◎映画Wild Wild Countryなど
相変わらずラジニーシ(OSHOバグワン)の崇拝者は、世界中に多い。
2018年エミー賞ドキュメンタリー部門受賞作の映画『Wild Wild Country』これは、ラジニーシ教団をテーマにしたもので、最近は、Netflixでも見れる由。
まだこの映画は見ていないが、
ブログ“ちょっと便利な備忘録”の「ドキュメンタリー『Wild Wild Country』徹底解説 その#1」
https://dogearmemo.wordpress.com/2018/09/26/netflix-documentary-wild-wild-country-analysis-part1/
と英語wikipediaの
https://en.wikipedia.org/wiki/Rajneesh
を読んで、いくつか気がついたことがあった。
OSHOバグワンは、1964年に「第三次で最後の戦争が今進行中である」と述べ、世界的な自殺を避けるために「新しい人類」を創造する必要性があると主張していた。
1980年代にオレゴンに渡ってからは、「1990年代に核戦争やその他の災害によって世界が破壊されるかもしれない」という予測を出し、
1984年3月、シーラ(教団ナンバー2)は、OSHOバグワンがエイズによる人類の3分の2の死を予測したと発表した。
これにより、オレゴン・コミューンが、ノアの意識の箱舟を作る場として位置づけられたらしい。つまりノアの意識の箱舟に乗るのが、新人類という選民になる。
人類の生存率三分の一は、当時の予言では相場と言える。新人類という選民は「悟った人」ということになる。OSHOバグワンは、何人に一人悟りを開けば、新時代がソフトランディングするみたいなことも述べていたが、オレゴン・コミューンの人口に比較しても、悟る人数は全然それには足らなかった。
私の見るところ、
まず、OSHOバグワンは、コミューンを作って新時代へのエンジンとしようとする志は持っていた。そして彼は、インドのプーナとオレゴンにコミューンを形成することができた。しかしながらいずれも成功したとは言い難い結果に終わっている。最後は世界中から村八分になってインドに戻ってきた。
その原因は、OSHOバグワンが弟子の育成にあまり熱心とは言えない雰囲気だったこととコミューン経営にあまり関心がなかった風であることだと思う。いわばコミューンさえ作ってある程度のルールを与えれば、きっと覚者も多数生まれ、コミューンも拡大していくのではないかとでも思っていたのではないか。
何しろ、彼は荘子の生まれ変わりであって、荘子も覚者としてのパフォーマンスを行い教えも説くが、親身な弟子の育成シーンはほとんどない。OSHOバグワンもそんなところがある。だからコミューンがああなってしまったのは必然ではあると思う。ただし、今では想像もできないかもしれないが、1980年代は、OSHOバグワン周辺のエネルギーたるや、すさまじいものがあったことは、その熱気の記憶として残っている。
彼の講話録を見ると、1970年代と末期のウルグアイ時代は、非常にすぐれた内容のものがある。聴衆が優秀だったのだろう。師匠も弟子も切羽詰まらないと、よいやりとりは出てこないものだ。
OSHOバグワンについては、「OSHOアメリカへの道」やこの映画「ワイルドワイルドカントリー」のように、彼の境涯(悟りのレベル)には、ほとんど関心を寄せず、不肖の弟子たちの行動の方に興味の主軸を置く見方もある。その一方で、全く体系的でなく、脈絡も厳しい彼の片言隻句に、とんでもない叡智があることを発見し、それを捜しまわる私のような者もいる。
そのように彼への見方は様々だが、七つの身体という新時代への突破口を開いてくれた功績は大きいと思う。ケン・ウィルバーの意識のスペクトルなども七つの身体論を承知して進めている。本物の覚者で、後進のまともに役に立つコアな情報を与えてくれる人は、迫害されたり、悪評ふんぷんだったり、時に大悪人みたいに書かれたり映画で描かれたりするものではある。