰ってもさめやらず。

だが違和感もあった。
なんか「頭が妙にさっぱり」としてるのだ。

星新一の奥さんが
「あなたスポーツでもしたら」と云ったら
「そんなことして頭がさっぱりしてしまったら小説なんか書けない」と云われたと評伝に書いてあった。

これだな。

「ハイ」と「創造」は次元が違うようだ。
「ハイ」は「製造」と親和し、
「ロー」が「創造」と親和するのだろう。

だから
ゼッタイいや!! わたしにアウトドアとスポーツ誘わないで」なわけか。


また、谷山浩子楽曲と落語の違いも明瞭になった。(「あたりまえだ」ぢやなくて)

落語の登場人物は例外なく「饒舌」である。
どんなキツイ人情噺でも。
セリフのみで噺を構成している以上、そうならざるを得ない。

谷山浩子作品は寡黙だ。
つーか谷山浩子自身が寡黙なのだ。
ANNで「なのです」出たのは追い詰められたからで、
ご自身は喉をかばっていることもあり、平素は細く低い声で話す

文学も基本は寡黙だよね。
演劇も相当に寡黙だったりする。(数が少ないのでよくわからんが)

寡黙系のことにはすんなり入れるのだが、
饒舌系は一応の心構えをしている。

「芸術」と「芸能」との差かなあとおもふのよね。

んでも、どちらも「ロー」なんだよな。
証拠に、雨や雪の描写がある噺が多いのに、
晴天の描写がある噺は、上方に少し(東の旅系統)あるかなあ程度。

また、シモダ2曲のセイビセイビは、おれは「ロー」だと感じている。
理由はよくわからない。
工具箱見て「うれしい」つーのが、とても「ハイ」とはおもえないので。


このように、「ケ」が「ロー」で構成されているので、
「ハイ」はつまり、おれの「ハレ」なのだろうね。
淡淡とねこのような日常であるからして、「ハレ」は不得意なのかも。


これ分析でなく感覚で書いてるからな。
更にだからど-したと云われても、とりたてて結論は無いのだ。
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惡魔いろ

2015年01月27日 | 学術・芸術
(超特大かちょーさん判断)
 本文は、「惡魔いろのーひかりへ」の漢字及びひらがなよりなり、「惡魔」の意を認識させる「惡魔」と、「色」の意を認識させる「いろ」と、「光」の意を認識させる「ひかり」の文字を、普通に用いられる方法で「惡魔いろのーひかりへ」と横書き一段に書してなるところ、全体として「惡魔色の光へ」の意を認識させることから、これをブ口グ上の記事「港灣ミッドナイ卜」に記載するときは、「その車輛の走行風景」を認識させる文といわねばならない。
しかして、本ブ口グ上の記事の主旨に鑑みれば、深夜の走行を看者に認識させうる記載でなければならない。
 したがって、本文は、「あくあいろのーひかりへ」と訂正すべきである。

 【判断】
 本文は、構成中の「惡魔」の文字は、架空の存在であるところの「惡魔」を意味し、「色」の意を認識させる「いろ」と、「光」の意を認識させる「ひかり」の文字を意味することから、全体として「惡魔色の光の方向へ向かう」程の意味合い、及び「惡魔のような色の光へ向かう」程の意味合いを、それぞれを暗示させる。また本文が記載されているのは「港灣ミッドナイ卜」と題されたブログであり、且つ記事中の走行中の写真でありしかも白色の残光を持つものの後に配置されている。
 しかるに、本文が記載されている「港灣ミッドナイ卜」と題されたブログであることから、ただちに「あくあ」というラテン語起原による「水」の意を日本語ひらがな表記し普通に用いられる方法で横書き一段に書し、且つ「あくあいろ」つまり「水色」を意味し、且つ前記「水色」をもって「深夜」と認識するという超特大かちょーさん判断説示のごとき意味合いを直ちに認識させるものとは言い難いというのが相当である。
 そうとすれば、簡易迅速を尊ぶブ口グ上の記事の場においては、本文に接する看者は、その構成中の「惡魔」の文字部分に着目し架空の存在であるところの「惡魔」を意味し、また「いろ」の文字部分に着目し「色」を意味し、また「ひかり」の文字部分に着目し「光」を意味して、全体として「惡魔色の光へ」との意味、つまり「惡魔のヱステートの色へ向かう」との意味であるとみるのが相当である。
 してみれば、本文は、「ヱステートが水色で代表されるところの深夜走行する」を表すものとして認識され得るものではなく、全体をもって、「架空の存在であるところの惡魔のヱステートを表し、且つ特有の色を持ち、且つ残光をもって走行する」を表したものとして認識されるとみるのが相当であって、これをブ口グ記事に記載すると、「惡魔のヱステート」の識別標識としての機能を十分に果し得るものであり、また、これを記事中の発進地点の写真の後ないし走行中の写真でありしかも白色の残光を持つものの後のいずれに使用しても、「その車輛の走行風景」について誤認を生ずるおそれもないものである。
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力ヂノのおもひで

2014年11月28日 | 学術・芸術
「力ヂノがあるんだぜ」
と、超特大かちょーさん(当時ヒラ)が云つた。

色川のものを愛読してゐたこともあり、
また「見物の人」を自認するおれは「逝こうぜ」と応じた。
おんな湊町のやや猥雑さふなところにある由。

LBで逝つたかルチエデガットデシプロで逝ったかは忘れたが、
三人以上が1台に乗車していったので30Zではない。

「たしかこの辺なんだよな…」
「なんにもないぞ」
「ここのハズなんだよなあ。さうだ、この喫茶店の…」
間口二間程のちんけすとなゲーム喫茶である。
野郎3~4人はおずおずと侵入する。
いかにも安いベニヤバリの室内には、
ゲーム卓が2つほどあり、つまらなさふにぴこぴこやっている。
「この奥にあるんだ」
便所のドアがある。

「ここだ!」
「トイレぢやね?」
「ここなんだよ」
がちゃ。

うわあ。
力ヂノである。
ゴージヤスとかマンダムな氣配が充滿してゐる。
お定まりのルーレツ卜だの、黒ジャック卓だの、盆茣蓙などが用意されていて、
当然のやふにバ二ーガールや緋牡丹お龍さんなどもゐるのだ。
黒服や中盆も散見される。

交換所で現金をコマ札に交換して行われているやふだ。

絶対にヤバイ場所であって、手が出ない。
かといって誰何されることもなひ。
カタマリとなり店内を一周し、カタマリとなって便所のドアからゲーム喫茶を経て退出した。

「……」
「あれさあ。コマ札→現金への交換もしてるよね」
「そうだよな、きっと」
「ナニかあると代貸とか貸元とか出てくるよな」
「だな…」

黙つて横羽線で帰つた。

-------------
ずいぶん経って後、地元の人に聞いてみた。
「ええっ、○○(地名/忘れた)逝ったのー」
逝つてはイケナイ禁斷地帯なのださふな。
生きててよかつた。
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「あしたのジョウ」實寫版

2014年11月25日 | 学術・芸術
「あしたのジョウ」實寫版の映画見たぞ。

ありゃ束武龜井戸線小村丼駅そばの映画館だ。←とっくに閉館
町会のをばさんに引率されて行った。
賣店で森永のなんちゃらチョコ80円(タバコ様の箱入り中身4本,南京豆味)を買い、
近所の餓鬼共と見たのだ。
「嗚呼、これ一本20円だなあ。なんて今日はゼータクなんだ!!」とおもった。
萬博の頃は、これほんまにゼータクなんだよ。

一応マンガは知っていたから
(何の配慮かは知らんが、おれんちはマンガ禁止令が布告されていて主に床屋で読むのだ)
いきなり似ていない中のヒトにびくーりした。

主に感化院内の様子を描いていたな。
似てないジョウは蛇口からしたたるシズクに対してパンチの練習をしていた。

終演後、町会のをばさんの演説
「みんなも悪い事すると感化院につれてがれるよ!!」
それ作品の主旨と違うとおもひます。
これは往時みなで話し合った結論であって、つまり当時の感想そのままである。

チョコの黄色いパッケージも鮮明に覚えてゐる。
おれは「黄」の南京豆味が好きだったが、たしか4色あったはずだ。
「赤」はフツウ味。
後は忘れた。
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ジョウとヒュウマ

2014年11月25日 | 学術・芸術
なぜそーまでして戰ふのか。

当人に聞いてみやふ。
---
ジョウ
「リングでよ。世界壱の男がおれを待ってる。だから行かなきゃな」
「矢吹くん…」
「ありがとう(直前ヨーコのコクハク「好きなのよ矢吹くん、あなたが」をも受けている)」

まあ自分がやりたいからやるつーアタリマエの動機ですな。
「どーだ」つーね。
かくいいですな。

---------------
一方、ヒュウマくんはつーと。
まずは宿命のライヴァルの言
「だからぼくはだいっ嫌いでした、こんなマネは」
「(がーん)こっこれが、これがニンゲンの手ぇかいな」
予告ホームラン
  ↓
医者を呼べ等大騒ぎの後のヒュウマ
「きみが自分の身体をなげうって天下に示した夕イガース魂。その夕イガースのボウシだよ。
なんて美しい顔をしているんだ。自分の仕事をまっとうした男の美しさがここにある」
がーんがーんがーんがーんがーんがーん…
立場と役」出たあー
こりゃ往時の我が國にフィットするはずだわ。
みつるはながた2000の行動は、
日本国立場憲法
第一条「役」を果たすためには、なんでもしなくてはならない
に該当しますなあ。

以下全文掲載
日本国立場憲法
第一条「役」を果たすためには、なんでもしなくてはならない
第二条「立場」を守るためなら、なにをしても良い
第三条 人の「立場」をおびやかしてはならない

そもそも野球は「立場と役」でできている故、我が國がつおいわけだが。
ジョウは「一部の(たぶん立場のない/弱い)若者の現象」に過ぎなかったのに対し、
ヒュウマは「國民的現象」であったのも宜なるかな。

ヒュウマくんのラスト見よう。
「星くんっ」
「おれは勝つ」
「星くんやめんしゃいやめるんぢや。星くんやめんしゃい」
「おれは、勝つ」
「やめんしゃい、やめんしゃい。誰か誰かとめてくんしゃい」
ぴしっ
「キタ!! うわあああああああ」
とてーちてーとってーーー
「撃てぇ。伴っ、撃てぇ」
「どっぅおーーーーいい」
かっきーん
「レフトタカダ懸命に走っています。センターシバタも必死。追いつきそうにない。
パーフェトならずか。
あーっと抜けました抜けました。
(中略)撃ったバッ夕ーの伴は。あっ伴は、伴は。あっ」
「どおー(ばたっ)」
「しまった。
(3塁側から走り寄るおやぢ)立て、伴! 立つんぢや。立て、伴!」
「えう。ぬう」
「速く」
「どおう」
ぴゅーん
ばしっ
「アーーーウツ」

ここまでは「勝ちたい」つー気かなとおもわぬでもないが。

「3年半に亘りご好評いただきました巨人の☆は、今回で終了させていただきます。
長い間ご覧戴きまして、ありがとうございました」
つー例のがっくしキタご挨拶はさーあ、
---
第二条「立場」を守るためなら、なにをしても良い
---
でしか説明できないわけでだな。
(あのガックシ感は同時代ゲームの皆さんご存じ)

すると、前記「おれは勝つ」も、
第一条「役」を果たすためには、なんでもしなくてはならない
に該当するだけだし、
止める気のない/止められるわけない
「やめんしゃい、やめんしゃい。誰か誰かとめてくんしゃい」
の発言は、ちゃんと
第三条 人の「立場」をおびやかしてはならない
にそっている。

------------
結論
【ジョウとヒュウマ】は同時代の同時期に同一人物の原作であるが、
指向する内容がまったく異なる。

つーことですね。
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木綿の八ン力チーフ

2014年09月28日 | 学術・芸術
本稿敬称略

本作が名曲であるのは論を待たぬ。
夕ケダ先生も論じておられることからも証明できる。

職業作詞,作曲家つーのはすげえものである。
浩子さんの言を引くと「みんなの心臓をわしづかみ」するんだから。
しかも注文に応じてだ。

阿久悠の『舟唄』を引こう。
・ぬるめの燗
・あぶった烏賊
・無口な女(ひと)
・ぼんやりした明かり
以上の羅列のみで「女と別れた男」の姿を万人に浮かび上がらせる。
まさに凄腕だ。


しかし本作において、
作詞:松本隆ともあろうものがミスをしている。
尚、本作は「詞先」(歌詞が先にできていて、後から曲を付ける)である。
作曲:筒美京平は、なんにも云わなかったのかな??

本作は1-4番まである。
それぞれAメロ部分が、「ぼく」から「恋人」への往信。
サビ部分が「私」から「ぼく」への返信を表す。

1番
「恋人よ」←この呼びかけで始まる
「ぼく」は、東にある都会に汽車で旅立つ、離別の信だ。
「はなやいだ街」で「君への贈り物」を「探すつもり」だと宣言している。
「つもり」に込められたいやな予感がいいですな。
標準語で描かれていることから、都会は東京であり、
汽車で行くのだから「ぼく」の故郷は静岡県あたりではないか。
地理的には山梨県の可能性もあるが、3番の歌詞と矛盾する。

サビ
「いいえ」←この呼びかけで始まる(4番除く)
「わたし」は、特に「欲しいものはない」ので、
「都会の絵の具」に「染まら」ず速やかに帰還セヨと応じている。

2番
「恋人よ」
半年経過したが泣くな、となかなか強気だ。
「ぼく」は東京で流行している指輪を同封した。

サビ
「いいえ」
ここで第一のミスがある。
当該指輪を
「欲しいの」だと応じた直後、気が変わったらしく
「ダイヤ」や「海に眠る真珠」より、「あなたの」接吻のほうが「きらめく」のだと云う。
おかしいやんけ。

3番
「恋人よ」
現在も「素顔」で「口紅」すら用いないままでいるか、と問うた後。
ここで本作最大のミスが出てくる。
田舎にゐる頃とは
「見間違う」かのやふな
「(東京で)煤けたぼくの写真、写真」を同封したから見よと云う。
おかしいやんけ。
ここで自身がすでに煤けていると自覚しちゃったら4番が生きないだろ。
そのような己が姿を相当に見て欲しいらしく
「写真、写真」と繰り返している。
「わたし」の応答もおもろい。
そんな写真を見ているくせに、

サビ
「いいえ」
(わたしは)「二人(で)寝転ぶ」やふな「あなたが好き」であったと云う。
わけわかめ。
助詞が抜けてるゾ。
続けて、
「ビル街」には特有の「木枯らし」が吹くので気を付けろ、と云う。
まあ静岡は温暖だから。
にしてもこの時点で煤けたことに違和感をいだいていない「わたし」は、相当に鈍いよな。

4番
「恋人よ」←この呼びかけはキツイ
「君」を忘れてだな、「変わってくぼくを許して」と云う。
忘れたのにもかかわらず信はよこすのは歌謡曲等のお約束である。
東京の街角がおもろくなった故、帰還し得ない、すなわち離別の宣言を遠回しにする。
ここで「帰還しない」ではなく「帰還し得ない」とあっさり言い放つ姿は、
あくまでも傍観者的な無責任さである。
さすがに鋭い指摘だ。

サビ
「あなた」←ここのみ「あなた」である。
(わたしは)「最後のわがまま」に「涙拭く」為に用いる「木綿の八ン力チーフ」を要求する。
安い手切れ金だ。


とまあ、こーゆー歌詞であって、おかしいだろが。
不ニ家歌謡ベストテソでおそらく数十回聴いたのち、
超特大かちょーさんのバンバンルーチェ内で強制聴取させられておるから、
聴取回数100回を下回ることはあり得ない。
ずーとフシギだった。


今般、
諸般の事情で太田裕美の予習をせねばならなくなり、動画サイト等で調査した。
歌詞のテロップが出ている。
結果 、驚くべき事実が判明した。
作詞:松本隆は偉大であった。
作曲:筒美京平もすげえ。
編曲:萩田光雄,筒美京平もいいよね。
(ただし経済システムが違い編曲に印税は発生しない)
事実は以下の通り。


2番
「恋人よ」
半年経過したが泣くな、となかなか強気だ。
「ぼく」は東京で流行している指輪を同封した。

サビ
「いいえ」
当該指輪を「欲しいの」だと応じたのではなく、
「星のダイヤ」且つ/又は「海に眠る真珠」より、
「あなたの」接吻のほうが「きらめく」のだと云っておったのだ。
「星」「海に眠る」は、その後の宝石類を形容しておったのだ。
みんなの心をわしづかみだ。

3番
「恋人よ」
現在も「素顔」で「口紅」すら用いないままでいるか、と問うた後。
田舎にゐる頃とは「見間違う」かのやふな
「スーツ着たぼくの写真」を同封したから見よと云っておった。
単にたかだか
「背広」を
「写真、写真」と自慢しておるのだ。

サビ
「いいえ」
「草に寝転ぶ」やふな「あなたが好き」であったと云う。
ここで翻意を促しているのだった。
「草」と「背広」との対比がいい。
「背広」に対する、作詞家の鋭い感性が光る本作品圧巻の箇所であったのだ。


概ね40年来のナゾが解けた。

以上すべて太田裕美の舌足らずが原因である。

前記おれの誤解を見つつ聞くとおもろいよ。
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以下私信

貴殿も予習をセヨ。
こっちはブランク期間ないので曲数多いし、これといったヒット曲無いから大変だよ。
コメント (2)
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