船村徹記念館

2015年09月18日 | 健康・病気

ちあきなおみ 別れの一本杉



昨日の朝、ホテルを出て「日本のこころのうたミュージアム・船村徹記念館」に行った。
一番上の姉がぜひ行きたいと兄にいっていたようです。
私も船村徹の曲は好きなので行ってみたいと思った。
船村徹記念館は今年の4月27日に開館したばかりです。
そこに着いた午前10時から、1階の夢劇場で船村徹の3Dグラフィックが始まった。
これはなかなかよく出来ていた。
しかし、私としては歌っているそれぞれの歌手がアニメーションだったのが残念だった。
2階に行くと、
「お出迎え、5大歌手」
おなじみの五大歌手と作曲家船村徹のエピソード&メッセージシアター。
「歌の万華鏡」
大ヒット曲にまつわるエピソードから作品すべてを5面マルチの映像で万華鏡のようにご紹介。
というのがあった。
「思い出のあの歌この歌」
あの日あの時の歌、よみがえる「思い出」レコードジャケット600余枚で綴る青春グラフィティ。
も興味深かった。
そこのレコードジャケットに書いてある曲名のほとんどを私は知らなかった。
聞いたことのない歌手の名前もあった。
(これだけ数多く作曲をしなければ、名曲は生まれないんだ)としみじみ思った。
「別れの一本杉」は、船村徹が23才の時の作品。作詞した高野公男は2才年上の25才だった。
船村にとって高野との出会いは彼の人生にとってありがたいものだったようだ。
高野は「別れの一本杉」大ヒットの翌年、昭和31年9月8日に26才の若さで亡くなる。
船村は24才だった。
高野は、「おれは茨城弁で詞を書くから、おまえは栃木弁で曲を作れ」と船村にいったそうだ。

 

コメント (3)
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