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「同行二人」~特殊潜航艇の二人

2011-01-25 | 海軍

「平和への誓約(うけい)」
シドニー湾に特殊潜航艇で突入した松尾敬宇大尉を主人公にしたアニメーション映画。
その一シーンです。

1941年12月7日(現地時間)、
真珠湾には帝国海軍の三百数十機の飛行機、七百人の搭乗員が殺到しつつありました。

しかし、海軍にはもう一つの極秘行動がありました。
ハワイ沖の海中をひそかに真珠湾の入口に向かって接近しつつある五隻の大型潜水艦。
各艦の上甲板には、長さ約二四メートル、二人乗りの豆潜水艦が搭載されています。

二本の魚雷を搭載したこの潜水艦を「特殊潜航艇」「甲標的」と現在は呼んでいます。
この特潜で真珠湾に突入した10人のうち9人は戦死。
一人が捕虜になります。



この真珠湾における攻撃に備え、引き揚げ船の見習い航海士に扮して各港を偵察してきた
松尾大尉は、真珠湾攻撃の半年後の1942年5月30日、オーストラリアのシドニー湾に突入、
散華しました。

松尾大尉は艇を海底に自沈させ、艇附の都竹正雄海軍二等兵曹とともに拳銃で自決しました。
発見されたとき、二人は抱き合うようにして倒れていたといいます。


特殊潜航艇は、定員二人。
士官が艇長となり艇附と呼ばれる下士官がペアとなって訓練の段階から最後までを共にしました。
士官はもちろんのこと、この真珠湾における士官のパートナーになる下士官も、当時難関の海兵団を経たうえ
甲標的を搭載する約三六名の統率をする最優秀の先任下士官でした。
つまり、大本営発表にある通り

「本壮挙に参加せる下士官亦(また)帝国海軍優秀者中の最優秀なる人物なり」

だったのです。


互いに選ばれし者という誇りを以て任務に向かい、運命を共にする二人の男の間には、
あるいは死を仲人に結ばれるでもいうような魂の交歓はなかったのだろうか。


松尾大尉と都竹二曹の最後の姿を知ったそのときにふと感じた疑問は、
特殊潜航艇で真珠湾攻撃に参加しながらたった一人生き残って捕虜になった坂巻和男氏が戦後書いた
「捕虜第一号」
の初板を読んだとき、その一片の疑問が解かれたような気がしました。



酒巻少尉の艇は出発前からジャイロコンパスの故障で出撃を危ぶまれていました。

「夜明けまでに湾内に侵入できればよい」
を肚を決めてしまつた私たち二人は、葡萄酒の壜を交わし、握り飯を頬張りながら向かひあつた。
侵入準備を完成した安心と、成功を確信する明るい希望に満ち、
二人は恋人の如く完全に意気投合し、心行くまで腹拵へを楽しんだ。
その味わひは如何なる盛宴美食にも勝り、その心持は如何なる幸福にも勝る満悦の一刻であった。
「さあ、何時死んでも良いぞ。」
といつた感情がどこからともなく湧いて出た。
「さあ、お互ひにしつかりやるぞ。」
と強い固い握手を交わし、私は最微速を命じ、艇を静かに湾口に向けて行った。


その後酒巻少尉の艇は完全に動かなくなり、二人は艇を置いて海中に脱出します。

隣にいるはずの艇附が心配である。
最愛の艇附を死なしてはならない、と私の心は焦った。
夢中で「艇附、艇附」と呼んだ。
「艇長、此処ですよ」といふ声が聞こえる。
(中略)彼も苦しいのかゴブンゴブンと言ふ咳払いと共に、水を吐き出す音が聞こえ、
何か唸っているような声が聞こえたやうな気がした。
「おい頑張れ、岸は近くだ。」と私は叫んだが、艇附に聞こえたかどうか。



この後、酒巻少尉は意識を失ってアメリカ軍に発見され、
艇附の稲垣清二曹はこれを最後に永遠に姿を消します。



「俺の愛する列機来い」
で、生死を共にする搭乗員と隊長との結びつきについて書いたときは、列機にして下さいと頼んだ隊長に
「俺に抱かれて寝ろ」
と命令された搭乗員の話を描こうかと思ったのですが、あえて書きませんでした。

相手が男であろうと女であろうと、
それが恋―相手を強く求める気持ちをこう呼ぶのなら―
として燃え上がるための発火に、死を共にするという覚悟が作用するということについて
もし文学者であれば書き表わせるのかもしれない。

この一連の記述からある想像を喚起されていたところ、一つの小説を見つけました。

「同行二人」(どうぎょうににん)


真珠湾奇襲のために特潜を運ぶ伊号二十四潜水艦の軍医の眼を通して見た、
乗員の坂田少尉と稲田二等兵曹の出撃直前までの記憶。
この名前は酒巻少尉と稲垣二曹という実在のペアを想起させます。

「お小姓と足軽」と陰であだ名された長身の美青年と田舎出身の朴訥な男。
突入までの一か月の間に、凝縮した空気の中で生死を共にする二人を狂気のように包み込んでいく情念。

軍医の眼を通して、極限に挑む人間の心理が規範や倫理を超日常的な状況の中でどう遇するかについて
淡々と語られます。

淡々と、というのには誤弊があるかもしれません。
そう言うにはこの軍医はあまりにも二人の男たちの官能にまで分け入って
その内部でもがいていているようにも見えます。

艦長他潜水艦の幹部が

「心中の心理だよ」
「いや随順の精神ですよ」

と内心はどうあれ半ば揶揄するように言う二人の親密ぶり。
しかし軍医だけは、怪我の手当てをし、二人の最後の時間にビタミン注射を打ち、
医者として彼らの肉体に手で触れるたびに、その感触をよすがとして
何とかして彼らの精神的な交合に分け入ろうとするのです。


この小説が何の賞にも縁がなくほとんど今日に至り埋もれているにもかかわらず、
当時絶賛した文学者がいます。

三島由紀夫。


「小生が戦時中美と考へたものの精髄が、ここにはまったく肉体的に描かれてゐます。
もしかすると、小生が文学でやりたいと思ってきたことの全部が、ここで語られてしまつたかもしれない、
といふ痛恨の思ひです。」



この小説に書かれた二人の男の物語は、もしかしたら利根川裕氏があとがきで語るように
「真珠湾攻撃の軍神という特殊な人物でなくてもよかった。
たとえばそれは人跡未踏の最高峰の山頂に挑戦する二人の男でもいいし、
南極などの極限の地に向かう二人の男でも」よかった、と言えます。


極限における男同士の交情というものが戦争で目的を遂行する男たちにも当然想起されるものでありながら、
あえて誰も触れようとしなかった禁忌(タブー)。
三島由紀夫が絶賛したのはそれをあえて文字にした作者の勇気に対してであるように思えます。


そして、そのタブーゆえにこの小説はほとんど「黙殺」されました。

同行二人とは、最初のタイトル「死の武器」からの改題で、仏教用語です。
お遍路の菅笠によく書かれている文句ですが、
四国八十八箇所の霊場めぐりのお遍路たちにはいつでも空海(弘法大師)がついて一緒に歩いてくれる、
目に見えなくてもそう願う者のそばに必ずいてくれているという意味だそうです。



作者がモデルにしたと思われる二人の乗員のうち、
『艇附の稲田が愛情ゆえになんとかして生きて帰って欲しいと切望した』
坂田少尉、つまり酒巻少尉は軍神になることなく生き残りました。

この事実を作中の二人に当てはめるとするなら、攻撃直前で終わってしまうこの小説の本当の結末を、
私たちは知っているということでしょうか。








参考:同行二人 特殊潜航艇異聞 井上武彦 ユーウ企画
   捕虜第一号 坂巻和男 新潮社版
   二階級特進の周辺 須崎勝彌 光人社
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