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自衛隊記念日・江田島オータムフェスタ〜自衛隊資料室

2019-11-03 | 自衛隊

さて、オータムフェスタに早く着きすぎてしまったわたし、
そのおかげでいつもはバスの車窓から見るだけのグラウンド南側を
歩いて(しかも芝生の上を)回ることができました。
しかしそれでも時間はまだたっぷり残っています。

となると、一階に売店のある江田島クラブに行くくらいしかありません。

普通の自衛隊ショップにもないようなグッズを探すのもまた楽しいものです。
幹部候補生学校では昔と同じく陸戦訓練も行いますが、それに必要な
陸自的装備もここで調達することができます。

足ゴムとか弾帯止め(100円って安っ)など、どう使うのか想像できないものも。

ちなみに幹部候補生学校の陸戦訓練は専用のフィールドで行うそうです。

江田島を訪れた時の故菅原文太、小西博之の写真あり。

この売店、模型も飾ってあります。
小型潜水艇を搭載している伊号16潜水艦出撃の図です。

前回、術科学校グラウンドに展示されているヘッジホッグの話が出ましたが、
伊16はまさに米海軍の駆逐艦「イングランド」から5回にわたって投下された
24発ずつのヘッジホッグによってソロモン諸島で戦没しています。

力作です。
坊ノ岬沖海戦、天一号作戦に出撃する「大和」艦隊。

輪形陣と呼ばれる艦隊配列ですが、若干駆逐艦の数が足りてません。

第一術科学校の見学コースは毎日3回(祝祭日は4回)
行われており、所要時間は1時間半。
大講堂、教育参考館だけでなく、不定期に今では
表桟橋と陸奥の砲塔を見せてくれる日もあるようですが、
一般コースでは見られない建物や施設、碑など、
写真が江田島クラブの一階に展示してあります。

「海軍兵学校の碑」

「赤城戦死者の碑」

「従道小学校記念碑」

はわたしもまだ見たことがありません。

「水交館」「高松記念館」は見学しましたが写真公開不可。
「理化学講堂」も向かいの学生舎から中を覗き込んだことはありますが、
まだ実際に中に入ったことはありません。

ところで理化学講堂には「出る」という噂が絶えず、ついにクレーム?が出たので
当時の幹候学校長が神職に御祓してもらって今はもう大丈夫なんだそうです。

しかし、これだけ色々と歴史を重ねた(しかも何かと出る要素が多そうな)
江田島のなかで、どうして理化学講堂だけが問題となったのか不思議。

 

さて、売店を見終わったあと、自衛隊資料室があるのに気がつきました。
いつの間にか江田島クラブ二階に開設されていたのです。

階段を上がっていくと、海上自衛隊出身の宇宙飛行士、
金井宣茂「軍医大尉」のポスターがありました。
潜水医官から宇宙飛行士を目指し、平成29年、ソユーズに乗り込み、
長期滞在を終えて昨年無事帰還してきたことが報じられましたね。

金井氏は医官として7年間務めてきましたが、自衛隊呉病院と、
ここ第一術科学校の衛生課での勤務の経験もあるということです。

ところでアメリカの場合、軍人が宇宙飛行士になっても軍籍はそのままですが、
自衛隊の場合それができないので、金井氏は宇宙飛行士採用と同時に退官しました。

しかし、NASAは金井飛行士をアメリカ人宇宙飛行士の例に倣い、公式にも
「大尉(Lieutenant)」の称号で呼び、軍人として扱っていたということです。

ポスターのISS 54/55は、国際宇宙ステーション第54次・55次滞在を意味します。

史料館には第一術科学校のジオラマが展示されていました。
江田内を大護衛艦隊が航行していますが練習艦隊にしては多すぎるような。

一般公開に来る人のために作られたジオラマなので、一般見学コースを
紅白のラインで示し、自分がどこを歩いてきたかわかりやすく示しています。

展示室入口には、昔当ブログで希望者に送らせていただいた、
兵学校と幹部候補生学校の今昔写真集

「伝統の継承」

のページが展示してあります。
兵学校の写真は1943年、カメラマンの真継不二夫氏が、
幹部候補生学校は真継氏の娘美沙さんが手掛けました。

起床、食事、教務、実習、点検、短艇、遠泳・・。

兵学校時代と幹部候補生学校、今昔の写真を見比べると、
海の武人としての教育は時が移り変わっても変わることがない、
ということをあらためて思います。

10分の1サイズのエアークッション艇模型です。
なんと第二代LCAC艇隊の隊長だった町田三佐が、隊員の教育用に

段ボールだけで

制作したという超力作です。
教育用って、これ絶対町田三佐の趣味だろっていう。

説明をそのまま書いておくと、

「輸送艦『おおすみ型』に搭載して運用する
ホバークラフト型の輸送艇。
通常は第一エアークッション艇隊に所属し、整備・訓練を実施、
輸送艦が運行する際に2隻搭載され任務にあたる。

輸送艦後部ランプを開いて発進、エアークッション艇なので上陸地の
地質などにあまり影響を受けずに揚陸できる。

最大速力40KT、陸自の90式戦車2両、人員約30名、
重量にして約50トンの積載能力がある」

90式が2両運べるって凄すぎない?
本当に訓練で戦車を載せたことはあるんでしょうか。

どちらも教練用の弾薬砲(3インチと5インチ)です。
中にカプセルみたいなものがぎっしりと詰まっています。

「対空戦コーナー」として、冷戦時、対艦ミサイルから身を守るため、
砲や対空ミサイルなどの武器をシステム化することにより、自動的に
迅速、かつ正確な防御がおこなえるようにした、という説明とともに、
シースパローミサイルが展示してあります。

 

こちらにあるのはM2444魚雷(展示用)。
哨戒機やヘリが行う対潜戦について、

捜索・探知 (ソナーなどによる)

攻撃(魚雷、ロケット型飛翔魚雷による

などの説明付き。

対潜戦で用いられるソノブイ。使い捨てです。
P-3Cなどから投下し、海中でマイク(左下の黒いの)から
潜水艦の音をとらえ存在を航空機に伝達します。

最深70mまで潜水可能な潜水服。
錘が入っているらしい靴が凄まじいですね。

ここで使われていたようなのですが、平成12年度教育終了、とあります。

右側にあるのは米軍の使用していた昔の潜水ヘッドです。
ヘッドギアの横と上部にどちらも視界を確保するための窓があります。

ペルシャ湾の掃海派遣で海上自衛隊の掃海部隊が破壊した機雷。
機雷の上に置かれたプレートには

「誇り高きペルシャ湾の勇者に

1991.6.5~9.11

掃海派遣部隊」

と刻まれています。

 モールス号表の下に置かれた練習用の電鍵。

この説明には

1985年にマルコーニが無線通信装置を実用化」

とありますが、これはもちろん1895年の間違いです。

ながらくモールス信号は無線通信の中心でしたが、昨今は通信衛星、
そしてデジタル技術の発達によってその座を退きました。

船舶における通信手段も通信衛星が登場したため、日本では1990年代に
モールス通信は廃止されています。

ただし、アマチュア無線、漁業無線、そして自衛隊では現在も
モールス符号を使った通信が行われています。

第一術科学校ではここにあるのと同じ電鍵を用いて
通信技術の研鑽が日々行われているということです(-人-)

アネロイド気圧計
電源を用いず、真空の容器が外気圧との差で伸縮する動きを
針に変換して気圧を表示します。

水銀(液体)を用いた気圧計に対し、こちらは
液体(ネロイド)がない(ア)というギリシャ語からきた名称です。

右は

「通信制限付き 船舶時計」

で、色がついている秒に針があるとき、特定の周波数の電波を
使ってはいけない、と規制する意味があります。

遭難信号が確実に受信されることを目的としています。

左はおなじみ信号ラッパ
ご存知とは思いますが、ドミソ三種類、ドソドミソ5音しか音が出ません。
この三音を組み合わせた曲で、自衛隊は号令を伝えます。

右は天測を行うために使う六分儀です。
天体の高さをはかることで現在位置を知ります。

操舵磁気羅針儀(マグネットコンパス)、操舵装置、テレグラフ
自衛艦の外に設置されている速力信号標、そして艦長席、司令官席。

このコーナーには「ゆき」型の艦橋が再現されていて、
今本艦が航行しているのは音戸の瀬戸だと思われます。

自衛艦見学で舷側を歩いているとよく目にするこの赤いパイプの
正式名称を初めて知りました。

アプリケーターといって、先端の孔から低速の霧が噴霧され、
消火活動時に人員を防護したり、甲板や外板の冷却をするとき、
ノズルの先に取り付けて使用します。

「たちかぜ」型の2番艦、「あさかぜ」の時鐘と艦名プレート。
「あしがら」の就役と同時に除籍され、2010年に廃艦になりました。

昭和30年度計画で建造された「あやなみ」型のネームシップです。
術科学校校庭に展示してあったヘッジホッグを搭載しています。

ヘッジホッグ。艦橋の前に設置されていたんですね。

昔の護衛艦は甲板の真ん中に魚雷を積んでいたと_φ(・_・

観艦式の訓練展示では必ずミサイル艇のIRデコイ発射を行います。
水の噴水みたいで今回これが見られなかったのも残念でしたが、
そのミサイル艇「はやぶさ」「おおたか」「くまたか」の先輩、
ミサイル艇1号「わかたか」の模型がありました。

ミサイル艇って、転倒防止に水中にこんな脚を伸ばしていたんですね。

 

ここの説明で初めて知ったのですが、ミサイル艇は、
北海道沿岸の対艦ミサイルを搭載する「外国艦」に対抗するため、
魚雷艇の後継として建造されたのだそうです。

そして驚いてはいけない、この30分の1模型を制作したのも、
あの町田三佐なのだそうです。

クッション艇を制作したのは「隊員の教育用」だったようですが、
この模型はもう退官されたらしい町田元三佐が、この展示室のために
「余暇を利用して」(←わざわざ書く必要あるかな)作製したものです。

しかし、これだけ力作を提供してくれたのだから、「町田三佐」の
フルネームをせめてちゃんと掲示すべきと思うのはわたしだけ?

今年の呉地方総監部における自衛隊記念日では、呉海自カレーが
感状を授与されていましたが、このアイデアは、海上自衛隊にとって
多大な広報効果があったことは間違いありません。

右下はいまでも自衛艦内の隊員食堂で使われている食器ですが、
初期のカレースタンプラリーでは全カレー制覇したらこのトレイを
プレゼントにもらえる、という企画でした。

わたしはゴルフ場の中や離島のレストランまでカレーを食べに行き、
見事これをゲットしたという奇特な方を知っています。

 

 

江田島クラブの入り口にあった自衛隊音楽まつりのポスターと、
てつのくじらをフューチャーした呉市観光ポスター。

音楽まつり、今年は武道館が工事中なので代々木体育館で行うんですね。


さて、というわけですっかり充実した時間潰しが終わったので、
まだ少し早いですが、控室に戻ることにします。

 

続く。


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5 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
ィー16潜 (お節介船屋)
2019-11-03 14:22:40
旗艦設備、水偵航空機搭載設備のない丙型で雷装設備強化型でした。同型16,18,20,22,24の5隻で開戦時の真珠湾攻撃の甲標的を発進させました。ィー16は横山艇でしたが、17年5月にもディゴスイワレスで岩瀬艇を発進しています。三菱神戸で建造されましたが進水後、曳航、昭和15年呉工廠で艤装完成されました。昭和19年5月19日ブイン沖で駆逐艦イングランドのヘッジホッグ攻撃を受け戦没
要目
排水量水上2,184トン、水中3,561トン、全長109.3m、幅9.1m、吃水3.54m、ディーゼル2基、2軸、12,400馬力水上、水中2,000馬力、速力水上23.6kt、水中8kt、兵装14㎝40口径単装砲1基、25㎜連装機銃1基、53㎝魚雷発射管8門艦首、魚雷20本、安全潜航深度100m、乗員95名
参照光人社「写真日本の軍艦、潜水艦」、海人社「世界の艦船」No469

ミサイル艇「1」号型
イタリアのスパヴィエロ艇をベースに住友重機械工業浦賀工場で設計建造されました。
米海軍が開発した全没式の水中翼で浮き上がり高速航行しますが翼のフラップで姿勢制御します。ただ重量や重心の位置の管理が難しく、陸上支援車両とともに行動するため、任務が限られ、汎用性はあまりありませんでした。
平成5年に2隻、7年に1隻計3隻が建造され、余市に配備、大湊に整備工場を建て活動、平成20年2隻、22年1隻除籍されました。数を揃える予定もあったようですが?

この写真模型の状態はフォイルボーン状態で翼で滑走となっていますが海面航行時は前翼が船首が割れて前に跳ね上げ、後翼は左右舷に折れ曲げて跳ね上げられます。
要目
基準排水量50トン、アルミ、全長21.8m、幅7m、ハルボーン時吃水1.4m、ガスタービン1基、1軸、4,000馬力、46kt、兵装90式SSM連装発射筒2基、20㎜多銃身機銃1基、乗員11名
参照海人社「世界の艦船」No869

予算面の制約から何度もミサイル艇が計画だおれとなっていましたがイタリアと日本では気候上も地理的にも違い、過少すぎて「はやぶさ」型となっていきましたが双胴型も考えられました。北朝鮮工作船の事案が平成11年に起き、「はやぶさ」型も不審船対処能力を求められ、速力アップ、防弾対策等で船価上昇となり、6隻建造で終了となり、今後は考慮されていません。
魚雷艇、ミサイル艇ともに舟艇分野は技術面ではないものに翻弄され、日本では大勢しない船のようです。ただボーイング開発の川崎重工業のジェットフォイル艇は韓国、佐渡、伊豆航路に長く使用され、建造しない時期が長かったのですが代替船建造中です。川重で量産となるかまだ疑問ですが?
返信する
秘められた積載能力? (Coral)
2019-11-03 15:28:28
エリス中尉

>最大速力40KT、陸自の90式戦車2両、人員約30名、重量にして約50トンの積載能力がある」

90式戦車は50トンを超えるので2両を積載できるということは、きっと秘められた積載能力があるに違いない(笑)
返信する
諸々 (Unknown)
2019-11-03 16:55:37
>幹部候補生学校の陸戦訓練は専用のフィールドで行うそうです。

フィールドって言うと、おしゃれですね(笑)ただの野原です。

>ところで理化学講堂には「出る」という噂が絶えず

80年代には現役(体育教官室)で「出る」という話はありませんでした。都市伝説?

>どちらも教練用の弾薬砲(3インチと5インチ)です。中にカプセルみたいなものがぎっしりと詰まっています。

カプセルのようなものは「発射薬」(火薬)です。これに点火し、その爆発力で弾丸が飛びます。

>実用頭部

頭部とは弾頭のことで、実用は実弾。訓練頭部だと訓練弾です。

>ミサイル艇って、転倒防止に水中にこんな脚を伸ばしていたんですね。

今の「はやぶさ」型ミサイル艇はウォータージェットですが、その前のこの模型の「1号」型は水中翼船でした。停泊中は上げますが、出港時にこのアームを降ろして、プロペラを回して走っていました。イタリアの設計で、日本海には馴染まず(破損が多かった)早期に除籍となりました。模型を見れば一目瞭然ですが、小さいので、隊司令部は乗艦出来ませんでした。そのため、何と隊司令部用の車両(!)があり、部隊が展開する際には、クルマで付いて行ってました(驚)

>昔の護衛艦は甲板の真ん中に魚雷を積んでいたと_φ(・_・

この発射管に入っているのは対艦魚雷(戦前の駆逐艦にあったのと同じもの)で、後部オランダ坂下の小さい4つある円筒形のものが今の船にもある短魚雷(対潜魚雷)です。これは落射機でポチャッと落とすだけでした。
返信する
エアークッション艇 (お節介船屋)
2019-11-04 10:35:39
米海軍で1984年から就役し91隻が建造されたLCACとほぼ同型で平成10年から15年にかけて6隻就役しました。米国からの輸入で機銃の架台は取り付けていません。輸送艦の搭載艇との位置付で当初はホーバークラフトの建造実績のある三井造船で建造の話がありましたが諸般の事情と言われる価格と政治?等で輸入となりましたがベル・エアロスペースでの生産が終了しており、テキストロンで新たに生産ラインを立ち上げての製造となり国産と価格面での相違は無かったのではないかと思われます。ましてや整備や維持を考えれば、部品の調達の煩雑さや供給期間の長さ(米海軍と競合すれば長期に待たされる)、操縦等運用者や整備員の留米も必要でした。
オンクッションや搭載重量のためアルミ構造でペイント重量や巻き上げる砂で塗料が剥げる事象もあるため無塗装となっていますので腐食対策等メンテナンスが重要です。ガスタービン機関をリフト・ファン用に2基、推進用シュラウド・エアスクリューで2基等の厳しいFOD対策等航空機と同様の整備が必要です。
米海軍は東、西海岸にそれぞれLCAC運用整備隊がありここでの整備が終了した艇を強襲揚陸艦等に搭載し、使用終了でまたこの部隊に返し整備するとの運用であり、現在でも約70隻をローテーションさせていると思います。なお佐世保にも派遣隊があり、佐世保事実上の母港の揚陸艦用に陸上基地があり、海自以上の隻数があるようですが、強襲揚陸艦も交代させますので「ワスプ」が「アメリカ」に交代となれば「アメリカ」はドックがなく航空機オンリーですので、LCACはドック型輸送揚陸艦グリーン・ベイ」1隻用のみとなってしまいます。

海自は搭載艇扱いでしたが平成16年艦艇に格上げし、第1輸送隊隷下の第1エアクッション艇隊を編成し、同様のやり方としたようですがローテーションを組める隻数ではなく、効果的ではないようです。

整備は呉造修補給所工作部エアクッション艇整備科が江田島飛渡瀬にありますが発足当初からしばらくの間住民からの騒音クレーム対処でオンクッション航行せず、曳船で曳航し、走行クレーンで陸揚げ、整備とされていました。立派なすべりがありますが。
また試運転も大きな消音建屋内で実施となっていました。
立地条件は右隣が船の解体業の古沢鋼材、左隣が民間石油基地で背後は旧海軍廃棄地下石油タンク上の畑で住民はあまりいない状況でしたが。
現在は了承を得たのか呉湾内での輸送艦搭載時、オンクッションで航行しているのが散見されます。

艦齢予定は20年前後と考えられてましたが次世代の艇がアメリカでの難産でなかなか完成しないので海自も平成23年から艦齢延伸工事が実施されています。
米海軍ではSSCと呼ばれる次世代艇を開発中であり、日本ではホーバークラフトも大分空港用が最後で相当前に消滅しましたし後継艇は海自もこの艇が採用されるものと思われます。

要目
基準排水量100トン、満載排水量180トン、全長26.8mオンクッション時、幅14.3mオンクッション時、吃水1.0mハルボーン時、ガスタービン4基、2軸、16,000馬力、満載速力40kt、乗員6名
搭載量は通常60トン、過搭載75トン可能となっており、1両50トンの90戦車2両は無理と思います。米軍でもM-1戦車は1両のみです。なお人員輸送時は人員用のコンテナを搭載設置し、コンテナ内乗艇となります。車両甲板は全通で前後にランプがあり、どちらからも搭載、揚陸可能です。
参照海人社「世界の艦船」No869。873

上記の記述したように結構の問題を抱えて
本艇を良く整備し、海外派遣を含め災害派遣や訓練に多くの頻度で運用していると思います。船屋としては環境は良くない状況で塩分の多いのに無塗装の船体でガスタービンや航空機のような操縦装置等を多少は水洗い出来るでしょうが輸送艦のドック内で保管され、整備も制約があるなか速運用は褒められるべきでしょう。
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ミサイル艇「1」号型と「はやぶさ」型の推進 (お節介船屋)
2019-11-05 17:13:59
ハルボーン時航走は艇尾の中心線にある船外機を水中に下ろし、プロペラ推進しますが数ノットしか発揮出来ません。

水中翼を下ろし、後翼の下部、前方の吸入口から海水を取り込み、艇内で圧縮し、後翼下部後方の吐出し口から海水を勢い良く吹き出し、速力を徐々に上げ、ハルボーン状態から徐々に浮き上がり、翼だけのフォイルボーン状態へ移行し、抵抗が減るため高速発揮となり船体を内側傾ける事で進路変更します。 ウオータージェット方式です。

これもウオータージェット方式の「はやぶさ」型は船体下部前方から海水を取り入れ、艇尾下端にあるノズルから噴出するのでこのノズルの向きを変え、進路変更します。デイープV型船底である程度吃水がありますが高速では滑走状態となりますので波の状況により相当の上下動となり、椅子に人体を固定してもきつい状態です。こちらも重量管理を厳しくしないと高速力発揮が難しくなります。

高速舟艇の宿命ですが機関の良し悪し、重量の増加で高速発揮が簡単に出来なくなります。また重量軽減のため、ほぼアルミ構造ですが波叩きや上下動で船体に亀裂が入ったりで船体屋泣かせです。
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