人力でGO

経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

関西弁の魔力・・・ティーナ・カリーナ「あんた」

2012-11-05 09:02:00 | 音楽
 




昨日、ジョギング中に聞いていたベイFMから流れてきたこの曲。

関西弁って、どうして「情感」が上手く乗るのでしょう?

関東もんの「関西弁コンプレックス」かな?


ちょっと古めの曲調は、オッサンにはウレシイ。

サビの歌詞が、何故か沁みるなぁ・・・。

<再録>マンガやアニメと実写の境界・・・「うさぎドロップ」

2012-11-05 06:53:00 | マンガ
 
昨日久しぶりにTSUTAYAに行ったら、
『うさぎドロップ』 のDVDが並んでいました。
大人も見れるアニメは、ジブリ作品ばかりが強調されますが、
こういう優れた作品が日本にはたくさんある事を
少しでも多くの方に知っていただきたく、昔の記事を再録します。

ついでに『Drive』が新作コーナーに並んでいました。
こちらは万人受けする映画ではありませんが、
本当の映画好きならば、この映画の素晴らしさを堪能される事でしょう。

動機の純粋性が暴力を肯定するか?・・・ヒーローとアメリカの暴力の根幹に迫る力作「ドライブ」(2012.6.8 人力でGO )http://green.ap.teacup.com/pekepon/797.html


園子温監督の『希望の国』が上映されています。

福島の被災地で家族の絆を問う作品との事。
園監督は今まで「暴力」をテーマに家族関係を描いてきましたが、
「原子力災害」という「科学」と、「反原発という社会の暴力」を、
園監督がどう描くのか、これは必見の映画だと言えます。

http://www.kibounokuni.jp/


<再録>マンガやアニメと実写の境界・・・「うさぎドロップ」



■ 「でかした!! 息子よ」 ■

子供は成長する。

「お父さん、オレこのマンガ、オレの子供が出来た時読み直すんだ。」
高3の息子がこんな事を言った。

ビックリだ!!
だって、ついこの間までは子供だったよな・・こいつ。
それこそ、保育園の送り迎えだって、
私には、つい先日の事の様に思えるのに・・・。
子供は成長する。

嬉しいようで、ちょっと寂しい。

高3の息子に、こう言わしめたのは「うさごドロップ」というマンガである。
先日からTVアニメがスタートしたこの作品、
息子は翌日には、マンガを全巻「大人買い」していた。
勿論、自分のバイトで稼いだお金でだ。

でかした、息子よ。
君が立派な大人のオタクに育ってくれて、父はウレシイ!!

■ 

■ 「うさぎドロップ」を見ずして、今期のアニメは始まらない ■

「うさぎドロップ」は同名のマンガ原作の今期のTVアニメです。

祖父の葬式にやってきた大吉は、そこで女の子に出会います。
従兄弟の子と思ったその子は、実は祖父の隠し子だという・・。
突然の事態に当惑する親族、突然出来た妹に戸惑う大吉の母。

アニメは「お葬式」という人間のエゴがむき出しになるイベントを
良作の日本映画の様なタッチで淡々と描いていきます。

身寄りを無くした5歳の少女の、子供ながらの不安を、
そんなリンを放っておけない、30独身男の大吉の視線を、
アニメは様々なシーンの断片で綴ってゆきます。

そして大吉はこう言うのです。
「りん、俺んち来るか」
答えは、ふわりと大吉に寄り添う、小さな靴を履いた足。

30分の一話目で、昨今の日本映画の水準を軽々と越えるこのアニメ、
今期のアニメは「うさぎドロップ」を見ずに何を見るというのだろうか?

■ 子供は親を育てる ■


注意) ここからはネタバレ

リンを施設に預けようとする伯父達の大人の判断に
子供の様な直情さで、リンを連れ帰った大吉ですが、
そこは独身三十路男。
何をどうして良いのやら、皆目見当も付きません。
従姉妹に電話して、保育園の緊急一時保育に入れるには入れたものの
会社と保育園のお迎えで、彼の生活は一変します。

アパレルメーカーの営業として、それなりの実績を持つ彼は
思案の末に、配置替えを上司に嘆願します。
始めは、「勢い」で始まった奇妙な「子育て生活」でしたが、
大吉の中で価値観が大きく変化して行きます。
「リンの為」が大吉の中で一番大切なものになっていきます。

保育園、小学校、高校と「リン」は大吉の元で成長します。
保育園の男友達、その母親、育児パパ達との交流を交えながら、
2人の時間は次第の積み重なってゆきます。

「リン」が高校を卒業するまでの15年間を
マンガは丁寧に9巻を費やして描いてゆきます。

父子家庭としての大変さを、
片親で子供を育てる大人同士の連帯と、臆病な恋を。
リンと幼馴染の恋の行方を、
そして、リンの心の成長を、
ちょっと離れた視線で柔らかに作者と読者は見守ります。

決して派手では無く、むしろオーソドックスな表現ながら、
そこには、仮の親としての意地も、愛情も、
そしてリンを捨てて仕事を取った母親の
身勝手ながらも、女性らしい子供を気遣う視線も
ハッとする様な新鮮さで、詰まっています。

■ かつて経験した事 ■

共働きの家庭の子育ての大変さは・・・などと書くと
専業主婦の方達から反発があるのでしょうが、
子供が熱を出した時に、夫婦のどちらが迎えに行くかのバトルは
今思い起こしても熾烈なものがありました。・・我が家でも。

でも、近所のオバサンや、母親仲間、パパ仲間の協力で、
我が家の子供達も危機を乗り切ってきました。
とにかく、保育園に通う子供が熱を出す事は
親の仕事にダイレクトに影響します。
ですから、冬は恐怖のシーズンでした。
ましてや、インフルエンザの流行は、ゴジラの襲来に近い恐怖でした。

そんな保育園に子供を通わせていた頃の思い出が
このマンガにはギッシリと詰まっています。

■ 子供を見る、東西の視線の違い ■

ダスティン・ホフマンの映画、「クレーマー・クレーマー」は、
奥さんが家出して突然育児を任された父親の話で秀逸でしたが、
ダスティン・ホフマンの父親が子供を見る視点は
「エイリアン」を見る視点でした。
「大人の論理の通用しない怪物の面倒を見る男の悲劇」が
コミカルに描かれていました。

一方、「うさぎドロップ」の大吉の視線は
もっと情緒的です。
子供の一挙手、一投足に一喜一憂する様は、
まさに日本の親の日常です。

子供の思考を分からないながらも、
子供の気持を分かち合おうとする姿勢も
もしかすると、日本人独自のものなのかも知れません。
自分の延長としての子供、子供に繋がれた大人・・・。

「自立した個人」という近代西洋の視点に立てば、
限りなく未成熟な親子関係ですが、
ある意味、切れない紐で結ばれたような関係は、
何とも心地よく、子は親に甘え、親は子に甘えます。
それが、たとえ血の繋がりの無い子供であっても、
日本人はそのような繋がりを結ぶ事が、この作品から伝わってきます。

たとえ育児を放棄した母親であっても、
心のどこかで、子供に依存していたりもします。

■ マンガやアニメでしか伝わらない事 ■

この何ともぬるま湯的な世界は、
小説や実写映画では伝わり難い内容です。

実写映画では、どこにでもある日常を越えられませんし、
小説では、「普通の事」を表現して読者に読ませる事こそが難題です。

ですから、現在のメディアで、「普通」を伝える手段として
マンガやアニメの果たす役割は無視出来ません。

キャラクターとしてイメージを外在化出来るからこそ、
マンガやアニメは「客観視」や「観察」に適しているのでしょう。
自分達の日常は、こんあにも素晴らしい事を、普通に表現出来ます。

最近の子供向けのマンガやアニメは、とにかく日常指向です。
敵も無く、イベントも無く、仲間内の日常がダラダラと展開します。
それこそ最近は恋愛も非日常として排除されていたりします。

エヴァンゲリオンの様に、時空を越える壮大な作品を排出したアニメやマンガは、
現在はエントロピーが拡大しすぎて「熱死」の状態にあるのかも知れません。
そして、先鋭的な現代小説がかつて辿った様に、
例えばコップの中の水を表現する事(確か、高橋源一郎だったか)から
やり直しているのかもしれません。

■ 実写で見たい 「あの日見た花の名前を僕らは知らない」 ■



前期のアニメの代表作に
「あに日見た花の名前を僕らはまだ知らない」という作品があります。

「とある魔術師の超電磁砲」で素晴らしい演出手腕を見せた
長岡龍雪の作品で、中高生を中心にかなりの支持を受けた作品です。

小学校の遊び仲間6人の一人が、ある日、川で溺れて死にます。
残された5人は、それぞれのトラウマを抱えて高校1年生に成長しています。

登校拒否に陥っていたリーダー格の「じんたん」の前に
死んだはずの「めんま」が成長した姿で現れます。
・・しかし「めんま」が見えるには「じんたん」だけ。
ところが、その「めんま」の存在が
離れ離れになっていた5人に心を結び付けて行きます。
5人は、「めんま」が成仏できる様に、
必死で「めんま」の願いを叶えようと奮闘します。

秩父の小さな街を背景に、5人の若者の成長が
アニメらしい瑞々しい表現で描かれてゆきます。

・・とても素晴らしい作品です。
最後は46歳の大人の目に涙が溢れました。

しかし・・私はあえて言いたい。
私はこの作品を実写で見たい。
監督は徒然、岩井俊二。

もちろん「めんま」は最後まで1カットも出なくいい。
居るのか、居ないのか、
「じんたん」の虚言なのか、妄想なのか、分からない・・・。
そんな存在を軸にした、5人の若者の姿を
秩父の自然を背景に、実写映画で見たい。

アニメが不出来なのでなく、
この手のファンタジーはアニメでは見えすぎてしまうのです。
アニメでは「めんま」は、絵として描かざるを得ません。

しかし、「めんま」は最後まで見えない方が、
この素晴らしいコンテンツが引き立ちます。

リアルなアニメが成立するとして、
実写とアニメの何処い線を引くかは、難しい問題です。

これは原恵一の作品にも言える事です。
表現としてアニメを選んだという説得力に、
「あの日見た・・・」は乏しいと思うのは、私のワガママなのでしょうが・・。

■ 「うさぎドロップ」と「あの日見た花の・・・」は必見 ■

いずれにしても、TVで普通に放送される作品が
これ程までに高クォリティーを有している事は驚異的です。

この2作品のアニメと、そして「うさぎドロップス」の原作マンガは、
現在のアニメやマンガの水準を知る上で、
必見の作品では無いでしょうか。