Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

「選挙とは、税金の取りかた、使いかたを考えること」

2007年07月01日 | 一般

6月から地方住民税が上がりました。「上がった」なんてものじゃないですね。上がった原因は定率減税の廃止と地方住民税が増えたこと。定率減税は給与所得から一定の額を引き算して、課税対象額を低くするしくみでした。控除にはそのほか、家族を扶養する所帯の家計を助けるための扶養控除や、配偶者控除、医療にお金をかけた場合には、医療にかかった費用を給与所得から引き算して、課税対象額を減らします。こうしてさまざまな控除が行われるのは、憲法で生存権が保障されているからです。国民一人ひとりが人間らしい暮らしができるように、徳川時代のような「生かさず殺さず」という権力による、文字通りの「搾取」されないように、という思想があって生存権は保証されているのです。

ここには国民のための権力行使を義務づける思想があるのです。いいですか、国民に義務づけるのではありません。憲法は国家権力や企業のような社会権力に義務づけているのです。これが憲法の意義です。自民党の改憲案と、それに沿った方針で改憲を主張する一部国民は、この点を誤解しているのです。憲法学者によると、もっとも基本的な点での誤解であり、こういう誤解をするのは教養の完全な欠落である、ということになるのです。

政治家や官僚の多くは、東京大学の法学部や経済学部を卒業したりっぱな経歴を持っているはずなのに、こういう誤解を主張するのはあきらかに無知ではなく、意図的に国民を反動潮流に乗せようとしている、ということなのです。国民の暮らしと豊かな人生のための施政ではなく、国民の大多数はあくまでも企業利益のための奴隷に甘んじてもらおうという意図があります。憲法の改正はそんなに急いで行うことではないはずです。国民レベルの改憲論者たちもこの点には同意できるはずです。このまま自民党とその基盤である経団連に日本の舵取りを任せていては、わたしたちの暮らしは封建時代レベルにまで下がるでしょう。

今度の選挙では、一人でも多くの人たちに、冷静に考えて、自分のこととして真剣に考えて、そう、テレビや新聞に記事に踊らされることなく、自分の手で情報を集め、自分で考えて一票を投じてほしいです。

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斉藤貴男:
納税者意識というのはどうあるべきでしょうか。

浦野広明:
たとえば今回の選挙(2005年9月11日の自民党大勝選挙)で圧倒的に庶民増税をやる、という人たちが選ばれましたね。これは、選挙民が自ら不利益になることに選挙権を行使している、というところに深刻な問題点があると思います。

私が今いろんなところで申し上げていることは、とにかく選挙は税金の取り方と使い方を決めることだ、365日それを頭に叩き込んで行動していかなければ日本は変わらない、そうしなければ苦しみだけが多くなる、ということです。

考える人が少しでも増えていけば、必ず今のようなインチキな政治が大手を振るというようなことはなくなると思います。それから新自由主義を簡単に遂行させないような、国民レベルでの行動がなければ、やりたい放題されてしまうと思うんです。

そういうことを、どういうふうに国民の皆さんに伝えて、行動としてその意志を示していくか、ひとりひとりが真剣に考えなければならないところに来ています。日本国憲法は、福祉や応能負担原則などを導き出すことができる法典ですから、憲法を守るだけでなくて、それ以上に憲法を使って攻めていくレベルにならなければ駄目じゃないか、と。


(「大増税のカラクリ」/ 斉藤貴男・著)

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応能負担原則というのは累進税制を支える思想で、それぞれ収入に応じて税を負担する、収入の少ない人はそれに応じて、収入の多い人はその能力に応じて多く負担する、というのが累進税制ですが、わたしたち国民がこういう税制に応じる基本理念は、社会はわたしたちひとりひとりが築き上げていくものであり、わたしたちは社会があって生きていくことができるものだから、社会に積極的に参加しなければならない、ということです。

お金を多く稼ぐと人は、自分で自分をカリスマ視するようになります。多く稼いだ人の取り巻きやマスコミがまたそういう人たちを必要以上に持ち上げるのです。企業体として儲けを多くするのには、自社の社員一人ひとりだけでなく、下請け会社の人びとの努力がなければ達成できないものなのです。人間一人がどれほど有能であっても一大企業に育て上げるためには大勢の人びとの協力と、社会の安定がなければできないものです。そういう名もない大勢の人びとを切り捨て、虐げ、使い捨てることで利益をあげようとすれば社会そのものが弱体化します。国民が衰弱したら、国家も衰弱します。国民を犠牲にして一部の人びとだけを優遇しようとするのは、戦争末期の日本陸軍の思考からまったく進歩していませんよね、今の政治経済の有力者たちって。

こんなコラムがありました。

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問題は、増税の理由に挙げられた「税源移譲と定率減税の廃止」だ。税源移譲では、地方税(住民税)は増えるが、国税(所得税)は減税となるので、税負担は全体として大きく変わることはない、と政府は説明していた。

しかし、それは真っ赤な嘘。定率減税廃止だけで、約10万円の増税となる家庭もある。影響を受ける人は100万人にもおよび、しかも対象が低所得者に集中しているため、事態は深刻だ。定率減税の廃止は要するに国税の増税とまったく同じ効果をもたらしている。国税+地方税のダブルショック大負担増となったわけだ。

税の基本は「適応原則」だ。つまり、所得配分機能を期待しつつ、累進負担が大前提として税制度は組まれる。すなわち、勤労者所得は軽減し、不労所得や資産所得は重くし、低所得者は非課税とするのが原則だった。

だが一連の「制度改革」でこの原則は大きく崩れ始めている。まず所得税は最高税率を70%から40%に引き下げられ、地方税では10%のフラットな税率になっているため、所得の多い人ほど減税効果が大きくなるしくみだ。キャピタルゲイン(利子・配当・地代)については、定率の分離課税となるため、ここでも「持てる者」が優遇される。一方で非課税最高限度が引き上げられ、これが低所得者層を直撃する格好になった。

参院選挙を前に表立った議論はないようだが、税調は消費税の税率引き上げを検討している。警戒しなければならないのは参院選挙後の動きだ。

所得が急減する中での増税ラッシュ。住民税は国民健康保険にも連動するため、負担はさらに増える。


(「杉田望の経済私考」/週刊金曜日2007年6月22日号より)

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最高税率が引き下げられると、高所得者層の支払いが低くなります。フラット税制は累進税制と反対で、一定の率が決められる制度です。年収300万であろうと3億であろうと、一律10%であれば、3億稼ぐ人にとっては300万の人ほど痛くはないのです。分離課税は減税策のひとつで、他の所得とは別計算で行われる課税です。山林所得などで行われてきましたが、土地持ちや金貸しや株主が分離課税でいい思いをしているのが現状なわけです。一方、ふつうの国民はといえば年金からさえ税金が取られる。労働破壊のため非正規労働のために収入が下がる。年金受給年齢が引き上げられる。

みなさん、これが自民党政治です。もう、ホントに気がつきましょう。自民党に投票しようとしているわたしたちは、自分の将来の暮らしに止めを刺しているのだ、と。

今、こうして企業ファシズムがのさばるようになったのは、彼ら企業人に「自分たちは社会の一員であり、社会を築き上げてゆく責任がある」ということを考えないからです。ここにも日本人の幼児化現象が顕著に見られるのです。
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