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台湾・烏山島ダムを行く~日台の桜

2013-01-24 | 日本のこと

烏山島にダムを作るという計画は、技師八田與一が土地を選定しました。
「ここなら大規模なダムが作れる」

あまりにも対象となる土地が広大すぎるため、
予算が膨れ上がることに台湾総督府は難色を示しました。
なにしろ、総督府の総予算の三分の一、予算の一年分が必要だというのです。

もともと総督府が台湾に治水工事をし、米を作るというのは、
内地(日本)のコメ不足をここで補おうという、いわば
「植民地統治国としてのまっとうな搾取」を目的としていました。

ですから「治水によって水が流れる地域を半分に削減したとしても
それは目的には十分かなうし、第一費用も工期も半分で済む」
そう総督府は考え八田にそのように提案しました。

しかし、八田は「それでは全ての平野に水か行き渡らない」と食い下がりました。
同じ土地でありながら水のある地域と無い地域ができれば、地域格差が生まれてしまう。
治水工事はそこに住むすべての住民を幸福にするものであるべきだ。
これが八田の考えでした。

台湾の統治を「日本が搾取するための植民地経営であった」(だから悪である)
と言い募る人たちに聴きたいのですが、もしあなた方の言う通りであったなら、
このとき後藤新平ら台湾統治責任者が、この八田の案にOKを出したでしょうか。

この工事が為ったことそのものが、八田のみならず、台湾総統府、
そして日本政府が台湾を「日本の国の延長として当然のように豊かにしていく」
と考えていたことの証左であるとわたしは考えるのですが、いかがでしょうか。



八田の業績や生涯を紹介するビデオを見た記念館の前の道。

バイクが止まっていますが、これはわたしたちのために来てくれた
記念館の係が、わたしたちが出て行ったので「もうしばらく用事ないし」
とばかりに帰っていく様子。
合理的といえば合理的です。

誰も来ないのにどんな場所にも一日人を座らせておく日本式とは少し違います。



もしかしたらこの苔むした煉瓦の壁は往時のものでしょうか。
タクシー運転手の王さんは、「ここをあがるんやで」と階段を指さしました。
(台南地方は日本で言えば大阪みたいなものなので、王さんは関西弁)
まったく言葉が通じなくても、本当になんとかなるもんです。



コンクリの剥げたところからここにも煉瓦が顔を出しています。
これもおそらく昔からのものでしょう。
八田與一もこの階段を踏んでここを上ったのに違いありません。



階段を上るとそこに広がるダム湖。
日本政府はこの工事のために5414円を出資しました。
八田は、このダムの建設の際、地質は勿論、地震が起こることも考えて、
その工法(セミハイドロリックフィル工法)を考え出したということです。

余談ですが、朝鮮戦争当時、アメリカ軍は北朝鮮にある水豊ダムを空爆しました。
ダム空爆は、イギリス軍がドイツルール工業地帯ののダムを空爆して打撃を与えたように、
戦況を有利に運ぶためにしばしば計画されましたが、アメリカ軍は結果として
このダムを決壊させることはできませんでした。

なぜか。

水豊ダムという名前からもうすうすお分かりかと思いますが、
これは統治時代に日本が作ったもので、建築技術が優れていたため、
数度にわたる空爆にもびくともしなかったのです。

「朝鮮半島に対する過酷な植民地支配」
とか言っている人たちには、日本がこういうダムまで支配地に作ったことを
どう解釈するべきか、是非論理的に説明していただきたいものですね。




ここが100年前はただの砂地であったなどと信じられないほど、
湖はなみなみと青い水を湛えています。
水系の全長1万9千キロ。
これは地球を半周するのと同じ長さになります。

ここにも、護衛艦の縁にあったような謎の物体が。



2012年に完成したばかりの、八田公園への道。
昨日お伝えした「八田住居村」があります。
ここの資料館はなかなかモダンな展示がされていましたが、
テレビ画面にずっと八田の紹介ビデオが流されていました。



ちょうどここに書かれている事故は、トンネル内に満ちたガスによる引火爆発です。
この事故で50人以上が死亡しました。
八田は犠牲者の家庭を一軒ずつ回って、頭を下げました。
その真摯で悲痛な様子に、人々はむしろ心を打たれたと言います。

もともと、労働環境を整えたり、日台の関係者を分け隔てなく扱い、たとえば、
アメリカから来た人種侮蔑的な技術者に対しても「白人の鼻をあかしてやろう」
と一緒に戦うことを口にしてきた八田です。

日本が関東大震災に見舞われ、そのあおりで工事の予算が縮小されることになったときも、
八田がまず首を切ったのは台湾人ではなく優秀な日本人技術者からでした。
その理由は二つ。

「日本人技術者で優秀なものであれば再就職先はいくらでもある」
「このダムは台湾人のためのものである」


工事が再び順調に進められるようになったときには、
八田はクビにした日本人技術者をもう一度現場に呼び戻しています。



タクシーの運転手王さんが「ここにいけ」と示した階段の一つ。
この急な階段を上っていくと、このような景色が開けます。
放水口から流れ出る水が作る疎水です。





樹齢100年は軽く越していそうな大木。
二本の木が一体化してしまっています。
どうやらここを多くの鳥が住処にしているようでした。



洋風のような台湾風のような建物があります。
誰もいないようですが、事務所か何かで、この日はお休みだったのかも。




その隣にあるのがこの工事慰霊碑。
ダム工事が完成した時、このダムにかかわって命を失った人々の名前が、
一人残らずここに記され、顕彰されています。



碑の正面にある感謝、並びに追悼文は、八田與一本人の筆になるものです。
そのきっかりとした几帳面な文字は、技術者であり、緻密な計画を
全て細々と書き残した八田らしさに溢れています。

この追悼文の残り三面にわたりびっしりと、その人名がしるされています。



そのうち一面がこれです。
見ていただきたいのですが、日本人名と台湾人名が、
それこそ順不同で並べられています。

これは、性別民族関係なく、「死亡順」なのです。
ガス爆発事故で亡くなったのは50人でしたが、10年に及ぶ工事期間、
亡くなった関係者の総数は136名に及びました。

名前の中に女性名が混じるのは、この中に「病没」をも含むからです。
とくに正面に八田の書にもありますが、日本からわざわざ台湾に来て、
異国の地で亡くなった関係者の魂をも、八田は顕彰するべきだとしたのです。

工事関係者の「労働組合」もあったようです。
この写真の左から二行目に
「事故死没者 組合外」
とあるのは、組合員ではない、おそらく臨時雇いの工夫たちのことでしょう。

「なんで八田さんは俺たちを日本人と同じように扱ってくれるんだ」

この記念館で買い求めた虫プロ製作の「パッテンライ!八田與一」というアニメで
劇中、台湾人の阿文(おそらく本名は文一字。阿は阿Qのような接頭の君付け)
が八田に聴きます。
八田の答えは

「海に国境があるか?
俺たち土木屋は、その土地に住む人々を幸せにするために働くんだ」

というものでした。




前回お話しした桜の横には、まるで神社のように絵馬を掛けるところがありました。
台湾の人も願い事を書いたものを木に吊るらしいことを去年の旅行で知りましたが、
ここでは日本からの観光客だけではなく、台湾人もまた絵馬を吊っています。

しかし、明らかに日本人名なのに日本人ではないような文が散見されます。
「事故らない」と書いているのはどうも李さんという台湾人のようですが。

もちろん、四文字熟語でお願いする中国語絵馬も多し。
日本語が書けると、ついこういうところでは日本語でお願いしてみるのかな。



「台湾の人がもっともっと大好きになるような日本にしていけますように」

鈴木さん、わたしもそう思います。
まずは中国にへつらうあまり台湾を軽視、無視してはばからない政府と、
なによりマスゴミを何とかせねばなりませんね。



三つとも日本語を使っていますが、台湾の人ですね。
一番左の人は「ここから仙台に愛を」と書いているのかな?



もしかしたら台湾から親の転勤が終わって日本に帰る小学生でしょうか。
絵馬の表側には、八田夫妻の肖像が印刷されています。
もしかしたら「縁結び」の神様のような扱いでもあるのでしょうか。



さて、すべての見学が終わり、隆田駅に向かいます。
灌漑後に創られた道なので、どこまでもまっすぐ。



道のわきには水を湛えた水田が続きます。
それもこれも、八田與一という日本人がいなかったらなかった光景。
最近読んだ台湾人の書いた本に

「もし、台湾が日本ではなく、未開のまま中国国民党に最初に統治されていたら、
おそらく海南島のような貧しい国のままで近代化はありえなかっただろう」

とありました。
何かと植民地支配という言葉をネガティブにとらえ、
まるでそれが悪いことのように言う人たちもいますが、
台湾の人々は実はこのように評価しているのです。
そして、そのような評価の証拠となる光景が、ここにあります。



大きな酒瓶を看板替わり。
見るからに大規模なお酒の会社もありました。
良質の水がなくてはありえない業種です。

この辺で取れるコメは蓬莱米といい、日本のコメどころと同レベルの、
非常に美味しいものなのだそうです。



隆田駅前に付きました。
客待ち中のタクシーの運転手さんたちが、碁をしています。
二人がこちらを見ているのは
「なんでこんな光景を写真に撮るんだ?」と不思議がっているから?
寝そべった犬や、誰も携帯を見たりしていないのがいかにも台湾の風景。
今回の旅行で結構気に入っている写真の一つです。


先に「謝謝」といって車を降り、後から勘定を終えて出てきたTOに
「いくらだった?」と聞くと、
「700元(2100円くらい)だった」
「チップ上げた?」
「あげた。100元プラスしてあげた」
「安いねえ」
「おっちゃんも高めに言ったんだと思うけど、それでも安いよね。
彼らにすれば、6000円もらって、チップが1000円ってかんじ」

あまり張り込むと、日本人を今度乗せたときにもう少し吹っかけてみようかな、と
おっちゃんが考えてしまう可能性もないではないですが、それより、
日本人はちゃんと対応してあげるとそれなりに謝意を表明するものだと分かれば、
次に来た日本人にかれはより一層気持ちよく接してくれるでしょう。





ここにあった「絆の桜」は、日本と台湾の人々が力を合わせ、
大事業を成し遂げたということの象徴のようです。
ほとんど同じ大きさで、お互いその枝を相手に絡ませるようにしながらも
決して交わることなくしっかり向かい合って立っている。

花が満開になるとき、この木はまるで二本で一つの桜の木のように見え、
その花びらはお互いに伸ばした木の枝の間を舞いながら散るのでしょう。







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