ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

平成31年度陸上自衛隊 第一空挺団 降下始め

2019-01-13 | 自衛隊

平成最後の陸上自衛隊降下始めを見学してまいりました。

恒例の指揮官降下。
第一空挺団長がCH-47から降下し、今年の「降下初め」の幕が切って落とされます。

2年前から降下初めはそれまでの戦車を投入した模擬戦中心の展示から
空挺降下を中心としたものに変わっています。
降下を行う指揮官は上は陸将から下は一尉まで。

今回も参加したアメリカ軍の指揮官ももちろん降下を行います。

指揮官が降下した後は、必ず副官などが飛び降りた後の世話をしてくれます。
降下地点に向かって全力疾走していく副官を見るのも降下始めの楽しみの一つ。

偵察のために投入されたという設定の海上自衛隊哨戒機、P-3C。

高高度からの自由落下(フリーフォール)ですが、例年せいぜい4名で行うのに、
今年は大量に降下人員を増強していました。

見よ落下傘空を行く。
フリーフォールの傘がこんなにたくさん降りてくるのをみるのは初めてです。

初めてといえば、二機のコブラの向こうからやってくるこの機体は・・。

航空自衛隊の新鋭輸送機C-2です。

こちらが先輩のC-1。
塗装が違うだけで実は大型化しているのですが、色の印象で
C-1の方がいかつい感じに見えますね。

アメリカ軍空挺隊の降下が始まりました。
傘の形の違いも、3回目となるとすっかりおなじみです。

空自のC-130Hも参加し、空挺降下を行います。

両側のドアから同時に一人ずつ、切れ目なく空挺隊員が飛び出していきます。

空を埋め尽くすかのような日米両空挺隊の違った種類の傘。

今回は島しょ奪回のシナリオに沿って訓練展示が行われました。

ギリースーツを身につけた偵察員を運んでくるUH-1。

ヘリが地面から1mくらいの高さにホバリングすると、偵察員たちは直接地面に飛び降ります。

こちらではCH-47チヌークからリペリング降下が行われています。

ドアを開けたままの通称ヒューイ、UH-1が狙撃兵を運んできました。

狙撃手たちはカラビナ無し、腕だけでロープを保持するリペリング降下で着地。

最初に現れた装甲車的なものは水陸機動団の水陸両用車AAV7でした。

ロープにまとめて吊り下げられて運ばれてきたこの三人は、
偵察員で、全員が銃を構えて敵の攻撃に備えています。

CH-47ヘリが120ミリ迫撃砲を2基牽引してきました。

水陸両用車に続いて、16式機動戦闘車MCVが登場。
もちろん今年初めての降下始め参加となります。

戦車はかろうじて(と言ってはなんですが)10式戦車だけが参加しました。
戦車がフル出場だった何年か前の降下始めとは随分陣容に様変わりしたことを感じます。

フィールドでは迫撃砲を組み立て、陣地を構築して突撃部隊への支援が始まりました。

今の状況で本当に必要なのか?と少し疑問に感じるタイミングで出てきた空自ペトリオット。

歩兵と高射、MCVとAAVで相手を制圧してしまったとアナウンスがあったのに、
その段階でおもむろに発射態勢に入る中SAM。

(おそらく装備展示の用意を兼ねていたのだと思われます)

丘の上、つまり来賓席の正面では近接戦闘の展示も行われました。

防衛大臣の訓話をもって本日の降下始めは終了しました。
この後フィールドでは装備展示が行われ、訪れた人々が特に
MCVやAAV7などの装備を興味深く見学したことと思われます。

 

 

 


係船堀岸壁の「帽振れ」〜護衛艦「かが」乗艦

2019-01-12 | 自衛隊

平成31年度最初の自衛隊訪問に行ってまいりました。
昨年末に「かが」がドック入り前の体験航海を行うということで
呉地方総監部を通じて参加させていただくことになったわけですが、
前日から当日の午後まで目一杯スケジュールを入れて、その結果
海事関係3箇所(体験航海含む)陸自1箇所訪問、人との面会一件を
ぎうぎうに詰め込むという恐ろしいまでに充実した一泊二日の旅。

どこからお話しするべきか迷いましたが、今回は「かが」体験航海から始めます。

前日の予定を終えたのが夜9時半。
呉地方総監部での集合時間は0730です。
投宿先の阪急ホテルの朝食開始が7時からということで、
朝食付きプランなのに食べられないかも?と心配したのですが、
少し早めに入らせてくれたため、軽く腹ごしらえをすることができました。

ヨーグルトを取りにいって帰るとき、ばったりunknownさんに遭遇!
コメントでは毎日のようにお世話になっておりますが、実際お会いするのは
一体何年ぶりでしょうか。
伺えば、「かが」の後援会で参加しておられるとのこと。

unknownさんのみならずこの時間ご飯を食べていた人たちは、
ほとんどが体験航海参加者ではないかと思われました。

タイトな予定と移動を含む今回の行軍では、機動力向上のため
レンタカーを借りてフルに活用しました。
阪急ホテルからは数分で呉地方総監部表玄関側に到着です。

広いグラウンドがあるので楽勝で皆が停めることができます。

前回ここに来たのは自衛隊記念日に伴う殉職自衛官追悼式でした。
テントと献花がなければ同じ場所とは思えません。

追悼式には参加したことがなく、この場所に来るのも初めてである
TOを誘って、慰霊碑に黙祷を行いました。

慰霊碑の隣には、前呉地方総監が着任直後から整備を進めた
旧海軍時代の地下作戦司令壕が位置しています。

去年の観桜会のときには辛うじて入り口に立って中をみることができました。
今回伺ったところ、あれから内部の整備はさらに進んで、今では
中に入って、二階に上ることもできるようになったそうです。

「二階はものすごくカビ臭かったです」

教えてくださった自衛官はそのようにおっしゃっていました。
そのうち地下壕だけでなく地下通路も完成するかもしれませんが、
そうなればこれは呉の歴史遺産として観光の大きな「目玉」となるかもしれません。

広場で今日エスコートしてくださる自衛官にご挨拶すると、
その方がさりげなく、

「インターネットで見させていただきましたが」

という言葉を会話に挟まれるのです。
TOが一緒だったのであえてその言葉の意味を聞き返すことはしませんでしたが、
それってもしかしてこのブログのことだった・・・んでしょうか。

世間の噂と、わたし自身が少々経験したところによると(笑)、特に
情報保全に関わる記事があると、すぐに削除と訂正を申しいれてくるというくらい、
自衛隊はネットにおける警邏活動をこまめに行なっているようなのですが、
その任務の一環として、例えば実際の人物とSNSやブロガーを
照合させることなども
やっていたりするんだろうか、とふと思いました。

ま、まさかね(震え声)

 

そのうち岸壁まで行くバスが到着し、中で出発を待ちました。

バスの窓ガラスには横から見てもわかるように小さな自衛艦旗が。

「かが」に乗艦する係船堀に到着する前に、ご存知「大和の大屋根」と
ドックが見える
JMUを通過します。
前回わたしが朝散歩で歩いたところを、通勤中らしき人が歩いています。

ドックには現在「いかづち」らしい護衛艦とその他一隻が入渠しており、
援護係の自衛官の説明によると、本日「かが」は、体験航海後、
この二隻の
さらに左側に着岸するであろうとのことでした。

JMUの係船堀寄りにはIHIがあります。
近くに座った人が、

「IHIってまだあったんですか」

と聞いていましたが、そりゃありますわな。

IHIの中のアイ・エイチ・アイ マリンユナイテッドがユニバーサル造船と合併し、
ジャパン マリンユナイテッドつまりJMUが発足しただけですからね。

その質問に自衛官が答えていた通り、ここでは主に航空・宇宙事業関連を扱っています。

朝の体操を部署ごとに行う(ラジオ体操かな)IHIのみなさん。
あ、そういえば自衛官も朝「自衛隊体操」という、5分間だけど
結構やってみればハードな体操をするんですよね。

海上自衛隊 第一体操

陸空にも体操はありますが、海自体操のポイントは

「狭いところでできる」

これに尽きます。

バスは係船堀という不思議な名前の海自軍港?に到着しました。
岸壁に向かうバスの向かいから、遠目にもピカピカの水兵さんたちが
隊列を組んで歩いているのに遭遇しました。

この日は「かが」の艦内でも行われた「昇任認証式」、つまり階級が上がり、
それが承認されるとともに服務の宣誓をする式がある日だったのです。

一団が行き過ぎてから、後ろから何人かが追いつくために
急いでいる海士くんたちを、
バスの中の人たちは、

「お、走ってる走ってる」「頑張れ」

などと孫を見るように目を細めていました。

「係船堀」というのはもはやここの地名となっている模様。
共済組合、売店のほかトレーニング室や浴室も完備しています。

営業時間は10時から18時45分までと結構ゆるゆるです。

一つのバスで到着した団体は、基本この日一緒に動くように、
とバスの中で注意がありました。
加賀塗りを模した「かが」の旗のある岸壁を皆で一緒に歩いていきます。

ここに来るのは「いせ」が佐世保に転勤するのをお見送りした時以来です。
その後「呉港クルーズ」では外側から何回か見ていますが。

潜水艦の岸壁には「そうりゅう型」が(向こうはしお型かな)。

潜水艦の乗員かその向こうの自衛艦(むろととか?)の乗員かはわかりませんが、
朝の作業が始まったところです。

岸壁の右側には訓練支援艦「くろべ」、そしてそのバックには、
ここのところすっかり目が慣れてしまった(嘘)蛍光ピンクの「ONE」が。

「かが」はこの日JMUにドック入りしたのですが、入港した岸壁の
真向かいが、まさにこれを造っている真っ最中でした。

造船会社内は撮影禁止、と固く言い渡されていたため、写真はありませんが、
「かが」が入港作業をしていた時、まさに向かいのピンクの船は
ブロック工法の「最後のピース」を左舷上方にはめようとしているところでした。

その後、案内してくれていた自衛官と話をしているうちに、いつの間にか
ピースが隙間なくピタリと合わさっていて、作業の早さに驚いたものです。

ツギハギされたピースの境目はグレイの塗料で埋められ、その上から
もう一度ピンクを塗り直して完成、ということになっているようでした。

「大きいなあ」

見ればわかることですが、とりあえず皆このように口に出して感嘆せずにはいられない
「かが」の巨大な艦首越しに見えるのは、手前が掃海母艦「ぶんご」
そしてその向こうが輸送艦「おおすみ」

そしてその向こうが「ONE」です。(見ればわかる)

ちなみにONEジャパンのHPは、ピンク。ピンク。ピンクだらけ。
あくまでもピンクが基調となっています。
コンテナまでピンクだよ・・・。

「かがの隣にいる船は何?」

TOに聞かれて、

「給油用のホースがあるから補給艦だと思う」

と答えたのですが、正解でした。(ほっ)
補給艦「とわだ」です。

ところで、この岸壁の手前に「メザシ」になっていた外側の護衛艦で
ちょうどこんな光景が見られました。

敬礼しながら乗員の前を歩いていくのは三等海尉。
後ろ姿を見る限り若いので、退官する部内幹部ではなく
転勤で下艦するところでしょうか。

前を通り過ぎたとき、乗員は敬礼を返していきます。

それにしてもこの写真であらためて思うのですが、こういう状況で
敬礼をしなければならないこともあるので、海軍式敬礼は
肘を張らずに立てる方法がスタンダードになったんですね。

今舷門を(と言ってもメザシなので隣のフネと繋がっているラッタル)
降りる幹部に、全員が帽振れでお見送りしています。

この後、内側の船越しに降りてくるところを見たかったのですが、
皆が先に進んでしまったので残念ながらここまでです。

わたしたちと同じバスの人たちはわたしたち以外全員が
個人名でなく会社単位で名前を点呼されており、
なぜかその中に航空自衛隊の制服の方が二人もおられました。

いよいよ乗艦となり、湾巡りツァーでもいつも大変目立つ
立派な「かが」のバナーが掲げられたところを入っていきます。

「ひゅうが」「いせ」と同じく、岸壁から入るとそこは格納庫。

控え室となる士官室にまず連れて行ってもらうため、皆で
甲板まで直通となる艦載機用エレベーターに乗り込みます。

閉じていた天井から神々しく一条の光が差し込んだと思ったら、
艦載機エレベーターがおりてきました。

さて、エレベーターに乗る瞬間からいよいよ「かが」体験の始まりです。


しかし、もうこれって空母そのものだよね。
防衛省的には「多用途運用護衛艦」だそうですが。

たかが空母という言葉に何を遠慮しているのかって話ですが、
「防御型空母」という言葉に公明党が反対したからとかなんとか。

防御型空母ってのもなんだかですが、とにかく「空母」という言葉がダメなんだとか。

P-1事案で「ジャパンネイビー」という言葉に噛み付いたのと
同じ人種が馬鹿馬鹿しい言葉狩りをやっているというわけですな。
どうせ英語では一言で「キャリアー」となるんでしょうに、
何をこんなつまらんことで引っかかってんだか。

「多用途運用護衛艦いずも」「多用途運用護衛艦かが」

それなら「空母いぶき」も「多用途運用護衛艦いぶき」か(笑)
もう・・・なんというか、士気が上がらんなあ(個人的感想です)

「空母 いずも」「空母 かが」

美しい。これで何が悪いの?

 

 

続く。

 


平成30年度 想い出アルバム〜自衛隊イベント編その4

2019-01-06 | 自衛隊

平成30年度に参加した自衛隊イベントを振り返っています。
わたしの場合基本的に参加のほとんどが海自のイベントなのですが、
その中でたったひとつあった航空自衛隊のイベント。

航空自衛隊芦屋基地航空ショー 10月13日

所属する防衛団体の研修旅行という名目で参加しました。
それまで航空ショーといえば入間の航空祭しか知らなかったのですが、
芦屋基地の航空ショーはそれと比べれば圧倒的に人が少ないため、
いろんな意味で楽な見学となりました。

空自の元中の人に聞いたところ、その点1番の穴場は
例年11月中旬から下旬に行われる岐阜の航空基地だそうですよ。

今年は岐阜に出没してみようかな。

入間と芦屋ではその内容もちょっと違います。
芦屋は入間ほど所有する航空機が多くなく、入間のように
近隣の陸海軍からの応援がないため、随分シンプルな展示となります。

その分、救難訓練などは、救難員の落下傘降下から、彼らが
要救助者を搬送して自分たちがヘリに乗り込むまでを
じっくりと見せてくれるという丁寧なものとなります。

訓練機T4部隊の編隊飛行展示は基本。
この展示は訓練部隊の教官によって行われるので、どこのT-4部隊も
「ロートル部隊」とか「シルバー部隊」などと呼ばれています。

両手バイバイしているその姿はとてもおじさまには見えません。

練習機の展示の後いきなりF-2が出てくるという驚きの展開です。
しかもこの後はF-15。

この日はどちらの戦闘機もベイパーを綺麗に引いていました。

皆のお待ちかね、ブルーインパルスは午後からでした。
午前中は真っ青な晴天だった空が、この時に限って曇りに・・・・。

曇ると当方のカメラテクニックではピントを合わせるのさえ苦労しました。

唯一ラッキーだったのは何も考えずに写真を撮っていた場所が、
コークスクリューの真正面だったことでした。

この旅行では、見知らぬおじさんと同行することになり、
おじさんのおじさんたるおじ臭さに若干閉口することになりました。

呉地方総監部 殉職隊員追悼式 10月26日

毎年この時期に行われる自衛隊記念日。
その一環として、必ず全国の自衛隊では殉職者追悼式が行われます。
わたしはここ何年か連続して呉地方隊で殉職者の霊に感謝し申し上げ、
その御霊の安寧を願って頭を下げることが恒例となっています。

呉地方総監部 自衛隊記念日式典

自衛隊記念日には、各自衛隊基地駐屯地で、その一年に貢献があったとされる
一般人、一般団体に対し感謝状が贈呈されます。

この時ももちろん感謝状贈呈式が行われましたが、話題の中心は

何と言ってもそのあとの祝賀会で振舞われた、愚直たれと地元名産
「がんす」なるもののコラボバーガー、

「愚直たれがんすバーガー」

でした。
右側の海曹さんは、

「愚直でがんす!」

とポーズをキメています。

呉地方総監池海将の指導方針「愚直たれ」を具現化したタレ、「愚直タレ」と
がんすを使ったバーガーは、この夏に広島・岡山を襲った水害のあと
災害救難活動に活躍した呉地方隊が、

「地元を少しでも元気付け、盛り上げるために」

考案したというものだそうです。

海上自衛隊 練習艦隊帰国 11月30日

一連の行事を見届けた平成30年度練習艦隊が、いよいよ
約半年の遠洋練習航海を終えて横須賀に帰ってきました。

「かしま」から下艦していく新任幹部一人一人を敬礼で送り出し、
「かしま」の乗組員が降りていった後、舷側で帽振れを行う
泉博之練習艦隊司令官、「かしま」艦長、そして「まきなみ」艦長。

退艦する乗組員を自衛艦旗を振って激励する「かしま」乗員。

自衛隊音楽まつり 11月

ついこの間だった気がします。自衛隊音楽まつり。

音楽まつりには連続出場をしているアメリカ海兵隊軍楽隊。
ドラムメジャーは女性でした。
音楽まつりで女性ドラムメジャーを見たのは初めてかもしれません。

陸自中央音楽隊と第302保安警務中隊のプログラムで印象的だった
黛敏郎の「祖国」。
保安警務中隊の鍛え抜かれたドリルの美しさは圧巻でした。

今年の招待バンドは、まずフランスから、バグパイプとブルターニュのオーボエ、
「ボンバール」のバガッド・ラン=ビウエ。

全体演奏で彼らが活躍できるようにアレンジをした人、ご苦労様でした。

絢爛豪華なダンサーの衣装に大技を繰り出すドラムメジャーが印象的だった
シンガポール軍楽隊。

文字通り「SEA 海の護り」という曲を演奏した海上自衛隊東京音楽隊。

今年は入場前、自衛太皷経験者という元自衛官の後ろに並んでいたため、
自衛太皷が音楽まつりに出場するまでの秘話を色々と伺い、
音楽まつりに出てくる自衛太鼓のチームはまるで甲子園に出場する
高校野球のように「センバツ」されて来ていることを知りました。

長年謎だったこの防衛大学校儀仗隊のフォーメーションが

「蹴り渡せ」

という名前であることを知った記念すべき年となりました。
技の名前などについては儀仗隊のツィッターをフォローしていれば
ちょくちょく紹介してくれているようです。

空自は恒例のストレートラッパ隊(真ん中の人たち)と、
カラーガードの妙技に、ジブリシリーズというキャッチーな選曲。

陸海空の歌姫たちが、ついに「専属歌手」ばかりになる日がやってきました。

海上自衛隊呉地方総監池太郎海将を囲む会 12月2日

まさについ先日お伝えしたばかりですが、12月の将人事で勇退された
呉地方総監池太郎海将が人事発令の少し前に開催された「送る会」。

とりあえず公式発表前だったので「囲む会」というタイトルで行われました。

海軍時代から繋がる海上自衛隊の歴史上、退官記念パーティでダンスを踊った、
初めての、そしておそらく最後の海将となるのではないかとわたしは思います。

おうま

一人の自衛官が目の前でその自衛官人生を終わる姿というのを、
一般人のわたしはこの時初めて目の当たりにした気がします。
それは実に感動的なものでした。
 
 

海上自衛隊 阪神基地隊年末行事 12月8日

阪神基地隊の年末行事は「餅つき大会」です。
サマーフェスタのように艦艇が多数来隊するという訳ではなく、
隷下の掃海隊の掃海艇が一般公開されるという感じですが、

そのメイン行事は餅つき。

お餅はもちろん、この日振舞われたお料理は全て隊員の手作りだったそうです。

海上自衛隊東京音楽隊 第59回定例演奏会「ハートウォーミングコンサート」12月14日

今年最も印象的だったのはなんといっても東京音楽隊専属
ハープ奏者荒木美佳三曹がソロを取ったハープ協奏曲(ヘンデル)でした。

滅多に生で聴けない楽曲を聴くことが出来るのも自衛隊音楽隊コンサートならでは。

南関東防衛局主催防衛セミナー 12月18日

これ自体は自衛隊のイベントではありませんでしたが、自衛隊の所属する
防衛省の主催で、東京音楽隊のコンサートを

客寄せ目的で後半に催してくれたので、このカテゴリにあげておきます。

なんといっても、この年のイベント紹介の最後は
行進曲「軍艦」を歌う川上良司海曹長と三宅由佳莉三等海曹の姿で
飾るのがよろしいかと・・。

 

ご紹介してきたように、昨年もたくさんの自衛隊イベントに参加して
色んな体験をさせていただきましたが、今年もまた変わらず
皆様に見たもの聴いたことをのんびりとお伝えできればいいなと思います。

どうか今年もよろしくおつきあいください。

 

 

 

 


平成30年度 想い出アルバム〜自衛隊イベント編その3

2019-01-04 | 自衛隊

お正月の三が日、皆さんはいかがお過ごしでしたでしょうか。

わたしは海保観閲式で歩いた、横浜の港に行きました。
かつて引き込み線だったレールの跡をそのまま残した歩道を
跨ぐように建つホテル「ナビオス横浜」。

ここは知る人ぞ知る「海員会館」でもあります。

新年のあけおめメールをある元海上自衛官に送ったところ、
お正月をここで過ごすのを恒例にしていると写真付きで返事が来ました。

山下公園も久しぶりに歩いてきました。

氷川丸を繋留している鎖は決して揚げられることがないため、
ゆりかもめたちがお行儀よく整列して止まっています。

「かもめの水兵さん」

という歌が浮かんできました。

このあと、TOと映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観ましたが、
満席状態で、日本人はクィーン好き、という噂を裏付けていました。

よかったですよ〜〜〜!

男同士のラブシーンは観ていてなかなか辛いものがありましたが、
特に最後の20分間、ライブエイドのシーンは圧巻で涙が溢れました。
猫好きにもおすすめ(笑)

 

さて、昨年一年で参加した全ての自衛隊イベントを振り返って、三日目です。
自分でもよくまあこれだけ駆け回ったもんだとちょっと驚きました。
その全てについてこれだけ事細かに報告しているわけですが、
仕事でもなければしがらみがあるわけでもなく、ここで詳細に報告しても
なんの報酬があるでなく、ただひたすら好きでやっているというのがね(呆)

この熱意はどこから来るのだろうと自分なりに分析してみたところ、
やはり根源はこの組織で働く人々への興味なのだろうと思います。

そして彼らが任務に当たる姿から一般人の視点で感じたことを、
共有したいという思いから当ブログでの発信を続けています。

その際、必要以上に皮相的な賞賛をしたり、或いは浅い知識で批判したり、
ましてや良かれと思って代弁者を気取るなどという態度は厳に慎む、
というのが、自衛隊に関わる一般人としての最低限のマナーだと思っております。

 

海上自衛隊八戸基地見学 5月某日

 

先般のレーダー照射事件で世界の注目を浴びることになったP-1は、
厚木の第4航空群所属で、警備区は事件のあった
能登半島近海のFEZにも及ぶわけですが、この第二航空群は東北にあって
日本海北部、北海道周辺海域を中心とした監視活動を行なっています。

この基地見学では、基地をあげての「見学コース」をご用意いただき、
P-3Cのエンジン換装の瞬間を整備室で見せていただくことができました。

後から別の自衛官に聞いたところ、わたしたちが見学する時間に
ちょうどこの瞬間が行われるべく時間調整して下さっていたとのこと。

また、P-3Cの内部見学はもちろん、ボムベイの中を見ることもできました。

航空基地で重要なのは航空火災に備える設備。
というわけで消防車に乗って放水経験などもさせていただきました。

管制塔、地下司令室など、撮影不可の部分にも潜入したぞ。

この時、哨戒中のP-3Cをモニターできるところがあったので、
今どこにいるかリアルタイムで教えていただいたのが忘れられません。

今にして思えば、先般の能登半島沖の事案って、厚木の基地はもちろん、
米軍ともリアルタイムで共有し、経過観察していたってことですよね?

うーん・・・韓国海軍、そのことも知っていながらなぜしらばっくれる?

ついまた画像をあげて羨ましがらせてしまう、八戸基地の喫食体験。
あのね、みなさん、もう本当にお世辞抜きでマジおいしかったんですよ。

聞けば士官と曹士の間に食事内容の差別は存在しないということ。
(違うのは来客用に設えられた立派な食器だけ)

三つ葉たっぷりの二色丼、煎餅の混入した八戸名物せんべい汁、
山菜の天ぷらなど、下手な料理屋よりずっと美味しくて・・。

ここの賄い食べるためだけにもう一度八戸に行きたいくらいです。

海上自衛隊阪神基地隊 サマーフェスタ 7月21日

もうとにかく異常に暑い一日でした。
しかし炎天下で行われるステージに出演するアイドルのために
開門前からファンが列を作って並んでいたというこの日のサマーフェスタ。

鉛筆細密画の菅野泰紀氏の作品展で展示されていたP-1の絵。

韓国側が今回のレーダー照射事件で、

「神風のように低空飛行してきた。日本は謝れ」

と言ってきているそうですが、つまり心象的にはこんな風だったってことですか。
なんでも韓国側では反論のための証拠動画を鋭意製作中とのことですが、
いっそ素材としてこの画像を使っては如何か(煽りまくり)

この日の阪神基地隊プレゼンツ防衛セミナーはなんとパネリストに
神戸のご当地アイドルを大抜擢しての開催となりました。

はっきり言ってかぶりつきのアイドルのファンたちにとって
内容はどうでも良さそうな風情ではありましたし、
そもそもアイドルがアイドルらしく全くの無知だったのも何でしたが、
正直、下手に小賢しく政治に首をつっこむモデルなんかより
芸能人としてはよっぽど分をわきまえていて好感が持てました。

自衛隊の防衛イベントとしては異色でしたが大成功だったと思います。

潜水艦救難艦「ちはや」の一般公開を行っていました。
潜水艦救難艦は実に見学のしがいがある自衛艦です。

DSRV、潜水艦救難艇やその電池のための専用の電池室(冷房入り)
だけでも、大抵の人には初めて見るものとなるはず。

この時「ちはや」が行ったえひめ丸の遺体収容活動についても語ってみました。

護衛艦「さざなみ」も岸壁に繋留されていました。
格納庫ではAEDの使い方や人工呼吸のやり方を教えるコーナーあり。

とにかく暑くて、甲板に上がるのも躊躇われるほどでしたが、
そんな自分に鞭打って一通り見学を終了。

基地構内のプールでは、模型潜水艦の展示も行われていました。
オーナーはラジコン模型を水中で操縦することが目標です。

陸上自衛隊総火演

例年これも艱難辛苦を乗り越えて見学している総火演。
今回は実際に行ったわけではなく、バーチャル参加です。

ちょうど開催日に息子の大学のオリエンテーションが重なってしまい、
せっかくのチケットを友人に譲って、アメリカからリアルタイムで
譲ってあげた人に強制的に報告をさせながら、ライブ映像を見ていました。

写真は実際に参加された方のものをお借りしました。

2018年は、陸自がその主装備を水陸両用車と装輪装甲車のMCVに切り替えた、
歴史的転換点だったかもしれません。

海上自衛隊潜水艦「おうりゅう」命名・進水式

高松行われた「しらせ」の艦上レセプションが台風で中止になり、
アメリカ帰国後最初の自衛隊イベントは「おうりゅう」の進水式でした。

三菱重工業で行われる式典は写真の撮影を厳しく禁じられているため、
式典の途中の経過をここでお知らせすることはできません。

ちなみに三菱での進水式は滑り降り式ではなく、注水式なので、
「日本三大がっかり」の一つ、という人がいたくらい肩透かしでした。

注水式とは、注水された船渠に潜水艦を3時間かけて沈めるので、
ずっとそれを見ているわけにはいかないのです。

自衛隊記念日 観閲式 

今年の観閲式総合予行は体育の日に行われました。

本来なら観艦式の予定でしたが、オリンピック開催の際に陸自駐屯地が

資材置き場となるため、順番を入れ替えたという説明がされました。 

陸自主体の観閲式はとにかく行進がメインです。

スペクタクル性には欠けますが、わたしはこの全軍が
行進してくる姿に軍隊の「練度」が表れるということもあり、
つまらないなどとは一度も感じたことがありません。

軍服での行進、その統制美にとにかく心が湧き立つのを感じます。

観閲式のためだけに結成され、行進の訓練を受けるという女性部隊。

落下傘降下、航空展示も予定通り行われました。
F-35の展示、オスプレイも本番にはやってきたようです。

そしてこの観閲式でも最も注目度の高買ったのが水陸両用車部隊でした。
待ち時間には新しく作曲された「水陸起動団の歌」も披露されました。

歌詞の後半は予想通り、「すーいりーくきーどうーだん〜〜」
となっていました。

アメリカ海兵隊の水陸両用車と陸自のそれが並んで祝賀車両行進をしたのも
今年の観閲式のクライマックスでした。

海兵隊部隊からは第3強襲水陸機動大隊が参加。

 

そして今年の関越を通して強調されていたのは

「クロス・ドメイン(領域横断作戦)」

という言葉でした。

簡単にいうと、宇宙、サイバー、電磁波といった新たな領域を
防衛という軸中心に横断して実現する体制の構築です。

観閲式本番には別のイベントが入り、参加は叶いませんでした。


続く。



平成30年度 想い出アルバム〜自衛隊イベント編2

2019-01-03 | 自衛隊

関東地方は晴天に恵まれ素晴らしい陽気の元旦でしたが、
皆様はどのようにお過ごしになりましたでしょうか。

わたしは日の出の時間にいつも歩きに行く公園で初日の出を迎えました。
いつもは誰もいない公園の芝生広場にご来光を拝みに来た人がいっぱいです。

ちなみに息子は鎌倉の高校の同級生のうちに泊まりにいき、
鶴岡八幡宮に二年参りに行ったそうですが、あまりにも参拝客が多く、
拝殿にたどり着くことができなかったと言っていました。

おせちはいつもの東京駅前ホテルの加賀料理の店で。
お雑煮は薄味かつおダシの鴨入りでした。

初詣は靖國神社で昇殿参拝に上がり、御祭神の皆様に
これからの日本の安寧と、ついでに家内安全をお願いしてきました。

境内では奉納芸能や獅子舞が催され、昇殿参拝に上がる人々で賑わっていました。


さて、2018年度に参加した自衛隊イベントご報告の二日目です。

海上自衛隊練習艦隊壮行会「かしま」艦上レセプション5月11日

東京湾晴海埠頭にて行われた「かしま」艦上レセプションにご招待いただきました。

金子純一「かしま」艦長が挨拶中。
練習艦隊司令官泉海将補(右)は、このレセプションでも

「三つのC(うれCおいCうつくC)」

を練習艦隊の目標にしたい、と皆を湧かせました。

「かしま」艦上でのこの日の自衛艦旗降下。

日が沈んで夜の灯りに包まれた「かしま」を退艦したその翌日は、

練習艦隊体験航海「まきなみ」乗艦 5月12日

で、同じ晴海から横須賀に移動する練習艦隊に座乗することになりました。
自分で書いていてハードなのにちょっと驚いています(笑)

晴海埠頭を出航した後、レインボーブリッジ下を潜ります。

艦上ではSH-60ヘリのローターを回す展示などが行われました。

「まきなみ」を追い抜いていく練習艦隊旗艦「かしま」。
この追い抜きがこの日の体験航海に参加した人たちにとってある意味
最大のイベントといえたかもしれません。

追い抜かす時に、「かしま」との間では発光信号が交わされました。

横須賀港に到着すると、「かしま」は一足先に入港作業を行なっていました。

自衛隊のイベントではありませんが、このこともお話ししておかなくては。

海上保安庁の観閲式、

海上保安制度 創設70周年記念観閲式および総合訓練 5月19日

に参加しました。
もちろん海保のイベントに参加したのは初めてです。

乗船した瞬間から下船まで、とにかく海自との文化の違いに
驚かされっぱなしの観閲式でした。
同じ海の安全を守る団体でありながら、運用はもちろん全てが全く別物です。

特に驚いたのが出航作業で、革靴に真っ白な手袋をつけた姿で
舫を手に持って捌いていく海自の出航を見慣れた目には、
甲板のウィンチで淡々と舫を巻き取る海保の方法は寧ろ斬新でした。

「海自が出入港作業をほとんど海軍時代と変わらぬ方法で行なっているわけは、
おそらく、彼らが乗っているのが海軍時代とおなじ「軍艦」だからです。

古より干戈を交えた時代を経て代々受け継がれ、研ぎ澄まされてきた作業は、
恐ろしく合理的で、武器を搭載することが第一義の甲板で行うことを考えれば、
これが最良の方法であり、それがゆえに変える理由もないのでしょう。

かたや、船の甲板を埋め尽くす機械で舫を処理する海保のやり方は、
安全で確実な出入港のために考えられた最善の手段であり、むしろこちらが
『普通』なのだということを、わたしは眼下の光景を見ながら思っていました。」

とこの時のわたしは観察しております。なるほどね(笑)

乗船していた船医どのは民間人。
お祖父さんの時代から「海保の船医」だそうです。

海保の観閲式はとにかく見ていて楽しいの一言です。
招待された船舶が色付きの水を放水するなんて、信じられます?

「飛龍」という名前が海保の放水船に既に取られていたことを知りました。
しかもひらがな表記で「ひりゆう」。

海保の救難訓練展示は「本気」と書いてマジモードでした。
ケミカルタンカーから転落した人をへロー降下して救出、
その後消火活動を行う、という筋書きで展示が行われます。

ただし水はかけるフリだけ。

訓練展示でもっとも観客が湧いたのが海賊船対処訓練でした。
トッケイと呼ばれる特殊警備隊が行う高速機動連携訓練。

不審船の周りをトッケイのボートが警告(という名の威嚇)しながら
円を描いて足止めを試み、その後色々あって強行接舷、乗り込んで海賊確保。

わたしの見た日には強行接舷と乗り込みは省略されていたようですが、
その壮絶さは訓練といえども顕で、海保の皆さんが日頃どんな現場にいるのか
片鱗なりとも知ることができた貴重な機会となりました。

あのP-1の動画公開で、自衛官が日々どのように任務を行い、
いざ、という時にいかに沈着に対処しているかに初めて触れた人々から
驚嘆と賞賛の声が上がったことは、あの事件の思わぬ副産物かもしれません。

日本の平和は実はこのような人々の日々の研鑽と、
危険を顧みない任務行動によって守られているということです。

アメリカ合衆国からもコーストガードのカッターが参加し、
海上自衛隊からは護衛艦「はたかぜ」が招待されて加わりました。

白と青の船列に加わるたった一つの「鉄(くろがね)の城」。
実際は灰色ですがそれはともかく、これがどんなに頼もしく強そうに見えたか。

この日参加した知人の全てが全く同じことを言っていました。

警備区の特色を生かした最後の「フェアウェル」も、
海自の観艦式では決して見ることのできない和やかな展示です。

わたしはこのおかげで「宮古島まもる君」の存在を知りました。

高知の警備に当たる第五管区「とさ」には坂本龍馬が写真のポーズで立っています。

個人的に注目した警視庁のピーポくん(怖い)


海上自衛隊練習艦隊遠洋航海出航 横須賀 5月21日

一連の出国関連行事に一通り出席させていただいた今回、
約半年にわたる遠洋航海に出発する練習艦隊を、いよいよ

横須賀地方隊の岸壁より見送る日がやってきました。

岸壁を離れる「かしま」の艦上と岸壁とで交わされる帽振れ。

海軍時代の練習艦隊もまた、全く同じしきたりの上に行われていたことを、
わたしはこの年紹介した大正15年度練習艦隊記念アルバムで確認しました。

わたしはこの後単身車で観音崎まで駆けつけ、そこから練習艦隊を見送りました。

護衛艦「いずも」横浜大桟橋寄港

「いずも」が大桟橋に寄港したという知らせを受け、
一眼レフでの夜間撮影の練習を兼ねて、
三脚持参で
ライトアップの写真を撮りに行きました。

くじらのせなかから見る「いずも」。
ポートタワーと「氷川丸」の電飾を背景に。

ちなみにこの「くじらのせなか」は、年明けの時には周りの船舶が
一斉に汽笛を鳴らす中、愛を誓い合うカップルで満載になるそうです。


海上自衛隊 掃海隊殉職者 追悼式 5月26日

毎年5月の最終週に金比羅神社で行われる、海上自衛隊掃海隊殉職者追悼式。
ここのところ、わたしは前日の立て付けから見学させていただいています。

立て付けが始まる前に、指揮官が金比羅神宮参拝を行うのが恒例で、
これを外から見届けるために本殿までの長い石段を上っていたら、
後から来た自衛官の集団にあっという間に抜かされました。

今年初めて拝殿に向かう呉地方総監、掃海隊司令以下の写真を撮ることに成功。

次の日の本番ではわたしは来賓席での参列となり、そこから
写真が撮れないので、立て付けの時だけ儀仗隊の前から撮影しました。

追悼式のために高松港に寄港している掃海母艦「うらが」では
毎回恒例の艦上レセプションが行われます。

「うらが」で自衛艦旗降下を行った一人は女性乗組員でした。
掃海艇はようやく女性の艇長が生まれたかどうかというところですが、
掃海母艦には女性隊員が普通に乗り組んでいます。

ライトアップされた「うらが」退艦後、掃海隊の撮影がライフテーマである
カメラマンのミカさんと高松名物うどんを食べに行きました。

翌日、追悼式の本番です。
参道にいきなり現れた白いセーラー服の儀仗隊に参拝客は目を見張ります。

この日の弔辞で元民進の小物議員小川某が掃海隊への弔辞に見せかけて
モリカケ疑惑をあてこすった安倍総理批判を「言い逃げ」し、
出席者のみならずその日のうちに全国的な顰蹙を買った、
ということを除けば、粛然としたいつも通りの追悼式典でした。

艦内帽を被った一人の出席者の後ろ姿が印象的でした。

 

続く。



平成30年度想い出アルバム〜 自衛隊イベント編 1

2019-01-02 | 自衛隊

お正月の特集編として、昨年1年間に参加した自衛隊での
イベントなどを駆け足で振り返ってみることにします。

あらためて写真を掲載するために画像フォルダを
次々と検索しながら、よくもまあこれだけ参加したものだと
その頻度に我ながら驚いてしまいました。

まずは年明けに行われた陸上自衛隊第一空挺団の「降下始め」から。

毎年習志野駐屯地訓練場で1月10日前後に行われる「降下始め」。
文字通りその年の安全を祈願し、一年に先駆けて精鋭集団である
空挺団の士気を高めるための伝統的なイベントです。

一年で一番寒い日の午前中に吹きさらしの中のイベント。
この年の寒さは特に厳しく、終わった時には体が硬直して
脚がふらつくくらいでしたが、大変見ごたえがありました。

大変な思いをするだけの価値はあると思います。

以前のように戦車が走り回ることはなく、サバゲーのような模擬戦、
そして空挺降下をフィーチャーした降下始めでした。

2017年の降下始めからは、アメリカ陸軍の特殊部隊、
グリーンベレーが参加して共同で降下訓練を行うようになりました。

ちなみにこれはアメリカ軍の指揮官です。

この時一眼レフに電池を入れるのを忘れたのですが、ニコン1の
優秀な望遠レンズはグリーンベレーの女性隊員のシニヨンを捉えていました。

降下にフォーカスしただけあって、惜しげなくふんだんに落下傘がばら撒かれます。

固定翼機、ヘリと飛び降りてくる航空機も様々。
ついでに、今までせいぜい空挺団団長だけだった「指揮官降下」ですが、
いつからか下は二佐くらいまで参加させられるようになった模様。

アメリカ陸軍特有のパラシュートで降下してくる女性グリーンベレー。

観客が騒然としたこんなアクシデントもありました。
右側の隊員の傘が左の傘に絡まってしまったのです。
絡ませた方はすぐさま補助傘を開き、この状態で無事に着地しました。

今年の降下始めは1月13日、8時30分より習志野駐屯地で開催です。


海上自衛隊 東京音楽隊第57回定期演奏会 シンフォニックコンサート 2月18日

この日は小野寺防衛大臣のご来臨を仰いだコンサートとなりました。

NHK大河「真田丸」に出演した俳優の村上新悟さんが司会。
プログラムの目玉はレナード・バーンスタインの楽曲でしたが、

個人的には歌手の三宅由佳莉三曹とTr.の藤沼直樹三曹の「美女と野獣」に
ハートを鷲掴みにされました。

海上自衛隊 呉音楽隊第48回定期演奏会 2月24日

呉音楽隊のサプライズプログラムは、呉地方総監が踊る星野源の「恋」です。

 

海上自衛隊 横須賀音楽隊 第52回定期演奏会 3月2日

東音と同じバーンスタインで攻めたこの日の横須賀音楽隊。
バーンズの「詩的間奏曲」といい、チャイコフスキーのメドレーといい、
横須賀音楽隊の選曲にはいつもやるなと思わされます。
 
中でも世界初演となった八木沢教司氏の
 
「烏山頭」〜東洋一のダム建設物語 
 
八田與一の台湾での生涯とその死、夫人の自死までを表現した
吹奏楽には大変感銘を受けました。
 
 
海上自衛隊 潜水艦「せいりゅう」引き渡し式 3月12日

2月はイベントが一つもなく、3月に入って出席したのは
三菱重工神戸造船所で行われた「せいりゅう」の引き渡し式でした。

川崎ではそうでもないですが、三菱重工では制限が厳しく、
埠頭では一切写真を撮ることができないので、宴会を撮るしかありません。

そこで引き渡し式会場の配置図を適当に描いてみました。

「せいりゅう」は「そうりゅう」型の9番艦です。

潜水艦「せいりゅう」入港式典 横須賀地方総監部

引き渡し式から役約1ヶ月後、「せいりゅう」が横須賀に入港しました。
この式典にも参加させていただくことができ、横須賀でお迎えをしました。

「せいりゅう」は第2潜水艦隊群第6潜水隊に配備されました。

「せいりゅう」が沖に姿を現し、着岸して乗員が上陸したのち、
彼らが岸壁で待っていたそれぞれの家族や知人と
邂逅する様子を目の当たりにし、感動したものです。

できたばかりの潜水艦でも水垢が付いているんだと思いました。

海上自衛隊 練習艦隊歓迎のゆうべ @大阪港 3月19日

江田島の幹部候補生学校を「表門」から出航した後、
我が海上自衛隊の練習艦隊は内地を巡航して周ります。
彼らが大阪港に寄港したときの一連の壮行行事に参加させていただきました。

まずホテルでの「歓迎の夕べ」。

練習艦隊司令官泉海将補の名言は、

「彼らにここ大阪ではユーモアのセンスを教えてやってほしい。
マナーは東京で学ばせます」

大阪での祝賀会は食べ物が猛烈な速さで無くなると実感した夜でした。

 

海上自衛隊 潜水艦救難艦「ちよだ」引き渡し式 3月20日

練習艦隊壮行会の次の日、わたしは岡山の玉野にいました。
玉野造船所で行われる「ちよだ」引き渡し式に参加するためです。

わたしは「ちよだ」の進水・命名式にも参加しております。
進水式、命名式に続き引き渡し式に立ち会うことができると、
その艦の誕生の瞬間と独り立ちを見届けた気がして大変嬉しいものです。

「ちよだ」の引き渡し式では忘れ得ぬ事件が起こりました。
自衛艦の引き渡し式では、艦に「命を吹き込む」べく、
乗員乗艦に先立ち、自衛艦旗が授与され、それは副長の手で
艦内に「初めて」持ち込まれ、艦尾に揚げられる、というのが
海軍時代から続く儀礼的慣習であるはずなのですが、
その受け取るべき自衛艦旗が用意されていなかったのです。

で、どうしたかというと、呉地方総監部の管理職が
全力疾走して海曹室の自衛艦旗収納ボックスから取ってきたと。

後から聞いたところ、自衛艦旗はもともと海曹室の箱の中にあり、
式典用に出しておかなくてはならなかったのだそうです。

「初めて艦に自衛艦旗が授与される」

というストーリーだったんですね。
中から取ってきた自衛艦旗が無事に艦長に授与されています。

そして「初めて」自衛艦旗が「ちよだ」に乗艦する瞬間・・・。
ここに写っている全ての自衛官は、おそらく同じことを考えていると思う。

この後に行われた祝賀会で、村川海幕長は

「我々に取って自衛艦旗がどんなに大切なものかが改めてわかりました」

とスピーチして皆を笑わせ、前代未聞のミスに暗くなっていた(某自衛官談)
自衛隊側は、この瞬間救われた気がした、ということです。

さすがは海軍伝統のユーモアを旨とする海上自衛隊の長、とわたしは驚嘆しました。

そうして「ちよだ」は玉野を出航し、横須賀に配備されました。

就役直後の5月1日には、「ちよだ」は伊東で
プレジャーボートから転落した男女5名を救難しており、また
6月には米海軍「マーシー」と衛生共同訓練を行うなど活躍しています。

海上自衛隊 練習艦隊「かしま」艦上レセプション 3月20日

同日夕刻、わたしは大阪にとんぼ返りしておりました(笑)
昨夜大阪のホテルで行われた歓迎会に続き、自衛隊の方が招待する
艦上レセプションに参加するためです。

さすが大阪、街角にビリケンさんがいるぞ。

驚いたのは、このレセプション会場では、今朝の「ちよだ」引き渡し式の
自衛艦旗事件がすでに話題になっていたことです。

これは、朝玉野にいて、夜大阪に移動した人が官民問わず多かったためです。

「大阪では食べ物が減るのが異常に早い」

ということも実証されました。

皆が乗艦するなり乾杯の発声を待たずものを食べ出すということも・・。


海上自衛隊 呉地方総監部 観桜会 3月30日

3月末には恒例の呉地方総監部の観桜会にご招待いただきました。
この時には特に意識していませんでしたが、この写真を改めて見て
例のピンク色の船が写っているのに気がつきました。

観桜会は2回目ですが、この前年度、呉は季節外れの雪に見舞われ、
教育隊の体育館が会場となったため、(もちろん桜は咲いていない)
旧鎮守府庁舎の前庭で、満開の桜を見ながらの観桜会に感激しました。

この時には、呉地方総監肝いりで整備された鎮守府時代の
旧海軍の地下作戦壕が公開されており、わたしも見ることができました。

中は危険なので、入り口のところに立ってこうやって眺めるだけですが、
それでも戦後ずっと放置されてきた旧軍の遺産を整備し、
一般人が見ることができるようにした地方総監の尽力には頭が下がります。

夕刻から日が沈んだ後まで行われた観桜会。
素晴らしい夕焼けに照らされる満開の桜と、最高の一日でした。

日が沈んだ後のライトアップまでが観桜会です。

旧鎮守府庁舎がライトに浮かび上がって幻想的な一夜でした。

海上自衛隊 呉潜水艦教育訓練隊見学

観桜会の前に、潜水艦教育訓練隊の施設見学をさせていただきました。
まずその前に、「てつのくじら館」に連れて行っていただき、
「愚直たれ」を使った呉総監ドッグを喫食体験。

呉地方総監部の自衛官であっても潜水艦でなければ入ったこともない、
この通称「潜訓」で、潜水艦士官にエスコートしていただきながら
内部を見学させていただきました。

空襲を受けなかったため旧軍時代の建物をいまだに使用しています。
向こうにアレイからすこじまと潜水艦基地が見えています。

ここで体験したのが「そうりゅう型」の潜行訓練装置。

好きに触っていい、と言われてぐいーっとレバーを押したら、
あっという間に床が傾いてすごいことになりました。
こんなレバーひとつであの大きな潜水艦が簡単に動いてしまうとは、
と驚きの体験でした。

 

続く。


海将を囲む会〜「ひこうき雲」

2018-12-21 | 自衛隊

というわけで自衛隊人事も発令になり、呉で「海将を囲む会」が
行われてから約20日後、池総監は三十余年に亘る自衛官生活を終え、
呉地方総監部を去って行かれました。

このことはNHKとRCCのニュースでも報じられました。
自衛隊の歴史の中でも、地方総監の退官がこれほど
大々的に報じられたというのは初めてだったのではないでしょうか。

Yahoo!ニュース

 

レンガの地方総監庁舎から出てくるところから離任式の映像は始まりました。

教育航空群司令官時代、わたしは司令室の「愚直たれ」という自筆の額を
ここでご紹介させて頂いたことがありますが、その後「愚直たれ」が
呉地方隊でこれほど有名な言葉となるとはその時にはまだ思いませんでした。

池海将の最後の任地が呉地方隊であったことが、池海将と「愚直たれ」を
これほど有名にしたと言えるでしょう。

「愚直たれ」のアイデアはご本人ではなく、呉地方総監部から
就任直後に起こってきたものなのです。

愚直たれは呉地方隊の隊員食堂でも愛用されています。
あれ?この右側の隊員さんって、音楽隊の方じゃないですか?

池総監は当初2018年の3月の退官を考えておられたようです。
(奥様と『夏服はもう着ないね』と話しておられたと聞きました)
鉄のくじら館で提供されていた「愚直たれドック」も任期終了まで、
となっていたのですが、ご存知のように任期が延び、従って
愚直たれ提供期間も延ばされることになりました。

「愚直たれを置き土産に」

とテロップにあるので、少なくとも呉地方隊の隊員食堂には
愚直たれが記念に残されるのかもしれません。

そしてその次の人事異動の季節、7月には広島を大災害が襲いました。
このため総監の離任はもう一度延期されたのかもしれません。

地元復興の願いを込めて、ご当地名物である「がんす」を
取り入れた「愚直たれがんすバーガー」が生まれたのはこの後です。


さて、わたしが出席した「海将を囲む会」に戻りましょう。
呉地方総監が総監として最後に踊った「恋」ダンス終了後、
会場のスクリーンには「 Dear ボス」のお笑いコンビ、三四郎の二人が
総監を「池ちゃん」呼ばわりしながら労いの言葉を贈りました。

そして本邦初公開、池ちゃんの生い立ちとその歩みのスライドです。

お父上は大学で教鞭を取っておられたと聞いています。

岡崎市の小学生がジャイアンツのファンだった・・・だと?
ところで編集した人、勝手に帽子をカープに変えるんじゃねー。

だからカープに変えるなと何度言ったら(略)

両手に猫と犬。
奥様とはもうすでにこの頃からのお知り合いでした。

頭が良くてスポーツもできて、そして真面目そう。

高校では柔道部!硬派です。

自衛官になろうと思ったきっかけは、小学校の時の艦艇公開。
その時に案内してくれた自衛官(防大生だったかな)のお兄さんに、
学校の授業で
手紙を書いたのがきっかけで文通を続けるうち、
海上自衛官になりたいと思うようになったそうです。

ちなみに、池海将と防大で同期だった元陸自戦車部隊だった方から

「みんなが遊ぶことと女の子のことばっかり考えている時に、
池だけは自費で英語のタイムズなどを取り寄せて読んだりしていた。
本当に真面目で偉い奴だと尊敬していた」

と当時の池学生について聞いたことがあります。

幹部候補生時代。右端が池太郎候補生です。

海上要員になった頃は、影響を受けた自衛官のこともあって
海上艦乗組を希望していたそうですが、結局P3-Cパイロットに。

お子さんは男・女・女の三人。
幹部自衛官の宿命とはいえ、単身赴任は仕方ないことなのですが・・、

どこの赴任地でも子供達のために毎週帰省していたそうです。
これは口で言うほど簡単ではなく、八戸基地で、実家は島根県という方に

「毎週ご実家に帰るんですか」

と聞くと

「遠すぎてとても無理です」

とおっしゃっておられました。
確か池海将には八戸勤務時代もあったはず。
毎週岡崎まで東北から帰るのはかなりの強い意志が必要です。

基地で働く姿を見せるのも父親の役目。
あとで一人ずつ家族の方々がメッセージを述べていましたが、
全員が父親を深く尊敬していることがよくわかりました。
お嬢さんの一人は

「授業参観の後『かっこいいお父さんだね』と言われ自慢の父でした」

と・・・。

家族思い、もちろん愛妻家です。

若き日の池海将、爽やかイケメンです。

そして2016年7月、呉地方総監に就任。

「愚直たれ」で名物海将になるのはまさに呉総監就任後のことでした。

広島の水害の際、視察に来た安倍総理に指揮官として解説を行う総監。

会場は静まり返って紹介される池海将の歩みを見つめています。
そしてまたそれを見ながら何を思うのか、感慨深げな海将夫妻・・。

ここからは、池海将を司令官と仰いだ部下のみなさんからのメッセージ。
池やではぼたん鍋も扱っていたんでしょうか?

池海将の愚直たれに続くもう一つのモットー、「三つのあ」にかけて。

飛行隊員、という紹介に思わず目がいってしまいました。

気持ちはわかるが”愚直たれ”は飲まないほうがいいと思う。

いかにも「押忍!」が似合う凛々しい自衛官。

知らんがな。

前呉地方総監部管理部長、現第二航空群司令、瀬戸海将補。

次の「池や」はいつになるのでしょうか。
もし許されるならばわたしも「池や」の客になってみたいです。

ここで第一術科学校長の中畑泰樹海将補が壇上の総監夫妻と向かい合いました。

防大時代、池海将の「部屋長」に対し中畑将補は「部屋っ子」という関係です。
防大では1年から4年までが部屋という少数単位で共同生活を送りますが、
4年生の「部屋長」「サブ長」に対し、下級生を「部屋っ子」と称するのです。

この独特な用語をここで聞いてもわたしが完璧に理解できたのは、
ひとえに「あおざくら」を愛読していたからです。

(余談ですが、「あおざくら」最新号で、棒倒し隊長としての思い出を
巻末で熱く語っている
三等海尉は、何を隠そう、
わたしが練習艦隊走行会の時にそこでも棒倒しについて熱く語ってくれ、

その様子をこのブログで紹介したまさにその人です。)

「防大を卒業し、何年経っても池総監とは部屋長と部屋っ子の関係です」

この時にはにこやかにお話を聞いておられるご夫妻ですが・・。

中畑海将補からは会場に飾ってあった記念額が贈呈されました。

挨拶の最後からは総監にも熱いものがこみ上げてきたようです。

パイロットの池総監には熟知の世界ではないかもしれませんが、
さすがは海軍、舫の結び方見本額も贈呈されました。

幹部学校校長だった池海将には江田島の写真も送られました。
左下には池校長が卒業式で「帽振れ」をする姿が写っています。

呉地方総監部の代表から花束贈呈。

そして最後に池呉地方総監が挨拶をされました。

そして皆への感謝ののち、和子夫人に心からの「ありがとう」を述べられました。

壇上から降りると、そこにいた中畑海将補と思わず抱き合います。
向こうで写真を撮っておられるのはミカさんことふりかけそーすけさん。

就任以来総監を撮ってきた写真班のカメラマンも、二人の姿にシャッターを切ります。
見ているわたしたちも目の奥が熱くなってくるのを感じました。

万雷の拍手に送られて、池太郎海将と夫人が会場を後にします。
そのとき会場に流れていた曲はこの曲でした。

 

それから18日後の平成30年12月19日、
第43代呉地方総監、池太郎海将は呉地方総監部の「表門」から、
総監として2年余を過ごした
呉を、総員の帽振れによって送られ、
第二の人生へと旅立ってゆかれました。

前途を祝すような小春日和の日差しを受けて、最後の帽振れを行う池海将。

長い間お疲れ様でした。
第二の人生においてもまた座右の銘の通り、何事にも愚直に全力で取り組まれ、
その卓越した能力と指導力で一層社会に貢献されんことをお祈り申し上げております。

しかしその前に、まずはゆっくりとお身体を休ませて、
夫人とお二人での水入らずの時間をお過ごしください。

 

 


海将を囲む会〜呉地方総監のラストダンス

2018-12-20 | 自衛隊

 大久野島でうさぎに囲まれた翌日、わたしは車を西に約2時間走らせ、
呉市内のホテルで行われた「海将を囲む会」に出席しました。

会場となったのはクレイトンベイホテル 。
この秋の自衛隊記念日で感謝状の授与対象ともなった当ホテルでは
海上自衛隊お膝元のホテルとして、その広報活動に大いに協力しています。

護衛艦「かが」カツカレー(ひじき、黒ごま、大豆使用)

補給艦「とわだ」カレー(りんごピューレ、チーズ入り)

練習艦「かしま」牛タンカレー(セロリ・トマト入り)

などの海自カレーがホテル内の全てのレストランで提供されています。

ところで、この日囲ませていただく予定の海将とは誰かというと、
それはもちろん、会場となったクレイトンベイホテルのロビーラウンジの
提供メニュー、「がんすバーガー」に使われている「愚直たれ」で
就任いらい全軍とその周辺の話題を集めた池太郎海将その人でございました。

実はわたしがこの会に参加したことをご報告するのを控えていたのは、
12月14日、防衛省の人事で池海将が退官されるということが
公的に発表され任期を終えられるのを待っていたからだったのです。



まだ辞令が降りてはいませんでしたが、この「囲む会」は
実質、「呉地方総監の離任・退官を祝う会」という名目で、
ホテルの大宴会場を借り切り、盛大に催されました。

開場時間となり、受付をすませると、自分の割り当てテーブルに案内されます。
テーブルには「とわだ」「かが」「せとゆき」「あぶくま」「しまゆき」
から掃海艇の「ながしま」まで、海自艦艇の名前がついています。
ちなみにわたしは「おおすみ」でした。

ステージ前には、有志一同によって池海将に贈呈する記念の
帽章や肩章、ウィングマークに防衛記念章、そして呉地方隊隷下の
部隊章があしらわれた額縁が飾ってあります。

わたしが見てそれとわかるものは

音楽隊、業務隊、教育隊、造修補給処、衛生隊、
仮屋磁気測定所、由良基地分遣隊、阪神基地隊、
同じく第42掃海隊「つのしま」「なおしま」、
呉水中処分隊、陸警隊、港務隊、
佐伯分遣隊、そして多用途支援艦「げんかい」

皆このプレートに刻まれた

自 平成28年7月4日 至 平成30年12月19日

という日付を眺め、

「やっぱり退官されるんですねえ」

と互いに頷きあっていました。

自衛隊の人事というのは、別の元将官に伺ったことがあるのですが
本人にもどうなるのか大抵直前まで全くわからないものだそうですね。
いきなり退職を勧告されることがあるかと思えば、池海将のように
本人のご意思と予想に反して任期が延びることもあるようです。

それにしても会場となった宴会場の広いことにわたしは驚きました。

「囲む会」というからてっきりこぢんまりと円卓を囲むような
パーティをわたしは予想していたのですが、聞いたところ、
この日の「囲む会」の出席者は全部で500名くらい。

さっきまでわたしが囲まれていた所の大久野島のうさぎより
ちょっぴり少ない数の人数で海将を文字通り囲むことになっていました。
今更ながら池海将のご勇退を惜しむ人々の数の多さと、
それからうかがえるご本人の人望の厚さに感じ入った次第です。

いよいよ開会となりました。
呉地方総監部を代表して、幕僚長の小峯雅登海将補の開会の辞。

最初に挨拶をされたのはご存知衆議院議員寺田稔先生。

通称大和ミュージアム、呉海事歴史科学館の開館に際しては
大変尽力されたということを聞いてから支援しているのですが、
先般ある防衛団体で、寺田議員の憲法改正論をうかがい、
その方向性にわたしの考えとの類似性を見出すとともに、
なんと明晰に物事を分析しそれを自分の言葉で平易に語ることができるのかと、
その弁を裏打ちする学識の豊かさにも感じ入ったものです。

続いて呉市長新原芳明氏。

呉地方隊指揮官として海将が地下司令室の一般公開など、
呉の観光事業にも大きく貢献されたことの感謝を述べつつ、
呉音楽隊定期演奏会で池海将が「恋ダンス」を披露したことを
空気読まずに「ネタバラシ」してしまわれました。

おっと、それは今日のサプライズのはず(笑)

 

挨拶の後歓談となりましたが、この間海将夫妻は海将旗と一緒に
全員と写真を撮って声を交わしてまわります。

とにかくテーブルが沢山あるので終えられるのに莫大な時間がかかりました。

わたしたちのテーブル担当の配膳係の女性は、実に甲斐甲斐しく
料理をお皿に綺麗に盛り付けては持ってきてくれます。

同じテーブルの招待客とは自然と社交が始まり、自衛官を含む
何人かと名刺交換をし、現場のお話として

「今は景気が良いので自衛官の募集には苦労している」

という内情などを聞かせていただきました。
後、中国地方の陸自駐屯地でMCV(装輪装甲車)が配備予定なるも、
それはいつになるかわからない、というお話とか・・・。

その方は司令官クラスなので新制服に身を包んでおられましたが、

「うちは調達がまだ進んでおらず、これを着ているのはわたしだけです」

そういう話になると周りの人が一斉に

「従来の制服の方が・・・・」「わたしは前の制服の方が・・」

と言い出すのはいつもと同じ、もはや様式美とでもいうべき最近の傾向です。

この時にうっかり?このわたしに向かって、

「是非一度基地においでください」

とお誘いしてしまわれた基地司令官がおられました。 ̄ー ̄)☆キラリ
ふっふっふ、わたしにその言葉を放ったが最後、
万難を排しても行ってしまいますよ?

海将夫妻が全てのテーブルを回り終え、しばしの歓談後、
ついに本日の「囲む会」のメインイベントが始まりました。

知っている人は皆知っている、今年2月の呉音楽隊演奏会における
呉地方総監自らがステージに立ち踊った35秒の奇跡。
海将池太郎より皆様への総監として最後のプレゼンツ、「恋」ダンスです。

ところでその様子をお伝えする前に、こちらをご覧ください。

職場の上に立つ「名物ボス」を紹介したテレビ番組、
「Dear ボス」をご覧になった方はおられますでしょうか。

芸人さん二人が呉地方隊に潜入し、総監にインタビュー、
ついでに「海上自衛隊ではこんな仕事をしている」と紹介するため
体験取材としてダメコンまでやってしまう、というものです。

ちなみにうちにはテレビがないため、これを見るため都内のホテルに一泊しました。
(ただし翌日早朝、近くで用事があり、かつホテルはサービスチケット使用)

その後編で、池総監が官舎に部下を呼び手料理を振る舞うシーンがあります。
なんと官舎では「池や」ののれん、オリジナルはっぴ着用の総監がお出迎え。

背中に書かれたモットーは「諦めず、侮らず、欺かず」の
「三つのあ」をもじって

閉店まで諦めず、注文を侮らず、隊員を欺かず。

総監自らが工夫を凝らした天ぷらと唐揚げの並ぶ豪快な食卓。
たれには焼酎を混ぜるという工夫の天ぷらは、池海将がイギリス王立国防大学に
留学中、日本文化を知ってもらうために披露したのが最初だったとか。

エビ天も整列休め状態に真っ直ぐな姿勢で揚がっています。

その時お呼ばれしていた隊員さんが池総監の「恋ダンス」のことを
暴露したのがきっかけで、全国ネットでダンスを披露することに。

自分でも口ずさみながら踊る総監ですが・・・・・

2月から時間が経ち忘れてしまったのか途中でブレイクダウン。

納得いかないのでもう一度最初からやり直し。

そうなんですよねー。天ぷらの工夫にもそれを感じます。
何しろ愚直たれがモットーの方ですから。

しかし二度目もあえなく失敗・・・。

しかし、この大舞台で総監として最後のステージに立つことになり、
ストイックな池海将がその後どれだけ血の滲むような練習をされたか、
想像に余りあります。

パートナーを務めるのは、呉音楽隊の同じメンバー。
右から2番目は呉音楽隊きっての踊り手で、きっと総監は
この隊員からビシバシ厳しい指導を受けたのではないでしょうか。

呉音楽隊の演奏会でもそうでしたが、あえてサプライズのため、
ヒーローの登場は途中から。

出てきた池総監を見て皆が軽くどよめいたのは、総監が
おそらくこの場にいるほとんどが初めて見るフライトスーツ姿だったからです。

P3-Cパイロットである海将のフライトスーツ姿、わたしも初めてです。
海将補時代に年次飛行で飛ぶこともがあると伺ったことはありますが、
流石に呉地方総監になってからは飛行機を操縦することはなかったはず。

(奥様が『もう周りも飛んでもらっては困りますよね』とおっしゃっていたので
そう解釈したのですが違っていたらすみません)

しかしフライトスーツの肩にはちゃんと三つ桜の階級章が、
左胸のネームタグには燦然とウィングマーク、その下には

「T. IKE  PILOT JAPAN NAVY

の文字があるではないですか。

ところで今気づいたんですが、池さんの名前って、英語読みでは
「アイク」(アイゼンハワーの愛称)となります。

さらに見ると、靴は流石にピカピカの普通のものですが、手袋は
布手袋ではなく、皮のフライト用をつけておられます。

細かいところまでこだわりますなあ。

「Dear ボス」ではここまでは順調だったのですが、確か
このあたりで二回とも失敗してしまったんですよね。

さて今回は?

お?おお?

おっとお、難なくクリア!
やりましたね。

ここさえ突破すればあとは勢いで行ってしまいましょう。

しかしわずか35秒のダンスが見ていてどれだけ長く感じたことか。

テレビ番組でもそうでしたが、こういうことをしていても
愚直に完璧を目指そうとしている様子が全身から溢れ出てます。

全然おふざけに見えないんですよね。

これぞまさに愚直たれの真髄。生ける愚直たれ、いや踊る愚直たれ。

無事に恋ダンスが終わり、共に踊った隊員たちからも拍手を受けますが、
池海将、もうすでに次の行動を考えているのがお分りいただけますか。

それは何か。
自分をステージに乗せて踊りを伝授し、一緒に汗をかいてくれた
部下に対し、厚い感謝とともにその労をねぎらうことです。

真っ先にダンスリーダー(かどうか知りませんが)に振り向き握手。

女性隊員は両手でそれに答えます。

三人全員にあまりある熱い気持ちを込めて全身全霊お礼を言う総監でした。


海将を囲む会、この後は池総監のこれまでの歩みが紹介されました。

続く。

 


「ふり向けばきみがいる」〜平成30年度 自衛隊音楽まつり

2018-12-05 | 自衛隊

各章毎にお話ししてきた今年の自衛隊音楽まつりも、ついに
最終回を迎えました。

演技支援隊が隊長の号令により駆け足でステージを去った後、
アナウンスは、次の章の最初の曲が、今年行われた冬季オリンピックの
フィギュアスケートで金メダルを取った羽生結弦の曲、

SEIMEI

であることを告げ、全体指揮の空自中央音楽隊長、
松井徹生二等空佐が登場しました。

本日のテーマを羽生選手の終わりなき挑戦と結びつけています。

演技曲の通り、太鼓と横笛(鞨鼓と篳篥?)をイメージする雅楽風な出だしを
ピットに上がった中央音楽隊の奏者が演奏します。

「SEIMEI」は楽曲の名前ではなく、羽生選手のスケートプログラム名で、
陰陽師「安倍晴明」のことだそうです。

(なるほど、それで羽生選手はそういう衣装を着ていたのか)

音楽は夢枕獏原作の映画版「陰陽師」のサウンドトラックより、
楽曲を計7曲を繋ぎ合わせて、羽生選手が編曲を自分で行ない、
このタイトルも自らが名付けたということでした。

題名をローマ字にしたのは

「外国人にも親しみやすいように、また『せいめい』という
日本語の単語は複数あるため、それぞれの意味を込めたかった。」

・・・・「生命」「晴明」「姓名」「聖名」

こんなところでしょうか。

Yuzuru HANYU 羽生結弦 2015-2016 FS - SEIMEI

いやー、何度見てもすごい。羽生選手はまさに日本の誇りですわ。

「SEIMEI」のテーマに乗って行進してくるのは
陸上自衛隊第302保安警務中隊。

上下青と白を組み合わせた制服での登場です。
この楽曲の和風の(しかし今や世界的に認知されている)メロディと
保安警務中隊の姿のなんとしっくりと合うことよ。

儀仗隊が赤絨毯を挟んで向かい合うや、本日出演部隊の
国旗を掲げた四名、そしてそれを警衛する儀仗隊員が
奥のステージから登場し正面に向かって進んでいきます。

正面より向かって左側の位置に整列し、最終章の間
彼らはここで国旗を守って起立し続けます。

全出演部隊がステージに整列を行いました。
中央に二手に分かれた空自中央音楽隊、その両側に海自と陸自、
防衛相直轄の音楽隊が、そしてその外側には外国の軍楽隊が並びます。

陸海空自衛隊の専属歌手五名が一列に入場してきました。

陸自中央音楽隊が参加した軍楽吹奏楽の祭典、
ロイヤルエジンバラ・ミリタリータトゥで振袖を着て
「アニーローリー」を日本語で歌った松永美智子三等陸曹(左)
そして先般行われた陸自観閲式では君が代独唱を行い、
CDもリリースした鶫真衣三等陸曹

ところでこのエジンバラでのミリタリータトゥがすごく良かったので
youtubeを上げておきます。

陸上自衛隊中央音楽隊 エディンバラ・ミリタリー・タトゥー・2017

陸軍分列行進曲に続く「アシタカ攝記」、こういうのに弱いわたしは
冗談抜きで(´;ω;`)状態になってしまいました。

マーチのリズムで松永三曹が歌い上げる「アニーローリー」は圧巻。
転調してからのカンパニーフロントではまた涙が・・・。

一番最後の「アシタカ囁記」に戻るところで形作っているのは
侍の兜ではないかと思うのですが、どうでしょうか。

 五人のアカペラによる「ジュピター」が始まりました。

真ん中でリードしているのが空自中央音楽隊の森田早貴一等空士
森田一等空士が艶やかな振袖姿で「ふるさと」を歌っている、
ドイツでの国際軍楽祭の映像もどうぞ。

航空中央音楽隊 ドイツ国際軍楽祭

和太鼓演武で横笛を吹いているのは、冒頭のフルート奏者(多分)です。

「果てしない時を超えて 輝く星は〜」

森田一士のソロ。

各音楽隊が海外での軍楽音楽祭に出演する際、歌手が着物で
歌を歌うというこの流れに先鞭を付けたのも、東京音楽隊
三宅由佳莉三等海曹の功績と言えるのではないでしょうか。

というわけで、これも当然張っておかなくては。

【音楽】海上自衛隊 東京音楽隊 バーゼル・タトゥー2016 参加記録

最後にも三宅三曹は「アメイジング・グレイス」を歌っています。

2コーラス目からは全員が参加しての「ジュピター」。
海外のバンドの人たちは、どうしてホルストの「木星」に
日本語の歌詞が付いているのだろう、と思ったかもしれません。

今年は横須賀音楽隊の中川麻梨子三曹(中央)が参加して
三宅三曹とのデュエットを聴かせてくれました。

 

そして「ジュピター」エンディングからカウントが入り、曲は

「みんながみんな英雄」

に。

メロディは何のことはない「藁の中の七面鳥」(Turkey In The Straw)です。
会場で最初からずっとこれが鳴っていたわけがわかりました。
(このBGM演奏、明らかに途中間違えていたけど何だったんだろう)

何と最近の日本のポップスシーンではホルストなどのクラシックのみならず
こんな曲までカバーしていたということを初めて知った次第です。
きっとアメリカ陸軍と海兵隊の人たちは「なんで?」と思ったと思う(笑)

 

だいたいわたしなど「ターキー」と聞くと、パブロフの犬的反射で
ミッドウェイ海戦という言葉が真っ先に浮かぶというくらいで、
こんな曲、高校の時のフォークダンス(なんてのがあったのよ)
以来、まともに初めて聞くような気がします。

フォークダンス・・・。

男女が◎状態で逆回転しつつ侵攻(パートナーチェンジ)していくので、
気になる異性と手と手が触れ合う瞬間をドキドキして待ったり、そうかと思えば
ギリギリで音楽終了してしまったり、悲喜こもごもだったもんですよ。
同級生が子供にしか見えなかった生意気高校生のわたしには無縁の話でしたが。

そんな太古の話はともかく、この曲、AIさんという歌手が歌ってます。
わたしはこの人のことも全く知らず、

「エーアイ」

と読んでいました。それは人工知能や。

手拍子を会場に促すカラーガード、ストレートラッパの女性演技隊。
バグパイプにボンバール(ブルターニュ・オーボエ)、太鼓という
特殊な響きを持つフランス軍楽隊所属ラン=ビウエのバガドウには
ソロでメロディーを取っていただきました。

しかしバガドウの「藁の中の七面鳥」、妙にしっくりくる(笑)

自衛太鼓の皆さんも、決められた振り付けを真面目に行なっております。

ラン=ビウエの人たち(フランス人)を見て思うのは、日本人や
アメリカ人ならおそらくそうするであろう、こういう時空気読んで
楽器をやっていなくとも楽しそうなふりをするという忖度はあまり
彼らの文化にはないのではということです。

総員が楽器をやっている間、実に手持ち無沙汰な顔をしていました。

陸自の旗振りお嬢さんのことを紹介する時に「カラーガード」と
書いてしまいましたが、実はこれは空海(特に空自)の名称で、陸自では
「フラッグ隊」と称するということを検索していて知りました。

謹んで訂正させていただきます。<(_ _)>

空自中央音楽隊カラーガード隊。

姫路白鷺太皷とアルプス太皷、支援隊の迷彩服も見えます。

ところで、彼女らが顔をあわせる時にはやはり同じ三曹でも
「先任」とかがあるわけで、ということは階級的に上下があって、
どちらが先に敬礼するとか決まってるんでしょうか。

彼女ら実は「軍人」なんですよね。
松永・鶫三曹は「サージャント」、
三宅・中川三曹は「ペティ・オフィサー・サードクラス」
そして森田一士は「エアメン・セカンドクラス」なのです。

「みんながみんな英雄」

うん、確かに皆すごくいい顔してる。

知りませんでしたが、これAUのCMに取り上げられてたんですね。

「みんながみんな英雄」 フルver AI【公式】

ところでなんでガラスの靴やねん。(つっこみ)

アメリカ陸軍軍楽隊、そして東北方面並びに西部方面音楽隊の皆さん。

彼女に密着したドキュメンタリーも制作されるほど、今や大人気の鶫三等陸曹。
中央音楽隊ではなく中部方面隊音楽隊の所属なので、観閲式で
君が代を独唱したのは「大金星」というものではなかったでしょうか。

歌手全員が専属の専門職となった今回、相対的なレベルが
いやが応にも上がったといっても過言ではないと思います。

技量もさることながら歌手としてのステージングもプロならでは。

ところでふと気になったのですが、彼女らは退官までずっと
現役歌手でいるという契約なのでしょうか。
確か音楽隊員は階級に関係なく60歳が定年だったはずですが。

 

シンガポール軍楽隊は演奏中。ラン=ビウエは待機中。
フランス海軍の水平の帽子に付いているボンボンが、

「狭い船内で頭をぶつけても怪我しないように」

であるというご報告は目から鱗の情報でしたが、それでは
手前の海自カラーガード隊の帽子のような「長い羽飾り」は
何か由来があるのでしょうか。

偉い人(天皇陛下などがこんなのを被っておられた記憶が)が
馬車に乗ったりするときに頭をぶつけないため・・・とか?

ここまで壮大に演奏されると「藁の中の七面鳥」って実はいい曲だったんだ、
と思わされてしまったこの日の最終章でした。

特に細かいところをいうと、

「走って転んで寝そべって」

という歌詞の部分、原曲はコード進行はトニックのまま動きませんが、
このアレンジではE♭メジャーで

Cm7-Gm7-A♭-Adim

と細かく分割してあるのがちょっとした「仕掛け」だと考えます。
AIさんの原曲がそうなっています。 

歌手は皆さんお綺麗ですが、いつ写真に撮っても
歌っている姿が絵になっている松永三曹。

この二人も笑顔が自然で素敵。
中川三曹は今回特別参加という形でしたが、音楽まつりのステージでも
その圧倒的な歌唱力を遺憾なく発揮しておられました。

いや、三宅三曹とともに、圧倒的ではないか我が軍は(笑)

というわけで、曲が終了しました。

国旗を先頭に全出演部隊の退場です。
この時の音楽は、

「栄冠は君に輝く」

古関裕而大先生が作曲されたところの高校野球のテーマであります。
昭和23年、戦後学制が改定されて、この年から

全国中等学校優勝野球大会」が「全国高等学校野球選手権大会」に

改正されることになったことをきっかけに生まれた曲だそうで、
もう70年間甲子園の象徴となっています。

皆が楽しげに手を振る退場において、第302保安警務中隊だけは
きりりと表情を引き締めたままいつも通りの端正さを崩さず。

右と左手に退場していく音楽隊、そして歌手の皆さん。

アメリカ海軍、陸自方面隊音楽隊。

海上自衛隊東京音楽隊。

防衛大学校儀仗隊メンバーは両手バイバイで退場。

ドラムラインにいた女子学生の姿も見えます。

これを最後に引退する4年生の皆さん、悔いのない武道館でしたか?

シンガポール軍楽隊のみなさん、紅蓮の炎、良かったよ!

さりげなくみんなと一緒に踊っていた演技支援隊。

オープニングと同じ形式で行うエピローグは再び消灯ラッパです。

最終章を指揮した空自中央音楽隊隊長の敬礼。
スポットライトが消えると、
本当の本当に音楽まつりは終了です。

会場外の地本コーナーには東京地本マスコットの
トウチくんが熱心にお仕事をしていました。
去年はこれに本部長が入っていたということで、
一部騒然となったものですが、今年はどうでしょうか。

先日ある会合で自衛官が、

「今は世の中が景気が良く(仕事があるので)自衛官の募集が厳しい」

と本気モードで嘆いておられました。
が、この音楽まつりはこれから世の中に出ていく青少年に
自衛隊に興味を持ってもらうための最大の広報イベントでもあります。

今年も、この期間に何人もの若い人たちが、自衛隊という世界に
「挑戦」する気になってくれたことを心から祈りつつ、
本年度の自衛隊音楽まつりの報告を終わります。

 

 

 


「君を乗せて」空自中央音楽隊〜平成30年 自衛隊音楽まつり

2018-12-03 | 自衛隊

前回、「出演太鼓チームの写真を全部上げる」としておきながら、
大変失礼なことに掲載漏れがありましたので追加しておきます。

 

この名前を付けた人はセンスがある、といつも思う、

松本アルプス太皷

長野県松本駐屯地は第13連隊が所属します。
この7月の人事で、同駐屯地からは12年ぶりとなる
普通科部隊の特技過程(前線を担うための武器使用訓練)に
女性自衛官二人が加わることになったという地元ニュースを目にしました。

市民タイムス記事

「迫撃砲を撃つしおりとさくら」って、もうこの字面だけで萌えそう(笑)

姫路城の別名「白鷺城」からその名をとった

姫路 白鷺太皷

名前といい、白に紫の襟をあしらった衣装もまた美しい。
この名前もよくお見かけするから常連チームかな?

彼らが所属する姫路駐屯地は、レンジャー部隊などが出動して

姫路城天守閣の清掃

を行ったとき、「まるでニンジャなんだけど」と
世界的な話題となったことがありました。

白鷺太鼓のメンバーにも、この時忍者呼ばわりされた
清掃作戦参加隊員がいるんじゃないでしょうか。

後掲載していないのは熊本西連太皷の写真なのですが、
前方からの写真に失敗してしまいました。

熊本西連太皷は西部方面特科連隊に所属するチームです。

 

ちなみに太鼓名を書いた幟を持つ隊員ですが、よく見ると
この長くて大きな幟をまっすぐ立ててそれを保ち続けるだけでなく、
この写真の全員による演舞の時には、幟の下方を持って
全員で、あるいはウェーブのように右から左に順番に
はためかせたりして、ものすごく仕事をしていました。

地味で当人は目立たないけど結構力がいる大変な任務だと見た。

 

さて、ここからが第4章、テーマは

「空の挑戦〜広がる、明日の空へ〜」

スクリーンにはF-35Aが映し出され

「我が国の防衛に多大なる貢献が期待されます」

というアナウンスが行われました。

自衛太皷の演奏が終わった後、中央に太鼓セットが残り、
空自音楽隊とのコラボ演奏が始まりました。


太鼓の総本山となる北海自衛太皷がその役を果たすのは当然ですが、
空自のステージということで、入間修武太鼓の奏者も加わっています。

太鼓は宮崎駿監督映画「もののけ姫」の戦闘シーンに使われた
久石譲作曲、

タタリ神

から始まりました。

久石譲のオリジナルスコアには和太鼓が指定されています。

『タタリ神』もののけ姫より

パリ公演でもちゃんと和太鼓が登場しています。
音楽まつりでの演奏はこのためにアレンジされたものですが。

自衛太皷を用いた導入は意外で、今年は趣旨替えをしたのかな?
と思ったら、その次からおなじみ白と青の衣装が登場。

同じ宮崎映画の「天空の城ラピュタ」のファンファーレ、

「ハトと少年」

に乗せて二人のカラーガードが白い旗を靡かせます。

どういう基準で選ぶのかはわかりませんが、カラーガードは
音楽まつりでの空自のシンボル的存在です。
毎年、北は北海道から南は宮古島まで、全国の航空自衛隊基地から
選ばれたたった20数名が、この音楽祭のステージを飾ります。

選考の方法はわかりませんでしたが、きっとオーディションとか
選考会とかを経て決まるんではないでしょうか。

左はソロでファンファーレを演奏するトランペット奏者。
トップを飾ったカラーガードのうち一人は、どうやら
体操部出身者ではないかと思われます。

左手に旗を持ったまま残りの片手をついて回転。
バク転ではありませんが横転でもありません。

やったことがないからわかりませんが、多分旗を持って
回転するのは持たないより難しいと思います。

主人公のパズーが城壁の上でトランペットを吹くシーンの音楽です。

メロディは原曲とは少し面持ちの違う行進曲風に代わり、
これも空自のシンボルであるストレートラッパ隊が登場。

ストレートラッパは装飾用のバトンのようなラッパのことで、
この女性演技隊をこのように呼んでいます。

ちなみに今回こんな入札情報を見つけました。4年前ですが。

航空自衛隊ストレートラッパ隊の衣装外

これも入札して外注しているんですね。
入札を執り行っているのは市ヶ谷なので、普段この衣装は市ヶ谷に
格納されているのかもしれません。

にしても衣装「外」ってどういう意味なの。

 

このマーチングの間、後ろのスクリーンにはずっと
ブルーインパルスの演技が映し出されています。

そうか、彼女らの衣装はブルーインパルスを表していたんですね。

「ゴンドアの思い出」で静かなメロディをリコーダー(多分)のソロが拭いた後、
曲は「ロボット兵」に代わり、ただならぬ騒然とした雰囲気に。

この時、後ろのスクリーンではスクランブル発進するF-15の様子が
緊迫感のある雰囲気に乗って映し出されていました。

全体の照明は赤、カラーガードが使用するフラッグも赤基調のもの。

白とブルーの爽やかなひらひらした雰囲気だけが空自ではない!
と言わんばかりの変化に満ちた構成です。

「天空の城ラピュタ」という題材そのものが空自にぴったりですし、
その中から短時間に次々と移り変わるアレンジにも感心しました。

ストレートラッパ隊の二人がその中を決然と歩んでくるこの部分のクライマックス。
この二人は戦闘機、そしてスクランブルで国籍不明機は撃退されたと(たぶん)

この後はバンドが作る円の中を白と青がひらひらと踊りまくります。

今年は下手なことをするのを一切やめ、プログラムオートにして
シャッター速度もISOもカメラさんにお任せしたのですが、
シャッター速度は1/30〜1/250の間で適度にブレてくれました。

わたしのようななんちゃって一眼持ちには実にありがたい賢さです。

これなどピントが甘すぎるとは思いますが、おかげで
ストレートラッパの回転軌跡が綺麗に出てくれました。

ヘリコプターの写真を撮る時、ローターの回転を撮るために
シャッタースピードをあえて落とすようなものですね。

この時の曲の名前がどうしても出てきません。
うちで引いている有線の「どんぐりの森のメロディ」(笑)というチャンネルを
ずっとつけていたらそのうちわかると思うのですが。

ピアノソロで「君をのせて」が始まりました。
「天空の城ラピュタ」の音楽について詳しくなくとも、
この曲を耳にしたことがないという人は少ないのではないかと思います。

バンドが風車の形を象り(難しそう)それが回転するステージを
黄緑色の旗を持った二人が縦横無尽に走り回ります。

ところで、この部分のピアノを弾いていたのは
空自の歌手森田早貴一等空士だったのに気づかれましたか?

彼女のプロフィールを改めて見ると、

「ヴォーカル&ピアノ担当」

ということで、どちらも専門として音楽隊に所属しているようです。

卒業大学は愛知県芸、つまり横須賀音楽隊の中川麻梨子三曹と同じ、
(中川三曹は確か大学院も出ていたと思いますが)
専攻は声楽なのでピアノは副科ですが、お上手だったんでしょうね。

音楽大学というところは、たまに副科も本科並みに上手い人がいるものですが。

そういえば東京音楽隊の新しいキーボーディストも確か県芸だった記憶が。
県芸、何が起きているのだ・・・。

「君を乗せて」はセンチメンタルなマイナーのメロディで始まりますが、
「さあ、出かけよう」の転調の部分から雰囲気が明るく
前向きなものに変わります。

これは、やはり宮崎作品「母を訪ねて三千里」のテーマソング、
「さあ、出発だ 今 日が昇る」の部分と同じコンセプトです。

つくづく「さあ、」って転換に便利なフレーズね。

ここで一瞬ですがカンパニーフロントを持ってくるのが心憎いじゃないですか。

後はクライマックス一直線で、今年も空自らしいスマートな中に
結構硬派なマーチングで魅せるステージが終了しました。

おっと、まだ終わってなかった。

最後に飛行機の形を作って「空の精鋭」を後半だけさらっと演奏。

いつもの「全員の上をブルーインパルスが航過」という演出はなくなり、
その代わりこの「航空機」が滑走路を飛び立つ様子が投影されました。

あのフラッグが通り過ぎる「お約束」もいいものでしたが、
この演出もなかなかスマートな空自らしくて(・∀・)イイ!!と思いました。

空自中央音楽隊が捌けると今回会場に最初から鳴っていた
「藁の中の七面鳥」(なぜこの曲?と思ったけど最後で謎が解けた)
のメロディの中、陸自の支援隊が赤絨毯を敷く作業に入りました。

これも音楽まつりの恒例として、裏方である支援隊が紹介されるのです。

まるで演技のように全員の動きは美しく揃っています。

この絨毯敷き作業も、練習やリハーサルを行うのでしょうか。

「立場は違えどこの音楽まつりに挑戦する思いで
この音楽まつり進行を陰で支えてまいりました」

紹介のアナウンスにもさりげなく今年のキーワードをちりばめて。

東部方面隊から編成される演技支援隊、敬礼です。
音楽まつりというイベントが、そもそも陸自が毎年主導で行なわれているそうです。

演技支援隊を指揮するのは第32普通科連隊の二等陸曹。

彼らが聴衆に敬礼すれば、音楽まつりはいよいよ最終章を迎えます。

 

続く。

 

 


自衛太鼓・彼らは如何にしてここまで来たか〜平成30年度 自衛隊音楽まつり

2018-12-02 | 自衛隊

第3章のタイトルは、

飛翔、昇りゆく挑戦。

です。
「君の名は。」方式というのか、最近タイトルに「。」を打つのが
ほんのりと流行っているようで、ここにもその傾向がありますが、
不思議なのは、序章の

「挑戦、始まる。」

と第3章以外は「海の挑戦〜繋がる、希望の海〜」とか
「終わらぬ挑戦」といった具合で統一されておらず規則性が全くないことです。

「。」も 何らかの意図があって用いているなら、
そのつもりで全部これを貫いて欲しい。と思いましたまる。

さて、重爆の隅をつつく(お約束)ような苦言は読み流していただくとして、
続いては自衛太皷です。

自衛隊音楽まつりでしか聴けない、大人数での太鼓の連打。
この地鳴りの中にあるような太鼓の響きに心を揺さぶられない人はいません。

今回、TOはわたしと同じ日に、地方防衛団体の会長でありながら
音楽まつり初体験という方とご一緒したそうですが、その人も
自衛太皷にいたく衝撃を受け、あれが一番感動した!と言っておられたそうです。

自衛太皷は北海道の幌別駐屯地を根拠に置く
「北海自衛太皷」が中心となって行われます。

この理由を、わたしは当日の朝、早くから開場を待つ列に並んでおられた
元自衛官という男性から初めて聴きました。

このかたは自衛官時代、自衛太皷で毎年音楽まつりに参加していたそうです。

そもそも太皷を自衛隊に導入したのは北海自衛太皷です。

もともと登別には、個人が祖となって起こした「北海太皷」という
太鼓の流派がありました。

昭和38年、北海道登別在住の大場一刀氏が「奥越太鼓」を基に編み出し、
太鼓チームを結成し、北海道の荒々しい風土と雄大さを表した郷土芸能が、
この「北海太皷」です。

北海流れ打ち

これが北海太鼓の代表的作品です。

程なく、大場氏の地元登別にある陸上自衛隊幌別駐屯地の自衛官有志が、
地元住民との交流のツールとして、そして隊員の士気高揚に役立てたい、
と、創始者である氏に直接手ほどきを受けて始めたのが

「北海自衛太鼓」

だったのです。

「北海太鼓」を演奏するため発足した北海自衛太鼓は、
その後太鼓が全国の基地駐屯地に波及し、その指導という役割を担うようになっても
自衛官としての任務とは別の、余暇活動という位置付けです。

楽器や衣装など、地元の寄付がある場合もあるのかもしれませんが、
基本自分たちで賄いながら活動しているのが現状だそうです。


北海自衛太皷が生まれたのは、創始者の大場氏が
北海太皷なる流派を編み出してからわずか2年後のことでした。

「北海太皷」と「北海自衛太皷」は共に歩んできた歴史があり、
両者はそれぞれのオリジナルを数多く世に出してきました。

2017年 りっくんランドオータムフェア  北海自衛太鼓 SL

例えば原野を走るSLを表した、こんな作品も。

その後自衛隊の和太鼓チームは全国の基地駐屯地に次々と誕生し、
今では200あまりもの太鼓クラブが存在しています。

如何に自衛太皷が一同に集まる音楽まつりといえども、
全チームを出場させるわけにいきません。

どうするかというと、毎年、出場を決める選考会があって、
それを突破した
チームだけが、日本武道館にくることが出来るのです。

うーん・・・これって何かに似ている。

そうだ、甲子園だ(笑)

今年はチームごとに演奏しているところを正面から撮ることができたので、
全チームを順番にご紹介していくことにしましょう。

八戸陣太鼓

海上自衛隊の八戸基地に行ったとき、飛行場を挟んで
向こう側に陸自の駐屯地があったものです。

ちなみに八戸陣太鼓のハッシュタグの中にこんなのがありました。

♯みんなでかます

元自衛太鼓の方によると、たくさんの中から選考をくぐり抜けてくるチームには、
甲子園の強豪校のように連続出場を可能とする「常連太鼓」があるそうです。
朝霞駐屯地の朝霞振武太鼓もその一つ。

朝霞振武太鼓は、もともと第31普通科連隊に所属していましたが、
平成14年から第1施設大隊に引き継がれました。

彼らを指導する「北海自衛太鼓」も実は幌別駐屯地の第13施設隊です。

これまでの音楽まつり(といってもわたしが参加するようになってからですが)
で初めて見る名前のような気がします。

名寄朔北太鼓

名寄。
確か札響の道内ツァーに付き合ったとき、
車で通り過ぎた覚えがあります。
(そんなことでもなければ一生行かないだろう稚内とか猿払なんてところにも)
近くの士別というところでご飯を食べていたら、お店の人に

「どこからきたの?札幌?やっぱり都会の人は違うねえ」

と好奇心満々で話しかけられたというくらい、とにかく人のいないところでした。

北海道中部で、名寄駐屯地の海外派遣以外の主要任務はバイアスロンではないか?
(しかも連戦連勝)というくらい雪深い地域です。

調べてみるとわたしの予想通り、朔北太鼓が音楽まつりに出場したのは
平成18年以来二回めでした。

善通寺十五連太鼓

香川県善通寺にある善通寺駐屯地。
戦前は陸軍の師団が置かれ、当時の煉瓦造りの歴史的建造物が残ります。

最近のツィッターによると、

「新しく入った人もいる中で、日本武道館に立つことが出来ました! 」

やっぱり武道館に来られるだけで嬉しいんですねえ。

はっぴの職人風、柔道着風と様々なユニフォームの中で、
紺色の袴着用なのは

小倉ひびき太鼓

北九州の小倉駐屯地に所属するチームです。

滝ヶ原雲海太鼓

静岡県御殿場にあって、自衛隊総火演ではおなじみの滝ヶ原駐屯地。
当チームが発足したのも平成14年のことです。
やはり立ち上げに際しては総本山の北海自衛太皷に指導を受けました。

信太菊水太皷

信太山駐屯地は、西南の役や日清日露戦争に名を馳せた
旧陸軍野砲兵第四聯隊が大阪から移駐して創設された
旧軍跡地にあり、ここは戦後アメリカ軍に接収され、
その期間は海兵隊の下士官養成学校に使われていたそうです。

旧将校集会場など旧軍時代の建物も多く残るとか。
うーん行ってみたい。

現在では第37普通科連隊とその支援隊が駐屯しています。
夏の広島豪雨災害では、呉市などに展開し、活動を行いました。

この体勢は腹筋のない人には無理(笑)

陸自駐屯地がほとんどの太鼓クラブですが、これも常連の
入間修武太鼓は、唯一の空自基地所属太鼓チームです。

ところで海自には自衛太皷のチームはありません。(たぶん)
どうしてかというと
海上自衛隊という「基礎が海の上」である業務の形態上、
太鼓を練習するという場所がなく、そもそも人が揃わないことが多い、
つまり練習ができないということではないかと思います。

さらに入間では空挺隊員を降下させるC-1の運用という点で
陸自とつながりがあることから発足したのではないかと想像されます。

チーム別の演奏のトリを飾るのはいつもの総本山、北海自衛太鼓。

音楽まつりの太鼓演技は当たり前ですが毎年内容を変えなくてはなりません。

演技を創作し構成するのが北海自衛太鼓の役目であり、それを全出演チームに
指導するのも、彼らのトップの責任なのだそうです。

元自衛太鼓の人とたまたま話をするきっかけがあったので、わたしは
此れ幸いと兼ねてから気になっていたことを聞いてみました。

「どうやってこの大人数であそこまでぴったり音が合わせられるんですか」

そのとき聞いた話をそのまま書いておきます。
今現在その通りかどうかは裏を取っておりませんので念のため。


まず、出演チームが決まるのは9月頭頃。

全国すべてのチームが応募してくるとは限りません。
人数不足で出演希望する段階に行かないチームもあるようです。

出場決定チームはオーディションのような形で決めるそうですが、
その際、万が一、隊員に誰か一人でも

不祥事を起こした人がいたら

出演は取り消されるのだそうです。

「うーん・・・やっぱり甲子園だ・・・・」

出演が決まったチームはいえええい!と快哉を叫び(たぶん)、
張り切って、代表者一人を登別の士幌駐屯地に送り込みます。

この代表者が北海道で演技内容を叩き込まれて帰って来るので、
チームのみんなは、それを元に練習をするわけです。

各チームは11月までに代表者が教わった通りの演舞を
体に叩き込んで覚えます。

「全員の音合わせは武道館が初めてなんですか」

「いやいや、そんなんじゃあれだけ合わせることはできませんよ」

そこで全員が集まることができるどこか(富士山の駐屯地だったかな)で
一週間の特訓を行い、朝から晩まで太鼓漬けになって演技に磨きをかけます。

「ちょっと待ってください。一週間ということはその間仕事は」

「しません」

「てことは公務扱いなんですね」

「公務です」

すげー!

自衛隊は、この太鼓演技を一般への広報活動と位置付け、
その完璧な仕上がりを任務達成目標としているってことなんですね。

でも、公務として太鼓合宿なんて、きっと皆楽しいだろうな。

・・・いやそんな甘くないか。バチを落としたり酷いミスをしたら、
腕立て伏せとかグラウンド3周とか、厳しい罰則がありそう。

陸自だし。

写真に撮って太鼓を打ち鳴らす各自の「面構え」といった面持ちをみていると、
ほとんど全員が額を汗でびっしょり濡らしているのに気づきます。

しなやかな腕の筋肉が躍動し、鍛えられた肢体は自在にその形を変え、
何と言ってもその眼差しは炯々と、獣のように鋭く一点を見つめています。

一年に一度のこの時期、武道館で彼らの太鼓が織りなす雷鳴のような響きに
身を委ねるたびに、同時にこの一人一人が、実は国を護る自衛官であることを思い、
なんと頼もしいことか、と、わたしは感動にうち顫える想いがするのです。

続く。


防衛大学儀仗隊 ファンシードリル〜平成30年度 自衛隊音楽まつり

2018-12-01 | 自衛隊

平成30年度自衛隊音楽まつり、第3章のテーマは

飛翔、昇りゆく挑戦。

で、これから自衛隊指揮官という世界に挑戦すべく
飛翔せんとしている防衛大学校から、儀仗隊の登場です。

今年の音楽まつりに登場しているのは60期から63期まで。
防大儀仗隊のホームページはいつまでたっても鋭意工事中なので、
詳しいことは全くわかりませんでしたが(忙しいんだろうな)
出場しているのは全員ではなく、卒業生中心の選抜メンバーだと思われます。

63期は音楽まつりが終わったら引退して後進に道を譲ることになっています。

演技前、会場のアナウンスでは

「防衛大学校は国際士官候補生会議などを通じて国際的視野をも涵養しています」

と紹介されました。
国際士官候補生会議?
アナポリスやウェストポイントとも交流があるのか?
と興味を持ってHPを開いてみたら、それは防大内に設置された

International Cadets' Conference

通称ICCなる組織のことでした。

これは防大に諸外国の士官候補生を招へいして国際会議を実施し、
国際情勢及び安全保障に関する討議等を行い、各国と我が国の将来の
安全保障につながる相互理解と信頼関係の促進を目的とするものです。
(とHPに書いてありました)

この会議は

米、英、伊、印、インドネシア、豪、カナダ、韓国、シンガポール、

タイ、中国、チュニジア、独、仏、フィリピン、マレーシア

等の国の士官候補生を招へいし、8日間程度の日程で行われ、
その目的とは

1.学生に対する国際交流の機会の付与(国際感覚の醸成)

2.学生の国際的視野の拡大、

3、国際情勢認識

4、語学力の向上

4は特に日本の士官候補生には大事なことですよね。

さて、演技です。
始まるなりキビキビと隊形を卍に整え、しばしドリルを行ないます。
投げ上げた銃が完璧に地面と平行なのにご注目。

まず放射状となって回転するマーチング。

小さな十字はだんだん人を巻き込んで大きな十字となって回転します。

馬てい形のフォーメーション。

何年か前には近くに座ったおばちゃんたちの軍団が、彼らの一挙手一投足に
「かわいい」「かわいい」ときゃあきゃあしていたものですが、

こういう年頃の息子を持つ身になってみると、その気持ちがわからなくもありません。

年頃のお嬢さん方なら「かっこいい!」と目が❤️になるところ、
わたしどもはとにかく「かわいい!」となってしまうわけです。

高校野球の選手が「大人」から「お兄さん」になり、「同世代」、
「年下」となっていつの間にか息子の世代になるようなもんですね。

彼らが「孫」に見える日ももう目前です(しみじみ)

馬てい形となってからのドリルは、左から右、右から左と銃回しや銃投げ、
膝をついたりが目まぐるしく移り変わっていきます。
まあこれは文章など読んでいないで映像を見てこられるのが一番です。

最後に、一番端の隊員は一人で敬礼しつつ連続で銃を回し続けます。

これがまず会場を沸かせます。

この技のことを「夢幻」というそうですが、やはり

「延々と回し続ける」=「無限」

からきているのかな。
防大儀仗隊のドリルは彼らが主に米海兵隊のドリルを参考にして取り入れ、
名前をつけて代々受け継がれている技で構成されています。

前にも書いたことがありますが、防大に儀仗隊ができたのは開校して
3年後ということなので、初代儀仗隊だったOBはもう80代になっているのです。

無限を行う時、敬礼しながら会場をぐるりと見回すのもお約束。
この「美味しい役」はおそらくこれを最後に引退する
4年生に与えられるのでしょうね。

というか、演技をしているのは袖の桜を見ると4年生中心のようです。

第302保安警務中隊のと違いこちらは「ファンシー」なドリルなので、
動きが華やかで、銃を投げる動きは頻繁に行われます。
しかし、これも今までの
音楽まつりで銃を落としたのを見たことがありません。

取り回しがしやすく美しいため儀仗に使われているM1ガーランド銃は
4.3kgとそれなりに重く(というか普通にかなり重いよね)特に
白い手袋をしていると取落すなど精度も下がると思われるのですが。

会場の隅に立っている二人の隊員が(おそらくこちら側にも二人)
銃を持っているのは、演技者に何か起こった際渡すためでしょうか。
しかしこの銃が実際に機能したことなど、過去の防大儀仗隊の歴史には
一度もなかったのではないかと思われます。

右端の隊員にも「見せ場」があります。
最後に思いっきりジャンプしながら銃を投げ上げて・・・、

高々と宙を舞う銃をしれっとキャッチ。

「今年は女子が多いですね」

リズムを担当するドラムラインを見て連れが呟きました。
言われてみると確かに。
大太鼓が女性だとすればメンバーのうち
半数近くの四人が女子生徒です。

しかも皆さん楚々として可愛らしい方ばかり。
このお嬢さん方が自衛隊指揮官として将来護衛艦の艦長になったり、
これからは戦闘機パイロットとなる可能性だってあるわけか・・。

それどころか、この学年が将官を輩出する将来には、もしかしたら
すでに初の女性幕長だって生まれているかもしれません。


ところで余談ですが、うちのTOはよく最近の学生や若い社会人を評して

「みんなのび太君としずかちゃんみたい」

と言っております。

この意味は、なべて最近の青年はおっとりしすぎて覇気がなく、
出世したりのし上がってやるぞ!というギラギラした野心が見られない反面、
女子は皆きちんとやることをやり、優秀な人が多いという傾向だそうです。

一般的に優秀な女性が社会に出て頭角を現すため、こう見えるのは
最近に限ったことではありませんが、特に最近、

TOのいる業界でも男性の「総のび太君化」が著しいのだそうです。

一般論として自衛官になろうとする青少年に覇気がないわけがないので、
男性「のび太君化」は自衛隊には関係ない話だと信じたいですが、
一方これから自衛隊という職場に、しずかちゃん的女性が今まで以上に
増えてくることは間違いありません。

自衛隊が女性自衛官の登用を一層推し進めている理由の一つに
深刻な人手不足があるというのも厳然たる事実なので。

ということはどういうことかというと、これからは相対的に
真面目で優秀な女性自衛官が増え、そのいずれかは
自衛隊のトップにのし上がる可能性も無きにしも非ず、ということです。

おっと、話が逸れました。

儀仗隊演技の途中には、会場が真っ暗になった瞬間発砲する場面があります。
わたしは火花が出る瞬間を撮ろうと、待ち構えていて会場が暗くなった瞬間
シャッターを切ったのですが、タイミングが合いすぎて画面が真っ白になっていました。
ISO感度の下限を設定していたので露出オーバーになったんですね。

しかも次のチャンスに全く同じことをして、真っ白な写真をまた撮りました。
うーむ、全く学習しない奴。

ファンシードリル演技最後のクライマックスに行われる
「銃のトンネルくぐり」。
正式になんというのかは知りません。

HPのメンバー紹介によると儀仗隊への入隊動機のほとんどが、

「防大でないとできないことをやってみたかった」

そして

「かっこいいから」

この二つのどちらかです。

かっこいいといえば、ただ指揮刀を持ってまっすぐ歩くだけの
この時の指揮官ほどかっこいい存在はありますまい。

きっとこれがやりたくて儀仗隊を目指す子もいるよね。

隊長だけがつば飾りのついた佐官クラス風の帽子をかぶるのを許されますし、
何年か前の端正な容姿の儀仗隊長など、その年の音楽まつりの顔として
DVDの
パッケージに大アップを飾ったというくらい目立つ存在です。

とにかく彼らの親御さんは嬉しいだろうなあといつも思いながら見てます。

音楽まつりの最終日最終回、このトンネルをくぐりぬければ、
儀仗隊長の儀仗隊生活は終わりを告げます。

他の儀仗隊メンバーの4年生たちにとっても、彼らの4年間は
これで終えて悔いのないものであったことを願って止みません。

全員が「夢幻」をしながら敬礼、隊長は抜刀し敬礼。

全ての演技を完璧に終え、防大儀仗隊退場です。

指揮官は松高諒典学生。

ドラムメジャーはシンガポールからの留学生、
ジョエル・ン・ジア・ジュン学生でした。

儀仗隊に留学生が加わっていることはたまにあるようですが、
ドラムメジャーとして名前を呼ばれたのは、わたしの知る限り
彼が初めてです。

彼は今回招聘バンドだったシンガポール軍楽隊の人たちと交流できたでしょうか。

 

続く。


「絆」と「日本」〜平成30年 自衛隊音楽まつり

2018-11-28 | 自衛隊

音楽まつりについてここでお話しするのは楽しいのですが、
楽しすぎて案の定なかなか先に進まないのが困りものです。

三日目にしてまだ第1章も終わっていないわけですが、
この後最終章を入れて全部で5章あるというのに・・・・。

まあ、これが当ブログの避けられない定めと諦めてお付き合いください。

陸自と第302保安警務中隊の演奏が終わったあと、再び
海兵隊と陸軍、つまり在日米軍合同のトロンボーンセクションが出てきて
フランス国家の冒頭部分をファンファーレ風に演奏しました。

お、フランス海軍に忖度したのか?と思ったら続きがありました。

ALL YOU NEED IS LOVE

日本でこのビートルズの曲が最初にリリースされた時、
「愛こそはすべて」というタイトルだったようですが、今では
普通に英語題でこの曲だと皆がわかります。

それだけ人口に膾炙しているということなのですが、実はこの曲、
4/4拍子と3/4拍子を組み合わせた7拍子のメロディという
ポップスには画期的な曲なんですね。

複雑な変拍子のメロディがポップスとして世界を席巻したという
そのこと一つとってみてもすごい。
これを30分で作ったジョンレノンってやっぱ天才だと思います。

それはともかく、最後をハートシェイプで締めくくったこの曲、
わたしは全く知りませんでしたが、東日本大震災の復興ソングとして
日本を代表する30名のミュージシャンがカバーしたと紹介されました。

一応どんなものだったか貼っておきますと

JAPAN UNITED with MUSIC - All You Need Is Love

発起人は坂本龍一大先生だそうですがこのアレンジ・・・(´・ω・`)

ちなみに出演ミュージシャンは

AI、今井美樹、EXILE ATSUSHI、EXILE TAKAHIRO、Crystal Kay、Kj(Dragon Ash)、
小泉今日子、小林武史、桜井和寿(Mr.Children)、
Salyu、JUJU、SUGIZO(LUNA SEA / X JAPAN / Juno Reactor)
Superfly、トータス松本、東京スカパラダイスオーケストラ(GAMO、北原雅彦、NARGO、谷中敦)
ナオト・インティライミ、難波章浩(Hi-STANDARD)、VERBAL(m-flo)、一青 窈、
藤巻亮太 (レミオロメン)、布袋寅泰、BONNIE PINK、miwa、屋敷豪太、
YMO(坂本龍一、高橋幸宏、細野晴臣)
の25組30名

だったそうです。(コメントなし)

続いて東北本面音楽隊、そして西部方面音楽隊が楽器を持たずに現れました。
この東西の両部隊が同じ音楽まつりのステージに上がるのは、
あの東日本大震災、そして5年後の熊本地震の後、初めてということです。

 ピアノのイントロに重ねた、

「被害を受けられた方、そのご家族、関係者の皆様に心から
お見舞い申し上げるとともに、一日も早い復興をお祈り申し上げます」

というナレーションに続いて日米の全陸軍音楽隊が登場し曲が始まりました。

ピアノ伴奏だけで歌い出したのは「明日へ」

「明日へ」という題名の曲はWikipediaに掲載されているだけで
じつに22曲もあるわけですが、これはMISIAの歌です。

在日米軍の音楽隊員も、歌える人は歌っているように見えました。 

明らかに口パクしているらしい人もいることはいましたが、
昨日今日日本に赴任してきたなんて人なら、歌えなくても仕方ないよね。

東北方面音楽隊のカラーガードのお嬢さん方は
にこやかな表情でステージに立つことが任務(たぶん)

会場のスクリーンには、目を覆うばかりの悲惨な災害現場の様子が
災害派遣された陸上自衛隊の隊員と
被災者たちの姿とともに
歌詞を伴って次々と映し出されました。

曲の後半、舞台中央床には「絆」「愛」「勇気」「希望」などの言葉と
自衛官たちの姿が投影されました。

「明日へ 明日へ 明日へと歌おう」

というサビの、実に耳馴染みのいい曲で、一度聴いただけで
メロディを完璧に覚えてしまうくらい平易です。
いわゆる震災復興ソングではないと思いますが、歌詞が
復興支援にこの上なく相応しいのでこの場に選ばれたのでしょう。

後半は楽器を持っている在日米軍は伴奏を行います。
シンプルだけどしみじみとした、いいステージでした。

 

さて、ここからが第2章になります。

バガット・ド・ラン=ビウエ軍楽隊 ( Bagad de Lann-Bihoué )

一度聴いただけではとても覚えられなさそうな名前の
軍楽隊がフランス海軍から来日しました。

何度か音楽まつりに参加していますが、フランス軍楽隊は初めてです。
昔セーラー服について調べたとき、フランス軍の制服も絵に描いたことがありますが、
実際に目にしたのはもちろんこれが最初でした。

この制服とか、フランス海軍のマークとか

を見ると、ああ、やっぱりモードの国だなあと頷く思いがするんですよね。

 

バガット・ド・ラン=ビウエ軍楽隊は、フランスはブルターニュ地方にある、
ラン=ビウエ海軍航空基地所属の
ブルターニュ伝統のバグパイプバンドです。

バグパイプというとスコットランドでしょ?と思われた方、
ノンノン、実はバグパイプはスコットランドのもの、というものではなく、

「ケルト民族のもの」

なんですね。
つまり、ケルト民族が住んでいたところにはバグパイプの伝統が残っており、
ブルターニュもその一つなのです。

ヨーロッパではそのほかにもスペイン北部、ブルガリア、ボヘミア地方、
ポーランド、チェコスロバキアにバグパイプが形を変えて存在します。

ちなみにこのバンド名の「Bagad」とは正確には「ヴァガドゥ」と発音し、

バグパイプ

ボンバール(円錐形のダブルリード笛)

ドラム(スネア・ドラムを含む)

から構成される楽団、を意味します。
つまりこのバンド名は

「ラン=ビウエのバグパイプバンド」

という意味で、ヨーロッパで最も有名なバガドウの1つなのです。

同軍楽隊は人手不足や財政難などで実質二度解散の憂き目にあっており、
それを克服するために海軍所属でありながらプロのバンドとなって
アルバムを出したり、他のミュージシャンのレコーディングに参加し、
隊員は3年ごとに更新する契約制となって存続しているのだそうです。

隊員は軍人というより軍属の扱いなのかもしれません。

一番右にいる下士官は音楽隊長なのですが、おそらく
この人は本ちゃんのフランス海軍軍人で、
バガドウの監督というか、顔として据えられているんだと思います。

たぶん楽器は何もできないと思います。(できたらごめん)

面白かったのがこの手前の指揮者で、手はあまり動かさず、
左足でパタンパタンとリズムを刻んで指揮をしていました。

曲の終わりには足を少し高く上げる、とか独特の決まりがあるようです。

会場では「ブルターニュのオーボエ」と紹介されていましたが、
この二人が演奏しているのが「ボンバール」(bombarde)です。

Quiberon: Bombarde Cornemuse musique Bretagne 

プログラムには「Azerty」という曲名しか書かれていなかったのですが、
二曲めにはボンバールをフィーチャーした曲を演奏しました。

この曲はピアノ伴奏を東京音楽隊のピアニストがつとめ、何より旋律が
日本の曲っぽかったのですが、プログラムに記載がありませんでした。

どなたか2曲めの題名ご存知の方おられませんか。

わたしはこの曲、ラン=ビウエが日本の観客サービスとして急遽
即席アレンジして持ってきたのではないかと思っています。

なぜかというと、ピアノのアレンジがところどころものすごく変だったんです(涙)
太田海曹は絶対これ変、と思いながら弾いていたとわたしは思います。
しかしほとんどぶっつけ本番だったのと、英語が通じないので、
訂正できなかったのではないかとまで想像しているんですが、どうでしょう。

 

演奏中は何もせずに立っていた音楽隊長は、その名も

パスカル・オリヴィエ上級上等兵曹(CPO)

おお、フランス人!というお名前(当たり前だ)。

フランス海軍の敬礼を生で見たのもこれが初めてです。
なるほど、手のひらは完璧に外に向けるわけね。

 

さて、続いての外国招待バンドはシンガポール軍軍楽隊

第2章は「海の挑戦」ということで、最初にフランス海軍所属の
ラン=ビウエが登場しましたが、シンガポール軍楽隊は
Armed  Forces、つまり陸海空統合の音楽隊だそうです。

しかし、シンガポールは海に囲まれた日本と同じ島国なので、
この章に登場ということになりました。


詰襟にエポーレット(房付きの検証)、肋骨服と
正統派軍楽隊スタイルといった感じの制服のシンガポール軍楽隊。

登場するやいなや、絢爛豪華な色合いの衣装を身につけた
ダンサーが走り寄ってきて絡みます。

なるほど、この路線か・・・・。

しかもダンサーは一人ではなく、男性ダンサーも投入してきました。
とにかく派手。きらびやか。

シンガポールはあらゆる民族の複合国家ではありますが、中華系が多数派なので、
やはりこういった色彩はタイガーバームガーデン的なセンスですね。

ダンスも派手。飛んだり跳ねたり回転したりバク転したり。


ところで今回検索していて、防衛省がこの音楽まつりに備えて、
シンガポール軍楽隊の宿舎を
一般競争入札していたという公告が見つかりました。
さすが防衛省、そんなことも入札で決めていたんですね。

彼らは結局どこに泊まっていたのでしょうか。

シンガポールで有名なヒット曲「Love at first sight」に始まり、
演奏曲は8曲からなるメドレーです。

中には、建国記念として作曲された「五星が昇る」という曲もありました。

Five Stars Arising

その間ダンサーはスカーフを振ったりリボンを振ったり、
あらゆる振りものを投入してくるので、軍楽隊のフォーメーションより
ついそちらに目が奪われてしまいます。

このジャンプ!
軍楽隊とは別にプロのダンサーを雇ったようですね。

リボンに続いてはついに孔雀の羽の扇子まで登場。
やっぱりこの辺は中華圏ですな。

 

アップテンポの一連の曲が終わると、雰囲気が一気にスローになり。

オーボエ奏者の歌う「涙そうそう」が日本の観客を喜ばせます。
音楽まつりで外国軍楽隊はしばしば日本語の歌をサービスで歌ってくれますが、
特に東南アジアの人たちは日本語の発音が皆うまいですね。

「会いたくて 会いたくて」

のところからは後ろのメンバーがコーラス。


こんな時にもカップルで踊りまくっていたダンサー(笑)

相手をを抱え上げてそのままボディスラムへと!

ということはありません。

 

わたしたちへのサービスとして日本の曲はもう一つありました。
「涙そうそう」からなんと!いきなり

「進撃の巨人より 紅蓮の弓矢」

が始まったのです。
そういえばイントロの時など「あれ?これって・・?」
とわかる程度に「進撃の巨人」のフレーズが入り込んでいて、
なんとなくそんな予感はあったのですが。

そこで張り切って出てきたのがドラムメジャー。
このドラムメジャーは、ダンサーがいなかったらさぞ
目を引いただろうと思うくらいド派手にバトンを回しまくっていましたが、
どうもメジャーバトンを振らせたら俺の右に出る者ナシ!
みたいな名物メジャーらしく、他の音楽隊が決してやらない、

バトンを高く投げ上げて受け止める(しかもなんども)

という技を披露して会場を沸かせました。


冒頭写真は彼がどのくらい投げ上げていたかがわかる瞬間ですが、
これを見るとほとんど二階席(彼から見ると三階)まで投げ上げています。

このキャラの立ったドラムメジャーの名前は

ジャッシュ・チュア・ケン・ウィーア1級上士

一等上士はアメリカ軍でいうとPO1、一等兵曹に相当します。

指揮者は、

イグナティウス・ワン・ケヴィン上尉

上尉は大尉で自衛隊なら一尉。中華圏では尉官は上から

上尉 中尉 少尉

となっています。

ウィーア1級上士のバトンとダンサーのひらひらに目を奪われていると、
軍楽隊がまず人文字で「SG」と描きました。

シンガポールのことかな、と思って見ていたら、あれよあれよと
人文字は
「日本」に・・・・・。
こういうのって普通に嬉しいものですね。

招待バンドが舞台で自分の国の国旗を出したりするときには、必ず対で
日本の国旗も揚げてくれるのが礼儀というか、友好を深めるために
ほとんどの国がそうしてくれるのですが、そういえば過去唯一、
自国の巨大な旗だけををステージで広げていった国がありましたわ。

今の時期あえてどことは言いませんけど。


とにかくありがとう、シンガポール軍楽隊のみなさん。

 

 

続く。

 


「祖国」〜平成30年度 自衛隊音楽まつり

2018-11-27 | 自衛隊

 

海兵隊に続いて登場したのは米陸軍軍楽隊です。

彼らが所属する神奈川県キャンプ座間には、在日米陸軍司令部、
「リトル・ペンタゴン」、またの名を「ワンオーワン(101)」
が存在します。

音楽まつりの常連で、防衛大臣(と副大臣)の挨拶によると、
彼らの出演は今年で連続18回目になるということでした。

去年、一昨年とマケインに似た管楽器奏者が達者すぎる歌を披露しましたが、
今年はマケインが亡くなったこととは多分関係なく(そらそうだ)
新しいボーカリストを立ててきたアメリカ陸軍。

この歌手、プロ並みに上手いかというと決してそこまでではないですが、
何と言っても英語の発音が上手いんですよ。

え?アメリカ人なんだから当たり前だ!って?

ノンノン、英語が喋れるからって英語の歌が上手いとは限らないのよ。
上手くないアメリカ人の歌を何度も聴いたことのあるわたしに言わせると。

ネイティブの英語でも、フレーズに「音楽的に」はまらなくては
英語そのものすら上手に聞こえない、というのが歌の怖いところなのです。

その点日本人の発音は壊滅的に英語に向いていないので、
どんなに声がよく音程が良くても、英語の歌を歌うと、
あら残念、となってしまう人が多い気がします。

今回、

「テーマはChallenge ってことでよろしく」

と自衛隊から伝達されたアメリカ陸軍音楽隊は、

「チャレンジ?だったらやっぱりロッキーじゃね?」

という安易な考えで、映画「ロッキー」のテーマだった

Eye Of The Tiger

を歌手に歌わせることにしました。(多分ね)

ワンコーラス終わってすぐ、歌はディズニー映画「ヘラクレス」のテーマ、

Go The Distance(オリジナル歌:マイケル・ボルトン)

へと代わりました。
なぜヘラクレスのテーマなのかはよくわかりませんが、おそらく、

「挑戦」→ロッキー・バルボア=ヒーロー→ヘラクレス

と解釈が移り変わっていった結果ではないかと想像されます。

続いて待ってましたの「ロッキーのテーマ」。
この曲が

Gonna Fly Now

という題であることを初めて知りました。

ところで米陸軍音楽隊が演奏中のスクリーンには、次々と
このような胸にくる映像が流されて目を引きました。

日米合同訓練の様子などです。

メディックの腕章を付けたのは自衛隊ですね。

東日本大震災で被災地の子供たちのために慰問演奏を行なっているらしい
日米陸軍合同音楽隊。(ってあえて言い切っちゃう)

あのトモダチ作戦では音楽隊もまたこのような活動をしてくれていたのですね。

「U・S・A! U・S・A !」(AA略)

ロッキーのテーマでインタープレイを行うギターとサックス。
このギターがビル・エヴァンスに見えてしょうがなかったわたしでした。

ギターは通常マーチングに加わることはなく、常日頃ステージ隅で
ドラムやキーボードと一緒に地道に演奏しているのが身上なので、
この機会はビル・エヴァンスに取って千載一遇の
「チャレンジ」だったに違いありません。

アフリカ系がサックスを吹いていると、それだけで上手く見える(笑)
ちなみに彼は入隊して15〜7年といったところです。

階級はサージャント・ファーストクラス、1等軍曹。
陸上自衛隊だと2等陸曹に相当します。

フィナーレは皆が富士山のシルエットを囲んでぐるぐる回り、
ヴォーカルのエドワーズ軍曹(名札が読めた)がシャウトすると、
日本とアメリカの旗が陸軍の星を挟んで浮かび上がるという仕掛け。

ちなみに、エドワーズ軍曹の名札には

EDWARDS エドワードス

と書いてありました。ドンマイ。

 

 

続いてはわたしが個人的に待ち望んでいた、陸自中央音楽隊と
陸自第302保安警務中隊の合同演奏です。

中央音楽隊と特別儀仗隊の組み合わせ、これをわたしは
かつて、

「ただ儀仗隊を華として行う質実剛健のマーチング」

と評したことがありますが、この日のナレーションで、
この恒例のコラボレーションのことを

「挑戦するのは、ミリタリーバンドとしてのミリタリースタイルの追求」

「飾らない動きの中にある格式と伝統の音」

と解説していたので我が意を得たりの感を抱きました。

 

最初に聴いたとき、スネアドラムの「タン・タン・タンタンタン」で
わたしはゾワゾワ〜っと全身に鳥肌が立ちました。

この段階でこの曲が黛敏郎の作曲であることがわかったのは、
自慢ではないですが、この武道館の中でもブラバン関係者以外では
わたしだけだったのではないかと思っています。

祖国(March "SOCOKU")

そういえば、国賓が訪れる時には中央音楽隊の演奏によって
栄誉礼が行われますが、あの

「♪ソ ドッドドドッドッソ〜〜〜〜ソ ドッドドドッドッソ〜〜〜〜)

で始まる栄誉礼の曲を作曲したのはまさにこの黛敏郎。
栄誉礼の曲が、正式には

栄誉礼「冠譜」及び「祖国」

というタイトルであることを知る人は多くありません。

「祖国」の最初の部分を聴いた方は、この写真の

「膝を曲げずにつま先までまっすぐに歩を進める」

という歩き方がなんと相応しいのかと思われることでしょう。

ニ短調の民族音楽的な冒頭部分が終わるまで、待機している保安警務中隊。

曲が変ロ長調に転調し、明るい曲調に転じると同時に、
保安警務中隊が倍速で行進を始めました。

原曲のA-B-A'-C-A''という構成部分でいうとCの部分。
Bを抜き、一気にCに進んでステージ用に短くアレンジしてあります。

銃を地面と平行にしての行進ですが、M1銃の白く見える部分は
銃のストラップ(というのかどうか知りませんが)です。

ある時期までは特別儀仗隊は「サイレントドリル」という
音無の演技をマーチングとは別に披露していたと記憶します。

わたしも音楽まつりに参加するようになって一、二度見たような
記憶がありますが、最近はサイレントドリルは行わず、
中央音楽隊との共演の中でドリル中心の見せ場を与えられる、
といった形式が続いているようです。

前回、

「一人一人の容貌体型にはよく見ると差異があるのに、儀仗隊として
行進や儀仗を行なっている時には全員同じ人間に見える」

と書きましたが、選び抜かれた候補者からさらに選抜されて
競争率6倍をくぐり抜けた、

身長170〜180cm

端正な容貌であること

骨格も規格に外れていないこと

という条件の超エリート隊員は、そこから先、精神的にも肉体的にも
ミリ単位の違いも細かく調整していくような厳しい訓練を受け、
容姿の個人差などは全く目に見えないレベルにまで所作を磨き上げて
この完璧な統制美を作り上げていくのです。

観閲式などの行進は見ていると完全に同じ動作をしているように見えますが、
写真に撮ってみると必ず手の上げ方や首の向きに狂いがあります。

しかし、第302保安警務中隊の特別儀仗隊はどんな動きを写真に撮っても
恐ろしいほどに全員の姿勢がシンクロしているのです。

 

 

保安警務中隊は英語で

スリーハンドレッドセカンド・ミリタリーポリス・カンパニー

と紹介されていました。
この日音楽まつりに「MP」という腕章を付けて警備を行っていたのと
同じ警察任務が彼らの本来の存在意義です。

ちなみに「MP」の腕章を見て、わたしが

「ミリタリー・ポリスのことですよ」

というと、連れは知らなかったのか大いに驚いて、

そんなこと言ってもいいんですか」

いいも悪いも、じゃなんていうんだよ。
「ディフェンスフォース・ポリス」か?

そうなると腕章は「DFP」・・それは広告サーバーや。
「DP」だと、さらにここにはとても書けない意味もありますし。

だいたいそれじゃ海外から来た人には理解してもらえませんよね。

保安警務中隊がまだ保安中隊であったときには、ファンシードリルも
広報活動の一環として行っていたそうですが、保安警務中隊になってからは
おそらく、この音楽まつりが唯一の音楽に乗せてのドリルの披露の場でしょう。

曲のクライマックスには、他の音楽隊のようにカンパニーフロントではなく
儀仗隊のドリルが行われます。

ウェーブのように滑らかな動きは列の右から左、そして左から右へ
連続して行われ、まるで一つの生き物の動作のようです。

常日頃、自衛隊の、というか日本国の代表として、この国が
いかに精強な軍隊を持っているかを海外にアピールするために、
彼らが行っているのはただの捧げ銃や行進の練習ではないといいます。

体力錬成に加え警察組織としての武道、銃剣術など。
おそらくは座学もみっちり行われるのでしょう。

しかも今日出演しステージに上っているのは全隊員101名のうち
5分の1の22名だけ。

ここにいる隊員こそが精強オブ精強のつわものなのです。

中国軍のマニアックなまでの統率された行進は、膨大な人数の中から選ばれた
同じ身長、容姿端麗(特に女性)な者だけで行われているようですが、
今日のメンバーも身長をかなり厳密に規定しているらしいことがわかります。

誤差せいぜい2センチくらいでしょうか。

ところでこれを書くためにあだちビデオ制作の密着番組を見たとき、
一番不条理だと思ったのは、新入隊員8名くらい?の研修期間がすみ、
最終試験を経て本採用される際、

「そのうち一人でも不合格なら全員不合格」

であると言い渡されているところでした。

そうすれば全員が緊張し助け合うだろうという親心?でしょうが、
もし万が一、本当に誰か一人のせいで全員不合格になったら、
その原因となった人は自衛隊をやめてしまうのではないか?
いや、生きていけるのだろうか?

と心から心配になりました。

ついでに言えば、儀仗隊を写真に撮った時に目をつぶっている人も滅多にいません。
これは本番儀仗の時には

「瞬きはするな」

と言われているからです。
生理的現象ですら訓練でコントロールしてしまう部隊。

やっぱり不条理だ。

「祖国」のエンディングは「右へ倣え」で隊列を整え、捧げ銃をして顔をあげます。

必ず演奏することになっている「陸軍分列行進曲」は、今回
「祖国」のあと、

「我は官軍我敵は 天地容れざる朝敵ぞ」

で始まる「抜刀隊」の部分から導入を行いました。
なるほど、ここから始めれば、「分列行進曲」で終わることができます。

哀愁を帯びた短調の行進曲、「祖国」と「陸軍分列行進曲」、
この二曲の選択そのものに、中央音楽隊と第302警務中隊の
自らの任務への強い自覚を見たような思いがします。

今回、昔の音楽まつりを知っている方が、

ふた昔前の音楽祭りは、「またスーザかい」なんて
🎶ブンチャカの行進曲パレードだったのに隔世の感があります。

とメールを下さったものです。

女性専用歌手の投入、カラーガードに工夫を凝らした演出、と、
年々ショウアップされてわたしたちを楽しませてくれる音楽まつりですが、
おそらく中央音楽隊と特別儀仗隊のステージは、その頃から
基本的な構成はほとんど変わっていないのではないかと思われました。

しかし、外国軍音楽隊を含め、ひらひら&キラキラした華やかなステージの中にあって、
日本で唯一特別儀仗を行う中央音楽隊と第302保安警務中隊だけは、
自らも標榜するようにこの質実剛健なスタイルをどこまでも貫いていってほしい、
とわたしは切望してやみません。

 

続く。

 

ところで最後に超余談ですが、これを製作している時、軽い地震がありました。
地震発生から20分後、窓の外の空を二機の陸自ヘリコプターが
通り過ぎていくのを初めて目撃しました。

地震発生に伴う警戒偵察のようです。
自衛隊の皆さん、いつも本当にありがとうございます。

 

 


陸自と海兵隊員のハイファイブ〜平成30年度 自衛隊音楽まつり

2018-11-26 | 自衛隊

平成30年度自衛隊音楽まつり、オープニングセレモニーが終わりました。

退場時に演奏されたのは「君が代行進曲」

この曲を作曲した吉本光藏はいずれも政府の音楽お雇い外人だった
エッケルト(君が代に和声をつけた)とフェントン(初代君が代を作曲)に
学んでいて、ある意味君が代を知り尽くした男です。

ゆえに君が代のメロディーに「つなぎ」を加えて行進曲にする、という
誰がやってもうまくいきそうにない難題をクリアし、
そこそこまともな曲にしてしまうこともできたのでしょう。(適当)

 

そういえば小学校5年生のとき、運動会か何か忘れましたが、
鼓笛隊行進で不肖このわたくしもベルリラ(縦型鉄琴)を演奏し、
この「君が代行進曲」の演奏に加わったことがあります。

あの時は子供ながらにつまらん曲だなあと思ったものですが、
自衛隊音楽隊が合同で演奏すると、あれと同じ曲とは全く思えないほど
格調高く立派な曲に聴こえるから不思議です。

小学校の時の演奏が多分ひどかっただけで元々格調高く立派な曲なんですけどね。

ここからが第1章です。

陸の挑戦〜芽生える、大地からの鼓動〜

つまり日米陸軍が結集するわけですねわかります。
まず最初は陸上自衛隊東北方面音楽隊

陸上自衛隊東北方面隊は所在地が宮城県仙台市です。
仙台といえば?そう、七夕です。

伊達政宗公の時代に、

「婦女に対する文化向上の目的で」

奨励されたことからこの地での盛んな年中行事となったわけですが、
あの時代「女性の文化向上」を施策として謳った為政者伊達政宗は
もしかしたらものすごい先取的なフェミニストだったのでは・・。

というわけで東北方面音楽隊のテーマはがっつりと「七夕」にフォーカス。

まず「お星様」つながりでモーツァルトも変奏曲にした「きらきら星」
童謡「たなばたさま」に変わると・・・、

ここから音楽は吹奏楽経験者なら知らぬものはない名曲、

「Seventh Night Of July〜たなばた〜」酒井格

 

につながって盛り上がっていきます。

斬新なデザインのコスチュームに身を包んだカラーガードの女性隊員が、
最初から最後まで鮮やかな旗で演奏をより一層華やかに彩ります。

間に「ささのはさらさら〜」のメロディを盛り込み、
フラッグを高く投げ上げて対面で受け取るとき、ブルーの旗が
宙を舞いますが、当たり前のようにカラーガードは全員ノーミスでした。

と言っても今まで音楽まつりでカラーガードが旗を落としたのを
一度も見たことがありません。

開演前の紹介ビデオでは練習中の様子も紹介されていましたが、
まだ暑い頃からかなりの訓練を行うようです。

しかも皆さん何と言ってもこう見えて自衛官ですので、その辺の女の子とは
元々体力とか体幹とかが基礎から出来が違うのかも。

七夕祭りらしく浴衣の女の子が二人登場してきました。

もしかしたらこちらは男の子という設定かもしれません。

会場の隅には彼女らが頻繁に取り替える旗各種が用意されており、
迷彩服の自衛官が手渡したり回収したりして支援を行っていました。

ブラスバンドのクライマックスにはカンパニー・フロントといって、
最大の見せ場に全員で一列に並び前進して歩いてきますが、
この時カラーガードは仙台七夕でいうところの七夕「七つ飾り」の一つ、
吹き流しを振りながら一緒に行進を行いました。

この時の曲は壮大に?アレンジされた「たなばたさま」。

吹き流し飾りは、七夕のヒロイン、織姫の織り糸を象徴しているのです。

そしてその織姫様が登場。

「たなばた」でエンディングを迎え、人の列が二列に「川」を形作ると、
その川に投影された橋を、織姫さまがひらひらと舞いながら渡ってくるのです。

皆がペンライトでとりどりの星を表す七夕の夜、織姫と彦星は
天の川を渡り、一年に一度の逢瀬をするのでした。

めでたしめでたし。

つまりこれ、彦星は自衛隊音楽隊に所属するユーフォニアム奏者として
日々忙しく、しかも単身赴任で織姫とは一年に一度七夕の夜にしか会えない、と。

そういうことなんですね(涙)

北に続いては南から参加の陸上自衛隊西部方面隊。
九州と沖縄の守りを担う部隊です。

こちらは

「西郷どん」「軍師官兵衛」「武蔵 MUSASHI」

のテーマ、とNHK大河ドラマシリーズで。

トロンボーン奏者がソロで「西郷どん」のテーマを演奏しています。

わたしは大河ドラマそのものを全く観ていないのですが、
「八重の桜」のOPテーマのように自衛隊音楽まつりで初めて聴いて
好きになる曲もあります。

今回三曲聴いてみて、特に良いと思ったのが「軍師官兵衛」でした。

「西郷どん」のテーマに乗ってカンパニーフロントを行う西部方面音楽隊。

ところで、この日気が付いたのですが、東部西部共に、
各陸自音楽隊はまだ新制服ではなく旧型を着用しています。
もしかしたらまだ調達が日本列島の端まで行き届いていないのかもしれません。

しかしあらためて最後かもしれないとなると、この背中に羽のついた
従来の制服が無くなってしまうのはなんとも惜しいと思わずにはいられません。

演奏が終わった西部方面音楽隊の一人が両手両足で

「どんどんパン、どんどんパーン」

というリズムを刻みました。
といえばもうクィーンの「We Will Rock You」しかありませんよね。

「どんどんぱーん」に乗って次の演者米海兵隊音楽隊が登場。
非常にラフな感じで演奏しながら入場です。

ところでこの中心になっているアフリカ系のクラリネット奏者ですが・・・、

別角度から撮った回にもちゃんと狙っていました。
撮っているときは何も考えていないのですが、なんとなく一団の中で

「絵になりやすい人」

というのをいつの間にか選別していたんだなあと感心した次第です。

曲が終わると呼び込んだ西部方面音楽隊は彼らとハイファイブしながら退場。

米海兵隊の軍服は創立時から全く変わっておらず、アメリカの軍博物館でも
この制服で日本軍と戦ったという歴史的資料によくお目にかかります。

それだけに、わたしはこういう光景を見たり、何年か前のように海兵隊が
沖縄の「島唄」を取り上げたりするようなシーンに遭遇すると、
両国の現在に至るまでの相剋から宥恕、和解に至る歴史を思い、
つくづくいい時代に生まれたとあらためて思わずにいられません。

このユーフォニアム奏者もなかなか絵になる人。

彼らは正確には米海兵隊第3海兵機動展開部隊音楽隊です。
沖縄県うるま市のキャンプ・コートニーに駐留しており、
海兵隊所属の12の部隊の中で唯一アメリカ以外に根拠地を置く音楽隊です。

先ほどの話でないですが、彼らの所属する第3海兵遠征軍の前身は
かつてサイパン、そして硫黄島、沖縄で日本軍と激戦を繰り広げました。

海兵隊軍服がデザインされたのは南北戦争のときです。

当初は知名度がなく、誰も入隊してくれないので、酒場で若者を酔い潰し、
その場で契約書にサインさせて強制的に入営、ということをしていたくらいで、
ほどんどがなんの技能もない移民だったり、士官も酒場の経営者だったりと
まるではぐれ軍隊(おまけにブラック)のようだったということですが、
軍服だけは当時から
イケてるデザインだったんですね。

海兵隊の制服はアメリカでもスーツ型デザインが主流となっている中で
唯一の詰襟ですが、その部分の素材は昔防護上の理由で革製でした。

今でも海兵隊のことを別名「レザーネック」というのはそこから来ています。

打楽器隊のことをマーチングバンド用語で「ドラムライン」、
あるいは「バッテリー」ということもあるそうです。

海兵隊のドラムラインはいつも卓越した腕を披露するパートを持ちます。

本日の演奏曲は「エスコーピオン」(Escorpion )

今回この曲についての詳細はわかりませんでした。
ラテン系のリズムでとにかく派手というか、テーマ通り海兵隊が
この曲に「挑戦」しているらしいのはよくわかりましたが。

ギターとサックスのインタープレイ。
奏者が互いにインプロビゼーションを繰り返し、触発しあったり
フレーズを受け継いだりして緊張感のあるセッションを行うことをいいます。

後半はリフ(決められたメロディ」をユニゾンで。
いつの間にか全員がそれに加わります。

アメリカ人もステージの上では普通にお辞儀をしますが、
ここまで深くすることはまずありません。

ここはやはり日本の観客ということで最敬礼をしているのでしょう。

海兵隊バンドで目を引いたのがこの女性のドラムメジャー。

帽子を深々とかぶり目元を隠しているのが彼女をよりクールに見せています。
長いメジャーバトンを扱うドラムメジャーは上背を必要とするせいか、
男女混合のバンドで女性が選ばれることは滅多にないように思いますが、
彼女の場合はアメリカ男性と比しても遜色ないのでこの役を任されたのでしょう。

 

わたしももし彼女がシニヨンを結い、女性マリーンの軍服を着ていなければ
女性とは気がつかなかったかもしれません。

フィナーレの部分でこの女性ドラムメジャーはメジャーバトンを高速回しし、
エンディングと同時にピタリ!と止めて、それはそれはかっこよかったのですが、
なぜか最後に名前をコールされたのは、前で微動だにせず立っていただけの、
「バンドマスター」という仕事してない人だったのがわたしには納得いきませんでした。

そこでプログラムで確認したところ、ドラムメジャーは
ケイディ・A・ミラー2等軍曹という名前であることがわかりました。

ちなみに指揮者は上級准尉、その仕事しないバンドマスターは上級曹長です。
調べてみるとこの海兵隊における上級曹長とは、

Master Gunnery Sergeant (MGySgt) 

といい、海軍で言うところのMACPO。(つまりえらい)
下士官の中では最上級のE-9ランクじゃないですか。
つまり二等軍曹であるミラーさんより三階級も上なわけです。

なるほど・・・それで、普通ならドラムメジャーが紹介されるところ、
しかもプログラムにもミラー軍曹の名前が書いてあるのにも関わらず、
この何もしとらんおっさんの名前が優先的に紹介されたわけか・・・。

ていうかバンドマスターってなにする人?

何れにせよやっぱり軍隊というのは階級至上主義ってことなんだと思いました。

 

さて、続いて登場するのはアメリカ陸軍音楽隊です。

ちなみに海兵隊は水陸両用部隊というその性質上、当音楽まつりにおいて、
プログラムの構成によっては「海」のパートに入れられることもあるのですが、
今回は陸にカテゴライズされていたってことになりますね。

コウモリは鳥か獣か?の話をなぜか思い出してしまいました(笑)


続く。