アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

出口王仁三郎のモンゴル入り

2023-02-21 12:35:30 | 古神道の手振りneo

◎東亜の天地統一

(2014-03-25)

 

大正13年出口王仁三郎は、大正10年の第一次大本事件の衝撃冷めやらぬ中、仮釈放みたいな不安定な身分ながら、モンゴルに脱出した。

 

世間では、スタンドプレー好きの目立ちたがりの教祖が、辺境のパインタラで銃殺されそうになりながら天佑により無事帰国しただけのエピソードとして、出口王仁三郎のモンゴル縦走を見ている節がある。

出口王仁三郎と大本教を考える上で、ポイントと思われるのは、このモンゴル入りと、笹目秀和による教団のご神体の崑崙山中への返還である。

 

霊界物語は全120巻の構想だったが、結局81巻と付録の特別篇入蒙記で完成となった。全体が縮小されたにもかかわらず、モンゴル入りの部分は故意に注目を惹くように残されているのである。

 

モンゴル入りの目的は、モンゴルに精神方面の力で一大王国を築こうとすることだったとされる(霊界物語特別篇入蒙記 第四章 微燈の影)。

 

モンゴル入りに際して娘婿出口宇知麿への手紙では「東亜の天地を精神的に統一し、次に世界を統一する心算なり。事の成否は天の時なり。」(大本/伊藤栄蔵/講談社P161)と述べ、東亜の統一をまず目論んでいる。

 

韓国中国が連携して反日運動を盛り上げている今、東亜の統一など夢物語に見えるが、ポスト第二次大本事件構想では、日本の大峠の後は、日本はモンゴルで大きく展開するであろうことを出口王仁三郎は見ている。

 

出口王仁三郎は昭和10年の第二次大本事件での収監前夜、なんと教団のご神体を一介の青年に過ぎない笹目秀和に託し、崑崙山中に奉還することを依頼した。出口王仁三郎にとっては既にこの時点で、教団の使命は終わり、みろくの世の一歩を日本はモンゴルで踏むことが予想されているが如き発言が出口日出麿から出る。

 

曰く崑崙山行きは素尊(スサノオ)から出ていること。そして「やがて地球の裏表がひっくりかえるようなときがくると、大本神業の地場が崑崙山中に移らないとも限らないからね」(モンゴル神仙邂逅記/笹目秀和/徳間書店P215)と。

 

笹目氏は当時からモンゴル独立運動を支援してきた。

 

こうして見てみると、モンゴルは意外にも日本の21世紀における重要なパートナーになっていくかもしれないと思う。誰もそんなことは思っていないのだけれど。

 

パインタラでの銃殺直前の出口王仁三郎の辞世

「いざさらば 天津御国にかけ上がり 日の本のみか世界まもらん」

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天津神を降格す 国津神を昇格す

2023-01-28 06:37:16 | 古神道の手振りneo

◎主役が端役に、エキストラが主役に

◎フツーのまじめな人 野槌彦

(2014-04-20)

 

朝な夕なに天津祝詞を奏上する人は少なくないだろう。その中で天津神が必ず出て来る。

ところが、霊界物語では、大火によって地球全体を修祓、浄化を繰り返すのだが、その中で、この天津神全員を国津神に降格し、国津神の一部を天津神に昇格させる神事が顕れる。

 

地上天国、千年王国を現出させるプロセスには必ずこういう人事ならぬ神事がつきものだと思うが、霊界物語にはあまりにもあっさりと書かれていて、見逃しやすい。

 

ところがこの神事こそ、天と地の立替そのものなのである。

 

霊界物語の最も重要な最後の10巻が天祥地瑞。その後半部分には地上が火で洗われるイベントが繰り返し描かれ、地上天国を各地に拡大していく。この神事はこうした争乱騒擾の中での出来事だが、決定的なシーンである。

 

国津神から天津神に昇格したのは、フツーのまじめにやっている人である野槌彦だが、「とてもじゃないけど一人では、ご神業遂行できない」と追加で4柱の国津神を昇格させることを乞う。合計5柱でも少ないが、これまでのように一人の傑出したリーダーが指導するのでなく、アクアリアン・エイジ(宝瓶宮時代)として集団指導であることを示している。

 

霊界物語第78巻

『第一七章 天任地命

 

 茲に葦原の国土の守り神と生れませる葦原比女の神は、天体に現はれし月星の奇現象に三千年の天地の時到れることを、鋭敏なる頭脳より証覚し給ひ、大勇猛心を発揮して、天津神等を一柱も残さず地に降し、また地に潜みたる神魂の清き国津神を抜擢して、天津神の位置につらね、国土の政治一切を統括せしめ給ふ大英断に、朝香比女の神は感激し給ひ、諸神に向つて宣示的御歌を詠ませ給ふ。云々』

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吉岡発言

2023-01-25 17:00:21 | 古神道の手振りneo

◎神は(人に)持ちきりにさせない

(2013-01-21)

 

吉岡発言とは昭和20年12月、鳥取県吉岡温泉での出口王仁三郎談話で、重大なエポックとなるものである。

 

『新しい世をひらく

 

自分は支那事変前から第二次世界大戦の終わるまで、囚われの身となり、綾部の本部をはじめ全国四千にのぼった教会を、全部叩き壊されてしまった。しかし信徒は教義を信じつづけて来たので、すでに大本教は、再建せずして再建されている。ただこれまでのような大きな教会は、どこにもたてない考えだ。

 

治安維持法違反は無罪となったが、執行猶予となった不敬罪は実につまらぬことで、「御光は昔も今も変わらぬが、大内山にかかる黒雲」という、浜口内閣時代の暴政をうたったものを持ち出し、「これはお前が天皇になるつもりで、信者を煽動した不敬の歌だ」といい出し、「黒雲とは浜口内閣のことだ」といったが、どうしても通らなかった。

 

自分はただ全宇宙の統一和平を願うばかりだ。日本の今日あることはすでに幾回も予言したが、そのため弾圧をうけた。「火の雨が降るぞよ、火の雨が降るぞよ」のお告げも、実際となって日本は敗けた。

 

これからは神道の考え方が変わってくるだろう。国教としての神道がやかましくいわれているが、これは今までの解釈が間違っていたもので、民主主義でも神に変わりがあるわけはない。ただほんとうの存在を忘れ、自分の都合のよい神社を偶像化して、これを国民に無理に崇拝させたことが、日本を誤らせた。殊に日本の官国幣社の祭神が神様でなく、唯の人間を祀っていることが間違いの根本だった。

 

しかし大和民族は、絶対に亡びるものではない。日本敗戦の苦しみはこれからで、年毎に困難が加わり、寅年の昭和二十五年までは駄目だ。

 

いま日本は軍備はすっかりなくなったが、これは世界平和の先駆者として、尊い使命が含まれている、本当の世界平和は、全世界の軍備が撤廃したときにはじめて実現され、いまその時代が近づきつつある。』

(大阪朝日新聞昭和20年12月30日付)

 

「火の雨が降るぞよ」も、実は型出しに過ぎなかったことは、実は後に明かされている。

 

「官国幣社の祭神が神様でなく唯の人間だったこと」は、いろいろと差し障りがあるせいか、世間できちんと評価されてはいない。私はクンダリーニ・ヨーギではないので、その辺のパワー・バランスのことはよくわからないが、そういう神社が広く国民の崇敬を受けるようなことがあれば、反作用は、ろくなことにならないだろうことは察しがつく。

そういうのは神道だけのことでもないし。

 

何が正しくて何が邪かわからない人ばかりの国を、「神は、(人に)持ちきりにさせない」ということなのだろう。

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立替立直しと霊界物語の余白歌

2023-01-25 16:43:31 | 古神道の手振りneo

◎立替の経綸の奥は沢あれど 人に言はれぬ事の多かり

(2021-03-13)

 

肥田春充ばかり読んでいると、パワー系、マッスル系の根源が丹田であるかのように思えるが、出口王仁三郎説では、鎮魂においては、令義解に「離遊の運魂を招きて身体の中府に鎮む」とあるように冥想のrootでもある。更に言霊では、言霊を息吹くのは臍下丹田からであり、神人合一して現界霊界に活躍する根幹でもある。

 

霊界物語の余白歌は、あまりにも分かりやす過ぎるがゆえに、出口王仁三郎が、まとめての出版を嫌っていた。だが、何だか今は余白歌集まで出ている。出口王仁三郎没後は霊界物語があまり読まれぬ時代があったので、余白歌も当然に読まれなかった時代が長かったのだろう。

 

立替立直しを教義の軸に据えるというのは、この世の終わりが明日にでも来るように唱えるということで、イエスの幻視もそういうところがある(世の終わりには云々)。教団への弾圧が予見されていても、立替立直しという広汎な文明破壊が見えていても、それでも自らの行うべきことを行い続けるというのは、誠に丹田ができていなければできないのではないかと思う。

 

余白歌は、その篇の内容を神の立場から評価しているものばかりであって、人間の立場から解釈すると誤解する。

 

逆立ちした人間とは神の立場から見ているということだが、それは必ずしも人間にとって都合のよいことばかりではない。人に言はれぬ事の多かり、なのだ。

 

 

以下霊界物語第七巻の余白歌から

『国所家々(くにところいえいいえ)のみか人草の

    心の内も立替ゆるなり

〈第6章〉

 

月の光昔も今も変らねど

    遙(はろ)の高峰(たかね)にかかる黒雲

〈第7章〉

 

高山の嵐は如何に強くとも

    渓間(たにま)の木草倒されもせず

〈第7章〉

 

世を救ふ神は渓間に現はれて

    深き心の経綸(しぐみ)を遂げつつ

〈第7章〉

 

世の人に普(あまねく)く好かれ世の人に

    またそねまれむ神の宮居は

〈第12章〉

 

海津見(わだつみ)の深きに潜む曲神も

    浮びて神代を讃美なすらむ

〈第14章(校)〉

 

久方の天津空より鳴き渡る

    鳥の叫びに眼を覚ますべし

〈第17章(校)〉

 

世の元の神の心は急ぐらむ

    立替の日も迫り来れば

〈第17章〉

 

神は世に出る道つけて出でませり

    誰も此の道安く歩めよ

〈第17章〉

 

立替の経綸の奥は沢あれど

    人に言はれぬ事の多かり

〈第17章〉

 

身も魂も月日の神の与へたる

    賜物なればおろそかにすな

〈第19章(三)〉

 

この度のふかきしぐみは惟神(かむながら)

    ただ一息も人ごころなし

〈第20章〉

 

天の時今や到りて諸々の

    罪に満ちたるものは亡びむ

〈第20章(校)〉

 

久方の天の鳥船かずの限り

    舞ひつ狂ひつ神代は到らむ

〈第21章(校)〉

 

あら鷲は爪研ぎ澄まし葦原の

    国の御空に世を窺がへり

〈第21章(校)〉

 

常磐木の弥栄えゆく足御代(たるみよ)を

    神の心は松ばかりなり

〈第23章〉

 

神人(かみびと)の夢にも知らぬ立替は

    生ける昔の神の勲功(いさおし)

〈第23章〉

 

この度の世の改めは万世(よろづよ)に

    ただ一度(ひとたび)の経綸(しぐみ)なりけり

〈第23章〉

 

常暗(とこやみ)の世を照らさむと東(ひむがし)の

    空より落つる火弾のかずかず

〈第23章(校)〉

 

驚きて逃げ惑ひつつ諸人は

    神知らざりし愚をかこつらむ

〈第23章(校)〉

 

葦原の瑞穂の国は世界なり

    中津御国は日の本の国

〈第28章〉

 

天地(あめつち)の神の稜威(みいづ)は現はれて

    上下睦(かみしもむつぶ)ぶ神代となるらむ

〈第28章〉

 

日の本の国に幸(さち)はふ言霊(ことたま)の

    稜威に亡ぶ百(もも)の曲神(まがかみ)

〈第31章〉』

 

このように結構な内容な予言歌が続々と並んでいる。

聖徳太子未来記を読んでモンゴル遠征に出発し、ごくわずかな人数しか生還できなかった出口王仁三郎。

終戦後の最晩年に吉岡発言で今後のリアルな見通しを述べた出口王仁三郎。

生涯に六度死に、その都度神人合一を果たしたであろう出口王仁三郎。

27歳、高熊山での1週間の水も飲まない断食での修行で世の終わりと新時代を幻視し、見たビジョンが出口ナオと合致したので、共同戦線を張った出口王仁三郎。

 

この余白歌にあるように、最後まで渓間での活動を強いられる。それでも神人合一が世人(よびと)の目標。

 

最後はまた米軍の火弾ですかね。

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ノアとナオとの方舟(別名目無堅間船)

2023-01-25 16:37:12 | 古神道の手振りneo

◎神様は更に公然と世間の人民に予告は為さらぬ

(2021-05-15)

 

海幸彦、山幸彦で、現代日本をみろくの世に渡してくれるのは、意識の極限状況を無事に通過させてくれる『目無堅間の船』であると知った。

 

パニック映画でよく出てくるように、善人も悪人も取り混ぜて巨大宇宙船兼潜水艦みたいな母船に動物ともども乗り組んで、天変地異をやり過ごす。

そして天変地異が終わったら、方舟に乗り組んだ善人悪人取り混ぜて、今みたいな科学の発達した地獄的時代を再建にかかるというのは、どうも違うのではないか。

 

ヨハネの黙示録21章では、

『第21章

わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。

 

また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。

 

(中略)

 

わたしは、この都の中には聖所を見なかった。(中略) 汚れた者や、忌むべきこと及び偽りを行う者は、その中に決してはいれない。はいれる者は、小羊のいのちの書に名をしるされている者だけである。』

宗教のない時代が到来するが、その理由は万人が神を知っているからである。

 

さて全人類を千年王国に渡してくれるノアとナオとの方舟(別名目無堅間船)。最後の審判、立替立直しにおいて、ノアは破壊(修祓)、ナオは再建(復興)なので、ノアとナオとが揃わないと方舟にはならない。

 

ノアだけだと、パンミックやら、飢餓やら、核戦争やらで、地上は荒れ果て人口は激減し、技術文明はほとんど喪失するだけとなる。ナオがあってはじめて、人口が激減し「さびしく」なった新時代の初めに復興の萌芽を残すことができる。万人が神を知ってナオ。

※暑さ凌いで秋吹く風を待てど、世界は淋しくなるぞよ(伊都能売神諭)

 

以下は、『出口王仁三郎全集第5巻随筆(一)ノアの洪水と方舟』から引用。

『ノアの神勅を受けて大なる方舟を造り、世界の大洪水来ることを予言し、万民を救はむとした。然れども其時代の人は一人も信じなかつたのみならず、愚弄軽侮し、其方舟を見て散々に嘲笑したのである。(方舟とは神の誠の救ひの教の意也)

 

段々大洪水の日は近づけども、多くの人民は益々放逸、強情、無頓着、破廉恥漢ばかりで、日増しに罪を重ねるばかりであつた。今日の社会は恰もノアの方舟建造当時と少しも変らぬのである。不信悪行、利己の濁流は、天地に漲つて居るのである。

 

今日は最早山麓まで浸水して居るなれど、ノアとナオとの方舟(一名目無堅間船)に乗る事を知らぬ盲目や聾者ばかりである。

 

 天地の元の御先祖なる生神は、至仁至愛に坐ますが故に、世界の人民を一人でも多く救ひたいと思召し、先にはノアの方舟を造りて世人に警告せられ、今又茲に大神は下津磐根の地の高天原に出現して、明治二十五年の正月から、変性男子の御魂の宿り給ふ神政開祖、出口直日主命の手と口を以て前後二十七年間、懇切に世人に向つて日夜警告を与へ給うたのである。

 

然れど今も古も人の心は同じく、邪悪に充ち頑迷にして天来の福音を聞かず、神の救助船を見て散々に嘲笑する者ばかりで、神様も今の世界の人民には改心の為せ様がないので、誠に困つて居られるのである。

 

どうしても改心が出来ねば、已むを得ず大修祓が執行されるより外に途は無いのである。実に今の人民くらゐ暗愚にして頑固な不正直な、身勝手な者は無いのであるから、吾人は世界の前途を案じて心配するのである。

 

神界から堪忍袋の緒を切らして、弥々最後の日が来るにしても、神様は更に公然と世間の人民に予告は為さらぬ。』

 

マスコミも政府も予告などしない。

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古事記をいつ書くか

2023-01-25 16:29:43 | 古神道の手振りneo

◎今再びの中国の日本占領の企てが見える

(2021-05-13)

 

たまにはSLも走る秩父鉄道に乗ると、和銅黒谷という駅があり、ホーム真ん中に直径2メートルはあろうかと思われる巨大和同開珎のレプリカに驚かされる。このレプリカは最近新しくなった。

 

和同開珎は、708年、古事記は、712年成立。

日本一国の伝統文化が唐様になっていくには、まず中国による軍事占領の如きものがあって何十年か経ってほぼ完成する。

 

621年 日本への中国文化移入を推進した聖徳太子没

645年 乙巳の変(蘇我入鹿暗殺)

646年 大化の改新

660年 百済滅亡

663年 白村江の戦いで大敗し、日本は事実上唐に軍事支配を受ける。 

666年 高句麗滅亡。王族の王若光らが武蔵国に亡命移住?

671年 唐国の使人郭務悰等2千人の唐兵や百済人が日本に上陸。

671年 天智天皇崩御

672年 壬申の乱

673年 天武天皇即位

681年 稗田阿礼に帝皇日継と先代旧辞(帝紀と旧辞)を詠み習わせた。後に筆録されて『古事記』となる

686年 天武天皇崩御

708年 和同開珎

712年 古事記

 

こんな具合で、唐の文化的影響が深刻化する中で、文化遺産としての“古神道”を保持する目的で古事記が編纂されたのであろう。

要するに古神道が滅亡の危機に瀕したので、古事記が編纂されたのだ。

 

同様の流れは、アトランティス滅亡前夜にもあった。一万二千年後の現代に向けて、エジプト、ギリシア、中米、北欧、日本などに向けて、アトランティス文明の精神科学の精華を携えた伝道グループが散って行った。

 

そして彼らが、それぞれの地で、旧約聖書、北欧神話、オリジナル古事記、マヤ神話など、古伝承、神話などの形でアトランティス当時のあるいはそれを上回る精神文明の開花が、フロリダ沖にアトランティス大陸が再浮上することを合図に、現代において起こるだろうことを予言したということ。

 

この文明には神の息吹をダイレクトに感じられる象徴は多くはないが、一般に滅亡と喪失が眼前に迫ると、文明の精華を次代へ残そうとする動きが出る。切羽詰まらないとやる気にならない、非人間的な悪夢が現実化し始めないと改心しないのは、人間の常とは言え、何生も輪廻転生を繰り返してきた人間なら、教訓を学んでいるはずではある。

 

そして今再びの中国の日本占領の企てが見えている聖徳太子未来記。

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海幸彦と山幸彦

2023-01-25 15:41:05 | 古神道の手振りneo

◎無間勝間(めなしかたま)の神船

(2021-05-14)

 

海幸彦と山幸彦は古事記に出ていて、いじわるな兄海幸彦を真面目な山幸彦が見返すという物語。

 

ところが出口王仁三郎の講演録によれば、

海幸彦は外国、山幸彦は日本。海幸彦は、針に餌をつけ騙した魚を取るやや卑怯なやり方。山幸彦は弓矢なので心技一体とならねば獲物を取れない大和魂。

山幸彦は、海幸彦から借りた釣り針で釣りをしたが、さっぱりの結果で、釣り針まで落としてしまった。そこで、代わりの針を千個も作ったが、海幸彦はこれは貸した針ではないとして受け取らない。

 

苦悩している山幸彦のところに塩椎(しおつち)翁がやってきて、無間勝間(めなしかたま)の船をつくり、それに山幸彦を乗せて竜宮に送り込んだ。

 

無間勝間(めなしかたま)の船とは、衆生済度のことであり、神様の教えのこと。

 

古事記では、山幸彦は竜宮で妻子を得て、なくした針も見つけて、3年後に地上に戻り、針を海幸彦に返すと同時に呪いによる報復もする。

 

これは、明治維新以来、150年脱亜入欧を行ってきたが、これはつまり『三年間竜宮なる外国留学から帰国』したということで、この頃ようやく日本国にメナシカタマの船なる日本古来の宗教たる皇道が現れてきた。そして最後は、山幸彦が万国を平定されるということ。

 

目無堅間の神船は、大本神諭などにも出てくるが、大悟覚醒した聖者塩椎翁が日本に出現し、目無堅間なる冥想の奥義を招来するということだろう。

 

出口王仁三郎は、古事記上巻は、みろくの世到来前に必ず実現するイベントであり、海幸彦と山幸彦の段もそうだと太鼓判を押している。

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ひらがなの意味

2023-01-21 20:08:04 | 古神道の手振りneo

◎世界創造の道具

(2009-03-16)

 

世の中には姓名判断のようなものがあるが、その原理には、画数の数字の部分と音の部分があり、仮名48音のそれぞれの意味がある。その説明がどこに由来するものか不思議に思っていたが、これは出口王仁三郎が太鼓判を押しているものなので、信用できるものと思う。

 

霊界物語では、いろは歌は空海の創作ではなく、霊界最奥の太元顕津男の神の言霊から出てきた神歌とする。48音は、世界創造の具材であるが、罪けがれのある世界のものだから、クンダリーニ・ヨーガ的世界観のものであることがわかる。

 

ネガティブな意味を充てている字は少ない。

【ゐ】は快感の極度に達したる時の意也とは、ニルヴァーナの謂いだろうか。

【て】には、暗夜への言及がある。【あ】も光。

いずれにしても世界に鳴り鳴りて響きわたる父音、母音を聞くような集合的無意識にあって聞こえる言霊のことだろう。

 

たとえば麻生太郎の「たろう」なら、

【た】は円満具足の意也。

【ろ】は水と火の固まりて水火となり、

【う】は潤ひの意、又天消地滅的場合に発す言霊也。

となり、大体がポジティブな意味が配当されているが、自分の名前で見てみるとそれなりに思い当たることがあるもの。

 

 

【い】は水と火の並びたる象徴也、右は水、左は火。

【ろ】は水と火の固まりて水火となり、宇宙に開く言霊を、【は】といふ。

言霊宇宙に開きて前後左右に活用く象は、【に】也。

此の活動によりて一つのヽ現はる、即ち、【ほ】の言霊也。

【ほ】は次第に高く昇り膨れ拡がる態を、【へ】といふ。

【と】の言霊は水火の完成したる言霊也。

水火完成して宇宙に滋味を生ず、之を【ち】といふ。【ち】は子を育つる母乳の意也。又万物発生の経綸場たる大地の意也。

 

【り】の言霊は女男二神水火を合せて並び立たせる言霊也。

【ぬ】の言霊は互に和らぎ寝み温かき心を以て神業に尽す水火の象也。

【る】は夫婦の道又は天界の総ての定まりし言霊也。

【を】は心也。

 

【わ】は和らぎ睦み御子を生み給ふ態を言ふ也。

【か】は抱へ合ひ、輝き合ふ意にして、俗言に嬶といふも此の言霊の意也。

【よ】は夫婦二神世帯を持てる象也。

【た】は円満具足の意也。

【れ】は夫唱婦随の意也。

【そ】は上下四方揃ふ意也。左右の指の五本と五本と合せて拍手せし態也。

 

【つ】は永久に続く意にして世人のいふ玉椿の八千代までといふも同じ。

【ね】は懇にして夫婦同衾の意也。

【な】は二人並ばし寝給ふ象也。

【ら】は左旋右旋の意にして婚ぎの時の態をいふ。

【む】は蒸し蒸して生し蒸生し息子娘を生むの意也。

 

【う】は潤ひの意、又天消地滅的場合に発す言霊也。

【ゐ】は快感の極度に達したる時の意也。

【の】は一物より迸る水気の意也。

【お】は穏かに修まりし心。

【く】は夫婦組合ひたる象。

【や】は弥益々の意。

【ま】は誠の心を以ちて幾万年も夫婦の道を守らむとの意也。

 

【け】は身の汚れの意也。

【ふ】は吹払ふ言霊にして男女の汚れを吹き払ふの意也。

【こ】は子にして、

【え】は胞衣也。

【て】は照り輝く意にして、暗夜の神業も終局の時火を照す意味也。

 

【あ】は暗室に点じたる火によりて一切のもの現れる意也。

【さ】は避くる意にして男神は女神の面を見る事を避け、又女神は男神の面を見る事を恥らひ避くる事の意也。

【き】は気の高ぶりて心いそいそする意也。

【ゆ】は豊かの意にして仲の好くなりし言霊。

【め】は木の芽を吹き出す如く御子の種宿り始めたる意。

【み】は弥々胎児となりし言霊也。

【し】はしつくりの意にして、茲に愈夫婦らしく初めて落ち着けるの言霊也。

 

【ゑ】は歓ぎ喜ぶ意にして、御子の生れたるを見て互に笑み栄えるの言霊也。

【ひ】は日子日女の意也。

【も】は催合ふ意にして、一家和合の言霊也。

【せ】は川の瀬の意にして、夫婦の仲に一点の邪曲もなく清らかなる態の言霊也。

【す】はいよいよ澄みきりて親子睦じく世に住む言霊也。』

(霊界物語73巻より引用)

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伯家神道の予言

2023-01-07 06:38:35 | 古神道の手振りneo

◎国体は滅亡するのか

 

伯家神道は、代々白川伯王家に伝えられていた宮中の神事を司る神道で、明治初期に途絶えた。同時に伯家神道が伝えていた宮中の神事も途絶した。

 

これは、明治5年(1872年)に皇室祭祀が、白川家から宮内省式部寮に引き継がれたことを指すのだろう。

 

さて伯家神道には、予言があって神事を伝えられない天皇の世が百年続くと日本の国体が滅亡するというのがある。(出典:超常現象大辞典/羽仁礼/成甲書房P265)

 

百年の計算始期を1872年にとれば、1972年は百年目。

あるいは、計算始期を大正天皇即位の1912年にとれば、2012年が百年目。

 

こういう年代計算はずれるものだが、そもそも国体が滅亡するのかどうか。

 

エドガー・ケーシー以来、日本沈没を幻視する人はちらほら見かける。そもそも予言というのは、予言した時代の集合的無意識=霊界の状態から将来を敷衍したものであって、現状が変化すれば未来も当然に変化する。

 

また幻視する人間が天上を幻視する場合、地獄を幻視する場合、この世を幻視する場合に分かれるので、彼がどれを見ているかというのも、見分けるポイント。これには審神者が必要となる。

 

百年後であった1970年代、世界のメジャー覚者であったクリシュナムルティとOSHOバグワンは、日本人の集合的無意識=霊的状態が良くないため、日本来日を忌避して終わった。一方ダンテス・ダイジはその不調な日本で布教の胎動を見せていた時期。

 

国体が滅亡するかどうかは、我々日本人自身が無意識に承知していることで、他人に問うて知ることではあるまい。多数の亡国の相があるが、最後の一厘の逆転シナリオもある。

 

今時代の帰趨は少数の覚者ではなく、多数の覚者でない大衆が鍵を握る。王家の秘伝はいつか途絶えるが、途絶えたもののうち縁あるものは再興する可能性がある。伊勢神宮が荒廃していた時期にその祭祀の本義を細々と伝承した中心人物は、神道家でなく、仏教の比丘尼であったように、こうしたものは古神道独力でなく、オールジャパンで、切羽詰まらないと興らないのだろうと思う。

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冥加

2023-01-07 06:35:46 | 古神道の手振りneo

◎神々の大恩に対して感謝

 

冥加というのは、もともとは、気がつかないうちに授かっている神仏の加護・恩恵のことで、また、思いがけない幸せのことも言う。

 

現代人は、「おかげさまで」と答えることがあるが、それが冥加の名残。冥加を感じ取る感性が一つのカギである。

 

出口王仁三郎の随筆「謝恩の生活」から

『天の不平は豪雨を降らして大洪水となし、風の不平は嵐を起して総てを破壊し、地の不平は地震を起して以て乾坤を震動せしむる様に思はれる。

 

人間の不平は千様万態であるが、先づ生活問題から起るのが多い様だ。この不平を解する唯一の方法は、報恩謝徳の意義を了解するにある。

 

仏教では、万象は皆仏陀であると云ひ、大本では宇宙に於ける霊力体一切の万有は、神の本体であると説く。然り我等が極暑と闘つた後の一滴の水は、如何に多大なる感謝の念を与へるか、風も草も木も総て吾人に幸福を与へて居る。

 

米一粒が八十八回の労力を要して始めて人間の口に入る事に、思ひをいたす時は、吾人は四囲の総てに対して感謝せねばならぬ。報恩の念は吾人に幸福な人生の温情を教へて呉れる。一個の日用品を買ふものは其品物にて便宜を得る、売主は代価の金で自己の慾望を満足する事が出来、製造人は労銀にて自己生活の必需品を求むる事が出来るのだ。然りとするならば以上の三者は何れも対者に対して感謝せねばならぬ事になる。

 

 近時矢釜敷い労働問題にしても然りである。経営者は天然と労働者に対して感謝すべく、労働者に対しても相当に利益の分配をなすべきは、当然であると同時に、天然否、神々の徳に対して感謝すべきである。

 

又労働者は、経営者があつてこそ自己が生活し得る事を知つて、唯自己の腕力万能心に囚はれず、そこに感謝の意を表すべきものである。此の如くにして、両者が互に諒解し、始めて不平不満を去り、温かい生存を続くる事が出来る。然るに現代には感謝報恩の念慮なき、利益一点張りの人間がままあるのは歎かはしい。

 

兵庫あたりの某紡績工場の近隣に、火災が起つた時に、多大の綿花が倉庫に在つたので職工連が万一を気遣つてどんどんと他所へ運び出して居た。そこへ幹部の役員が出て来て、此の状を見るなり、火の如うになつて叱りつけた。

 

そして「此の綿花には十万円の保険がつけてあるから、他へ運ぶ必要は無い、焼けても原価に該当するだけの保険金が取れる、運搬すればそれだけの労銀が要る、いらぬ世話を焼くな」といつたとの事であるが此役員どもは、どうして綿花が出来たかといふ事を知らぬ冥加知らずである。

 

そして多数者の労力を反故にするものである。代償の金さへあれば、社会の損失を知らぬ、利己主義の人間である。猶この綿花を焼失したなら、多くの人々が、寒さを防ぐ衣類が、出来なくなると云ふ社会の人の幸福を、度外視したる悪魔の所為である。

 

滔々たる天下、殆んど是に類する人々の多きは、浩歎すべきである。天地の大恩自然界の殊恩を知らず、宗教心なき人間は総て斯の如き者である。

 

青砥藤綱は滑川に一銭の金を落し、五十銭の日当を与へて、川底を探らしめたと云ふ、斯の如きは天下の宝を将来に失ふ事を恐れた謝恩心に外ならないのである。吾人は何処までも青砥藤綱の心事を学ばねばならぬ。』

(月鏡/出口王仁三郎の謝恩の生活から引用)

 

※青砥藤綱: 鎌倉時代の武将。

太平記(巻第三十五)で、夜に滑川を通って銭10文を落とし、従者に命じて銭50文で松明を買って探させたことがあった。「10文を探すのに50文を使うのでは、損ではないか」と、ある人に嘲られたところ、藤綱は「10文は少ないがこれを失えば天下の貨幣を永久に失うことになる。50文は自分にとっては損になるが、他人を益するであろう。合わせて60文の利は大であるとは言えまいか」と諭した。

 

 

メリデメばかり追えば、必ずこういう天下の物資を濫費する場面が出てくるもの。賞味期限切れの食品を生ごみに捨てるなどは、良心に咎める人も多い。もったいない精神は、こうした明治大正の人に問わなくても、禅の食事の作法も同じ起源であって、道教に由来する功過格(善悪の基準書)も同類である。

 

人も世も、こうしたことを日々に心得て行動すれば、あまり変な方向には行かない。

 

だが、実際にこういうことを会社や組織でやろうとすると、背任とまではいかないかもしれないが、変な判断と見られる。それは鎌倉時代からも変わらなかった。

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古事記言霊解通読-5

2023-01-07 06:22:10 | 古神道の手振りneo

◎神と出会った人だけが黄泉比良坂攻防戦へ

古事記言霊解の骨子を挙げると次のようなところか。

1.火力文明により、近代西欧文明はほとんど滅びる。

2.マスコミの大量情報による洗脳の中で、人類には、暖かみがなく、冷酷さが蔓延し、しかも道義心、公徳心が失われた。

3.ここで大神は世界戦争を以て時代の弊風を除くことを決断する。

4.最初は議論でもって世界の神政への改革を目指すがいつまでたってもらちがあかない。逆に利己主義、現世利益主導のグループに大神は追い込まれてしまう始末。

5.正しい神側は、正しい信仰についての宣伝、布教を行うものの、これに対する妨害は激しく、すでにそうした宣伝合戦を受ける人々の側は何が正しくて何が間違っているかわからない状態にまで混乱した精神状態に陥っている。

6.大神の側は、こうして敗走に次ぐ敗走を繰り返し、黄泉比良坂に到着。黄泉比良坂の坂本は世界の根源。ここで人々は、神に出会い、世界の根源を知る。光明に出会った人が増えたのだ。

7.神知る人と神知らぬ人とのせめぎあいは激しくなり、ついに大神は、両者をはっきりと分断させる。これで「善と悪とを立て分ける」となり、すべての人が神を知っている霊的文明がスタートする。

アトランティス滅亡時に想定されていた至福千年は、ここに成就する。アトランティス滅亡時に古事記に散りばめられていた栄光の時代はこれで実現する。

古神道はクンダリーニ・ヨーガ系だから、古事記仲哀天皇の段にあるように、クンダリーニからアプローチする。底筒男、中筒男、上筒男。

第84代順徳天皇の著された「禁秘御抄」の冒頭に、「凡(およ)そ禁中の作法まず神事、後に他事」とあるように天皇も神事がまず先。人々も食べられるなら、神事すなわち冥想がまず先。

黄泉比良坂の坂本にたどり着けるのは、日々の冥想により神と出会った人だけなのだ。

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古事記言霊解通読-3

2023-01-07 06:17:19 | 古神道の手振りneo

◎正しい教え、誠の信仰

 

さて伊弉諾命は、黒御鬘(くろみかづら)を投げ捨て給うたところ、誠の教えの信仰の若い信者が出てきた。ところが追ってきた黄泉醜女はこれを拾って取って食らうという挙に出る。

 

この妨害行為にたまらず伊弉諾命は、今度は御角髪(みみづら)にまかせる湯津津間櫛(ゆづつまぐし)を引きぬいて、世間に正しい教えを宣伝したところ、箏(たかむら)という上流階級の貴紳の理解を得るようになった。ところが黄泉醜女軍団は、これをも抜いて食べ、この試みをも亡きものにしようとした。その隙に伊弉諾命は逃走を続けた。

 

さて、正しい教え、誠の信仰と気軽に使っているが、ある宗教教団が無条件に正しいと言えることはなく、またずれたような教団でもちゃんと神仏に出会った正しき人は時にいるもの。また一方で万教同根と云い、宗派を問わず正しい教えはあるものだという主張もしている。

 

よってその教えが正しいかどうかはその人次第ということでもあり、加入している教団が正しいかどうかは、真の神仏がどういうものかを知らない本人には見分ける術はないということでもある。また正しい教団でも正しからざる信者もいる。

 

古事記言霊解通読-4

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古事記言霊解通読-2

2023-01-07 06:13:24 | 古神道の手振りneo

◎世の上流から下流まで濁りきる

 

古事記では、腐敗した伊弉冊命(いざなみ)の死体に巣くう神々の名を挙げるが、これらはいずれもこの火力文明の暴虐のシンボリックな説明になっている。

 

この惨憺たる有様にしびれを切らした伊弉諾命(いざなぎ)は、自ら黄泉の国に入り、伊弉冊命に改心せよと直接談判に臨むが、彼女はここでもう食事をしたので改心できないと申し出を拒絶した。よくよく彼女の姿を見ると、頭にも腹にも胸にも女陰にも手にも足にも悪神が巣くい、手の付けようがない状態である。つまり世の中の上流から下流まで嘘と虚飾、メリットデメリットだけの強欲な悪人、偽善者ばかりとなり果てていた。

 

世界のゴッドファーザーたる伊弉諾命のお出ましに、各国首脳たち(黄泉神)は鳩首して今後の方針を議論するが、なかなかまとまらなかった。

 

結局、世直しをしようとお出ましになった伊弉諾命のことを、その妻たる伊弉冊命(いざなみのみこと)は、汚いところを見られ恥をかかされたと逆恨みし、黄泉醜女(よもつしこめ。世間の人の9割がたは黄泉醜女の如きもの)を派遣し、追手をかけたので、このような社会全体の矛盾撞着に神様も驚いて跣足(はだし)でお逃げになることになった。

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古事記言霊解通読-1

2023-01-07 06:05:08 | 古神道の手振りneo

◎伊弉冊神(いざなみのかみ)火の神を生んで亡くなる

 

古事記言霊解(霊界物語第八巻)は、何度も読んだつもりだったが、読み始めると個々の字義や言霊の説明に気をとられ、全体の流れをなかなか汲み取ることができなかった。

 

まず伊弉冊神(いざなみのかみ)が最後の出産で、火の神である迦具土神(かぐつちのかみ)を生んだことで亡くなる。迦具土神は火力文明たるこの近代西欧文明のシンボルであって、火力がこの文明の交通機関、戦争兵器、生産機関などのメインとなることを云う。それによって本来の健全な地球の姿が失われ、滅亡に瀕したことが、伊弉冊神が出産で亡くなったことで表象される。

 

伊弉諾命(いざなぎのみこと)は、彼女の死体を生気がないか日本魂が残っていないかと調べてみたが、ほとんど生命のないことを確認した。このことで世の中に、暖かみはなく冷酷さが蔓延し、しかも道義心、公徳心が失われたことを大いに泣き悲しんだのでこれを泣沢女神(なきさはめのかみ)と呼ぶ。

 

以後、伊弉冊神は悪神の代表として機能する。

 

神去(かむさ)りました伊弉冊命は、死人として出雲の国と伯耆の国の境に葬むられた。出雲は何処(いづくも)ということで、また雲出ずる国ということ。これは世の中のどこでも乱れきっているということ、害となる情報がどんどん流されるということ。

 

一方伯耆の国というのは、掃はきということで雲霧を掃き払うと云うこと。よって伊弉冊命は、善悪正邪の分水嶺に立ったということ。

 

このままではいけないと伊弉諾命(いざなぎのみこと)は、わが子迦具土神(かぐつちのかみ)の首を十拳剣(とつかのつるぎ)で切って葬った。これは、戦争を以つて物質文明の悪潮流を一掃するということ。世界戦争は既に2回あり、大本事件は2回だが、物質文明の悪潮流は隆盛であるがゆえに、次の世界戦争があることが示されている。

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立替立直しの概要

2022-12-30 06:08:45 | 古神道の手振りneo
◎わが身が神を知る

立替立直しという言葉が流行し出しているようなので、ここに概要を記してみます。

立替立直しは出口王仁三郎の用語。
出口王仁三郎は、戦前の古神道教団トップにして、昭和10年の最盛期には信者8百万を有していた。ところが同年、突如として邪教として全国一斉に教団幹部の一斉逮捕、教団施設の一斉破壊が行われた。

出口王仁三郎の収監は7年に及び釈放は昭和17年8月。仮に出口王仁三郎が獄死していた場合、救世主殺しとして日本人全体が祖国を失うディアスポラの憂き目に遭うようなことも考えられたが、奇跡的に生きて釈放されたのは幸運だった。

日本および世界の21世紀における革命にして再生が「立替立直し」。だが天皇は最終的に世界のトップとして君臨する。

1.公的な側面
(1)日本
日本の立替え立て直しは、明治維新や第二次世界大戦の時のように外国勢力が遂行する。
天皇は残る。上流と下流は濁り、中流の人々が社会を改善する主流となる。
日本については、最終的な生存率2%という極めてネガティブな予言がある。
地震などを伴う地殻変動があり、一夜にして〇千メートルも高度が変化する地域もあるらしい。
最初は小三災の飢餓、疫病、戦争で始まり、最後は風水火。
それがこの世の終わりであって、その時日本は再度軍人内閣であることが予言されている。

(2) 国際政治
出来事の順序は明示されていないが、16人の悪人国家指導者が揃ったら、「立替立直し」が始まる。
私の読むところ、世界的な飢餓、疫病、戦争が広がっていく中で、各国が継戦能力をほぼ喪失した段階で、世界の仲介者として天皇が推されるタイミングがあると思う。

ただし、それまでは、最新の科学の粋を集めた生物兵器、化学兵器、核兵器による悲惨な殺戮戦が世界中に蔓延する。それについては、瑞能神歌で一部予言されているが、余りに悲惨過ぎるので、記述されていない。

(3) 新時代
現代の技術文明は破壊されほとんど残らないが、「電信」だけは残る。
今の航空機は空気の揚力で飛翔するが、各人が羽衣ウェアをつけて飛行できるという(ウダーナ気応用の?)科学技術が発展する。

万人が神を知る時代。苦と悲嘆のない七福神の楽だけの時代にして、万人が長寿となり、悪行を行う者はいない。
この土台の上で、労働は午前だけ3時間。
天候は5日に一回風が吹き、10日に一回雨が降る(五風十雨)温和な気候。     

天皇が世界の君主となり、人々は181段階の身分に組織される(トップは大神)。

人口は大幅に減り、山陽地方に十万都市が一つ、山陰地方に十万都市が一つという程度。金持ちは各地方に一人しか置かず、お金が要る場合は彼から引き出す。
(この人口の縮小は、大量死と裏腹。)

2.私的な側面
すべての成人が少なくとも神を見たことがあるか、神人合一体験をしたことがある。

そのために学校教育で冥想をやることになる。古神道なら鎮魂法帰神法だが、新時代において帰神法をやっても仕方ないので、鎮魂法がメインなのだろうと思う。神知る冥想テクニックは宗派にこだわらない。

万人が神知る時代とは万人が霊を知る時代。霊とは、今の時代はきわもの扱いだが、人間は、エーテル体、アストラル体(霊衣)、メンタル体、コーザル体という霊でできていることを万人が肌感覚で知っているのが新時代。

それを前提に敢えて大正時代に新時代の大予言の書として出口王仁三郎は霊界物語を出した。霊界物語とは、霊界ファンタジーではなく、リアリズムと21世紀の予告文書である。

なお、極ジャンプみたいな地殻変動と飢餓、疫病、戦争などによる人間の手になる事件とは必ずしも同時発生するものでなく、別々に発生するものであることもダンテス・ダイジ(出口王仁三郎に縁がある)が指摘するところである。

人間の心の乱れが、昨今の暴風、大洪水等に大きく影響していることや、この社会体制に内在する真善美誠とは異なるメカニズムが飢餓、疫病、戦争を惹き起こしているという実感は、気のせいではない。

心は、エーテル体、アストラル体(霊衣)、メンタル体、コーザル体などで、現実を改変するパワーとして活動しており、その一部がやがて肉体レベル、現実レベルに現実として出現する。

よって立替立直しとは、他人や他国や日本政府が何かをやることではなく、わが身が神を知るということにほかならない。
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