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菅野直伝説5~究極のやせ我慢

2011-11-27 | 海軍人物伝






「菅野直伝説」の続編を読者の方から催促されてしまいました。
「たぶん続く」
と書いたまま、全く続ける気が無いことをどうやら見抜かれたようです。
中指を駆使して描きあげた初期の菅野大尉伝説ですが、
どうやら菅野大尉で画像検索すると必ず出てくるようで、いまだに毎日訪問者がある人気シリーズ。
そこまで期待されては、とリクエストにお答えしました。

(余談ですが、まったく関係ないことを画像検索していて自分の描いた絵が出てきてびっくり、
ということが最近何度かありました。
インターネット検索の仕組みって、ほんと不思議だわ)

(前回までのあらすじ)
「特攻など犬死にではないか」と言い放った軍医中佐の言葉を勝手に
(しかもとなりの部屋で)
聞き咎め、部屋に乱入、またがってタコ殴りにした菅野大尉。
その半年後、敵の銃弾を受け、担ぎ込まれた医務室には、その軍医中佐が。

因果はめぐる。世間は狭い。
あるいは、春休みに公園で見知らぬガキに散々苛められ、その2日後新学期が明けて、
そいつが同じクラス来た転校生であったのをを知ったときの、
小学校5年、あの日のエリス中尉のような気持ちかもしれません。
(カキウチー、元気か?)

しかも、殴った相手は今や生殺与奪の立場に立ち、不敵な笑いを浮かべています(想像)
後ろで部下が見ていなかったら、素直に謝ってことを大きくしないで済んだのに、と
「隊長はつらいよ」で書きました。
案の定、この軍医がたこ殴り軍医でなかったら、おそらく菅野大尉がここでも
「麻酔なんぞいらん」
と大見得を切る必要はなかったわけですが、前回と言い今回と言い、菅野大尉、
なんだって、「男の見栄」のためにこんな究極のやせ我慢をするのでしょう。

度々引用するのですが、漫画「紫電改のタカ」で、背中に銃弾を受けた久保二飛曹が、
麻酔なしで手術をするシーンは、幼心に強烈でした。
「すうっ」とメスが入り、軍医の顔に縦に飛び散る血しぶき。
(このシーンはいくら漫画でもありえないと思います。戦地でもマスク無しは危険すぎ。
知人の医者の同僚は、劇症肝炎の血をオペ中に被って小さな傷から感染、死亡しました)
仲間が押さえつけるも、痛さのあまり気絶してしまう久保。
「麻酔なしで切り刻む」ということも起こりうる戦場の過酷さを初めて知った部分でした。

しかし、ここは外地ではなく、日本国内。
いくら物資不足でも麻酔くらいはなんとか調達できたでしょうに、なぜそこまで意地を張る?

しかも、この後、まだその傷も癒えないうちに出撃し戦ったというのですが、
このあたりの描写は何かと創作の多い豊田穣氏の記述ですので、
話半分で聴いていた方がいいかもしれません。


菅野大尉の知人や家族が、豊田穣氏や、碇義朗氏のインタビューに答えて語る菅野直像は、
常に生真面目で刻苦勉励を惜しまない、闘志あふれた優等生。
文学青年でもあり、家族や友人には好かれる好青年である一方、豪快で、時として磊落も
行きすぎたやんちゃな逸話をたくさん残しています。

(またまた余談、この『やんちゃ』という言葉を、過去の犯罪自慢に使うある連中が、
エリス中尉は大嫌いです。『昔はやんちゃしたけど今は』みたいな、アレ。
菅野大尉のやんちゃと、たかが不良の軽犯罪を同じ言葉で語るな!と言いたい)

そのやんちゃゆえ、特に菅野大尉の人間性を知らない、軍の上官、通りすがりの関係者には
「なんだあいつは」
と眉をひそめられたり、呆れられたりといったエピソードが数多く残されているのでしょう。

世が世ならばこのような人物は、その本質を見抜くことのできる実力者に認められさえすれば、
可愛がられ、いずれは何か大きなことを成し遂げていたはず、とは個人的な感想です。

 

究極のやせ我慢と言えば「修羅の翼」を書いた角田和男氏が、ラバウルにいる頃。
ルッセル沖飛行中、
「突然眼前の水平線が揺れた。変だな、とよく目を据えて見定めようとすると、
たちまち今度は大きく左右30度位も揺れ、傾く。(中略)
下方水面を見るともりもりと水面がせりあがってくる」

現象に遭遇します。

「戦争どころではない、地球の終わりが来たのか!と恐怖を感じた」

終わっていたのは地球ではなく、このとき角田氏はマラリヤを発病していたのでした。
しかし、マラリヤにかかったと知られれば、角田氏は飛行止めになり、
帰還を控え、大事をとって出撃を控えていた同僚と、
最近まで飛行学生だった未熟な中尉を出撃させざるを得なくなる・・・。
そこで角田氏は必死に発病を押し隠し、計器飛行に切り替え、帰還します。

「分隊士の計器飛行はあまり上手じゃないですね」

ふらふらと計器飛行で飛ぶ姿を列機の部下にからかわれても、

「それは俺がマラリヤだからだああ」

などとは口が裂けても言わない角田分隊士。
このやせ我慢は、あくまでも自分以外の人のためのもので、我慢したからと言って本人には、
何のメリットもない、というあたりにこの人物の凄さが現れています。
しかも
「このときの計器飛行の経験は後で役に立った」
と、ころんでもただでは起きない角田氏でした。


さて。
「痛いのや苦しいのを我慢するなんて、死を覚悟し、いつ死ぬかわからない搭乗員なら当然だろう」
などと、他人事だと思ってちらっとでも考える人は、ここにはいませんね?
人間というものが、目の前に来ている死の運命よりも、歯の痛みや切り傷をとりあえず辛く思う、
「目先の肉体的苦痛に弱い生き物」であることを、よく表している証言を一つ紹介します。

桜花隊特攻に出撃を志願したある搭乗員は、その旨血書にしたため、隊長に提出します。
この搭乗員は結局戦争で死ぬことは無かったのですが、戦後、知人に

「私は死ぬことはちっとも怖いと思わなかったけど、
血を取るのに小指を切ったときは、痛かったですねえ」

としみじみ語ったそうです。

菅野大尉のやせ我慢が、相当なものであることが窺い知れます。
あなた、麻酔なしで手術しろなんて、いくら相手に弱みを見せたくないからって、
実際にその場になったら言えますか?



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3 Comments

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To be continued (エリス中尉)
2011-11-28 19:35:12
このエピソードは終わりですが、おそらくまた別の伝説がそのうち登場すると思います。
気長にお待ちくださいませ。
返信する
Unknown (とおりすがりです)
2014-09-16 21:23:15
このエピソードは史実なんですかね?フルボッコにした軍医と麻酔なし手術した軍医は同一人物だった~っての。なんにしても菅野中佐のヤンチャぶりを示すいいエピソードですね。
ごめんなさい、突然で。菅野直中佐に感銘を受けて検索してたらこちらに伺いました。
個人的にはバイオレンスな人物は尊敬できないのですが、菅野中佐は別格ですね。彼の振るう暴力はスジが通ってますから。
中でも一番スキなのは、軍医を馬乗りでボッコボコにするくだりです。菅野中佐自身「特攻なんて人員と機材の無駄だ。俺だったら死ぬまでに敵を山盛りで殺してやる。でも命令なら逝く。そのかわり、俺の部下は一人もいかせない」って言ってたクセに、軍医が「特攻なんて犬死だ。日本はもう終わりだ」と言ってるの聞いた時に怒り狂う。
一見理不尽ですけど、日々、命を散らしていく若人を目の当たりしている菅野中佐は、そことは離れている人間が、「無駄死に」と評することに我慢できなったんだと思います。死んだ若人を「犬死」なんて評されることを許せなかった、嘘でも「英雄」なんだと…。
とても不器用で優しいヤンチャ坊主…。胸が熱くなります…。
返信する
とおりすがりさんへ (エリス中尉)
2014-09-17 17:51:04
ほんとうにその通りの事件があったかどうかは今となっては分かりませんが、
バンバン着陸のときに文句を言われてプーッとフクれ、レッセンで飛行機の向きを変え、
テントを吹き飛ばした、という逸話は、そのときに一緒だった部下の方にお会いしたときに
確かめたところ、全くその通りだそうです。

火のないところに煙は立たないといいますし、どんなにネタっぽいエピソードも
菅野大尉なら「本当にあったんだろうな」と思ってしまいますね。

わたしが疑っていた「一式陸攻で敵から逃げて島の海岸にに着陸」というのも、
読者の方に聴いたのですがどうやら本当だったみたいですし・・。

特攻については関大尉の「特攻第一号」の報を聴いたときには「うちがやりたかった」
といって本当に悔しがっていたといいいますから、これは想像ですが
「公の自分」と「私の自分」で特攻に対する思いも少し違っていたのかなと。
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