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アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

ババジ予言-3

2022-12-30 05:18:07 | 究極というものの可能性neo
◎偉大な破壊の時代

地球全体の広範囲な文明破壊予言に対しては、人は自分の生活が破壊されるという視点から、その原因と結果、予防策について、あまり冷静に考えないものである。

出口王仁三郎予言もダンテス・ダイジ予言もババジ・予言も、その起こる原因については共通しており、人類があまりにも神から離れてしまったことであるとする。

『これは偉大な破壊の時代であり、どの時代もこれに匹敵することはない。

革命は数分どころか数秒しか続かないだろう。

破壊的な兵器を発明した国々は破壊されるだろう。彼らは自分達が安全だと考えるべきではない。神の足もとに完全に明け渡すものだけに安全がある・・・・』
(ババジ伝/ラデシャム/森北出版P237ら引用)

この革命は、この破壊的大変動のことであって、共産主義革命やフランス革命のような政権の変更のことではない。

数秒しか続かないことについては、出口王仁三郎予言にもそれと思わせるような部分があるが、おそらく人間の想像を絶したものになるのではないか。

破壊的な兵器を発明した国々は破壊されるというのは、出口王仁三郎のいう原爆は日本が発明したから日本に落とされたと同列の予言であると思う。まことに不昧因果である。

神は人に罰を当てないが、人は人に罰を与えると出口王仁三郎は言う。だが、イエスを殺害した○○人のその後のディアスポラ以後の運命も不昧因果であって、民族差別はいけないと人と人の間では言うが、神の遣わした預言者を殺害するというのは、そういうリアクションを招くものだというのは、これも大きな歴史の教訓である。

神の与えたもうた偉大な物質文明を自らの享楽と他人や他国と奪ったり争うことに汲々とする現代世界。これも神をないがしろにする時代の日々である。これがどういうリアクションを招くものだろうか。

それは心ある人ならば容易に想像できるものだろう。
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