息子たちと夢で会う

2023年06月09日 | 家族

久しぶりに夢を見た。
小学生の息子たちとこの家にいた。
私は40代という感じだった。
息子たちが小学生の頃は、所沢の公団住宅で暮らしていた。
なのに夢では、この鳩山の家だった。
妻はいない。
息子たちの昼食を、私は心配していた。
冷蔵庫の上にある食パンを焼けばいいかと考えた。



そんなところで目が覚めて、夢が終わった。
久しぶりに会った双子の息子たちは可愛かった。
現在、息子たちは42歳、どうして夢では小学生だったのだろう?

私は息子たちが小学5年生の3月まで、残業しないで家に早く帰った日は、
夜の8時ぐらいに一緒に寝ていた。
それは彼らが3歳の頃からしていた。
私は図書館からいつも絵本を借りてきた。
(貧しかったので、本は買えなかった)
それを寝るときに、息子たちが読んで欲しい本を持ってこさせて布団に入った。
その本を私は、両脇の息子たちに読んで聞かせた。
本を読まないで私は、いろんな話をしたときもあった。
「UとK(息子たち)の大冒険」の物語を語ったときもあった。
息子たちが小学6年になるときに学校から、6年になったら性教育をするという連絡があった。
そういうことは私の口から話したかった。
それで、明日からは一緒に寝ないと決めた小学5年生の最後の夜に、
私は息子たちに、人間はどうゆうことをして子どもが生まれるかということを話した。
その翌日から、私は息子たちと一緒に寝ることはやめた。

私は、小学5年までの息子たちとは沢山話した。
しかし、それ以後の息子たちとはあまり話すことは少なくなった。
それからは息子たちとはほとんど会話はない。
私の自分のことを思うと、親父とはほとんど会話なんてものはなかった。
私は6人きょうだいの末っ子で、親父が40歳のときの子どもです。
私が小学生の頃、親父はおじいちゃんだったのでほとんど会話はなかった。
私が20歳を過ぎて酒を飲むようになってからは、親父と話すようになった。

現在、コロナ禍のこともあり、息子たちに会えてない。
5月に家に来た長男とは、ほとんど会話をしていない。
私は心のどこかに、小学5年生までの息子たちと沢山話したからいいか、という想いがある。
出来れば息子たちと酒を飲んで話したいのだが、それが難しい。
ま、息子たちとその家族が健康に暮らしているのならいい。
私は九想話を書きながら、3リットル1,300円ほどの日本酒をちびちびやれたら幸せです。

 

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息子と孫娘からのLINE

2023年05月28日 | 家族

今回の私の膀胱がん再発のことを、息子たちに連絡しておいてほしい、と妻に頼んだ。
これまでは私が自分で連絡していた。
でも今回は、5回目の手術をすることは、私から連絡しずらかった。
そうしたら昨日次男から、「手術がんばって」とLINEが来た。
高2の孫からは、
「また癌の手術をするって聞きました!大変だろうけど、頑張ってね」とLINEが来た。

うれしかった。
家族のためにも私はめげていられない。
これからのがんの手術、その後の治療に前向きにがんばらなくてはと自分に言いきかせた。

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GWに孫が来た

2023年05月07日 | 家族

5月4日(木)に孫がわが家に来てくれた。
息子が2人を連れてやってきたのです。
長男が小学5年生で長女が1年生になっていた。
去年の11月に遊びに来てくれたのに、妻も私もそのへんのところを忘れていた。
長女はまだ幼稚園にいるのかな、と思っていた。
私が11時半ぐらいにバス停に迎えに行くと、ちょうどバスが停まって降りてきた。

家に入って長女が手紙をくれた。
お寿司を食べながら、長女も長男も一所懸命いろんなことを話してくれる。
おばーちゃんもおじーちゃんも必死に2人の話を聞いていた。
食事が終わってから、最近長女がピアノを習い始めたといって、
うちのピアノを弾いてくれた。
まだたどたどしい指の動きだった。
長男は、花壇の雑草を取ってくれた。
庭で、おばーちゃんが100円ショップで買ってきたシャボン玉を飛ばして遊んだ。
トランプのババ抜きや神経衰弱もやった。

3時頃、息子と孫たちを妻と私がバス停まで送って行った。
家に帰ってきた私たちに快い疲労があった。
孫は来る喜びがあるが、帰る安らぎもありますね。

今日、サボテンの花が3つ咲いていました。

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幸福な疲労

2022年10月29日 | 家族

今日、長男の家族が久しぶりに私の家に来た。
前回来たのが、2020年1月3日の新年会です。
それ以降、コロナのために家に来ないようにいっていた。
長男の息子が小学4年生、娘が幼稚園の年長になっていた。
昼前に来ると連絡があったので、私は11時40分頃にバス停に行った。
12時10分前にバスがやってきて、そのバスから孫たちは降りてきた。
家に行く間、孫2人が私に話しかけてくる。
どちらも自分のことをがんばって私に話すので、
私は2人のいっていることを聞き分けることが大変だった。
私は一所懸命、孫たちのいうことに相づちを打ち話しかけた。

家に着いて、引き続いて孫たちは話し続けていた。
私の妻もそれに必死に応えていた。
妻は、朝スーパーで買っておいた寿司などをテーブルに並べた。
食事が終わってから、花壇にチューリップの球根を埋めることにした。
先日、私たちはホームセンターで球根を買っておいた。
50コで980円だった。
40コぐらい花壇に植えた。
残りは孫たちが持ち帰って、プランターに植えて育ててもらうことにした。
孫たちに、「来年チューリップが咲いたら見に来てね」と話すと、
「うん」と頷いてくれた。

それからいろんなことがあったが、私が疲れたので今日は書けません。
午後3時過ぎに、孫たちは帰って行った。
息子の家族が帰ってから私は昼寝をした。
妻は夕方、ソファーで寝た。
70歳と65歳の私と妻は、とても疲れてしまいました。
でも、とても幸福な疲労でした。

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きょうだい

2022年10月03日 | 家族

私のきょうだいは6人(女3人と男3人)です。
長男が3歳で流行病(ハヤリヤマイ)で亡くなった。
長女は今85歳で茨城の施設にいる、次女は2年前80歳で東京で亡くなった。
三女は76歳、神奈川で義兄と暮らしている。
次男は現在72歳(10月10日で73歳になる)で、1人で茨城で暮らしている。
私のきょうだいは仲がいいです。
姉たちが元気なときは、きょうだいで旅行をしていた。
私と妻も都合がつけば参加した。
私が軽井沢で暮らしていたときには、きょうだいを軽井沢に呼んで、
軽井沢を私が車で案内してから草津温泉まで行った。
2010年08月20日九想話「きょうだい」
2010年09月11日九想話きようだい旅行1
2010年09月12日九想話きようだい旅行2
2010年09月14日九想話きようだい旅行3
2010年09月16日九想話きようだい旅行4

きょうだいで日光に行くとなったときは、私と妻は軽井沢から車で日光まで行った。
そのときは私の、3年遅れの還暦祝いをしてくれた。
2015年09月17日九想話「日光を歩く」

ほんとうに仲の良いきょうだいです。
しかし今は、コロナ禍でまったく会ってない。
今年の年末には茨城に帰って、兄と姉に会いたいです。

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孫の誕生日

2022年09月14日 | 家族

9月19日は、長男の長女の6歳になる誕生日で、今は幼稚園の年長です。
9月22日は、次男の長女の誕生日で16歳の高校1年生です。
どちらとも3年ほど会ってない。
身長や顔など、変わってしまったんだろうな。
6歳になる孫とは一番可愛い時期のときを見ていない。
高1の孫の、中学生だったときの姿を見ていない。
このコは、スマホを持っているのでLINEでのつながりはある。
庭にバラなどの花が咲いたとき、野菜が実ったときに写真を送っている。
昨日、じいじとばあばは、2人の孫に小遣いとお菓子を送った。
このぐらいしか、現在の私たちが孫たちにしてあげられることはないのです。
来年の正月には新年会を開いて、孫たちに会いたいです。
コロナはどうなっているのでしょうね?

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名古屋にいる息子

2022年08月26日 | 家族

今日は、息子が名古屋に行く日だった。
息子の単身赴任生活が今日から始まる。
妻が先週、「26日に東京駅に見送りにいっていい?」とLINEに書いたら、
「だめ」と返事が来たらしい。
私が今日の昼頃、息子にLINEを書いた

>今日名古屋に行くんだって?
>Kが高1のときおれと、山口に行った帰りに名古屋に行ったこと覚えている。
>名古屋のどのあたりに住むのかな? 単身赴任もいいもんだよ。
>身体には気をつけて。

その年の夏、23歳で亡くなった友人の墓参りに山口に行くというと、
Kが一緒に行くといった。
そのとき私が入っていたAsahiネットのグループのオフ会が、名古屋の栄であった。
そのオフ会に息子と2人で参加した。

息子に
>名古屋のどのへんに住むの?
とLINEに書くと、
>栄の近く
と返事が来た。
>ワンルームマンション?
と書くと、
息子が住む部屋の様子を動画に撮って送ってくれた。
キレイなマンションで、冷蔵庫・洗濯機・エアコン・デスク・食卓テーブル
などがあった。
そのとき私は外に出ていたので、家にいる妻にその動画を送った。
それを見て妻が、
>キレイなマンションで、いろいろ揃っていてよかった。
とLINEを送ってきた。

夜になって妻は息子に、
>夜はなに食べたの?
とLINEを書いていた。
その返事が息子から来たのかどうか、私は知らない。

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息子の単身赴任

2022年08月03日 | 家族

7月30日(土)に、膀胱鏡検査の結果、私の膀胱にがんがないことが分かった。
(とりあえず今だけで、これからは分からない)
そのことを妻から双子の息子たちにLINEで連絡してもらった。
私としては、これまで心配かけているので安心してもらいたかったのです。
息子たちからは「了解」というようなLINEのスタンプが返ってきた。
それを妻から見せられて、私はちょっと寂しかった。
(おれの膀胱がんなんて、息子たちにはこんなもんなんだな)と思った。
せめて短くても、スタンプではなくて何かの文章が書いてあってほしかった。

日曜日に、次男から妻にLINEが来た。
「そういえば忘れていたけど、おれ8月から3月まで名古屋に単身赴任するから」
息子は7月で42歳になった。
私が山梨に単身赴任をしたのは45歳で、息子たちは高2だった。
息子の娘は高1だ。
(ああ…、あいつが単身赴任か)と思った。
私の単身赴任は、月曜日の早朝に所沢から山梨の会社に車で行き、
金曜日の夜に所沢の家に帰るというものだった。
毎週の交通費が出るわけはないので、私は高速道路はなるべく使わず、
毎週所沢の家に帰っていた。
息子の場合そうはできないと思う。
でも、息子にとっては1つの試練だろう。
がんばってうまく単身赴任をやってほしい。
やはり単身赴任は、いろいろ大変です。
私は、2009年から7年半、軽井沢で単身赴任をしていた。

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父と母のこと

2022年07月04日 | 家族

今日は、おふくろの誕生日です。
そんなことから、父と母のことをいろいろ思ったりした。
私は何年か前、両親のことをまったく知らなくて情けなくなり、調べてノートに書いた。
父の生年月日は、1909年(明治42年)3月15日、
母は、1914年(大正3年)7月4日です。
私は6人きょうだいの末っ子で、父が43歳、母が38歳のときに生まれた。
父兄参観のときに母が来ると、他のお母さんより年取っていてなんかいやだった。
長女、次女、三女、長男、次男、そして三男の私です。
長男は3歳で赤痢で亡くなっていて、私は中学ぐらいまで5人きょうだいと思っていた。
なので私はずーっと次男だと他人(ひと)にはいっていた。

父は、酒と歌が好きな人でした。
(そのことは、今の私そのものです)
地域の盆踊りの日には、やぐらの上で歌っていた。
他の人が歌うときは、太鼓を叩いていた。
私が中学生になったときに吹奏楽部に入ったのは、親父の血を引いたからでしょう。
私が高校3年のとき、私たちの吹奏楽部(創部して5年)が初めての定期演奏会を開いた。
そのとき親父が1人で見に来ていた姿を、忘れられません。
定期演奏会のプログラムで、私がトロンボーンで1曲、ソロを吹いたのがあった。
もともとそれはアルトサックス用の楽譜だった。
それを顧問の先生がトロンボーンの私に吹かせてくれた。
どんな想いで父はあの会場にいたのだろうか?

母は、朝一番早く起きて食事の用意をして、夜遅く最後にお風呂に入って寝ていた。
「かあちゃんは、寝るのがいじばん(一番)すぎだ~」といつもいっていた。
私の子どもの頃は、竈に薪をくべてご飯を炊いていた。
水道はなく、15mほど離れていた井戸から釣瓶で水を汲みバケツで風呂まで運んだ。
洗濯は、井戸端でタライで洗う。
それは過酷な家事だったと思う。
そんな家事をしてから、父と一緒に母は農作業をやっていた。
あの母のことを思うと、母に対して感謝しかない。
母は、85歳ぐらいからぼけて私のことが分からなくなった。
母のいる特養老人ホームに私が行くと、
「遠いところからいつもすみません。どちらのひとですか?」
といつもいわれたことが哀しかったです。

父は82歳、母は90歳で他界しました。
私はどうも、両親の歳まで生きられそうにありません。
でもなんとか、がんに静かになっていただいて、父・母の寿命に近づきたいです。

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息子たちが生まれた日

2022年07月03日 | 家族

今日、7月3日は双子の息子たちの誕生日で、42歳になる。
もうあいつらもそんな歳になったんだな、と感慨深いものがあります。
私が42歳のとき、息子たちは15歳だった。
そういえば、次男の長女は15歳です。
会社の仕事も、息子たちのこともいろいろ大変なときでした。

妻が、息子たちにLINEで誕生日を祝うメッセージを送ったという。
しばらくして次男から、「ありがとう」というスタンプが返ってきたようだ。
「長男からは返事はこないだろうな」と妻がきっぱりいう。
ところが夜になって、「ありがとう」と長男から返事がきたらしい。
妻は驚いていたが、まんざらでもなさそうだった。
長男の息子は10歳で娘は6歳(?)だと思う。
3年も会ってないので自信がありません。

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