アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

自分自身を経験する新しい方法

2024-09-20 03:42:17 | 冥想いろいろ

◎アイデンティティと意識を抜き取られ、永遠の亡者になる朝顔

 

違法ドラッグ、脱法ドラッグが以前より手に入りやすくなっているようだが、そうしたものに手を出すのは人生を棒に振る危険も死に至る危険もはらんでいる。

植物だろうが、化学製剤だろうが、向精神薬は、用量を誤ると死に至るものが多い。「ドラッグ・シャーマニズム/ジム・デコーン/青弓社」にも用量を誤って死んだ学者やパイオニアの話が沢山出ている。

冥想修行も向精神薬も精神を操作するということでは同様であり、相応の危険性があることは言うまでもない。

奥山で見つけた見目麗しいきのこが毒キノコであるかどうかは、素人にはわからないように、自分が悟っていない限りその人物が大悟覚醒しているかどうかわからないということはある。

 

そしてまた同じ用量でも効果に個人差があることは知られている。カルロス・カスタネダのシリーズでも用量は精密だが、服用時期や心境も大切にしている。

まことに奇跡には時を選ぶタイプの奇跡と時を選ばないタイプの奇跡がある。

 

以下は、規制の緩い時代のアメリカの話として、ソーマとはどういうものかを知識として持っておいて、落とし穴にはまらないために参考になると考えて挙げるもの。

『アサガオの種子は、一般に三百個が大量と考えられている。また、一人一人の精神と身体の出来具合が異なることを思えば、ある人にとっては「少々きつい経験」も、別の人にとってはひどく不快な副作用になることもある。さらに、違う植物から採取したものは、その植物の栽培条件その他の要因によって、適量も効果も違ってくるだろう。種子三百個がだいたい六グラムから八グラムだとすると、前記の方法の五十六グラムは、なんと二千個以上の種ということになる。そのようなトリップがどんなものかは、その半量だけを試したある男性の経験談の抜粋がある。この例をみると、その効果が「サイケデリック」だったことは間違いない。

 

《私自身の経験を話せば、アサガオの種が幻覚剤としてどれだけの力を持っているかがわかるだろう。この経験は、単にハイになるという以外に明確な目的や期待はなにもないお粗末な状況で行ったために、結果的にはバッド・トリップになった。それは、幻覚剤に対する信頼感を回復するまで、二年もかかったほどのトリップだった。このような結果になったのはもちろん、なんの備えもできていないのに、いきなり膨大な量を摂取するという無謀な行動に出たためだ。・・・・量は千個から千二百個ほどあったと記憶している。以前に、三百個ほどで十分というのを読んだことがあったが、これは最低量だろうと思ったのだ。だからたっぷりやって、しっかりいい気分になるようにしたほうがいいと思ったのである。

「回転翼」としか言いようのないものが、ものすごいスピードで、どんどん大きくなりながら近づいてきた。それは、それまでの私のあらゆる経験を完全に超えていた。それは二度三度と近づいてきて、ほとんど部屋いっぱいになり、私は心底怖くなって死ぬのではないかと思った。逃れることは不可能だった。その回転の中心は私の視野の中心であり、私自身の回転軸だったからだ。

それはものすごい、無限のエネルギーで、回転方向を変えながらどんどん近づき、私は自分がその中に吸い込まれ、溶けていくのを感じた。アイデンティティと意識を抜き取られ、永遠の亡者になる。・・・・・燃えるような赤と鮮やかな緑の二本の大河が私の意識を切り裂く。心と頭の分裂は、電子と陽子から私自身の意識的思考を生み出す二葉の大脳に至るまで、完璧に二分した宇宙の一つの現れにすぎないのだ、と私は悟りはじめた。すべてが二分し、永遠に天国と地獄に分かれるのだ。今や私は本気で心配になり、妻に病院に連れて行ってくれるように頼んだ・・・・・・。》

幻覚体験の最も興味ある側面の一つは、その種の物質に対する個人の反応に非常な差があるということだ。ある人が二千個の種によるトリップを「少々きついが、やってみる価値はある」と言う一方で、その半量で救急病院に駆け込む人もいる。ここで論じているのは、個々人の精神を司る脳のシナプスと連絡する精神活性分子である。したがって、基本的には、幻覚剤は自分自身を経験する新しい方法にすぎない。われわれはそれぞれに違う人間なので、それぞれの経験も違って当然なのだ。

 

オルダス・ハックスリー(*イギリスの小説家・批評家。神秘主義への傾倒から幻覚剤を試し、その経験を「知覚の扉』に書いた)はLSDをやって、独特な悟りに達する。チャールズ・マンソン(*アメリカ・カリフォルニアのカルト集団のリーダー。一九六九年に女優のシャロン・テートなど七人の女性を殺害した)もそうだが、しかし得るものは非常に違っている。』

(ドラッグ・シャーマニズム/ジム・デコーン/青弓社P163-164から引用)

 

充分な生への情熱こそが、最後には人をニルヴァーナに導くのだろうか。

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