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国を護る人々~護衛艦「さみだれ」乗艦記

2012-07-03 | 自衛隊




画像は、護衛艦「さみだれ」で、我々が紹介映像を見た会議室にかけられていた、
「東郷元帥の書」の額。
ご存じ日本海海戦のときの「各員一層奮励努力セヨ」です。

この時に見せていただいた映像は、東日本大震災での自衛隊の活動が主でした。
あの震災の後、救出活動にあたった自衛隊に対する感謝の声は圧倒的でした。
しかも、過酷な作業中、被災者に気遣って暖かいものも口にせず、入浴すら控え・・・。
文字通り身を削って黙々と任務にあたる自衛隊員たちの姿に、
思わず胸を熱くした方も多かったのではないでしょうか。



この時の説明によると、3月11日の2時46分の発災以降、防衛省に対策本部設置が20分後。
総理大臣の防衛大臣への指示が40分後。
大規模震災災害派遣命令の発令が、なんと194分後の6時です。

まあ、このあたりの管内閣の不手際も、それに次ぐ原発への対応があまりにも酷過ぎて、
これと比べると責めるにもあたらないことに思えてくるのが異常と言えば異常ですが、
このあまりの初動の遅さ。
これだけで本来ならば、総理大臣と防衛大臣は不信任案を出されるレベルです。



ところが我が海上自衛隊は、
発災後わずか11分後の14時57分に、大湊航空基地から救難ヘリ
14分後の15時に対潜哨戒ヘリ、
そして、19分後の15時4分には館山基地から救難ヘリ、
一時間以内に9機が離陸し、逐次増強していったそうです。

そして、艦船も、発災後53分後に横須賀を出航した護衛艦「さわゆき」を始め、
13日までには約60隻の艦船が現地に派遣されました。。



この下のボートの写真には、ちゃんと自衛隊旗が立てられていますね。
「スクリューにロープが絡んでも」という右下の写真は、一体誰がどうやって撮影したのか。
隊員は勿論命がけですが、これら自衛隊の活動を記録する係も、さぞ大変であったかと・・・。



浮いている漂流物を飛び越えている自衛隊員。
この写真では分かりにくいですが、隊員の胸には大きな錨のマークが付けられています。



震災二日後に漂流していた男性を助けた、ということもありましたね。
このように、初動から、救助活動の終焉までを簡単にまとめたものを、
米軍「トモダチ作戦」のことにも触れながら説明していただきました。




ところで、この地図をご覧ください。
「海賊なんていうのはお話の中でしか聞いたことが無くイメージがわかない」
などと言う失笑ものの発言をして物議を醸したのは、民主党の平田健二という議員ですが、
実際には脅威となっているソマリア沖の海賊対策のため、国際貢献の一環として
自衛隊は商船の護衛をするために、2009年に現地に派遣されました。

この「さみだれ」も、その任務にあたり、その航路はこの地図に見える通り、
沖縄―大阪間に相当する距離。
呉を出航して一カ月後、マルタ船籍の商船を追尾していた不審船に対し、「さみだれ」はソマリ語で
海上自衛隊の艦船であることを名乗り、それをやめさせています。
この他、日中国境海域でも警戒監視任務についています。

今回のシリーズに対し頂いたコメントの中にまさに現段階でもソマリアに派遣されている護衛艦
勤務自衛官の奥さんの話がありました。
マスコミは全く報じませんが、これは現在も続いているのです。



いつも非公表でブログの感想をお寄せくださる方が、少し前に、
作家の曽野綾子氏のこんな体験を教えてくれました。

曽野氏が、まだ米ソ冷戦時代に或る頃、青森方面へ取材か講演で訪れたときのことです。
取材は大湊の海上自衛隊基地でした。
うちあげに一杯飲み屋に繰り出した一行は、基地で昼間説明をした防衛責任者を呼びだしました。

ところがその方は一杯飲み屋だというのに車でやってきて「飲めない」と言う。
なぜかと不審に思った一同が問うと
「女房がわたしが酒を飲むことにうるさくて」

実はこの人はすでに胃がなかったというのです。
胃潰瘍か何かで胃を切除してしまっていたのでした。
この方は、当時のソ連潜水艦の探知・追跡の任務にあたっていました。
任務の困難さと責任感、そのストレスからこの方は胃腸を壊し、手術後は
お酒を飲むことを奥さんからかたくいましめられていたのです。



カンボジアの復興のために汗と埃にまみれて土砂を掘っている自衛隊の前に現われて
「それだけ掘って環境への影響は?」と指つきつけた辻本清美とピースボート。
北朝鮮がミサイルをこちらに向けて撃つと表明し、ミサイルが今にも飛んでくるかもと
緊張する市中に、非常事態に備えて配備された自衛隊の銃と迷彩服を見て
「子供が怯えている。銃がこちらに向けられそうで怖い」
などと真顔でで言う沖縄の人間。
また、それを嬉々として、ここぞと報道する朝日新聞。
九条さえあれば自衛隊などなくても誰も攻めて来ない、攻めてきても戦争するくらいなら
日本など占領される方がましだ、と公言する福島みずほ。

 

こういう人々でさえも、自分たちの日々の安寧は、
実はこういった任務に就く人々によって護られているという現実を、
かれらは一体どれほど認識しているのでしょうか。

ソマリアの国際貢献も、「日本には関係の無い地域」などとは言っていられません。
日本船籍の船だけではなく、護衛を依頼する外国船の数はピーク時には殺到したと言います。
こういう貢献が「日本」に対する信頼を深め、ひいては国際的な地位を高めるのですから。

前述の元大湊地方隊の防衛責任者の話ですが、曽野氏は
「こうして誰かがやらねばならぬことを黙々と果たしている人がいるということが解ったことは、
私に或る感動をもたらさずにはいられなかった」と書いています。


平和な日本の、呉の港にその艦体を休め、人々にその姿を見せてくれる護衛艦。
この護衛艦に乗り、あの震災で、そして海外の、我々がていないところで、
命がけの任務にあたってきた自衛官たちの姿は、精悍で颯爽としてはいましたが、
それ以外はあくまでも普通の人々に見えました。

そんな姿と、護衛艦にこれでもかと搭載された最新の武器の数々。
そのものものしさとの、奇妙なくらい不思議なギャップ。
何の疑問も持たず享受している日本の平和の裏側には、このような自衛官たちの働きと、
彼らを愛する彼らの肉親たちの思いがあるのだということをあらためて思います。


この稿を最終回にするつもりでしたが(笑)もう一回、あと一回だけ、
書きそびれたことなど書いてみようと思います。(やっぱり終わらなかった・・・)
今度こそ最終回に続く。











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