ネイビーブルーに恋をして

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大阪では笑いを 東京ではマナーを〜練習艦隊寄港行事@大阪

2018-03-25 | 自衛隊

このエントリ制作を、オヘア空港のユナイテッドラウンジでやってます。

事情があって、この週末からしばらくニューヨークに行くことになり、
シカゴに降り立ったら気温が2度でした。
さらに今から行くところも最低気温は余裕で零下という噂に慄いています。

練習艦隊行事と「ちよだ」引渡式の時にあまりに寒く、続いて
関東では雪が降って震え上がった先週ですが、今は確実にそれより寒い世界へと・・。

どうなるわたし(笑)

 

さて、ブログの進行上、玉野で行われた「ちよだ」の引渡式を先にしましたが、
今日は一日遡って、その前日の大阪で行われた練習艦隊の壮行会の話をします。

3月17日、卒業式を行い江田島を出航した練習艦隊は、まず呉港に一泊したのち
3月19日、大阪港に錨を下ろし、そこで二日にわたる寄港行事を行いました。
わたしがご招待いただいたのは、まずその最初の行事である、
大阪の水交会が主催という形で行われた練習艦隊を囲む夕べ的なパーティです。


写真編集の関係で無題に大きな画像ですみません。

今回驚いたのが、新幹線の新大阪駅周辺がやたらとこぎれいになっていたこと。

新幹線から地下鉄御堂筋線に乗り換えるコンコースなど、昔は暗くて何もなくて、
実に殺伐とした雰囲気だったのに、いつの間にか同じ場所に、小洒落デリの最高峰?
ディーン・アンド・デルーカのカフェなんぞができていたので、
ついふらふらと入って、これから宴会だというのにサラダを頼んでしまいました。

◆ 会場

壮行会会場は上本町駅の上にあるシェラトンです。
上本町も昔知っていた頃とは全く別の街になっていました。

受付では会費1万円也をお支払いいたしました。
出席者が練習艦隊の皆さんを激励するためにもてなし、練習艦隊側は、
翌日の艦上レセプションでこれに対する返礼を行う、という形のようです。

会場入り口には政治家からの祝賀電報が所狭しと展示されていました。

ちなみにこのアイラブオオサカの中山泰秀参議院議員は、中山正暉氏のご子息で、
おじさんが中山太郎、お祖母さんが中山マサ(日本初の女性閣僚となった政治家)、
政治一家の世襲議員です。

マサさんは父親がアメリカ人ですが、濃い顔の血が受け継がれていますね。

◆ 練習艦隊入場

練習艦隊は大阪港に入港したあと、会場に直接やってきたということです。
練習艦隊司令官泉博之海将補を先頭に、まずは練習艦隊幹部が入場。

練習艦隊の新任幹部が軍艦行進曲が流れる中、金屏風の前に整列を行います。

入場してくる訓練幹部の皆さんを見ると、全員が横刈り上げの短髪で、
上の方の人たちよりいわば画一的な髪型をしているように思えます。

皆が同じ理髪店で有無を言わせず同じ髪型にされてしまうのか?

それとこうして見るとやはり眼鏡をかけた人が多いですね。

まず全員で国歌斉唱を行いました。

このあと練習艦隊の「かしま」「しまゆき」「まきなみ」艦長、
そして練習艦隊幕僚の皆さんが挨拶をされました。

◆練習艦隊司令官の挨拶

そして練習艦隊司令官、泉海将補のご挨拶。
この表情だけでなんとなくどんなことを言っているかわかりそうでしょ?

実は司令、

「ユーモアは海上自衛隊の海軍時代から続く伝統となっております。
ここ大阪といえばお笑いの本場です。
練習艦隊は大阪でお笑いの精神を学び、東京ではマナーを学びます!」

ということをおっしゃってるんですねー。

ユーモアと大阪のお笑いは少々方向性が違うと思わなくはないものの、
これには会場も大ウケで、

「なんや、ワシらのマナーが悪いとでも言いたいんかいな」

などと気色ばむユーモアのわからない大阪人などいません。(多分)

今回、練習艦隊行事と「ちよだ」の引渡式、どちらにも出席した自衛官が、

「あの海幕長の挨拶といい、練習艦隊司令官のスピーチといい、
伝統のユーモアは健在だと改めて思わされましたね」

と最後の日に評していましたが、何しろ新任のうちから口を酸っぱくして?
箸の上げ下ろしのたびにユーモアユーモアと連呼する組織だけのことはあって、
その伝統は脈々と息づいていることが、今回も立証されたのでした。

◆一般大卒自衛官

泉海将補は一般大卒(早稲田大)と聞きますが、最近将補に栄進された
知己の自衛官も一般大ですし、存じ上げる限り一般大卒の司令官は少なくありません。
海自ではもはや
防大でないと出世できない、というようなことは全くないようですね。

 

ところでこの日、会場でお会いした旧知の一佐が、手近にいる新任幹部を捕まえては
ちょっとしたインタビューのきっかけを作ってくださったので、
比較的引っ込み思案のわたしにしては()驚異的にいろんな話が聞けました。
話のとっかかりはまず無難に、

「防大か一般大か」

から入りますが、北海道の大学を出たという人、東京の私大卒という人などもいて、
一般大卒が思ったより多いという印象です。

ここで思うのは、一般大を出た人というのは、
卒業すれば自衛官になるのが当たり前の防大卒と違い、


「職業選択の結果として」

ここ自衛隊にいるということです。


わたしがこの日お話しした一佐も国立大卒で、専攻した学部卒では
自分の望む就職ができないと判断し、自衛隊を選んだということでしたが、 
もちろん動機は千差万別で、最初から

「船乗りになりたくて」

幹部学校にやってきたという人もいました。

ちなみにこの人になりたい職種も聴いてみると、なんと掃海隊でした。
一般大にいてよく掃海隊なんて知ってたなあ、と正直かなり驚いたものです。

気のせいか、食べ物が無くなるのがどの祝賀会より早い(笑)

ここにお皿を持ってぼーっと立ったまま、列が向こうに移動してくれるのを待っていたら
どんどん後ろからなだれ込んできて、いくら並んでいても無意味だとわかりました。

大阪っちゅうところは、ぼやぼやしてるもんに甘い世界やおまへんで〜。

 

◆ 宝塚歌劇団

飲食が始まる前、大阪での寄港行事としてはもう伝統となっているイベント、

宝塚歌劇団の有志による歌のステージ

が行われました。
まず、最初に宝塚のお嬢さん三人が登場して、練習艦隊の新任幹部代表
(おそらくクラスヘッド)に花束を贈呈します。

そして、ステージに袴姿に草履という伝統的なタカラジェンヌファッションで
男役二人、女役一人が立ち、ミニショーを行うという趣向。

 

聞いたところ、このイベントは今の将官クラスが練習艦隊に出た時には
すでに慣例として行われていたということです。
そういえば、宝塚歌劇団と自衛隊って、教育という点で似たところもあるかも・・。

 

練習幹部は後ろに気遣って中腰になってかがんだままの鑑賞です。
そんな姿勢でしんどくないのかとつい心配してしまいましたが、
彼らは足腰を日頃から鍛えているのできっと何でもないのでしょう。

タカラジェンヌはまず三人で「ビバ・タカラヅカ!」「すみれの花咲く頃」
ともう一曲の宝塚のテーマソング的なものを歌い(よく知らないのですみません)、
練習艦隊幹部に激励の言葉を送りながら一人一曲ずつ歌を歌いました。

面白かったのは、男役と娘役は同じ曲を歌っても一オクターブ違いで、
娘役はほぼ絶叫状態で、男役はどす低い声で歌っていたことで、それは
最後の自衛隊の公式隊歌?「海をゆく」の時も同じでした。

昔から「海をゆく」が歌われていたのかは、もう何十年も前に練習艦隊だった
自衛官は「覚えていない」ということでしたが、この日宝塚の人たちが
ちゃんとカラオケを用意していたところを見ると、最近の定番のようです。

ところで、会場入りの時から、繰り返しアナウンスで

「演技中の宝塚歌劇団の写真はご遠慮ください」

と注意がされていたのに、歌の途中で写メを撮っているおじさんが
わたしの周りだけでも二人いました。


 ◆海をゆく

ところである現役自衛官はこの時、

「わたしは『海をゆく』を歌うとき、心の中で、いつも元の歌詞を歌っています」

とおっしゃっていました。

当ブログでは昔、警備隊時代に生まれたこの曲の最初の歌詞、

「男と生まれ 海を行く」

が時代に合わないということで、最後以外全部変えられてしまったことを取り上げ、
私見から「改悪だ!」などと散々文句を言ったものですが、
(これ、今にして思えば公募で当選した作詞者には大変失礼?)
やはり同じように思っている現場の人も少しはいるらしいことがわかりました。

 

かつて東京音楽隊長を務められた谷村政次郎氏もこの点同じ考えで、
そのご著書の中で(今出先なので文章は正確ではないですが)

「男と生まれ、の部分はそのままにしておいて、女性は女と生まれ、
とその部分だけ別の歌詞を歌ってもよかったのではないか」

とおっしゃっておられます。

かつて「海の民なら男なら」という出だしの戦時歌謡があったわけですが、
「海の男」という完璧な一つの概念となった言葉と比べると、「女と生まれ」というのは
はっきり言って歌詞としてあまり美しくないと個人的に思うんですよね。

よって、わたしの考えは、男を「漢」として、拡大解釈すればいい、つまり

「おとこと生まれうみをゆく」

のままでよかった、というものです。

つまり徹頭徹尾「変えるな」ってことですね(話になら〜んw) 

昨年度の練習艦隊は、大阪には「諸事情」により寄港しませんでした(意味深)
そのせいなのかどうかはわかりませんが、大変な盛会です。

 ◆ 自衛官と方言

わたしは練習艦隊の艦上レセプションには何度か出させていただきましたが、
よく考えたら地元が主催する壮行会は初めてなので、国内の各寄港地で
歓迎会が行われる時、その土地出身の幹部を紹介する慣習を初めて知りました。

居並ぶ幹部の中から、大阪府出身、兵庫県出身、京都府出身、そして
奈良、三重、和歌山と近畿出身の者の名前を読み上げ、紹介するという趣向です。

出席している地元出身の幹部の家族にも喜ばれるでしょう。

 

この時、多くの関西出身者の元気な返事を聴きながら、

「この人たちは全員大阪弁スピーカーなのか・・」

とわたしは割と当たり前のことを考えていたのですが、同時にふと、
日頃接する自衛官の喋り方に全くお国訛りがないということに気づきました。

「オフになるとやっぱりお国言葉になるんですか」

広島出身という自衛官に聞いてみると、どうもそのようです。
仕事の時にはオンスイッチが入って、敬語の標準語になり、
自分のことは『私』というと言ったお定まりの喋り方になるのです。

防大や幹部学校に入った時点では、方言しか喋ったことがない青年も、
いつの間にか公務の時には標準イントネーションで話しているのでしょう。

冒頭の「手当たり次第捕まえてインタビュー」の機会に
そのことも質問してみたのですが、

「私は関東出身なので、全く違和感がありませんでした」

という人以外は、ほぼそういう経緯で自衛隊喋りを身につけているようでした。
旧軍の昔と違って、今では皆テレビやラジオでいわゆる標準語を聞いて育つので、
頭を切り替えさえすれば、さほど苦労せずとも標準アクセントで喋れるのです。

ただ、インタビューした中に、例外として、

「自分は関西人でもなんでもないのに、防大の部屋のメンバーが
たまたま強力な大阪人ばかりなのでうつってしまった」

というかわいそうな人もいました。

「あー、大阪人はね・・・」

「どこに行っても絶対に大阪弁しか喋らないから・・」

と思い当たる節のあるわたしたちは深く頷きあったのです(笑)

大阪人が大阪弁しか喋らないというのは、フランス語しか喋らないフランス人の
エッフェル塔並みに高いプライドとかいうのとは違って、

「東京弁や標準語を話す自分に照れがあるorカッコつけてるみたいで恥ずかしい」

という意識からくるのではないか、とわたしは兼ねてから思っているのですが、
そんな大阪人も、自衛隊では公務の時には普通に標準語になるから不思議です。

 ◆ 志望職種

インタビューでは、どこの職種に行きたいか、というのも聴いてみました。
航空で回転翼、と答えた新任幹部がいたので、

「SHですか」

と聞くと、

「MCHです」

MCH-101は2008年に導入されたばかりのヘリコプターで、
海上自衛隊の保有数はまだ10機しかないため、

多分SH-60より狭き門になるのだと思われます。

航空と潜水艦は身体条件が厳しいので、それだけでも限られた人になりますが、
さらにその中の新鋭機となると、大変な競争率になることは容易に予想されます。

「どうすれば、つまりどうなれば自分の志望するところに行けますか」

と、当事者には答えにくそうな質問をしてみたところ、その幹部からは

「毎日自分に与えられたことを着実にこなして行くしかないと思います」

即座にまっすぐで真っ当な返事が返ってきて、正直わたしは感動しました。


皆さん、ぜひ夢見た自分の将来の姿を実現させてください。

 

続く。