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バーキン片手に靖國神社

海軍艦上午餐会

2012-07-09 | 海軍


呉訪問で、元自衛官の掃海艇艦長氏が計画してくれた、「呉海軍ツアー」の〆は、入船山でした。
と言っても、艦長氏本人は自分は知っているので、と、入船山の前で我々と夫人を降ろすと、
そのままさっさと車で去っていったわけですが。

我々を案内するために予定を立て、きっちり時間まで筆ペンで書き込んだ予定表を
車のダッシュボードにテープで貼り付けて、その通りに行動するという、
徹底的な海軍体質であったこの艦長氏ですが、またそれも仕事がらか人柄か、無口で無愛想。
美味しいお好み焼き屋も、TKG(卵かけご飯)の美味だった料理屋も、
全て自分はバックれて、奥さんにアテンドを丸投げです。

というか、そういう方が我々のために「そこにいくと往時を思い出して気が重くなる」
旧兵学校見学にまで連れて行ってくれるなど、貴重な時間を費やしてくれた、ということを
今さらながらありがたく思いだすわけですが・・・・・。


さて、艦長抜きで見学に訪れた入船山。
ここは呉市の史跡に指定されています。
海軍の健軍に伴って呉鎮守府が置かれ、古代から亀山神社が鎮座していた入船山、
通称「亀山」に、洋風木造二階建ての軍政会議所兼水交社が建てられました。
1892年(明治25年)から、ここは呉鎮守府司令長官官舎として利用されていました。
そのころから通称は「長官山」となりますが、戦後はまた「入船山」と呼ばれ今日に至ります。

最初の官邸は、日露戦争直後の明治38年(1905年)、震源を安芸灘とする、
マグニチュード7.2の芸予地震が起こり壊滅的被害を受けたため、新しく建て替えられました。

それが現在ものこる、この司令長官官舎です。




この入船山の史跡については、また稿を改めるとして、今日のテーマは、
この長官官舎の内部に展示されていた、往時のダイニングテーブル(冒頭画像)の上の

午餐会のメニュウ

殺伐とした話題が続きましたので、今日は優雅に美味しく参りたいと存じます。

帝国海軍はイギリス海軍をお手本に作られたので、制度を始め、用語など、いたるところに
その名残が見られるわけですが、こと料理に関しては、海軍が熱心に導入したのは
イギリス料理ではなく、フランス料理でした。
このことは、良いものだけをこだわって取り入れるという海軍の慧眼と趣味の良さを表しています。

ここに見られる午餐は、昭和5年(1930年)装甲巡洋艦「出雲」艦上で、実際に供されたもの。
金の海軍マークのついた食器に、美しく盛られた料理の数々は、
実際の料理法に忠実に、おそらくこうであっただろうという予想のうえ再現されています。

復元については、明治41年に発行された『海軍割烹術参考書』を元に、
海軍料理研究家の高森直史氏が総合監修をしました。
それでは始めましょう



1、前菜  ソモンと西洋野菜のテリーヌ

サーモンのフランス読みがソモンです。
これはテリーヌですが、ゼリー寄せのようですね。
「Saumon Fume」はスモーク・サーモンのことです。



2、 澄羹汁  アスペラガース・スープ

澄んだあつものの汁。
スープ、という言葉が一般的でないころは、これを「ちょうかんじる」と呼んでいたのでしょうか。
コンソメスープに沈むアスペラガースが美しい。
ただし、フランス語でアスパラガスは「アスページュ」と発音します。
料理法はともかく、表記は英仏混合で行われたようですね。
基本は英語、ときどきお洒落にフランス語を使ってみる、というのは今も同じ?

3、 鱒蒸煮  ボイルド・フィッシュ(コールド・フィッシュ)

フランス語ではポワレ・ドゥ・トリュイ・ドゥ・リヴィエール、(川鱒のポワレ)。
このポワレとは「蓋をした底の深い銅鍋に、少量のフォン(だし)を入れ蒸し焼きにすること」です。
いまなら「蒸したマスの冷製」というところでしょうか。

4、 雛鳥洋酒煮込重焼  シチュード・チッキン・付合 香草

メインディッシュだというのに写真を撮り忘れました。
なぜだ・・・。
英語で「チッキン」です。
この「ッ」が、当時の日本人の英語の日本語表記へのこだわりを表わしています。
チキンは味が薄いので、洋酒と香草で煮込むのはきっと美味しいでしょう。
ただ、この料理、どうみても「鶏」の胸肉の料理だったし、英語でも「チッキン」なのですから、
それが漢字表記で「雛鳥」というのはなんだかヘンですね。
チッキンの雛鳥、ってひよこでしょ?



右から

5、  牛肉蒸焼附野菜  ローストビーフ 附合 クレソン、ホースラディッシュ

ローストビーフも、この名称が定着するまでは「牛肉蒸し焼き」だったのですね。
ん?ローストビーフって、蒸し焼きするわけではないのになあ。
外側を焼いて、内部にじっくり火を通すから、蒸し焼きと言えないこともありませんが。
それにしても、ローストビーフって、宴会で出されて美味しいと思ったことがないのですが、
何故かしら。

6、  冷菓子  レモン・アイスクリーム

7、  雑菓果  タピオカプリン 黒豆添え

8、  コーヒー

タピオカが昭和初期にデザートに使われていた、というのに少しびっくりです。
黒豆、というのは当時も「和風スイーツ」としてこのように使われていたのでしょうか。

先日エリス中尉が護衛艦「さみだれ」で頂いたのと同じカップである、最後のコーヒーですが、
おそらくこのような正餐の場合は、デミタス・カップで出されたのではないかと思うのですが、
いかがなものでしょうか。


この正餐が行われたとき、1930年当時の「出雲」艦長は星埜守一大佐
「出雲」では秋山真之(1910年)や伊地知季珍(1903年)が大佐時代艦長を務めていました。
もともとイギリスで建造された「メイド・イン・イングランド」のフネで、
日本海海戦でも活躍しましたが、1945年、終戦のわずか一か月前に米軍艦船の攻撃により
転覆着底し、同年11月、除籍されています。


この艦上正餐に舌鼓を打ったのは、当時の「出雲」の艦長以下、幹部の皆さん。
おそらく、司令などを迎えてのものであったかもしれません。
だとすれば、当然、この午餐には音楽がつきもの。
海軍軍楽隊によるBGMが、この日の卓に興を添えたはずです。

最高位である司令がナプキンを取り、最初のテリーヌを食すためにフォークとナイフを取った瞬間、
入り口でそれを見ている下士官が、階段上の軍楽下士官に眼で合図、
さらに軍楽下士官は、指揮者(軍楽隊長)に合図。
食事開始とほとんど同時に、音楽が始まるというわけです。

本日は西洋料理ですので、軍楽士官であるエリス中尉が皆さまのために特に選曲したのは、
優雅な
「美しき青きドナウ」、アン・デア・ショーネン・ブラウエン・ドナウ
(ヨハン・シュトラウス二世作曲)
でございます。
選曲にあたっては特別に、この艦上午餐会の行われた頃、1932年の演奏を見つけて参りました。
カルロス・クライバーのファーターである巨匠エーリヒ・クライバーの
「時々何もしないで見てるだけ」指揮ぶりが一見の価値ありです。

http://www.youtube.com/watch?v=m0r4YnJ4-x0&feature=related

それでは、音楽スタートと同時に、どうぞ召し上がれ。






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