『あざみの歌』は まだ歌えますか

泣いて、笑って、歌って介護!!そんな日常の過去の記録と
新たに今一度自らを見つめてぼちぼちと戯言なりを綴ります。

嘘つき

2006年01月24日 03時25分51秒 | かぁちゃんにまつわる話
私は私。何をうろたえる必要があるのだろうと思う。
そう言って自分を奮い立たせるも、案外相当弱虫なのも確かだ。

かぁちゃんの今の様子を分かってもらえない。
特に嫁いだ先の親族の人たちにはどうしても分かってもらえない。
さんざん説明して、もう帰れないのだと何度言っても信じてもらえない。
私に貼られたレッテルは「嘘つき」・・・おい!
誰が自分の母親がアルツハイマーで、パーキンソンで、自分の身の回りの事もできなくなってるんだって嘘をつかねばならないのだ。
だいたい嘘をついてまで守らねばならない物などない。
早く忘れようと思う。理解を求めようとした自分が馬鹿だったのだと思う。
泣いて済ませればそれでいいのかもしれないが、泣けるかぁ。
目の前の事が手に付かない程うろたえている・・・違う、これは怒りだ。
怒りをぶつける事は出来ないと自覚した上での怒りだ。
少女のような純粋さで、少女の様な残酷さで、少女のような危なっかしさでしか人と接する事が出来なかったかぁちゃんの人間関係を、私は引き継いで行かなければならないのだろうか・・・そんな事は絶対に嫌だ。
心が寒い。あどけなく笑うかぁちゃんの顔を見るのが辛い。辛いのではなく、それもまた怒りに変わる。

・・・え~かげん成長せにゃぁ駄目だぞ!私。

考えて見れば、そんなかぁちゃんだからこそ、可愛がってくれたかぁちゃんの何十年来の友人達でさえ、この病が一時的なものだとしか理解してもらえない事の方が多い。「暖かくなれば元気になるよ。」という慰めが、歯噛みするほど悔しい事がある。「こんな事になる筈がないじゃない。」と言う切なる思いは、私自身が何度繰り返した事か・・・それを完全否定しなければならない現実を分かって欲しい。全て分からなくても、想像して欲しい。
それが無理なら、今の生活に意見するのだけはやめて欲しい。私に出来る最大限の事を背伸びしながらしているのだから。

愛されればこそ、逆に批判される存在であればこそ、かぁちゃんのこれまで生きた人生にそれぞれの思いがあるのだってことは分かる。
けれど、私はかぁちゃんの代わりにはなれない。
私が出来ることは、かぁちゃんの今を大切に見守る事だけだ。出来るだけ感情を押し殺して、出来るだけ笑顔で・・・これ以上何をせよと言うのだ。
もしかしたら、私は生きる事に随分甘いのかもしれない。
あ~ぁ、今日はマイナーな歌しか浮かんでこないなぁ。

ここ数年、身に沁みて「泣けるってことは幸せなのだ。」と思う。
涙が流せるという事は、嬉しいにつけ悲しいにつけ心のバランスを保つためには大切な事なんだと思う。だから一人で泣く事にもう躊躇はしていない。
ふむ、いっそ人前で泣き喚いてやろうか!・・・お前も蝋人形にしてやろうか!!
・・・なんのこっちゃ。

思いっきり愚痴ってしまった・・・ごめんなさい。
嫌な事はさっさと忘れてしまおう。はっきり言って、そんな事で悩んでいる暇などないのだから。うお~っし!!頑張るぞ~!!
何年かぶりにギターケースを開けよう。近所迷惑だろうがなんだろうが歌うぞ!
まずは、久々に「うらみます」なんぞを・・・うふふっ。
コメント
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