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海将を囲む会〜「ひこうき雲」

2018-12-21 | 自衛隊

というわけで自衛隊人事も発令になり、呉で「海将を囲む会」が
行われてから約20日後、池総監は三十余年に亘る自衛官生活を終え、
呉地方総監部を去って行かれました。

このことはNHKとRCCのニュースでも報じられました。
自衛隊の歴史の中でも、地方総監の退官がこれほど
大々的に報じられたというのは初めてだったのではないでしょうか。

Yahoo!ニュース

 

レンガの地方総監庁舎から出てくるところから離任式の映像は始まりました。

教育航空群司令官時代、わたしは司令室の「愚直たれ」という自筆の額を
ここでご紹介させて頂いたことがありますが、その後「愚直たれ」が
呉地方隊でこれほど有名な言葉となるとはその時にはまだ思いませんでした。

池海将の最後の任地が呉地方隊であったことが、池海将と「愚直たれ」を
これほど有名にしたと言えるでしょう。

「愚直たれ」のアイデアはご本人ではなく、呉地方総監部から
就任直後に起こってきたものなのです。

愚直たれは呉地方隊の隊員食堂でも愛用されています。
あれ?この右側の隊員さんって、音楽隊の方じゃないですか?

池総監は当初2018年の3月の退官を考えておられたようです。
(奥様と『夏服はもう着ないね』と話しておられたと聞きました)
鉄のくじら館で提供されていた「愚直たれドック」も任期終了まで、
となっていたのですが、ご存知のように任期が延び、従って
愚直たれ提供期間も延ばされることになりました。

「愚直たれを置き土産に」

とテロップにあるので、少なくとも呉地方隊の隊員食堂には
愚直たれが記念に残されるのかもしれません。

そしてその次の人事異動の季節、7月には広島を大災害が襲いました。
このため総監の離任はもう一度延期されたのかもしれません。

地元復興の願いを込めて、ご当地名物である「がんす」を
取り入れた「愚直たれがんすバーガー」が生まれたのはこの後です。


さて、わたしが出席した「海将を囲む会」に戻りましょう。
呉地方総監が総監として最後に踊った「恋」ダンス終了後、
会場のスクリーンには「 Dear ボス」のお笑いコンビ、三四郎の二人が
総監を「池ちゃん」呼ばわりしながら労いの言葉を贈りました。

そして本邦初公開、池ちゃんの生い立ちとその歩みのスライドです。

お父上は大学で教鞭を取っておられたと聞いています。

岡崎市の小学生がジャイアンツのファンだった・・・だと?
ところで編集した人、勝手に帽子をカープに変えるんじゃねー。

だからカープに変えるなと何度言ったら(略)

両手に猫と犬。
奥様とはもうすでにこの頃からのお知り合いでした。

頭が良くてスポーツもできて、そして真面目そう。

高校では柔道部!硬派です。

自衛官になろうと思ったきっかけは、小学校の時の艦艇公開。
その時に案内してくれた自衛官(防大生だったかな)のお兄さんに、
学校の授業で
手紙を書いたのがきっかけで文通を続けるうち、
海上自衛官になりたいと思うようになったそうです。

ちなみに、池海将と防大で同期だった元陸自戦車部隊だった方から

「みんなが遊ぶことと女の子のことばっかり考えている時に、
池だけは自費で英語のタイムズなどを取り寄せて読んだりしていた。
本当に真面目で偉い奴だと尊敬していた」

と当時の池学生について聞いたことがあります。

幹部候補生時代。右端が池太郎候補生です。

海上要員になった頃は、影響を受けた自衛官のこともあって
海上艦乗組を希望していたそうですが、結局P3-Cパイロットに。

お子さんは男・女・女の三人。
幹部自衛官の宿命とはいえ、単身赴任は仕方ないことなのですが・・、

どこの赴任地でも子供達のために毎週帰省していたそうです。
これは口で言うほど簡単ではなく、八戸基地で、実家は島根県という方に

「毎週ご実家に帰るんですか」

と聞くと

「遠すぎてとても無理です」

とおっしゃっておられました。
確か池海将には八戸勤務時代もあったはず。
毎週岡崎まで東北から帰るのはかなりの強い意志が必要です。

基地で働く姿を見せるのも父親の役目。
あとで一人ずつ家族の方々がメッセージを述べていましたが、
全員が父親を深く尊敬していることがよくわかりました。
お嬢さんの一人は

「授業参観の後『かっこいいお父さんだね』と言われ自慢の父でした」

と・・・。

家族思い、もちろん愛妻家です。

若き日の池海将、爽やかイケメンです。

そして2016年7月、呉地方総監に就任。

「愚直たれ」で名物海将になるのはまさに呉総監就任後のことでした。

広島の水害の際、視察に来た安倍総理に指揮官として解説を行う総監。

会場は静まり返って紹介される池海将の歩みを見つめています。
そしてまたそれを見ながら何を思うのか、感慨深げな海将夫妻・・。

ここからは、池海将を司令官と仰いだ部下のみなさんからのメッセージ。
池やではぼたん鍋も扱っていたんでしょうか?

池海将の愚直たれに続くもう一つのモットー、「三つのあ」にかけて。

飛行隊員、という紹介に思わず目がいってしまいました。

気持ちはわかるが”愚直たれ”は飲まないほうがいいと思う。

いかにも「押忍!」が似合う凛々しい自衛官。

知らんがな。

前呉地方総監部管理部長、現第二航空群司令、瀬戸海将補。

次の「池や」はいつになるのでしょうか。
もし許されるならばわたしも「池や」の客になってみたいです。

ここで第一術科学校長の中畑泰樹海将補が壇上の総監夫妻と向かい合いました。

防大時代、池海将の「部屋長」に対し中畑将補は「部屋っ子」という関係です。
防大では1年から4年までが部屋という少数単位で共同生活を送りますが、
4年生の「部屋長」「サブ長」に対し、下級生を「部屋っ子」と称するのです。

この独特な用語をここで聞いてもわたしが完璧に理解できたのは、
ひとえに「あおざくら」を愛読していたからです。

(余談ですが、「あおざくら」最新号で、棒倒し隊長としての思い出を
巻末で熱く語っている
三等海尉は、何を隠そう、
わたしが練習艦隊走行会の時にそこでも棒倒しについて熱く語ってくれ、

その様子をこのブログで紹介したまさにその人です。)

「防大を卒業し、何年経っても池総監とは部屋長と部屋っ子の関係です」

この時にはにこやかにお話を聞いておられるご夫妻ですが・・。

中畑海将補からは会場に飾ってあった記念額が贈呈されました。

挨拶の最後からは総監にも熱いものがこみ上げてきたようです。

パイロットの池総監には熟知の世界ではないかもしれませんが、
さすがは海軍、舫の結び方見本額も贈呈されました。

幹部学校校長だった池海将には江田島の写真も送られました。
左下には池校長が卒業式で「帽振れ」をする姿が写っています。

呉地方総監部の代表から花束贈呈。

そして最後に池呉地方総監が挨拶をされました。

そして皆への感謝ののち、和子夫人に心からの「ありがとう」を述べられました。

壇上から降りると、そこにいた中畑海将補と思わず抱き合います。
向こうで写真を撮っておられるのはミカさんことふりかけそーすけさん。

就任以来総監を撮ってきた写真班のカメラマンも、二人の姿にシャッターを切ります。
見ているわたしたちも目の奥が熱くなってくるのを感じました。

万雷の拍手に送られて、池太郎海将と夫人が会場を後にします。
そのとき会場に流れていた曲はこの曲でした。

 

それから18日後の平成30年12月19日、
第43代呉地方総監、池太郎海将は呉地方総監部の「表門」から、
総監として2年余を過ごした
呉を、総員の帽振れによって送られ、
第二の人生へと旅立ってゆかれました。

前途を祝すような小春日和の日差しを受けて、最後の帽振れを行う池海将。

長い間お疲れ様でした。
第二の人生においてもまた座右の銘の通り、何事にも愚直に全力で取り組まれ、
その卓越した能力と指導力で一層社会に貢献されんことをお祈り申し上げております。

しかしその前に、まずはゆっくりとお身体を休ませて、
夫人とお二人での水入らずの時間をお過ごしください。

 

 



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2 Comments

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まさか赤ちゃん時代の写真まで (鉄火お嬢)
2018-12-21 20:42:47
私は岡崎の隣の自治体で生まれ育ちましたが、同じ時代に隣市の岡高生だった人が防衛大学校から海上自衛隊に入り総監にまで昇られ、呉でその方と接点を持つとは……と感無量でした。結婚式のビデオじゃあるまいし可愛い可愛い赤ちゃん時代の写真まで(笑)しかし、かほどにキャラクターが立ち敬愛された総監の後に来る人物は、こりゃープレゼンスにさぞ苦労するかもですよ。ひょっとしたら総監部の例のあたりの部署は後任の人となりをリサーチ済みで、今度も腕によりをかけて演出し、池総監に負けないスター誕生?を画策しているかもですが……注視しましょう。
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直球勝負 (Unknown)
2018-12-22 06:19:54
元々、直球勝負。自衛官まっしぐらな方だったので「愚直たれ」(指導方針ではなく「タレ」の方)にはかなりビックリしましたが、地元をいかにして盛り立てるのかということを「愚直に」考え抜いた結果の「愚直たれ」だったのだと今になって思います。

海上自衛隊は他自衛隊と違って「地に足」が着いていないところがあります。陸上自衛隊はもちろん「地に足」が着いているし、航空自衛隊も必ず基地に帰って来るので「地に足」が着いていますが、海上自衛隊は船でいないのが当たり前で、いつ帰って来るのかわからず、地元をあまり大切にしないきらいがあり、総監のお人柄次第で地元との付き合い方は全然違います。

池さんは飛行機乗りでもあり、まだ「地に足」が着いている方なので、地元を非常に大切にされていたと思いますが、ここまでやられた方は、海上自衛隊はおろか、三自衛隊でも他に見られないと思います。メディアでここまで退官が取り上げられるのは、そのおかげでしょう。

「愚直たれ」(タレの方)は池さんの退官後も残るそうですが、さすがにお顔の写真はなくなるそうです。本当かどうかわかりませんが、後任の杉本さんは「甘ったれ」になるとか言っている人がいましたが、冗談でしょうね。
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