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旅しながら淡々と写真を貼る~桜島

2012-04-02 | つれづれなるままに

鹿児島最後の朝、日の出とともに起きて、ラスト・ミニッツ砂むしに行ってきました。
Toと息子に一応声をかけてみましたが、全く生体反応が無かったので一人で出かけました。



前日七面の砂場がフル稼働していた砂むしもさすがにこの時間は閑散としていました。
10分から15分が適当、と言われましたが、隣の男性がいつまでもやめないので、
一緒になって30分近く頑張ってみました。
さすがにこれだけ埋まっていると、汗が滝のように流れました。



このホテル、白水館には「薩摩館」という美術館が併設されています。
創業者の米寿の記念、創業60周年記念事業として、この2月オープンしたばかり。



まるで壮麗な寺院のようです。
息子はゲームで製作する建物の資料として写真を撮りまくっていました。
展示場はボランティアの説明員が声をかけてきて、30分かけて説明をしてくれます。



金襴豪華なこの飾り棚、なんと金箔を貼ってあるのだそう。
薩摩焼には、本場薩摩のものと京薩摩があり、風土を反映して京は繊細、薩摩は大胆、
と作風の違いがあるそうです。
いずれにしても気の遠くなるような細かい絵付けと彩色がなされており、その美しさは、
昔、西欧の人々が「東洋趣味」として愛好したというのも尤もと思われました。



薩摩から留学生としてヨーロッパに渡った青年たち。
イケメンが多いですね。
優秀で容姿端麗、将来有望な選ばれたエリートたち。



さて、いよいよホテルをチェックアウトします。
お土産や、特攻平和会館で山ほど買った本(重くて持てない)をホテルから配送してもらう
手配をしました。

実はわたくし、岩盤浴をしたときにお気に入りの髪留めを紛失してしまい、直後に近くの従業員、
さらにホテルのフロントに絵を描いて説明し「出てきたらお願いします」と頼んでおいたのですが、
翌朝、サービスで頂けるお抹茶を出してくれたウェイトレスが、こっちが何も言わないのに
「昨日お尋ねでした髪留めが届いています」
とおっしゃるので、心から驚きました。

「どうしてこんなに宿泊客がいるのに(おそらく百人単位)我々の依頼を把握してるの?」

知り合いのホテル支配人は中国赴任の際、宿泊客の私物を(免税で買った化粧品など)
盗んではいけない、ということから教育しなければならなかったそうですし、
わたしもアメリカで、部屋の清掃後、シルクのパジャマがきっちり上下とも無くなっていて、
フロントに言うもガン無視、という経験をしたことがあります。

小さなヘアクリップやイヤリングが「そういえば無いなあ」と後で気づき、
「今にして思えば、あれは取られたのか」と思うことも何度かありました。
こんな国のほうが「普通」なのですよ世界では。

ところが、日本ってなんてすばらしい国なのでしょう。
無くしたものが当たり前のように出てくるのも驚きですが、ホテルスタッフがちゃんとそれを
フォローし、さらに情報をウェイトレスに至るまで共有しているというのも素晴らしい。
私の知る限り、日本以外で同じようなことがあるとすれば、
ホテル・リッツかフォーシーズンズ(つまり超高級ホテル)くらいではないでしょうか。

11時にホテルを出て、わたしの運転で空港方面に向かいました。
途中で桜島を観て、時間があれば島に渡ろうという計画です。

借りた車(ヴィッツ)についているナビが超馬鹿で、さらにそれをフォローするつもりのToの
スマートフォン情報が、というか、それを指示するToの要領が悪くて
(車を運転しない人のナビって、イライラしません?言うの遅いし)
結構時間を無駄にしながら、フェリー乗り場まで到着。
息子はいつも通り「スシロー行きたい」と騒いでいましたが、時間が無くなりました。



しかし、運よくフェリーに、最後から2台目の車として乗りこむことに成功。
これに乗れなかったら、あきらめるところでした。

フェリーはわずか15分の航路にもかかわらず、超豪華。
売店は勿論、麺類のカウンターもあります。
スシローに行けなかったので、お昼御飯はここのうどんになりました。



乗る時も、フェリー内でも料金を徴収しないので不思議に思っていたのですが、
船着き場に降りて島に入るには、このゲートで高速道路のように料金を払うしくみです。
車一台分に、中に乗っている人数分の料金をプラスして払います。
息子はぎりぎり子供料金でした。
4月からこいつも大人料金になってしまうのね。
全部で1000円少し払ったかな。



島について、取りあえず展望台を目指し車を走らせていると、山の向こうにもくもくと噴煙が!
息子は「大丈夫なの?爆発するんじゃない?」と無茶苦茶怯えています。
なにしろ、今警戒レベルですから。



大正の大噴火のときに埋まってしまった鳥居。
鳥居の上の部分しか残っていない・・・。
この大噴火のとき、測候所が当初「大噴火には至らない」という発表をしたため、
その後パニックになった村民が崖から落ちたり、海に入って凍死したりしました。

島内に残るこの大噴火の記念碑には
「住民は理論を信頼せず異変を見つけたら未然に避難の用意をすることが肝要である」
と書かれ、科学不信の碑と呼ばれているそうです。

これ即ち、自分の目と耳と直感を信じろ!ってことでいいでしょうか。
ていうか、これは大本営発表不信の碑、の方が正しいのでは・・・。



行く手に見える噴煙。
2011年12月に一万回目の噴火をした桜島、現在は警戒レベルとはいえ、
先の大噴火の時とは様相が違うとか、やっぱり危ないとか諸説あり、注視中だそうで・・・、
つまり科学不信の碑の教えだけは正しいことを裏付けていますね。


島には民家は勿論のこと、学校病院もお店や会社、銀行も普通にありました。
万が一噴火、というようなことになったときの島民避難マニュアルがちゃんとあるんでしょうね。
でも確実に何年か内には大噴火が起こることが判っているところに住むのって、どうなんだろう。
いつなんどき有事になってもどんと来い!みたいな、肝の据わった島民根性が、
古老から子供に至るまで、全島民に備わっていると思うがどうか。

因みに島の大きさは東西約10キロ、周囲約55キロ。
小一時間で一周してしまえる大きさです。

道のところどころにこのような待避壕があるのが、物々しい。
爆発が起きたら決して車で逃げないでください、という看板があちこちにありましたが、
果たして皆、いざとなったら車を捨てることができるでしょうか。



当たり前ですが、火山灰が降り積もっています。
わずかの間車から降りただけで、灰を被りました。
島ではクリーニング代が異常にかかるのだそうです。

ちなみにここは全体が国立公園なので、こういった火山灰や石(軽い)でも、拾ってはいけません。
展望台には土産物屋があり、お菓子とともにこの石を売っていました。
火山灰も瓶に入れて売っていることもあるそうですが・・・・誰が何のために買うんだろう。



この土産物屋さんも、なんだか何か買ってあげたいものだなあ、と思い立ち寄ったのですが、
全てのものが灰を被っているような状態で、何かが欲しいという気に全くなりませんでした。
警戒レベルになってから海外(中国、韓国)の観光客がぱったりと減ってしまったそうです。
まあ、怖いよね。特に外国人は。



常にどこかに噴煙の入ってくる展望台からの眺め。
地面の色を見てください。



ごもっともな注意ですが、十分注意してももうどうしようもないのではないかと。
車からも降りなきゃならないし・・・。

というわけで、ここからフェリー乗り場までとんぼ返りし、夕刻の飛行機で帰ってきました。



大正の大噴火の後、災害復興のために就航した定期航路が、
その後、この桜島フェリーとなりました。
今は島と鹿児島を結ぶ橋の建設も(何となくですが)計画にあるそうです。

この大噴火のとき、対岸の鹿児島では、例によって「津波が来る」「毒ガスが発生する」
などの流言飛語のせいで、避難しようとする人々のパニックがあったそうです。
大正時代ですらそうなのですから、ネット時代の現在、災害時にパニックに至るのは
群集心理の当然の帰結なのでしょう。

科学不信(というかお上不信)といい、流言飛語といい、人の世に起こりうることは
百年前も今も、その実何も変わっていないってことでしょうか。





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