海上自衛隊八戸基地はP3-Cの航空基地です。
「八戸基地を見学してきました」
とパイロット出身の将官にご報告したところ、懐かしそうに、
「八戸はわたしがウィングマークを取った想い出の基地です」
格納庫で見学を終わった後、わたしたちは広大な基地内をマイクロバスで
順次見学して回ったのですが、その施設見学中、案内の方が
「彼は今パイロットの資格を取るためにここで修行してます」
すらりと長身で綺麗な面立ちをした隊員を指差して紹介しました。
P3-Cのパイロットになるには、高校卒業後適性試験を経て航空学生になり、
山口県下関市にある小月教育航空隊において基礎教育を受けたのち、
要員として機種を決定され、徳島の教育隊でTC-90を使った訓練を行います。
彼はここで現在P3-Cのコパイとして経験を(養成訓練)積んでいるわけです。
「おいくつですか」
「23です」
機長になれるのは早くて24からということですから、彼は後1年もすれば、
冒頭の海将のように、ここ八戸でウィングマークを取ることになるのでしょう。
「頑張ってください」
励ましの言葉をかけると、彼はにこりと微笑んで
「はい」
と頷きました。
一切写真は撮れませんでしたが、見学コースの中には、現在当基地を飛び立った
P3-Cがどこにいるのかモニターをしているデスクもありました。
「今どこにいるのか見せて頂いていいですか」
見ろとも言われていないのに好奇心からついモニターににじり寄るわたし(笑)
「ここです」
モニター員が指差したところは、ほぼ下北半島南側の海上でした。
東日本大震災が起こった平成23年3月11日にも、八戸航空基地からは
任務飛行のP3-Cが飛んでいましたが、発災から9分後の14:55、
当時の第2航空群司令は地上から発令し、その機体を直ちに
三陸沖に向かわせています。
震災の時の第二航空隊群の活動についてはこちら。
ここは正確には「八戸飛行場」が公称であり、海上自衛隊の飛行場ですが、
滑走路そのものは海自と滑走路を挟んで反対側にある陸上自衛隊八戸基地が
共同で運用しています。
1941年に陸軍の飛行場として開港し、戦後は進駐軍に摂取され、
1956年の撤退まで「キャンプ・ホーゲン(ハウゲン)」という名前になっていました。
日本に返還されてからは海自と陸自という現在の形になりましたが、
一時は三沢飛行場をアメリカ軍が(おそらくベトナム北爆の関係で)独占していたので、
追い出されていた空自と民間機がここから発着していた時期もあったそうです。
第二航空隊群の任務の一つに、「オホーツクの流氷観測」があります。
昭和35年に始まった流氷観測は、冬季における北海道周辺での船舶航行の
安全のために欠かせない任務で、気象庁からの依頼で行われています。
ところで冒頭画像は、格納庫でP3-Cを見学する前に撮った記念写真で、
左が第二航空隊群司令の海将補、右が第二航空隊司令一等海佐です。
この3月に着任した群司令の瀬戸海将補は、今回八戸の勤務は4度目。
右端の藤原一佐の現職である第二航空隊司令だった平成24年以来、
6年ぶりに八戸に帰ってきたということになります。
ちなみに海将補が二空司令だった時に、そのオホーツクの流氷観測に上がった
2機編成のP-3Cの編隊長(左席)として操縦する当時の産経新聞ニュース映像は、
youtubeで今でも見ることができます。
海上自衛隊P3C哨戒機 オホーツク海の流氷観測
この訪問時、わたしたちは、航空基地の司令官クラスの官舎前に停めた車で
司令をお待ちしたということがありました。
官舎は基地の一番外側、道路に面したところに位置しますが、敷地からは
直接基地の中に入っていける仕組み、つまり職住一体型で、何かあれば
夜中でも休みの日でも、次の瞬間現場に駆けつけることが可能です。
「起床時間より前に、P-3Cのエンジンを始動させる音で目が覚めるんです」
経験がないので想像でしかないのですが、あの独特の「キュイーン」という
金属音を含む響き、そしておそらくは航空燃料の匂いも漂ってくるのでしょう。
この言葉に、わたしはP-3C乗りの原点であり、故郷でもある飛行基地に
司令として帰ってきた自衛官の隠しきれない高揚を見た気がしました。
さて、基地見学の続きと参りましょう。
格納庫には、まるで基地祭の時のように、魚雷などが解説付きで並んでいます。
この辺りで、わたしは、
「もしかしたら、わたしたち二人の見学のためにここまでしてくれているの?」
とむしろ不安になってきました(笑)
この日はただの表敬訪問というわけではなく、それなりにこちらも
一種の「仕事」を兼ねていたのですが、それにしてもたった二人のために、
格納庫のP-3Cも、内部見学のための動員もスケジューリングされている、
と考えると畏れ多さに身が縮む思いがしたものです。
この接遇に対して何か恩返しができるとすれば、それは・・・
ここで見たことを当ブログで少しでも多くの人たちに宣伝することだ!
そういう思いに至ったわたしは、わたしたちのために出してくれた説明の、
一枚の看板も無駄にせず、ブログネタにする気満々で写真を撮りまくりました。
一番左にあったのは、Mk46航空短魚雷だと思われます。
ご覧のように、艦艇からちゅどーん、P-3Cからフワフワ、
ヘリコプターからぼちゃんと落として、つまり潜水艦をやっつけます。
そもそも短魚雷そのものが対潜を目的に作られていますのでね。
この図ではP-3Cから投下された短魚雷はパラシュートを開いて海に落ち、
その後旋回して目標捜索を行い命中!となっていますが、
空中を自走する魚雷には(別バージョンかな)
「Blood hound」(血の猟犬)
という中二病好みのあだ名があると聞きました。
なるほどね。
血に飢えた猟犬のごとく、放たれた途端確実に相手を仕留めにかかる、
というわけだ。
ただ、これを落とされる潜水艦の方も、例えばアクティブ追尾に対しては
擬似気泡や高圧空気の放出(バブル)、パッシブ追尾に対しては、
雑音を発生させて音響的視野を撹乱したりして生存をはかります。
また潜水艦は、海中にダミーの航跡を作ったり、急加速、急旋回、
そして急潜航など、原初的な方法でも魚雷をかわすことが可能なので、
対潜魚雷は決して一撃必殺というわけではありません。
ところで潜水艦といえばここだけの話ですが、今回八戸基地への訪問に際し、
わたしたちは(あくまでもコンプライアンスに則ったものという前提で)
司令に軽い手土産をお持ちしようとしていました。
ある日、TOがわたしにこれなんかどうかな?と指し示した
ネットのページを見て、わたしはクラクラとめまいがしました。
「あのさあ・・・・」
「え、ダメかな?」
ダメもなにも、身に付けるものというアイテムだけでもアウトなのに、
どこの世界に潜水艦の形をしたネクタイピンのお土産をもらって
喜ぶP3C乗りがいると思っているのか。
TOの恐ろしいところは、冗談やウケ狙いでやっているのではなく、
心の底からそれが良かれと思っていたことです。
「海自の人だし、いいと思ったんだけど」
「ケンカ売ってると思われてもいいならどうぞ」
「(´・ω・`)」
結局無難に「消えモノ」になったことはいうまでもありません。
これはこの下につけられていた説明によると「機雷」です。
名称が書いていないので調べたのですが、
67式150キロ対潜爆弾
ではないかと思われます。
爆弾でありながら、航空機で敷設する機雷にもなるということなんでしょうか。
真正面から撮ってみました。ハープーン・ミサイル。
Harpoonはマクドネル・ダグラス社の商品名で、捕鯨用の銛のことです。
空対艦のハープーンミサイルはAGM-84という型番です。
発射するときには大体の方向を入力すればその方向に向かって飛び、
最終的には自分でレーダーを作動させて目標艦船へと突入するという賢い奴です。
「亡国のイージス」では「うらかぜ」はこれで「いそかぜ」に撃沈されましたよね。
真田広之演じる先任伍長の仙石が、
「ハープーンかっ!」
と飛翔するミサイルを見て叫ぶシーンを覚えている方もおられるでしょうか。
これは説明要りませんね。
本体にでかでかと名前が書いてあります。
ASM-1C、91式空対艦誘導弾。
つまりここにある武器は、P3-Cが搭載し、攻撃に用いるものばかりです。
搭載については、先ほど開けて見せてもらったボム・ベイまたはウェポン・ベイではなく
翼の下のパイロンに牽引するようですね。
そもそもこの誘導弾は、P-3C専用に我が技研と三菱重工業が開発したもので、
誘導弾の翼の形など、全てオーダーメイドでぴったり合わせてあるとか。
ただし、自衛隊は、最初に空自のために作った
を基にして、陸海空の使用用途に合わせて少しずつ仕様を変えて運用しているので、
オーダーメイドというより「セミオーダー」「イージーオーダー」というべきかもしれませんが。
さて、P-3Cの搭載武器を見学したあと、わたしたちは
別の格納庫に連れていかれました。
格納庫の隅には関係者のロッカーが設置されています。
地面に荷物を置いておくと、カラスがやってきてやられてしまうそうです。
この敵ばかりには空対空戦を仕掛けるわけにもいきませんしね。
続く。