40年ぶりの入善町

2016年07月14日 | 健康・病気

軽井沢9時発の北陸新幹線に乗るために私は、8時20分に家を出た。
中軽井沢駅を33分に出るしなの鉄道に乗るためにです。
その赤い列車に乗ったのは3人だった。
  
軽井沢駅に着き、8630円の切符を買った。
  
はくたか553号からは沢山の客が降りた。
さすが軽井沢、観光客が多い。
乗ったのは私1人だった。
車内販売の女性が来たとき、すぐビールを買った。400円だった。
  
黒部宇奈月温泉駅に着いて改札口に歩いて行くと、7・8人の人がいた。
その中に私の友人Tくんがいると思い探した。
Tくんとは20年ほど前に会っていた。
彼の家族が東京ディズニーランドに来たことがあり、その夜彼と私は新宿で飲んだ。
あの人かな、と思って近づくとやはりそうだった。
お互いに初老になっている。
Tくんが私を見て最初に言ったのは「太ったね」だった。
私は小さく傷ついた。
しかたない、太っているんだから…。
40歳の頃私の体重は、70キロ弱だったと思う。
今は75キロです。
悲しくなります。

Tくんが、蜃気楼が見えるところに行こうと言ってくれた。
ところが説明など見ると、4月から6月の間しか見られない、ということでした。
 
この浜の向こうに見えるらしいが、7月は見えない。諦めるしかない。
いったん、Tくんの家に行き、朝日町というところの海に行った。
海に行く前に食事をした。
たら汁定食というものを食べた。

たらを煮たものでそのあたりでは名物のものらしい。
たら汁で酒を飲んだら美味いだろう、と思った。

朝日町の海は、キレイでした。
 
芭蕉の句碑があった。
 
 

これは宇奈月ダムです。
宇奈月温泉の上のほうにあった。
ダム湖のほとりの「とちの湯」という温泉に入った。
露天風呂から宇奈月ダムが見えた。

5時ぐらいに友人の家に帰り、そして食事になった。
奥さんが、沢山の寿司と料理を出してくれた。
それからTくんと互いの半生を語り合った。
少しの間、奥さんもその場にいてくれて話をした。
明るい魅力的な女性だった。
7時半頃だったか、息子さんが仕事から帰ってきて、奥さんはダイニングに行き息子さんの食事の世話をした。
私たちはそのうち文学の話になった。
Tくんと私ともうひとりのWさんとで、大学生協で働いていたときに「わりばし」という同人誌を作った。
Tくんは、現在も富山のある同人誌に作品を発表している。
彼はいつも9時に寝ているという。
その日もわれわれは9時に寝た。

翌日、7時に起きてダイニングで朝食を食べた。
息子さんは仕事、奥さんは実家の母親の世話をしに富山市に行くらしい。
私とTくんはそれからそこで話をした。
私が午後3時26分の新幹線に乗るため、2時40分に家を出発するまで話していた。
昼食のとき、私はビールをいただいた。
彼は、車を運転するので、私だけ飲んだ。
世の中のいろんなこと、この40年間、話せなかったことを話した。
  
夕方、5時ぐらいに霧におおわれた中軽井沢に着いた。
よい旅でした。
Tくんと話せたことはいい刺激になった。
私は、生き方を変えなければと思った。
私が感謝のメールをケータイで彼に送った。
最後に「生きていたら10年後にまた入善に行きます」と書いた。
すぐTくんから返信がきた。
私と話して刺激を受けたとメールに書いてあった。
「10年間、有意義に生きましょう」とも。

コメント (6)
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