◎断食、五穀断ちの効果と弊害
『裴航は唐の長慶頃の人で、進士の試験を受けたが不幸にして落第したので、鄂渚の附近に遊んで胸の鬱屈を癒していた。 然るにここに彼の旧友に崔相国という者がいて、彼にひどく同情を寄せて銀子二十万ばかりを彼に贈った。 そこで彼はこれを持って落第の恥辱を雪ぐために再び京都へ引き返し、道中船に乗って二三日を波の上に暮らし、急がぬ旅で悠々と諸方を見物していたが、同じ船に樊夫人という一人の美人が乗っていることを聞き、一度その姿を見ようと思い、種々工夫して機会を伺っていたけれど、夫人は常に室の中に閉じ籠っていてめったに外へ出なかったので、彼はついに夫人を見ることができなかった。
そこで或る日彼は心に一策を案じ、夫人の侍婢の雲英という者に頼んで一篇の詩を夫人の許へ送って遣った。 その詩に曰く、
「向為相越猶懐想。況遇天仙隔錦屏。倘若玉京朝會去。願隨鸞鶴入青冥。」
(大意:かつてすれ違っただけの相手を忘れられずにいたが、今こうして(屏風越しではあるが)天女のような美しい人に再会でき、感慨もひとしおである。もしあなたが仙人の住む都へ行くのであれば、私も鸞や鶴に従って、どこまでもあなたと共にあの青空の彼方へ行きたい)
すると翌日経て、夫人の許から侍婢を介して言ってきた返事には、「自分の夫というは今漢南にいるが、近い中に官を辞めて田園に退隠しようと思っている。
そこで一旦わたしの意見も聞いて、然る後どうなりと決めたいという事で、それがために自分は今種々と行く末の事を考えて独り煩悶しているのである。 であるから、今浮いたことなどに心を寄せる暇もない。 だが貴郎とこうして同じ船に乗り合わせたのも何等かの宿縁であろうと思うから、お互いに話し合って旅の退屈を紛らわせる位にして欲しい」と言って、最後に一篇の詩を示している。
「一飲瓊漿百感生。玄霜搗尽見雲英。藍橋便是神仙窟。何必崎嶇上玉京。」
(大意:仙人の飲み物を飲んだ時の尽きない感慨、そして仙女・雲英との出会いを詠っています。さらに、仙境への入り口とされる「藍橋」こそが仙人の住む場所であり、わざわざ険しい道のりを経て玉京(仙人の都)まで行く必要はない)
船が洛南に着くと、樊夫人は侍婢に化粧道具を入れた箱を持たせ、裴航には一言の挨拶もなく、そのまま上陸して下って行った。 これを見て裴航は慌てて上陸し、急にその跡を追跡してその行方を探したけれど、一向に分からなかった。
それより彼はひたすら道を急いで藍橋という駅を通ると、折節喉がしきりに渇いて堪え切れなかったので、傍の民家に行って水を乞うと、その家は三四間程の茅屋で、一人の老女が軒の下に座って麻糸を紡いでいたが、裴航の姿をじろじろ眺めてやや軽蔑した調子で娘の雲英を呼び、一杯の漿を持ってきて彼に飲ませるように言い付けた。 その時裴航はふと樊夫人の時に雲英の語があったのを思い出し、しかも場所もやはり藍橋であるので、彼は心の中に不審に思っていた。 暫くすると戸口の前に懸けて置いた葦で編んだ簾の下から、細い美しい手が出て、甕壺(かめつぼ)を裴航の前へ突き出した者がある。

そこで裴航は例の甕壺を受け取ってこれを飲むと、実に甘露の味がして我知らず喉を鳴らして悉く皆飲み干してしまい、その物を再び軒の内へ返す際に思い切って内を覗くと、十六歳くらいの美しい女の子が一人、笑みを帯びてそこに立っていた。
これを見ると裴航はにわかに心を動かし、急に彼女が愛おしくなって堪らないので、「身体が大分疲れきっているから、暫時の間ここに休憩させてくれ」と老女に請い、軒の下に腰を掛けて暫時息を休めている中、先刻水をくれた女の子はあの老女の孫娘であることを聞き、早速「結納はどっさり遣るからあの娘を自分の妻に呉れないか」と老女に談判すると、老女は笑って言うには、「自分はもう大分年も老いているから、もし適当な郎君があったら一日も早くあの娘を嫁がせてしまいたいと常々思っているのである。 然るに昨日突然一人の仙人が現れて薬を一杯与え、この薬を玉の臼に入れ玉の杵を以て搗き、百日経った後これを飲めば、不老不死の寿命を得て、末長く楽しむことが出来ると言ったので、私はその玉の杵臼を手に入れたいと思っているのである。 それで若し郎君が真実にあの娘が欲しいと思うならば、
その玉の杵と臼を持ってくればいつでも娘を差し上げましょう。
裴航はこれを聞いて大いに喜び、百日経てばきっと玉の杵臼を探して持ってくるから、それまでは何人にも契約をしてはならぬぞと堅く約束し、彼はそれから京都へ到着すると、直ぐに四方を奔走して玉の杵臼を詮索し、途中で友人等に出逢っても素知らぬ振りして通り過ぎていた。 そこで彼を知っている者共は皆彼を以て発狂した者と思い、誰一人として彼を相手にする者がいなくなったが、しかし裴航は結局これを煩わしくなくって良い幸福と思っていた。
そうこうしている中、彼はある所でふと一人の玉商人の老翁に出会い、自分が故あって玉の杵臼を探し求めている由を告げると、例の老翁は近頃ガク州の卞老の許から音信があって、ガク州に一人の玉の杵臼を売っている者がいることを知らせて寄越したが、「君がそれほど熱心に探し求めているのならば、君のために委細のことを認めて卞老の許へそう言って遣ろう」と言って、一通の紹介状まで認めてくれた。
そこで裴航はその紹介状を以てガク州へ赴き、例の卞老に面会して委細包まず物語ると、例の卞老は銭二百緡(一緡は千枚)なければその物を手に入れることが難しいと言ったので、裴航は財布の底を叩いて限りある金を出したが、それでもなお少し足りなかったので、下僕と馬とを売ってその玉の杵臼を購った。
そこで裴航は例の玉の杵臼を大切に懐中して藍橋の老女の許へ行くと、老女は大いに喜んで早速娘の雲英を彼に与えることにした。 その時例の雲英は今すぐに婚礼をしてもよいが、成るべくは百日の間待ってから、その後でゆっくり婚礼を済ますのがよかろうと異議を申し出たので、裴航も止むを得ずそれに同意した。 その時老女は袖の間から仙薬を取り出して裴航に与えて毎日それを服用させ、夜になれば例の杵と臼を戸袋の中へしまっておいた。
然るにここに一つ裴航にとって不思議なことは、夜半になると毎夜例の袋の中で何者かしきりに薬を搗(つ)く音がするので、ある夜裴航は怪しんで密かにその中を覗いて見ると、驚いた、一匹の兎がいてしきりに杵を持って搗いているのであった。
そして百日が経つと、老女は例の薬を服用し、そして裴航に向かって、「自分は一足先に仙洞へ行って広く姻戚の者共にその旨を通知し、吉日を選んで婚姻の式を挙げるから、汝は暫くここにいて使者を遣わすまで待っていてくれ」と言って、娘の雲英を連れて裏の山へ登ってしまった。 然るに数日経つと、例の老女の許から一人の使者が現れたので、彼はその使者と一所に老女の住家へ行ってみると、そこは極めて宏壮華麗な建物で、雲に聳える高楼、蜂の巣のように取り巻いた回廊、金銀をちりばめた大門小門、それから室々を飾る錦帳繍幄など何れも華美を尽くし、而して使っている仙童玉女その数幾百人、その豪奢なこと帝王でもこれほどまではできないかと思われた。
その時老女は裴航に向かって、彼はもともと裴真人の子孫で、仙人となるべき宿縁は既に生まれた時からあったのであることを告げ知らせ、次に諸々の姻戚の人々へも彼を引き合わせた。
その時髪を環に結び、身に寛衣を着た一人の女仙が居たが、老女はこれは汝の妻の姉であると紹介したので、裴航は丁寧に初対面の挨拶を述べると、女仙は顔に溢れるばかりの笑みを湛え「もう妾を忘れたのであるか」と言ったので、裴航は驚いて顔を上げてじっと見ると、思いがけず、この仙女は即ち彼の樊夫人であったので彼は今更ひどく羞じ入って、先日の無礼を頻りに陳謝した。 後で聞けばこの仙女は名を雲翹夫人といい、劉綱仙君の妻で、今は真人の位に列して玉皇女史となっておられる、とのことであった。
ここにおいて裴航夫婦は老女に連れられて、自分たちのために設けられた玉峯洞中の住宅に引っ越し、その後は一切五穀を避けて絳雪瓊英の神丹を服用していたが、身体は何時しか自然と軽くなり、毛髪も何時しか紺碧に変わり、それに多くの仙術を会得し、位も追々に進められてついに上仙に叙せられた。
太和年間、裴航の友人に盧敖という者がいて、藍橋駅の西でふと出逢った時、裴航は己が仙道を得た来歴を詳しく語った上、更に藍田の美玉十斤と紫府雲丹一粒とを盧敖に与え、そして互いに別れる時になると裴航は故郷に残っている親戚旧友の人々へ宛てた手紙を彼に依頼した。 その時盧敖は彼の袖を控えて、「君が念願の仙道を得られたからは、友達甲斐に一言の教えを自分に授けてくれ」と乞うと、彼はその心を盛んにしその腹を満たすといった老子の言葉を引いて、「今の人々が却って
その心を満たすことに努めているから得道することができぬ由を告げ、更に言葉を続けて、「一体人の心には妄想という者が多くあって、そして腹からは絶えずその精液を外に漏らしているから、並大抵の者には虚実の妙理を味わって仙道の秘奥を悟ることはできない。その普通の人々には或いは不死の術とか、或いは還丹の方とか、それぞれ適当な道が設けられているのだ。今それを詳しく説いて聞かしてもよいが、しかし君は未だそれを授かるべき時期に及んでいないから、仙界の秘事は容易に漏らすことはできない」と言い終わると、その姿が忽ち掻き消すように失せてしまった。』
裴航は、もともと道教修行はいい線に行っていてたが、女仙に導かれて、五穀断ちなど修行を継続した。
気になるのは以下のくだりで、『玉峯洞中の住宅に引っ越し、その後は一切五穀を避けて絳雪瓊英の神丹を服用していたが、身体は何時しか自然と軽くなり、毛髪も何時しか紺碧に変わり』
五穀も食べなかった由だが、ダンテス・ダイジの片言隻句によれば、消化器官が退化するということもあるようなので、断食、五穀断ちは気軽にやるものではないものなのだろう。