久しぶりに夢を見た。
小学生の息子たちとこの家にいた。
私は40代という感じだった。
息子たちが小学生の頃は、所沢の公団住宅で暮らしていた。
なのに夢では、この鳩山の家だった。
妻はいない。
息子たちの昼食を、私は心配していた。
冷蔵庫の上にある食パンを焼けばいいかと考えた。
そんなところで目が覚めて、夢が終わった。
久しぶりに会った双子の息子たちは可愛かった。
現在、息子たちは42歳、どうして夢では小学生だったのだろう?
私は息子たちが小学5年生の3月まで、残業しないで家に早く帰った日は、
夜の8時ぐらいに一緒に寝ていた。
それは彼らが3歳の頃からしていた。
私は図書館からいつも絵本を借りてきた。
(貧しかったので、本は買えなかった)
それを寝るときに、息子たちが読んで欲しい本を持ってこさせて布団に入った。
その本を私は、両脇の息子たちに読んで聞かせた。
本を読まないで私は、いろんな話をしたときもあった。
「UとK(息子たち)の大冒険」の物語を語ったときもあった。
息子たちが小学6年になるときに学校から、6年になったら性教育をするという連絡があった。
そういうことは私の口から話したかった。
それで、明日からは一緒に寝ないと決めた小学5年生の最後の夜に、
私は息子たちに、人間はどうゆうことをして子どもが生まれるかということを話した。
その翌日から、私は息子たちと一緒に寝ることはやめた。
私は、小学5年までの息子たちとは沢山話した。
しかし、それ以後の息子たちとはあまり話すことは少なくなった。
それからは息子たちとはほとんど会話はない。
私の自分のことを思うと、親父とはほとんど会話なんてものはなかった。
私は6人きょうだいの末っ子で、親父が40歳のときの子どもです。
私が小学生の頃、親父はおじいちゃんだったのでほとんど会話はなかった。
私が20歳を過ぎて酒を飲むようになってからは、親父と話すようになった。
現在、コロナ禍のこともあり、息子たちに会えてない。
5月に家に来た長男とは、ほとんど会話をしていない。
私は心のどこかに、小学5年生までの息子たちと沢山話したからいいか、という想いがある。
出来れば息子たちと酒を飲んで話したいのだが、それが難しい。
ま、息子たちとその家族が健康に暮らしているのならいい。
私は九想話を書きながら、3リットル1,300円ほどの日本酒をちびちびやれたら幸せです。