アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

大田垣蓮月

2023-04-29 06:28:02 | マントラ禅(冥想法7)neo

◎棺には短刀を入れよ、遺体を男の手に触れさせるな

(2020-02-12)

 

大田垣蓮月は、幕末の尼僧にして陶芸家。鳥羽伏見の戦いの直後、西郷隆盛に対して、内戦継続を諫める和歌を送った女傑。

 

その歌は、

「あだ味方 勝も負けるも 哀れなり 同じ御国の 人と思えば」

 

大田垣蓮月は、両親が早逝し、養父に育てられた。亀山城の奥奉公の間、諸芸を磨き、文武両道に優れ、木刀、鎖鎌まで使いこなしたという。

 

2度結婚したが、二夫ともに先立たれ、子供も3人できたが、いずれも早逝。家庭的には、不運だった。最初の夫からはDVに悩まされた。

 

夫と死別後、絶世の美人だったが、前歯を抜いて老婆の如き面相に変えた。生涯二番目の夫のことを忘れなかったようである。

 

40代から陶芸を始め、これが良い商売となったが、金銭には廉潔、恬淡としていた。60代になってから、その小庵で、後の大文人富岡鉄斎を21歳から侍者として預かり鍛えた。

 

蓮月のお金観。

「金は、うちに残らぬがよろしい。入るだけ出るのがめでたい」

 

1850年(嘉永三年)の飢饉の年には、京都東町奉行所に匿名で30両(現在の約一千万円)を布施に行き怪しまれた。

 

ある時強盗が入ったが、蓮月は「金でも何でも好きなものを持っていきなさい」と燈明までつけて家探しを助け、はったい粉を練って腹ごしらえまでさせて家を送り出した。

 

ところが、翌朝その強盗は、路上で口から血を吐いて死んでいた。背負っていた風呂敷に蓮月とあり、蓮月は毒殺の嫌疑をかけられたが、どこからかもらったはったい粉ということでうやむやになった。

 

夜は灯をともして光明真言を唱えたという。彼女は自分の生涯を自他平等の修行と見た。

 

住居は三畳、食物は村人からのもらいもの。食器は茶碗ひとつ。来客には葉の上に飯を盛って出した。家財は、ろくろ、鍋釜、文机。質素ぶりは趙州のようである。

 

明治8年12月、84歳で亡くなった。遺言は、棺には短刀を入れよ、遺体を男の手に触れさせるな、と。

気に染む男は一人だけだったのだろう。

 

辞世:願わくは 後の蓮の花の上に 曇らぬ月を見るよしもがな

 

幕末維新の女と言えば、明治の元勲を助けた女ばかり取沙汰されるが、ちゃんとした求道者もいたものだと思う。

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