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潜水艦パンパニト乗艦記~魚雷発射孔の日の丸

2014-01-30 | 軍艦

さて、サンフランシスコはフィッシャーマンズワーフに繋留されている
潜水艦「パンパニト」乗艦記、最終回です。



もう一度おさらい、パンパニトからアルカトラズ島を臨む。



ヘリもいましたが、さすがにこの種類は分かりませんでした。
おそらくヘリコプター遊覧ツァーであると思われます。



パンパニトは
「サンフランシスコ海洋国立公園協会」
によって管理されています。



パンパニトのものではありませんが、潜水艦のスクリュー。



21インチ魚雷はカモメの糞まみれ。



別の種類の魚雷。
いずれにしてもゾンザイな展示の仕方で、呆れてしまいました。



トルピード・ローディング・ハッチ

パンパニトから取り外したもので、この艦のオリジナルシステムだそうです。
45度になっているのは発射の水圧の影響を受け難い形だとか。



チケットを買うとこの階段を上りラッタルを渡ってフネに入ります。

実は、このラッタルを渡ったところに、一人の老人が座っていました。
この写真ではちょうどパンパニトと書かれた部分に隠れて見えませんが。
切符のもぎりか解説員かな?と最初は思ったのですが、
来観者に愛想良く声をかけているもののそれだけで、
どうもここでずっと時間潰しをしているだけの老人らしいとわかりました。

皆取りあえずラッタルを渡ったところにいるのですから、挨拶します。
彼は嬉しそうにそれに答え、ニコニコしていますが、それだけ。

TOとの間でも話題にもならなかったのですが、わたしは少し気になりました。
この老人は一体何者なんだろう・・・?





それにしても、我々日本人が潜水艦の実物にあまり馴染みがない理由は、
戦争に生き残った潜水艦が一隻も現存していないということでしょう。

以前にも書いたように、日本海軍の潜水艦は139隻が大東亜戦争に参戦し、
そのうち終戦のときに残っていたのはわずか12隻にすぎませんでした。

たった12隻とはいえ、生き残った潜水艦もあったということです。

しかし、その全ては、まず米軍によって技術解明のため接収されました。
特に、日本だけがそれを可能にしていた、

「潜水艦に飛翔体を搭載し、それを飛ばし、偵察または攻撃をする」

という技術には内心驚愕したと思われます。
それらの技術含め、アメリカは研究し資料にした後、全てを破棄することにしました。
生き残った日本の軍艦も多数がそうなったように、実艦的としたほか、
全てを海没処分にしてしまったのです。

これは、他の国、特にソ連に技術を渡したくなかったからだと言われています。

原爆を搭載していた重巡洋艦インディアナポリスを撃沈した伊58は、
終戦時に残っていた12隻の潜水艦のうちのひとつでした。
艦長は、橋本以行中佐

橋本中佐は米海軍に呼ばれ、わざわざアメリカまで行って
インディアナポリス撃沈について証言をしていますが、これは映画「人間魚雷発進す」で、
森雅之演じる艦長がアメリカの軍法廷で証言するシーンの元となっています。

この裁判は日本軍にその責任を問うものではなく、インディアナポリス撃沈の
責任の在処をはっきりさせるための 裁判でした。


戦後、橋本はアメリカ軍によって接収された「伊58潜」が、
長崎港外で魚雷による撃沈処分されるアメリカ国防省のフィルムをを見て静かに涙を流し、

「あの艦は私の人生の全てでした」

と語ったそうです。




トイレの個室にはここぞとボンベや管が配されていますが、
それなりに広いスペースの個室です。

このくらいなら、都内の飲食店でもっと狭い洗面所はいくらでもあります。(断言)



トイレの左側には今でもペーパーが備えてあります。
どう見ても上部左横に出っ張っているものは邪魔に見えますが、
先端にロープを通すような穴があいているので必要なものだったのでしょう。
左真横にあるのはただのパイプのようですが、用足しのときに揺れたら
つかまるためのものかもしれません。



これはもし点灯したら、この区画は魚雷発射室のように真っ赤に照らされるでしょう。
前にも書きましたが、これは潜水艦内で昼と夜を感覚的に知るため、
電球の色を時間によって変えているのです。



これはやはり折りたたみ式のシンクのようなものだと思われます。
説明板が無く、解説員も全く仕事をしていないのでわかりませんでした。



コンパートメントの仕切りの足元は、長年人が踏みしめている間に
わずかですが変形し、金属が磨かれてツルツルになってしまっています。



もしベッドに寝て、上を見たらこんな光景が見える・・・と。
ベッドの上段は風が直接当たるし、電球がまぶしいし(寝るときは消すのかな)
案外寝にくいかもしれませんね。

いずれにせよ、上のものが寝返りを打つたびにいかにもきしみそうなスプリング。
エンジンの音といい、平時の繊細な神経ではとても寝ることなど出来なさそうです。



当潜水艦が1944年から5年に掛けて6回の哨戒に出たこと、

「いまだ哨戒中」である52の潜水艦と、
3505人のサブマリナー
に敬意を表して、
当艦が保存されることになった


ということが書かれています。



日本側の127隻喪失、というのももちろん凄まじいですが、
アメリカ軍も、52隻もの潜水艦が日本との戦争で戦没しました。

この碑はその犠牲に対する慰霊碑で、

「これらの艦が永遠の哨戒に当たっていることを我々は忘れない」



さらに、どの潜水艦がどこに沈んでいるのかを地図で示しています。
この文章にも、潜水艦勤務が大変危険なもので損失率が高いにも関わらず、
彼らはすべて勤務を志願したことを忘れてはいけない、とあります。

それはいいんですけどね。
最後の一文が・・・

「潜水艦勤務は海軍従軍者の2%に過ぎなかったが、
戦争中に撃沈した日本の船の55%が、潜水艦の攻撃によるものである」

もしかしたら、これ我が軍の戦果を讃えてますか?


そうなんですよね。
北京原人の化石を載せていたかもしれないあの「勝鬨丸」、
もとはイギリスのフネだった勝鬨丸(開戦のとき接収した)を撃沈して、
自国の捕虜をたくさん海の藻屑にしちゃったなんてこともありましたよね。

あわてて海面に漂う捕虜を救い上げたものの(おそらく日本人は殺したんだろうな)
勝鬨丸に乗っていた捕虜の殆どはこの攻撃で死んでしまったって言うね。

これ有名な話なのに、どこにも書いてない。

功績を讃えるばかりじゃなくて、戦争だったんだからそういうこともあった、
とちゃんと包み隠さず書かんかい!(怒)

 


と相変わらずこういうことには厳しいエリス中尉ですが、
彼らとしても軍人として海に出れば、敵を攻撃するのが任務。
やらなければこちらがやられてしまうのですから、仕方ありません。



さて、魚雷発射室にもう一回戻ります。
これが21インチ魚雷。
全部で10門発射管が備えられています。



そのうちの二つ。



こちらの魚雷も中が見えるように開けられています。
弾頭は意外なくらいシンプルな仕組みですね。



魚雷のスクリュー部分。



そして・・・。
これを見たとき、わたしとTOは一瞬息を飲みました。



10基ある魚雷発射管の蓋に描かれた日の丸。
まさにその日本の船に向かって幾度となく魚雷を撃ち込み、
多くの日本人を(だけでなく1300名ものアメリカ人を)
海に葬って来た、という証拠です。

こういうとき、アメリカ人というのはまったく「配慮」というものをしません。
世界的基準で考えて、日本ほど戦争にまつわることにセンシティブな国もありませんが。

もっとも、ここに見る限りアメリカさんは自分に都合の悪いことはあえて言わない、
という意味での「配慮」はしているってことになります。

いずれにせよよってこの日の丸も何度となく塗り替えられて来たらしく、
戦後70年のときを経て、いまだに白地に赤の日の丸は鮮やかでした。


そう昔でもない過去に、こんな事実が在った。
その思いは、鮮やかな日の丸を目にしたことで一層現実感をもって胸にきました。

この国と、戦争をしたのだ。
勿論アメリカの戦争に関する遺跡を見るたびに考えたことでしたが、
魚雷発射孔の日の丸は、自分でも意外なくらい日本人であるわたしにショックを与えました。




ストアとかかれた小さなブースには誰もおらず、
関係書籍やパンフレットがあれば購入して帰ろうと思ったのですが、
受付で聴くと、そこに座っている若い男は面倒くさそうに

「販売は今やっていないので」

と言ったのみでした。 
当初はギフトショップになっていたようなのですが。 





わたしは日本に帰って来た今、パンパニトの艦橋に座っていた小さな老人は
もしかしたらパンパニトの元乗員だったのではないだろうか、と思うことがあります。

ベテランだからこそもらえる永久無料入場パスを持っていて、
毎日のようにここに来ては一日甲板に腰をかけ、
あまり多くない来観者を、まるで自分の家に迎えるように微笑みつつ眺め、

「俺のパンパニトによく来てくれたな。しっかり見ていってくれよ」 

と心の中でつぶやく老人。
もし誰かに声をかけられたら、そのときは8番魚雷発射孔から
「ジャップのフネ」に狙いを定めたこともある、と話してやろう。

しかしそんな老人を皆見ながら只行き過ぎるだけ。
今日もパンパニトの甲板には彼の「
人生の全て」であった潜水艦と
静かに余生をすごしているかつてのサブマリナーが居る。



・・・・なんちゃって(笑)

 




 

 



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2 Comments

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重爆の隅を (M24)
2014-01-30 05:01:14
エリス中尉、おはようございます。M24です。

私、雑誌「世界の艦船」の40年来の読者ですが、潜水艦の内部をこのように詳細に撮影した写真は見たことがありません。
とても興味深く拝見させて頂いております。

で、恐る恐る「重爆の隅」を突かせて頂きます。

インディアナポリスは、重巡洋艦です。
テニアン島に運んだのは、原爆の本体ではなく、部品だったようですね。


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隅じゃないです・・ (エリス中尉)
2014-01-30 23:54:54
重爆の隅じゃなくて重爆撃そのものクラスです。
潜水艦潜水艦と続いていたのでつい潜水艦と何も考えずに打ってしまっていました。
勿論すぐさま訂正しました(・Θ・;)

ありがとうございました。
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