アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

日本人が知っておくべきこの国根幹の重大な歴史

2023-04-14 11:21:16 | 古神道の手振りneo

◎出口王仁三郎の出自など

(2016-04-27)

 

「日本人が知っておくべきこの国根幹の重大な歴史/加治将一・出口汪/ヒカルランド」は、ヒカルランドでは珍しいハードカバー本。

出口王仁三郎フリークとしては、出口王仁三郎情報を収集すべく見てみた。

 

出口王仁三郎の有栖川宮ご落胤説を丹念に追っている。ただし、クンダリーニ・ヨーギとしての出口王仁三郎については何の言及もない。出口王仁三郎は、神人合一し、肉体死を体験すること6度に及んだわけだが、そのことについて有栖川宮ご落胤は主たる条件だったかと言えばそうではあるまい。

 

彼は六神通のうち天眼通、天耳通はほとんど常時使用している人物であった。

神と常時コンタクトしながら社会的活動を遂行するというのはまことに稀有なことであり、出口王仁三郎を語る本来的な重心はそこに置くべきだろうと思う。

 

彼が人と会うとその人の守護神がその人の来歴を報告に来る。加えて、人によってはその人の人生上の重要シーンをビジュアルに見せてくれる。そうしたブリーフィングを受けた上で人に会うのだから、相手はたまったものではないだろう。でも神人というものはそういうものだろう。

 

出口王仁三郎は、昭和10年から昭和17年まで収監されていたので、世間的にはこの時期隠されていたのであるが、昭和10年の第二次大本事件までで、出口王仁三郎の社会的ご神業は完遂した。

 

新月の光という本に出口王仁三郎が出征兵士へお守りを渡す話が複数出てくるが、昭和17年8月の出所以後のことなので、昭和16年の開戦以前から日本の敗戦を見据えて出征兵士に対応していたわけではない。

 

出口王仁三郎の求道の師としては、静岡県清水の稲荷講社の長沢雄楯がいるが、力量的には、出口王仁三郎の方が上であり、師らしい師について修行していないのは、こうした実力派クンダリーニ・ヨーギには時々あることである。肉体のある師かどうかは別ということがあるようなのだ。

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ひらがなの意味

2023-03-24 06:25:20 | 古神道の手振りneo

◎世界創造の道具

(2009-03-16)

 

世の中には姓名判断のようなものがあるが、その原理には、画数の数字の部分と音の部分があり、仮名48音のそれぞれの意味がある。その説明がどこに由来するものか不思議に思っていたが、これは出口王仁三郎が太鼓判を押しているものなので、信用できるものと思う。

 

霊界物語では、いろは歌は空海の創作ではなく、霊界最奥の太元顕津男の神の言霊から出てきた神歌とする。48音は、世界創造の具材であるが、罪けがれのある世界のものだから、クンダリーニ・ヨーガの世界観のものであることがわかる。

 

ネガティブな意味を充てている字は少ない。

【ゐ】は快感の極度に達したる時の意也とは、ニルヴァーナの謂いだろうか。いずれにしても世界に鳴り鳴りて響きわたる父音、母音を聞くような集合的無意識にあって聞こえる言霊のことだろう。

 

たとえば太郎の「たろう」なら、

【た】は円満具足の意也。

【ろ】は水と火の固まりて水火となり、

【う】は潤ひの意、又天消地滅的場合に発す言霊也。

となり、大体がポジティブな意味が配当されているが、自分の名前で見てみるとそれなりに思い当たることがあるもの。

 

【い】は水と火の並びたる象徴也、右は水、左は火。

【ろ】は水と火の固まりて水火となり、宇宙に開く言霊を、【は】といふ。

言霊宇宙に開きて前後左右に活用く象は、【に】也。

此の活動によりて一つのヽ現はる、即ち、【ほ】の言霊也。

【ほ】は次第に高く昇り膨れ拡がる態を、【へ】といふ。

【と】の言霊は水火の完成したる言霊也。

水火完成して宇宙に滋味を生ず、之を【ち】といふ。【ち】は子を育つる母乳の意也。又万物発生の経綸場たる大地の意也。

 

【り】の言霊は女男二神水火を合せて並び立たせる言霊也。

【ぬ】の言霊は互に和らぎ寝み温かき心を以て神業に尽す水火の象也。

【る】は夫婦の道又は天界の総ての定まりし言霊也。

【を】は心也。

 

【わ】は和らぎ睦み御子を生み給ふ態を言ふ也。

【か】は抱へ合ひ、輝き合ふ意にして、俗言に嬶といふも此の言霊の意也。

【よ】は夫婦二神世帯を持てる象也。

【た】は円満具足の意也。

【れ】は夫唱婦随の意也。

【そ】は上下四方揃ふ意也。左右の指の五本と五本と合せて拍手せし態也。

 

【つ】は永久に続く意にして世人のいふ玉椿の八千代までといふも同じ。

【ね】は懇にして夫婦同衾の意也。

【な】は二人並ばし寝給ふ象也。

【ら】は左旋右旋の意にして婚ぎの時の態をいふ。

【む】は蒸し蒸して生し蒸生し息子娘を生むの意也。

 

【う】は潤ひの意、又天消地滅的場合に発す言霊也。

【ゐ】は快感の極度に達したる時の意也。

【の】は一物より迸る水気の意也。

【お】は穏かに修まりし心。

【く】は夫婦組合ひたる象。

【や】は弥益々の意。

【ま】は誠の心を以ちて幾万年も夫婦の道を守らむとの意也。

 

【け】は身の汚れの意也。

【ふ】は吹払ふ言霊にして男女の汚れを吹き払ふの意也。

【こ】は子にして、

【え】は胞衣也。

【て】は照り輝く意にして、暗夜の神業も終局の時火を照す意味也。

 

【あ】は暗室に点じたる火によりて一切のもの現れる意也。

【さ】は避くる意にして男神は女神の面を見る事を避け、又女神は男神の面を見る事を恥らひ避くる事の意也。

【き】は気の高ぶりて心いそいそする意也。

【ゆ】は豊かの意にして仲の好くなりし言霊。

【め】は木の芽を吹き出す如く御子の種宿り始めたる意。

【み】は弥々胎児となりし言霊也。

【し】はしつくりの意にして、茲に愈夫婦らしく初めて落ち着けるの言霊也。

 

【ゑ】は歓ぎ喜ぶ意にして、御子の生れたるを見て互に笑み栄えるの言霊也。

【ひ】は日子日女の意也。

【も】は催合ふ意にして、一家和合の言霊也。

【せ】は川の瀬の意にして、夫婦の仲に一点の邪曲もなく清らかなる態の言霊也。

【す】はいよいよ澄みきりて親子睦じく世に住む言霊也。』

(霊界物語73巻より引用)

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続瑞能神歌の真偽

2023-03-15 21:00:00 | 古神道の手振りneo

◎早すぎる水爆登場

(2011-03-27)

 

続瑞能神歌は、未曽有の大地震である東北関東大震災と福島第一原発の事故のダブルパンチに見舞われた今見てみると、ひょっとして当たっているかもなどという疑念もよぎる。そこで改めて真偽を真面目に検討してみた。

真偽と言っても、出口王仁三郎作ならば真で、そうでなければ偽ということ。

 

そもそも私が続瑞能神歌の存在を知ったのは、仲矢伸一の著書だったか、泉田瑞顕の著書だったかはっきりしないが、出口王仁三郎没後にいくつかの予言があって、出口王仁三郎の意向である(憑依した?)予言とされるものが何本かある。それらの一つが、続瑞能神歌であると思う。

 

なお日月神示は、その格調が大本神諭や、瑞能神歌などとはまったく異なるものなので、信用はしていない。

 

さて、続瑞能神歌は、1947年の発表とされる。出口王仁三郎の逝去は1948年1月。

 

続瑞能神歌の問題箇所の最初は、

「花のお江戸は原爆や 水爆の音草もなく」

最初の水爆実験は、1952年1月。よって、1947年の段階で水爆の存在が世に知られていたかどうかが問題となる。

 

新型兵器というものは、原爆もそうだが、実際にそれが使用されるまでは徹底的にその新型兵器の存在すら秘匿するもの。せいぜい、「SF小説には出てくるかもしれないような危険で無慈悲な新型兵器を敵国が開発している」という形のデマを飛ばすことで、その実在がほのめかされる程度である。

 

よって1947年の段階で、水爆のことが、大本関係者に知られているとは考えにくい。

 

続瑞能神歌の次の問題箇所は、

「残るは三千五百万 赤き自在天主の旗のもと」

日本一億人の三分だから、多めにはじいて3千5百万人と見たのだろう。しかし出口王仁三郎は、逝去直前の頃には、三分とは3割でなく、3%であるとつぶやいている。よってこれは出口王仁三郎の見方とは一致しない。

 

続瑞能神歌のもうひとつの問題箇所は、

「血潮に赤き統一も 一年余年の殺りくも」

出口王仁三郎のつぶやき(新月の光/木庭次守編)によれば、日本の立替は、半年であり、1年余年というのは、これと合致しない。

 

このように子細に見ていくと、続瑞能神歌の真偽は怪しいと言わざるを得ない。

誰か神がかった人の霊言をまとめて、箔をつけるために出口王仁三郎作と称したのだと思う。その時にその霊能力者の見ていた世界が地獄に近い霊界であればあるほど、悲惨な未来を予見することになるもの。

 

※(2023-03-15)本物の予言者は、現世を予言するものであって、霊界である地獄を予言するものではない。

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大八洲神社のご神鏡

2023-03-05 16:33:27 | 古神道の手振りneo

◎世乃中乃事有(よのなかのことあ)る時ぞ知られける

(2020-08-03)

 

二度の大本教事件は、日本の運命の先行モデル。その大本教の本部エリアに日本をさらにミニマイズした場所がある。それが金竜海。

 

地球は天球の縮図であり、日本は地球の縮図、さらに金竜海は日本の縮図。

 

出口王仁三郎は、綾部市に金竜海という三千余坪の池を造営し、大八洲(神島)、六合大島、沓島、冠島などの島も置いた。

 

祭神のポイントは、地上の神界も地上も主宰する国常立尊(艮の金神)が祀られていないこと。両方主宰していないと地上天国であるみろくの世は来ない。

 

そこで、まずは、天の三体の大神である、天照大御神、日の大神(伊邪那岐尊)、月の大神(伊邪那美尊)を大八洲神社に祀った。

 

さて第二次大本教事件直後のある日、籠(この)神社の先代宮司海部穀定氏が京都の古道具屋で、店の主人がとある青年と金竜海の大八洲神社に祀られていたご神体である鏡を預かってほしい、いやそんな物騒なものは預かれないと押し問答になっているところに出くわした。

 

海部氏はとっさにこれを預かることを申し出、青年はほっとして立ち去ったという。

 

このご神体は出口王仁三郎自ら作った鉄製の神鏡であって、直径9センチ、表には16弁の菊花紋、裏面には、

『世乃中乃事有(よのなかのことあ)る時ぞ知られける

神乃まもりのおろかならぬわ』という歌が彫られていた。

※「おろか」とはおろそかの意。

※”裏金神 原爆をこの世に送り出した神” 西郷武士/著 文芸社P263-264参照

 

金竜海とは、竜宮と言われるが、いままでよくわからなかったところがあるが、ネオ・アトランティスと見れば合点がいく。

 

世乃中乃事有(よのなかのことあ)る時とは今の時代のことである。

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旭形亀太郎メモ

2023-03-05 15:53:18 | 古神道の手振りneo

◎知られざる明治維新の元勲

(2020-12-25)

 

愛知県に玉鉾神社を創建した旭形亀太郎。本名は、速水亀太郎、大阪の貧しい武家の次男。1861年二十歳にして京都の力士となった。1863年宮中の護衛のために勤王の同志を集めて力士隊を組織し、その隊長となって日夜宮中に奉仕。1864年の蛤御門の変(禁門の変)では、特に宮中に召され孝明天皇の玉座の守備を任された。

 

この際に御製を賜った。

照る影をひら手に受けし旭形

千代にかがやくいさをなりけり

 

これにより名を旭形と改めた。当時近衛家はじめ公家や薩長を中心とした小松帯刀、桂小五郎、西郷吉之助、横井小楠、大久保一蔵、坂本龍馬らとの間は幕府方の警戒が厳しく往来が困難であったが、常に旭形を密使として交信していた。一時気取られて新選組につかまったこともあるが、知り合いの与力に助けられた。

 

この当時の働きと交流、人脈が、明治になってからの実業家、篤志家としての成功の原動力となったと思われる。

 

旭形といえば、アサヒビールの総代のことばかり言われるが、陸軍偕行社の嘱託、大阪慈恵会病院の設立発起人、日本赤十字社の大阪支部幹事などを歴任。

(以上参照:史談 土俵のうちそと/武者成一/雲母書房)

 

後に彼は孝明天皇を祭神とする玉鉾神社を創建したが、小松宮彰仁親王が参拝されたほどの神社。明治政府は、無位無官の民間人による孝明天皇の神社創建をどう思っていたのだろうか。

 

たまほこのひ可里などでは、孝明天皇の予言(遺勅)を前面に出して説明するのだが、明治維新は20人程度の結束したグループで成ったのだが、旭形は、その中心的なハブ(隠密中の隠密)としてなくてはならないピースだったということがわかる。単に禁門の変で、玉体をカバーしつつ、銃弾を二発受けながら退避せられたということばかりではない。

 

そして維新後の栄達への無欲ぶりは、西郷隆盛に並ぶ。

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たまほこのひ可里

2023-03-05 15:49:57 | 古神道の手振りneo

◎三種の神器を守る

(2020-12-21)

 

慶応二年旧12月25日、孝明天皇が崩御され、生前に言い含められたとおり、天皇陛下近衛隊の力士旭形亀太郎が、車夫佐藤紋次郎に遺勅『たまほこのひ可里』(予言集)を託した。彼は、スの拇印のある人物にそれを渡すように命じられていたが、昭和10年の第二次大本教事件に係る家宅捜索に遇い、その際警察にその文書を焼却するよう迫られ、やむなく焼却。

 

佐藤紋次郎は、このことを悔い、記憶をたどって、遺勅を再作成した。それを持って、昭和17年、出獄して間もないスの拇印のある人物、出口王仁三郎に持参した。出口王仁三郎には特にこれについてのコメントはないが、歌集では、いい加減なことをまくしたてる人物がやってきてうるさいので、お茶も出さずに帰したと日付入りで残している。

 

孝明天皇は、知多半島武豊の玉鉾神社に祀られている。この土地が後に重要な意味を持つであろうことは以前述べた。

 

霊界物語では、玉を奪う話が多い。玉とは国がまえをつければ、国のことである。霊界で国盗りするとは、神国日本を奪おうとすることだから、孝明天皇遺勅に、アメリカは、日の丸と三種の神器を奪おうとして来るなどと書いているそうだが、三種の神器は、今やどこかの神社や博物館にあるのではなく、日本人個々が自らのうちに確認することができる時代となっている。

 

その意味で、三種の神器を奪われないようにするということが大切。

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知られざる大本裏神業「一厘の仕組」の謎-2

2023-03-04 15:27:04 | 古神道の手振りneo

◎富士と鳴門の仕組みの完成

(2021-01-11)

 

出口王仁三郎のことですらまともに理解されていない現代において、「大本裏神業」とは、大方の人にとっては、どちら方面のことやら想像もつかないマニアックな話なのだろうと思う。

 

明治中期、出口ナオという極貧のスーパー・チャネラーがいて、大神が降臨し、時代への大警告予言を金釘文字にて記録していた。彼女は京都の寺社大空襲などを含む日本の終末ビジョンを見ていた。何年か後に青年出口王仁三郎が高熊山の洞窟修行で、それと同様の日本の終末ビジョンを幻視。その幻視の内容が出口ナオと合致していたので、二人はパートナーとして教団を立ち上げた。

 

出口王仁三郎は、教団を拡大し、大正中期までには、チャネリング・帰神を主体とする大教団にまで発展させていたが、関東大震災予言の時期を一部幹部が「大峠」なる世の終わりと誤認宣伝する事件をきっかけに大正10年2月12日に第一次大本教事件として大弾圧を受けた。

これが、日本の第二次世界大戦敗戦の鋳型。

 

大正13年2月13日出口王仁三郎は、保釈(責付出獄)の身ながらモンゴルに高跳びし、盧占魁という馬賊の頭領に従ってモンゴル内を宣教した。ところが、東北軍閥トップの張作霖に盧占魁とその兵士諸共ほとんどが全滅させられ、出口王仁三郎一行も銃殺寸前まで行きながらかろうじて生還。これは、日本の人口が大幅に減るが、モンゴルにて存続はする鋳型。

 

大本教はさらに教勢を増し、皇族、軍部を含め政権内部に食い込み、公称信者数8百万人とも言われるまでになった。ここで近衛隊を模した昭和青年会という組織を作り、出口王仁三郎は、天皇のように白馬に乗って閲兵に見えるようなイベントまでした。これが明治中期から英国の指導協力の下、国家神道体制による戦争推進機構を完成させようとしていた官憲を刺激し、昭和10年12月8日第二次大本教事件が起き、出口王仁三郎は、以後7年牢獄で過ごすこととなる。これは日本の次の世界大戦敗戦の鋳型。

 

第二次大本教事件前夜、大本教のご神体は笹目秀和に託され崑崙山中に返還された。これも裏神業の一つ。ところが、今回の雑誌ムーの特集を見ると、ご神体はいくつも秘匿されていたらしい。そのいくつかが篤信の信者に流れ、また別途それについてのアドバイスも出口王仁三郎から出ており、それが裏神業を形成しているように思う。

 

そうした一人が泉田瑞顕。彼は、商工業文明の終わりと私有財産の奉還、租税制度の撤廃、貨幣制度の廃止などを説く。ところが、いずれも現代の技術文明の大規模な崩壊後のことであり、貨幣制度が金銀本位制をやめて御稜威本位制となるのは、大衆全員が神知る霊的社会になって後のこと。なぜなら御稜威が万人共通の価値観となるには、大神があって人は天皇を最高位に置く180位階であることが社会通念にならねばならないからである。終末予言を軸とするのはやむを得ないが、それから先は空想的なところがあるように思う。日月神示は彼の著作で知った。

 

出口王仁三郎は、辻天水を召命し、水茎文字を見せるなどして特別扱いし、大本教は世界の宗教が滅ぶ型であることを明かしたという(『知られざる大本裏神業「一厘の仕組」の謎』、雑誌ムー2021年2月号の特集P23)。宗教が滅ぶとは、映画『マッドマックス』のような世界になることでなく、万人が神仏を知っている世界。万人が最低でも見神見仏(十牛図の第三図)の体験を有している世界。

 

それにしても、全組織宗教が壊滅しないと、万人が最低でも見神見仏しないと出口王仁三郎は踏み込んで見ていたのか。

 

裏神業には淡路神業があり、武智時三郎に「淡路の神秘ヱル、ヱロヘ、イスラヱル」という著作がある。一度見たがあまりにも霊がかりであって感心しなかった。武智時三郎の義理の息子白山義高は、淡路島に出口王仁三郎の命で井戸を掘削。さらに昭和27年淡路の菰江海岸の旅館四州園の敷地内で古代ユダヤの遺跡とされるものが発見された時に対応している。淡路島に残るイスラエルの足跡 イスラエル遺跡について詳しく説明。 (http://mysteryspot.org/report/awaji-israel/awaji-israel.htm)

 

これについて、淡路-近江-北伊勢とご神体が移るが、これが『富士と鳴門の仕組みの完成』の条件と出口王仁三郎が説明した由。これは地球ロゴスの神秘生理学ですね。

 

イスラエルは、ディアスポラで世界に民族離散し、20世紀になってようやく再建国できた。 日本は単独国家でやってきたがこれからはどうか。霊界物語入蒙篇の意義を考えさせられる。

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知られざる大本裏神業「一厘の仕組」の謎-1

2023-03-04 15:20:57 | 古神道の手振りneo

◎茜大神、菰野、淡路島、伊勢

(2021-01-10)

 

『知られざる大本裏神業「一厘の仕組」の謎』は、雑誌ムー2021年2月号の特集。

 

大本裏神業は、チャネラーの系譜の色彩が強い。行というものは、総じて無意識を触るものであって、神業という名の行を行っている人を第三者が外形だけ見て何をやっているのか判じることは容易でない部分がある。それを見抜ける力量の人とは、釈迦の臨終時に四禅から涅槃に入ったと説明した人物とか、和気清麻呂が満月相を現じたと見た人物とか、龍樹の満月相を見た人物ぐらいの方ということになろう。

 

人が本気になるのは、ネガティブ予言でショックを受けた時だからと言って、更にネガティブな新たな予言を出しても、期待したとおり大衆が動くものでもない。有名ネガティブ予言が現実化しかけた時に思うのは、依拠すべき、まともな教え、まともな宗教があるのかどうかということの方であって、凄惨残虐な詳細な地獄絵図を見たいということではない。

 

今やまさにコロナという悪疫でもって、大衆を不安でもって思想と行動をコントロールし、次はアメリカのようにSNSも含め、言論、宗教、集会までも抑圧して行こうとするのだろう。アメリカは民主主義の国だと聞いていたが、今やそれは名ばかりの国になった。選挙において不正ははやったもの勝ち、悪事を隠すのにSNS主催者自体が協力することを世界中が目撃した。(霊的には、中国のアメリカへの浸透ぶりと北海道への浸透ぶりはパラレルという視点も忘れてはいけない(型出し)。)

 

次は、十六神将、十六魔王が揃ったところで、茜大神(大本裏神業錦の宮の神で、血染め焼尽の戦乱の神)の段階が予想されるのだろう。

 

今般の米大統領選挙での売電推しは、SNSも参加したことでヒトラー当時のファシズムの宣伝以上のものと感じられる。また中国の集金平崇拝は、文化大革命当時を思わせるものがあるが、彼のグリップは毛沢東のそれに及ばないことから、毛沢東の死とほぼ同時に文化大革命が終息したが、今般はそれほど長持ちしないのではないか。見え隠れする四分裂。

 

軍拡を急速に進めるドイツは、1938年のオーストリア併合に際し、中途半端な宥和策をとる欧米に付け込んで、そのまま領土拡張を進めた。

一方経済規模拡大と並行して軍備増強する現代中国に対しまたも宥和的な政策をとる欧米に、第二次世界大戦時の対独宥和姿勢と似ていると見る識者も少なくはないのではないか。

 

さて、世界は自分であって、自分は世界であるというのは、神人合一した第六身体アートマン・レベルの実感である。ゆえに、世界戦争とか、外国による日本国侵略の予感があるのであれば、悲劇的予言に慄くよりは、まず自分が冥想により神に近づくことの方が先決である。

 

大本裏神業では、世界の宗教はどんどん滅んでいき、最後に残るのはキリスト教だが、それも・・・・・と出口王仁三郎は予言したそうだ。いまや他人の悟り、他人の宗教にすがってもどうにもならない。自分自らが神仏にアプローチし合一を目指さねばならない。

 

そういったことを前提にして、終戦後、出口王仁三郎は、「拝みたい者には、築山など作って拝ませたらよい」などと云っている。

 

裏神業といえば仰々しいが、それは個別の信者に対して、出口王仁三郎が授けたその信者専用のユニークな修行法と見た方がよいように思う。それと、再度の教団隆盛を果たして出口王仁三郎が裏神業の発展として念願していたのだろうか。

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天王台の審神

2023-02-28 16:31:10 | 古神道の手振りneo

◎守護神も含めた全人類の審神

(2015-11-23)

 

出口王仁三郎は、第二次大本事件が天王台の審神であるとし、これにより既に善と悪は立て分けられたと述べた。天王台の審神については詳述されていない。

 

天王台の審神とは、以下の神諭を見る限り、守護神も含めて全人類が審神されるビッグ・イベント。第二次大本事件は教団にとっての天王台の審神であったが、全人類に向けての審神ではあるまい。全人類一人一人が善玉か悪玉か判定されるのである。

 

これまでは、中有で寿命の到達した順番に審神していたのだろうが、天王台の審神では、全人類一斉審神があるようなイメージである。

 

『是でも見て居ざれよ、今に善悪の身魂の審判が始まるぞよ。天王台の神庭会議が始りたら、何如な守護神でも薩張尾を出して、化けの皮を表はすやうに成るぞよ。

 

そうなりては可愛想なから、其所に成るまでに改心をさして、化けを表はさずに此儘で続いて行らしたいと思へども、余りの事で改心の為せやうが無いぞよ。

 

思ひの違ふ人民斗りが現はれて、世界は開いた口が塞がらぬ事斗り出来するぞよ、是の判りた人民今に無いぞよ。』

(雑誌神霊界77号P13の神諭から引用)

 

更に出口王仁三郎は、第二次大本事件が霊界物語第28巻に書かれてあるとする。守護神も含めた審神が行われ、世の大峠を経れば、以下の序歌のように月光いよいよ世に出でる霊的文明の始まりとなる。

 

霊界物語第28巻序歌

『序歌

 

 月光いよいよ世に出でて  精神界の王国は

 東の国に開かれぬ  真理の太陽晃々と

 輝き渡り永遠に  尽きぬ生命の真清水は

 下津岩根に溢れつつ  慈愛の雨は降りそそぐ

 荘厳無比の光明は  世人の身魂を照らすべく

 現はれ坐せり人々よ  一日も早く目を覚ませ

 四方の国より聞え来る  誠の神の声を聞け

 霊の清水に渇く人  瑞の御魂に潤へよ。』

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出口王仁三郎の入蒙の評価

2023-02-21 12:46:14 | 古神道の手振りneo

◎日本大衆の深いレベルの情動動かす

(2015-10-09)

 

出口王仁三郎の霊界物語全81巻で、入蒙記は別巻とされ、特別な位置づけである。なぜそうなのか。理由がようやくわかった。

 

出口王仁三郎は、未決囚でありながら、裁判所の許可を得ないまま、合気道の開祖植芝盛平らを伴い国外の蒙古に飛び出し、蒙古を教化しながら数か月の布教の旅をしているところ、張作霖軍によって捕らえられ、パインタラにて、一行全員が刑場に引き出され、銃殺寸前まで行った。辞世の句まで詠んだ。

 

そこで幸運にも生還できるのだが、その強運故に別巻としたのではない。帰国後日本国内では、英雄が帰国したが如き大報道をされ、大いに歓呼された。その後99日間収監されたのではあるが。

 

出口王仁三郎は、パインタラで逮捕された時に、「大成功だ」と叫んだという(出典:新月の光(上巻)/木庭次守P139)。

 

これこそが、入蒙記が別格となっている理由。出口王仁三郎は、この冒険で日本において英雄として歓迎され、日本全土にその名をポジティブに伝播することに成功したのだ。イエスの十字架刑が世界席巻のきっかけとなったように。

 

この事件が、日本大衆の深いレベルの情動を彼に向かわしめたのだ。

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AKB48の遭難と出口王仁三郎入蒙

2023-02-21 12:39:40 | 古神道の手振りneo

◎よしや身は蒙古のあら野に朽つるとも日本男子の品は落さじ

(2014-05-26)

 

出口王仁三郎の霊界物語で「入蒙篇」は別巻の扱いであるが、ポスト出口王仁三郎時代を明示する重要な一巻である。

 

外面的には、今で言えば仮釈放中に当局の許可なくモンゴル旅行したのだが、その間に出口王仁三郎一行は銃殺寸前となり、辞世の歌まで詠んで、すんでのところで解放されたという冒険譚である。

 

大正13年2月12日出口王仁三郎は、大正10年2月12日に上弦の月と金星が空に輝いた時に教団の最初の大弾圧の第一次大本事件が起こったように、この日同じ現象が空に起こったのを見て、蒙古行きの決心を固め、翌日には蒙古に向けて綾部を発った。

 

2月12日は、かのダンテス・ダイジの誕生日であり、ポスト出口王仁三郎が彼であるリンクと見れる。

 

出口王仁三郎の一行には合気道開祖植芝盛平も加わっていたが、6月22日、日本人6名、中国人2名が一列に並ばされ、蒙古パインタラの町の銃殺場で機関銃を向けられたが、最初の発射で何故か銃の反動で射手が後ろに倒れたので、この日の銃殺は中止となった。

 

同日夕方から日本領事館が解放交渉にあたり、出口王仁三郎一行がパインタラを出られたのは、30日のことだった。

 

出口王仁三郎 蒙古パインタラの辞世。

『よしや身は蒙古のあら野に朽つるとも日本男子の品は落さじ』

 

『いざさらば天津御国にかけ上り日の本のみか世界を守らむ

 日の本を遠く離れて我は今蒙古の空に神となりなむ』

 

2014年5月25日岩手で遭難したAKB48の○○さんの誕生日が2月12日なので、思わずこのことを思い出した次第。怪我の速やかに回復することを祈ります。

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出口王仁三郎のモンゴル入り

2023-02-21 12:35:30 | 古神道の手振りneo

◎東亜の天地統一

(2014-03-25)

 

大正13年出口王仁三郎は、大正10年の第一次大本事件の衝撃冷めやらぬ中、仮釈放みたいな不安定な身分ながら、モンゴルに脱出した。

 

世間では、スタンドプレー好きの目立ちたがりの教祖が、辺境のパインタラで銃殺されそうになりながら天佑により無事帰国しただけのエピソードとして、出口王仁三郎のモンゴル縦走を見ている節がある。

出口王仁三郎と大本教を考える上で、ポイントと思われるのは、このモンゴル入りと、笹目秀和による教団のご神体の崑崙山中への返還である。

 

霊界物語は全120巻の構想だったが、結局81巻と付録の特別篇入蒙記で完成となった。全体が縮小されたにもかかわらず、モンゴル入りの部分は故意に注目を惹くように残されているのである。

 

モンゴル入りの目的は、モンゴルに精神方面の力で一大王国を築こうとすることだったとされる(霊界物語特別篇入蒙記 第四章 微燈の影)。

 

モンゴル入りに際して娘婿出口宇知麿への手紙では「東亜の天地を精神的に統一し、次に世界を統一する心算なり。事の成否は天の時なり。」(大本/伊藤栄蔵/講談社P161)と述べ、東亜の統一をまず目論んでいる。

 

韓国中国が連携して反日運動を盛り上げている今、東亜の統一など夢物語に見えるが、ポスト第二次大本事件構想では、日本の大峠の後は、日本はモンゴルで大きく展開するであろうことを出口王仁三郎は見ている。

 

出口王仁三郎は昭和10年の第二次大本事件での収監前夜、なんと教団のご神体を一介の青年に過ぎない笹目秀和に託し、崑崙山中に奉還することを依頼した。出口王仁三郎にとっては既にこの時点で、教団の使命は終わり、みろくの世の一歩を日本はモンゴルで踏むことが予想されているが如き発言が出口日出麿から出る。

 

曰く崑崙山行きは素尊(スサノオ)から出ていること。そして「やがて地球の裏表がひっくりかえるようなときがくると、大本神業の地場が崑崙山中に移らないとも限らないからね」(モンゴル神仙邂逅記/笹目秀和/徳間書店P215)と。

 

笹目氏は当時からモンゴル独立運動を支援してきた。

 

こうして見てみると、モンゴルは意外にも日本の21世紀における重要なパートナーになっていくかもしれないと思う。誰もそんなことは思っていないのだけれど。

 

パインタラでの銃殺直前の出口王仁三郎の辞世

「いざさらば 天津御国にかけ上がり 日の本のみか世界まもらん」

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天津神を降格す 国津神を昇格す

2023-01-28 06:37:16 | 古神道の手振りneo

◎主役が端役に、エキストラが主役に

◎フツーのまじめな人 野槌彦

(2014-04-20)

 

朝な夕なに天津祝詞を奏上する人は少なくないだろう。その中で天津神が必ず出て来る。

ところが、霊界物語では、大火によって地球全体を修祓、浄化を繰り返すのだが、その中で、この天津神全員を国津神に降格し、国津神の一部を天津神に昇格させる神事が顕れる。

 

地上天国、千年王国を現出させるプロセスには必ずこういう人事ならぬ神事がつきものだと思うが、霊界物語にはあまりにもあっさりと書かれていて、見逃しやすい。

 

ところがこの神事こそ、天と地の立替そのものなのである。

 

霊界物語の最も重要な最後の10巻が天祥地瑞。その後半部分には地上が火で洗われるイベントが繰り返し描かれ、地上天国を各地に拡大していく。この神事はこうした争乱騒擾の中での出来事だが、決定的なシーンである。

 

国津神から天津神に昇格したのは、フツーのまじめにやっている人である野槌彦だが、「とてもじゃないけど一人では、ご神業遂行できない」と追加で4柱の国津神を昇格させることを乞う。合計5柱でも少ないが、これまでのように一人の傑出したリーダーが指導するのでなく、アクアリアン・エイジ(宝瓶宮時代)として集団指導であることを示している。

 

霊界物語第78巻

『第一七章 天任地命

 

 茲に葦原の国土の守り神と生れませる葦原比女の神は、天体に現はれし月星の奇現象に三千年の天地の時到れることを、鋭敏なる頭脳より証覚し給ひ、大勇猛心を発揮して、天津神等を一柱も残さず地に降し、また地に潜みたる神魂の清き国津神を抜擢して、天津神の位置につらね、国土の政治一切を統括せしめ給ふ大英断に、朝香比女の神は感激し給ひ、諸神に向つて宣示的御歌を詠ませ給ふ。云々』

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吉岡発言

2023-01-25 17:00:21 | 古神道の手振りneo

◎神は(人に)持ちきりにさせない

(2013-01-21)

 

吉岡発言とは昭和20年12月、鳥取県吉岡温泉での出口王仁三郎談話で、重大なエポックとなるものである。

 

『新しい世をひらく

 

自分は支那事変前から第二次世界大戦の終わるまで、囚われの身となり、綾部の本部をはじめ全国四千にのぼった教会を、全部叩き壊されてしまった。しかし信徒は教義を信じつづけて来たので、すでに大本教は、再建せずして再建されている。ただこれまでのような大きな教会は、どこにもたてない考えだ。

 

治安維持法違反は無罪となったが、執行猶予となった不敬罪は実につまらぬことで、「御光は昔も今も変わらぬが、大内山にかかる黒雲」という、浜口内閣時代の暴政をうたったものを持ち出し、「これはお前が天皇になるつもりで、信者を煽動した不敬の歌だ」といい出し、「黒雲とは浜口内閣のことだ」といったが、どうしても通らなかった。

 

自分はただ全宇宙の統一和平を願うばかりだ。日本の今日あることはすでに幾回も予言したが、そのため弾圧をうけた。「火の雨が降るぞよ、火の雨が降るぞよ」のお告げも、実際となって日本は敗けた。

 

これからは神道の考え方が変わってくるだろう。国教としての神道がやかましくいわれているが、これは今までの解釈が間違っていたもので、民主主義でも神に変わりがあるわけはない。ただほんとうの存在を忘れ、自分の都合のよい神社を偶像化して、これを国民に無理に崇拝させたことが、日本を誤らせた。殊に日本の官国幣社の祭神が神様でなく、唯の人間を祀っていることが間違いの根本だった。

 

しかし大和民族は、絶対に亡びるものではない。日本敗戦の苦しみはこれからで、年毎に困難が加わり、寅年の昭和二十五年までは駄目だ。

 

いま日本は軍備はすっかりなくなったが、これは世界平和の先駆者として、尊い使命が含まれている、本当の世界平和は、全世界の軍備が撤廃したときにはじめて実現され、いまその時代が近づきつつある。』

(大阪朝日新聞昭和20年12月30日付)

 

「火の雨が降るぞよ」も、実は型出しに過ぎなかったことは、実は後に明かされている。

 

「官国幣社の祭神が神様でなく唯の人間だったこと」は、いろいろと差し障りがあるせいか、世間できちんと評価されてはいない。私はクンダリーニ・ヨーギではないので、その辺のパワー・バランスのことはよくわからないが、そういう神社が広く国民の崇敬を受けるようなことがあれば、反作用は、ろくなことにならないだろうことは察しがつく。

そういうのは神道だけのことでもないし。

 

何が正しくて何が邪かわからない人ばかりの国を、「神は、(人に)持ちきりにさせない」ということなのだろう。

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立替立直しと霊界物語の余白歌

2023-01-25 16:43:31 | 古神道の手振りneo

◎立替の経綸の奥は沢あれど 人に言はれぬ事の多かり

(2021-03-13)

 

肥田春充ばかり読んでいると、パワー系、マッスル系の根源が丹田であるかのように思えるが、出口王仁三郎説では、鎮魂においては、令義解に「離遊の運魂を招きて身体の中府に鎮む」とあるように冥想のrootでもある。更に言霊では、言霊を息吹くのは臍下丹田からであり、神人合一して現界霊界に活躍する根幹でもある。

 

霊界物語の余白歌は、あまりにも分かりやす過ぎるがゆえに、出口王仁三郎が、まとめての出版を嫌っていた。だが、何だか今は余白歌集まで出ている。出口王仁三郎没後は霊界物語があまり読まれぬ時代があったので、余白歌も当然に読まれなかった時代が長かったのだろう。

 

立替立直しを教義の軸に据えるというのは、この世の終わりが明日にでも来るように唱えるということで、イエスの幻視もそういうところがある(世の終わりには云々)。教団への弾圧が予見されていても、立替立直しという広汎な文明破壊が見えていても、それでも自らの行うべきことを行い続けるというのは、誠に丹田ができていなければできないのではないかと思う。

 

余白歌は、その篇の内容を神の立場から評価しているものばかりであって、人間の立場から解釈すると誤解する。

 

逆立ちした人間とは神の立場から見ているということだが、それは必ずしも人間にとって都合のよいことばかりではない。人に言はれぬ事の多かり、なのだ。

 

 

以下霊界物語第七巻の余白歌から

『国所家々(くにところいえいいえ)のみか人草の

    心の内も立替ゆるなり

〈第6章〉

 

月の光昔も今も変らねど

    遙(はろ)の高峰(たかね)にかかる黒雲

〈第7章〉

 

高山の嵐は如何に強くとも

    渓間(たにま)の木草倒されもせず

〈第7章〉

 

世を救ふ神は渓間に現はれて

    深き心の経綸(しぐみ)を遂げつつ

〈第7章〉

 

世の人に普(あまねく)く好かれ世の人に

    またそねまれむ神の宮居は

〈第12章〉

 

海津見(わだつみ)の深きに潜む曲神も

    浮びて神代を讃美なすらむ

〈第14章(校)〉

 

久方の天津空より鳴き渡る

    鳥の叫びに眼を覚ますべし

〈第17章(校)〉

 

世の元の神の心は急ぐらむ

    立替の日も迫り来れば

〈第17章〉

 

神は世に出る道つけて出でませり

    誰も此の道安く歩めよ

〈第17章〉

 

立替の経綸の奥は沢あれど

    人に言はれぬ事の多かり

〈第17章〉

 

身も魂も月日の神の与へたる

    賜物なればおろそかにすな

〈第19章(三)〉

 

この度のふかきしぐみは惟神(かむながら)

    ただ一息も人ごころなし

〈第20章〉

 

天の時今や到りて諸々の

    罪に満ちたるものは亡びむ

〈第20章(校)〉

 

久方の天の鳥船かずの限り

    舞ひつ狂ひつ神代は到らむ

〈第21章(校)〉

 

あら鷲は爪研ぎ澄まし葦原の

    国の御空に世を窺がへり

〈第21章(校)〉

 

常磐木の弥栄えゆく足御代(たるみよ)を

    神の心は松ばかりなり

〈第23章〉

 

神人(かみびと)の夢にも知らぬ立替は

    生ける昔の神の勲功(いさおし)

〈第23章〉

 

この度の世の改めは万世(よろづよ)に

    ただ一度(ひとたび)の経綸(しぐみ)なりけり

〈第23章〉

 

常暗(とこやみ)の世を照らさむと東(ひむがし)の

    空より落つる火弾のかずかず

〈第23章(校)〉

 

驚きて逃げ惑ひつつ諸人は

    神知らざりし愚をかこつらむ

〈第23章(校)〉

 

葦原の瑞穂の国は世界なり

    中津御国は日の本の国

〈第28章〉

 

天地(あめつち)の神の稜威(みいづ)は現はれて

    上下睦(かみしもむつぶ)ぶ神代となるらむ

〈第28章〉

 

日の本の国に幸(さち)はふ言霊(ことたま)の

    稜威に亡ぶ百(もも)の曲神(まがかみ)

〈第31章〉』

 

このように結構な内容な予言歌が続々と並んでいる。

聖徳太子未来記を読んでモンゴル遠征に出発し、ごくわずかな人数しか生還できなかった出口王仁三郎。

終戦後の最晩年に吉岡発言で今後のリアルな見通しを述べた出口王仁三郎。

生涯に六度死に、その都度神人合一を果たしたであろう出口王仁三郎。

27歳、高熊山での1週間の水も飲まない断食での修行で世の終わりと新時代を幻視し、見たビジョンが出口ナオと合致したので、共同戦線を張った出口王仁三郎。

 

この余白歌にあるように、最後まで渓間での活動を強いられる。それでも神人合一が世人(よびと)の目標。

 

最後はまた米軍の火弾ですかね。

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