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駆逐艦「カッシン・ヤング」DD-793

2017-04-20 | 軍艦

ボストンのチャールズタウンにある海軍工廠跡に、
かの帆走フリゲート「コンスティチューション」が係留されています。

何日かに渡って「コンスティチューション」についてお話をし終わったところですが、
今日は同じヤードの少し後ろ側に係留されて、「コンスティチューション」を
まるで護衛するかのようにその姿をとどめているフレッチャー型駆逐艦

「カッシン・ヤング 」USS Cussin Young DD-793

についてお話ししておこうと思います。

アメリカ海軍の現役のフリゲート艦であると同時にアメリカ議会で定められた
「ナショナルシップ」であり、歴史的遺産でもある「コンスティチューション」は、
この、ボストンのシティホールのある古くからの中心街ノースエンドを
対岸に望む河口沿いのチャールズタウンにあります。

この河口はハーバード大学やMITのあるケンブリッジのあるチャールズリバー、
タフツ大学のあるミスティック・リバー、そしてチェルシーリバーと
三つの大きな川が流れ込み、波もなく穏やかで、港としては絶好の地形なのです。

ちなみに時計台のあるシティホールだけでなく、教会や、この手前に見えている
アパート群はいずれも地震のないボストンでは100年を優に超える建物ばかりです。
 

チャールズタウンの海軍工廠は、このようになっています。
右側の端っこが変ですが、これは現地の看板が大きさを合わせるのに失敗したらしい(w)

左に「コンスティチューション」、その後ろに見えるのが「カッシン・ヤング」。
ちなみに「YOU ARE HERE 」というところに立ってみると・・・、

「カッシン・ヤング」はこのように見えます。
この右側は水陸両用の観光バス、定期船、クルーズ船のターミナルです。 

 

最初に「コンスティチューション」を見学するためにここに来た時、
このドックについてなんの予備知識も持たなかったので、
「コンスティチューション」に入るためのチェックゲート(左)から、
こんな景色が見えるのにまず驚きました。

「コンスティチューション」の後ろに堂々と聳える駆逐艦。
まるでナショナルシップである彼女を後ろから護衛しているようです。 

到着したのがそんなに早い時間ではなかったので、わたしはまず
こちらの軍艦を見学しようと、「コンスティチューション」を後回しにして
右側に向かって進んでいきました。

重量物を運搬するためのレールが何本も走る岸壁。
「カッシン・ヤング」の向こうには、観光船である帆船の姿も見えます。 

岸壁に立っている年代物のクレーンの様相に思わず目を見張ります。
これはかなり古いものに違いありません。

 

現地の説明。
古いものから最新型(左下写真のもの)まで、海軍工廠の「腕」です。

見学時間が終わってしまう前に、とこちらを優先してたどり着いた
「カッシン・ヤング」の舷門。

「ウェルカムアボード」

という垂れ幕があるにもかかわらず、前まで行ってみたら
見学は終了していました。orz

仕方がないので外側だけからの見学です。
「カッシン・ヤング」は「フレッチャー」級の

・・・・・何号艦かはわかりません(笑)

「ジョセフ・P・ケネディ」のギアリング級駆逐艦の前身とも言え、
大戦時に大量に生産され、その名前は功績のあった海軍軍人にちなみ、
さらには戦後世界の海軍に譲渡されたというのも同じです。

海上自衛隊には2隻が貸与され、「ありあけ」型とされました。

 ヘイウッド・L・エドワーズ (USS Heywood L. Edwards, DD-663

 が1960年から「ありあけ」DD-183として、

リチャード・P・リアリー(USS Richard P. Leary, DD-664)

が1959年から「ゆうぐれ」DD-184として、つまり「朝と夕方」の名前で
15年間自衛艦に在籍していました。 

「エドワーズ」「リアリー」はどちらもまさにここ、ボストンの海軍工廠で
1943年に就役し、いずれも対日戦に参加しています。

ほぼ哨戒任務だけで目立った海戦を行なっていない「エドワーズ」と違い、
「リアリー」の方は、ペリリュー上陸作戦の支援、レイテ湾沖海戦に参加し、
1944年10月29日のスリガオ海峡での海戦においては

戦艦「山城」に魚雷を発射し、敵機一機を撃墜

という戦いを行なっているわけですが、当時の海上自衛隊にはまだ多くいた
旧海軍軍人が、「ゆうぐれ」に乗ってどんな感慨を持ったか知りたいものです。

スリガオ海峡での海戦で、「山城」の生存者は10名。
この10名は「アメリカの駆逐艦に助けられた」ということですが、
それがこの「リアリー」であった可能性は大です。

そういう意味では彼女の人生は日米の狭間で誠に数奇なものであったと言えます。

 

現地の説明板の写真より。
「ファイアコントロール」とは砲撃手のことです。

(註:銃撃統制室のことであるとコメントにて指摘あり)

「フレッチャー」型駆逐艦は5インチ38口径単装砲 を5基搭載していました。

当時駆逐艦の砲撃手は、花形の配置だったと思われるのですがどうでしょうか。

1944年、ウルシーにおける「カッシン・ヤング」(一番右)。

「ベンソン」級「ケンドリック」DD-612
「シムス」級の「オブライエン」DD-725などと
並んでいます。

 

艦隊における「カッシン・ヤング」は、レーダーピケット艦として
特攻隊の攻撃から空母を守る役目をしていました。

レーダーピケット艦は機動部隊本隊から遠く先行し、レーダーによる情報収集を行い、
敵の攻撃隊を探知すると、味方機動部隊本隊にその情報を送信するのが役目です。

この情報を受け、艦隊旗艦の迎撃戦闘機隊が迎撃を行います。
もし戦闘機による迎撃をくぐり抜けた攻撃隊があれば、それを攻撃するのが
駆逐艦の役割でした。

地図上に「 USS PRINCETON SINKS」という十印がありますが、
空母「プリンストン」がレイテ湾沖海戦において、
雲間から現れた日本海軍のたった一機の彗星に、

「まるで悪魔のような熟練の技で」 

500キロ爆弾を投下されて沈められてしまった場所です。

(実は滝沢聖峰氏の漫画のあの場面が忘れられないわたしである) 


地図には「カッシン・ヤング」が特攻の突撃を受けたことも
飛行機のマークによって記されています。

いずれも「ピケットNo. 1」「ピケットNo.9」と、ピケット艦の
ポジションが記録されています。

駆逐艦は先ほども説明したように、航空機が迎撃しそこなった
特攻機と対峙せねばなりませんでした。
特攻する方は、駆逐艦などではなく中央の空母を狙うのですが、
状況によっては被弾した航空機が手近の駆逐艦を道連れにするため
突っ込んでくるということも多々あったのです。 


というわけで、「カッシン・ヤング」上で1945年に行われた海軍葬の様子。


これがおそらく4月12日と7月30日に突入した特攻機による死者のための儀式でしょう。

まず4月12日に第3神蕾桜花隊ら大量の特攻機が沖縄に出撃した
菊水2号作戦とは、海軍103機、陸軍72機が出撃したものです。

「カッシン・ヤング」は特攻機5機を撃墜し、1機が頭上で爆発したため
1名が死亡、58名が重傷を負いました。

日本側の未帰還機は 海軍69機、陸軍49機です。

7月29日に行われた特攻作戦では、「カッシン・ヤング」は右舷に特攻機の激突を受け、
銃撃統制室にひどいダメージと火災を生じ、22名が死亡、45名が負傷しています。

写真はおそらくこの時に行われた海軍葬だと思われるのですが、
この時に出撃した特攻隊は海軍の第3龍虎隊(93式陸中練)ということがわかっています。

現在博物艦となっている「カッシン・ヤング」ですが、
1942年から44年までの2年間に、175隻も建造された「フレッチャー」級 駆逐艦は
全てが退役を済ませ、標的艦となったりスクラップとなったりして、
現存する4隻のうちの貴重な一つとなっています。

展示されて現存しているのはDD-537「ザ・サリヴァンズ」
DD-661「キッド」、DD-581 「チャレット」
そして「カッシン・ヤング」の4隻。

「フレッチャー」級の175隻中第二次世界大戦で戦没したのは17隻。
そのうち特別攻撃隊の突入による戦没は9隻。

9隻も特攻機に沈められたのと同型艦を戦後の日本に貸与するというのは
アメリカ海軍にも思うところがあったのではないかとわたしはつい
そこまで考えてしまうのですが、実際のところはどうだったのでしょうか。

 

蛇足ですが、戦没とカウントされている1隻(DD-512 『スペンス』)は
あのマケイン&ハルゼーコンビの指揮によるコース選択ミスが招いた
コブラ台風による沈没です(涙) 

 

もう1日、「カッシン・ヤング」についてお話しします。

 

 

 



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2 Comments

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射撃 (Unknown)
2017-04-21 06:07:58
Fire Controlは、艦橋の上にあるレーダーで砲の照準を行う部署で、海軍や自衛隊では射撃管制(射管)と呼ばれ、砲台に入って砲の操作(砲台を回したり、弾薬を装填する)を行う部署とは別です。

砲撃と書かれたのは、砲台内で砲の操作を行う部署をイメージされていると思いますが、海軍や自衛隊では「射撃」と呼ばれ、米軍ではGunners’ Mateと呼ばれています。

この二つの部署は連携して射撃を行います。マストの上に平たい強力なレーダー(探知距離100キロ超)があり、これで敵機を探知し、近付くものがあれば、艦橋の上にある小さ目のパラボラアンテナのレーダー(射撃指揮装置。探知距離は数十キロ)を向けます。

射撃管制は、射撃指揮装置を操作して、敵機を連続して追尾出来るようになれば、射撃(砲台)と連携して、レーダーの向きに砲台を連動させます。

連動させるまでは砲台長がハンドル操作で動かしますが、この後は手放しで艦橋上のレーダーに連動します。レーダーは船の動揺にも連動し、砲身は一定の方向に向きます。

敵機がお構いなしに近付き、射程内に入れば、射撃します。砲台長は艦橋上のレーダーに乗っている射撃管制員長(射管長)と連携して、肉眼で確実に敵機であると判断したら、引き金を引きます。どちらか一人ではダメで、二人が引き金を引かないと発砲しない仕組みになっています。

弾薬は、船底の弾薬庫から砲台までは揚弾機で上がって来ますが、砲に装填するのは、人力です。撃った後、熱い空薬きょうが装填手の近くに排出されるので、ボーっとしていたら怪我をします。今は装填のすべてが自動化されており、楽になりました。

あくまでもイメージですが、射撃管制(射管)は電子機器の操作が主なのでちょっとカッコいい感じで射撃は力任せに弾込めという感じです(笑)
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よくわかりました (エリス中尉)
2017-04-21 08:17:25
射撃管制は頭脳労働で射撃は肉体労働(あくまでもイメージ)ってことですね。

今「セーラム」について書いているのですが、「ガナー」と出てきたので
なるほどこれが射撃手であろうと理解したばかりでした。

ちなみに弾薬の装填が自動化された最初の軍艦はこの「セーラム」だったとか。

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