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22年前の九想話

2024年08月29日 | 家族

今日は、22年前の九想話をブログに書き直していた。
私は2001年からホームページ「九想庵」に「九想話」を書いていた。
その九想庵がいろいろな事情でなくなり、
そのホームページ形式の九想話をブログに書き直していたのです。
2002年の私の生活が書いてありました。
私が50歳のときです。
まだ息子たちも家で暮らしていた。
私があっと思ったのは、女房がフラメンコを踊っていたことです。
そうだあの頃女房は、夢中でフラメンコを練習していた。
昨年、膝蓋骨骨折をして現在ゆっくり歩いているあの人が、フラメンコを踊っていた。
あのとき新所沢パルコにあったフラメンコ教室で習っていた。
そこの先生が所沢駅でライブをするというので女房と私は行った。
本来の予定では生徒が何人か来てライブをするはずだったが、雨が降ったので中止になった。
でも先生が1人でもやるというので私たちは所沢に行った。

2002年09月22日九想話「雨の中のライブ

ギターの男性と先生だけでフラメンコのライブを丸井の前でやった。
そのとき女房も普段着で参加して踊った。
楽しい思い出です。


踊っているのは22年前の女房です


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女房の入院

2024年07月29日 | 家族

今朝8時45分、女房をワゴンRに乗せて家を出た。
今日は女房が入院する日です。
コロナ禍のおかげで、入院・手術に家族はいらないことになったので私は家にいる。

昨年9月に膝蓋骨骨折をしてしまい、その治療のために膝蓋骨にワイヤーをつけた。
そのワイヤーを取り除く手術を受けます。
ワイヤーはそのままにしておいてもいいそうだが、何年か後に痛むときもあるという。
女房は、ワイヤーを取り除くことを選んだ、私もそのほうがいいと思う。
私は、38歳のときに交通事故に遭い、右脚の膝の靱帯を切断した。
そのときの医師が、普通の人は靱帯を切断したままでも問題ない、といった。
しかし私は、それから右脚を引きずるように歩くようになった。
この歳になると歩くときに右脚を高く上げていないので、
段差のない道路で転ぶときがあります。
あのとき靱帯をつないでおけばよかった、と後悔しています。

明日の手術は11時半からだと女房からLINEが来た。
私は、そんなわけで病院にいられない。
なんでも手術が終わったら私に病院から電話が入るから、
>昼寝しないでいて
と女房からLINEが入った。
明日私は、昼寝をしないで女房の手術の終わったことの連絡を待ちます。

しかし今日も暑かった。
「ゴゴスマ」(TBS系 月~金曜・午後1時55分)を観ていたら、
今日の日本で一番暑いところを紹介していた。
庭に育つ植物はかわいそうです。
鳩山町は5番目でした。
鳩山町がこれから気温が日本一ということはないだろう。
私は、わが庭にいるいろいろな動植物を観察したいと思っています。



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姉の誕生日

2024年07月21日 | 家族

今日は、川崎市に住む三女の姉の誕生日だった。
78歳になった。
私は上から、女3人・男3人の6人きょうだいです。
次女が2020年、長女が昨年亡くなった。
長男はずいぶん前に3歳で赤痢で亡くなっている。
なので現在は、三女と次男と私が生きている。

朝8時前に、
>誕生日 おめでとうございます。
と姉にケーキのスタンプをつけてLINEを送った。
これまでこんなことをしたことはなかった。
義兄が今年の1月に81歳で亡くなった。
姉は誕生日の朝を1人でさびしく迎えているのだろう、と思った。
それでLINEを送ることに先週から決めていた。
先週茨城に住む兄に電話して「姉の誕生日は7月21日だよね」と確認はしておいた。
LINEを送ったあとに電話をした。
姉は元気そうだった。
8月の旧盆には茨城で会うことを約束した。





















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44歳になった息子たち

2024年07月03日 | 家族

今日は、息子たちの誕生日です。
44歳になりました。
朝、女房が息子たちに〝誕生日おめでとう〟とLINEを送ったという。

今日の夕方、録画しておいたドラマ「燕は戻ってこない」(最終回)を観た。
主人公リキが双子を産んだ。
その生まれた双子の映像を観て私は1980年7月3日の朝、
東京都新宿の病院で出会った息子たちの姿を思い出した。
息子たちも未熟児だったので、保育器の中にいた。
私はそれから板橋の会社に行き、仕事をしながら息子たちの名前を考えた。
あれから私はいくつ転職したことか?

長男は大学を出てから1回会社をかえた。
次男は1つの会社を続けているようだ。
何回も転職を繰り返してきた私は、そんな息子たちにホッとしている。
息子たちが大学を卒業するときは、就職難のときだった。
なんとか就職して、正社員として働いてきた。
息子たちは20代で結婚して、マイホームを手に入れた。

夜になって女房に聞いた。
「息子たちから返事は来た?」
次男からは「ありがとう」というLINEスタンプが来たそうだ。
長男は既読にもなってないという。
あいつらは、そんなもんだろう。
息子たち家族が、健康で楽しく暮らしていたらそれだけでいい。




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少子化に思う

2024年06月05日 | 家族

2023年の合計特殊出生率は「1.20」で過去最低更新 東京都は「0.99」と全国で初めて「1」を下回る
 (TBS NEWS DIG\)

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/tbs/nation/tbs-1212632


>1人の女性が生涯で出産する子どもの数を示す「合計特殊出生率」は去年、
>「1.20」となり、過去最低を更新したことが分かりました。都道府県別で
>は初めて東京都で「1」を下回りました。
(略)
>また、去年1年間に生まれた子どもの数は前の年から4万人余り減って72万
>7277人でした。
(略)
>厚労省は少子化の背景について「経済的な不安定さ、仕事と子育ての両立
>の難しさなど様々な要因が考えられる」としています。

>また、婚姻の件数は47万4717組で、戦後初めて50万組を下回りました。

私は、以前から九想話に書いていますが、現在の少子化の大きな原因は、
若い人が結婚できないからだと思う。
非正規雇用では、結婚はむずかしい。
私は、26歳で結婚したが、一応正社員相当の身分だった。
私が51歳の6月に勤めていた会社が消滅した。
労働組合を作ったので、親会社から整理されたと私は考えています。
その年の3月に息子たちは大学を卒業した。
私は高校を出てから20回以上転職をしてきたが、54歳までは正社員だった。
安い給料だったが、賞与は夏と暮れにいただけた。
それからはアルバイトみたいな仕事だったので、賞与はなかった。

私たち夫婦は、子どもは生んでも1人だと考えていた。
私のそのときの収入では、2人は育てられなかった。
ところが、息子たちは双子で生まれてきてしまった。
必死になって女房と私は、2人の息子たちを育ててきました。
なんとか大学まで行かせて卒業してもらった。
何度か転職した私は会社の給料は安かったが、賞与はもらえた。
契約社員やフリーターではそれはない。
私は、非正規雇用というものはなくしたほうがいいと思う。
でも会社としては、非正規雇用者という存在は便利なんだろうな。
しかし、やはり非正規雇用では結婚はむずかしい。
日本の少子化を防ぐには、若い人の雇用を安定する方向にしないとムリだと考えます。
うちの息子たちは大学を卒業してから、正社員で働いている。
結婚してマイホームも手に入れて、子どもたちを育てている。
親として私は、よかったと思っています。

結婚がすべてとは思いませんが、したい人はできる環境であってほしい。
私は、所帯を持って子どもを育ててきて、いい人生だと思っています。


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女房との背比べ

2024年06月04日 | 家族

女房が「私の前に立って」という。
立って女房が私の目を見て笑う。
「ひさしくん、身長いくつだっけ?」
なぜか女房は私のことを「ひさしくん」と呼び、私は「えみさん」と呼んでいる。
私のほうが年上なのにです。
「168センチだよ」
私は、50代までは170センチだった。
60代になって背が縮んで168センチになってしまった。
女房は164センチです。
でも、お互いに立って見ると女房は、私をバカにする。
「ほぼ同じじゃない」
たしかに、女房と同じ目の位置にある。
でも〝4センチ〟は、私の背のほうが高いはずだ。
女房は勝ち誇ったようにいう。
「背は、ひさしくんとほぼ同じだよ」
私は最近、168センチより低くなったかも知れない。
私はこの頃、忸怩たる思いで生きてます。


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今日は母の日

2024年05月12日 | 家族

今日女房は、千葉の施設にいる母親のところに行くために、朝6時半に家を出た。
義母は現在、義弟が住むところの近くの施設で暮らしている。
今日持って行くんだと、昨日スーパーでいろいろなお菓子などを買っていた。
義母は93歳になるのかな?
認知症にはなってないがかなり耳が遠くなり、
女房と電話で話していても、なかなか会話がなりたたないようだ。
それでも母親から毎日何度も電話がかかってきて、女房は丁寧に話している。
義母には、うちでガラケーを買って持ってもらっている。
女房の母親は、電話で娘と話すことがなにより楽しいようです。
その母親に女房は、根気よくつきあっています。
今日は、筆談なんかもして妻は、母親と沢山話してきたようです。




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女房は就活中-その後

2024年03月12日 | 家族

女房が就職を希望して面接した会社から、今日までなんの連絡もなかった。
妻は「もうあそこはいい、別なところを探す」と先週末にいっていた。
そして、スマホでハローワークの求人サイトをのぞいては、いろいろ会社を探していた。
「この学校給食委託会社いいかな? 家から歩いて行ける」
「いつも行くこのスーパーで、清掃人を募集している」
などと私にいってくる。
私としてはなんといったらいいか困っていた。
面接したときに妻は、「1週間ぐらいで返事をします」といわれたという。
なのに、1週間たっても〝なしのつぶて〟です。
「1週間たってもなんの連絡がないのは、まともな会社じゃないな」と私は思った。
私は自慢じゃないが、これまで25回以上は転職している。
就職を求めて面接は100回以上はしてきた。
(1回の転職で、だいたい平均して4回以上は面接をしてきた)
それで1週間以上たって返事がないということは、まずなかった。
(つまらない経験談ですね)

今日妻は、ハローワークに行きたいと私にいう。
「1週間以上たっても面接した会社からなんの返事もないので、次のところを探したい」
と職安の人にいいたい、という。
それで今日の10時頃、ハローワークに行った。
2人で30分ほど職安で待った。
女房が呼ばれて、担当の人と話した。
ハローワークの担当者が、女房が面接した会社に電話をしていた。

ハローワークを出るとき妻が話してくれた。
「私、採用されたみたい、ただ上司の承認がすんでなくて、連絡ができなかったんだって」
いったい上司が何人いる大会社なんだ、と私は思った。
今日の午後、女房に「採用します」という電話があった。
「今日、職安に行ってよかった」と妻は喜んでいた。

女房の仕事は大学の新学期が始まってからです。
なので妻は3月中、どこかに旅行に行きたいという。
それで今やっている北陸応援割りを使って行こうか、となった。
茨城の友人に電話で相談した。
「女房の仕事が決まったから3月中に、北陸応援割りを使って旅行に行くことにした」というと、
「それじゃ、一筆書き切符を使えばいい。旅費が安くなるよ」という。
私はそれからパソコンを立ち上げて、〝北陸応援割り〟〝一筆書き切符〟を調べた。

女房もスマホで〝北陸応援割り〟を調べていた。
その結果、もうあまりの人気で〝北陸応援割り〟の予約がいっぱいになり、
予約受付を終了したというホテルがあるという。
私もパソコンでそれらのことを検索してみたが、かなりのホテル・旅館が受付を終了していた。

私は、大宮ー金沢ー京都ー大宮なんて〝一筆書き切符〟を考えて、パソコンで調べてみた。
だけど、泊まるホテルが決まらなければそれは難しい。
いろいろパソコンを見て考えていると、
「私はそんなに電車に乗りたくない」と女房がいう。
女房が考えていたのは、どこかに1泊したいということだった。
私も〝乗り鉄〟ではないので、そんなに電車に乗りたいとは思わなかった。
〝北陸応援割り〟も受付終了しているホテルがあり予約は難しそうだった。
私はもうめんどくさいから、3月に旅行はやめようという気持ちになった。

女房が「それなら北陸に行かないで、別なところに行こうか」という。
それで、〝北陸も一筆書き旅行〟も関係なく行こう、となった。
今の私たちとしては、ひとつの人生の区切りとしてどこかに旅したかった。
お金のことは考えずに、どこかに妻と旅したいと思った。
寝る前に女房は、奈良のいろいろなお寺に行こうかという。
今1人、酒を飲み九想話を書きながら、奈良のお寺巡りもいいな、と思った。
なんと昨日1ヶ月ぶりに、日本酒(月桂冠の「月」1.8リットル)を買ってしまった。
私は、この程度の日本酒で満足です。
そりゃ、それなりの吟醸酒を飲みたいですが・・・。

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妻が越生梅林梅まつりに行く

2024年03月09日 | 家族

今日は妻が、昨年12月まで勤めていた会社の人たちと越生梅林梅まつりに行ってきた。
2人はすでに会社を退職している人で、1人はまだ会社にいる人だそうです。
女房はあまり友だちを作らない人ですが、
それでもその3人とは、今でもLINEでつながっているようです。
うちの隣の東松山市では、毎年11月にウォークラリーというのがあって、
それにその友人たちと参加していた。
ところがコロナ禍でそれが中止になり、ここ3年ほど友人たちと会っていなかった。
今日は久しぶりに会うということでした。

私は今日、女房にあるお願いをした。
今日会う友だちに、私のYouTubeの「はとやま爺ちゃんねる」のチャンネル登録をしてもらうことを。
今朝のチャンネル登録者数は「11人」です。
1,000人を超えないと収益にならない。
ま、私の「はとやま爺ちゃんねる」でお金をいただけることはないと思っています。
でも少しでも、チャンネル登録者数1,000人に近づきたい。
それがこれから動画を撮る気持ちを持続させるエネルギーになるはずです。
今日の午後2時頃、「はとやま爺ちゃんねる」を見るとチャンネル登録者数が14人になっていた。
女房ががんばって、3人に登録してもらったようです。
そして夕方家に帰ってきた妻がいう。
「Eさんの旦那さんもチャンネル登録してくれたって」
私はただただ感謝です。

現在「はとやま爺ちゃんねる」のチャンネル登録者数は15人です。
「新所沢パルコ閉店」の視聴回数は、818回です。
これも励みになります。
明日からまた、YouTubeへの動画の投稿をしたいと思います。
何を撮るか? 難しいですね。

 

 

 

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女房は就活中

2024年03月06日 | 家族

2週間ほど前に、女房とハローワークに行った。
ハローワークに来てる求人情報を、スマホで見られる手続きをするためだった。
それで探した会社に女房は、履歴書を送った。
先週の金曜日、女房は面接に行った。
うちから車で10分ほどで行ける大学で、私が車で送って行った。
女房が面接を受けた会社は、大学の食堂の運営をしている会社で、
妻の仕事は調理補助だった。
面接の時間は10時からだったが、私たちは9時半に行った。
それで妻は面接する場所、私は大学の食堂で待つようにいわれた。
私は久しぶりに、大学の食堂にはいった。
私は21歳の3月から1年5ヶ月、日本女子大生協、それから5年ほど東大生協で働いていた。
私は大学の建物が好きでした。
久しぶりに大学の食堂に坐っていて、心地よかった。
学生たちを見ていることも楽しかった。
面接を終えた女房は「あそこで働きたいな」という。
「もし採用だったら、今週の水曜日ぐらいに電話が来て、
 不採用だったら今週末までに郵便で履歴書を送ってくると思う」と女房はいう。
今日までに〝採用〟の電話はなかった。
さて女房は、あの会社に不採用なのでしょうか?

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