司会者/タレント・小倉智昭

2021年06月10日 | テレビ

昨夜の「プロフェッショナル 仕事の流儀」は、小倉智昭でした。
> 「老兵は、去るや去らざるや?司会者/タレント・小倉智昭?」
> 小倉智昭74歳“最後の1か月”に密着!今年3月、22年間司会を務め、
> 同一司会者による情報番組として日本一の放送回数を誇る長寿番組が終了。
> 小倉は鋭いトークで長年視聴率トップを独走したが、近年は一転「老害」
> とまで言われるようになった。幼少期から苦しむ吃(きつ)音症、5年前
> に見つかった膀胱がん、忍び寄る老い。小倉が引き際で見せた、意地と未練
> が入り交じる複雑な胸の内。人生を懸けた仕事の終(しま)い方とは?
                       ープロフェッショナル 仕事の流儀サイトよりー

私が、軽井沢で暮らしていた2009年から2016年まで、私は「とくダネ!」をよく見ていた。
そのとき佐久市の文化施設での勤務は午後1時から10時まででした。
なので朝はのんびり過ごしていた。
「とくダネ!」を見てから、NHKラジオの「すっぴん!」を聴きながら中軽井沢の林を散歩していた。
そのときの会社の社宅が中軽井沢にあったのです。
女房とは離れて暮らす生活だったが、いい時間を過ごせました。
(女房と離れていたからかな?)

小倉さんは、いい仕事をしてきたと思います。
小倉さんが、膀胱がんで膀胱を全摘出したことを知りショックだった。
私にも、そのことが待ち構えているかも知れない。
小倉さんは、そういう身体になっても毎朝フジテレビに行ってがんばっていた。
しかし、74歳の小倉さんは、身体の衰えを感じ始めていた。
千葉県の県知事の名前が出てこないときがあったそうです。
そのときは辛かったろうな、と思う。

小倉さんには、これからもテレビに出ていろいろ話してもらいたい。
その姿を見て私は、小倉さんの生き方を勉強していきたいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

交通誘導員ヨレヨレ日記

2021年06月10日 | ラジオ

6月9日のラジオ深夜便4時台は、交通誘導員・柏耕一さん(73)の話だった。
なぜそんな時間に私が起きているのかというと、前日(6/8)は火曜日で私のノンアルコールデーでした。
酒が飲めないので起きててもしょうがないので、午後10時過ぎには布団に入る。
この歳になると私は5時間も寝ると目が覚めてしまう。
そんなわけで私は午前3時ぐらいから布団の中で起きていた。
ラジオ深夜便の3時台は、〔にっぽんの歌こころの歌〕「作家でつづる流行歌 中村八大作品集Part1」だった。
そして4時台が、【明日へのことば】「交通誘導員卒業 警備員・ライター 柏耕一」だった。
〔にっぽんの歌こころの歌〕を楽しんで聴いた私は、少し寝ようと思っていたのだが、
警備員を経験した人の話は聴いてみようと思った。

何を隠そう(別に隠してはいませんが)私は、2007・2008年に警備員の仕事をしていた。
その頃の九想話を読めばそういうことが書いてあります。
警備員の仕事は24時間勤務できつかった。
私がしていたのは施設警備でした。
この人は、交通誘導警備業務でしたね。
なので24時間ではない。
しかし、暑いとき寒いときに外でする仕事です。
考えたら私も、そうだった。
警備員はキツイ仕事です。

私は、長野の仕事を辞めて埼玉に来てからはマンション管理人の仕事をしていた。
管理人の仕事は、警備員よりは楽です。
その分、収入が安いです。

この人は、若いときに出版社にいて、そして独立して編集プロダクションを設立、編集やライター業で食べてきた。
何冊かベストセラーも手掛け、出版バブルも経験したが、ギャンブル(競馬)が好きなせいもあって会社を清算。
警備会社を四つ移りながら出版の仕事もしてきた。
私も他人(ひと)のことは言えませんが、この人もたいへんな生き方をしている。
この人は、これから本を書き、出版する本の企画をして生きて行くという。
ラジオでこの人の話を聴き、私もこれからのことを考えました。

   つらい現実を上機嫌で 『交通誘導員ヨレヨレ日記』 交通誘導員・柏耕一さん(73)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする