ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

プレーンの下に海軍魂

2010-09-27 | 海軍
このお絵かきツールでの画、最近ちょっとうまくなってません?文字通りの自画自賛ですが。
勿論当社比で、例えば最初の作品「セルゲイ・ラフマニノフ」なんかと比べると、ですけどね。
この絵、どうやって描くかというと、10センチ四方くらいのスペースに、エリス中尉の場合中指一本でパナソニックの小型ノートパソコンの丸いところ(なんて言うんですかここのこと?)をなぞり、線を引いたりエアブラシ機能で(やっぱり中指で)影を付けたりするのです。

ご存じない方のために説明すると、お絵かきツールとは全く下書きなしで描くと、菅野大尉シリーズなどのように、字ですら可哀そうな人が書いたみたいになってしまうくらい思う通りにならないものです。
写真をまず大まかに線だけでスケッチし、それをスキャナでクロップしたものに「彩色」するという形でもう一度上から線を描いたり、彩色、白抜きしたりして仕上げています。

うちにはマックもあるので、何も中指の技能の限界に挑戦するようなこんなやり方でなくても、そちらでバンブーというパッドでペンを使って描くこともできるんですが、今回も何となく中指で描いてしまいました。

この方法でも、今日のような小さい人物の顔などは大変な苦労です。
非常に粒子が粗いので、少し手元が狂うと全く違う眼や鼻になってしまいます。
今日画像の顔も描いては薄消しで削り、の繰り返し。

この世界を究めて「お絵かきツールアーティスト」を目指そうかな。



そんなごたくはいいからこの二人の男前の説明プリーズ、という声が聞こえてきたので本題に入ります。

それにしても、ほれぼれしませんか?
当時流行の最先端だったタック入りウェストのだぶだぶズボン、裾はダブル。
粋にかぶったソフト帽、ぴかぴかに磨き上げられた靴は二色使いのサドルシューズにオックスフォードでしょうか。

何と言ってもポケットに手を入れた彼らの立ち姿。
まるでスーツの広告のモデルのようにきまっています。
この瀟洒な紳士が揃って「海軍中尉」だなんて、なんだかかっこよすぎて映画みたいですね。

左人物は二○四空飛行隊長、宮野善治郎大尉、右は台南空分隊長、若尾晃大尉の、いずれも大分空に赴任していた中尉時代です。
周りの背景から、別府のレス(料亭)の庭で撮られたことがわかります。



さて、海軍士官は任官した途端、軍服も私服も自前であつらえなくてはいけません。
軍服については海軍御用達のテイラーにオーダーしたのだと思いますが、プレーンと言われる背広一式についても、こと身なりにやかましい海軍はいろいろと「お達示」をしたもののようです。

お達示といえば、海軍では軍装で外出する際には行き先や行動などに厳しい制限が付けられました。安い居酒屋や怪しげな待合などはもってのほか、八百屋や魚屋などの買い物もダメ、酷いのは「みっともないから軍服で傘をさすな」・・・

軍服では傘をささず、たとえ急に雨が降ってきても走ってはならない、という傾向は日本に限らず世界基準での軍人の規範でした。
確かに傘をさしたり、頭に新聞をかざして走る軍人の姿は想像できません。
雨のときに許されるのは「雨用マント」
このようなものも、一式自費で揃えなくてはいけないのですから、大変です。

さらに洋服は英国製生地で仕立てさせろの、必ず帽子をかぶれの、裕福な家の子弟ならいざ知らず、農家や漁師はもちろん、普通の家庭の子弟にとってもさぞ違和感のある世界だったことと思います。

「海軍の食事マナー」の日にお話しした「礼法集成」には「端正典雅なるのみならず、努めて質素を旨とし」「香水、ポマードなどはこれを用いざるを可とす」と述べてあるにすぎません。
しかし実際は質素より「スマート」がモットーとされた海軍ですから、香水もポマードも、特別仕立ての背広を着てダンスホールに毎夜繰り出したモダンボーイ士官などには必需品だったでしょう。
流行について礼法集成は「分に応じ俗に従い」と、適度に取り入れるようにとのお達しです。



高木肇氏の「非情の空」には中尉の実家への手紙が紹介されていますが、その中に背広生地をマニラから川真田中尉に頼んで送ったという記述があります。

「合いの方は自分のつもりで、冬のは父上のつもりで買ったのですが、色合いなど具合が悪いようでしたら如何様にお取計い下さるとも結構です 特に私は別段いらないのですから」

それを買求めたときにはなかった「ある覚悟」がラバウルに転戦するときには芽生えていたということでしょうか。
「別段いらない」の言葉に隠された真意を思うと胸が塞がれる思いです。

そして送られた背広生地を家族はどうしたのでしょうか。
言葉通りそれを着ることはなかった笹井中尉ですが、裕福な都会っ子だった中尉のこと、飛行学生時代はこの二人のように上から下までキメて上陸したのでしょう。



鈴木實中佐は麻仕立てのりゅうとした白い背広にブルーと思しきカラーシャツに合わせた写真を残しています。
そのポーズもポケットに手を入れて少し崩した雰囲気がこれも伊達男風。
何故か海軍さんは背広で写真を撮るとき必ずと言っていいほどポケットに手を入れます。
軍服でそれは許されませんからここぞとばかりとるポーズなのでしょうか。


この鈴木中佐の他の写真を見ると、ソフトをあみだに被ったコート姿や、白シャツ(防暑服でしょうか)の計算された着崩し方といい、軍装でさえきっちり着ているのにどこか抜け感のあるたたずまいといい、天性のセンスとしか言いようのない着こなしのリズム感の良さを感じます。

しかしどんな格好をしていても、ぴんと張り詰めたようなまなざしの強さに、軍人としての精神の緊張と矜持が垣間見えるようです。


宮野大尉と若尾大尉のプレーン姿が粋でありながらそれだけで終わらず緊張感すら湛えた凛々しさを備えているのも、彼らがただの洒落者ではなくその瀟洒な仕立ての背広の内に海軍軍人としての闘志や理想、使命感などの志を秘めていたからに違いありません。






江田島教育 豊田穣著 新人物往来社
非情の空 高木肇著 光人社
画像参考:祖父たちの零戦 神立尚紀著 講談社















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