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アメリカの大学卒業式〜大学全体編

2022-05-19 | アメリカ

天気予報が外れて晴天に終わったMK学部卒業式の翌日、
全体の卒業式が本校グラウンドで行われました。
実は、この日も前日の予報は雷雨だったのですが、
ホテルの窓から見える空はむしろとてつもなく暑くなりそうな気配です。


グラウンド近くの駐車場に車を停めるために走っていたら、
学校の向かいの家(多分学生のドームになっている)に
マスコットの黒いスコッチテリアが卒業のよき日を寿ぐため、
タータンチェックのスカートを履いて仁王立ち?していました。

この大学のいいところはマスコットが可愛いことなのに、これは酷い。



MKの集合時間に間に合うように現地に着いたので、
招待客(多分OB、OG、 OLGBTQIA+)席の後ろに座ることにしました。
ここなら正面のテントの真前です。



卒業式を中継するために、こんな本格的なカメラを出動させています。
本学には全米でも有名な演劇科があり、有名俳優を輩出しているので、
装備に関しては下手な自主制作映画会社より充実しているかもしれません。



本日のメインイベントは卒業生の入場行進です。
すでに建物の影に待機の列が待機しています。


まず、会場内にバグパイプの音が響いたと思ったら、
本大学所属のバグパイプ隊が、ハウスチェックの衣装に身を包み、
伝統のケルティック音楽を奏でながら入場してきました。


  
本学開校は1900年ということになっていますが、
バグパイプ隊は1939年に設立され、それ以来学生の課外活動として
行事の折にはこのように演奏を披露します。
なぜバグパイプかというと、設立者の出身と関係あるかと思われます。
     
1985年以来、学生のクラブから正式な音楽科の専攻科目に昇格しました。
      


この人はおそらくバグパイプ隊監督だと思われます。


続いて、ファカルティと先生を先頭に立てて入場。



工学部とビジネススクールの先生が入場してきました。
先頭の女性教授、いい味出してます。

流れる音楽はもちろんエルガーの「威風堂々」。
有名な1番と4番が繰り返し全員入場し終わるまで演奏されます。


行進といっても自衛隊のとは違い、ただ歩くだけです。
ここに写っている人のほとんどは何らかのオナーソサエティに所属していて
その印であるストールをかけています。

前回「たすきは二つがけしないはず」と想像で書きましたが、
ここに写っている中には重ねている人もいます。

アフリカ系卒業生がしているたすきは、その色合いからも
アフリカ系のオナーソサエティのだとわかりますね。


MKは卒業直前にアキレス腱断裂で松葉杖になった学友に付き添って
荷物を持ってやり一緒に歩いていたのですが、会場係に別れさせられ、
なんだよー隣に座りたかったのに、と言っていると思われます。


左側の子にこの写真を送ったら、即座にこうなって返ってきたそうです。


帽子を改造してくれたおかげでどこにいるかすぐわかるMK。

そして前日はカメラの使い方を忘れていて愕然としたわたしですが、
夜にマニュアルを見ながら使い方のおさらいをしたおかげで、
この日は何とかかつての感覚が戻ってきました。


卒業生が全員入場したので、学長学部長クラスが登場。
ガウンは大変重々しくて立派ですが、そこは所詮アメリカ人、
足下からスニーカーやコットンパンツがのぞいているのでした。


あらためてバグパイプが奏楽しながら行進してきました。



テント前で演奏。
バグパイプの響きは、こういうアカデミックな祝いの雰囲気を厳粛にします。


前列左から二人目が学長、前列の四人は名誉博士号受賞者、
その右側はサイエンスの卒業生で、今年の「スピーカー」です。


まず、アメリカ合衆国国歌の斉唱。
独唱を行うのは、音楽学部の優秀卒業生と思われます。



全員が起立してスターズアンドストライプスの斉唱です。
帽子を取る人、胸に手を当てる人、どちらもしない人とさまざまですが、
わたしは外国人なのでどちらもしませんでした。

敬意を払って立つのみです。


この歌詞を見て、改めてアメリカ国歌の歌詞の内容に驚きました。
これは後半に入ったところで、

「砲弾が赤く光を放ち宙で炸裂する中
我等の旗は夜通し翻っていた」

と言っています。
この後、

「ああ、星条旗はまだたなびいているか
自由の地 勇者の故郷の上に」


となるわけです。



続いて学長のお言葉。
学長だけがメダリオンとチェーンを身につけていますが、これは
代々の学長が受け継いできた歴史的な象徴です。

大きなメダリオンには大学の印章が刻まれ、小さなメダルのうち
二つには二人の大学創設者の肖像画があしらわれており、
さらに一つ一つのメダルは、創設者のモットーである

「My heart is in the work.」(私の心は仕事にある)

を表しています。



ここからは偉い人の話が続きます。

この人は、数学とコンピュータサイエンスで学士号を取った後、
大手で働いてその後大学に戻ってビジネススクールで修士号を取り、
ビジネスやら何やらを成功させて大学同窓会の理事をしています。



次のスピーカーと交代する時、拳を合わせる挨拶で。
最近のアメリカでは握手でなくこれがスタンダードの挨拶になりました。

わたしも昨日サラダをピックアップしに行ったら、
お店の人がこれをしてきたので、初体験したばかりです。



卒業生のスピーカーになったのはアフリカ系の女性で、
彼女は政治戦略研究所や国際開発庁などで特に
ナイジェリアミッションの外務インターンなどを経験し、
ナイジェリアのは親のいない子供のケアをする非営利団体の責任者、
若いアフリカ系指導者協会、模擬国連の会員など、
学問以外にも多種多様な社会活動を行い、スピーカーとなりました。



そして、名誉博士号を受賞したこの女性は、
ジョディ・ダニエルズ陸軍予備中尉。

わたし的には大変興味を持ってスピーチを聞かせていただきました。

現在陸軍総司令官である彼女は、当大学では応用数学を専攻しましたが、
ロッキードマーチンで先端技術研究所の高度なプログラムに関わりました。

軍人としての各種戦功賞も授与されています。

名誉博士号はこの人の他に三人、フランス系女性ノーベル化学賞受賞者と、
ポルトガルのリスボン大学機械工学の教授、
ハーバード大でアフリカ系アメリカ人研究をおこなっている女性教授です。



そしてもう一人の名誉学位受賞者、本学卒業生の俳優、歌手、監督、
作曲家、作家、劇作家であるビリー・ポーター、
この人の話がもう長かった。

スピーカーが極力短いスピーチを心がけているのに、この人だけは
全くお構いなしに延々と喋り続け、途中で歌まで歌ったからね。
(ちなみに”We shall over come”)

「ノーベル賞とアカデミー賞、トニー賞、エミー賞、グラミー賞、
この受賞者を出す一つの大学ってすごくないかい?」

みたいな話に始まり、自分の苦労話で、最低の時に
お金が一銭もないしHIVで陽性になるしで大変だった、みたいな話まで。

わたしは英語なのでぼーっと聞いていましたが、途中で確か
かなりヤバめの言葉も飛び出してましたし。



彼は特にゲイとして、黒人として人権問題に取り組んでいるので、
アフリカ系の卒業生の反応が映し出されていました。
右下にいるのは手話通訳の女性です。



12時に終わるはずの卒業式なのに、この人のスピーチが長く、
1時間くらい伸びて帽子をかぶっていない人は辛かったと思います。

最後の「オチ」はガウンを脱ぎ捨てると、そこに
VOTE(投票に行こう)と書かれた文字でした。



各種スピーチが終わると、学部ごとに立ち上がって紹介されます。
まずエンジニアリング、工学部から。

この後ビジネススクール、芸術学部、コンピュータサイエンス、
社会学部、サイエンスと続きました。



笑いを誘ったのは、学長が自ら「自撮りタイム」を要求したことです。



自撮り棒を使って学長自撮り中。
教授連が笑ってるぞー。


プログラムが全て終了し、「アルマ・マータ」の独唱となりました。
アルマ・マータはまだ本学が工科大学の頃作曲された校歌のようなものです。


本来はここで帽子投げとなるのですが、ああ非情にも、
最後の学部長の挨拶で、今年は時節柄それは控えます、と言われてしまい、
それでも投げてみたい卒業生があちこちで散発的に
帽子を投げる風景が見られました。


そんな中、締めくくりとしてもう一度バグパイプが登場。
会場を後にしてセレモニーは正式に終了となりました。


わたしも帽子投げのために連写モードにして待っていたので、
あちこちでゲリラ的に行われる帽子投げを見つけては
シャッターを切って楽しんでいました。



全体的に工学部は地味な感じですが、華やかで金髪の長い髪が多い一団、
これは将来の俳優女優も含まれる芸術学部の人たちです。
演劇科は男性も一般学生と全く雰囲気が違うので何となくわかります。


本格的な望遠レンズは海外なので持って行けませんでしたが、
タムロンのそこそこレンズでこれだけ遠距離が明瞭に写せました。



帽子の内側の字まで読めたのには驚きです。



今の光学技術ってすごいよね、と思ってしまった一枚。



肉眼では確認できない表情もしっかり写っているのだった。

ところでヘルメットを被っている人がそこそこいたけど、何だったのか。
しかもヘルメットのてっぺんに赤い房をつけてる・・・。



というわけで、炎天下の大学卒業式が終わりました。
後でMKに聞くと「面白かった」だそうです。

わたしたちも、親として初めての息子の卒業式をアメリカで体験し、
なかなか面白い体験をさせてもらったことに、改めて感謝しました。


続く。