酒と泪と男と女

2013年02月12日 | 健康・病気

昨夜のラジオ深夜便の「にっぽんの歌こころの歌」は、                 
「青春の歌 思い出のフォーク&ポップス 河島英五集」で、流れた歌は次のものだった。

時代おくれ
酒と泪と男と女
どんまい どんまい
生きてりゃいいさ
野風増(のふうぞ)
ろまんちすと
生まれる前から好きやった
ほろ酔いで
(NHKのホームページは充実しているので、こういうことも調べられる)

私がラジオのスイッチを入れたときは「酒と泪と男と女」が始まっていた。
すぐ寝てしまい、「野風増」で目が覚めた。
「ろまんちすと」を聴いたところまで覚えているが、あとは夢の中…。

河島英五と私は同じ歳です。
彼は48歳で死んでしまった。

「酒と泪と男と女」を23・4歳の頃よくギターを弾いて歌った。
私は文京区の駒込のアパートに住んでいた。
U氏は私と同じ歳で北区の駒込のアパートにいた。
駒込は山手線を挟んで北区と文京区にあった。
彼は東大生協駒場の書籍部にいて、私は日本女子大の書籍部だった。
大学生協の書籍部の研修会で彼と会った。
1年もしないうちに私が東大生協駒場の購買部に移籍になり、そのときからよく飲むようになった。
渋谷・新宿で飲むことも多かったが、同じ駒込ということでアパートで飲むこともあった。
アパートで飲むときはよく将棋を指した。彼は強かった。
書籍部に3歳年上のI氏がいて、3人でよく酒を飲んでは将棋を指し、終わるとギターを弾いて歌った。
そのときにこの曲をよく歌った。
歌が終わると生協運動を語り、恋愛論・文学論・人生論になり、そのうちケンカになった。
3人とも若く、自分の考えに自信を持っていた。
26歳で私は大学生協を辞めた。
私はある大学生協の店長だった。くわしいことは、書きたくない。
このとき私は、U氏とI氏に負けたと思っていた。
この敗北感からはなかなか抜け出せなかった。
U氏は、30歳前で東京外語大生協の専務になったが、30過ぎたあたりで死んでしまった。
結婚して4・5年、狛江市にマンションを購入してすぐの頃だった。
マンションを買ったときに遊びに行き大酒飲んで、次は葬式のときにそこに行った。
奥さんが可哀想だった。
仕事が忙し過ぎたせいだと思う。
その日も仕事が遅く終わり、家に帰らず生協の学生のところに泊まり、朝亡くなっていたという。
I氏は30代で東大生協本郷書籍部の店長になった。
その頃が彼の人生の華だったと思う。
I氏が民放で有名な女子アナウンサーのインタビューを受けているテレビを観たことがあった。
しかし、50歳前に生協を辞めてから現在まで無職らしい。
14・5年前、会って酒を飲みたいと電話をしたら、「会いたくない」といわれてしまった。
今でも彼とは、年賀状だけは交換している。

「酒と泪と男と女」を聴くと、私は、U氏とI氏を思い出してしまう。
大酒を飲んで討論したことを…。


河島英五 【Live】 酒と泪と男と女

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