◎八仙人の神通力にもこだわらない
淮南王劉安は、淮南子の著者。『淮南子』は、前漢の武帝の時代(紀元前2世紀頃)に、劉安が多くの賓客(学者や方術の士)を招いて編纂させた思想書だが、オカルト的に見るべきものがある。『生を出て死に入るとは無より有にゆき、有より無にゆき、そして衰賤す。この故に清静は徳の至りにして、柔弱は道の要なり』淮南子の原道訓など。。
『淮南王劉安は漢の高帝の孫で、平生仙術を好み、内書二十一篇を著し、次に鴻宝万年二巻を著して錬化の道を説いた 。
ある日、八人の老人が劉安の門前で面会を求めた時、門番の男が彼らに向かって言った 。
「我が主人が第一に求めているものは、病の根を断ちて不老不死の長生を得る道である 。」「第二は学広く識高き賢者である 。」「第三に力は鼎を挙げるに足り、勇は暴虎を制するに足るほどの豪傑である 。」「この三つのものを兼ね備えている者でなければ、たとえ面会したとしても到底採用される望みがないから、このまま帰られた方がよかろう 。」
これを聞いた八人の老人たちは互いに笑って言うには、「我々の年老いて何の役にも立ちそうに見えないのでそのように言うのであろうが、しかし我々は王が賢者を敬って厚く士人を遇するということを聞いたので、わざわざ面会を求めているのである 。」「それ賢主は一端のためにその人を捨てずと言って、いやしくも多少の才芸に秀でているものは、その種類を問わず召し抱え、その才能に応じてそれぞれ抜擢任用するということを聞いている 。」
「今我々は年も老い、その上才浅く能少なくして王が望んでいる三つの資格を有してはいないにしても、ともかく一度名を通して面会するように取り計らってくれ、その上でどうなろうと、それはまた知れたものであろう 。」「もし王が少年だから有道の者であると言い、老人だから無能の者に決まっていると思し召すなら、致し方ないが、おそらく汝の主人はそれほど物の道理を弁えぬ者でもあるまい 。」
件の八人の老人がかく言い終わると、たちまちにしていずれ皆 、十五六歳の美少年となった 。これを見た門番は大いに驚き、急ぎ劉安王のもとに行って一部始終を話すと、王はこれを聞いて履をはく暇がなかったので、裸足のまま急ぎ出て迎え、
早速八人の老翁を思仙台に招待し、錦の帷を垂れ、象牙の床を設け、百和の香を焚き、金玉の机を備えて厚くこれを遇し、自分は弟子の履くくつを履き、恭しく北面して謹んで教えを乞うた 。
その時件の八人はまた元の老人となって、さて言うには 、「我々はかねて王が道を好んでいらっしゃるということを聞いて、わざわざここまで出て参ったものであるが、さて王がお求めになるものは、どのようなものであるか 。」
「我々の一人は神通広大であって、座して呼べば風雨にわかに到り、起きて呼べば雲霧直ちに起こり、日月を蔽い、天地を覆う 。」
「また地上にその形を置けば、それがたちまち渺茫たる湖海となり、土砂を振り取って平地に置けば、それが直ちにして広々たる山岳となる 。」
「今一人は山を崩し、谷を埋め、あるいは木の流を止めて淵の底を涸らし、あるいは龍虎を制御し鬼神を使役するなど何事でも思う通りにならぬものはない 。」
「今一人は変化の術に通じて、形を変えること手のひらを返すよりも易く、隠顕出没意のままになすことができる 。」
「今一人は雲に乗って空を渡ること平地を行くよりも易く、針ほどの孔隙さえあれば、いかなる場所へも出入り自在で、千里の遠いところでも一瞬の間に往復することができる 。」
「今一人は火に入っても身体が焼けず水に入っても衣服が濡れず、いかなる刃物や矢でもその皮膚を傷つけることができない 。」
「そしてまたいかなる極寒の冬でもその身凍えるということもなく、いかなる酷暑の夏でもその身汗ばむということがない 。」
「今一人は変化自在の道に通じていて、天地間にありとあらゆる全ての物に化けることができる 。」
「また山川丘陵をこちらからあちらへ転移することもできる 。」
「今一人は一切の厄神病魔を禁厭して天下人民の害毒を除き、またよく年を延ばし寿命を増して不老不死の術を得さすことができる 。」
「今一人は泥を煎じて金となし、鉛を焼いて銀となし、水で八石を煉って珠と変じ、龍に乗り雲に駕して、高く九天の上に遊ぶことができる 。」
「以上は我々八人の有っている仙術の大要であるが、どれでも王のお好みになるものを求めなさい、我々は喜んでその玄術の秘訣を授けましょう 。」王これを聞いて大いに喜び、直ちに酒を出して厚く彼らを厚遇し、一人一人その技を試させると、果たしてその言葉通りであった 。
そこで彼ら八人の道士は王に丹経および三十六の水銀を練る法を授けた 。
さていよいよ仙薬も練り上がって、まだそれを服用しないうちに、偶然とした災難が劉安の身に起こったというのである 。劉安に一人の子がいて遷と呼んだ 。平生剣術を好んであったが、郎中の雷被という者と戯れに剣術の試合をすると、雷被は誤って遷を斬り殺した 。雷被は自分が誅せられるのを恐れ、皇帝に劉安が謀逆を企てていると讒言した 。
そこで彼の八人の道士は劉安に「これも畢竟は天帝が王を呼び迎える機会が来たのであるから」と言って、強いてここを逃げ去るように説き勧め、共に一所に山へ入り、そこで八人の道士は天地を祭って金を地中に埋め、劉安を連れてついに昇天していった 。
この八公と劉安が踏んだ所の石は皆そこが窪んで、今にその足跡が残っているということだ 。その時そこに放り捨てた薬鼎の中の獲物を鶏や犬どもが舐めたので、彼らもまた仙気を得て同じく昇天していった 。よってその日雲中に鶏の鳴く声や、犬が吠える音がかすかに聞こえてあったということだ 。
また一説によると劉安は鴻宝万年の術を得て不老不死の仙人となり、後尸解して昇天し、太極真人の位を授けられたそうである 。』
劉安は、王として生まれながらも道を極め、すべてのすべてである神(第六身体アートマン)となった。八仙の神通力の数々は、すべてのすべてである神とはどういうものかを具体的に示したものだが、そうしたものにすらあまり関心を惹かれなかったので、白日昇天し、さらに一歩進んでなにもかもなしのタオを目指して、犬も鶏も昇天したのであった。猫が出てこないが、家畜はまさしく家の主人の運の消長の影響を受けるものだと思う。