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祝砲と東京湾海堡〜平成27年自衛隊観艦式

2015-10-31 | 自衛隊

終了後1週間にわたってお届けしてきた自衛隊観艦式参加記、
「ちょうかい」もようやく木更津港に帰ってきました。
全てが終わりただ入港を待つだけの時間というのは、2回の予行のときには気付かない
「祭りの後」の切なさを感じずに入られません。

しかし、その前に、少し時間を巻き戻して、浦賀水道に入る前からもう一度。




ずいぶん巻き戻ってしまいましたが、これは安倍首相が訓辞を終え、
「くらま」から防衛相、財務相とともに飛び立つ前です。
今から着艦して安倍首相らを乗せ、まず「いずも」、その後「ロナルド・レーガン」に
座乗し、戦闘機の座席で写真を撮ったわけですね。

現職首相が米空母に乗艦するのはもちろん初めてのことです。

 

要人を乗せて発艦するヘリを見守るように、海上保安庁の巡視艇が警戒しています。
警備のための海保船は2隻配備されていました。



というわけで、遠くからでもホッとした空気の漂う、首相下艦後の「くらま」。
ずっと「ちょうかい」と並行するように航行しながら横須賀に帰投しました。 

さて、関越を終えた観艦式参加艦艇部隊が三浦半島の観音崎を通過したときです。



艦内アナウンスがあり、祝砲が観音崎で撃たれることが告げられました。
わたしは艦橋の窓から極限まで望遠でズームしてこんな画像を撮りましたが、
周りの人々はあまりにも遠いせいか、あまり気づいていなかった様子。
音も全く聞こえませんから無理はありません。



白い煙がこのように何度となく立ち上ってはたなびく様子が繰り返されましたが、
礼砲は21発撃たれたということでした。
礼砲の数というのはそこにいる「権威者」の位によって変わりますが、
21発というのは最高数で、国旗、元首、皇族に対して行われます。

「くらま」に対して祝砲が撃たれたので、並行して航行している「ちょうかい」からは
真横でそれをみることができたわけですが、果たしてそのとき首相はまだ乗ってたっけ?



ところでどうして観音崎で祝砲が撃たれるかなんですが、この理由はおそらくですが、
旧海軍からの名残ではなかったかと推測されます。

皆さんは「東京湾要塞」という言葉を聞いたことがありますか?



今回の観艦式の航行中にも見ることができる、この遺跡は
日本が海軍を持ってすぐに明治年間から建設が始まり、30年をかけて
大正年間に完成した人工島に築かれた「東京海堡(とうきょうかいほ)」という
要塞のための施設だったものです。

日本を要塞化するにあたり、山県有朋が提唱して東京湾には三つの海堡が建設されました。
これはそのうちの「第二海堡」と呼ばれるもので、1914年に完成しました。
艦隊が浦賀水道に入るとかならず見ることができるこの遺跡は、
浦賀水道と内湾の北側境界に位置していて、建造当初は兵舎や砲台が建設され、
第一、第三海堡、そして自然の島である「猿島」とともに防衛線の一角として運用されていました。



グーグルマップからキャプチャした第二海堡の鳥瞰図。
面積は41,000㎡といいますから、かなり大きなものです。
大正年間に完成したというのにこの完璧なフォルム、今更日本の土木技術力が
当時世界レベルであったことが窺えます。

第二海堡は1923年の関東大震災で壊れたため除籍されてそのままでしたが、
海軍が大戦中には砲台を建設し、潜水艦の防潜網が張られていたそうです。

しかし、敗戦後、米軍は日本軍の軍事力を無力化するために、
第一海堡、第二海堡ともに
爆破処理してしまいました。



現在の様子を見る限り、灯台はもちろん、工事用の車両らしき姿も見えます。

これは護岸の整備工事だそうで、地震などによって海底に土砂が流れ出した場合、
ただでさえ8〜12mの水深しかないこの海域が、さらに浅くなってしまうからです。

つまりこの三つの海堡と、東京湾を望む高台に設えられた砲台は、
「敵が首都に攻めてくるときには海からやってくる」という思想の元に
計画設計された「東京要塞」だったわけですが、大戦末期には敵の攻撃は
その全てが硫黄島やグアム・サイパンを基地とする航空機となったわけですから、
事実上これらの要塞は、帝都防衛の任を負うにも、全く無力だったということになります。


ところで皆さん、思いませんか?
浦賀水道というのは「海の銀座のようなもの」と艦内の観光案内アナウンスでも
そう言っていたくらい、輻輳の甚だしい「海の難所」です。
そんなところに、なぜ未だに遺跡とはいえ二つの海堡がまだ残されているのか。

第三海堡というのはかつて観音崎沖にありました。
観音崎はこの写真を見ていただいてもわかるように、結構な高度のある崖で、
当然観音崎沖というのは水深も深く、約39mだそうです。

そこに海堡を造ったのですから、工事は難航し、完成まで30年を要しました。


しかも、完成直後、関東大震災に見舞われ、4.8mも沈下してしまったため、
以降は大東亜戦争中も全く使われていないままでした。

この名残が浦賀銀座の輻輳部分にあれば、当然ながら海難事故の原因になるとして、

船舶関係者となぜか石原慎太郎が撤去を強く要請していたのですが、
第3海堡にに関しては、2000年から7年がかりの工事で撤去が完了しました。

引き揚げられた構造物は、漁礁として海に投機されたり、遺跡として
公園に移送されたり(うみかぜ公園にある旧第三海堡兵舎)したそうです。


第一、第二海堡についても、船舶関係者となぜか石原慎太郎は撤去を主張しているそうですが、
この部分の海深が浅すぎて、たとえ撤去しても大型船通行のためにはさらなる浚渫が必要ですし、
そもそも海堡そのものがあまりにも堅牢に建設されていて、
撤去するのは無理かもしれないということで、未だにそのままになっているのです。


この時代、このような人工島と堅牢な海堡を作る技術とはどのようなものであったのか、
現在も第三海堡の遺跡を引き揚げて研究が行われているそうで・・・・


なんかすごい話ですね。



第二海保の護岸工事の様子がよく分かるショット。
現在、ここは灯台と、消防庁の演習場となっており、今後も存続される予定です。


で、話を戻しますが、観音崎、ここにはかつての砲台跡が残されています。

観音崎砲台跡

東京湾要塞というのは、そもそも清国の北洋艦隊から帝都を守るため考案されました。
北洋艦隊ったら、「まだ沈まずや定遠は」の定遠とか、「鎮遠」なんて戦艦のあれですよ。

日清戦争が終わり、すぐに対象はロシア太平洋艦隊になるわけですが、このころの戦というのは

我が方の「旅順港閉塞作戦」がロシア陸軍の旅順砲台の前に失敗に終わったことを見るまでもなく、
砲台というのが要地防御にとって大きな戦力となっていたのです。

というわけで、日本政府は浦賀水道を通ってくる(しかない)敵を想定して、
それはそれはたくさんの砲台を建設しています。


横須賀軍港周辺には

夏島、笹山、箱崎、波島、米ヶ浜、猿島。

に、いずれも砲台が造られていました。
このうち猿島砲台は周囲わずか1.6kmの自然島にあった要塞で、
近年この島に国が「猿島公園」として海水浴場などを作り、
要塞跡は国の史跡として指定されています。

仮面ライダーシリーズではショッカーの基地になっていたそうです。
うーん、ショッカーの野望って、世界征服だったという記憶があるのですが、
こんなところに要塞を持っても、せいぜい日本を侵略するのが精一杯だと思う。

しかし、ここ、一度行ってみたいわねえ・・・と思ったら
こんなのがあったぞ。

すかたび 秋の猿島ツァー

おおお!これ、当ブログ的には一度取材するべき?
 それはともかく、 東京要塞で砲台が作られたのは横須賀だけはありません。

房総半島には第一、第二海堡以外にも

  • 富津元洲堡塁砲台
  • 金谷砲台
  • 大房岬砲台
  • 洲崎第一砲台
  • 洲崎第二砲台


館山海軍航空隊も、房総半島の「東京要塞」の一環として作られました。

また三浦半島には、
 

  • 城ヶ島砲台
  • 千駄崎砲台
  • 千代ヶ崎砲台 - 国の史跡
  • 観音崎砲台
  • 三崎砲台
  • 剱崎砲台

その他弾薬庫などがあったそうです。


それではこの日、祝砲は観音崎のどこから発砲されたのでしょうか。



それらしいところをグーグルマップで探してみると、ありました。
海上自衛隊観音崎警備所が。

望遠レンズで捉えた写真に見える観音崎の灯台はこの写真の上側にあります。
これこそが「東京湾交通センター」通称「東京マーチス」なんだって知ってました?

それを考えると、祝砲は、 明らかにこの警備所より山頂に近いところで上げられているような。



この山麓の真ん中辺になんか広場みたいなのがあるぞ。



ここじゃないのかな、と思ったけど、どうやらここは公園の一部みたい。
まさかいくら人がいないといっても公園では祝砲撃たないですよね。


もう一度確認してみると、マーチスの建物と灯台の位置から見て、





ここではないかと思います。
といっても誰にも正解はわからないかもしれません(笑)


未だに観艦式の時にここで祝砲が撃たれるのは、日本で祝砲の撃てるのが
ここだけだから、という説がありました。

かつてこの近海で行われた何度かの帝国海軍の観艦式において、
東京湾周囲にある数ある砲台の中、ここで祝砲が発射されていたから、
とわたしは想像したのですが、もしこのことをご存知の
関係者の方がおられたら、
ぜひこの二点についてご教示いただけると幸いです。



というわけで思わぬ寄り道をしてしまいましたが、次回、平成27年自衛隊観艦式シリーズ、
本当に本当の最終回。





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10 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
ファンシードリル (ハーロック三世)
2015-11-01 19:00:27
今年の開校祭で儀仗隊のファンシードリルが無いのは、音楽祭りに参加するためだそうです。

防衛大の儀仗隊は自衛隊のイベント最優先で参加しますので、開校祭よりも音楽祭です。
儀仗隊については、この方のブログが詳しいです。
http://blogs.yahoo.co.jp/denki_rhythm/20519021.html
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開校祭のファンシードリル (Coral)
2015-11-01 18:06:23
エリス中尉

防衛大学校儀仗隊が開校祭でファンシードリルを行わない理由はファンシードリルを演ずる開校祭の2日目(日曜日)が音楽まつりの最終日(日曜日)と重なったため音楽まつりへの出演を優先した結果でしょう。

因みに昨年まで音楽まつりの最終日は土曜日でした。従来2日間で実施していた音楽まつりは昨年から3日間実施するようになりました。そして今年は最終日が日曜日になりましたのでアンケート結果を反映して見直した、というようなことかなと思います。

開校祭より音楽まつりを優先した理由は分かりませんが、勝手に推測するとPR度を考慮した、出演し甲斐がある(3日間出演できる)方を選んだ、というよなことかもしれません。
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オットーメララ (雷蔵)
2015-11-01 17:31:21
単発発射出来ないので、かしまの礼砲と同じ40ミリに換装?
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皆様 (エリス中尉)
2015-11-01 17:07:28
雷蔵さん、coralさん
70年前のものでもシンプルな作りであればお手入れしてちゃんと使えるんですね。
祝砲を撃っている様子、なんかレトロで、このあいだの映像とは思えません。
いいものを見せていただきました。

砲音が聞こえなかったのは、わたしが艦橋の窓越しに見ていたからで、
もし外にいたら聞けたかもしれません。

平賀工廠さん
流鏑馬、ぜひ見てみたいものだと思い調べてみたら、11月3日ですね。
うーん・・・・行きたい・・・けど物理的に無理になってしまいました。
防大に行くかどうかも音楽まつりのチケットが何日になるか次第ですね。
同じ日だとさすがにこちらも物理的に無理です。
ところで儀仗隊のファンシードリル、どうしてなくなったんでしょう。
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ほんとだー! (エリス中尉)
2015-11-01 16:56:51
coralさんありがとうございます!
ちゃんと今回の祝砲発射をYouTubeにあげた人がいたんですね。
肘から先だけで発射、てー!をしている海曹、貫禄ありますね。

わたしが見当をつけた馬蹄形のは砲台の「遺構」だったのか・・・。惜しい。
言われてみてたしかに目をこらすと(笑)砲が見えてきました。
ここにその度に運んでくるのではなく、据え付けてあったとは!

ここから祝砲を打つのが海軍時代の慣習であったから、と仮定してみたのですが、
考えたら自分でも書いているように東京湾沿いにはたくさん砲台があったので、
「今残されているのがここだけだから」という理由でしょうねえ。
得心いたしました。

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76ミリ砲 (Coral)
2015-11-01 10:51:10
雷蔵様

祝砲の3インチ砲はMk22で米軍から供与されたタコマ級哨戒フリゲート、つまりくす型護衛艦から撤去され1962年に設置されたものだそうです。フリゲートの建造は大戦中で70年以上たっているということになります。単純な機械ものはもほんとに長持ちするんですね。
もっとも外国の賓客が船で来訪する時代でもないので使用頻度も少なく手入れが行き届いているからなのでしょう。

仮にこれが使用できなくなると次候補は半自動で礼砲のイメージに欠けますが62口径76mm速射砲(オート・メラーラ 76mm砲)でしょうか。実際の発射時には砲煙は見えても砲音は聞こえなかったとコメントがありますし、まして砲自体は見えるはずもなく砲煙が出れば何でもいいかもしれませんが(笑)、やはり品格も必要かと思います。
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11月の自衛隊イベント (平賀工廠)
2015-11-01 08:54:39
http://blogs.yahoo.co.jp/gonana180/34759942.html

エリス中尉

詳細な観艦式レポートありがとうございます。祝砲はアナウンスはありましたが、実際は見えませんでした。そのほか私が見られなかったシーンがたくさんありました。ありがとうございました。

11月も入間、自衛隊音楽まつり(14日に申し込んでありますが)、防大祭(今年はドリル展示がないらしいですが)と連続しますね。

私は背骨骨折後の身ですから、とても入間の混雑は行けません。そのかわりに明治神宮例祭の流鏑馬を見に行ってます。
背景が森で、人工物がない流鏑馬はここだけでしょう。1頭だけサラブレッドが出ますが、ダントツのスピードで、射手の弓の操作が遅れ勝ちです。
中尉は乗馬もされていたので、一度はこの華麗な衣装と勇壮な流鏑馬をご覧になることをお勧めします。

http://blogs.yahoo.co.jp/gonana180/34759942.html


音楽まつり。もう券は発送されたのかな?
観艦式もぎりぎり速達できたからな。
(淡い期待)
返信する
祝砲 (雷蔵)
2015-11-01 05:00:33
Coralさんの動画を拝見しましたが、砲手が旋回俯仰を調整するハンドル付!

海軍から引き継いだものでしょうかね。今、あんなにシンプルな76ミリ砲はありません。物持ちいいですね!
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東京湾要塞! (佳太郎)
2015-11-01 00:17:29
TOKIOが上陸していましたね。レンガの積み方についてああだこうだ言っていたのはさすがTOKIOでした(笑)
今度は猿島のレポートですかね?船は三笠の近くから出ていたと思います。この前、三笠からあれが猿島かと思いつつ眺めておりました。
離れたところから聞く礼砲は聞こえませんでしたか。礼砲ではないですがすごく近い所で空砲の音を聞きましたが発射の瞬間、発射の熱で顔が熱くなりましたし、耳は痛くなりますし、近くの子供は泣きだすとすごい光景でした。そのような礼砲も離れると全く聞こえないのですね。
返信する
礼砲発射位置 (Coral)
2015-10-31 23:48:05
エリス中尉

私なら、礼砲を撃った位置は観音崎警備所の辺り、で納得です(笑)が詳しくお知りになりたいようですのでコメントします。

残念ながら中尉の写真の〇の位置は旧第三砲台跡で写真の右上の斜めの長方形のところが礼砲を撃った砲ある位置です。
その中の丸い3箇所、鮮明ではありませんが目を凝らすとなんだか砲座と砲身に見えませんか?

見えなかったらしようがないので下記を見てください。

【自衛隊観艦式】 平成27年度自衛隊観艦式 礼砲発射 ~海上自衛隊~
https://www.youtube.com/watch?v=mKMEmjEM-DE

(ダメ押しで)
東京湾要塞 観音崎砲台(旧第三砲台)
http://yakumo1100.blog.fc2.com/blog-entry-525.html

ところで、旧第三砲台があったのは明治17年から26年です。

因みに旧第三砲台は明治26年に廃止、第四、第五砲台の名称は第三、第四砲台に繰り上げ改称されています。

この間日本海軍の観艦式は明治23年に神戸沖で開催されたのみです。

ということでこの砲台から日本海軍の観艦式で礼砲が撃たれたことは残念ながらないと思います。

ただし、日本海軍の観艦式は18回開催されていて内2回横須賀沖で開催されているので近くの砲台(旧第四、第五砲台)なら撃たれた可能性はあると思います。

また8回横浜沖で開催されているのでその際横須賀沖まで航行してきた、ということがあるなら同様に近くの砲台から撃たれたという可能性は有るかもしれないと考えますがいかがでしょう。
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