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アシアナ航空機事故に思う・真の英雄とは

2013-07-19 | 日本のこと


「差別的な名前を放送したとしてアシアナ航空がテレビ局を訴えた」

ことに対し、一般の声のみならず、アメリカ大手新聞も軒並み非難の声を上げだしました。

ワシントンポストではEric Wempleの意見としてこのような記事を掲載しています。

There’s little question that the KTVU report disparaged Asians
and conveyed false information. That’s unfortunate.
It doesn’t, however, give Asiana Airlines a cause of action against KTVU.

残念だがKTVUがアジア人の名前を間違って報道したことが馬鹿にしているとして、
アシアナがKTVUに対して訴訟をしようとしていることに少々疑問がある。


To win a judgment against the television station,
the airline must prove that the false report so injured
its reputation that it resulted in the loss of business.
That, it will never be able to do.

この裁判に勝つには、航空会社は虚偽の報道がその評判を傷つけ、
どれだけの企業損害を被ったかを証明しなければならない。
そかし、それは不可能であろう。

If Asiana Airlines suffers a loss of business these days,
what will have been the cause? We’ll throw out two options:

1) A crash after an Asiana aircraft approached
San Francisco International Airport too slowly, leaving three people dead.

2) A roughly 30-second report on a local TV station
using fake pilot names for the flight.

Tough call there.



もしアシアナ航空の収益が何日か以内に激減したとしても、
その原因は何だろうか?
我々は二つの選択肢を挙げてみたい。


1)サンフランシスコ空港でアシアナ航空機があまりにも低速で侵入し、
その後墜落して三人が死んだこと

2)地方テレビ局が偽のパイロットの名前を約30秒報道したこと

難しい問題だ。

Consider, too, that the KTVU report in question made no allegations
about how the airline operated; it merely read off four names —
‐wrong names, to be sure, but names! What’s defamatory about names?
The racial insensitivity in the broadcast, too, is fully protected under U.S. law,
notes attorney Jeffrey Pyle, a partner in the Boston-based firm Prince Lobel Tye LLP.
“There’s no legal claim that you have against somebody
for being unintentionally racist or intentionally racist,” says Pyle.

考えても見てほしい。
KTVUの報道はどのように航空機が操作されたかという点で全く疑問の提示にもならない。
ただ4人の間違った名前を、繰り返すが名前を読んだだけなのだ!
この名前のどこが中傷的だというのだ。
報道における人種的区別をしないことももまた、米国では法の下で完全に保障されている。
ボストンにある弁護士事務所のパートナー弁護士ジェフリー・パイル氏は云う。

「確信犯的レイシストか確信してのレイシストかに対して訴える法律はない」


つまり、法に訴えても勝ち目はない、と弁護士が言っているわけです。
またロスアンジェルス・タイムズの社説は

"It's not going to change anything in the minds of passengers or
in the minds of the flying public," he said.
"As offensive as what the TV station did was, and unacceptable,
we're talking mountains and molehills here —
people dying versus people getting offended."

こんなことをしても乗客や航空関係者の心証はまったくかわらないだろう。
テレビ局のしたことを不適当だとして攻撃的になればなるほど、
我々は人が死んだことと腹が立つということのあいだには大きな違いがあると思うだけだ。


事故が起こったほとんどその直後に、以前にもお伝えしたようにアシアナ航空は
一人のCAをテレビの前に立たせ、インタビューさせました。
事故の概要もまだ判明していないこの時点で得々と自分の活躍を語り、
韓国と日本のメディアが「英雄」とこれを称えました。

確かに「ここアメリカのメディアにも「小さいCAが自分より大きな乗客を背負っていた、
という証言が報じられているのは事実です。

しかし、一面こんな証言も「公平に」取り上げられています。

Flight crew seemed surprise by crash
(乗務員は墜落に動転していた)

というヘッドラインの記事では、生存者のアメリカ人がこのような現状を語りました。

「彼らは一言で言って『完璧に圧倒されてしまっていた』。
わたしの言う意味は、彼らがこの事故を全く想定外だと思っていたらしいということだ。
つまり、動ける者とそうでない者、(乗客は)お互いが助け合わなばならなかったということだ。

多少の混乱はあった。
しかし我々は極めて早くお互いを落ち着かせ合って、実際に脱出を始めた。
押しあう者も、倒れた誰かを踏んでいくようなこともなかった。
物凄く敏速にことは行われたという気がする」

「わたしはサンフランシスコ空港には何度も訪れているが、あの時思ったのは
いつもより異常に海が近いなということだった。

海は見えたが滑走路は全く見えず、機首が上を向いているのがわかった。
おかしいとは思ったが、パイロットがそういうつもりでやっているのだと思っていた。
でもそれがおかしかったってことだね。
そのあと駐機場にぶつかったんだから」

「最後の人々が脱出を始めたときに煙と火が起こった。続いて爆発も。
死者が少なくて済んだのは、ただ幸運だっただけとしか言いようが無い。
火が出るのが遅く、私たちは迅速に行動した、理由はそれだけだよ」


勇気あるアシアナ航空のCAの働きについては全く触れず、ただ

「彼らは呆然としていた」
「わたしたちは彼らの助けではなく自分たちで協力し合って助かった」
「死者が少なかったのは出火が遅かったから、それだけだ」

と言っているわけです。

前回「アシアナ事故でCAの英雄譚はどのように報じられているか」で、
CAを英雄と称える声もある、が、実際には機内の最後の負傷者を助けたのは
地元の消防局の隊長(日本の報道では警察となっているが、インタビュ―されたのは消防士)
であったという事実についてお伝えしたところ、
「美談としてCAの話を大々的に報道した日本のテレビ局に怒り心頭」
というお便りもいただきました。


「90秒ルール」では、事故後90秒以内に機内から全員を脱出することが
航空業界では定説になっているというのに、この事故で全員が脱出したのは
なんと5分経ってからだったと言います。

しかも乗客によるとCAたちは終始動転して何の役にも立っていなかったと。

乗客生命の安全を確保するのが乗務員の存在意義であり任務であるのに、
実情は決して彼らが乗客にとって心強い存在にもなっていなかったということであり、
上のインタビュイー、ベン・レヴィ氏の発言には、役に立たなかった乗員たちへの
明らかな「苛立たしさ」が含まれているのがおわかりでしょう。

いざ事故が起こったとき、乗務員が傍目にも全く想定外であるかのように動転していたら、
乗客はどんなに不安な気持ちになるものでしょうか。



アシアナ航空が補償金を巡る責任問題を少しでも我が方に利するように

「差別発言を捉えてテレビ局訴訟」
「80人強の乗客が(アシアナ航空ではなく)ボーイングを集団訴訟」

という信じられない「あの手この手」に余念がないということはいまや世界中の認識するところです。
これらは常識を超えて、もはや「捜査の妨害」としか見えません。

このような会社ですから、乗客を背負って逃げたCA(おそらく彼女だけだったのでしょう)
に早々にインタビューさせ、あたかも彼女が勇敢なヒーローであるかのように印象操作したのも
はっきりとこのような意図のもとに計画されたことだったと言われても仕方ありません。



さて。

話は全く変わりますが、わたしは夏前、作家の北康則氏の講演を聴く機会がありました。
北氏は「白洲次郎」の著者でもあるノンフィクション作家ですが、
この日の講演中、自分の任務を、命を賭けてまっとうするのが昔から日本人というものであった、
という話を、幾多の先人の例にひもときながら、北氏はいきなり涙声になりました。

「すみません・・こういう話をしていると、自分で感動してしまって・・・・。
わたしは・・・本当に、こういう日本人が好きで好きでたまらないんです」

自分の任務を果たすのに、そして他者を生かすためにときとして人は、ことに
日本人は自分の命の危険を顧みず行動します。

入間川の河原に墜落したT-33練習機のパイロットたち、
雲仙普賢岳の火砕流に、マスコミを保護するために残って殉職した警察官や消防団員、
踏切に進入した女性を助けて電車にはねられた派出署の警官、
そして何より自分の命が後世の日本人を救うと信じて往った特攻隊の方々。

北氏がこの日名前を挙げて思い出させてくださったそんな英雄の存在がありました。


遠藤未希さん。

東日本大震災で、津波に襲われた南三陸町の庁舎内から、
最後まで避難を呼びかけるアナウンスを続け、その後死亡が確認された女性です。

地震発生の直後から放送が始まり、サイレンに続いて、
危機管理課の職員だった遠藤未希さんは

「震度6弱の地震を観測しました。
津波が予想されますので、高台へ避難して下さい」

と呼びかけていました。
この時点で大津波警報は出ていませんでしたが、
町は独自の判断で津波への警戒呼びかけを行っていたのです。

周囲にいた人の声も収録されていて、大津波警報が出たあと、
津波の高さについて「最大6メートルを入れて」と指示され、未希さんは、
6メートルという情報と「急いで」とか「直ちに」という言葉を呼びかけに付け加えていました。
また、周囲の「潮が引いている」という言葉に反応して
「ただいま、海面に変化が見られます」と臨機応変に対応していたそうです。

津波を目撃したとみられる職員の緊迫した声のあと、未希さんの呼びかけは
「津波が襲来しています」という表現に変わっていましたが、高さについては
「最大で6メートル」という表現が続き、最後の4回だけ「10メートル」に変わっていました。

当時、未希さんたちと一緒に放送を出していた佐藤智係長は
「水門の高さが5.5メートルあり、防災対策庁舎の高さも12メートルあったので、
6メートルならば庁舎を越えるような津波は来ないと思っていた」と話しています。

音声は、なおも放送を続けようとする未希さんの声を遮るように

「上へあがっぺ、未希ちゃん、あがっぺ」

という周囲の制止のことばで終わっていました。
呼びかけは62回で、このうち18回は課長補佐の三浦毅さんが行っていました。
男性の声でも呼びかけて、緊張感を持ってもらおうとしたということです。
三浦さんは今も行方が分かっていません。

この南三陸町の役場には、津波が来たとき屋上に51人が避難し、
膝まで浸かりながらも皆で身を寄せ合って耐えていました。
その後建物は12mの波に飲まれ、波が退いたときに残っていたのは
一段高い非常階段につかまっていた10人だけでした。


この音声を初めて聞いた未希さんの母親の遠藤美恵子さんは

「この放送を聞いて、本当に頑張ったんだと分かりました。
親として子どもを守ってあげられなかったけど、
私たちが未希に守られて、本当にご苦労さまというしかないです」

と話したということです。

未希さんの遺体は震災から約2か月後の5月2日になって、
ようやく確認されました。
結婚したばかりの夫がプレゼントしたミサンガが確認の決め手になりました。

もし、自分の危険も顧みずに任務を果たすことが英雄の条件であるならば、
このような女性を英雄と言わずして何というのでしょうか。

そして、我が子を失いながらその子が職責を果たして死んだことに対し
「ご苦労様」
という言葉を投げかける母親もまた。

アシアナのCAが、実はどのくらい職務に忠実だったかは、
アメリカ人のいくつかの証言によるとかなり疑問が残るのは事実です。
しかも本来乗務員として当然の義務でありながら、それをしたことを
わざわざカメラの前で強調し、またそれをもてはやすメディア。
このような「操作」された美談からは見たくもない裏側の「魂胆」が透けて見えます。


事実このアシアナCAの「英雄譚」は、一部メディアの持ち上げ方とは全く反対に、
アメリカでも、特に今は冷淡に扱われているとわたしは感じています。
「ハドソン川の奇跡」のサレンバーガー機長などと比べても扱いの差は明らかですし。



我が日本には、先日の辛坊氏救出に活躍したUS-2のクルーや
この遠藤未希さんのような、真の英雄と呼ぶべき素晴らしい日本人がいます。

比べるのも失礼な話ですが、そんな方たちを知っているわれわれ日本人は
どんなにメディアが煽ってもこの「英雄」に対してある種の匂いを嗅ぎ取ってしまい、
とても素直に称賛する気になれないというのが本当のところではないでしょうか。