詠里庵ぶろぐ

詠里庵

シュワルツコップ

2006-08-16 07:12:14 | 日々のこと(一般)
が亡くなりました(10日以上前の旧聞に属しますが)。マリア・カラスがオペラの女王とすればシュワルツコップは歌曲の女王でしょうか。特にシューベルトはいいですね。

で、彼女がナチスに関係していたというニュースもありました。昨日だったか、別の有名作家(名前は忘れた)がナチスの青年なんとかに属していたという告白の記事もありました。他にも最近そういう話を聞きます。昔からある話ではフルトヴェングラーのナチス関与ですね。日本版としては山根銀二による山田耕筰糾弾が有名です。

こういう話を聞いて「イメージに傷がつく」と思うでしょうか? 私は、もちろん個々については事情を知らなければなんとも言えませんが、一般論としては次のように思います。

 シンドラーのリスト(あら筋以上には見たくない映画)にしてもサウンド・オヴ・ミュージック(このすばらしい映画は歌を楽しむべきものでナチスは単なるエピソードの一つにすぎません)にしても、現代の我々(特に欧米)の感覚には、ナチスは「我々とは異質な、無関係な、根本的に邪悪なもの」というのがあると思います。つまり我々の外にある境界条件の一つという感覚ですね。
 しかし、当時ドイツ国民の何十%がナチス支持でその何%がナチス運営に関与したか知りませんが、当時ドイツに生まれていればその確率でそうなっていたということです。「私だけは絶対なっていなかった」というのは統計学に反するように思います。現代の我々が現代社会を肯定するくらいの感覚だったかもしれません。ある意味でナチスのようなものは我々一人一人の内側に隠れていて、今の世の中ではたまたまそれを殺すことができているだけとも言えます。それを描かない文芸や映画にはもの足りないものを感じます。そこまで掘り下げないと再燃を防げないような気もします。その点、まだスター・ウォーズの方がましかもしれません。
 さてその何十%や何%がたくさん現在生きていて何ら不思議ではありません。それらの人達を簡単には糾弾できないでしょう。もちろん国レベルでは「あれは今の我々と無関係な邪悪なもので我々も徹底的に排除している」というけじめが必要でしょう。ドイツはそれに成功し、日本は成功しきっていないわけですが、個人レベルでは「そういう人は私とは別世界の人」ということはできないと思います。

ま、個々については、邪悪の程度や事情がまちまちなのでいろんなものをいっしょくたにはできません。ま、将来ヒマが出来たら、悪名高いシュタルク(シュタルク効果のシュタルクです)もフレンニコフ(ショスタコーヴィチとプロコフィエフをいじめたやつです)も、実際はどうだったか、調べてみたいと思います。(が、他のことを優先するような気もします。誰か教えてくれないかな?)
コメント
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