アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

睡眠の間に神に出会う-1

2024-08-16 03:41:02 | 覚醒のアーキテクチャー

◎"わたしであること"のうちに存在するのをやめたとき、人間はまどろみなき眠りに落ちる

 

日中の覚醒時に思考あるいは想念の連続の間には隙間が断続的にあって、その隙間こそが神であることは知られている。

一方OSHOバグワンは、睡眠時の夢のない時間帯こそ神であると述べている。ただし睡眠時は人は無意識であり、睡眠時の思考あるいは想念が夢にあたる。

よって覚者たちは、まず最初に冥想により日中の覚醒時に隙間を意識できるような方向で冥想修行し、その後、睡眠時にも夢を見ないことを目指す。睡眠時に夢を見ないことで、無意識である睡眠時においても意識的に神であることを目指すのである。

 

OSHOバグワンは、アメリカでヨーガや瞑想が流行している原因は、生活が重苦しく、抑圧や緊張で一杯なので、睡眠不足であることが一般的なせいだと見ている。それが証拠にアメリカの睡眠薬の消費量は膨大で、ややもすれば、医師までも、ヨーガや瞑想は睡眠導入ツールの一種くらいにしかみられていない。

 

一般に人は一晩に10分以下の夢を見ない時間帯がある。その時間に人は、神という生命の始原に到達し、生のエネルギーを得て元気を回復するが、それが神であるなどとはまず気づかない。

 

なお一晩中夢を見ないと主張する人のほとんどは、夢は見ているが覚えていないだけである。

 

一晩の睡眠における夢を見ない10分を空白(gap。隙間と訳している場合もある)と呼ぶ。

『つまり夢なき眠りとは、人間が機械のおよぶ範囲を超えたところにゆき着いたことを意味するのだ。人間が聖なるものに入ってゆくのは、この空白においてだ。

 

機械にはこのあいだの空間を、この空白を探ることができない。人間が夢を見ているかぎり、機械は内なる活動を記録している。―――すると空白が起こり、人間はどこかに消えてしまう。やがて十分後に機械はふたたび記録をはじめる。この十分の絶え間に人間がどこにいたのかをいうのは難しい。アメリカの心理学者たちはこの空白にひどく当惑させられた。そして睡眠を最大の謎だと考えた。事実、神はさておき、眠りこそ唯一の謎なのだ。ほかに謎などない。

 

あなたは毎日眠る。しかし眠りの何たるかについては何の考えも持ち合わせていない。人間は一生のあいだ眠りつづける。しかし何も変わらない。―――眠りについては何も知らない。あなたが眠りのことを何も知らないのは、眠りがそこにあるとき、あなたはいないからだ。覚えておくがいい。あなたが存在するのは、眠りが存在しないときだけだ。したがってあなたは、せいぜい機械が知っているくらいのことを知るだけだ。ちょうど機械が空白に直面して止まってしまい、人間が運ばれていった先にまでゆき着くことができないように、あなたもそこにはゆき着けない。―――あなたも機械以上のものではないからだ。

 

あなたもまたその空白に出会うことがないために、眠りはひとつの謎にとどまっている。あなたの手のとどかない彼方にとどまっている。これは、"わたしであること"のうちに存在するのをやめたときにしか、人間はまどろみなき眠りに落ちてゆくことがないためだ。

 

したがって、自我が成長してゆくにつれ、眠りはどんどん少なくなってゆく。自己中心的な人間が眠る能力をなくしてしまうのは、その人の自我が、"わたし"が、一日二十四時間さし出てやまないからだ。目を覚ますのは"わたし"なのだ。 通りを歩いているのと同じ"わたし"だ。その"わたし"が二十四時間というもの、のべつ存在しているために、眠りに落ちるときになっても、"わたし"を落とすときがやってきても、それを追い払うことができない。当然、眠りにつくのは困難になる。“わたし”が存在しているかぎり、眠りは不可能なの だ。そして昨日話したように、"わたし"が存在しているかぎり、神への参入は不可能なのだ。』

(死・終わりなき生/オショー・ラジニーシ/講談社164-166から引用)

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