“ふるさと”に帰る

2009年04月09日 | 健康・病気
明日あさって、軽井沢に来て初めての2連休です。
清瀬に帰ります。
しかし、女房は2日とも仕事です。

明日、新所沢に行こう。
いつも通っていた散髪屋に行きたい。
そして、肴やに寄る。
女房は残業で遅いというから8時ぐらいまではいられる。
たったこれだけのことなのに、とても楽しみです。

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花を植える

2009年04月09日 | 健康・病気
一昨日、私は女性の指導員の人と花の苗を買いに行った。
施設の玄関に、直径7・80センチほどの円形の大きなプランターが2つ、
レストランの入口に花壇がある。
どちらの土も先日、指導員のKさんと私とで作ったものです。
(そのときの九想話でKさんを中学校のと書きましたが、
 小学校の校長でした。訂正します)

私の車で市内のホームセンターに行った。
園芸売り場で指導員の女性に、
「さあ、好きな花を選んで下さい」
といわれたが、私は困った。
私は、花は好きだが、これといって好きな花はない。
花の知識もない。
知っているのはチューリップとバラ、コスモス、タンポポ、レンゲ、
カーネーション、菊、木蓮、梅、桜、藤、山梔子、あとは…。
あ~、情けないほど知らない。
好きな花はと聞かれれば、これまで山に咲く桔梗といっていた。
女房の好きなのはポピィーという可愛い花だったはずだが…。

むかし、息子たちが小さい頃、
庭のあるテラスハウス(公団でそう呼ぶ)に住んでいたとき、
小さな庭に煉瓦で囲んで花壇を作った。
その花壇にチューリップを植えていた。
春に花が咲くのが楽しみでした。
前からあった白いバラも咲いた。

女房は植物が好きで、ホームセンターで買ってきて、
リビングにあるいくつものプランターに植えていた。
観葉植物が多かった。
私はその植物たちの名前を知ろうともしなかった。

悩みながらも私は、可愛い花たちをカートに載せた。
(パンジーを30、あといくつかの苗を)
全部で8500円ほど買いました。
施設に戻って、教わりながら花を植えた。
なんとか根付いて欲しい。
たくさん増えるといいな。
今から楽しみです。

写真は、レストラン前の花壇です。
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年金定期便

2009年04月08日 | 健康・病気
昨夜、女房から電話がきた。
かなり落ち込んでるようすだった。
年金定期便が来て、内容を読んでがっかりしたそうだ。
「これじゃ、明るい老後は考えられない」という。
女房への支給は65歳からで、その額も低いらしい。

おれにも来月(5月は私の誕生月です)、年金定期便が来るだろう。
そのときおれも落ち込むのかな?
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コンビニ2

2009年04月07日 | 健康・病気
コンビニの店長は若かった。
私はそのとき30ぐらいかなと思ったが、
あとでうちの息子たちと同じと知った。
好青年だった。
事務所は狭く、机の上は乱雑にものがおいてあり、
棚にはいろんなファイルがあった。
机の上のパソコンのディスプレーには、
コンビニでするいろいろな作業が表示されていた。
本部につながっているのだろう。
どんなシステムか私は興味を持った。

店長はざっとコンビニでの作業を説明してくれた。
私は、過去に大学生協で働いていたことを話した。
10分ほどで面接は終わった。
結果は、来週の月曜日だといわれた。

月曜日に電話が来て、私は採用された。
研修期間が4日あった。
すべての時間帯を全部経験するということだった。
初日が12時から17時。
2日めが17時から22時。
3日めが7時から12時まで。
そして最後が22時から7時までだった。

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2009年04月06日 | 健康・病気
「人間として許されぬ」中村雅俊さん、長男大麻所持で謝罪(読売新聞) - goo ニュース

中村雅俊は、私はむかしから好きでした。
「中村雅俊のマイホームページ」というTBSラジオをよく聴いている。
いい親やっているのだろうな、と思っていた。

今のところ私の息子たちは道をはずしていない。
このまま、まっとうな人間として生きて欲しい。

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コンビニ

2009年04月04日 | 健康・病気
警備会社を出て、家のある団地に着いたのが昼頃だった。
団地の近くにあるコンビニで弁当を買おうと思った。
そのコンビニの入り口横に、
「夜勤スタッフ募集」という張り紙があった。
夜10時から朝7時までの勤務だった。
これやってみようかな、と思った。

私は、二十代の前半、大学生協で働いていた。
30年もむかしのことだが、客相手の商売は経験している。
私はコンビニに入り弁当を買い、
レジを打ってくれた女性に、「店長はいますか?」と訊いた。
今はいないが5時過ぎにはいると思うという。
私は5時頃電話します、といって店を出た。

夕方になり私はコンビニに電話した。
店長はいた。
夜勤のバイトをしたいことをいうと、
「明日夕方5時過ぎに面接に来て下さい」といわれた。

女房が仕事から帰ってきたとき、
警備員を辞めたこと、コンビニのバイトのこと話した。
彼女は「いいんじゃない」と軽い。
私は、いつまでこんなことをしているのだろうと忸怩たる思いだった。

次の日私は、別なコンビニで履歴書用紙を買い、
家に戻って書いた。
写真は、何年か前のものがあったのでそれを使った。
そして夕方、面接に行った。

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警備員終了

2009年04月03日 | 健康・病気
私は、今年の1月13日、勤務していた警備会社に行った。
タワーマンションの勤務は12月で終わっていた。
新しい勤務地を教えてもらうために行ったのです。

私は12月1日に、警備会社に辞表を出していた。
ところがそのとき部長が私を引き留めた。
「まだ辞めないでくれ。**さんは真面目に働いてくれる。
 今辞められると困る。他の勤務地で働いてくれ」と。

私は2月までは警備員をしていようと考えていた。
3月には今の職場に来なくてはならなかったからです。
しかし、同僚の職場での耐え難いいじめがあり、
かなり精神的にまいってしまい、こんなことなら、
12月でタワーマンションでの仕事から離れようと決めた。
ちょうど隊長が半年弱の入院を終え、
12月中旬からタワーマンションに復帰することになっていた。
隊長が入院してすぐ新しい人がきていたから、
タワーマンションで警備員が1人あまることになる。
だったら自分が抜けようと思った。

そのタワーマンションでの勤務は仕事があり、
誰もよそには行きたがらなかった。
そのときの警備会社での時給が875円と安く、
長時間働かないと世間並みの暮らしをするにはきつかった。
だから24時間勤務のあと日勤があり、
続けて36時間勤務というのは、
金が欲しい人にとってはありがたかった。
私は最初の頃、ことわってはいけないと思い、
命じられたままそんな勤務をしていた。
去年の8月の収入は27万円ほどあった。
かなり過酷な勤務をさせられていたからです。
そんなに仕事をしていては体がもたないと考え、
11月から36時間勤務はことわるようにしていた。
だから手取りは20万に届かなかった。
10月には24日間連続して休みなしで働いた。
隊長のように体を壊しては何にもならないと思った。

日本橋人形町の会社に行くと応接室に呼ばれ、
警備員の割り振りをするK課長と人事課長と話した。
タワーマンションで辞表を出したとき、
部長からいわれたことなどを話した。
私は12月で警備員を辞めようと決めていたが、
人が足らないから辞めないでいてくれ、池袋あたりに
勤務地はあるからそこに行けと部長にいわれていた。
ところが、2人の課長は池袋近辺にはないという。
あるのは太田市場の警備だという。そこは遠くて私は通えない。

あの部長はいいかっこしてないことをよくいうので困る、なんていう。
「じゃァ、いいです。私は今日で会社を辞めます」そういって、
あらためて課長たちの前で辞表を書いて会社を出てきた。

世の中なんてこんなもんだよな、と思った。
2月末まで、遊んでいるわけにはいかないので、
職安に行ってバイトでも探そうと思った。
しかし、この“派遣切り”が広まっている世の中で、
バイトでも見つけにくいだろうな、と思い暗い気持ちになった。
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どっちが得

2009年04月02日 | 健康・病気
裏道をゆけば春雪(シュンセツ)浅間山

軽井沢の自宅から職場まで、裏道を通れば18キロほどだけど、
山を抜けるその道路は狭いところがあり、
運転に慎重な私はあまり通りたくない。
センターラインがなく、対向車とすれ違うとき冷やひやする。
そんな道なのにダンプカーが通る。
そのときは、路肩に車を停めてじっとしている私です。

もうひとつの道路は、住宅街や工場などのあるところを通り、
距離が19.5キロほどある。
全部センターラインのある道路で安心して走れる。

車の燃費計でみると、裏道は1リットル13キロだが、
広い道路のほうは1リットル20キロも走る。
裏道では対向車とすれ違うときに徐行するからだろう。
どちらで行っても職場には35分ほどで着く。

裏道は距離が短いが燃費が悪いことになる。
時間もそんなに変わらない。
どっちが得なのかな?

裏道を走る意味があるのか?
いや、帰り道にその道路を通ると、
ずーっと浅間山を目指して走ることになる。
キレイなんだな浅間山。

もうひとつ別のルートもある。
これは市内を通り、さすがに時間がかかる。
でも距離は18キロです。
夜遅く帰るときはこの道路を走ります。
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ひとり暮らし

2009年04月01日 | 健康・病気
四月馬鹿嘘つく相手おりません

さびしいですね。
なんだろう。
このさびしさは。
携帯電話もあり、話そうと思えば話せる。
でも、それだけだ。
人間の存在、視線がない。
自分が何をしていても批評がない。
この気ままさがさびしいのかな?

女房といると、ああしちゃいけない。
そんなことはするな。
あれやっとかないとね、とうるさい。
それが、いいんだろうな。
ひとりでいると、何もする気がしない。
前向きに生きるという気にならない。
どうでもいいや、てな感じです。

まずい、まずい。

<訂正>
トンボの湯に、サウナがないと以前書いてしまいましたが、
ありました。今日また行ってきたのですが、露天風呂の隣
にありました。ここに訂正してお詫びします。
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