今日は、バレンタインデーである。
それがどうした。
いえ、私には何もありません。
ここ10年以上、チョコレートなんぞもらっていません。
(4年ほど前にいた会社のとき、パートのおばさんから、
男子従業員へとバラのチョコレートはもらいました)
これで、今夜の九想話を終わりにしては、
九想庵への“旅人”を増やしたい私としてはまずいです。
せっかくここまできて九想話を読んでくれたのに、
なにか収穫がなければ次がない。
といっても、バレンタインデーには何もないんですよね。
いや、他の記念日にも何もありません。
55歳の中高年には、世間の風は吹きません。
こんな私でも、ある時期まで義理チョコはそれなりにいただきました。
それが、現在は“まったく”なくなってしまった。
皆無です。これは、すこ~し寂しいです。
ラジオ、テレビではバレンタインデーが近づくとなんだかんだ話題にする。
それらのことが私には、いっさい関係ない。
なんか世間から見捨てられたような気持ちになります。
こんな私でも、“本命”チョコをもらったときがあった。
私が東大生協に勤めていた頃の話です。
私が12月に失恋してズーっと落ち込んでいたときだった。
2月14日の朝、一緒に働いている
レコード売り場のバイトの女の子からチョコをもらった。
その他何人かからチョコレートはもらった。
それなりにパッケージされたチョコレートでした。
夕方、帰りがけにレジのバイトをしている27、8歳の女性から
チョコレートをすれ違いざまにもらった。
そのとき私は25歳だった。
もらったチョコレートは、なんの包装もしていない
明治ミルクチョコレートそのものだった。
なんか感じましたね。
その女性からの視線は、3ヶ月ぐらい前から、
なんか他の女性のそれとはちがった。
といって休憩室にいるときなど何も話しかけてこないのです。
でも、なんか遠くからの彼女の視線は感じていた。
そして、バレンタインデーに“明治ミルクチョコレート”なのです。
このバレンタインデー用チョコではない、ということに、
ある種の“気持ち”を感じました。
バレンタインデーには必ず、あのひとのことを思い出します。
それがどうした。
いえ、私には何もありません。
ここ10年以上、チョコレートなんぞもらっていません。
(4年ほど前にいた会社のとき、パートのおばさんから、
男子従業員へとバラのチョコレートはもらいました)
これで、今夜の九想話を終わりにしては、
九想庵への“旅人”を増やしたい私としてはまずいです。
せっかくここまできて九想話を読んでくれたのに、
なにか収穫がなければ次がない。
といっても、バレンタインデーには何もないんですよね。
いや、他の記念日にも何もありません。
55歳の中高年には、世間の風は吹きません。
こんな私でも、ある時期まで義理チョコはそれなりにいただきました。
それが、現在は“まったく”なくなってしまった。
皆無です。これは、すこ~し寂しいです。
ラジオ、テレビではバレンタインデーが近づくとなんだかんだ話題にする。
それらのことが私には、いっさい関係ない。
なんか世間から見捨てられたような気持ちになります。
こんな私でも、“本命”チョコをもらったときがあった。
私が東大生協に勤めていた頃の話です。
私が12月に失恋してズーっと落ち込んでいたときだった。
2月14日の朝、一緒に働いている
レコード売り場のバイトの女の子からチョコをもらった。
その他何人かからチョコレートはもらった。
それなりにパッケージされたチョコレートでした。
夕方、帰りがけにレジのバイトをしている27、8歳の女性から
チョコレートをすれ違いざまにもらった。
そのとき私は25歳だった。
もらったチョコレートは、なんの包装もしていない
明治ミルクチョコレートそのものだった。
なんか感じましたね。
その女性からの視線は、3ヶ月ぐらい前から、
なんか他の女性のそれとはちがった。
といって休憩室にいるときなど何も話しかけてこないのです。
でも、なんか遠くからの彼女の視線は感じていた。
そして、バレンタインデーに“明治ミルクチョコレート”なのです。
このバレンタインデー用チョコではない、ということに、
ある種の“気持ち”を感じました。
バレンタインデーには必ず、あのひとのことを思い出します。