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夕映えの帰還〜平成27年自衛隊観艦式

2015-11-01 | 自衛隊

帰投途中に見かけ、艦内アナウンスでも説明のあった「海堡」と
祝砲の撃たれた観音崎砲台との関係に気づいてしまい、軽いエピソードで入れるつもりが
まるまる1項を割いてお話しすることになってしまい、最終回が一つ遅れてしまいました。

しかし、帝都地下の要人用秘密通路や地下要塞のように、
我々のあずかり知らぬ世界がかつてこんなところにあったということを知り、
つい興味を惹かれて皆さんにも聞いていただきたかったのです



というわけで、「ちょうかい」が木更津港に入港しようとしているところから続きです。

「両舷前進最微速」

「80度よーそろ」

「赤黒なし横つけて」

先に停泊している「あすか」の艦橋デッキに鈴なりになっている人々が
はっきりと見分けられるようになった頃、艦橋ではこんな掛け声がかかりました。

艦橋α「曳船これ使ってます?」

艦橋β「使って・・・・ます」

曳船が押しているかどうか艦橋からではわからないものなのですね。
してついに、

「両舷停止」

そのあとも左にふれたり、前進最微速をとったりして行き脚で調整し、
お任せすべきは曳船にお任せして、ピタリと位置を決めます。
「あすか」「ちょうかい」「こんごう」と岸壁に並んだ三隻が
見事に艦首を揃えて停泊しているのも、なんでもない景色に見えますが、
操舵と曳船の共同作業の賜物だとわかります。

「前進ヌキアシ」

「抜き脚」とは・・・・多分「行き脚」の反対だと思う。
このあとも「両舷停止」と「内角何度」「左後進最微速」が何度となく繰り返され、
「内角1度」から、

「ただいま岸壁と並行」

「行き脚止まった行き脚なし」

「わずかに後進抜足」

「両舷軸ブレーキ完」

「両舷軸を止める」

「両舷軸回転下降」

「両舷軸ブレーキ脱」

そして艦橋後ろで(わたしの横ですが)操舵していた1等海曹が帽子を外しました。

このときはまだ操舵中ですが、向こう側にいるこの道何十年!みたいな風格の海曹です。
正帽の下はベテランらしく髪は半分白髪でした。


このときわたしはふと艦橋にかかっている時計を見ました。
示されていた時間は4時39分45秒。

木更津に向かう航路航行中、たしかアナウンスで、
木更津入港は4時40分になると言っていたような気が・・・。


お、恐るべし。自衛隊のミリミリ(使い方ヘン?)恐るべし〜!



入港作業はこれで終了、と判断し、わたしは艦橋からウィングに出てきました。
今日1日ここにいてすっかりおなじみになった光景ですが、さっきまでとは違い、
向こうに「あすか」のマストが見えています。 



訓練展示中は人多すぎで近づくことのできなかった艦橋デッキの端も、
もはやそこから外を見ようとする人など一人もいません。
艦首部分を眺めると、そこには一団の曹士が固まって立っていました。

赤い腕章のインカム付きは通信係として、残りの人たちは、これから入
「ちょうかい」の左舷に曳船が防眩物を運んでくるのを待ってそれを取り付け、
また「こんごう」が入港してきた時にもやいを掛けるために待機しているに違いありません。

艦首旗は入港と同時に揚げられたばかり。 
日没までの停泊時というのが艦首旗の掲揚に決められているので、
もうすぐ降ろされることになるのですが、その辺は疎かにすることなどあり得ません。



甲板にいた人々は今頃ラッタルに向かって移動し始めている頃かもしれません。
しかし、艦橋にいる人々はここから先が長いことを知っているので、
下艦はかなり先のことと心得、のんびりと最後のひと時を楽しんでいます。

わたしの近くにいた男女がこんな会話をしていました。

「ああ、終わりましたねえ」

「次は3年後・・・・・ってことで」

「3年後か・・・その時生きてるかどうかもわかんないのに」

「そんな・・・縁起でもない」

女性は笑っていましたが、わたしはそれを聞いてはっとしました。

前回観艦式で、それまで観艦式どころか自衛隊の行事にどうやったら参加できるのか、
全く門外漢でそれすら知らなかったわたしが、なぜ「ひゅうが」に乗れたかというと、
ある防衛団体の会合で知り合った、防衛大学校卒の会社経営者のおかげでした。

わたしが自衛隊に興味があるということで、その方が防大の「コレス」にあたる
元自衛官に頼んでくださって、「ひゅうが」乗艦が実現したのです。

しかし、陸自、空自と順番が巡って、海自の観閲式の順番が巡ってきたそれから3年後、
すでにその方は、夫人
共々この世の人物ではなくなっていました。

去年の暮れに、まだ若々しくお元気そうだった夫人が癌のため急逝し、
周囲の衝撃の覚めやらぬまま半年経った今年の初夏に、その方はまるで
夫人の後を追いかけていくかのように、病気で逝かれたのです。

そのことをわれわれに知らせてくださったのは、3年前、その方を通じて
前回の観艦式のチケットを手配してくださった、元自衛官でした。


今回わたしは、観艦式に参加しながらも、まるで青々(せいせい)とした空の一隅に
ポツンと小さい黒い雲が浮かんでいるような思いがどうにも拭えなかったのですが、
この男性の一言によって、それが、この夫妻のことであったと思い当たりました。

3年前の観艦式の一日、わたしはそのご夫妻を中心としたメンバーと共に、
今日と同じように護衛艦に乗り、訓練展示に目を見張り、艦内ツァーをご一緒し、
横浜の大桟橋に「ひゅうが」が着いた後は、皆で中華街に繰り出して
そこで美味しい中華料理を夕食にいただいて帰ったものでした。

社交辞令としての会話ではありましたが、別れるときには

「また3年後もご一緒できるといいですね」

と言い合ったことを思い出します。 

わたしたちは勿論、この夫婦が、次の観艦式の時には自分たちはこの世にいないなどと、
そのときほんの少しでも予感することは果たしてあったでしょうか。




祭りの後。

そんな切なさを感じずにはいられない、華やかだった観艦式の終わる瞬間、
わたしがこの男女の会話から、人の命の儚さと運命について、
誰もが例外なくそれを従容として受け入れるものであるという摂理を思い起こし、
改めてやるせなさと共にそれを噛み締めていると、夕映えの木更津港を、
帰投してきた「こんごう」が、曳船を従えてこちらに向かってくるのが見えました。

「ちょうかい」の艦橋からはそれは全くの逆光となり、
この写真で見るより、はるかに艦影はそのままシルエットのようでした。



二隻の曳船は、見ていると寄り添うように「こんごう」に近づき、
その艦体を押し始めました。
「こんごう」の艦橋では今、先ほどまで「ちょうかい」で行われていたように、
息もつかぬ操舵の専門用語が同じように繰り返されているのでしょう。



そのとき、わたしはデッキ前方に「ちょうかい」艦長中村1佐の姿を認めました。
先ほどまで艦橋を満たしていた整然と秩序ある喧騒の空気も嘘のように去り、
艦が完全に停泊した今、何かを確認するためかデッキに出てこられたのです。

コメント欄でも今回艦長の任務とは何かをずいぶん教えていただいたのですが、

操艦が巧いかどうかということは艦長にとってごく当たり前の能力であって、
艦長は船の機能すべてを把握し、その機能を指揮する文字通りの「指揮官」なのです。


ところでいきなり余談です。
かつて、野党民主党の某議員が政府与党に対して憲法クイズをしたり、

貴重な国会の場で漢字の読み方テストをして、それに答えられないと
鬼の首を取ったように為政者の資格なしと言い募るということがございました。
これなど、艦長にもやい結びの速度を海曹と競わせて、負けたから艦長の資格なし、
と言っているようなもんなんですね。

野党なら政策で論議し、代案を出して大いに論戦していただきたい。
それが国民の期待するあなたたちの役目でしょ?


最近、政権与党の品格や教養を一言で断罪しつつ故に与党の資格なし、みたいな

ご意見をコメント欄に頂戴しましたが、

教養品格に優れた政治家必ずしも善政を敷くに能わず、

況や鳩山由紀夫においてをや

とでも言わせていただきましょうか(笑)

まあ、政治家ならずとも教養品格に溢れているに越したことはないんですけどね。


話が大いに脱線しましたが、この艦長という職は全体の長であり、
絶対的権限を持たされている護衛艦の権威者です。
なかでもイージス艦のような巨大戦闘艦の艦長というのは、この観艦式の行われる前のような、
非常時における参入を考えただけでも、大変な重責であり、それだけに
判断力と統率力も、人並み以上に優れた自衛官が任されるに違いありません。


というようなことをなまじ思い込んでいると、実物がそばに来ただけで、

イージス艦の艦長、キタワァ━.+:。(n'∀')η゜.+:。━ッ!! 

というモードになってしまったとしても、これは誰に責められましょうか。
日頃はあまりこういうことを良しとしないわたしが、

「艦長、一枚写真を撮らせていただいてもよろしいでしょうか」

そのように言葉をかけ、夕日に赤く染まる中村艦長をカメラに収めると、
それがまるで皮切りのように、周りの人たちが次々と艦長と写真を撮りだしました。



さて、そこから下艦までがまた長かった(涙)
艦橋への階段というのは一方通行になっているのですが、艦橋にいた集団を下ろすため
どちらも下降用にしても、狭い階段の踊り場に溜まった人は一向に減りゃしねえ。

そんなことをしているうちに「こんごう」が停止して舫かけが始まると、
人々はその間一斉に足止めされてしまいました。

やっとのことで甲板レベルまで降り、最後まで丁寧で全く疲れを見せぬ様子の
自衛官たちの敬礼と挨拶に送られ、埠頭を踏んだのは、乗船してから10時間後。
午後5時半ごろのことでした。

ともあれ、木更津港は岸壁がそのまま駐車場なのでここまで帰って来ればあとは楽勝、
と思いつつ車に乗り込んだのですが、とんでもなかったのです。

全てが観艦式の車でもなかったでしょうが、一斉に大量の車が集中したため、
アクアラインの入り口は、大渋滞となり、自宅に着いたら午後8時半。
車から降りる頃には、眠さと疲れで疲労困憊しておりました。




埠頭に降り立ち、車に向かう時に気づいた遥か向こうの富士山のシルエット。
ちなみに、2015年10月18日の日の入り時刻は、国立天文台のHPによると1703です。



かくして平成27年自衛隊観艦式も終了しました。
操艦、訓練と、接遇などを通して今の自衛隊の力とその実態を目の当たりにし、
ここでそのご報告ができたことを、幸せに思います。

この場をお借りして、今回の観艦式参加にあたってご配慮いただいた方々、
コメント欄で応援、ご教示をいただいた方々に心から御礼を申し上げる次第です。


ありがとうございました。


 

 



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12 Comments

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ついに完結! (佳太郎)
2015-11-01 22:26:06
長かった観艦式の記事もこれにて最終回ですか!エリス中尉。お疲れ様でした!
楽しく読ませていただきました。いや写真も文章も素晴らしい…どうせ当たらないだろと思ってはがきを出さなかった自分の行動が悔やまれますね…
次回は出そうかな…

今回の写真で気になったのですが、艦橋の写真でモニターにWelcomeと出ていますがあれは何なのでしょうね?
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またの乗艦 (ハーロック三世)
2015-11-01 22:26:45
今回の観艦式の後、母親と同じことを言っていました。

母、「次はもう無理だね~」

私「いやいや。再来年は卒業式帽子投げに幹校の入学式。3年後は幹校の卒業式と練習航海の見送りと出迎え、そして観艦式と目白押しだ。」

母、「あら~、三途の川の渡し舟に乗るより先にまた護衛艦に乗らなきゃね~~」

是非そうあってほしいものです。
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大団円 (ロビ)
2015-11-02 00:06:13
エリス中尉

観艦式レポートの執筆お疲れ様でした。

当方へのコメントもありがとうございました。
先ほどDDG-527の建造報告メールをお送りしました。

夕日に映える艦影が素晴らしい結を現していますね。

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機械舵宜しい (雷蔵)
2015-11-02 04:49:58
入港時、艦長が最後に掛ける号令は「機械舵宜しい」です。船が定位置に付き、もやいを止め切り、もう機械(エンジン)も使わないので(止めて)宜しいという意味です。

「機械舵宜しい」を掛けるまでは、艦長は緊張しています。笑顔で余裕の写真はその後のはずなので、次回、機会があれば、注意して見て下さい。

「機械舵宜しい」が掛かった瞬間、艦橋関係者全員の緊張感が和らぐのがわかります。

抜き脚は「前進の行き脚」だと思います。

お疲れ様でした。まさにこれで「機械舵宜しい」ですね!
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祝・観艦式報告シリーズ平成27年度編ー完ー (筆無精三等平)
2015-11-02 11:49:03
長編ながらも密度の高い報告、お疲れさまでした。
話題があちこちに脱線するとおっしゃりながらも、中尉ならではの視点からもたらされる情報は、私のようなニワカ者には大変興味深く、半月の間更新が毎日待ち遠しかったです。
特にここ最近の艦橋報告は、端から見ている分には「隊列がビシッと揃って格好いいなぁ」と思うだけの操艦が、実際は想像以上に繊細な指示、機敏な作業によって体現されていることが伝わってきて、指示や応答が行き交っている描写は戦記ものを彷彿とさせて、ワクワクしました。

私事ながら、中尉他コメンテーターの皆様に触発されこの度人生初の航空祭を体験しました。
展示飛行や航空学生によるファンシードリルの撮影、様々な物販巡りなど色々な事に目移りした上、会場の人々の熱気に圧されてしまい、終わっても中尉ならぬ身では「面白かった」「色々と凄かった」としか言い表せません。
(あの喧騒と短い時間の中で、キチンと撮るべき写真を撮り、何とならば隊の方とお話しし、終わっては読み応えのあるブログを掲載、と中尉の実務処理能力には脱帽です。)
印象深かったのは、初めて生で見たブルーインパルスの演技とファンシードリル。
特にファンシードリルは、バスドラムとスネアドラムのリズムしかないのに何故かメロディアスな演奏とそれに合わせたキビキビとした行進、華麗な銃捌きに十数分という時間、魅了されました。バッチリとはいかないまでも残せた動画は何回見返しても飽きません。中尉がお好きな訳が実感できました。(今回は航空学生さんだったからでしょうか、途中で足並みを揃える為にスキップを踏んだり、最後に「気を付け」で終わるところを思わず「休め」の位置まで手を持っていきかけたり、ちょっとしたミスが初々しくてキビキビした動作とのギャップに、ノンケではありますが萌えました。)
今回は上司の厚意により参加できましたが、また機会があれば是非とも行きたいと思います。

次回からの新シリーズ、心待ちにしております。
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「せきりゅう」進水 (お節介船屋)
2015-11-02 13:36:34
エリス中尉
お疲れ様でした。
観艦式堪能させて頂きました。

関係ないですが、本日2日平成24年度潜水艦「せきりゅう」が川重神戸で進水しました。
船台からの進水式、これが本当の進水式です。
オタクが見ると結構興味がある部分が動画に写ってます。
海自、産経新聞良く出したなと思います。
下に添付しますが、動画が見れれば良いですが。
http://www.sankei.com/west/photos/151102/wst1511020026-p2.html
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フィナーレ (昭南島太郎)
2015-11-02 13:52:59
エリス中尉、観艦式レポートお疲れ様でした。
夕暮れに浮かぶ富士山で結ばれるとは、さすがです。
改めて日本という国が素晴らしいと感じました(自衛隊の存在や富士山のような)。

安全運転で無事ご帰還のご様子で良かったです。
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楽しく読ませていただきました (アーサー)
2015-11-03 00:08:23
 夕暮れの写真と、観艦式後の会話。なんとなくしんみりとしてしまいました。
 人の運命なんて、本当に分からないものですね。3年後にこの世におられないとは…。
 私の両親も高齢なので、心配をかけないように過ごしたいと思います。
 
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祝フリートウィークブログ連載完 (Coral)
2015-11-03 08:37:44
エリス中尉

フリートウィークに関する連載ブログ完結お疲れ様でした。連載小説や連続ドラマのようにわくわくしながら楽しませて頂きました。

中尉に比べれば海上自衛隊や船に関する興味は足元にも及ばない程度だと思いますが、それでも予てより一度くらいは観艦式を見てみたい、米空母の甲板に立ってみたい、同様にいずもの甲板にも立ってみたいと思っていました。
それが今年のフリートウィークでは3つとも実現しました。加えて連載ブログを読んで次回は観閲艦側で見られたらいいなと興味が増してしまいました(笑)。でも一番印象的だったのは”偶然の中尉発見”だったでしょうか。

今秋まだまだ自衛隊イベントは続きますから新連載が始まるんでしょうね、楽しみにしています。
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ありがとうございました (marine)
2015-11-03 09:13:30
観艦式記事、楽しく読ませてもらいました。
私は子どもがまだ小さく、今回は近くに出向くことすらできない状況なので、中尉の臨場感溢れる記事を毎日楽しく読ませてもらうことで疑似体験することができました。そして読者の皆様の専門的なコメントに理解も深まり、より一層観艦式を楽しむことができた気がします。

しらゆきの件ですが、少し離れていて、誰しもがあれ?と感じた状況は、どうやら人的な、技量の問題ではなかったようです。全体の事後研究会でも皆さんが納得された理由があったそうで。
その時の操艦は超ベテランの方だったようなので、彼の名誉の為にも(笑)お節介ながらお知らせまで。

そして今回は今の時点でですが、歴代初めての、見学者からの公式クレームがゼロの観艦式、だったそうですね。
恋人との約束や、地元の秋祭り、子どもの運動会などあるのにー!と後ろ髪引かれながらも、高い意識を持って行動参加された乗員の方々、そしてご家族の方々ありがとうございました、なフリートウィーク。ぜひ空気だけでも味わいたかった(笑)
次回はぜひガッツリと体験しに行きたい!と強く思いました。

読みごたえのある楽しい記事をありがとうございました!
またこれからも様々なシリーズ、楽しみにしています。
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