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映画「オキナワ 神風との対決」〜史上最低の戦争映画

2021-11-12 | 映画


「世紀の駄作」と人のいう戦争映画、「OKINAWA」2日目です。

オキナワと題名につけるのであれば、沖縄上陸もからめ、
陸戦の様子や、せめて艦砲射撃によって死んでいく
挺身隊の女生徒などの描写もあればまだ見られるのですが、
この映画における「沖縄」とは、どこにあるのか知らないけれど、
アメリカ海軍の一個艦隊で全体を隙間なく周りを包囲できる、
淡路島の半分くらいの大きさの島であり、
彼らがどこかわからないまま艦砲を打ち込んでいる(らしい)
観念上の島にすぎず、相変わらず映画は
艦上で総員配置と解除をくりかえして時間稼ぎしております。

先日「マーフィーの戦争」の項でご紹介した
「SAVE THE CAT」の法則に当てはめるまでもなく、
まったくこの映画には、人の興味を継続させる要素が見当たらないのです。

もしブログで扱うという使命?がなければ、
おそらく始まって10分で観るのをギブアップしていたに違いありません。

何度目かわからない総員配置の間にも、
無線からは前方の艦が特攻にやられたと連絡が続々とはいってきます。

「機関室が炎上中!」「こちらも複数命中した!」

映像はありません。通信だけです。

全速でそちらに向かうことになった駆逐艦「ブランディング」ですが、
それを全く知らされない(のもなんか変じゃね?)乗員たちは呑気です。

ヒスパニック系のクリスマスの思い出を語るのはデルガド。

「あのとき棒で叩いた人形の中から出てくるのはお菓子だったが、
今空に向かって棒を振り回して落ちてくるのは人間だ」

と無理やり今の状況にこじつけて眉を曇らせるのでした。

はて、ピニャータ(中にお菓子を入れたハリボテの人形などで、
木に吊るして目隠しをしたその日の主人公が叩いて壊し、
参加した子供たちが皆で中のものを分け合う)の儀式は
確か誕生日のイベントだったような気が。
クリスマスにそんなことする風習あったっけ。

その後特攻の被害を受けた艦のいる海域に到着し、
彼らが黒煙を吐きながら炎上している僚艦(実写による映像)
を目の当たりにしてショックを受けていると、
またしても総員配置が命ぜられます。

しかしまたすぐ解除。 
本当にこの繰り返しがしつこくて、
ここで映画を観るのをやめてしまう人は多いと思われます。

彼らが見たのは、カミカゼ攻撃を受けた無残な僚艦の姿でした。
艦首が全くなくなってしまった惨状に息を呑み目を背けます。

そしてついに彼らは特攻機に遭遇することになりました。

とは言え映像はどこかで見たことのある特攻機突入のシーンと、
登場人物たちのいる砲塔内の退屈なクロスカットが続きます。

そしてついに駆逐艦「ブランディング」は船倉に損傷を受けました。
被害を受けたのはなぜかビールだけでした。

ところでもう設定から無くなっているようだけど、
爆発した蒸気配管っていつの間に直ってたの?
みんなで噛んだガムで穴をふさいだのかしら。

特攻で欠落して欠けてしまった船を地図から外しながら、

「今の私を子供が見たら遊んでると思うだろう。
遊びは戦争の本質だがな。
あっちこっち撃ち合って互いの玩具を壊し合う」

という艦長。
相変わらず地図の上では少数の艦で南西諸島の周囲を
円形に取り囲んでおります。

戦争に関して悟ったような比喩をかます俺イケてる、と思ってるのでしょう。

次の戦闘でついにまともに特攻の激突を受けます。

本作品唯一の模型を使った戦闘シーンですが、
姑息にも艦橋の模型の後ろのスクリーンに実写の映像を映し、
それをキャメラで撮影するという、涙ぐましいほどせこい方法です。

そして、指揮官率先とばかり、単身現場に飛び込んでいく艦長を、
乗員は誰一人助けず息を飲んで見物しているのも妙な設定です。

この迎撃の前に手袋をとり落としてしまったエマーソンは、
素手で薬莢を移動させる任務をしたため、手に火傷の重傷を負いました。

医療品も炎上して血漿がないので、彼は送り返されることになり、
欠員の出た砲員の席には、下働きだった
フィリピン人のフェリックスが念願かなって入ることになりました。

駆逐艦というような小さな軍艦の場合、下働きなども
一応戦闘時の非常配置というのが決まっていると思うし、
兵員の補充に対してもある程度決まっているはずだから、
何の予備知識もない下働きを
いきなり砲塔に入れることはないような気がしますが。

その夜、すっかり乗員の士気が落ちていると感じた艦長は、
副長のフィリップスに「とっておきの」映画を見せるように命じました。

リールのタイトルを見てフィリップスはやれやれという顔をします。

「熱帯病の原因と対処」

ところが!
その中身はマリリン・モンロー主演の
「Ladies of the Chorus」(日本未公開)でした。
ちなみにこの作品は1948年の公開なので、この頃には存在しません。

フィリップスびっくり、総員大喜びで士気もあがりまくりです。

「熱帯病、最高だぜ!」

これが唯一この映画の映画らしいエピソードかもしれません。
しかし、残念ながら戦争映画に嫌というほどあるパターンです。


ちょうどその時、艦長のもとに無線によるニュースが届きました。
合衆国大統領、フランクリン・デラノ・ルーズベルト死去。

艦長は悲痛な顔をしてつぶやきます。

「大統領は海軍の親友だった」

その次から始まる実写には日本人なら誰でもびっくりです。

なんと、「沖縄の米艦隊を今目指してくる特攻隊」と言う設定で、
義烈空挺隊出撃のニュースリールが延々と流れるではありませんか。

「全員喜び勇んで往きます」

という隊長奥山道郎大尉の挨拶もちゃんと収録された映像です。

ご存知のように義烈空挺隊は空挺決死作戦に散華した部隊であり、
彼らのいう航空特攻、「キャマカゼ」とも「カミカチ」とも
全く関係がありません。

間違いもいいところです。

しかもこの映像を見れば、彼らが搭乗しているのが
輸送機であり、戦闘機でも艦爆でもないことは誰にでもわかります。

要するに中身を全く調査せず適当にフィルムを使っているのでしょう。
色々と残念な映画ですが、これにはほとほと呆れ果ててしまいました。

一瞬本物の陸軍特攻の映像が挟まれますが、すぐに場面は
義烈空挺隊の出征シーンに替わります。

今ならインターネットで調べられるんですけどねえ。
ってそういう問題じゃないだろ!

その義烈空挺隊の特攻が迫る中、駆逐艦「ブランディング」は
特攻で出た負傷者を移送するために護衛艦の接岸を待っていました。

「ロードアイランドに帰れる」

とうっとり呟く両眼をやられた乗員。

しかしそのとき、彼らのいうところの「義烈空挺隊の特攻機」が、
真っ直ぐ護衛艦に突入しました。(もちろん実写)
そして彼らが乗るはずの護衛艦は目の前で轟沈してしまいます。

「あっやられた・・・!」

「沈んでいく!」

手をこまねいて目の前の護衛艦の沈没を見ているしかありません。


その後「ブランディング」は迫るカミカゼを撃墜しましたが、
(どこかの実写映像)、同時に機関を損傷しました。
エンジンを停止したところになんと敵潜水艦が現れたので、
艦長は爆雷の投下を命じました。

実に盛り沢山ですが、きっとこの潜水艦映像も
どこかの映画からパクってきていると思います。

爆雷を受けた潜水艦は何がどうなったのかわかりませんが浮上してきました。
そして直進する「ブランディング」と直角に衝突してしまいます。
はて、駆逐艦のエンジン、さっき停止させたんじゃなかったっけ。

このシーンに浮上したばかりの筈の潜水艦の甲板には
なぜかたった一人だけ、セーラー服を着た水兵が乗っていて、
衝突の前にあわてて海に飛びこんで笑わせてくれます。

(この日本兵役:H.W. Gim)

しかし衝突の衝撃で砲塔から顔を出していたロバーグは死んでしまいました。
ちなみにロバーグというのは砲塔勤務の長老的存在で、
賭けの好きなグリップなど、ロバーグの年齢がいくつか賭けていました。

ここは砲塔内ですが、衝突時、
ロバーグはよりによって外に顔を出していたようです。

ともあれ、これで彼らの任務は終わりです。
虚脱したかのように甲板で夕日を見つめながら吐息をつくのでした。

「祖国に帰れる・・・」

砲員をねぎらうためにやってきた艦長は、まずエマーソンに
(どこで二人の会話を聞いていたのか)こんなことを言います。

「君の予想(カミカゼは我々を飛越す)は外れたな」

それを受けてエマーソンは、

「彼らは我々をパスするべきでした。彼らの目標は間違いだった」

するとグリップが、

「そうだ、カミカゼは頭がおかしい」

この映画の制作者のレベルがよく表されているセリフです。
そして艦長は、それに対し、

「わたしはそう思わない。
彼らは子供で死を尊ぶように洗脳されている。

同じ教育を受ければ我々もああなっただろう」

特攻についてはいろんな扱い方があると思いますが、
「洗脳」の一言で片付けてしまっている映画は初めて見ました。


そして艦長はグリップに手を差し出します。
「よくやった」

そして兼ねてから互いに握力自慢を標榜していた二人は、
お互い握られた手の痛みに顔を歪め、それから笑いだすのでした。
いいシーンのつもりだと思われます。

そして、

「これにて沖縄戦は完全に終結する__エンド」(字幕)

いや、これで終わらなかったし。
ちょっとは沖縄戦について調べろよ!
海兵隊もびっくりだよ。

 

いやー、駄作だとは聞いていましたが、こんな駄作があったとは。
戦争映画のできというのは上を見てもある程度限界はありますが、
下はまるでマリアナ海溝並みでその底知れぬ深さにめまいがしそうです。

この映画をもし一言で言い表すとすれば、

「女性下着をつけていない時の
エド・ウッドの戦争映画」

だと思いました。


最近gooブログの編集形式が変わり、それでなんとなく
文字レイアウトを中央に変えたのですが、
前の画面で3万文字になんとか収めた記事がなぜか制限字数を超え、
2日に分けることを余儀なくされたので、最初に作成したこのタイトル画を
人数半分ずつにわけて2パターン追加で製作しました。

こんなつまらん映画のために手間暇かけて
3パターンも絵を製作してしまうわたしってなに?と改めて思いましたが、
せっかく描いたので、採用しなかったオリジナルを載せておきます。

終わり。

 



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4 Comments

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これが戦争 (Unknown)
2021-11-12 08:29:31
>オキナワと題名につけるのであれば、沖縄上陸もからめ、陸戦の様子や、せめて艦砲射撃によって死んでいく挺身隊の女生徒などの描写もあればまだ見られるのですが、この映画における「沖縄」とは、どこにあるのか知らないけれど、アメリカ海軍の一個艦隊で全体を隙間なく周りを包囲できる、淡路島の半分くらいの大きさの島であり、彼らがどこかわからないまま艦砲を打ち込んでいる(らしい)観念上の島にすぎず、相変わらず映画は艦上で総員配置と解除をくりかえして時間稼ぎしております。

戦争を映画で見ると、華々しい戦闘場面とか、苦しい場面で励まし合う戦友間の友情とか、命懸けで仲間を救う場面が思い浮かぶと思いますが、ブログを拝読する限り、この映画で描かれている駆逐艦での生活は、実際に戦争を体験しても、恐らくそうだろうと(私には)思えます。

自衛隊は、実戦を経験してはいませんが、時々、有事想定の演習があり、実弾を撃ち合いはしませんが、敵が攻撃して来て、被害を受けます。演習は数週間続きますが、ほとんどの時間はただ走っているだけで、戦闘はいいところ数日に一回で、精々何時間です。

映画は観客に見てもらえてなんぼなので、そういう場面を延々と流していても、飽きられてしまうと思いますが、実際に個人の次元で見ると、駆逐艦とか、歩兵小隊とか、どこか一場面でしか見ることは出来ないので、そういう意味では「これが戦争」なのだと思います。

>爆発した蒸気配管っていつの間に直ってたの?

船の配管で重要なものは、戦闘被害で一挙にダウンしないように、バイパス系統が用意されているので、どこかが切れると、まず、被害個所をバイパスさせ、戦闘等がないと思われる時までやり過ごして、余裕が出た時に直します。

>何の予備知識もない下働きをいきなり砲塔に入れることはないような気がしますが。

砲は、弾丸という重量物をこめて撃つので、新入りは大抵、装てん手から始めます。
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義烈空挺隊 (お節介船屋)
2021-11-12 11:28:50
陸軍第6航空軍司令官菅原道大中将の発案で昭和19年11月末サイパンに強行突入して本土空襲の本拠を覆滅する予定でした。
発進基地の硫黄島が攻撃されたため中止し、沖縄への突入とされました。

奥山大尉以下136名が昭和20年5月24日12機の九七式重爆撃機に分乗し健軍基地を発進、2機がエンジン不調で10機が進撃、1機被弾、2機が目標が確認できず、5機が沖縄北飛行場、2機が中飛行場に突撃しました。
中飛行場に向かった2機の記録がありません。
北飛行場の5機中4機は対空砲火で撃墜されましたが1機から2名が飛び出してきましたが射殺されました。
もう1機の翼が対空砲の位置に落下、8名の海兵隊員を殺害となりました。
最後の1機が胴体着陸、12名が飛び出し、F4U3機、輸送機4機を破壊炎上、29機に損傷を与え、ドラム缶集積場を襲撃、7万ガロンを炎上させました。最後の1名は25日の夜中まで抵抗しました。合計69名の戦死者が米軍のより確認されました。この攻撃で基地内は混乱、銃火が飛び乱れ、米軍に多数の死傷者が生じました。
北飛行場の混乱で在空機を空母に収容するため機動艦隊の位置を放送する等のミスがありましたが25日は天候不良で日本陸海軍で300機以上が攻撃しましたが効果が上がりませんでした。残念な結果となりました。

参照光人社「写真太平洋戦争第8巻」
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Brave ship, Bbrave men (ウェップス)
2021-11-13 07:54:30
 Unknownさんのおっしゃるとおり、この作品は駆逐艦乗りの日常を淡々と描きたかったのに、商業主義との板挟みで中途半端になったというのが実情ではないでしょうか。(輸入の段階でアレンジもされますし('ω'))
 沖縄特攻を描いた著作には「我、敵艦ニ突入ス」(扶桑社)や、朝日ソノラマの「沖縄特攻(Brave Ship, Brave Men)」などがあります。後者では特攻機が対空砲射程外を旋回しながら機を見て次々と突っ込んでいって、最後に指揮官機が突入する様が米軍側から描かれており、心を打ちます。
 義烈空挺隊の映像を使ったのは、単にクオリティが高かったからではないでしょうか。広報は陸軍の方が上手なのは今も昔も変わらない?
返信する
九七式重爆撃機 (お節介船屋)
2021-11-13 10:42:58
義烈空挺隊の搭乗機は陸軍の主力爆撃機ですが名のとおり開発は古く、重爆撃機の名称ですが陸軍は全て中国大陸の地上軍支援目的であり、最大で250㎏、通常は30~60㎏の小型爆弾使用で搭載量も750㎏と少なく、欧米では軽爆撃機です。
昭和12年採用で中国大陸に投入、初期の一型から昭和15年からエンジン850馬力から1,150馬力2基に換装した二型が昭和19年まで生産されました。機銃武装は貧弱であり戦訓から武装強化、防弾等改修されましたが太平洋戦争中期から旧式化し、被害が増大しました。
百式重爆撃機「呑龍」、四式重爆撃機「飛龍」が開発されましたが生産機は九七式が多く、終戦まで第一線で使用されました。3機種とも搭載量は少なく、1tもなく重爆の名称でしたが軽爆であり、活躍も限定的でした。特に百式の一型は129機生産されましたがエンジン不調もあり実戦投入されず、エンジン換装された二型は使いやすくなりましたがソ連戦用として満州配備で、四式は19年春登場で遅すぎました。

一型生産数774機、二型1,282機
参照光人社佐貫亦男監修「日本軍用機」
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