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ガトー級ハンターキラー潜水艦「クローカー」〜バッファロー&エリー郡海軍軍事博物館

2021-01-06 | 軍艦

ナイアガラの滝詣での帰りに偶然見つけた海軍軍事博物館である
ナーバルパークの展示艦をさっそく紹介していくことにします。


水深が浅いので、潜水艦の艦体ほとんどがこんな風に剥き出し?になっています。
いままで幾つかの軍事博物館で潜水艦を見てきましたが、正面から
こんな風に見ることができるのは初めての経験です。

USS「クローカー」Croaker  SS/SSK/AGSS/IXSS-246

はガトー級潜水艦で、第二次世界大戦中就役しました。
普通なら水の中に隠れてしまって見えない艦首の先端は何かにぶつけたのか
見事に凹みが目立ちます。


「ガトー」Gato級の潜水艦については当ブログでは

「グロウラー」(Take Her Down! で有名になったギルモア少佐の艦)

「ミンゴ」戦後海上自衛隊が供与され「くろしお」として就役

そして「ギターロ」なとを取り上げてきましたが、考えてみれば
実物を見るのはこれが初めてのような気がします。

「ガトー」(ゲイトーとも)というのはcatshark、虎ザメのことですが、
このノーズは虎ザメというよりやはりクジラっぽいシルエットです。

ちなみに「クローカー」はスズキ目ニベ科の魚の総称なんだそうですが、
こうしてノーズを見ると、いずれにしても潜水艦は「てつのくじら」という名称が
もっともふさわしい形をしているとあらためて思います。

● SSK=ハンターキラー型潜水艦

しかし、近づいていくと艦橋部分にものすごい違和感を感じました。

このバブルドーム、一体なんなんでしょうか?
まさか艦内の灯り取りとか、そんなわけないですよね?
さらに、どのガトー級(やその他潜水艦)にも、このような装備は見たことがありません。

そこで英語の資料でヒントになる言葉はないかと探したところ、

bow-mounted sonar sphere 

というのを見つけました。
これがそれだと仮定すれば、ソナーということになります。

ということは、「クローカー」は戦後改装を受けたと考えられます。
Wikipediaには、原子力時代になってから彼女は(潜水艦も”彼女”かしら)
1953年にハンターキラー型潜水艦に改造されたと書いてあります。

「クローカー」の分類記号がやたら多いのもこういう経過があったからで、
このとき彼女は「SS」から「SSK」という分類になりました。

サフィックス「K」はもちろん、ハンターキラーのKです。

「インザネイビー」という潜水艦映画では、原潜と勝負するディーゼル艦の
機関室の主のようなおっさんが、

「ディーゼルボート、フォーエバー!」

と叫ぶシーンがありましたが、このSSKはいわばそういう類の?潜水艦でした。

SSKについてもう少し説明しておくと、これは対潜水艦業務に特化した
ディーゼル電気潜水艦の米国海軍の船体分類記号ということになります。

もちろん現在のアメリカ海軍にはすでに存在していません。



第二次世界大戦の終わりは冷戦の始まりを意味していました。
西側諸国海軍は、大西洋におけるソビエト潜水艦の脅威に備えて、
これに対抗する潜水艦を建造または改造しました。

このとき大きく変更されたのは次の二点です。
一つは潜水艦のさらなる静謐、消音化。
そしてもう一つが改良された音響センサーの搭載です。

そしてこのタイプをアメリカ海軍ではSSKに分類しました。

しかし、この変更が最終的にすべての潜水艦に組み込まれるようになってから
SSKの分類は廃止されることになります。

最初からSSKとして建造されたのは「バラクーダ」級の、

USS「バラクーダ」(SSK-1)
USS「バス」(SSK-2)
USS「ボニータ」(SSK-3)

の三隻のみです。

そして「クローカー」ですが、システム合理化とセンサーのアップグレード化が施され、
SSK分類を与えられた7隻の「ガトー」級のうちの一隻でした。

ちなみにそのときのSSK改造組は次の通り。

USS「グルーパー」(SSK-214)
USS「アングラー」(SSK-240)
USS「バッショー」(SSK-241)
USS「ブルーギル」(SSK-242)
USS「ブリーム」(SSK-243)
USS「カヴァラ」(SSK-244)
USS「クローカー」(SSK-246)

我が国もそうですが、未だにディーゼル推進の潜水艦を採用している国の一つ、
カナダ海軍にはディーゼル式「ハンターキラー」潜水艦が存在します。
分類にもSSKがそのまま使われ、

HMCS 艦名(SSK 艦番号)

という形で分類されています。

 

潜望鏡のアニマル柄迷彩を見て、この同じような仕様を、
グロトンにある原子力潜水艦第一号、
「ノーチラス」の艦橋で見たことがあるのを思い出しました。

潜望鏡もシステム合理化の際に当時の最新式に変えられた結果でしょう。

もうひとつ別の角度から。
ところで、「ガトー級」のセイルというのは、

Gato-Class - Fleet Submarine - History of WW2 Submarines

本来こういうものであることを考えると、「クローカー」が
いかにドラスティックな改装を受けて生まれ変わったかがわかると思います。

第二次世界大戦中は艦橋にあった銃座もなくなっているわけですから。

どうもこの展示、艦体は何かの台に固定されているんじゃないかと思われます。
普通に浮かせていれば、おそらく艦体はもっと水中に隠れるような気がします。

錨がどのように設置されているかよくわかります。

艦体表面が経年劣化でボコボコになっているのは当然としても、
この外殻を上るための窪みがものすごく適当というか雑というか・・。

「クローカー」の外側には巡洋艦「リトルロック」、
その後ろ側には駆逐艦「サリバンズ」が係留展示されているという状況。

もちろん平時であれば全て艦内を見学することができます。

前甲板に歯ボフォース40ミリ機関砲があるということですが、
こちらも休館に合わせて整備中なのか、シートがかけてあります。

正面からはバブルのドームに見えた例の部分ですが、
ここまできて半円であることがわかりました。

その後ろ側をシートで覆っているのが気になりますね。
ここに何か、雪がかかるとよくないようなものがあるのかもしれません。

でたあ〜〜〜〜!
対日戦争における戦績が誇らしげにペイントされています。

「クローカー」は1943年4月1日、コネチカット州グロトンにあった
エレクトリックボートカンパニーで起工されました。
8ヶ月後の1943年12月19日に進水、それからわずか4ヶ月後の
1944年4月21日に就役するというスピードデビューで戦線に投入されました。

就役後ニューロンドンからパールハーバーに着任した「クローカー」は、
最初の哨戒で中国東部と黄海付近に出動して1ヶ月後、

軽巡洋艦「長良」

補助掃海艇「大東丸」

貨物船「第七太原丸」

貨物船「山照丸」

を撃沈しました。

「長良」はラバウルから「長波」を曳航して日本に帰国し、
その後呉、横須賀に入港したあと沖縄への呂号輸送作戦に従事し、
那覇から疎開者を鹿児島に輸送する任務を行ったのですが、
鹿児島を出港後、熊本県天草諸島西で「クローカー」の雷撃を受けました。

このとき「クローカー」から放たれた後部発射管からの4本のうち
1本の魚雷が「長良」の右舷後部に命中し、「長良」は沈没しました。

「クローカーは魚雷を4本発射したが、長良がジグザグ航行で転舵したため、
魚雷は逸れたと半ば諦めかけていた。
ところが、2分後に長良が元の進路に戻ってきたため、少なくとも1本は命中することとなった
12時22分に魚雷1本が長良の右舷後方に命中
長良は艦首を上にして間もなく沈没した」Wiki

「長良」の中原艦長以下348名が戦死し、237名が救助されています。

沈没する「長良」の様子は「クローカー」によりカラー映像として記録されました。

 

その後ミッドウェイ方面で哨戒を行なった「クローカー」は

貨物船「神喜丸」

貨物船「白蘭丸」

貨物船「御影丸」

を撃沈し、

貨物船「月山(がっさん)丸」

に損害を与えました。

マークされた戦果によると、

軍艦4 民間船6 沈没

民間船2 撃破 その他2隻

となりますが、おそらく未確認のものも含まれているので
数字が合わないのだと思われます。

「その他」は特設駆潜艇研海丸に護衛された2隻のシャトルボート、

第146号交通艇

第154号交通艇

となります。

こちらはいわゆるひとつの防衛徽章というやつだと思いますが、
戦後「クローカー」は先ほども書いたようにSSK-246再分類され、
その後は東海岸とカリブ海で活動を行いました。
1957年にはNATO軍の演習に参加してイギリス訪問を行っています。

その後SSK分類が廃止されたため、「クローカー」は1959年8月、
再び
SS-246に再分類されました。

その後ニューロンドンを母港としてそこから作戦を再開しました。

1960年には地中海、スエズ運河を航海し、パキスタンのカラチを訪問後
再びニューロンドンに帰港

1967年に補助潜水艦AGSS-246に再分類

1968年4月2日に最後に廃止

1971年12月20日に海軍艦艇登録簿から抹消

1971年12月にその他の未分類潜水艦IXSS-246再分類

1977年から1987年まで、グロトンでアトラクション展示

という経過を経て、1988年、エリー湖に運ばれ、
現在まで博物艦として展示されているというわけです。

後甲板には「リトルロック」に乗艦するためのラッタルがかかっています。
「リトルロック」見学を行う人は全て「クローカー」から乗り込みます。

 

「クローカー」と「リトルロック」の間に見えるのは発電設備でしょうか。

岸から「クローカー」に渡るための通路は跳ね上げて渡れないようになっています。

見学の際はここから階段を降りていくことになります。
当然ですが、この部分は現役の時にはなかった設備で、ハッチをあけ
垂直のラッタルを上り下りする仕組みになっていたはずです。

「インザネイビー」では、この「観光仕様」の潜水艦(パンパニートが使われた)
から乗員が行進しながら上陸するシーンがありましたが。

艦体の劣化は上部の方が進んでいるようです。

潜水艦の一番先っちょには氷が張り付いています。
ここは湖で真水なので、展示艦の保存にはいい条件かもしれません。

「クローカー」6度の哨戒を行い、そのうち、第1、第2、第5、第6の
4回の哨戒が成功を収めたとして記録され、この戦功により3個の従軍星章を受章しました。

撃沈した艦艇の総トン数は19,710トンに上ります。

 

 

続く。