ひとり焼肉パーティー

2013年02月18日 | 健康・病気

今日も雪がたくさん降りました。
職場でしっかり雪かきをしました。
もう、雪はけっこうです。
見たくもありません。

職場からの帰りツルヤで買い物、夕食のためのものです。
「鮮びん長まぐろ刺身」が150円引き、
「黒豚もも肉超うす切」というのが120円引きだったので購入。
家にキャベツ・たまねぎ・にんじん・ピーマンがあるので焼肉をすることに決定。

野菜を切ってしまって、こんなには食べられないと後悔。
一種類の肉しかなく寂しかったが、なかなかおいしくいただきました。
でも、ひとりというのが寂しいですね。
明日東京に行きます。
軽井沢の雪とも“ちょっと”さよならです。

 

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カーリング日本選手権

2013年02月17日 | 健康・病気

 

中部電力が3連覇=男子はSC軽井沢クが優勝―カーリング日本選手権(時事通信) - goo ニュース

カーリングの日本選手権が終わり、男子はSC軽井沢クラブが、
女子は中部電力が世界選手権(ラトビア)への切符を手にした。
どちらのチームも軽井沢出身の選手が多いですね。
現在、軽井沢町民の私としては嬉しいです。
世界選手権応援します。

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句作3つの約束

2013年02月17日 | 健康・病気

2月14日の九想話「長嶋有」への旗坊さんのコメントが、
私にとって重要なことなので今夜の九想話にします。

旗坊さんは、私の俳句の師匠と仰いでいるひとです。
師匠は、俳句を作るときに次の3つのことに気をつけるようにという。
1 季語が動かない
2 説明しない
3 類想がない
私は、40歳から俳句を始めた。
たまたま入ったパソコン通信(ASAHIネット)の会議室に句会があった。
「わいわい雑俳塾」という句会です。
それまで俳句というと山頭火の自由律俳句しか興味がなかった。
なんの気まぐれか、3つの題に句を作り投句してしまった。
それから毎月句作に苦しんできました。
句会は月に一度なのです。
途中1年ほど休んだときもありますが、現在も参加しています。
これのほかに、「第七句会」という句会にも入っていました。
現在は、年に4回行われる和句輪句の会という句会にも投句している。

旗坊さんと出会ったのは3年前ぐらいでしょうか。
初めて飲んだときに、“句作3つの約束”を教えてくれた。
その3つのことはなるほどと納得出来ることでしたが、それから句を作ることが苦痛になりました。
それまで私はお気楽に俳句を作っていた。
それで句会ではいつも下位をうろうろしていましたね。
ところが“句作3つの約束”を頭の隅に置いて句を作り始めてから、
句を作るには苦しみますが、句会では上位のほうにいるようになりました。
今では“句作3つの約束”は、私の宝になっています。

ところで長嶋有さんの俳句のことですが、
彼は、スーパーで豆を買うとおまけにもらう紙の面のことを詠んだだけです、といっていた。
さっき録画したものを再び観ました。

> 原句では鬼の面の軽さと表現していますが、紙だとわかります。
> 添削句はわざわざ紙の軽さと説明を付け足しました。

冷静に判断すれば師匠の指摘することに納得です。
師匠が、この3つに気をつけてと教えてくれた中の、“説明”になっちゃうのですね。
私は、添削された句のおわりが「鬼の面」で終わるので引き締まった、と思いました。
しかし、師匠のいわれるように「紙の軽さ」は“説明”ですね。
たとえば、こうしたらどうでしょうか?

 豆撒きの紙一枚の鬼の面

選者の大石さんは、「お面」の“お”が幼い、
それを消すために「鬼の面」にした、といっていました。

 

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森山良子

2013年02月16日 | 健康・病気

2月13日(水)の「スタジオパークからこんにちは」(午後1:27~午後2:00NHKテレビ)は、森山良子がゲストだった。
息子と義理の息子のことを語り、デビューしてからなどのことを話していた。
そして最後に、「アヴェマリア」をピアノ伴奏で歌ってくれた。
最近はクラシックを歌っていて、そのコンサートをやっているという。

1月に私の施設で森山良子のコンサートがありました。
そのときに聴いた彼女の歌声は、60歳を過ぎたというのに、美しいすばらしい伸びのある歌声だった。
「悲しき天使」を歌ったときは、体育館の客席を隅々まで走り回り、お客さんとハイタッチをしていた。
私は、高校生の頃から森山良子の歌を聴いてきた。
そのひとが現在も活躍しているという事実に感動する。
私はその日、会場の暖房を担当していたので、客席の温度を確認する必要があってときどき中に入った。
「涙そうそう」「さとうきび畑」を聴きました。

森山良子「さとうきび畑」(from 『Concert Tour2007-2008』)

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また雪

2013年02月15日 | 健康・病気



朝、目覚めるとこの状態でした。
雪がガンガン降っていた。
もう、おれとしては遠慮したい。
おれは今日、夜勤です。
いろいろ思い悩んだ末に、出勤前に雪かきをすることに決めた。

  



向かいの家のワン公が心細そうにおれを見つめる。



急いでザっとやった。



何もすることのないワン公はおれのいるほうを一所懸命見る。

 

時間がないので雑ですが、とりあえず雪かきはやった。
しかし、雪は空から落ち続けているので、すぐ元のようになってしまう。
おれは、雪かきを終えて風呂に入り、汗を流して職場に急いだ。
ところが、18号バイパスに出ると車の渋滞だった。
雪が嫌いになりそうです。

仕事を終えて、午後10時半に職場を出る。
ます、車の上の雪かきをして車に乗る。
フロントガラスの雪が凍っている。
半端じゃなく雪が道路にある。
正直、怖い。
家に帰り女房にメールをする。

> 家に無事到着。
> 雪道が怖い。

返事が来た。
> それが心配。

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長嶋 有

2013年02月14日 | 健康・病気

2月10日日曜日朝の「NHK俳句」のゲストは、長嶋有だった。
私は久しぶりに彼の姿を見た。
長嶋有さんと初めて出会ったのは18・9年前だと思う。
第七句会のオフ句会で何回か会った。
第七句会は、ネット句会で月に2回、取りまとめをする人にメールで投句した。
正選と逆選があり、きびしい句会だった。
正選は、“良い句”ということだが、逆選は“だめな句”ということでマイナス点になった。
その頃はまだインターネットではなくパソコン通信でしたね。
その中に、川上弘美さんもいた。

年に何回か東京のある場所に集まってオフ句会をやった。
そのときに私が一番話したひとだった。
彼と私は年が20歳離れている。
それなのになぜか気が合いいろんなことを話した。。
テレビの彼は、まったく雰囲気が変わっていなかった。
思わず声をかけたくなるときがあった。
長嶋有は、芥川賞作家、私は、ただのひとだ。

番組の最初に、「東京マッハ」というイベントのことを話していた。
句会をライブとして客に見せたという。
そこに川上弘美さんも参加していた。
芥川賞作家が2人もいたら、それだけでも観に行く人はいるだろうな。

長嶋有さんは、この番組の添削のコーナーが好きだといい、
選者の大石悦子に自分の句も添削してもらいたいと頼んでしてもらった。
彼の句は、

 豆撒きの鬼のお面の軽さかな

これを大石悦子が添削してこういう句になった。

 豆撒きの紙の軽さの鬼の面

なるほど、引き締まってよくなっている。
私もこの添削のコーナーは好きです。
私の句も添削をしていただきたい。

いつかまた、長嶋有さんと酒を呑みたい。
彼が会ってくれるような人間にならなければ………。

過去に長嶋有さんと川上弘美さんのことを書いた九想話です。
2001年5月17日「文學界新人賞
2001年4月22日「川上弘美さん

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春一番?

2013年02月13日 | 健康・病気

今朝も私は6時半に起きてラジオ体操をやった。
昨秋からだいたい週に5回はやっている。
ラジオ体操を、身体のために私は死ぬまでやっていこうと思っています。
去年ものすごい五十肩の痛みが再発した。
そのとき、以前ラジオ体操で治ったということを思い出し、やるようになった。
薬など飲むよりよっぽどいいです。
外を見ると雪が積もっていた。

ラジオ体操を終えて私はまた布団に入った。
今日は、休館日で仕事が休みです。
そういえば、女房が水曜日に病院に行くといっていた。
女房に「今日、病院に行くんだっけ?」とメールすると、
「だよ~、今、電車」と返ってきた。

10時頃起きて食事にした。
外にはものすごい風が吹いていた。
まるで関東に吹く春一番のようだった。
しかし、長野県には吹かないと聞いているし、去年までこんな風の体験はなかった。
といってもほんの10キロも行けば群馬県だ。
そのあたりでは春一番は吹かないのだろうか?

0時51分、「内科検診の結果はどう?」とメールした。
「心電図、血液検査、CTも、やったよ。結論は、異常なし」ということだった。
「元々、低血圧だから、急に立ったりしないで、ゆっくり立ち上がるとか、
 そういう予防をするしかないんだって」
紹介者なしで大学病院に行ったのでプラス5,000円で、13,000円かかったそうだ。
とりあえずはよかった。
女房は、病院の帰りにスポーツクラブに行ってプールで泳ぐといっていた。
ほんとにあのひとは泳ぐことが好きだ。

私は午後2時過ぎ、久しぶりにトンボの湯に行くことにした。
1月の後半は、メンテナンスのためにトンボの湯の休みの日が多かった。
入るとき下駄箱に靴が29足あった。
やはりこの時間になると客が多い。
これからはやはり午前中に来なくっちゃと反省した。
私は、客の靴が10足ぐらいのときを理想としている。
身体を洗い、大きな湯船に身体を沈める。
このときが“極楽”です。

 

女房は最近軽井沢に来たときに、あまり「温泉に行きたい」といわなくなった。
どうしたのかな?、と不思議に思っていた。
それがやっとこの頃わかった。
それをメールに書いた。
「えみさんはいつも、スポーツクラブの風呂に入っているから、
 軽井沢に来てあまり温泉に行こうといわないんだね。きっとそうだよ」
「だね、あたり~」と返事があった。
もうまったく単純な頭の構造をした女房です。
女房は、会社の帰りスポーツクラブによって、
プールに入らなくてもお風呂には入っていくようだ。
そういえば先日、東京のひとは銭湯に入る代わりに、
スポーツクラブに入会するらしい、と書いてあった。
それは合理的な考え方だと思った。

長野の春は遅い。
3月後半まで油断は出来ないだろう。
正直この寒さには飽きました。
明日の軽井沢の気温はマイナス9℃という天気予報だった。
もうカンベンして下さい。

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酒と泪と男と女

2013年02月12日 | 健康・病気

昨夜のラジオ深夜便の「にっぽんの歌こころの歌」は、                 
「青春の歌 思い出のフォーク&ポップス 河島英五集」で、流れた歌は次のものだった。

時代おくれ
酒と泪と男と女
どんまい どんまい
生きてりゃいいさ
野風増(のふうぞ)
ろまんちすと
生まれる前から好きやった
ほろ酔いで
(NHKのホームページは充実しているので、こういうことも調べられる)

私がラジオのスイッチを入れたときは「酒と泪と男と女」が始まっていた。
すぐ寝てしまい、「野風増」で目が覚めた。
「ろまんちすと」を聴いたところまで覚えているが、あとは夢の中…。

河島英五と私は同じ歳です。
彼は48歳で死んでしまった。

「酒と泪と男と女」を23・4歳の頃よくギターを弾いて歌った。
私は文京区の駒込のアパートに住んでいた。
U氏は私と同じ歳で北区の駒込のアパートにいた。
駒込は山手線を挟んで北区と文京区にあった。
彼は東大生協駒場の書籍部にいて、私は日本女子大の書籍部だった。
大学生協の書籍部の研修会で彼と会った。
1年もしないうちに私が東大生協駒場の購買部に移籍になり、そのときからよく飲むようになった。
渋谷・新宿で飲むことも多かったが、同じ駒込ということでアパートで飲むこともあった。
アパートで飲むときはよく将棋を指した。彼は強かった。
書籍部に3歳年上のI氏がいて、3人でよく酒を飲んでは将棋を指し、終わるとギターを弾いて歌った。
そのときにこの曲をよく歌った。
歌が終わると生協運動を語り、恋愛論・文学論・人生論になり、そのうちケンカになった。
3人とも若く、自分の考えに自信を持っていた。
26歳で私は大学生協を辞めた。
私はある大学生協の店長だった。くわしいことは、書きたくない。
このとき私は、U氏とI氏に負けたと思っていた。
この敗北感からはなかなか抜け出せなかった。
U氏は、30歳前で東京外語大生協の専務になったが、30過ぎたあたりで死んでしまった。
結婚して4・5年、狛江市にマンションを購入してすぐの頃だった。
マンションを買ったときに遊びに行き大酒飲んで、次は葬式のときにそこに行った。
奥さんが可哀想だった。
仕事が忙し過ぎたせいだと思う。
その日も仕事が遅く終わり、家に帰らず生協の学生のところに泊まり、朝亡くなっていたという。
I氏は30代で東大生協本郷書籍部の店長になった。
その頃が彼の人生の華だったと思う。
I氏が民放で有名な女子アナウンサーのインタビューを受けているテレビを観たことがあった。
しかし、50歳前に生協を辞めてから現在まで無職らしい。
14・5年前、会って酒を飲みたいと電話をしたら、「会いたくない」といわれてしまった。
今でも彼とは、年賀状だけは交換している。

「酒と泪と男と女」を聴くと、私は、U氏とI氏を思い出してしまう。
大酒を飲んで討論したことを…。


河島英五 【Live】 酒と泪と男と女

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シークレットセール

2013年02月11日 | 健康・病気

10日ほど前に、軽井沢・プリンスショッピングプラザからハガキが来ていた。
「軽井沢にお住まいの人へ」と宛名には書いてあり、中を開けると「シークレットセール」などと書いてあった。
こんど女房が来たら行ってみようと思っていた。
ところがその朝に女房が倒れてしまった。
行くのはやめようと考えていたら、3時間ほど寝ていたら女房は回復した。
それで家にいてもしかたないので出かけることにした。
といってアウトレットなどに行っても、今のところ買いたいものはないのですが…。

  

プリンスショッピングプラザの近くまでは何事もなく行けたのに、
軽井沢駅前通りに出たら車が動かない。
まったく進まなくなってしまった。
軽井沢味の街を車から写真を撮った。
寒さ防止のビニールの幕が張られていた。
あれは風を防いでいていいことだと思った。
40分ほどかかってやっと軽井沢駅南口にたどり着く。
渋滞しながらしばらく行くとイーストの入口にさしかかった。
すると何台かの車が右の車線を後ろから来て入っていった。
私は女房に「あれはずるいよな。みんなきちんと待っているのに…」という。
多くの車は渋滞に耐えておとなしく左側をのろのろ走っているのんだ。
「私、降りてあの警備員さんに聞いてくる」といって車を降りた。
駐車場の入口にいた警備員に女房は近づき話しかけた。
そして両腕で丸を作った。
私は右のウィンカーをつけて渋滞の列から出て駐車場の入口に入った。
停止すると女房が乗ってきた。
「分かったわよ。あの渋滞はスキー場に行く車なんだって」
アウトレットに入る人は入っていいという。
私は腹が立った。
そんなの分からない。
この渋滞はスキー場に行く車のそれだと、看板にでも書いてくれないと分からない。
おそらくあの渋滞の中にもアウトレットに行く人が何人かいるかも知れない。
私たちは1時間ほどその渋滞の中にいたことになる。
アウトレットの中に入ると、駐車場はこんなにガラガラ空いていた。

   

車を停めて、味の街のほうに行く。
揚げ物屋さんでミンチとコロッケを買って食べた。
これだけシークレットセールのハガキを見せて20%引きで買った。
腹が空いていたのでおいしかった。
プリンスショッピングプラザの真ん中には雪がたくさんあった。
スケートリンクが造られていて、子どもたちが元気よく滑っていた。
渋滞にはまいったが、天気のいい広いアウトレットを散歩出来たことは気持ちよかった。
女房の体調もいつもと同じ状態に戻ってホッとした。
しかし、東京に帰ったら病院に行って検査することを女房に約束させた。
洋服などは何も買わず、1時間もいないでプリンスショッピングプラザを出た。

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惰眠の中

2013年02月10日 | 健康・病気

朝、私は6時過ぎに携帯電話のアラームで目が覚めた。
トイレに行き、布団に戻り、ラジオのイヤフォーンを耳にあてる。
「なぎら健壱のあのころのフォークが聴きたい」を聴く。
「フォークのような、カントリーのような、変な曲」として、昔の曲をやっていた。
先週は美空ひばりのカントリーを歌った曲が流れた。
なぎら健壱も、毎週紹介する曲に苦労してんだな、と思う。
そのままラジオを聴いていた。
ときどき眠ってしまう。
ラジオ体操を今日はパス。
6時40分からの「著者に聞きたい本のツボ」というコーナーが、                
第148回芥川賞「abさんご」を書いた黒田夏子へのインタビューだった。
先週この予告は聴いていたのでなんとしても聴かなくてはと思っていた。
眠たいのに私は必死で聴きました。
聴いていて、この作品はあまり読みたくないな、と感じた。
むずかしそうな小説だった。
そのあと、休日の朝の惰眠をむさぼっていた。

9時過ぎ、いきなり台所というよりトイレの出口でデカイ音がした。
何かが倒れたような音だった。
私は不吉な予感がして立ち上がり急いでそこに行くと、女房が倒れていた。
抱きかかえ「えみさん」と声をかけても返事がない。
顔にかかった髪の毛をどかしていると、白い顔に赤みが戻り、目を開けた。
女房は自分がどうなったか分からないといった感じだった。
だんだん意識が戻り、「私、トイレから出て、たおれたんだ」という。
私は、それを聞いてホッとした。
それから女房は1人で歩いて布団の中に入ってやすんだ。

2人でぽつりぽつりと話す。
「東京に帰ったら、病院に行って検査受けるんだよ。何が原因か調べて…」
「私、低血圧なんだ。これで3回目かな?」
「いいから、自分で結論ださないで病院に行って…」
私は、夫婦はこういうことを繰り返して、いつかどちらかが死んで行くんだな、と考えた。
歳をとってきたら離れて暮らすのは良くないな、と思った。
女房が東京でこうなったらどうなるんだ。
自分で気がつくまで倒れているのだろう。
部屋だったらいい、駅のホームでなんか倒れてしまったら…、なんてこと考えてしまう。
いや、女房じゃない。
私が軽井沢で倒れることのほうが確率が高い。
このところ血圧が高いんだ。
血糖値だって高く、毎月病院に行っている。

女房は、今朝起きたときにちょっといつもとは違うな、と感じたらしい。
それでも起きて家事をしていた。
それでトイレから出たときに倒れたという。
こんどから、いつもと違うと自覚したら何もしないで休んでいるようにお願いした。
ふだんより体調がおかしいと感じたら動かないでいるように頼んだ。
そうすれば、“倒れる”なんてことはないだろう。
私は、女房が倒れたときの音が耳から離れない。

午前中、女房は寝ていた。
私は久しぶりに、NHKの将棋対局を観ていた。
昼前に女房は元気になった。
いつもの“えみさん”に変身した。

<お詫び>
今日の九想話の標題は、たんなるダジャレです。
なんの意味もありません。
最初、「惰眠中」としたのですが、なんとなく「レオナルド・惰眠中」としてしましました。
ただ、女房が一番好きな画家が、レオナルド・ダ・ヴィンチということは間違いありません。

<お詫び 2>
やはり標題で遊んではいけないと反省しました。
標題を「惰眠の中」と直しました。(2/11)

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