アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

一厘の仕組-2

2024-08-15 04:14:48 | 古神道の手振りneo

◎三個の神宝

(2010-05-15)

 

更に出口王仁三郎の示す一厘の仕組みは霊界物語にある。それは、第一巻第三五章「一輪の秘密」と同第三六章「一輪の仕組」に見える。

 

この段は、艮の金神国常立尊が、三個の神宝である、潮満の珠(水)、潮干の珠(火)、真澄の珠を冠島、沓島に隠し置くところ。真澄の珠には効能については、なぜだか説明がない。

 

三個の神宝は、三種の神器。三個の神宝は、出口王仁三郎の表現体系の中では、絶対の側、永遠の側、(人間に対して)神の側のシンボルとして用いられる。

 

冠島、沓島に隠し置くとは、10チャクラのうち、冠島がサハスラーラ・チャクラ、沓島は足の裏のチャクラのことだろう。人間の10チャクラに三個の神宝は既に備わっているが、それを活用できるに至らぬ状態に置いたというのが、この段の意義なのだと思う。

 

またクンダリーニのエネルギー・コードを渡る様である目無堅間の船に乗らないと隠せないというところは意味深長である。

 

要するに人間はその発達段階として、神の機能たる三宝をそのボディに秘めながらも使用不能の機能不全に陥っているレベルにあるが、これを現在の人間の状況として描写しているものだと思う。現代人に与えられた課題は、これを活用することだが、自分のメリットを最大限分捕るためにこれを活用しようとする曲がった人間が多すぎるのが昨今の地獄的世間の様相である。

 

霊界物語第一巻の第三五章 一輪の秘密から以下引用。

『厳の御魂の大神は、シナイ山の戦闘に魔軍を潰走せしめ、ひとまづ竜宮城へ凱旋されたのは前述のとほりである。

 

 さて大八洲彦命は天山、崑崙山、天保山の敵を潰滅し、天教山に現はれ、三個の神宝を得て竜宮城に帰還し、つづいてエデンの園に集まれる竹熊の魔軍を破り、一時は神界も平和に治まつた。されど竹熊の魔軍は勢やむを得ずして影を潜めたるのみなれば、何どき謀計をもつて再挙を試みるやも計りがたき状況であつた。まづ第一に魔軍の恐るるものは三個の神宝である。ゆゑに魔軍は百方画策をめぐらし、或ひは探女を放ち、醜女を使ひ、この珠を吾が手に奪はむとの計画は一時も弛めなかつた。

 

茲に艮の金神国常立尊は、山脈十字形をなせる地球の中心蓮華台上に登られ、四方の国型を見そなはし、天に向つて神言を奏上し、頭上の冠を握り、これに神気をこめて海上に投げ遣りたまうた。その冠は海中に落ちて一孤島を形成した。これを冠島といふ。しかして冠の各処より稲を生じ、米もゆたかに穰るやうになつた。ゆゑにこの島を稲原の冠といひ、また茨の冠ともいふ。

 

つぎに大地に向つて神言を奏上したまひ、その穿せる沓を握り海中に抛げうちたまうた。沓は化して一孤島を形成した。ゆゑにこれを沓島といふ。冠島は一名竜宮島ともいひ、沓島は一名鬼門島ともいふ。

 

ここに国常立尊は厳の御魂、瑞の御魂および金勝要神に言依さしたまひて、この両島に三個の神宝を秘め置かせたまうた。

 

 潮満の珠はまた厳の御魂といふ。【いづ】とは泉のいづの意であつて、泉のごとく清鮮なる神水の無限に湧出する宝玉である。これをまたヨハネの御魂といふ。つぎに潮干の珠はこれを瑞の御魂といひ、またキリストの御魂といふ。【みづ】の御魂は【みいづ】の御魂の意である。【みいづ】の御魂は無限に火の活動を万有に発射し、世界を清むるの活用である。要するに水の動くは火の御魂があるゆゑであり、また火の燃ゆるは水の精魂があるからである。しかして火は天にして水は地である。故に天は尊く地は卑し。ヨハネが水をもつて洗礼を施すといふは、体をさして言へる詞にして、尊き火の活動を隠されてをるのである。またキリストが霊(霊は火なり)をもつて洗礼を施すといふは、キリストの体をいへるものにして、その精魂たる水をいひしに非ず。

 

 ここに稚姫君命、大八洲彦命、金勝要大神は、三個の神宝を各自に携帯して、目無堅間の船に乗り、小島別、杉山別、富彦、武熊別、鷹取の神司を引率して、まづこの竜宮ケ嶋に渡りたまうた。しかして竜宮ケ嶋には厳の御魂なる潮満の珠を、大宮柱太敷立て納めたまひ、また瑞の御魂なる潮干の珠とともに、この宮殿に納めたまうた。この潮満の珠の又の名を豊玉姫神といひ、潮干の珠の又の名を玉依姫神といふ。かくて潮満の珠は紅色を帯び、潮干の珠は純白色である。

 

 国常立尊は冠島の国魂の神に命じて、この神宝を永遠に守護せしめたまうた。この島の国魂の御名を海原彦神といひ、又の御名を綿津見神といふ。つぎに沓島に渡りたまひて真澄の珠を永遠に納めたまひ、国の御柱神をして之を守護せしめられた。国の御柱神は鬼門ケ島の国魂の又の御名である。

 

 いづれも世界の終末に際し、世界改造のため大神の御使用になる珍の御宝である。しかして之を使用さるる御神業がすなはち一輪の秘密である。

 この両島はあまたの善神皆竜と変じ、鰐と化して四辺を守り、他神の近づくを許されないのである。

(大正一〇・一〇・二三 旧九・二三 外山豊二録)』

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一厘の仕組-1

2024-08-15 04:09:13 | 古神道の手振りneo

◎古事記の仲哀天皇の段

(2010-05-14)

 

戦争の噂を聞くようになった。

 

一厘の仕組とは、世の立替の時に、99.99%滅亡のところから大逆転するメカニズムのこと。出口王仁三郎は、そのヒントは、古事記の仲哀天皇の帰神の段にあるという。

 

仲哀天皇の帰神の段。大后息長帯比賣命は神功皇后のこと。

「その大后の息長帯比賣〔オキナガタラシヒメ〕命はある時、帰神をした。それは、天皇が筑紫の香椎宮にいて、熊曾国を討伐しようとした時で、天皇は琴を弾いて、建内宿禰の大臣は沙庭にいて神託を求めた。すると大后が帰神となると、「西の方に国がある。金銀をはじめとして目の輝くような種々の珍宝が、その国に多くある。私が今から、その国を与えよう」との御告げであった。

 

 しかし天皇は、「高い所に登って西の方を見ても、国土は見えず、ただ大海があるだけだ」と答え、偽の神だと思って、琴を押しやって弾こうとせず、ただ黙っていた。

 

すると、その神は大いに怒り、「全てこの天下はおまえが知ろしめす国ではない。おまえは一道(死者の国)に向かえ」と告げた。

 

そこで建内宿禰の大臣が、「畏れながら、我が天皇よ。やはりその琴をお弾きあそばせ」と申し上げると、やっとその琴を引き寄せて、もとのように弾いた。すると、しばらくして琴の音が聞こえなくなった。火を灯して見ると、すでに亡くなられていた。

 

そこで驚き恐れて、殯宮に移し、さらに国の大幣を取り寄せて、生剥、逆剥、あはなち、溝埋め、屎戸(くそへ)、上通下通婚(おやこたはけ)、馬婚、牛婚、鶏婚、犬婚等の罪の類を様々に捜し出し、国の大祓を行った。

 

そしてまた、建内宿禰が沙庭にいて神託を求めた。このようにしたところ、告げられた内容は具さに至るまで先日と同じであり、「全てこの国は、息長帯比賣命の御腹にいる御子が治める国である」との神託であった。

 

さらに建内宿禰が、「恐れながら、我が大神よ。其神の腹にいる御子はどちらでしょうか」と申し上げると、「男子である」との答えであった。そして、「今このように教えてくださる大神の、その御名を知りたいと思います」と詳しく求めると、「これは天照大御神の御心である。また、底筒男、中筒男、上筒男の三柱の大神である。【この時にその三柱の大神の御名が明らかとなったのである。】

 

今、本当にその国を求めようと思うのならば、天神地祇、また山の神と河海の諸々の神に、ことごとく幣帛を奉り、我が御魂を船の上に乗せて、眞木の灰を瓢に納め、また箸と比羅傳(ひらで:柏の葉の皿)を多く作り、それぞれを大海に散らし浮かべて渡るがよい」と答えた。」

 

西の方の国を与えようとは、新羅を与えようということではなく、人間の苦悩からの救済を与えようということで、死の世界を超えたニルヴァーナに渡らせようということ。

 

仲哀天皇は、そんなうまい話などないと合理的に考えて、その神をニセモノだと断定したことで、命を落とした。理屈で考えれば、ニセモノだと思うのは当然ですね。

 

天皇がいよいよいなくなった後、日本人は「あれっ、ヤバイぞ」と初めて気づき、わが魂をあらゆる宇宙を渡る船とも呼ぶべきクンダリーニのエネルギー・コードに乗せ、死の世界のシンボルたる真木の灰をも瓠に納めるように通過しなければならない。また箸も皿も一人には1組で足りるので、ここは、大勢の人がそのクンダリーニ・ヨーガ技でもって渡ること(アセンション)を見ているのだと思う。箸と皿は、(草薙の)剣と(八咫の)鏡でもあり、剣と盾の表象でもある。

 

底筒男、中筒男、上筒男とは、クンダリーニは筒だから筒でしょう。底筒男は肉体のクンダリーニ、中筒男はエーテル体クンダリーニ、上筒男は、アストラル体クンダリーニと当てるとすれば、メンタル体には届かないが、どう見るのだろうか。古事記も露骨に表現しているものですね。

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初期の天皇とアジア

2024-07-22 13:42:18 | 古神道の手振りneo

◎艮の金神の復活

(2015-10-20)

 

艮の金神の東北へのご退隠とは、天皇が極東の島国だけを治めている様をいうのだとも出口王仁三郎は言う。

 

天皇の欠史八代とは、2代綏靖天皇から、3代安寧天皇、4代懿徳天皇、5代孝昭天皇、6代孝安天皇、7代孝霊天皇、8代孝元天皇、9代開化天皇のことで、事績の記述がないことをいう。出口王仁三郎のいうように、9代開化天皇で、世界の統一が完成したということであれば、初代神武天皇の東征以来、9代開化天皇までの時代の天皇の事績は、この日本列島のことではなく、ユーラシア全域のことであった可能性がある。

先代旧事本紀の神武天皇の段に饒速日の命が、空を飛ぶ天の磐船で大空を飛翔した記述が出てくるが、この時代は飛行機を持っていたが、まもなくそのテクノロジーは失われた。飛行機のある時代であれば、天皇のいう「統一」とはアジア全域であった可能性がある。またアジアの語源は秋津洲であると、出口王仁三郎も言う。

14代仲哀天皇が古事記で言うところの西の国は、新羅のことと考えるのが、通説であるが、こうした流れからすると、西の国は、西欧諸国であっても不思議はない。

しかしながら1、2世紀頃、飛行機のあるような物質文明が残っていた可能性は想像できるものの物証がないので、この議論で頑張ることはできない。

 

ただ、出口王仁三郎の神代から開化天皇までについての発言を総合すると、以下のようなことになるのではないかと想像される。

1万2千年前のアトランティス沈没の際にスサノオが日本にやってきた。スサノオはアジア全域を支配していたが、やがて勢力が一旦衰える。神武天皇の時代に東征を開始(東征というからには、根拠地は西アジアだったか。天孫降臨はウランバートル付近などとも。)、開化天皇の時代にアジア統一、世界統一を完成。

この後、天皇の支配エリアが日本だけに限定されるようなイベントが起こり、現代に至る。

 

以上は、根拠のない夢想に過ぎないが、出口王仁三郎の片言隻句を集めて組み立ててみると、こんな具合になる。これがより現実味を帯びるには、たとえば次のようなことが起きないといけないと思う。

 

1.文明全体を破壊する世界大洪水が直近ではいつ起きたかが判明すること。3500年前?

2.飛行機や外洋船のテクノロジーがいつ頃まであって、いつ失われたかが明確になること。2000年前頃には失われた?

3.神代文字の古日本の歴史書が敦煌文書やナグハマディ文書のようにまとめて出てくること。

 

こうしたことがはっきりしてきて初めて出口王仁三郎が霊眼で確認した、初期の天皇の事績がぼんやりと輪郭をとってくるのではないか。そして天皇の徳治による世界統一へと進む。これが艮の金神の復活にあたる。

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和歌に見えるアストラル・トリップ

2024-06-30 06:05:11 | 古神道の手振りneo

◎神を知らない段階でのアストラル体の漏出は危険

(2010-06-07)

 

アストラル・トリップと中心太陽突入とは全く異なるもので、昨今世間で話題の体外離脱はほとんどがアストラル・トリップのことである。そして人間の根本的救済、あるいは苦悩からの超脱は、アストラル・トリップにはなく、中心太陽への突入の側にしかない。

そもそも肉体レベル(物質レベル)には無数の銀河、宇宙があり、エーテル体レベルにもおそらくは無数の宇宙があり、またアストラル体レベルにも無数の宇宙があるのだろうから、たとえばポイント50やエリア70を探検したからといって、それは実に膨大な宇宙の中の極く一部を垣間見たに過ぎないのだと思う。

 

出口王仁三郎の雑誌神霊界の中に鎮魂御伝という文章があり、和歌に見えるアストラル・トリップを特集している。鎮魂とは、瞑目静座し、一心不乱に、一切の妄想なり感覚を蕩尽して、身体外の玉に向ってわが霊魂を集中すること。

 

細流抄に、「魂の出ぬるを結び止むる事あればなり 結びとどめよ」とは、浮かれる心を本心に返しなさいとのことであると王仁三郎のコメントがあるので、アストラル・トリップで霊線につながって飛び出しているアストラル体を(改めて)しっかりつなぎ止めなさいということ(へそから出るケースは当時から目撃されていたのだろう)ではなく、一心不乱に行に集中しなさいと戒めている意味なのだろう。

 

今はテレビゲーム、モバイルゲームに熱中する人がアストラル体が出るというが、昔は激しい恋愛でアストラル体がしばしば漏出したのだろうか。

トランスに入れば、意識より無意識が優勢になり、臍に穴が開いてアストラル体が遊離することがあるのだろう。だが、神を知らない段階でのアストラル体の漏出は、意図せざる霊能力の開顕ということになり、百害あって一利ないものである。

 

たまむすび

思ひあまり出にし玉の有(しる)ならむ 夜深く見えば玉むすびせよ

(伊勢物語 下)

 

もの思ふ人の魂は、げにあこがるる物になん有りけると、なつかしげにいひて

なげきわび貌(そら)にみだるゝわがたまを むすびとゞめよしたがひのつま

                              (源氏物語 葵)

※あこがるる:ふらふらと出歩く。

※したがひのつまとは、着物の下前の褄だから、臍下丹田=スワジスターナ・チャクラのことを指すと見る。

 

魂ひも あこかるるとは誠にぞ いまはうつし心も無き心地して

あくがるゝわがたましひも復(かへ)りなん おもふあたりにむすびとゞめば

玉しひのかよふあたりにあらずとも むすびやせまししだへのつま

(狭衣物語)

 

見人魂歌

たまは見つ 主は誰ともしらねども 結びとゞめよしたがひのつま

(袋草子 四) 

 

物おもへば 沢のほたるも我身より あくかれ出る魂かとぞ見る

(後拾遺集の和泉式部)

 

古代日本の人は、自我の殻が薄く、ちょっとした情動の高まりでトランスに入り、肉体からアストラル体が出てしまうことがままあったのだろう。源氏物語の六条御息所の生霊もそういうことなのだろう。漏出すれば、丹田スワジスターナ・チャクラに戻しなさいと言い慣わしていることはわかる。だが、オカルトだが、神仏とは関係ないのだ。今の人はゲームのやり過ぎで出るが、パンクとかサタニズムとかはそれと全く関係のないことでもないのかもしれない。ドラッグだけが誘因ではないかもしれない。

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大物主神、レディの秘所を突く-2

2024-05-15 06:28:46 | 古神道の手振りneo

◎古事記の天国と地獄の結婚-3

(2019-09-14)

 

ギリシア神話では頻出の、男神と人間の娘の結婚。古事記では、三輪山の大物主神が、美人の勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)と交媾し、神の子富登多々良伊須々岐比売命(ホトタタライススギヒメノミコト)が生まれた。

これについて出口王仁三郎が言霊解を出している。まずトイレで御用たし中の美女を下から大物主神が赤い矢に変身して襲う段。

乙女(美人)の最もデリケートな部分を神に突かれたという衝撃により、乙女は至誠に目覚めそれまでの退嬰的消極的な姿勢を改め、積極的に四方に奔走し、敬神勤皇報国のために大々的活動を開始されたこととみている。

要するに大悟覚醒し、本来の自己、大神、アートマンに出会うというショックを受けて、人格も行動も至誠を基にするという形に全く変わってしまったという意味。

ここで注目すべきは下から突かれたという点。個室にて最もリラックスし、神に対してオープンとなった時に下から突かれたのである。サハスラーラは上だろうに。

この上下の見方は、神の側から見れば、世界樹モデルで見るが如く、世界樹の根が全体であり、枝葉が個。ところが人間で言えば、頭の側が根となる。これは人間にとっては逆転である。タロットカードの吊るされた男の姿。

正神が下から突くことはあり得ない。

 

古事記、霊界物語では、類似の上下逆転のモチーフがある。神界の大立者野立彦命が富士山火口に飛び込むシーンである。これは上から下への落下。現代なら単純にクンダリーニが上方に突き抜けてメンタル体で肉身を離脱し、アートマンに至り云々と解説するところを、古神道ではことさらに逆の表現をとる。

野立彦がダンテスの別称であることも知られているが、その文字配列すらも逆転した並びではある。

どうも古神道は、このように上下逆転して表現するのが好みなのではないかと思う。

女性が悟るというのも珍しく、意味深長。

だが、赤い矢が美男子に変身したという男の大悟覚醒シーンも含まれてはいる。男女同時に悟る。

 

以下は、出口王仁三郎の解説。

 

『『其の美人の富登を突き給ひき』

 ホトの言霊は霊地(ほと)であり、秀所(ほと)であり、地の高天原である。亦た局処(つぼと)である。神宮坪の内と謂ふ意義もあります。

 突き給ひきと云ふ事は、肝腎要めの局所を突き止め、見極められたことであります。

 

 ヲトメの言霊を解説すれば、

 ヲは祭り守らしむる也、長也、治む也、教也、緒也、結びて一と成る也。

 トは結び定むる也、皆治る也、十也、八咫に走る也。

 メは内部に勢を含む也、本性を写し貽(のこ)す也、親也、発芽也、天の戸也、世を見る也。

 

 以上の言霊は、天地経綸の活用ある女神の発顕にして、祭政教一致の大道場である。即ち皇祖皇宗の御遺訓を遵奉し、且つ顕彰する神示の、聖団のある地の高天原である。

 

 ホトの言霊を更に解釈すれば、ホは上に顕る也、活霊也、照込む也、火(ほ)の水に宿る也、日の足也。

 トは通り結び納る也、最も迅速疾走鋭敏也。

 則ち、厳の御魂の瑞の御魂に依宿し、最も迅速に鋭敏に活用を照らす日の御子の、足なる十の聖処地の高天原なる事が伺はれるのであります。

 

 『爾(かれ)其の美人(おとめ)驚きて、立走りいすすぎき』

 をとめは三輪の大物主神に、局処を突き止められ、非常に恐懼措く処を知らず、直に立ちて大神の命を奉じ、四方に奔走して敬神勤皇報国の至誠の為に、大々的活動を開始されたといふ事であります。

 『いすすぎき』と云ふ概略な意義は、勇み進み君国の為に至誠至忠の大活動を為す事であります。吾々皇道大本の信者も、君国の為めに、至誠以て天地を貫くの大々的活動を致さねば成らぬ時運に到達致したのであります。

 

 『乃(かく)て其の矢を将来て、床の辺に置きしかば、忽ち麗はしき壮夫(おとこ)になりて、即ち其の美人に娶(めあ)ひて生みませる御子、名は富登多々良伊須々岐比売命』

 

 そこで其の矢を将来て、床の辺に置きしと言ふ意味は、改造された三輪の大物主の化身を、最も尊き座に置き奉って、将来の大国家の経綸を、勢夜陀多良比売から一々詳細に申上げると、大物主神は、初めて神意を覚り給ふと同時に、今迄の御煩慮は忽然として消え失せ、勇壮活溌なる大丈夫に身魂が改造変化され、将来に望を抱かれ、楽天、進取、清潔、統一の大精神を確持し、美人(瑞霊)と見合はし聞合はし宣り合はして、立派な御子を生み玉うたのであります。

 

 ミコの言霊を解すれば、

 ミは玉に成る也、◎を明かに見る也、真也、満也、三也、形体具足成就也。

 コは天津誠也、脳髄也、一切の真元と成る也、全く要る也。

 即ち玉と成る也は、玉は天下統治の表象である。◎を明かに見る也は、皇国の大使命を日神月神の光に依りて悟る事である。真也は至真至美至善の神徳である。満也は光輝六合に満ち渡る事である。三也は主師親の三徳及び三種の神器である。形体具足成就也は、君民一致の神政完了する事である。

 

 天津誠也とは、惟神の大道にして麻柱の究極である。脳髄也は、万有一切を司宰する主脳の意義である。一切の真元也とは、政治宗教教育哲学等一切の真相本元を究極し、且指導する事である。全く要る也は、全大宇宙を神の意志に依りて統御し要むる事である。

 

実に三輪の大物主神と大便所に入れる美人と肝胆相照し以て宇内無比のミコを生み給ふと曰ふ、実に結構なる皇宗の御遺訓であります。』

(出口王仁三郎全集第5巻 神武天皇御東征之段P19-22から引用)

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大物主神、レディの秘所を突く-1

2024-05-15 06:22:19 | 古神道の手振りneo

◎古事記の天国と地獄の結婚-2

(2019-09-09)

 

『古事記』によれば、三輪山の大物主神は、今を時めく美人の勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)に一目ぼれした。大物主神は、すかさず丹塗矢に変身して、その美人がトイレで大便中に下水溝を流れ下って便器に至り、ぐさりと彼女のホトを突いた。

すると不意を突かれて彼女はあわてふためいたが、気を取り直し、その矢を持ち帰って床の辺に置いたところ、矢はイケメンの男になったので、二人はすぐ交わった。

この二人の間に生まれた子が、富登多々良伊須々岐比売命(ホトタタライススギヒメノミコト)であって、神の子と謂われた。

三輪の大物主神は、世界各国の帝王又は大統領たちを司宰する大帝王のシンボル。彼が、世の中の醜き低きところの極み(大便所ではあるが、万物の生れ出る根源でもある)まで探して恋い求め、混乱する世界の肝腎かなめの局所を突きとめ、見極めた。

出口王仁三郎によれば、ホトタタライススギヒメノミコトを言霊で解釈すれば、直霊の御霊の光り、太陽の如くに明かに照り渡り、雲の上に伊都能売(天国と地獄の結婚)と顕はれて、永遠無窮の天下は治まりて静かである五六七(みろく)の仁政を施いて、世界を統一するということ。

五六七の神の御代の現象は、実にホトタタライススギヒメノミコトとシンボライズされ、彼女こそ古神道の天国と地獄の結婚である。

天国と地獄の結婚の表現としては、天照大神と素戔嗚神の誓約がやや複雑なのに対し、こちらの方はやや単純にできている。

古神道、クンダリーニ・ヨーガ系、密教系では、聖性の材料のシンボルとして、時に大便、小便が用いられる。善言美辞が基本ではあるが、プロの世界では、そういうものだと心得て読みたい。先入観を壊す。

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大物主神、レディの秘所を突く-3

2024-05-07 07:19:39 | 古神道の手振りneo

◎古事記の天国と地獄の結婚-4

(2019-09-17)

 

さてこのように大物主神と人間の娘との間に生まれた娘の名は富登多々良伊須々岐比売命(ホトタタライススギヒメノミコト)。

 

出口王仁三郎の説明では、

この名の言霊は真空之全体である。日本の名は実の極みであって、名は実体を指し示す記号に過ぎないなどということはない。

日本人の声は有機物であって、外国人の声は無機物であって記号、シンボルに過ぎないと、日本語の発声の優秀性を主張する。

 

 以下出口王仁三郎の言霊説明。

『ホは太陽の明也、上に顕る也。

 トは十也、治る也。

 タは常に治り静る也。

 タは身を顕し居る也。

 ラは極乎として間断無き也。

 イは治而無為也。

 スは集中也、真中真心也。

 スは垣無く無為也。

 ギは天津御祖の真也。

 ヒは大慈大悲の極也。

 メは地球を含む物の天と云ふ也。

 ミは産霊の形を顕す也。

 コは極微点也。

 トは一切を能く結び定め治むる也。』

(出口王仁三郎全集 第5巻【言霊解】皇典と現代〔一〕神武天皇御東征之段から引用)

 

上のホトタタライススギヒメノミコトの十五言霊の意義を了解すれば、直霊の御霊の光り、太陽の如くに明かに照り渡り、雲の上に伊都能売と顕はれて、五六七の神の御代の現象は、実にホトタタライススギヒメノミコトと現はれるのだ、とする。

つまり、富登多々良伊須々岐比売命(ホトタタライススギヒメノミコト)とは、天国と地獄の結婚である伊都能売にして、宇宙全体=アートマンのことで、ここに神と人との結合の結果の神の子が万人である、七福神の時代の実現を見る。

 

※真空之全体について

以下の1~3より、真空之全体とは、第六身体アートマンを指すものと考えられる。

 

1.真空とは以下の文では青空のこと。

『次にオ声の言霊活用を略解すれば、

オ声は北に活用きて受け納め、

(中略)

総じて極乎たる真空即ち現見の蒼天を現じ』

(霊界物語 第74巻総説から引用)

 

2.以下の文では、真空の全体たる霊魂球=アートマン

『真空の全体たる霊魂球』(霊界物語 第10巻27章 言霊解一から引用)

 

3.以下の文では、至大霊魂球とは、至大天球、つまり世界全体、宇宙全体。

『されば最第一なる霊魂精神は、至大天球一名は至大霊魂球にして、一個人の神経は此の霊魂球中の一条脉なる即ち玉の緒と言ふ物也と明言して、その明細を説明する事不能也也。』

(霊界物語 第81巻 総説 天地開闢の極元から引用)

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切紙神示と共に甦る孝明天皇の遺勅(予言)

2024-01-26 06:50:04 | 古神道の手振りneo

◎たまほこからみろくの世の光が始まる

(2017-01-10)

 

『切紙神示と共に甦る孝明天皇の遺勅(予言)/誰も知らなかった日本史/出口恒/ヒカルランド』は、内容的には、孝明天皇の話は『幕末戦慄の絆/加治将一』にも出ている話が多く、目新しさはあまりなかったが、出口王仁三郎に関する部分では、新月の光を相当に参照しており、このブログと似たような読み方をしていると思った。

孝明天皇の神社について、気になったのは、玉鉾神社の場所のこと。玉鉾神社のある武豊町は知多半島の根っこに近く例の『尾張半田の分断』の半田の分断ライン上である点である。孝明天皇は、封印を置かれたわけである。

本書では遺勅によると伊勢と熱田の中間などと述べているが、実はそんな悠長なことではなく、まさに玉鉾神社は地球ロゴスののど元、新時代の天の岩戸として置かれたという印象を持った。たまほこからみろくの世の光が始まるのである。

孝明天皇は尾張半田の分断まで霊眼で確認したのではないか。そうであれば、アメリカが21世紀になっても『末に日本を取る悪だくみ』についても見たことになる。それだからこそ、徹底攘夷だったのではないか。

 

切紙神示の

『一、大日本の三山はミセン山、ヨツヲ山、ホン九山、

一、ヨツヲ山は世をツグカミ山、寺山へコム、十里四方神のミヤコトナル』の

弥山山、四尾山、本宮山はいずれも綾部。大本の人なら誰でも知っているのだろう。この二文は綾部が世界の都となることを示す。(だが、まずは、いまここ)

この本は全体として出口王仁三郎フリークでないと興味もわきにくいのではないかと思った。

出口王仁三郎はあまりにも巨大すぎて一般人には捕まえづらく、大本教の教義の大要も、悲しいかな裁判記録での出口王仁三郎の発言に多くを依ったところがあるのではないか。霊界物語は古事記の復刻という位置づけではあるが、基本は古神道の修行者(クンダリーニ・ヨーギ)が修行のおりおりにヒントがないか参考とする本でもあり、あまり何年にどんな事件があったことがどう書かれているということにこだわってもどうかと思った。

 

出口王仁三郎はいまだに信者に対し、アストラルでもって白昼あるいは夢の中で出現しアドバイスを与え続けているというが、これはキリスト教におけるイエス出現のようでもあり、改めて出口王仁三郎は真正の宗教家であると確認した。

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阿比留文字と阿比留草文字

2024-01-04 16:22:38 | 古神道の手振りneo

◎阿比留草文字こそ正統

(2012-06-16)

 

江戸時代の古神道研究者の平田篤胤(1776-1843)は、今のハングルみたいな文字の文書を何通か手に入れ、この奥書によれば、この文字は日文(ひふみ)四十七文字であって、天児屋根命(アメノコヤネノミコト)(中臣氏の祖神)から対馬の占いを職掌とする阿比留家に伝承されたものであることから、阿比留文字と呼ばれた。

さてハングルは、1446年朝鮮李朝の世宗の時代に公布した文字であり、平田篤胤の時代よりも更に古い。ゆえに常識的にはハングルは対馬経由で入ってきて、これを一部アレンジしたのが阿比留文字になったと判断される。それほどハングルと阿比留文字は似ている。

なお李氏朝鮮時代にはハングルは公文書に使用されることはなかったが、日本統治時代にハングル教育を推進したので、戦後はなんだかハングルが南北朝鮮で公用にされているそうだ。

 

平田篤胤は、更に阿比留家に伝承されている別の文字が、阿比留文字を崩したような形であることからこれを阿比留草文字(アヒルクサ文字)と称した。

さてアヒルクサモジは、日本古代の有力寺社のほぼ三割の神璽、守符で発見されている。そのことからしても、阿比留草文字は、仮名以前つまり空海以前には遡ろうということで、ハングルの成立よりはるか以前のこと。

また神璽、守符に採用されていることから当然にこの文字は神聖文字である。平田篤胤の言うようにハングルが楷書であってその崩し字である草書が阿比留草文字であるとすれば、そうした格の劣った文字を神璽、守符に採用するはずはない。よって、阿比留草文字こそが正格の文字であると認められていたと考える。

 

だから阿比留草文字と阿比留文字の正偏にあまりこだわる必要はなく、両者はとりあえず別物と考えることで良いのではないかと思う。

やはり主題は、古神道の源流がアヒルクサ文字を採用していたということと、その由来にからむ聖者列伝が残っていないかどうかではないかと思う。

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天津罪と国津罪-2

2023-10-08 12:32:25 | 古神道の手振りneo

◎国津罪

(2016-08-27)

 

さらに出口王仁三郎の国津罪の定義。国津罪とは、天賦の国の徳、人の徳を傷つくる罪を指す。

己が母犯せる罪、己が子犯せる罪など字面は倫理道徳的に問題のある言葉が並ぶが、実質は、祖先、祖神に対してその本来の権能を無視したり、リスペクトせぬことや、自分の子孫の権能を無視し、食い物にしたり、虐待、酷使すること。

クンダリーニ・ヨーガ系では、故意に糞尿的言葉を並べることがあるが、この主要祝詞たる大祓祝詞にそうした一見下品な言葉が並ぶのも、古神道がクンダリーニ・ヨーガ系である証左である。字面を故意に汚して、真に求道の情熱ある者だけを選別していた仕掛けでもある。

大地震や巨大台風は、「高津神の災」であり、出口王仁三郎は、これを世界中の守護神、人民の堕落が招ける神罰と見ている。

 

『△国津罪  天賦の国の徳、人の徳を傷つくる罪を指す。

△生膚断  天賦の徳性を保ち居る活物の皮膚を切ること也。必要も無きに動物を害傷し、竹木を濫伐する事等は矢張罪悪である。霊気充満せる肉体に外科手術を施さずとも、立派に治癒する天賦の性能を有してゐる。人工的に切断したり切開したりするのは天則違反で、徒に人体毀損の罪を積ぬる訳になる。

△死膚断  刃物を以て生物一切を殺す罪。

△白人胡久美  白昼姦淫の事。白日床組といふ醜穢文字を避け、態(わざ)と当字を用ひたのである。淫欲は獣肉嗜好人種に随伴せる特徴で、支那、欧米の人士は概してこの方面の弊害が多い。日本人も明治に入つてから大分その影響を受けてゐるが、元来はこの点においては世界中で最も淡白な人種である。淫欲の結果は肺病となり、また癩病となる故に白人胡久美を第二義に解釈すれば白人は肺病患者、または白癩疾者を指し、胡久美は黒癩疾者を指す。

△己が母犯せる罪  母の一字は、父、祖先、祖神等をも包含し、極めて広義を有するのである。大体において親といふ如し。犯すとはその本来の権能を無視する義也。換言すれば親、祖先、祖神に対して不孝の罪を重ぬる事である。

△己が子犯せる罪  自己の子孫の権能を無視し、非道の虐待酷使を敢てする事。元来自分の子も、実は神からの預かり物で、人間が勝手にこれを取扱ふ事は出来ない。それに矢鱈に親風を吹かせ、娘や伜などを自己の食ひ物にして顧みぬなどは甚だしき罪悪といふべきである。

△母と子と犯せる罪、子と母と云々  上の二句『己が母犯せる罪、己が子犯せる罪』を更に畳句として繰返せるまでで別に意義はない。

△畜犯せる罪  獣類の天賦の徳性を無視し、酷待したり、殺生したりする事。

△昆虫の災  天則違反の罪をいふ。蝮、ムカデなどに刺されるのは皆偶然にあらず、犯せる罪があるにより天罰として刺されるのである。故にかかる場合には直に反省し、悔悟し、謹慎して、神様にお詫を申し上ぐべきである。

△高津神の災  天災、地変、気候、風力等の不順は皆これ高津神の業にして罪過の甚い所に起るのである。災は業はひ也、所為也。鬼神から主観的に観れば一の所為であるが、人間から客観的に観れば災難である。今度の国祖の大立替に、雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神、その他八百万の眷属を使はるるのも祝詞のいはゆる高津神の災である。皆世界の守護神、人民の堕落が招ける神罰である。

△高津鳥の災  鳥が穀物を荒す事などを指すので矢張り神罰である。

△畜殪し  他家の牛馬鶏豚等を斃死せしむる事。一種のマジナヒ也。

△蠱物  呪咀也、マジナヒ物也。丑の時参りだの、生木に釘を打つだのは皆罪悪である。』

(霊界物語第39巻大祓祝詞解から引用)

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天津罪と国津罪-1

2023-10-08 12:12:20 | 古神道の手振りneo

◎天津罪

(2016-08-26)

 

天津罪と国津罪とは、原罪のことである。出口王仁三郎の天津罪の定義。

 

『天津罪  天然自然に賦与せられたる水力、火力、電磁力、地物、砿物、山物、動植物等の利用開発を怠る罪をいふ。前にも言へる如く、いはゆる積んで置く罪、包んで置く罪也。

宝の持腐れをやる罪也。従来は文明だの進歩だのと云つた所が、全然穿き違の文明進歩で一ツ調子が狂へばたちまち饑餓に苦しむやうなやり方、現在世界各国の四苦八苦の有様を見ても、人間がいかに天津罪を犯してゐるかが解る。』

(霊界物語第39巻大祓祝詞解から引用)

 

この大きな定義を受けて、例の「畔放ち(あはなち)」などの個別の罪の解釈をしてみせるのだが、それはいずれも学者の解釈とは全く異なったものになっている。「生剥ぎ」「逆剥」の解釈は、一般の想像も及ばぬところ。

字義にとらわれず、字義を用いるのはいわば全体の三分の一程度で、あとはインスピレーションによる。そのインスピレーションの正統性が問題なのだが、そこに出口王仁三郎の持つ至高至聖の境地が反映している。

 

『△畔放ち  天然力、自然力の開発利用の事。畔(ア)は当字にてアメを約めたもの也。田の畔を開つなどは単に表面の字義に囚はれたる卑近の解釈である。

△溝埋め  水力の利用を指す。埋めには補足の義と生育の義とを包む。湯に水をうめる、根を土中にうめる、種子を地にうめる、孔をうめる、鶏が卵をうむなど参考すべし。

△樋放ち  樋は火也。電気、磁気、蒸気、光力等天然の火力の開発利用を指す。

△頻蒔き  山の奥までも耕作し不毛の地所などを作らぬ事。しき(シキ)は、敷地のシキ也、地所也。蒔きは捲き也、捲き収める也、席巻也、遊ばせて置かぬ也、遊猟地や、クリケツト、グラウンドなどに広大なる地所を遊ばせて、貴族風を吹かせて、傲然たりし某国の現状は果して如何。彼等が世界の土地を横領せる事の大なりしだけ、彼等が頻蒔の天則を無視せる罪悪も蓋し世界随一であらう。しかしその覚醒の時もモー接近した、これではならぬと衷心から覚る時はモー目前にある。イヤ半分はモーその時期が到着してゐる。しかしこれは程度の差違だけで、その罪は各国とも皆犯してゐる。

△串差し  カクシサガシの約にて、前人未発の秘奥を発見する事。

△生剥ぎ  一般の生物の天職を開発利用する事。生物といふ生物は悉く相当の本務のあるもので、軽重大小の差異こそあれそれぞれ役目がある。鼠でも天井に棲みて人間に害を与ふる恙虫などを殺すので、絶対的有害無効の動物ではない。剥ぎは開く義、発揮せしむる義也。蚕をはぐなどの語を参考すべし。

△逆剥  逆(サカ)は、栄えのサカ也。酒などもこの栄えの意義から発生した語である。剥(ハギ)は生剥の剥と同じく開発の義。即ち全体の義は栄え開く事で、廃物をも利用し荒蕪の地を開墾し、豊満美麗の楽天地を現出せしむる事を指す。

△尿戸(クソヘ)  宇宙一切を整頓し、開発する義。クは組織経綸、ソは揃へる事、整頓する事、へは開発する事。

△許々太久  その他種々雑多の義。

△天津罪と詔別て  以上列挙せる天然力、自然物の利用開発を怠る事を、天津罪と教へ給ふ義也。』

(霊界物語第39巻大祓祝詞解から引用)

 

一般に冥想修行者にとっては、日常の勤倹節約をもって、水の一滴だにムダにしないのはあたりまえのことだが、ここではもっと大きく人間の土地や宇宙開発利用や天然資源の開発利用、動植物の利用にわたるまで、現今の科学知識の埒内では問題がないとされることまでやり玉にあげている。

全体として、広大な土地や巨額の金などを保有しているだけで社会・国家・世界のために有効利用していないことを指弾している。

また軍事力の威嚇をもって他国を植民地にしたり、経済的収奪をするのは許されざること(しきまき)であって、21世紀の今もその状況は変わらないので、今現在も「世の立替え」以前の状態にあることがわかる。

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最終戦争以後

2023-08-13 07:09:04 | 古神道の手振りneo

◎隠されていた大本神諭

(2015-11-21)

 

出口ナオ帰幽後に拝読を許された大本神諭(明治四十三年旧四月十五日)の一部。

 

改めて見てみると、この前提となるシチュエーションは、霊界での神と悪魔の最終戦争が完了し、霊界からの落ち武者が現界に影響を与えて、世界が大混乱になって、現世でも世界の立替えが行われんとするところから、再興段階において活躍できる人材のリクルートと、その人たちの活躍の確言である。落ち着いて冥想修行しなさいということ。

 

日本の立替は、大本神諭にあるとおり、三、四月、八、九月。

 

大意:

『2代教祖出口スミ、3代直日は言うに及ばず、出口王仁三郎もよほど骨が折れる。これからは出口王仁三郎がご苦労するが、天命を尽くせば、世界のヒーローとして末代まで名を残すだろう。

 

神と悪魔の最終決戦後、世界は寂しくなるが、堕天使に影響された人間が大本に寄って来る。世界から利己的な人も集まってくる。神の言うことには間違いないので、安心して身魂みがきに努めなさい。そのタイミングになったら、誠の守護神が出てきて、二度目の千年王国再興をサポートする身魂が集まってくるから、大本は忙しくなる。

日本魂(やまとだましい)の誠の者がいないといっても、今では説いて聞かせば分る身魂が、千人に一人は国々所々に隠してあるから、正勝の時には神が憑いて、身魂相応のパフォーマンスをするぞ。

そのタイミングになったら世界全体が百花斉放。艮の金神たる大神の神徳が世界中に輝き渡り、歓こんでキリキリ舞をする身魂と、恐ろしくてキリキリ舞をする身魂とが分かれて来て、世界は上ったり下がったりで、大騒ぎを一旦はするが、太古から仕込んでおいたメカニズムが水も漏らさず働くようにしてあるので、天地が動いても大したことはないけれど、悪の守護神が宿って居る肉体は、誠に気の毒なものである。

この本当にステキな日の本の神国を、外国魂の悪神に勝手放題に汚されて、神は誠に残念だが、タイミングを待ってリベンジするのだから、思い当たる守護神と人民は一日も早く神を知って、元の日本魂に立帰っていて下さい。』

 

 

原文:

『後は二代三代は申すに及ばず、海潮どのが余程骨が折れるから、今の内に十分の覚悟を致して居りて下されよ。是からは何につけても海潮どのが御苦労であれど、此の御用天晴り勤め上げたなれば、三千世界に又と無い結構な御方と致して、末代名を残さして、御礼を申すのであるぞよ。

世界が淋しく成るから、神界の落武者が人民に憑りて、此の大本へ詰かけて来るから、余程身魂を研いて置かんと、耻かしい事が出来いたすぞよ。世界の鼻高も、今度の御用に使ふて欲しいと申して、段々詰めかけて来るぞよ。

神の申した事は毛筋の横巾も間違いは無いから、安心して御用を勤めて居りて下されよ。そこに成りたら誠の守護神が出て参りて、今度の二度目の世の初まりの御用を助ける身魂を何程でも引寄せるから、此の大本は眼の廻るほど何彼の事が忙しく成るぞよ。日本魂の誠のものが無いと申しても、今では説いて聞かせば分る身魂が、千人に一人は国々所々に隠してあるから、正勝の時には神が憑りて、身魂相応の御用を致さすぞよ。

そこに成りたら三千世界が一度に開く梅の花。艮の金神国常立尊の神徳が世界中に輝き渡りて、歓こびてキリキリ舞をいたす身魂と、恐ろしくてキリキリ舞を致す身魂とが出来て来て、世界は上り下りで、大騒ぎを一旦は致すなれど、昔からの経綸が水も漏さんやうに致してあるから、天地が動いても別条はないなれど、悪の守護神の宿りて居る肉体は、誠に気の毒なもので在るぞよ。

斯の結構な日の本の神国を、外国魂の悪神に自由自在に汚されて、神は誠に残念なれど、時節を待ちて返報がやしを致すのであるから、心に当る守護神人民は一日も早く改心致して、元の日本魂に立帰りて居りて下されよ。』

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北大路魯山人が出口すみの書を激賞す

2023-07-26 06:49:54 | 古神道の手振りneo

◎よがかわり てんかむるいの へたなじをかく

(2019-06-02)

 

北大路魯山人は悟っていたかどうかは知らない。毒舌、傲岸不遜だったから未悟だったのだろう。

彼は、明治末、朝鮮、中国国内を旅行、滞在し、書道や篆刻を学び、書家であり、篆刻家であり、加賀料理を極め、織部の作陶家であった。

彼の父は、彼が生まれる前に他界。京都の巡査のもとで育てられ、尋常小学校を出ると丁稚奉公した。いわゆる不条理の陰を出生直後から負うという、覚者によく見られる生い立ちである。

昭和30年陶工としての人間国宝を辞退。これには、イチローの国民栄誉賞を遠慮する心情と通底するところがあるのかもしれない。

 

さて出口すみは、王仁三郎の細君。王仁三郎は折に触れ自分の字よりすみのほうが良い字を書くと評価していた。

 

戦後、備前焼の金重陶陽(人間国宝、大本信者)のところに北大路魯山人が備前焼研究のため逗留していたのだが、床の間に仮名で「よがかわり てんかむるいの へたなじをかく」という掛け軸のあるのを発見。

北大路魯山人は、これほどの字を書く人が今の世にいるということが不思議だとして、亀岡まで彼女に会いに行った。後に北大路魯山人は、北鎌倉の自邸の床の間に彼女の手紙を表装して、来客にそれを自慢していたという。

北大路魯山人は彼女の字を天衣無縫と評している。

 

「よがかわり」は、敗戦。本守護神、本来の自己、第六身体は、もともと「てんかむるい」以外のなにものでもない。

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40年ぶりの巨人出口王仁三郎

2023-04-14 12:18:33 | 古神道の手振りneo

◎在家の菩薩が道を説くようにならな、みろくの世はこない

(2017-12-17)

 

40年ほど前の学生の時に、『巨人出口王仁三郎/出口京太郎』を読んだのが、私と出口王仁三郎の出会いだった。それ以前に高橋和巳の邪宗門を読んだのだが、あまりピンとは来なかった。

 

これ以後、大本神諭の天の巻、火の巻を大学図書館で閲覧したが、内容があまりにも世紀末的なのにドキドキしたことを覚えている。

 

大本教の信者であったことはないのだが、大学生の一時期霊界物語をいつも一冊持ち歩いて外出時にも霊界物語を寸暇を惜しんで(それなりに忙しかった?)読み進めた時期もあった。

 

いま巨人出口王仁三郎を読むと、内容があまりにも濃厚、かつ出来事の分量も膨大すぎて、通常の偉人でいえば、30人前くらいの仕事を一生でこなしている印象がある。

 

まして出口王仁三郎の周辺知識を持たない学生がこれを読んでも、まともに理解できるのは、超能力のところと、二度にわたる教団への弾圧のところくらいだったろうと思う。

 

出口王仁三郎を理解する道具立てとしては、

1.明治維新の薩長米英仏主導の経緯

2.出口王仁三郎の有栖川宮ご落胤説

3.明治天皇も西郷隆盛も写真がない理由と孝明天皇、14代将軍家茂の早世の原因

4.軍部、右翼、皇族との関係

5.戦後の大本系新興宗教教団(神道天行居、生長の家、世界救世教、三五教など)の隆盛と日本会議への流れ

6.国家神道の発展と解体

7.薩摩出身の古神道家本田親徳との出会い

8.チャネラー出口ナオ

9.二度の大本教弾圧事件

10.信者への帰神メソッド(チャネリング)の放棄

11.七福神の位置づけ

12.第二次大本教事件前夜に教団のご神体をすり替え、それを笹目秀和をして崑崙山中に返還せしめたこと。(巨人出口王仁三郎にすり替えシーンの記述がある。また笹目秀和の「神仙の寵児」はその経緯である。)

13.昭和神聖会

(対石屋姿勢の転換)

14.古事記復興としての霊界物語と日本の予言である瑞能神歌

15.戦後世界の未来のプロトタイプとしての第二次大本教事件

16.霊界宇宙の呈示(霊界物語)

17.言霊の大要の呈示(霊界物語)

18.死の技術としての古神道再提示(出口王仁三郎は六度死ぬ

19.超能力の使い過ぎ

(アストラル・トリップ、自動書記、霊縛、透視、未来予言、念力、他心通)

 

今の学生さんや若い人に必読書を挙げるとすれば、次のようなところだろう。

 

・巨人出口王仁三郎/出口京太郎

・モンゴル神仙邂逅記/笹目秀和

・霊界物語

・新月の光/木庭次守

・道の大原

・瑞能神歌

・出口王仁三郎全集全八巻(国会図書館デジタルアーカイブからダウンロードできるやつで天声社)

・惟神の道(国会図書館デジタルアーカイブ)

 

『巨人出口王仁三郎/出口京太郎/講談社』の中に「在家の菩薩が道を説くようにならな、みろくの世はこない」(上掲書P311から引用)という出口王仁三郎の発言がある。

 

在家の菩薩とは、在家で神知る人、仏知る人で悟った人のことである。

 

平素から坐るようにならないと。コンビニのお兄さんお姉さんも坐る時代にならないと。

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幽斎と顕斎の混合

2023-04-14 11:47:05 | 古神道の手振りneo

◎神像も神社もなく

(2017-03-27)

 

出口王仁三郎のマスターである本田親徳の道の大原から

『幽斎は霊を以て霊に対し、顕斎は形を以て形に対す。

故に幽斎は神像宮社無し、而して真神を祈る。

顕斎は神像宮殿有り、而して象神を祭る。俗学蒙昧にして古義を知らず、混じて以て一と為し、岐して以て万と為し、底止する所無し。実に祭儀の大疵なり』

 

古神道では、幽斎と顕斎を分ける。幽斎では、「霊を以て霊に対し」とは、祭祀に形がなく、神像も神社もなく、大神のみを祈ることを言う。

 

これに対し顕斎では、「形を以て形に対す」とは、神像も神社もあって祭祀にも決まった形があることをいう。

 

ところが、世の中にはこの基本を知らず、まぜこぜにしている神社があるのは、祭儀の疵(きず)になっていると、本田親徳は指摘する。国家神道などは、その典型だったのだろう。

 

およそ物事の初めには不思議な力が宿っているものなので、最初に出す言葉は慎重にせねばならないし、祭儀もいわば最初に出すパフォーマンスなのだから、慎重にせねばならない。

 

道の大原では、「神界の中は、無形之中なり也。その中は測ることができないので、言葉をまぜる勿かれ」と。この中は、未発の中のこと。

 

参拝客を増やすのには、わかりやすい拝殿やら大祠、小祠があったほうがよいが、それでは信仰の半分に過ぎず、不足している。

 

この時代の人間が悪くなりすぎたせいか、帰神は、冥想テクニックとしては棄てられ、今や鎮魂だけになった。鎮魂で幽斎が、古神道のメイン・ストリームなのだと思う。

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