カーリングの町、軽井沢

2013年02月09日 | 健康・病気

昨日、女房は仕事が終ってから軽井沢に来る予定だった。
なので私は、職場から家に戻り、台所の食器を洗い、部屋をざっと片付けた。
湯船も洗った。女房が家に着いたらすぐお風呂にお湯を入れようと思った。
私の家の風呂は、お湯を沸かすのではなく、お湯を入れるタイプなのです。
21時ごろまで眠って、21時45分ごろに中軽井沢の高速バスの停留所に迎えに行く計画を立てた。
車で迎えに行くのでアルコールは飲めないから、起きていてもしょうがないと考えたのです。
布団に入り真っ暗な部屋で目をつぶった。
5分ほどたったころ、携帯電話がなった。
女房からの電話だった。
「切符買えなかった。明日から3連休で満員だったの」
「そうか、じゃ、明日来ればいいよ」
「うん、明日行くわ…」
元気のない声だった。
そうだろうな。
彼女は先週から「来週行くからね」と嬉しそうにメールをくれていた。
もう、軽井沢に来ることが楽しくて楽しくて、しかたのないひとなんです。
朝、出勤するときに軽井沢に行く用意をして家を出たはずだ。
仕事を終えて池袋の高速バスの営業所に行って切符を買おうとしたら、満員でチケットはないといわれた。
女房はいつものようにとうぜん切符は買えると安易に考えていた。
ところが世の中、3連休だ。
こんな寒い季節なのに軽井沢というところは特別なんですね。
真冬でも来たい観光客がいる。
なにしろ3連休となると中軽井沢のスーパーのツルヤが買い物客であふれるんだから。
“地元民”の私にとっては迷惑な話です。
なんか女房の元気のない声が気になった。
そのとき私の頭の中で光ったものがあった。
新幹線で来ればいいんだ、と思った。
私と女房の頭の中に、軽井沢に来る交通手段として新幹線はなかった。
高速バスは、回数券を買うと片道2,000円なんです。
新幹線は、上野駅から軽井沢駅まで5,570円です。
でも、昨日はもう新幹線しか方法はないと思った。
夫婦生活を円滑にするためにも、「ここは新幹線で来い」というしかなかった。
すぐ女房にメールした。
「新幹線で来れば」
送信してからすぐ、次のメールを書いた。
「せっかくの休みなんだから今日来ればいいよ」
女房から電話が来た。
「今、小竹向原なんだけど、新幹線で行こうかな」
女房はそれから池袋に戻り、山手線で上野駅に向かった。
私は布団から抜け出し、パソコンのスイッチを入れネットの「乗り換え案内」を立ち上げた。
上野には19時10分ぐらいには着くと判断したので、19時半ぐらいの新幹線はないかなと入力した。
上野駅19時30分発、軽井沢駅20時31分着、しなの鉄道20時49分発、
中軽井沢駅着20時58分着、という新幹線があった。
それを女房にメールした。
19時25分に電話が来た。
「今、上野駅。もうすぐ新幹線が来る」
私はもう眠れない。
最初は、中軽井沢駅に迎えに行こうかなと考えていたが、軽井沢駅まで行っちゃおうかなと思った。
それまでパソコンに向かいその日の九想話を書いていた。
しかし、やはり軽井沢駅までは面倒だ、中軽井沢でいいか、などとうじうじ考えていた。
でも、書いているうちにだんだん軽井沢駅まで迎えに行こうという気持ちになった。
20時を過ぎた。
私の家から軽井沢駅までは10分もかからない。
駅の駐車場に車を停めたり、駅まで歩いて行くことを考えたら、
20時10分には家を出なければと思った。
そうこうしているうちに20時10分を過ぎてしまった。
今日は寒いから、中軽井沢駅まで来てもらおうかなと思った。
しかし、軽井沢駅まで迎えに行くとあのひとが喜ぶかな、
と想像すると居ても立ってもいられなかった。
いきなり着替え、車に乗って18号を軽井沢駅に向かった。
駅の駐車場に車を停め、歩いて新幹線の改札口の前に着いたのが20時25分だった。
まもなくあさま545号が到着すると構内アナウンスがあり、新幹線の入ってきた音がした。
そして乗客がどんどんあらわれた。
その中に女房がいた。



新幹線の改札口の床にこういうことを書いたものがあった。
「ようこそ、カーリングの町、軽井沢へ」
私は、“軽井沢はカーリングの町”なんだと思った。

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泣きながら

2013年02月08日 | 健康・病気

Kjarkas--"LLorando se fue" en escenario



今夜は私の大好きな曲を紹介します。
むかし、「ランバダ」という曲名で流行った歌です。
もともとはボリビアのロス・カルカスというグループの曲で、
原題の意味は、「泣きながら、あなたは去った」です。
フランスのグループでブラジル人を中心とする楽団のカオマ(Kaoma)が、
著作権者の許可もなく発売してしまったらしい。

昨日、友人にもらったCDを車で聴いていたら流れてきた。
私は涙を流してしまいました。
文字通り、“泣きながら”運転していました。

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よく打つタケダくん

2013年02月07日 | 健康・病気



今日も、昼休みにタケダくんがやってきた。
彼は、私の職場の近くの福祉施設にいるひとです。
その施設は、私が昔いたような知的障害者の施設で、私の職場のある公園の清掃などをしている。
そしてなぜか昼になると私の職場に来て、野球をやるようにせがむ。
私がいるときは私が相手をする。
私がピッチャーで彼がバッターです。
体育館があいているときはそこでやり、あいてないときは外でやる。
タケダくんには調子のいいときと悪いときがある。
今日は調子よく、よく打った。
私は何度も球拾いに体育館の隅々まで歩かされた。

もともと私は野球はへたくそです。
子どもの頃はなるべく野球をやらないようにした。
いや、スポーツというものを敬遠していた。
やると下手過ぎて友人たちにバカにされるからです。
そんなとき私は、「スポーツなんておれは一生やらねぇぞー」と思っていた。
それで私は中学に入ったときに吹奏楽部に入った。
何か毎日クラブ活動はしたかったのです。
運動クラブ以外で毎日やるクラブは吹奏楽部ぐらいしかなかった。
その私が現在は、毎日のように野球をやっています。
タケダくんのおかげです。
いや、出来ればやりたくないのです。
昼休み、私は自分の好きなことをしたい。
元気があるときはケーナを練習したいし、眠たいときは昼寝をしたい。
しかし、タケダくんが来るのでそうもいかない。
彼はおそらく40歳は超えているダウン症のひとです。
話はしない。
目の前のひとのことを理解しようとはしません。
自分の要求だけせがみます。
それがかわいいのです。

所沢で働いていたときにつきあったアキラくんも40歳を過ぎたダウン症のひとでしたが、
彼は自分のことを押し出すようなことはしなかった。
つねに控えめだった。
でも、意志は強かったですね。
笑顔がかわかったです。
どうしているかな?

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22キロやせたひと

2013年02月06日 | 健康・病気

今日の「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングに森公美子が出ていた。
ある番組の企画に出てダイエットを始め、108キロから22キロ体重を減らしたそうだ。
現在86キロで、あと10キロやせることを目標にしているという。

以前、女房から「****というテレビを観ろ」とメールが来た。
その番組は、森公美子がロングブレスダイエットをやってやせたといっていた。
女房は、やせたいと思っている私にそのダイエットをやるように勧めていた。
私は、基礎代謝を上げて確実に脂肪を落とせばやせる、
ウォーキングなどの運動をして、食事を抑えればやせると考えている。
なのでロングブレスダイエットなんてやることはないと思っている。

森公美子がいっていた。
まずなんといっても六本木をウォーキングしている。
彼女がウォーキングをしているとみんなが応援してくれるそうだ。
夜は6時までに食事を終える。
これが苦しいといっていた。
ウォーキングと食事コントロール、これをやって22キロやせた、という。
でも、腹筋も100回できるといっていた。

私も森公美子の話を聞いていて、真剣にダイエットをしようと思った。
今日の私の体重は72.6キロだった。
私は3年前70キロだったのが、タバコをやめて75キロになってしまった。
去年の夏からやれるときにウォーキングをし、食事もおさえて71キロまでにした。
しかし、年末正月に好きなだけ食べて飲んでいたら74キロに戻ってしまった。
これから真剣にダイエットをしよう。

私の平均体重が63キロです。
それを私のダイエットの目標にしたい。
現在、私が高血圧で高血糖値なのも太っているからだ。
私はメタボ予備軍なので、職場に保健師さんが来て健康指導を2年も受けているのにやせない。
このへんできっちり、やせなければいけない。
私は、やせよう!!

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悩む力

2013年02月05日 | 健康・病気

先週、「悩む力」(姜尚中著 集英社新書)を読み終えた。
姜尚中(カン サンジュン)と私のちがいを考えた。
彼は1950年生まれで早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。
東京大学大学院情報学環教授。
私は1952年生まれで茨城県立高校卒業。15回以上(正確なところ不明)零細・中小企業を転職。
現在、長野県のある施設で働いている。
私は彼より2歳年下で、学歴は高卒です。
歳は2歳しかちがわないけど、学歴は大きくかけ離れている。
なさけないくらいです。
このちがいはなんなんだ。
この本を読みながら、そればっかり考えていた。
私の父は農業をしていた。
3人の姉は中卒で、兄と私は男だからと高校だけは行かせてくれた。
私は、大学に行くということは、まったく考えない高校生だった。
高校を出て就職したが、やはり大学に行こうと翌年夜の予備校に入り、
自分で働いて夜の大学に行こうとしたが、自分の学力のなさに気づき受験勉強から逃げた。
それから生きるためにしたくない労働をしてきた。
行くところ行くところ会社が傾き、
双子の息子たちを育てるため少しでもいいところに転職するしかなかった。

姜尚中と私の“悩み”のちがいを考えたくてこの本を読んだ。
私は、テレビで観るこのひとが好きで、このひとの考え方が好きでした。
こういう友人がいたらいいな、と思っていた。
でも、無理ですよね。
高卒男と東京大学大学院情報学環教授じゃ、話にならない。

若い頃の姜尚中は、在日として生まれたことで、アイデンティティの問題が大きくからんで、
「私は何者なのか」「私は何を求めているのか」「何のために生きているのか」
「私にとってこの世界は何なのか」「私は何から逃れようとしているのか」
ということを悩んだそうです。
そして、夏目漱石とマックス・ウェーバーを読むようになった。
姜尚中があることがらで夏目漱石の小説を取り上げると興味深かった。
私も漱石をも一度読んでみようかな、と思う。

私の高校のとき現代国語を教えてくれた先生が、夏目漱石が好きだった。
高校のときのいろいろな科目の授業は覚えてないが、
この先生の現国の授業で教えてくれた、漱石のいう「則天去私」のことは忘れない。

この本のいろんなことを書きたかったが、私には無理です。
夏目漱石の小説をも一度読み直そうかな、と思います。

 

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成田屋逝く

2013年02月04日 | 健康・病気

市川團十郎さん死去 家族思う大きな愛 闘病弱音吐かず、最期は笑顔(産経新聞) - goo ニュース

市川團十郎が亡くなった。
また歌舞伎界の名優が消えた。
12月に勘三郎、2月に團十郎。
私はこの2人の歌舞伎を観ていた。
平成22年1月の初春大歌舞伎の勧進帳に團十郎と勘三郎が出ていました。
私はその日、歌舞伎座が建て替えられるというので、
壊されてしまう歌舞伎座を見ておこうと行った。
そのときの演目が、次のものでした。

<昼の部>
一、春調娘七種(橋之助、染五郎、福助)
二、梶原平三誉石切(幸四郎、魁春、東蔵、左團次)
三、勧進帳(團十郎、勘三郎、梅玉)
四、松浦の太鼓(吉右衛門、歌六、芝雀、梅玉)

この歌舞伎が「歌舞伎座さよなら公演」(小学館)というDVDに記録されている。
このときのことは、2010年1月26日の九想話「初春大歌舞伎」に書いています。
私は、舞台に勢揃いした歌舞伎の音楽をやる人の多さに圧倒されました。
今探したらYouTubeに勧進帳(パリ・オペラ座公演)があった。
4月に新しい歌舞伎座がオープンする。
これから機会をつくって歌舞伎をたくさん観てみたい。
初めて観た歌舞伎座の舞台・音楽・役者は素晴らしかったです。

勧進帳



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昭和45年のヒット曲

2013年02月03日 | 健康・病気

昨夜のラジオ深夜便の「にっぽんの歌こころの歌」は、
「青春の歌:思い出のフォーク&ポップス~昭和45年の作品から~」だった。
昭和45年といえば、1970年で、私が高校3年生だった。
流れた歌は下記の通りです。

白い色は恋人の色  ベッツィ & クリス
翼をください      赤い鳥
走れコウタロー    ソルティー・シュガー
希望           岸 洋子
秋でもないのに    本田 路津子
あの場所から     Kとブルンネン
赤い橋         浅川 マキ
春よ来い        はっぴいえんど
マリエ          ブレッド & バター
どうにかなるさ     かまやつ ひろし
空よ           トワ・エ・モワ
知床旅情        加藤 登紀子

私は九想話を更新して3時15分頃に布団に入ったので、岸 洋子の「希望」から聴いた。
みんな懐かしい曲です。
涙が出てきそうです。(出ませんが…)
私が高校3年生といえば、ただただ吹奏楽に夢中でした。
あと、ひとりの女の子にのめり込んでいた。
前にも何度か九想話に書きましたが、吹奏楽部の1年のアルトサックスの子です。
5月の合宿の最終日に告白され、つきあい始め、晩秋に私のところから去っていってしまった。
1年のトランペットの男子とつきあうようになってしまったのです。
そういうわけで10月ぐらいまでは吹奏楽部の練習に行くことは天国のようだったが、
11月以降は、吹奏楽部にいることが地獄でした。
退部したかったが部長ですからそうすることもできない。
部員の女の子に振られたからやめます、なんていえませんよね。
1月に定期演奏会をやるので、そこまでを目標にしてがんばりました。
しかし、自分を振った女と毎日顔を合わすことはしんどかった。
アルトサックスとトランペットの前で私は指揮なんかをするのです。
やってられませんよ。

この曲たちを、そんな高校3年の私がいろんな場面で聴きましたね。
高校生の私はほとんど毎日、深夜放送を聴いていた。
パックインミュージック、オールナイトニッポン、セイ!ヤングです。
当然この曲たちが深夜放送から流れてきた。
昨夜、布団の中でラジオ深夜便を聴きながら、そんなことが頭の中で渦巻いてました。

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1位

2013年02月02日 | 健康・病気

昨日の深夜、軽井沢町情報人気ランキングOUTポイント順を見てびっくりした。
九想話が1位だった。
これまで九想話は、10位から7位ぐらいです。
どうしたんだ?とわが目を疑った。
どうせまた明日からそのへんに落ちるでしょう。
興味のある方は左のピンクの「軽井沢町情報」というバナーをクリックしてみて下さい。
軽井沢に住む人、軽井沢を書いたブログが紹介されています。
それに順位が書いてあって今日のところは九想話が1位なんです。
ブログ村の、INポイント、OUTポイントというのがよく分かりません。
まあ、ともかく1位というのはめでたいです。
私は、これまで1位になんてなったことがありません。
いや、句会ではたま~に1位ということがまちがってありました。
だいたいが下のほうをうろちょろしてきた人間です。
吹奏楽コンクールでも銅賞です。
祝杯をあげてます。

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内祝

2013年02月02日 | 健康・病気

            

昨日の朝、玄関に宅配便の不在者連絡票があった。
それを見ると一昨日の夜8時5分に配達に来たことになっていた。
その時間、私は家にいた。
私は不愉快になった。
でも、その時間のころ私はコタツで寝ていたかも知れない。
今日、私はオフなので午前中の再配達をお願いした。
11時半に荷物は配達された。

荷物は孫の内祝だった。
息子もこういうことをきちんとやるんだと思うと胸が熱くなった。
私は、息子たちが生まれたときに「内祝」なんてやっただろうか。
覚えていない。ナサケナイ

孫に会いたい。
Kの娘のときにはこれほど会いたいと思わなかったような気がする。
いや、それは会いたかったですよ。
でも今回はKの娘より会いたいと思う。
私が歳をとったせいでしょうか。
いや、Kの娘のときは同じ所沢に住んでいた。
会おうと思えばいつでも会えた。
でもUの息子とは離れている。
会いたくても会えない。
このへんが会いたいと強く願う理由かも知れない。

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中軽井沢図書館

2013年02月01日 | 健康・病気



4月1日から中軽井沢駅の隣に出来たくつかけテラスの中に、中軽井沢図書館がオープンする。
私はうれしくてしょうがない。
どんな図書館になるのでしょうか?
どのような書籍や雑誌が置かれるのだろうか?
もう今からワクワクです。
いや、中軽井沢駅に図書館が出来ると聞いたときから期待で胸がいっぱいでした。
今日届いた広報かるいざわにも「新しい図書館づくり」という記事が書いてある。
電子版広報かるいざわの16ページにその記事があります。
> 貸し出しについては、本は雑誌5冊までを含め10冊、視聴覚資料は2点を限度として2週間となります。
と書いてある。
10冊を2週間借りられる。
そんなに読めるのだろうか?
今日、私は御代田の図書館で本を2冊、雑誌を1冊借りてきた。
これだって2週間で読む自信がない。
でも、沢山借りられることはうれしい。
視聴覚資料とは、CDやDVDなどのことなのかな?
ということは音楽CD・映画のDVDを借りられるのでしょうか。
本を探すときに、OPAC(蔵書検索機)を4台設置するからそれを使えと書いてある。
パソコンは6台と無線LANがあり、持ち込みパソコン優先席をつくると書いてあります。
多目的室なんてのもあるらしい。
どのように利用出来るのだろう。

開館記念講演には、浅田次郎が講演するようだ。
聞きに行きたい。

まっ、とにかく春になるのが待ち遠しい。

 

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